第201話 四十一商会の締め時刻を、一つにしない
翌朝、机の上に広げた地図には、四十一商会の位置と、それぞれが普段商売を終える時間が書き込まれていた。
昨日までは、参加商会が少なかった。
だから「夕方に日次精算票を出す」で困らなかった。
ところが四十一まで増えると、同じ夕方という言葉の中にかなりの差があることが分かった。
東市場は早い。
生鮮品を扱う店が多く、朝が早い分、日が傾く前には片付けへ入る商会が多い。
中央市場はその少し後。
南市場は夕食前まで客が残る。
倉庫街はもっと遅く、遠方から来る荷馬車を待って夜近くまで取引する店もある。
一番早い商会と、一番遅い商会。
普段の締め時間には、二時間以上の差があった。
「全員を最後に合わせたら?」
フィンが地図を覗き込む。
ミナは昨日集めた聞き取り結果を確認した。
「東市場の十二商会のうち九商会が、担当者を二時間近く残すことになります」
「じゃあ最初に合わせたら?」
「倉庫街の取引を途中で切ることになります」
「真ん中は?」
領主が口を開きかけ、それから自分で止めた。
昨日も同じことを考えたのだろう。
真ん中にすれば公平に見える。
だが実際には、早い側には遅く、遅い側には早い。
全員が少しずつ困るだけだ。
レイナが地図の四か所を順番に指した。
「時刻を決める必要がある?」
「精算するなら、どこかでは締めないと」
「全員同時?」
そこだった。
俺たちは昨日まで、
取引を全部終える。
全商会の日次精算票を集める。
全体を相殺する。
銅貨を動かす。
その順番で考えていた。
一日の精算という言葉につられて、一日に一回、全員同時に締めるものだと思い込んでいた。
だが、東市場が商売を終えた後。
東市場の商会に関する数字は、もう増えない。
中央市場の店がまだ営業していても、閉まった東市場の店との新しい取引は発生しない。
なら。
東市場の分だけ、先に締められる。
「四十一商会を一回で精算しない」
俺が言うと、ブラントが地図から顔を上げた。
「市場ごとに分けますか?」
「まず試してみよう」
昨日の四十一商会の取引記録を使って計算した。
東市場が普段締める時間の時点で、東市場の十二商会が関係する取引だけを抜き出す。
四十四件。
東市場同士の取引。
東と中央。
東と南。
東と倉庫街。
東側が閉まれば、それらの組み合わせについて東側の数字は確定する。
中央市場の商会はまだ営業していても、東市場との取引だけなら追加されない。
だから中央市場側も、帳面全体を締める必要はない。
相手別合計の中から《東市場分》だけを確認すればいい。
フィンが帳面を見比べながら言った。
「中央市場の店は、東との分だけ先に終わらせて、南との取引はそのまま続けられる?」
「できる」
「店自体を締める必要はないんだ」
それなら全員を待たせなくていい。
ただし、商会ごとに好きな時刻を設定するのはやめた。
四十一商会に四十一通りの時刻ができれば、それを覚えるだけで仕事になる。
だから既に存在する商売の流れへ合わせる。
東市場の締め。
中央市場の締め。
南市場の締め。
倉庫街の締め。
四回。
新しく四つの時刻を領主府が決めるのではない。
普段から商人たちが片付けを始める頃に、その区域分を確定するだけだ。
「ルールは一つ」
レイナが言った。
全員が彼女を見る。
「締めた数字を戻さない」
それだけは必要だった。
東市場分を精算したあと、「やっぱりあと一件ありました」と四十枚追加されれば、すでに動かした銅貨まで計算し直さなければならない。
だから、一度その区域の締めを出したら、その区域との今日の相殺取引は終了。
どうしても後から取引するなら、その場で現金払いにするか、翌日分として扱う。
時刻は違っていい。
だが、締めた後の数字は変えない。
領主はそこまで聞いて頷いた。
「全員に同じ時間を守らせるのではなく、『終わったと言ったものは終わり』だけ共通にするわけだな」
「はい」
「その方が覚えることが少ない」
最近の領主は、仕組みを増やす前に維持する側の仕事を見るようになってきた。
午後、実際に四十一商会で試験を始めた。
最初は東市場。
十二商会。
締め対象となった取引は四十七件。
東市場内の取引を相殺し、それでも外へ払う必要がある分と、外から受け取る分だけを残す。
中央・南・倉庫街の商会は、帳面全体を閉じず、東市場との相手別合計だけを確認した。
数字は一致。
転記間違いもなし。
処理時間、九分。
東市場の商人は、それで今日の相殺業務を終えた。
誰も中央市場が閉まるまで待たない。
誰も倉庫街の最後の荷馬車を待たない。
東市場で今日受け取るべき銅貨は、昨日決めた通り、それぞれの店へ直接届く。
「帰っていいんですか?」
乾物商会の主人が念のため確認した。
「東市場分は終わりました」
「中央市場の連中はまだ商売してますよ?」
「それは中央市場の商売です」
主人は一瞬黙り、それから笑った。
「昨日まで全員が終わるのを待っていたのは何だったんでしょうな」
必要だと思っていた。
ただそれだけだ。
次は中央市場。
東市場との分はすでに終わっているので、対象にしない。
中央市場内。
中央と南。
中央と倉庫街。
残っている取引だけを精算する。
処理時間、七分。
中央市場の商会も、その時点で終了。
さらに南市場。
処理時間、六分。
最後に倉庫街。
ここまで来ると、残っているのは倉庫街内部と、ごく少数の未精算分だけだった。
処理時間、四分。
四回合計、二十六分。
一回だった昨日より、計算作業だけなら長くなった。
フィンがそこへ気づく。
「昨日は十六分だったよね。今日は二十六分。遅くなってない?」
「計算だけ見ればな」
「じゃあ失敗?」
ミナが別の紙をフィンの前へ置いた。
「待ち時間を入れると逆です」
昨日と同じ一斉締めなら、一番遅い倉庫街に合わせる必要がある。
東市場十二商会。
待ち時間の合計、約十九時間分。
中央市場十三商会。
合計約十一時間分。
南市場は約四時間分。
四十一商会全体では、店を締めてから精算までの待機が三十四時間以上発生する計算だった。
もちろん一人が三十四時間待つわけではない。
十二人が一時間半。
十三人が一時間弱。
そうした細かな待ち時間を全部足した数字だ。
今日。
待機時間。
東市場、最大十一分。
中央市場、最大九分。
南市場、最大八分。
倉庫街、最大六分。
合計しても五時間に届かない。
計算担当の仕事は十分快増えた。
代わりに、商人たちの待ち時間は二十九時間以上減った。
フィンが二枚の数字を見比べる。
「十分快余計に働いたら、二十九時間減った?」
「四十一商会全体では」
「じゃあ、やった方がいい」
今回は俺が答える前に、領主が言った。
「ただし、その十分快を誰が毎日負担するのかは見る必要がある」
俺は領主を見た。
「そうですね」
以前なら、成果だけを見て採用していたかもしれない。
三十四時間が五時間未満。
それだけ見れば圧勝だ。
だが、減った二十九時間は商会側に広く分散している。
増えた十分快は精算処理側へ集中する。
そこが毎日詰まるなら、全体では得でも長続きしない。
だから処理側も測った。
四回に分けたことで、同時に扱う紙が減っている。
一番多い東市場の回でも、机に出した日次精算票は十二枚。
中央は十三枚。
南は九枚。
倉庫街は七枚。
四十一枚を一度に見る必要がない。
途中で来客があっても、どこまで処理したか分からなくなりにくい。
転記確認も区域ごとに終わる。
ミナが実際に作業した感想をまとめる。
「総時間は増えましたが、一回あたりはかなり楽です。四十一枚をまとめて処理するより、間違いを見つけやすいです」
ブラントも頷く。
「商会からの質問も、その区域の精算中だけです。昨日は二十三商会が同時に確認へ来ました」
つまり。
時間は十分快増えた。
負荷は単純に増えたわけではない。
何より、失敗した時に影響する範囲が小さい。
東市場の計算を間違えても、四十一商会全部をやり直す必要はない。
東市場分だけ止めればいい。
レイナが結果表を見て言った。
「分けた効果、もう一つ」
「どれ?」
「止めやすい」
大きな仕組みを一度に動かすと、一か所の異常で全部が止まる。
小さく分ければ、異常のある場所だけ止められる。
効率だけではない。
故障した時の範囲まで小さくなる。
夕方、今日一日の数字をまとめた。
参加四十一商会。
取引、百四十七件。
取引総額、八千枚分。
実際に移動した銅貨、二千四百五十八枚。
省略、五千五百四十二枚。
貨幣移動削減率、約六十九パーセント。
精算回数、一回から四回へ。
精算処理時間、十六分から二十六分へ増加。
一方、商会側の精算待機時間は合計三十四時間以上から五時間未満へ減少。
削減、二十九時間以上。
一商会あたりの最大待機も、二時間以上から十一分まで縮んだ。
統一営業時間、なし。
統一閉店時刻、なし。
全商会共通の締め時刻、なし。
必要なのは、
《一度締めた区域分の数字は、その日は戻さない》
それだけだった。
「結局、同じにしたものは一個だけ?」
フィンが聞く。
「そうなるな」
時刻を揃えない。
営業時間を揃えない。
店の仕事も揃えない。
扱う商品も当然違う。
違うものを無理やり同じにするから、どこかで無駄な待ち時間が生まれる。
同じでなければ困る部分だけ、同じにする。
それ以外は現場に残す。
その方が仕組みは軽い。
領主が今日の報告書を読み終えた頃、最後の倉庫街から荷馬車が戻ってきた。
精算も終わっている。
今日はもう新しい紙は来ない。
そう思った。
最近毎回そう思っている時に限って、誰かが来る。
今回はフィンまで入口を見ていた。
「来る?」
「来ない方に一枚」
「何を賭けるんだよ」
レイナが冷静に突っ込んだ直後。
扉が開いた。
フィンが机へ突っ伏した。
入ってきたのはブラントではない。
領主府の連絡係だった。
「失礼します。領内の別の町から商人が来ています」
領主が眉を上げる。
「この時間に?」
「今日の精算試験を見に来ていた商会の紹介だそうです」
入室を許すと、旅装のままの商人が一人入ってきた。
市場の商人とは違い、腰には長距離移動用の革袋がいくつも下がっている。
挨拶を終えた商人は、すぐ本題へ入った。
「こちらで、商会同士の支払いに必要な銅貨を七割近く減らしたと聞きました」
フィンが小声で言う。
「もう広まってる」
商人は続けた。
「私どもの町でも参加できませんか?」
できるか。
最初は、そう考えた。
同じ領内。
同じ貨幣。
同じ確認票を使えば、仕組み自体は動かせるかもしれない。
だが地図を見て、すぐに別の問題が見えた。
その町までは荷馬車で半日近くかかる。
今日の取引票を今日ここへ持ってくることはできない。
銅貨を運ぶ量を減らすために作った仕組みなのに、精算票を運ぶためだけに毎日馬を走らせるのか。
それでは遠くなるほど連絡費が増える。
商人はさらに言った。
「こちらへ支払うため、うちの町から毎週、銅貨を積んだ荷車を出しています。先週は三台でした」
ゼフの目が変わった。
「護衛は?」
「一台に二人ずつです」
荷車三台。
護衛六人。
それが毎週。
もし町同士でも相殺できれば、消せる移動は今日の市場内とは比較にならないかもしれない。
同時に。
失敗した時の距離も、今日までとは比較にならない。
俺は地図に二つの丸を描いた。
今いる場所。
半日先の町。
市場の中では、帳面を一か所へ集めるのをやめた。
次は。
そもそも帳面が同じ町にない。
俺は報告書の最後に、新しい一行を書き加えた。
《同じ場所にいない商会同士でも、銅貨を運ばず精算できるか》
四十一商会を同じ時刻に集める必要はなくなった。
今度は。
同じ町に集める必要があるのかを考える番だった。




