命の時間
それからも年月は経って行った。
月の里では、人として生活する蒼の兄弟姉妹達が居た。
肉体の老化は他の「人」より格段に遅いが、しかし緩やかにその肉体の老化は進んでいた。一番年長の有は、かつてここに住んでいた「人」の月の継承者で一番長生きだった、美月のそれと並んだ。
維月は本当なら42歳の時に命を落としている。そこで人としての生涯を閉じ、月として生きて今がある。なので有は、「人」としてなら、最高齢であるはずだった。
それでも、有の外見は維月とさして変わらなかった。維月は、人であった42歳の時でさえ、まだ30代前半ぐらいの外見であったので、そのまま時を止めているのだが、有はそれと変わらないのに52歳であるのだから、それは若かった。
これもひとえに、月の加護のおかげであることは、有にもわかっていた。闇と戦うことも今はない有には、まだ恐らく寿命の残りはあるだろうが、蒼の治める神の世界には、到底行けそうにはなかった。神の寿命は人の10倍はあるからだ。
なので、蒼が来たいなら宮の対を開けると言われた時も、断った。自分には理解のある人の夫がいる。それに自分の身は人なのだ。有はこのまま静かに生涯を終えて行くつもりでいた。
その自分達に、今決断を迫られる出来事が起こった。
蒼に招かれた月の宮で、兄弟姉妹達に向けて、蒼が今、まさに目の前で問うていることに、有は面食らった。
蒼は、自分の居間の奥の指定席に座って、再び言った。
「地から提案なんだ。だが、オレは強制はしたくない。だから聞いてるんだよ。」と、すっかり王らしく威厳のある言い方で言った。「我が眷属になるか否か?まあいきなり長い寿命を与えられたら、面食らうからな。オレだって好きで不死なんじゃないし。」
恒が言った。
「蒼、オレはその800年の寿命をもらうのに意義はない。オレの妻は龍だし、先に死ぬのはかなり心配だったのは事実だからな。だが、有や遙の家族は人なんだ。そんな寿命もらったら、一人きりになるじゃないか。」
蒼は頷いた。
「だから、強制はしないと言っている。」と蒼は表情を崩した。「いいよ、すぐには答えられないだろう。月の宮もあまりに民が増えてしまって、オレの事を手伝ってくれる重臣が必要なんだよ。それで地に相談したら、兄弟が居るだろうと言われてね。寿命を他の神並に与えてくれると言うから、そうなればオレも、これから先お前たちの子、またその子って安心して任せられるじゃないかと思ったんだ。気持ちが決まったら言ってくれ。死ぬまでに決めなきゃ、死んでからは無理だからな。」
冗談めかして言うと、蒼は立ち上がってそこを離れようとした。すると、涼が言った。
「でも、私たちに何が出来るって言うの?私は医者しかやって来なかったし、政治なんてからっきしよ。神の世界を勉強し直さなきゃならないのに。」
蒼は動作を止めて振り返った。
「その寿命に800年が足されるんだぞ?お前が医者になるためにした勉強って何年だよ。」
涼は不機嫌に言った。
「学校出てからも勉強なのよ。この生涯全部って言っても間違いじゃないと思うわ。」
「じゃあ48年か」蒼はふふんと笑った。「ここの勉強に100年掛かったっていい。残りの700年は仕事出来るんだからな。ちなみにオレが神の世界を勉強して王になるまでの勉強期間はほんの20年ほどだ。それからも日々勉強だし、それを合わせても…ええっと今50だし、32年か。」
涼は黙った。神の世界は時間感覚が違う。それがまず基本なのだ。
蒼はそれを見て言った。
「すぐに決めなくていい」そして歩き出しながら、「ようはやる気があるかないかだ。嫌々来られてもこっちも困る。ここの皆の命を預かる決め事もあるんだからな。そんなことを日々していくのに、いい加減な気持ちじゃ無理なんだよ。」
涼は苛々したように言いかえした。
「医者だって命の決断ぐらいしてるわ!」
「知ってる」蒼はさらっと言った。「だから頼んでるんじゃないか。じゃあ、決まったら十六夜に言ってくれ。オレに伝わるから。」と傍らに控える軍神に言った。「月の里まで送ってやってくれ。」
「は!」
それを見届けて、蒼はそこを出て行った。
帰りの輿に乗り込む有や恒、涼や遙に、見慣れた人が歩み寄って来た。
「帰るのか?オレに挨拶もなしで。」
裕馬だった。しかし、裕馬の気がどことなく違う。恒が話し掛けた。
「裕馬…お前、人じゃないのか?」
裕馬は驚いたような顔をしたが、頷いた。
「わかるんだな?そうだよ、オレは今蒼の臣下の一人だからな。蒼に話しを聞いた時、真っ先に人でなくなる決心をしたよ。あいつを助けられるんなら、こんなにうれしいことはない。オレがどれだけあいつに助けられたか、お前たちだって知ってるだろう?あいつがそうしろって言うなら、化け物にだってなってやるつもりだったが、オレがなったのは仙人だった。」
涼が言った。
「でも、あなた今なんの仕事してるの?臣下って言っても、たくさんあるでしょう。政治向きなこと出来るの?」
裕馬は苦笑した。
「手厳しいな。確かに政治はオレには向いてない。だが、今はここの学校で教師やってるよ。正確には校長なんだが、人の世と神の世との違いをわかって、教えられる人材が少なくてね。校長だって踏ん反り返ってるだけじゃ運営出来ないんで、もっぱら現場に立ちながら、現場監督ってとこかな。」
恒は感心した。
「なんかここに馴染んでるんだね。」
裕馬は頭を掻いた。
「そうだな。でも、最初は大変だったさ。全部無のところから、蒼と翔馬と三人で試行錯誤でカリキュラム組んで…人数も少なかったし、なんでもできなきゃならなかったんだよ。今は翔馬が政治向きのことをやってて、オレがこっちやってて、軍のほうは龍の宮の駐屯兵の李関にまかせっきりだ。でも、翔馬も一人で全部出来ないし、経済的なことを任せる人材とか欲しいって嘆いていた。寄せ集めだし、誰かにポンと頼めることじゃないんだ、ああいう上の事は。」
恒は頷いた。ってことは、オレはこの宮の経理担当になるのかもしれない。人の世でちょっとそこんとこ勉強してからここへ来よう。
「裕馬、オレはここへ来るつもりでいる。だが、他の三人はまだ決めてないんだよ。」
裕馬は頷いた。
「まあせいぜい悩むんだな。でも死ぬギリギリになってからは遅いぞ。神になるのとは違って、仙人ってのは身は変わらないから、若返りなんて出来ないし、その時の年のままになるぞ。オレを見ろ、50のおっさんだろうが。蒼は相変わらずなのによ。死に掛けの体引きずって800年はいくらなんでも辛いと思うぞ。決断するなら、早い方がいい。しないなら、止めはしないさ。蒼が言うには、あっちの世界はものすごくいい所らしいからな。それでオレは死ぬのが怖くなくなったよ。」
冗談のつもりかもしれないが、遙と有は考え込んだ。涼はそれなりに何かもう考えがあるような感じで、何も言わなかった。裕馬は苦笑した。
「引き留めて悪かった。じゃあな。」
恒は頷いた。
「ああ。人の世の始末が付いたら、こっちへ来るよ。」
裕馬は頷いた。
「待ってる。」
四人は輿に乗せられて、空へ舞い上がって行った。




