第194話 綺麗な銅貨を使わせなくていい
朝の入口はいつも通り暗く、低い二基の灯りが返却棚だけを照らしていた。ゼフが三箱を順番に確かめ、一番から三番まで異常0。物理箱3、穴札12、朝値変更0。補修班許可段+1にも変化はない。
前回は、古く黒ずんだ銅貨を見た目だけで格付けする案を退けた。
紋章と額面が分かり、普通に使えるなら一枚は一枚。大きく欠けている、何の貨幣か判別できない、磨きすぎて薄くなっている。そういう実際の問題がある物だけを見る。
民間が綺麗な銅貨を好むことまでは止めない。
その結果、新しい問題が出た。
人は、同じ一枚なら綺麗な方を手元へ残した。
ブラントが市場の釣り銭箱を三つ持ってきた。中身を机へ広げると、出てきた銅貨の大半は黒ずんでいる。
フィンが一枚ずつ見ながら首を傾げた。
「昨日までは新しい銅貨も普通に混じってたよな?」
「はい。三日前の市場調査では、釣り銭箱百枚あたり新しい銅貨が平均二十一枚ありました。昨日夕方は九枚、今朝は四枚です」
「減るの早くない?」
ミナも数字を確認した。
「でも、使えなくなったわけじゃないんですよね」
「新しい銅貨が市場から消えて、個人の財布や箱へ移っています」
ブラントは別の紙を出した。
昨日、新銅貨を受け取った三十人へ聞いた結果。
その日のうちに使った者、7。
特に意識しなかった者、5。
綺麗だから残した者、18。
フィンが苦笑する。
「半分以上しまってる」
そこへ白髪村長が、自分の財布から銅貨を何枚か出した。古い物ばかりだった。
「俺も新しいのは孫にやったぞ」
「使わないの?」
「同じ一枚なら、汚い方から使うだろ」
あまりにも普通の答えだった。
女商人も頷く。
「私も財布に二種類あれば、先に古い方を出しますね。新しい方は、お釣りを多く用意する時や人へ渡す時まで残すかもしれません」
革帯の男が腕を組んだ。
「それを皆がやった結果、古い銅貨ばかり流れているわけか」
「うん」
レイナは新しい銅貨と古い銅貨を一枚ずつ並べた。
どちらも額面は同じ。
使える。
それでも、人の行動は同じではない。
細身の商人は今日も準備が早かった。
「だから新銅貨の退蔵を禁止する!」
フィンが顔を上げた。
「いきなり強いな」
「貨幣は使うためにある! 新しく鋳造した銅貨を箱へしまわれたら、流通のために作った意味がない。一定枚数以上の新銅貨を保管する者には――」
「0」
レイナが答えると、細身の商人は大きく息を吐いた。
「最後まで聞け!」
「罰金?」
「……保管料だ」
「同じ」
ミナも淡々と返した。
細身の商人は悔しそうだったが、革帯の男は今回はすぐに同調しなかった。
「でも、何もしなくていいのか? 新銅貨が全部しまわれたら、古い銅貨だけが残るぞ」
「困ってる?」
レイナが聞く。
そこから確認する。
市場。
朝の取引件数。
普段とほぼ同じ。
釣り銭不足。
2店舗。
ただし、その二店舗も銅貨そのものが足りないのではなく、大きな銀貨で払う客が続いたためだった。
古い銅貨。
流通量。
十分。
受取拒否。
昨日より減少。
新銅貨不足による取引停止。
0。
フィンが数字を見て言った。
「見た目は古い銅貨だらけになったけど、普通に買い物できてる」
「なら今は問題0」
レイナの答えに、細身の商人がすぐ反論する。
「今はだ! 新銅貨を作るたび全部しまわれたら、いずれ古い銅貨が傷んで減る!」
「その時、流通量見る」
「またその時!」
「今しまってる新銅貨も、必要になれば出るかもしれない」
そこは試せる。
昨日、新銅貨を十八枚残した人たちへ、なぜ残したのかをもう少し聞く。
祝い用。
5。
子どもへ渡すため。
4。
なんとなく綺麗だから。
6。
非常用。
2。
集めている。
1。
完全に永久保存するつもりの人は、ほとんどいない。
「祝いが終われば使うかも」
白髪村長が言う。
「孫だってそのうち菓子買うだろ」
フィンが笑った。
「結局戻ってくる可能性あるのか」
女商人は少し違う見方をした。
「新銅貨が欲しい人がいるなら、そこに値段が付くかもしれませんね」
予想通り。
市場の端。
《新銅貨十枚 選別済》
額面。
十枚。
販売価格。
銅貨十一枚。
フィンが札を二度見した。
「銅貨十枚を、銅貨十一枚で売ってる」
細身の商人が胸を張る。
「選別手数料だ!」
「昨日の一等銅貨そのままじゃない?」
「違う。額面価値は十枚のままだ。十一枚目は、綺麗な十枚を集めた手間の代金だ!」
その言い分には、筋があった。
レイナは女商人を見る。
「買う?」
「祝い袋なら買うかもしれません。十店舗を回って新銅貨を集めるより、銅貨一枚で済むなら安いです」
ミナが確認する。
「でも普通の買い物では?」
「古い銅貨を使います」
つまり。
新銅貨そのものの額面が上がったわけではない。
綺麗な物だけを集める手間に、別の値段が付いた。
それは市場。
自由。
ただし。
領主府が税として受け取る時。
新銅貨十枚なら十枚。
古銅貨十枚でも十枚。
そこは変えない。
革帯の男が少し考えてから頷いた。
「新銅貨に上の額面を付けるんじゃなく、新銅貨を選んで集める商売に金を払うのか」
「そう」
女商人が答えた。
「箱代や包装代と同じですよ」
細身の商人は満足そうだった。
「今日は商売が残った!」
レイナ 「市場」
「その一言、最近好きになってきた!」
午前のうちに、もう一つ試す。
領主府の小口支払い。
補修用の縄代。
銅貨二十七枚。
支払い箱の中には新旧が混ざっている。
ブラントが店主へ聞いた。
「新しい物だけで払う必要は?」
縄商人は不思議そうな顔をした。
「二十七枚あれば何でもいい」
古い銅貨。
21。
新しい銅貨。
6。
そのまま支払い。
受取。
異常0。
次。
村からの税納付。
銅貨百二十枚。
新銅貨。
3。
古銅貨。
117。
そのまま百二十枚として受け取る。
追加要求。
0。
フィンがその様子を見ながら言った。
「公が選ばないだけでも、新銅貨が上等って感じは弱くなるな」
「公が選ぶと強くなる」
レイナが答える。
もし領主府が「新銅貨優先」で受け取れば、市場はすぐにそれを真似する。
税に使える。
公共料金で有利。
領主府が好む。
その瞬間、ただの好みが権利へ変わる。
そこは0。
午後。
今度は逆方向から要望が出る。
市場の古銅貨が増えて見栄えが悪い。
だから領主府が古銅貨を回収して、新銅貨へ交換してほしい。
《旧銅貨一斉交換案》
対象。
発行から十年以上。
細身の商人ではない。
今度は市場組合から正式に出た案だった。
フィンは少し慎重に紙を読んだ。
「古いのを回収して新しくするのは、普通に良さそうにも見える」
ブラントも頷く。
「実際、摩耗の進んだ貨幣を更新する意味はあります」
「じゃあやる?」
レイナ 「使えない物は」
つまり。
年齢で一律回収。
ではない。
十年経っていても。
刻印が明確。
欠損なし。
普通に使える。
なら。
まだ一枚。
一方。
三年しか経っていなくても。
削れた。
大きく欠けた。
判別しづらい。
なら。
交換対象。
昨日と同じ。
年数。
見た目。
だけで決めない。
実際に貨幣として使えるかを見る。
市場組合の代表が少し困った顔をした。
「でも古銭を減らさないと、ずっと古い物ばかり回りますよ」
女商人が答える。
「それで困るんですか?」
「見栄えが……」
「またそこ?」
フィンが笑った。
代表も自分で気づいたらしく、少し黙った。
実際に困っているのは。
釣り銭が汚く見える。
店の印象が悪い。
新銅貨が欲しい客もいる。
そこまで。
貨幣機能。
正常。
なら。
税で回収された古銅貨のうち、本当に傷みの大きい物だけ既存交換・再鋳造へ回す。
使える物。
また支払いへ出す。
意図的に。
新旧を分けない。
フィンがブラントの支払い箱を見た。
「領主府からも古い銅貨がまた市場へ戻るんだ」
「はい」
「嫌がられない?」
「額面通りなら」
レイナが答える。
そこを公が崩さない。
午後遅く。
面白い変化が出る。
朝、新銅貨十枚を銅貨十一枚で売っていた商人。
在庫。
60枚。
販売。
4袋。
40枚。
残り。
20枚。
購入者。
祝い用2。
贈り物1。
収集1。
日常使用。
0。
一方。
古銅貨。
市場取引。
普通に継続。
フィンが笑った。
「綺麗な銅貨だけ別の使い道になってる」
ミナも頷く。
「貨幣として流れない一部に、贈答品みたいな価値が付いた」
「額面は変わってない」
レイナが付け加えた。
そこへ革帯の男が、古い銅貨を一枚出した。
「じゃあ、俺がこれを磨いて綺麗にして十一枚で売るのは?」
全員の視線が集まる。
男は慌てて続けた。
「削らない! 昨日の件は覚えてる! 汚れを落とすだけだ!」
鍛冶工房主が銅貨を見る。
「軽く洗うだけなら別にいいだろ」
女商人も頷く。
「新品だと偽らなければ」
そこ。
また。
見た目。
と。
事実。
を分ける。
古い銅貨を洗って綺麗にした。
《新品銅貨》
と売る。
0。
《洗浄済み古銅貨》
として。
綺麗な貨幣を欲しい人へ売る。
市場。
自由。
細身の商人の目が輝いた。
「洗浄済み贈答銅貨!」
フィン 「また商品できた」
レイナ 「削るな」
「分かってる!」
夕方。
領主へ報告。
机には、新銅貨、黒ずんだ古銅貨、軽く洗った古銅貨が並べられた。
領主は三枚を見比べる。
「全部、同じ額面?」
「同じ」
レイナが答える。
「新しい物だけ人がしまうので、市場には古い貨幣が増えた」
「うん」
「だが、取引停止は0。古い貨幣も普通に使われている」
「うん」
領主は少し考え、新銅貨を指した。
「なら、無理に使わせる必要はないのか」
「正解」
「必要になれば、持っている者が使うかもしれない。贈答用として別の手間代が付くなら、それは市場の話」
「満点」
領主はもう慣れた様子で頷いた。
「では古銅貨の一斉交換も0。ただし本当に使えない貨幣は既存窓口で交換する」
「満点追加」
フィンが笑う。
「今日も二個」
領主 「最近調子がいい」
レイナ 「危険」
「分かってる。自信過剰だろう」
「満点三つ目」
領主が固まった。
フィンが吹き出した。
「自分で止まれるようになったから増えた」
ブラントが今日の数字をまとめる。
市場釣り銭箱。
新銅貨比率低下。
三日前21%前後。
今朝4%前後。
新銅貨受取後保管18/30。
新銅貨不足による取引停止0。
通常取引異常0。
新銅貨十枚選別販売。
4袋。
額面変更0。
選別手数料。
民間自由。
領主府の新銅貨優先受取0。
古銅貨追加要求0。
旧銅貨年齢一斉回収0。
使用不能貨幣。
既存交換窓口継続。
貨幣退蔵禁止0。
新銅貨保管料0。
新規管理者0。
事故0。
そこでブラントが、一枚の市場集計を追加した。
「次の問題があります」
フィンが笑ったまま紙を見る。
「今度は何?」
「新しい銅貨が流通しないことを見た鋳造側から、『それなら新銅貨をもっと大量に作れば、市場にも残るのではないか』という提案です」
領主の表情が少し変わった。
「貨幣を増やすのか」
「はい。現在の二倍、という案です」
ミナが紙を受け取る。
「必要な取引量ではなく、新銅貨を市場へ残すために?」
「そうです」
女商人がすぐに首を傾げた。
「二倍作って、また半分しまわれたら?」
フィンも気づく。
「さらに作る?」
レイナは新しい銅貨を指先で一度だけ回した。
「それは危ない」
今日までより、少し強い言い方だった。
俺も紙を見る。
貨幣が足りないから作る。
それと。
綺麗な貨幣が市場に見えないから作る。
同じではない。
夜になっても入口は暗く、二基の灯りは低いままだった。返却棚の三箱にも異常はない。
新銅貨を手元へ残す人は多かった。
でも、それだけでは問題ではなかった。
古い銅貨が普通に使え、買い物ができ、釣り銭も回っているなら、綺麗な貨幣を無理に吐き出させる必要はない。
人が綺麗な方を好むことまで制度で直さない。
公は、新しくても古くても、一枚を一枚として扱う。
レイナが帳面を閉じる。
「今日も一つ」
フィンは新旧二枚の銅貨を並べた。
「新銅貨を使わせる制度は0。古銅貨の一斉交換も0」
ミナも今日の数字を確認する。
「流通上の不足0。取引停止0」
ゼフは洗浄済みの古銅貨を見て、「削れ0」と確認し、ユハはいつものように「通路正常」と答えた。
ブラントは最後に、《新銅貨鋳造量二倍案》を机の中央へ置いた。
「次は、貨幣が足りないわけではないのに、見える新銅貨を増やすためだけに鋳造量を増やしていいのかです」
フィンが少し真面目な顔になった。
「今度は、今までみたいに紙や札が増える話じゃなさそうだな」
「うん」
レイナは短く答えた。
「数字そのものが変わる」
俺は板へ一行だけ残した。
新銅貨保管18/30を理由とする退蔵禁止・保管料を0とし、市場では古銅貨が増えても取引停止0・通常流通異常0を確認。新銅貨の選別・贈答用途は額面と分けた民間サービスとして残し、領主府の新銅貨優先・旧貨年齢一斉回収も0、使えない貨幣だけ既存交換窓口へ戻して閉じた。次は、貨幣不足0のまま「新銅貨が市場に見えない」という理由だけで鋳造量を二倍にしていいのかを見る。




