第199話 全部の帳面を集めず、合わない時だけ開く
二十三商会。
昨日の八商会から一気に三倍近くへ増えた参加希望を前に、最初に問題になったのは計算方法ではなかった。
「全員、夕方にここへ来るつもりです」
ブラントの報告に、フィンが窓の外を見た。
領主府の一室を借りて行っている精算試験は、八商会ならまだどうにかなった。だが二十三商会の主人か帳簿担当者が一斉に来れば、それだけで部屋が埋まる。
しかも店を閉めて来るわけではない。
誰かを一人、店から抜かなければならない。
銅貨を運ぶ人間を減らしたのに、今度は帳面を運ぶために人間が歩き始める。
それでは仕事の名前が変わっただけだ。
「帳面を持ってくる必要、ある?」
レイナが言った。
机の上には昨日使った確認票と、各商会の一日分の帳面が積まれている。
昨日は試験だったから全件をこちらで確認した。
誰が誰へ何枚分を売ったのか。
支払いはいくらか。
双方の確認票は一致しているか。
それを一件ずつ追った結果、八商会二十三取引で十九分。
二十三商会になれば取引数も増える。
全部を見るという前提そのものを変えた方がいい。
「精算するときに、本当に必要な数字は何だ?」
俺が聞くと、ミナがすぐに答えた。
「各商会の受取合計と支払合計。それから差額です」
「個々の商品名は?」
「精算だけなら不要です」
「取引した時刻は?」
「不要です」
「確認票そのものは?」
ミナは一瞬考えた。
「数字が合っているなら、普段は不要です。ただし、合わなかった時には必要になります」
それだった。
俺たちは昨日まで、間違いを防ぐために全部を確認していた。
だが全部を確認する仕組みは、取引が増えるほど仕事量も同じように増える。
間違いが一件ある日も。
一件もない日も。
毎日、全件確認。
安全そうに見えて、長く続ければ確認する側が疲れる。
疲れれば、今度は確認作業そのものから間違いが出る。
なら正常な日は、正常であることだけ確認すればいい。
細かい中身を見るのは、おかしい時だけでいい。
俺は新しい一枚紙を作った。
上に商会名。
その下に、
今日の受取合計。
今日の支払合計。
差額。
取引相手ごとの合計額。
最後に、確認票の枚数。
帳面そのものではない。
一日の終わりに必要な数字だけを抜き出した《日次精算票》だ。
フィンが紙を見て首を傾げた。
「取引相手ごとの金額も書くなら、結構あるんじゃない?」
「同じ相手と五回取引しても一行」
「ああ。五枚の確認票を一行にするんだ」
一日に同じ商会から三回仕入れ、二回商品を売っていても、精算時に必要なのは相手との合計だ。
細かい五件は双方の店に残しておく。
何も問題がなければ、それを見る必要はない。
さらに、商会主本人が精算場所へ来る必要もなくした。
日次精算票だけなら、使いの者が運べる。
ユハに頼んで市場を回る経路を確認すると、東市場、中央市場、南市場を三つに分ければ、普段の連絡便へ紙を一枚ずつ追加するだけで集められることが分かった。
「専用便は?」
ユハが地図から顔を上げた。
「要りません。午後の連絡便が全部通ります。時間を決めて店先で預かれば、それで足ります」
新しい人員、零。
新しい馬車、零。
専用の帳簿運搬係も零。
昨日まで店から一人ずつ出していた二十三商会が、今日は誰も精算場所へ来なくていい。
午後から、実際に試した。
参加二十三商会。
午前から夕方までの取引は七十一件。
帳面上の取引総額は三千六百八十四枚分。
これまでの方式なら、七十一件分の確認票と二十三冊の帳面を一か所へ集めることになる。
今日は違う。
確認票と帳面は店に置いたまま。
午後の締め時間になると、各店が日次精算票を一枚だけ作る。
ユハの決めた三本の連絡経路で紙を回収し、領主府へ届いたのは二十三枚だけだった。
机の上が、昨日より空いている。
「少ない」
レイナが満足そうに言った。
「参加者は増えてるけどな」
フィンは昨日の紙束と今日の二十三枚を見比べている。
「これなら僕でも嫌にならない」
その感想は大事だった。
専門家しか耐えられない作業は、規模が大きくなった時に必ず詰まる。
まず二十三枚の受取合計を足す。
三千六百八十四枚。
次に、支払合計。
三千六百八十四枚。
一致。
この時点で、全体として「払ったことになっている額」と「受け取ることになっている額」は同じだ。
あとは各商会の差額を見る。
支払い側、九商会。
受け取り側、八商会。
差額零、六商会。
全員がそれぞれの取引相手へ銅貨を運ぶ必要はない。
支払い側九商会から、受け取り側八商会へ必要額だけを組み替える。
大きな支払いと大きな受け取りから順に合わせていくと、実際に必要な貨幣移動は十二件になった。
三千六百八十四枚分の取引に対し、実際に移動する銅貨は千百四枚。
二千五百八十枚分。
七割以上の移動が消えた。
しかも、ここまでで十二分。
昨日は八商会で十九分かかっていた。
参加商会は三倍近いのに、精算時間は短くなった。
領主が結果を見ながら言った。
「人が増えたのに、仕事が減っている」
「全部見なくなったからです」
「見なくても大丈夫なのか?」
当然の疑問だった。
「数字が合っている日は、です」
そう答えた直後。
ミナが一枚の精算票を止めた。
「待ってください」
全体の受取額と支払額は一致している。
だが、取引相手ごとの合計を確認していたミナの指が止まっていた。
乾物商会の日次精算票には、
《カラン商会への支払い 七十二枚》
とある。
一方、カラン商会側には、
《乾物商会からの受け取り 二十七枚》
と書かれていた。
フィンが二枚を並べる。
「四十五枚違う」
全体額が一致しているのに、個別では違っていた。
理由はすぐに分かった。
乾物商会の日次精算票には、別の相手から受け取る数字にも四十五枚の転記間違いがあり、二つの間違いが偶然打ち消し合っていた。
全体合計だけ見ていたら通っていた。
「じゃあ、やっぱり全部確認する?」
フィンが聞いた。
「いや」
ここで七十一件の確認票を持ってこさせたら、元に戻る。
必要なのは、どこがおかしいか分かった時だけ、その部分を見ることだ。
乾物商会へ連絡する。
確認するのは七十一件ではなく、乾物商会とカラン商会の間の取引だけ。
店に残してあった確認票は二枚。
どちらにも二十七枚と書かれていた。
日次精算票へ転記するとき、二十七を七十二と書き間違えている。
訂正。
ついでにもう一か所の四十五枚分も確認すると、こちらも同じ日次精算票内の転記間違いだった。
確認した原票は合計四枚。
七十一枚ではない。
訂正にかかった時間は四分。
ブラントが驚いたように言った。
「これまでなら全部の帳面を開いていました」
「おかしい場所が分かってるなら、そこだけ見ればいい」
「ですが、今日のように二つの間違いが相殺された場合は?」
「だから相手別の合計も残した」
全体合計。
商会ごとの差額。
相手別合計。
三段階で見る。
最初から七十一件を読むのではない。
大きい数字から確認し、おかしければ一段細かくする。
それでも分からない時だけ、一番下の確認票まで降りる。
全部を毎日確認するのではなく、必要な時だけ詳細を見る。
レイナが訂正済みの精算票を指で軽く叩いた。
「正常なものに時間を使わない」
フィンが頷いた。
「間違えたところに時間を使う」
その方が、確認する側も楽だ。
夕方までに最終精算をやり直す。
受取総額、三千六百八十四枚。
支払総額、三千六百八十四枚。
相手別金額、全件一致。
支払い不能、零。
翌日持ち越し、零。
実際に動いた銅貨、千百四枚。
省略、二千五百八十枚。
参加商会二十三。
取引七十一件。
商会主が精算所へ来た人数、零。
専用の帳簿運搬人、零。
領主府へ持ち込まれた帳簿、零。
持ち込まれた日次精算票、二十三枚。
詳細確認が必要になった原票、四枚。
精算開始から訂正完了まで十六分。
昨日の八商会十九分より短い。
数字をまとめていると、ゼフが別の効果を報告してきた。
「昨日は夕方の精算時間に市場の店員が一人ずつ抜けていた。今日はそれがない」
ミナが店側から聞き取った数字を足す。
二十三商会のうち十七商会が、昨日までなら集金や精算へ人を出していた。
一店あたり往復と待ち時間を合わせて平均三十分前後。
全部合わせれば、八時間以上。
一日で八時間分の人手が、店へ戻ったことになる。
新しい人間を雇ったわけではない。
労働時間を伸ばしたわけでもない。
帳面を運ばせなかっただけだった。
「これなら、五十商会でもいけるのではないか?」
領主が言った。
今度は俺も、すぐには否定しなかった。
二十三商会だから成立した仕組みではない。
参加者が増えても、一商会が出す紙は一枚。
取引が増えても、同じ相手との分は合計できる。
正常なら詳細を見る必要もない。
少なくとも、全員を一部屋へ集める方式よりは伸ばせる。
ただし。
問題がなくなったわけではなかった。
精算が終わり、支払い側から受け取り側へ銅貨を渡している時だった。
中央市場の布商が、自分の受取額八十六枚を見ながら言った。
「明日の朝、この八十六枚のうち七十枚くらいを仕入れに使うんですが」
「はい」
「今日わざわざ店へ持って帰る必要、あります?」
フィンが動きを止めた。
布商は悪気なく続ける。
「ここへ置いておいて、明日の精算に使ってもらえば、持ち帰ってまた持ってくる必要がありませんよね?」
確かに。
今日受け取る。
店へ運ぶ。
一晩保管する。
翌朝、仕入れの支払いに使う。
夕方、また精算する。
同じ銅貨が往復する。
効率だけを見れば、ここへ置いた方がいい。
けれど、その瞬間。
この場所は精算のために一時的に貨幣を動かす場所ではなくなる。
他人の金を預かる場所になる。
誰が保管するのか。
盗まれたら誰が弁償するのか。
預けた商会が途中で「今すぐ返してくれ」と言ったらどうするのか。
帳面の残高と実際の銅貨が合わなくなったら誰が調べるのか。
そして何より。
ここに銅貨を預けたまま、明日の支払いへ回せるようにすれば。
商人は実物の銅貨ではなく、「ここに八十六枚ある」という帳面の数字で商売を始める。
昨日避けたはずのものより、さらに一段先だった。
領主も意味に気づいたらしい。
「預かれば、また仕事が増えるな」
レイナは少し考えたあと、珍しく楽しそうに言った。
「でも、減る仕事も大きい」
その通りだった。
俺は今日の報告書の最後に書き足した。
二十三商会七十一取引について、帳簿と確認票を各商会に残し、日次精算票だけを回収する方式へ変更。取引総額三千六百八十四枚分に対し実移動千百四枚、省略二千五百八十枚。商会主の精算所来訪0、帳簿持込0、詳細確認は異常のあった原票4枚のみ。精算と訂正は16分で完了し、精算のために店を離れる人員は合計8時間以上削減された。
その下へ、もう一行。
《翌日に再使用する銅貨を、一度商会へ返す必要はあるか》
帳面を運ばない方法はできた。
次に消えそうなのは。
銅貨を持ち帰る仕事だった。




