92 遡行する幻影(10)
散会になったのは、夜も更けた頃だった。
ロルフとミリアムが参加者を見送る中、エマは早々に出口へと向かった。
「あの……!」
背後から声がかかった。
振り返ると、ダライアスが外套を着ながら追いかけて来るところだった。
「同じ方向なので……よければ」
歯切れが悪い。
送っていきたいのか、それとも単に帰り道が重なるだけなのかが、はっきりしない言い方だ。
「どちらのほうに?」
エマが問い返すと、ダライアスが通りの名を告げた。
商家とは逆方向だ。
「私は西ですので、方向が違います」
「あっ、そうか……。そうですよね」
ダライアスが少しだけ残念そうな顔をした。
隠しているつもりなのかもしれないが、わかりやすく顔に出ている。
「では」
エマが踵を返すと、後ろからまたひとつ声がかかった。
「今夜は、話を聞いてくれてありがとうございました。仕事の話なんて、聞いてくれる人があまりいなかったので」
素直な言葉だった。
取り繕いが一切ない。
エマはしばらく黙ってから、短く返した。
「また機会があれば」
それだけ言って、エマは歩きだす。
少しだけもったいなかったような気がしないでもない。素直に送ってもらえばよかっただろうか。
だが、自分からアタックするのはなんだか癪だった。
最終的に積極さを発揮するのがこちらであっても構わないが、せめて向こうが露骨な好意を示してからだろう。相手を立てるのと、かいがいしく世話をするのとは、似ているようで全然異なる。女性として扱われるのかどうかという点には、天と地ほどの隔たりがあった。
夜の通りには、春の風が吹いていた。
角を曲がったとき、ふと足が止まる。
服飾店のショーウィンドウだ。
明かりに照らされた飾り窓の中に、一着のドレスが展示されていた。
淡い春色のドレスだ。
薄桃色を基調に、裾には白い小花の刺繍が施されている。派手ではない。けれど、よく見れば細部まで手の込んだ、美しい一着だった。
「……」
エマはしばらく、それを見つめた。
子爵家の令嬢だった頃、こういったドレスを着ていた。
舞踏会の前夜、侍女に手伝ってもらいながら鏡の前に立ったこともある。あれはいったい何年前のことだっただろうか。
もう丸っきり縁のないものだ。
それはわかっている。だけれども、目が離せなかった。
「きれいですね」
背後の声に、エマは我に返った。
振り向けば、ダライアスが立っている。
さっき別れたはずだが、なぜここにいるのだろうか。どうにもエマを追って来たわけではなさそうだ。
「……。道に迷ったんですか?」
エマが問うと、ダライアスは少し間を置いてから答えた。
「ちょっとだけ」
少しではないだろうと思ったエマだったが、黙っておくことにした。
ダライアスの視線が、ショーウィンドウのドレスに向いている。
「似合いそうですね、あなたに」
言われて、エマもドレスに視線を戻す。
何も答えなかった。
どんな返事をすればいいのか、わからなかったからだ。
「帰り道はご存知ですか?」
ダライアスが首を横に振る。
「……。途中まで案内します」
「いえ、そんな。夜も遅いですし」
「放っておくと、明日の朝まで違う通りを歩いていそうですので」
口にしてから、少し言いすぎただろうかと思った。
だが、ダライアスは傷ついた様子もなく、むしろ真剣にうなずいている。
「たしかに、その可能性も否定できません」
「そこはさすがに否定してください」
思わず返してしまってから、エマは口を閉じた。
ダライアスは一瞬きょとんとした後、くしゃりと笑った。
その笑い方を見て、エマは視線を逸らす。
まったく、調子が狂う。
夜の町は、昼間とは少し違う顔をしていた。
店先の灯りが石畳に落ち、歩く人々の影を細く伸ばしている。春とはいえ、日が沈めばまだ肌寒い。エマは外套の前を軽く押さえながら、迷いのない足取りで通りを進んだ。
その半歩ほど後ろを、ダライアスがついて来る。
「あなたは、道に詳しいのですね」
「必要でしたので」
「仕事で?」
「ええ。使いに出ることもありますし、商家の者として、どの通りに何の店があるかは把握しておくべきです」
「なるほど……」
ダライアスは感心したように声を漏らした。
「僕は、どうにも苦手で。工房と納品先を往復するだけなら、どうにかこなせないこともないのですが、少しでも外れてしまうと……」
そうだろうなという感想を、エマは内心だけにとどめた。
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