87 遡行する幻影(5)
問いかければ、ダミアンが我に返ったように口を開く。
「ええ……。この市場は、先月に初めて来ました。それまでは王都の近場の商店を利用していたので……高齢を理由に懇意にしていた商家がやめてしまったんです」
「西側ですね」
相槌を打ったエマが、商人のほうに視線を戻す。
「半年前にこの通りで問題を起こしたという話、今のお言葉とは随分と食い違うようですね。ところで、今度は証人のお二方に尋ねますが、以前にダミアン様が問題を起こした場面を、具体的にどちらの露店の前でご覧になりましたか?」
「そんなこと聞いて――」
「日時と場所がわかれば、市場を管理しているところに記録を照合できます。まさか通報しないような小さな問題で、ダミアン様にいちゃもんをつけているわけじゃないですものね」
2人の男が顔を見合わせた。
答えは出て来ない。
出て来るはずがなかった。
エマが視線を前へと向けたまま、淡々と言葉を続けた。
「虚偽の証言は、場合によっては法的な問題になりえます。管理人にも同席していただいていますので、その点はご承知おきください」
2人の男が、ぎょっとして後ろを振り返った。
エマが市場通りに入ったのは昼を過ぎた頃合いだ。
薬草商に立ち寄る前に、管理人の詰め所に顔を出してあった。エルフェルト家の侍女として、情報を交換するための活動にすぎなかったが、まさか本職のほうで役に立つとはエマも予想だにしていない。
管理人が無言で一歩前に出る。
顔を知らずとも、腕章からどういう人物であるかは察しがつく。その存在を認めた途端に、2人の男は揃って頭を下げた。
「も、申し訳ありませんでした。頼まれただけで……」
「小遣いをもらっただけです。本当のことは何も知りません」
商人が露骨に舌打ちをした。
もはや打てる手は残されていない。
「いつもこのようなやり方で?」
エマが商人を見据えた。
「粗悪品を高値で売りつけ、返金を求められれば偽の証人を立てて逆に賠償を要求する。被害を受けた方は、ほかにも大勢いらっしゃるのではないでしょうか。ベルクリフ様、過去の記録をご確認いただけますか?」
管理人のベルクリフが重々しくうなずいて、商人に向きなおった。
「心当たりがあるのなら、今のうちに話したほうが身のためだぞ」
商人の顔から、残っていた余裕の色が完全に消えた。
しばらくの沈黙の後、がっくりと肩を落とす。
結末は驚くほど早かった。
過去にも複数の被害者がいることがその場で明らかになり、商人は即日、市場からの追放処分となった。証人の2人は管理人に事情を説明した上で、厳重注意で解放される。腕っぷしに自信があるようなので、肉体労働にはなるものの、ちゃんとした仕事を紹介してもらえることになって喜んでいた。
ダミアンは返金を受け取り、それからしばらく、呆然とした顔でエマを見ていた。
「エマさんは……いつの間に管理人を?」
「たまたまです」
はぐらかすようなエマの答えに、ダミアンは疑うような目線を向けている。それを認めたベルクリフが、微苦笑を浮かべて応じた。
「私の甥がエルフェルト家で執事をやっていてね。直接顔を合わせるのは体裁的によろしくないので、こうしてエマ殿から甥の近況を聞いているというわけだ」
「私のほうは自衛の延長、ベルクリフ様からすれば巡回の延長ですので、雑談をしていても別に変ではありませんわ」
涼しい顔で答えるエマを、ダミアンは感心したような表情で見つめている。
「あなたはいつも、そうなんですね」
「どういう意味でしょう?」
「抜かりがないというか……。見ていて、爽快感があります」
褒め言葉なのだろう。
しかし、言われ慣れていない種類の言葉だったので、エマは少しだけ返答に詰まった。
「仕事柄、そうなっているだけです」
そっけなく返して、エマは荷物を持ちなおした。
「それでは」
「あの」
またダミアンが引き止めた。
振り返る。
「今日は本当に助けていただき、ありがとうございました。また、お茶でも……」
「急ぎますので」
エマは短く断った。
断ってから、少しだけ惜しいような気がした。
そうして、自分の感覚を訝しんだエマが、内心で眉を寄せる。
急ぎの用事があるのは本当だ。
惜しいと感じる理由など、どこにもないはずだった。
「またいつか!」
ダミアンが背後から声を飛ばした。
春の風が通り抜けて、荷物の布をひらりとはためかせた。
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