復讐
彎は、妻の実家のあった辺りへ飛んだ。
百年の間に、そこは寂れ、廃墟になっていた。彎が中を覗いていると、側を歩いていた都人が足を止めた。
「もし、どうなさった?」
その老人は、不思議そうに彎を見た。彎は藁にもすがる思いで、老人に尋ねた。
「この家に住んでおられた人達はどうなさった?」訝しげな老人の表情に気付くと、彎は付け足した。「いや、私は田舎から出て来た者。ここに縁の人が居ると聞いていたので、はるばる訪ねて来たのだが。」
老人は合点がいったように頷いた。
「そうであられたか。もうずっと前に、こちらの人達は追われてしもうたと聞いております。ですが長旅のあとお困りでしょう。わしの家で茶でも飲まれますか。」
老人は歩き出す。彎は話をもっと聞くために、老人について歩いた。
老人の家はすぐ近くの小社な屋敷だった。居間に通され、彎は急いで話を切り出した。
「…それで、なぜにあの家の方達は追われたのですか?」
その老人は頷いた。
「わしも父から聞いた話での。」老人はふと眉を寄せた。「ほんに酷い話だったので忘れられませなんだ。あの人達は、突然役人に追い出され申したのよ。」
彎は心臓を掴まれたような気になった。まさかオレが罪を着せられたせいで、妻の実家まで罪に問われたのでは…では妻子は…。
彎の顔色が変わったのを見て、老人は首を振った。
「娘の嫁に行った先のかたは、役人であられてな。しかし、このかたは他の役人のようにわしらの生活を脅かすようなことは、されなんだ。なので娘も安心して暮らしておったらしい。」
彎は頷いた。とにかく早く先を聞きたかった。
「なのにある日、見回りの役人が来ると知った役人達に罪を着せられなさった。そして都を追われ、残った妻子はここへ戻られた。」
そうか、オレが無実なのは知っていてくれたのだ。彎は少し救われる思いがした。
「だがな、酷いのはそこからじゃ。見回りの役人が帰るとすぐ、ここにある役人が踏み込んで来た。目当ては娘よ。大層に美しい娘であったらしく、役人は言い掛かりを付けて家人を追い出し、娘をさらって行ったのだ。かわいそうに、抱いていた子は引き離され、その目の前で刺し殺されたのだという。」
彎はいきなり立ち上がった。なんだって?!
老人はびっくりしたようだが、彎が何も言わないので先を続けた。
「娘はその役人の屋敷に連れ去られたが、その道中に自ら相手の剣を奪い、命を絶った。役人は舌を打ち、そこの道端へ娘を捨てて去ったのだそうじゃ。あまりに不憫なので、都人達は娘をその子と共に、丁重に葬ったのだと聞く。」
彎は怒りで我を忘れそうだった。それはもしかして…。
「その、役人の屋敷はどこに?」
老人は言った。
「もうとうに死んで居らぬが、この先の辻の左側を抜けて行けば、大きな屋敷があるので分かる。今はその子孫が居るのみだがな。」
彎は老人に礼も言わず、その家を飛び出した。まさか…まさかヤツは最初から、妻が目的で!
老人が示した屋敷は、明るく栄えてそこにあった。彎はその表札を見て歯ぎしりした。
そこには、「鄭」と書かれてあった。
彎は、小さな塚の前に立っていた。妻と子の名が刻まれている。どれ程に無念であったろう。そしてどれ程に恐ろしかったであろうな。彎はその前で涙した。ヤツは許さぬ。仮に死して地獄へ落ちておろうとも、復讐してやる。先ずは、その子孫を根絶やしにしてやろうぞ。
彎は心に決めた。それにはまず、もっと力を持たねばならぬ。堂に戻って、あの膨大な書物の中から、絶対に最も残酷な方法を探し出してやる!
彎はすぐに堂に取って返した。鄭はその表情を見て察したようだ。
「知らぬでいた方が良かったであろうに。」
「知っていたのか?」彎は鄭に詰め寄った。「血筋の者だから見逃したのか。」
鄭は首を振った。
「あのバカなひひ孫などどうでも良い。今頃向こうで報いを受けておるだろうしな。わしら仙人は人の世に関与してはならぬと申したであろう。神にどれ程の罰を受けることか。主はもう、これは忘れるのだ。」
彎は歯ぎしりした。今のオレでは神の力になどかなわない。とにかく、彎はわかったふりをした。オレは神をも凌ぐ力をつける。確かにヤツに復讐するために。妻子の無念を晴らす為に。
「…では、書庫へ参ります。何かをしていないと、私には耐えられない。」
彎は頷いた。そして彎は、それから狂ったように書物を読み漁った。どこかに神を凌ぐ力がないかと探しながら。
ある時、彎は、書庫の奥に入って書物を探していると、床の板の一部が少し浮き上がっていて、そこで足を引っ掛けた。
危ないのでカンナで削っておくかと思ってそれに手を掛けると、ぐらぐらと動く。外れるなら板だけ持ち出そうと指先に力を入れて剥がした。
その板はよく見ると変な形をしていた。彎は、ふとその下を覗いた。
…そこには、何巻かの巻物が、厳重に紐をかけられて封じてあった。彎の胸は、それを見た時ドクンと震えた。なぜ、こんな所にあるのだ…。
彎は、気を探って辺りに鄭が居ないことを確認し、震える手でその巻物を取り出した。全五巻ほどのその巻物は、全て厳重に封じてあり、埃をかぶっている。彎は最初に一巻を手に取って紐を解き、中を見て息を飲んだ。
…そこには、神の心に入り込む方法が書かれてあったのだ。
彎は今すぐにそれを読みたかったが、いつ鄭がやって来るとも限らない。その巻物を懐に差し入れると、また元通り床板を戻し、上に巻物の入った厨子を置いて隠した。そして自分の部屋に何食わぬ顔で戻ると、巻物を自分の巻物を置いている棚に、他の物と混ぜて置いた。これで、他の巻物となんら変わらない。鄭にも気づかれぬはずだった。彎は、鄭が出掛けるのを待って、それを読むことにした。
鄭は、よく神との会合や茶に出掛ける。
その日も、朝から留守を頼むと言い残して、出掛けて行った。鄭の姿が消えると、彎は部屋へと駆け込み、あの巻物をむさぼるように読み漁った。
そんな風にして五巻全てを読み終えたが、彎にはまだ力が足りないようだった。おそらく気の力が弱いのだろうとわかった彎は、それを改善すべく、大地と繋がり、必死で修行をした。鄭もその姿を見て、満足そうだったが、彎のその真意はわからなかった。
何十年もの修行の後、やっと堂へ戻って来た彎を見て、鄭は言った。
「なんと彎。その気は身に着けようと思って着くものではない。大したものだ。」
鄭は褒めたが、彎はただ頷くだけだった。だからこそ、試してみようと思って、帰って来たのよ。
鄭は修行のことを聞きたがった。彎はそれを丁寧に話すふりをして、その言葉の端に、言霊を使って鄭の心へ入って行った。鄭は全く気付いていない。椀に粥を入れ彎に渡しながら、鄭は熱心にその気を見に付けた方法に耳を傾けている。そのうちに、鄭は黙った。相槌は打っているが、どこか上の空のような雰囲気だ。
彎はしめた、と思った。これは術に掛かった時の状態だ。おそらく鄭は今、己の意識を無くしている。彎は心の中で念じた。
《それでは、わしは寝る、と言え。そして部屋へ帰って眠るのだ。》
鄭はすんなり従った。
「それでは、わしは寝る。」
鄭は立ち上がって、こちらの言葉を待たずに自室へ向かった。その後ろ姿を見送り、彎は心の中で歓声を上げた。出来たぞ!これで仙人の鄭はオレの思うがままだ。明日、どこかの神に手紙を書かせてここへ来させ、同じことを試してみるとしよう。
次の日から、神達は次々と鄭の堂へやって来た。もちろん、鄭からの手紙で、話したいと言われ、皆やって来たのだ。彎は鄭に自身を紹介させ、また気を身に付けた方法やら、その他を話しては言霊を交え、術に掛けて行った。オレは神を操れる!これで誰にも文句は言わせない!
復讐のことは、常に頭にあった。今や神に何も言わせぬと思っていたが、考えてみれば自分の手を汚すまでもなかった。
鄭に、やらせればいい。
今やすっかり自分の意思は無くし、全くの人形と化していた鄭は、己れの子孫であるあの屋敷を襲った。
突然の襲撃に逃げ惑う者達、女子供も皆残虐に殺すよう指示をしたので、そこは悲鳴と血しぶきの地獄と化した。彎はその様子を水鏡で見て狂喜した。ついにやった!ヤツの血などもう要らぬ!そして鄭。お前もその孫の責を負って、神に殺されてしまえばよいわ!
彎は実に慎重に立ち回った。自分は何も知らぬふりをして、鳥の神の臣下がやって来た時も、ただ頭を下げてひれ伏した。師が実に大変なことをしもうしたと、謝罪然りな弟子のふりをして。
結果、鄭は神に処罰され、その身はあっさりと消されてしまったのだった。
彎は、自ら出掛けて行っては、一人ずつ術中に収めて行った。その神の数は大変なものだった。これで、この神達を使って神の世界を手中に収める。人の世界など、無くなってしまえばよいのだ。
彎はある時、一番力のありそうな神に命じた。その神は挙兵し、他の神もそれに倣わせた。まだ術に陥っていなかった神も、周辺のものであれば、仕方なく挙兵した者も居た。
討つのは、東を統括すると言う龍、西を統括する鳥、この二人だけだった。
この数の神を相手に、たった二つの種族に、いったい何が出来るというのだ。
彎は不敵に笑い、進軍させて、今度は自身も付いて行った。
本日から1/11まで、外伝・龍の恋http://ncode.syosetu.com/n9553bk/1/を同時連載致します。11部の短い作品です。本作中に出て来る新しい龍の宮のことや、十六夜と維心のケンカの話はこちらになりますので、よかったらお読みくださいませ。