王として
十六夜は、宮にある蒼の部屋へ向かった。そこに蒼の気配がする。
十六夜自身も両親の出現で維月と話したかったが、この維心の龍の宮ではどうも落ち着かなかった。なので、近いうちに維月を連れ帰り、月の宮の里でゆっくり話そうと心に決めていた。
維心と維月のことは、維月と心をつないだ時に嫌というほど見て知っていたし、今さらどうのと言うつもりもない。だが、維心が死にかけてから、維月はずっと維心の心に近くなったかのようだ。もちろん維月の自分に対する心は不動だが、何かそれが違うもののような…そう、維月が蒼を思うのと同じ気持ちのような、そんな気がしていた。娘がいつか親から離れるように、維月が自分から離れるのではないのかと…それを感じて、落ち着かなかったのだ。
蒼の部屋の前に来ると、十六夜は声を掛けた。
「蒼、入るぞ。」
返事はない。だが、十六夜は扉を開けて部屋の中へ入った。
蒼は、一人じっと椅子に座って庭の方を見ていた。十六夜は、歩み寄った。
「地と話しがついたぞ。」蒼はこちらを向いた。「結局地上を治めるのは維心だとさ。もともとオレは王って感じじゃねぇし、それはやつらにもわかったようで、維心に器があるから、頼むだと。お前が気にしてる、寿命は維心には定めないらしい。やつは、まだ死ねないんだ。」
蒼の表情は見る見る明るくなった。
「…じゃあ、みんな死なないんだね!」
十六夜は苦笑した。確かにそうだが。
「今は、な。オレはお前を王に育てなきゃならねぇんだよ。将維と一緒にオレ達に代われるように、これから育てなきゃならねぇ。だから、今回はオレ達はどこにも行かねぇが、いつまでもこのままでは居られないってことだぞ。お前、いつまでもオレ達が居ると思ってちゃいけねぇぞ。」
蒼は仕方なく頷いた。確かに、いつまでも頼ってる訳にも行かない。自分の子達も育って来るのに、親の自分が自分の親に頼ってばかりではいけないのだ。
「わかってる。がんばるよ。まだ、何百年かは大丈夫だよね?将維もまだ神の中では赤ちゃんみたいな歳だって…。」
十六夜は苦笑した。
「そうだ。維心が親父を殺して王位に就いたのは200歳の時だったから、とりあえずはそれを目指してお前も独り立ち出来るように覚えていきな。普通は400歳くらいで世襲するそうなんだが、維心がどう思ってるのかそこんとこはわからんし…追々決めてきゃいいだろう。」
蒼はホッとして頷いた。いくらなんでも、200年あったらオレも神の世界をもっと知ることが出来るんじゃないか。新しい月の宮も、運営出来てるんじゃないか…。
そう考えると、時間がもったいないような気がして来た。蒼は立ち上がった。
「そうなると、時間の無駄使い出来ないよ。オレ、新しい月の宮の方、見て来る。基礎も外観も出来て、今内装やってるんだけど…引っ越しの日も決めなきゃならない。早い所自分の足元を固めて、オレも神の政治向きのこと覚えて行かないと。来月からは神の会合にも、出るようにするよ。十六夜、今から新しい月の宮へ行こうよ。」
十六夜は面食らった。この切り替えの早さは、やはり蒼が人だったからか。時間の使い方がとてもコンパクトなのだ。人には時間が少ない。その感覚を身に着けている蒼は、神の世界でも仕事が早いと言われるのだ。
「ちょっと待ってくれ。じゃあ後から行く。オレは維月と、次に帰る日を決めてからにする。維心には、オレが言ってといてやる。」
蒼は微笑んで頷いた。
「じゃあ、先に行って待ってる。」
十六夜は蒼の頭をポンと叩くと、部屋を出て行った。
維心の居間へ着くと、維心が維月を抱き寄せて、いつもの場所で座って何か話していた。きっといつもそうしているのだろう、維月も構えることもなく、寛いで座っている気が伝わって来る。十六夜はまた不機嫌になって、二人に歩み寄った。
「維心、蒼が新しい月の宮へ行くと言っていた。あいつはもう大丈夫だろう。元々人の年でも38、神に直せば380歳ぐらいなんだ。話せばすぐわかるんだよ。お前も将維にしっかり話しておけよ。言わなくてもわかってるとは思うが。」
維心は頷いた。維月が、維心から離れて十六夜に歩み寄った。十六夜はなぜかホッとした。
「十六夜、あなたはもう大丈夫なの?私に何か話したかったのでない?」
十六夜は維月を引き寄せて頷いた。
「そうなんだが、ここでは落ち着かねぇからな。近いうちに帰って来い。ゆっくり話そう。」
維月は頷いた。
「ええ。じゃあ明日にでも迎えに来て。」
十六夜も維心もびっくりした。
「明日?」
維月は維心を振り返った。
「こんなことがあった後ですわ。十六夜もたくさん話したいことがあると思いますの。私、明日から少し里へ帰って来ますので。」
維心は何か言いたそうだったが、確かにそうだ。仕方なく頷いた。
「わかった。」
十六夜は、維月に口付けた。
「じゃあ、明日迎えに来るからな。せっかくだから、新しい月の宮へ行こう。蒼が内装を見に行くとか言ってたし、完成は近いようだぞ。」
維月はぱあっと明るい表情になった。
「まあ!じゃあ新しい私達の対が見られるわね。庭はもう出来たのかしら。楽しみにしていたのよ。」
十六夜も笑った。
「じゃあ、また明日な。」と維心を見た。「じゃあな、維心。世話になった。」
維心は機嫌悪そうにしていたが、頷いた。
それを見て、十六夜は窓から空へ飛び立って行った。
維心にも、わかっていた。王としての気構えは、作って出来るものではない。自分が王として、他の神を従えて君臨しているのは、この1500年があったからだと思っていた。確かに力は他の神を凌駕し、これは生まれながらのものであるが、もしも自分が王として回りに扱われていなければ、ただ力が強いだけの神でしかなかったはずだ。
臣下達に王として扱われ、頼られ、何が起こってもそれをおさめるのを当然として皆に期待され、仕方なく必要にかられておさめて来た。
そのうちに自分にしか出来ない、自分が守らなければ滅びてしまう、そんな危機感に迫られ、全てのことを考えて行動するようになった。時に甘かった時もある…殺生は好まなかったゆえ、消さねばならぬものも消さなかったこともあった。逆に判断を誤ったり、目が行き届いていなかったりして、助けられなかったこともあった。
間違いを犯しながら、試行錯誤で生き抜いて来たこの1500年を、地に評価され、維心は王として、初めて認められた気がしていた。
今は、維月を娶り、子を成し、今度は自分のための生を許されながら、次の王を育て、ゆっくりと生きることを許されたと思っていた。
そして、十六夜のことは、確かに妃として向き合って居る二人を見ると腹が立つものの、何かが違うと感じ始めていた。
十六夜はおそらく1500歳、自分は1700歳。維月はまだ60ぐらいであろう。皆、人型は同じであるが、年は全く違う。十六夜が維月を幼い頃から見守って来たのは当然で、維月にとってはおそらく親や兄弟、つまりは肉親のようなものなのだ。それとの心のつながりが深いのは当然のことで、それを絶ち切ることなど出来ようはずもない。
維月が肉親を離れ、全く関係のないものを愛したのは、自分が初めてだった。ならば、それこそが真の異性に対する愛情ではないか。
維心は、今、そう思うようになっていた。維月は月の里から、親を離れて嫁いで来た。里へ帰っても、自分への愛情がなくなったのではなく、あくまで親に会うため。そう思うことで、維心の心は穏やかになった。
自分の寿命が尽きる事を知った時、維月は間違いなく自分を選んだのだ。その事実は、維心に自信を与えた。そう、だから、妬むのは、止めねばならぬ。愛しているのだ…お互いに。
「維心様?」
長く物思いに沈む維心に、維月は声を掛けて来た。もう襦袢の上に薄物を着た、寝巻きになっている。維心は微笑んだ。
「湯は、使って来たのか?」
維月は頷いた。
「はい。お待たせしてしまいましたわ。」
「まことにそうよ。」維心は維月を抱き上げた。「我は昼よりずっと待っておったわ。」
奥の間へ運ばれながら、維月は慌てたように言った。
「ですが、あの、地の二人が見に参っておるかもしれませぬゆえ…。」
維月は言いにくそうに言った。維心は寝台に降ろしながら、言った。
「そのような事を言っておったら、これから何も出来ぬではないか。」と、自分も寝台に乗った。「どうせ見えぬのよ。我の事だけ考えていよ。」
口付けて心をつないでみると、維月の心が見えた。
《維心様のこと…維心様のこと…》
律儀に本当にそう、唱えるように思っている。維心は気の毒になって、つないだ心を解いた。そして、言った。
「…それでは集中出来まいて。」
維月はハッとしてうつむいた。
「申し訳ありません。」
「まあ良い」と腰紐に手を掛けた。「そのうちに気にならなくなるであろう。」
確かに維月は、その後何も気にする事は出来なくなった。
しばらくたって、維心がまた目を覚まして維月に口付けた時、何かが聞こえた…ような気がした。
「い、維心様…」
維心は顔を上げた。
「どうした?」
「今、話し声のようなものが…」
維心は身を起こした。
「…何も聞こえぬ。主は気にし過ぎであるのよ。」
そうかしら…?
維心が再び首筋に顔を埋めると、維月はまたその声を聞いた。
《…だから、もう一度同じ事を見れば我も分かるやも知れぬ。》
《そのような。維心は同じ事を繰り返さぬぞ。二度目も三度目も違ったであろうが。此度もきっとそうよ。》
維月は起き上がろうとした。が、維心が押さえた。
「どうした?落ち着かぬの。」
「絶対!聞こえました!」維月は言った。「此度ははっきり!」
維心はため息をついて起き上がり、サッと手を振った。
…二人の姿が、はっきりと足元に見えた。それには維心も驚いたようで、慌てて維月に襦袢を巻き付けた。維月も必死でそれに腕を通し、腰紐を巻こうとした。
二人も驚いたようにそこに立っていた。
「…我が宮では、誰であろうと我の命には逆らえぬ。姿を現せと命ずれば、現されるのよ。我は気配を感じなかったが、維月が声を聞き取ったのでな。」
維心が憮然として言った。維月は急いで維心にも襦袢を着せかけ、維心は特に慌てる風もなくそれに手を通した。相手は特に罰が悪そうでもなく、こちらを見て言った。
「さすがは我が子よの。耳を澄ませれば親の声は聞き取れると言う訳か。」
陽蘭がつまらなそうにしている。地はため息をついた。
「ゆえに一度目で帰ろうと申したではないか。維月が聞こえる可能性は話しておったろうよ。」
維心はそれを遮った。
「本当なら、我の寝室に入って、しかも妃の肌を見るなど死罪であるのだぞ。まあ、そんなことは普通の者には絶対に不可能であるが」と、維月に襦袢の上からさらに袿を掛けた。「…で?もう用は済んだのではないのか。これ以上我の邪魔はせんで欲しいのだが。」
陽蘭が言った。
「訊きたいことがある」地は黙ってこちらを見ている。「主はいったいどうやってそのようにいろいろ知ったのだ。我らは、そこで学ぶ。そうすれば主らの邪魔にはならぬであろう。」
維心はため息をついた。
「このようなもの、誰かに聞いて学ぶものではないわ。我は、何も長く生きておるから知っておるのではない。我が妃を迎えたのはほんの17年前で、それまではこのようなことには興味もなかったし、主らと同じぐらい何も知らなんだのだぞ。」
二人は顔を見合わせた。維心は傍の椅子に座れと手で示した。二人は素直に座った。
「よく考えてもみよ。我は200歳で王位に就いた。そんな年で妃などと考えは浮かばぬし、第一それまでは父が憎くてそれしか考えておらなんだ。王位についてからはそれこそ政務に慣れねばとそればかりであったし、女に簡単に手を出す訳にも行かぬであろうが…それこそ炎嘉のようになってしまうわ。責務もあるし、我は「気」が強すぎるし、面倒でな。ゆえに我が抱いた女は、この長い生涯で維月だけよ。」
地は片眉を上げた。陽蘭も驚いたように地の方を見た。
「…では、なぜに主はあのように?」
維心は薄く笑った。何かを思い出しているようだ。
「最初は、我も何もわからなかったわ。今でも不安に思うこともある。しかし、我が思うに、こういうことは技術やら理屈ではないのではないか?相手を想うておれば、相手の良いようにしようと、相手を良く見てそのように合わせて行く。そうやって17年、ほぼ毎日来たので、今がある。仮に我がしておることを同じように主らがしても、維月のようにはならぬと思うぞ?なぜなら、主と維月は違うからな。あれは我が維月のために考えたことよ。」
維月は聞いていて、感心するやら恥ずかしいやらで、身の置き場がなかった。こんなことを夜中に寝室で、他の夫婦に向かって話している夫の横に、寝台に並んで座っているなんて…。
しかし、眠気も半端なかった。それでなくても疲れていたし、まだ二時間ぐらいしか寝てないのに…今何時ぐらいだろう?空が白んで来たりしたら、嫌だなあ…。
そんなことを考えていて、維月はうつらうつらとした。もう、いいか。多分維心様が話を付けてくださるし。
維心は自分の左側にのしかかる重みを感じて、振り返った。維月が眠っている。維心は仕方なく維月をそこへ寝かせると、二人を振り返った。
「…維月が眠ってしまったではないか。とにかく、自分達で試行錯誤してみよ。人のものを見るより、その方が近道だと思うぞ。」
陽蘭が何かを言い掛けたが、地がそれを遮った。そして手を取って立ち上がった。
「維心よ、主の言うこと、もっともぞ。こと人や神のことに関して、我らは他に頼り過ぎておったの。この体、どう扱うかわからずにおったが、これからはたびたび地上へ出て来るゆえ。我らで解決して行こうぞ。」そして陽蘭を見た。「さ、帰ろうぞ。主は少し、ワガママが過ぎるぞ。」
叱られて、少し小さくなったような陽蘭は、おとなしく地の手を取って、窓から共に出て行った。
維心はそれを見送ってため息をついた。そして寝台へ戻ると、維月はすやすやと眠っていた。それを維月の左側から抱きしめると、自分も目を閉じた。明日から維月は留守にするというのに。自分も後から里へ行こう…。
維心は思って、眠りに落ちて言った。




