KillerWorld ―七つ目の答え― 合流編 第五章「遠い場所」/第六章「残ってほしい」
ネミティブと別れたアベスとイースは、次の一人――菅原朔を探して東へ向かう。
列車を乗り継ぎ。
町を越え。
言葉も、景色も、暮らし方も違う場所を通り過ぎる。
アベスは、そのすべてを見る。
そして三日目。
二人は東嶺へ辿り着く。
かつて菅原が暮らした学校。
家。
店。
河原。
けれど。
時間は止まっていない。
昔あったものは消え。
知らないものへ変わっている。
そんな中。
アベスたちはようやく、今の菅原朔を見つける。
今も彼は記録していた。
けれど。
昔のように。
すべてを残そうとはしていなかった。
「残ってほしい」
その願いは今も変わらない。
しかし。
「俺が残す」
そこからは。
少しだけ。
離れていた。
第五章 遠い場所
朝。
アベスが目を覚ました時。
イースは。
窓際に座っていた。
昨夜と同じ椅子。
同じ服。
同じフード。
窓の外。
昨日までいた工業区とは違う。
ここは。
その途中。
遠くへ行く人間が。
一度止まるための町。
駅。
道路。
宿。
食堂。
朝早くから。
大きな荷物を持った人間が歩いている。
アベスは。
ベッドから起きる。
「おはようございます」
「おはよ」
イースが振り返る。
いつもの顔。
いつもの声。
アベスの視線が。
下へ。
右脚。
少し。
前へ投げ出されている。
「脚」
「あるよ」
「そうではなくて」
「歩ける」
「昨日は」
「今日も」
イースが立つ。
左。
右。
ほんの少し。
右脚が遅れる。
次。
歩幅を狭くする。
それで。
揃う。
「ほら」
アベスは。
しばらく見る。
「歩けています」
「でしょ」
「普通ではありません」
イースの眉が。
少し動く。
「言うようになったねえ」
「アルスさんにも言われました」
「僕の台詞取らないでよ」
アベスは。
少しだけ。
口元を動かした。
* * *
駅。
朝。
一本目。
列車。
一時間半。
乗り換え。
バス。
四十分。
また。
列車。
二時間。
その次。
さらに。
三時間。
それでも。
まだ。
着かなかった。
* * *
最初は。
窓の外に。
煙突が続いていた。
古い工場。
錆びた屋根。
積み上げられた金属。
線路沿い。
使われなくなった倉庫。
壁へ。
違う店の看板。
道。
補修。
継ぎ目。
昨日まで。
アベスが見ていた景色。
それが。
少しずつ。
減っていく。
工場。
空き地。
低い家。
畑。
また。
空き地。
しばらくすると。
煙突が。
なくなった。
アベスが。
窓へ顔を向けたまま言う。
「なくなりました」
「何が?」
「工場です」
「ああ」
「いつからですか」
「何が」
「なくなったの」
イースが。
窓を見る。
しばらく。
「さあ」
アベスが。
振り返る。
「見ていなかったんですか」
「寝てた」
「寝ていませんでした」
「じゃあ考え事」
「何をですか」
「質問多いなあ」
「嫌ですか」
イースは。
少し考える。
「最近それ好きだね」
「答えていません」
「……嫌じゃないよ」
「そうですか」
アベスは。
また。
窓を見る。
イースも。
外を見る。
遠く。
低い山。
その手前。
細い道。
車。
知らない町。
* * *
昼。
乗り換えの駅。
二人は。
小さな食堂へ入った。
アベスの前。
湯気。
細い麺。
野菜。
焼いた肉。
見たことのない調味料。
「食べたことありますか」
「ないです」
「じゃあ食べれば」
「はい」
一口。
アベスが。
噛む。
目。
少し開く。
「……おいしいです」
「よかったね」
イースも。
食べる。
一口。
二口。
同じ顔。
アベスが。
見る。
「おいしいですか」
「うん」
(嘘)
「黙ってて」
アベスの箸が止まる。
「何がですか」
「何でもない」
また。
食べる。
熱い。
それは分かる。
麺。
肉。
野菜。
形も分かる。
味だけが。
ほとんどない。
アベスは。
まだ見ている。
「何」
「顔が変わりません」
「僕、元からこんな顔だけど」
「前は違いました」
イースの箸が。
止まる。
ほんの少し。
「……最近」
「はい」
「味、分かりにくいんだよね」
「どれくらいですか」
「細かいなあ」
「味がしないんですか」
「少しはするよ」
(嘘)
イースの眉間が。
寄る。
「君ほんとうるさい」
アベスが。
首を傾げる。
「僕ですか」
「違う」
「では」
「気にしなくていいよ」
「分かりました」
それ以上。
聞かない。
自分の皿。
一口。
「これは」
「何」
「さっきより辛いです」
「そう」
「イースは」
「分からない」
言ってから。
一瞬。
静かになる。
アベスが。
見る。
イースが。
笑う。
「ほら。答えられた」
アベスは。
少し考えて。
「はい」
また。
食べた。
* * *
午後。
列車。
長い。
窓の外。
土地の色が変わる。
古い石造りの家。
乾いた道。
遠く。
崩れた塔。
新しい道路が。
その横を抜けていく。
また。
平地。
町。
駅。
低い山。
何時間か。
それを繰り返した。
アベスは。
眠らなかった。
窓。
人。
駅。
看板。
食べ物。
服。
全部。
見ている。
「疲れない?」
イースが聞く。
「少し」
「寝れば?」
「見たいです」
「何を」
アベスは。
窓を見る。
「分かりません」
「全部?」
少し。
考える。
「はい」
イースが。
笑う。
「欲張りだね」
「駄目ですか」
「別に」
また。
窓。
* * *
夕方。
大きな乗換駅。
その日の移動は。
そこで終わった。
東。
まだ。
先。
駅前。
古い建物。
新しい建物。
飲食店。
長距離の荷物。
人。
人。
人。
昨日とは。
言葉の響きも違う。
アベスが。
立ち止まる。
一人の女。
子どもへ。
何かを言う。
子どもが笑う。
少し離れたところ。
男同士。
大きな声で。
言い合っている。
その隣。
誰かが。
何も気にせず食べている。
「イース」
「何」
「同じ人間なのに」
「うん」
「違います」
「何が?」
「家」
「うん」
「食べ物」
「うん」
「言葉も」
「そうだね」
「服も」
「うん」
アベスは。
少し考える。
「でも」
「何」
「まだ」
間。
「分かりません」
「何が?」
「人間です」
イースは。
前を向いた。
「そっか」
それだけだった。
* * *
二日目。
朝。
また。
東へ。
列車。
二つ。
昼。
バス。
一つ。
夕方。
さらに。
列車。
乗る。
降りる。
待つ。
また乗る。
窓の外。
知らない街が。
何度も。
現れて。
消えた。
その日の夜。
二人は。
また。
知らない町で泊まった。
* * *
三日目。
昼前。
景色が。
変わった。
道路。
真っ直ぐ。
信号。
同じ形。
同じ高さ。
駅。
案内。
時刻。
番号。
線。
人の流れまで。
どこか。
揃って見える。
列車が。
駅へ入る。
放送。
表示。
アベスが。
上を見る。
「二分」
「何が」
「遅れています」
イースが。
案内板を見る。
『二分遅延』
「ほんとだ」
「書いてあります」
「書くでしょ」
「二分でも?」
イースの目が。
少し動く。
「……二分でも」
列車が来る。
表示。
変わる。
二人は。
乗る。
制服姿の学生。
仕事へ向かう人。
買い物袋を持った老人。
小さな子ども。
次の駅。
また。
同じ形式の案内。
アベスは。
窓。
表示。
学生。
何度も見る。
「ここですか」
「多分」
「何がですか」
「東嶺」
アベスが。
外を見る。
「そうですか」
説明は。
それだけだった。
* * *
午後。
一つの駅で。
降りる。
イースが。
立ち止まった。
駅前。
昔より。
大きい。
建物も。
増えている。
でも。
線路。
道路。
遠く。
学校。
そこは。
覚えている。
「この辺」
「菅原さんがいるんですか」
「いた」
「今は?」
「知らない」
アベスが。
イースを見る。
「本当に知らないことが多いですね」
「僕もそう思う」
ポケット。
折れた紙。
古い写真。
制服姿。
菅原朔。
アベスが。
見る。
「若いです」
「そりゃね」
「今は何歳ですか」
「さあ」
「顔は同じですか」
「人間は変わるよ」
少し。
間。
アベスが。
イースを見る。
「イースも?」
「僕は特にね」
歩く。
* * *
最初。
学校。
校門。
放課後。
制服。
笑い声。
自転車。
昔と。
同じではない。
でも。
似ている。
イースは。
門の外から見る。
教室。
どこだったか。
覚えている。
廊下。
階段。
知らない男子生徒。
買い物袋の男。
チラシを配る青年。
学生。
女。
違う顔。
同じ指。
トン。
トン。
「……」
「イース?」
「何」
「知っていますか」
「昔来たことあるから」
「菅原さんに会ったんですか」
「さあ?」
アベスが。
少し。
眉を寄せる。
「またですか」
「便利なんだよ」
学校には。
いなかった。
当然。
だった。
* * *
次。
昔の家。
そこにも。
いない。
家自体が。
なかった。
新しい住宅。
新しい塀。
同じ道。
違う家。
アベスが。
古い写真を見る。
今。
また。
写真。
「ありません」
「うん」
「ここだったんですか」
「そう」
イースは。
それ以上。
言わなかった。
* * *
駅前。
昔。
六人で入った店。
もう。
別の店。
河原。
道。
橋。
商店街。
一つずつ。
歩いた。
いない。
夕方。
いない。
夜。
いない。
* * *
四日目。
朝。
また。
探す。
一つ隣の駅。
住宅街。
駅前。
商店街。
人。
人。
知らない顔。
アベスは。
写真を見る。
人を見る。
写真。
人。
「全部見る気?」
「はい」
「日が暮れるよ」
「では、どこを見ればいいですか」
「知らない」
「……」
「怒った?」
「少し」
「いいね」
その時。
ガンッ。
音。
駅前。
風。
工事用の案内板。
支柱。
古い固定具。
外れた。
大きな板が。
歩道側へ。
倒れる。
その下。
小さな子ども。
母親。
気づく。
遅い。
「危ない!」
誰か。
叫ぶ。
一人の男が。
先に動いた。
走る。
手。
板。
触れる。
ドクン。
ガッ。
止まった。
落ちる途中。
不自然な位置で。
完全に。
止まる。
母親が。
子どもを抱いて。
離れる。
男は。
周囲を見る。
全員。
子ども。
離れた。
手を離す。
ドンッ!
板が。
地面へ落ちた。
ざわ。
人。
集まる。
男は。
一歩下がる。
手元。
小さなノート。
取り出す。
カリ。
一行。
閉じる。
イースが。
笑った。
「いた」
アベスが。
男を見る。
写真。
今。
もう一度。
男。
「菅原さんですか」
「多分ね」
「多分」
「行けば分かるよ」
* * *
男が。
その場を離れる。
横断歩道。
信号。
青。
渡る。
その途中。
自転車。
速い。
角。
一人の学生が。
スマートフォンを見たまま。
歩道へ出る。
男。
気づく。
右手。
上がる。
学生へ。
指。
伸びる。
一瞬。
ドクン。
でも。
止めた。
手を。
引く。
「危ない!」
声。
学生が。
顔を上げる。
自転車。
寸前。
一歩。
下がる。
通り過ぎる。
学生の顔。
青い。
「すみません」
「前見ろよ」
「……はい」
男は。
それだけ。
また。
歩き出す。
アベスが。
見ている。
男の手。
さっき。
上がった。
でも。
使わなかった。
イースは。
何も言わない。
* * *
「菅原朔」
男の足が。
止まった。
振り返る。
「……誰」
今の顔。
昔より。
少し痩せた。
目元。
違う。
でも。
残っている。
イースが。
笑う。
「久しぶりって言ったら信じる?」
朔の眉が。
寄る。
「知らない」
「だよね」
「何」
視線。
アベス。
次。
イース。
右脚。
一瞬。
見る。
「俺に何か用?」
アベスが。
答えた。
「はい」
「何」
「今のあなたを見に来ました」
朔が。
止まる。
「……何それ」
「僕が言いました」
「余計分かんねえ」
イースが。
口を挟む。
「この子が会いたいって」
「何で」
アベスは。
少し考える。
「会ってから考えるためです」
「何を」
「人間です」
沈黙。
朔が。
イースを見る。
「宗教?」
「違うと思う」
「思う?」
「僕も全部は聞いてないから」
「帰っていい?」
「いいよ」
朔が。
背を向ける。
イースが。
言う。
「まだメモ取ってるんだ」
足。
止まる。
朔の手。
ポケット。
中。
「……何で知ってる」
「見えたから」
「今じゃない」
振り返る。
目。
さっきより。
鋭い。
「『まだ』って言っただろ」
イース。
笑う。
「言ったね」
「誰だよ」
「さあ?」
「ふざけんな」
「よく言われる」
朔の目。
イース。
アベス。
また。
イース。
「……何が目的」
アベスが。
言う。
「話したいです」
朔を見る。
「あなたと」
長い。
沈黙。
朔が。
息を吐く。
「……少しだけ」
第六章 残ってほしい
河原。
昔より。
整備されていた。
遊歩道。
柵。
ベンチ。
それでも。
水は。
同じ方向へ流れている。
三人。
少し距離を空けて。
座る。
朔。
端。
アベス。
中央。
イース。
少し離れた。
木へ。
背を預けている。
右脚。
伸ばしたまま。
朔が。
最初に聞いた。
「で」
「はい」
「何を話すんだよ」
アベスが。
朔を見る。
「今」
「今?」
「どうしているか」
「……普通」
「普通ですか」
「多分」
「さっき」
アベスが。
手を見る。
「止めました」
朔の目が。
少し動く。
「見てたのか」
「はい」
「看板」
「はい」
「そのあと」
一拍。
「人は止めませんでした」
朔。
黙る。
イースは。
何も言わない。
「使わなかっただけ」
「どうしてですか」
「必要なかったから」
「必要だったら?」
朔の視線が。
アベスへ向く。
少し。
長い。
「……分かんない」
アベスが。
瞬きをする。
朔が。
鼻で。
小さく笑う。
「何」
「いえ」
「何だよ」
「分からないと言うんですね」
「悪い?」
「いいえ」
アベスは。
少し考える。
「僕も言います」
「見れば分かる」
「そうですか」
「さっきから何回目だよ」
「分かりません」
朔の口元が。
少しだけ。
上がった。
* * *
風。
草。
川。
少し。
沈黙。
アベスの視線。
朔のポケット。
「それ」
「何」
「ノート」
朔が。
触る。
「見たい?」
アベスは。
少し考える。
「見てもいいですか」
朔が。
出す。
一冊。
厚くない。
擦れた表紙。
でも。
一冊だけ。
アベスへ。
渡す。
開く。
日付。
時刻。
短い文。
『朝 列車三分遅れ』
次。
『昼 雨』
次。
『駅前 看板固定。子ども無事』
それだけ。
アベスが。
ページを見る。
「子どもの名前は?」
「知らない」
「お母さんは?」
「知らない」
「怖かったかどうかは?」
「知らない」
アベスが。
朔を見る。
「書かないんですか」
「見てないから」
「でも」
「多分怖かったと思う」
少し。
間。
「でも、それは俺が思っただけ」
アベスが。
ノートを見る。
「前は違いましたか」
朔の目。
止まる。
「……何を知ってんの」
アベスは。
答えない。
知らないから。
代わりに。
イース。
木へ背を預けたまま。
目を閉じている。
朔が。
そちらを見る。
「お前が話したのか」
「少し」
「どこまで」
「さあ」
「そればっかだな」
「便利だから」
朔の眉が。
寄る。
何か。
引っかかる。
でも。
分からない。
顔。
違う。
声。
違う。
知らない。
それでも。
何か。
「……」
アベスが。
ノートを返す。
朔が。
受け取る。
閉じる。
「前なら」
自分から。
言った。
「もっと書いてた」
「何をですか」
「全部」
川。
見る。
「母親が何秒目を離したか」
「誰が叫んだか」
「子どもが何歩動いたか」
「周りに何人いたか」
「そのあと誰が何言ったか」
一拍。
「全部」
「今は?」
「必要なら書く」
「必要?」
「忘れるから」
「忘れたくないですか」
朔の指。
ノートの端。
少し。
強くなる。
「……忘れたくはないよ」
アベスが。
見る。
「今も」
「今も」
即答。
だった。
アベスは。
それ以上。
何も言わない。
* * *
風の音が。
消えた。
川。
車。
人。
全部。
遠くなる。
* * *
一人の人間がいた。
その者には。
愛する者がいた。
長い時間。
一緒にいた。
だから。
願った。
この人が。
ずっと。
ここに残りますように。
いなくならないように。
失わないように。
願いは。
叶った。
愛する者は。
死ななくなった。
* * *
春。
夏。
秋。
冬。
何度も。
過ぎた。
髪。
白くなる。
背。
曲がる。
手。
細くなる。
歩けなくなる。
声。
小さくなる。
それでも。
死なない。
次の春。
また。
生きている。
次。
また。
次。
また。
身体は。
古くなる。
弱くなる。
壊れていく。
でも。
終わらない。
願った者は。
薬を探した。
暖かい部屋を作った。
柔らかい寝床。
食べ物。
水。
全部。
用意した。
愛する者は。
残り続けた。
* * *
いつからか。
人が。
怖がるようになった。
終わらない身体。
死なない人。
見られる。
噂される。
石。
投げられる。
願った者は。
守るために。
家へ入れた。
扉。
閉じる。
窓。
塞ぐ。
外へ。
出さない。
誰にも。
見せない。
これなら。
傷つかない。
これなら。
奪われない。
これなら。
ずっと。
残る。
* * *
ある夜。
中から。
小さな声がした。
何を言ったのか。
分からない。
願った者は。
扉へ手を置いた。
開けなかった。
また。
声。
やがて。
聞こえなくなった。
でも。
中には。
いる。
生きている。
残っている。
だから。
願った者は。
扉の前へ座った。
何年も。
何十年も。
同じ言葉を。
繰り返した。
残っている。
まだ。
残っている。
ずっと。
残っている。
* * *
風。
戻る。
川。
水。
車。
遠く。
人の声。
朔は。
ノートを握ったまま。
動いていなかった。
アベスが。
聞く。
「その人は」
朔が。
見る。
「残りたかったんですか」
沈黙。
長い。
「……分からない」
「聞きましたか」
また。
沈黙。
朔が。
川を見る。
「多分」
少し。
声が低くなる。
「聞かなかったんだろうな」
アベスは。
それ以上。
聞かない。
* * *
朔が。
ノートを開く。
何か。
書こうとする。
ペン。
止まる。
閉じる。
「俺さ」
誰に。
でもなく。
言う。
「残ってほしかったんだよ」
川。
流れる。
「家族も」
一拍。
「友達も」
もう一拍。
「彼女も」
アベスは。
黙って聞いている。
「それ自体は」
朔が。
少し考える。
「今も」
「多分」
「悪いとは思ってない」
「はい」
「いなくなってほしい奴なんか」
笑う。
少し。
「そんな好きな相手に思わないだろ」
アベスが。
頷く。
「でも」
朔の手。
ノート。
「いつからか」
ゆっくり。
「残ってほしいが」
止まる。
「俺が残すに変わった」
アベスの目が。
僅かに動く。
「帰るか」
朔。
「会うか」
「誰といるか」
「俺と一緒にいるか」
昔。
声。
『私が決めるんだよ!』
朔が。
目を閉じる。
「全部」
「俺が決めようとした」
息。
吐く。
「記録も」
ノート。
見る。
「書いてあることが残ったんじゃない」
「残したものだけを」
一拍。
「本当にした」
アベスが。
聞く。
「書いていないものは?」
朔の指が。
止まる。
「……見なくなった」
「人も?」
朔。
答えない。
それが。
答えだった。
* * *
イースが。
木から。
背を離した。
一歩。
右脚。
遅れる。
朔の目が。
そこへ落ちる。
イースは。
直さない。
「ねえ」
朔が。
見る。
イース。
笑っている。
「覚えなくていいって言われた時」
一拍。
「少し楽だった?」
空気が。
止まる。
朔の顔が。
変わった。
「……何」
イースは。
もう。
何も言わない。
朔が。
立つ。
「何で」
一歩。
「何でそれ知ってる」
「想像」
「嘘つけ」
イース。
少し。
口元を上げる。
「そうかもね」
「お前」
朔が。
見る。
顔。
知らない。
声。
知らない。
でも。
言葉。
『僕が覚えてる』
『君が忘れても』
『僕が覚えてる』
『君は覚えてなくていい』
『僕がいる』
炎。
手。
トン。
トン。
朔の目が。
揺れる。
「……誰だよ」
「さあ?」
「俺に」
呼吸。
少し。
速くなる。
「あれ言った奴を知ってんのか」
イースは。
肩をすくめる。
「知らないよ」
「嘘」
「そうかもね」
「ふざけんな」
「うん」
朔の拳。
握る。
でも。
それ以上。
近づかない。
長い。
沈黙。
やがて。
朔が。
座る。
「……楽だったよ」
イースの目が。
少しだけ。
動く。
朔は。
見ない。
「楽だった」
もう一度。
「誰かが覚えてるなら」
「自分で」
喉。
詰まる。
「全部持ってなくていいって」
火。
家。
母。
父。
妹。
消えていく。
「忘れても」
「残るって」
息。
吐く。
「だから」
ノート。
「また」
少し笑う。
苦い。
「預けたんだな」
「記録に」
「他人に」
「自分で決めなくていいものに」
イースは。
何も言わない。
答えも。
渡さない。
アベスが。
朔を見る。
「楽だったら」
朔が。
見る。
「駄目ですか」
朔の目。
止まる。
アベスは。
ただ。
聞いている。
「……分かんない」
「はい」
「でも」
朔が。
ノートを見る。
「楽だからって」
一拍。
「そいつに決めてもらっていいわけじゃなかった」
アベスは。
頷かない。
否定もしない。
見る。
* * *
しばらく。
誰も。
喋らなかった。
川。
流れる。
人。
歩く。
犬。
自転車。
風。
朔が。
ノートを開く。
今日。
『駅前 看板落下』
『固定』
『子ども無事』
その下。
空白。
ペン。
置く。
閉じる。
アベスが。
手を伸ばした。
「これは」
朔が。
見る。
「もう」
一拍。
「いりませんね」
朔は。
手を見る。
指。
昔。
触れれば。
止められた。
人。
物。
位置。
残す。
動かさない。
「これがなくなったら」
アベスを見る。
「忘れる?」
「分かりません」
朔が。
笑った。
小さく。
「そっか」
「はい」
「前なら」
少し。
息を吐く。
「その答えじゃ絶対渡さなかったな」
アベスは。
何も言わない。
朔が。
川を見る。
水。
同じ場所には。
一秒も。
残らない。
「残せなくても」
一拍。
「たぶん」
ノート。
一度。
触れる。
「……大丈夫だ」
アベスが。
頷く。
「じゃあ」
手。
前へ。
「受け取ります」
* * *
何かが。
抜けた。
朔の指。
僅かに。
震える。
手。
見る。
何も。
変わらない。
川。
流れている。
風。
草。
人。
全部。
動く。
朔は。
ノートを開く。
さっきの文字。
残っている。
『駅前 看板落下』
『固定』
『子ども無事』
その下。
空白。
ペン。
持つ。
少し。
考える。
カリ。
『知らないことは、知らない』
朔が。
文字を見る。
「……ダサ」
小さく笑う。
ページ。
閉じる。
* * *
帰る前。
アベスが。
聞いた。
「菅原さん」
「何」
「忘れたら」
「うん」
「どうしますか」
朔は。
少し考える。
昔。
なら。
すぐ。
答えた。
残す。
書く。
確認する。
今。
「思い出せるなら思い出す」
「はい」
「誰か知ってるなら聞く」
「はい」
「分かんなかったら」
少し。
笑う。
「分かんないままにする」
アベスが。
見る。
「嫌ではないですか」
「嫌だよ」
即答。
アベスの目。
少し。
動く。
「嫌なんですね」
「嫌だよ」
もう一度。
「忘れるの」
「なくすのも」
「今でも嫌い」
アベスが。
頷く。
「そうですか」
「うん」
「でも」
朔。
川を見る。
「嫌だからって」
一拍。
「全部止めなくていい」
アベスは。
その言葉を。
聞いた。
それだけ。
* * *
駅前。
別れ際。
朔が。
数歩。
離れる。
そこで。
止まった。
ポケット。
ノート。
取り出す。
最後のページ。
開く。
ペン。
カリ。
一行。
『残らなくても、次へ行ける』
朔は。
しばらく。
その文字を見ていた。
最初の頃。
残れば。
次へ行けると思っていた。
だから。
書いた。
残した。
なくさないように。
消えないように。
何度も。
何度も。
でも。
今。
ノートを閉じる。
手の中で。
一度だけ。
重さを確かめる。
それから。
駅前のごみ箱へ。
放った。
ごとん。
乾いた音。
アベスが。
見る。
「いいんですか」
朔は。
振り返らない。
「いい」
それだけ。
歩く。
一歩。
次。
止まらない。
ノートは。
ごみ箱の底に残った。
朔は。
一度も振り返らなかった。
彼には。
もう。
ノートはいらなかった。
* * *
駅。
夕方。
人。
帰る。
制服。
仕事。
買い物。
列車。
到着。
発車。
イースが。
案内板を見る。
右側。
文字。
見えない。
顔。
少し。
左へ向ける。
読める。
アベスが。
気づく。
「見えますか」
「見えるよ」
「今」
「何」
「顔を動かしました」
「首あるからね」
「右が」
「うるさい」
アベスが。
黙る。
数秒。
「嫌ですか」
「何が」
「聞かれるの」
イースが。
少し。
笑う。
「ちょっと」
「では」
「でも聞くんでしょ」
「はい」
「最近ほんと性格悪いね」
(君が言う?)
「黙ってて」
アベス。
首を傾げる。
「またですか」
「また」
列車。
来る。
乗る。
* * *
窓。
東嶺の街が。
後ろへ流れる。
アベスは。
窓の外を見る。
しばらく。
イースが。
聞いた。
「あの人」
「はい」
「変わった?」
アベスは。
考える。
長い。
「……分かりません」
「また?」
「はい」
「そっか」
終わる。
でも。
アベスが。
続ける。
「残ってほしいと」
イースが。
見る。
「言いました」
「うん」
「でも」
少し。
間。
「残すとは」
窓。
街。
人。
「言いませんでした」
イースは。
何も言わない。
アベスが。
自分で。
続ける。
「同じでは」
一拍。
「ないと思います」
イースの口元が。
少し。
上がる。
「そっか」
それだけ。
* * *
列車。
進む。
しばらくして。
アベスが聞く。
「次は誰ですか」
「カルロス」
「どこですか」
イースは。
窓の外。
遠く。
今度は。
南西。
少しだけ。
顔を向ける。
「あっち」
アベスも。
見る。
「遠いですか」
「多分」
「いつ着きますか」
「それは」
イースが。
笑う。
「探してみないと分からない」
アベスは。
少しだけ。
息を吐いた。
「またですか」
「またです」
列車は。
次の町へ向かった。
合流編、二人目は菅原朔でした。
ネミティブ編では、
「過去に測られた人間と、今の人間は同じとは限らない」
という部分をアベスが見ました。
今回はそこからもう一歩進んでいます。
菅原の根っこにある、
「大切な人に残ってほしい」
という願いそのものは消えていません。
忘れることも。
失うことも。
今でも嫌いです。
そこを綺麗に克服したわけではありません。
変わったのは、
「残ってほしい」から「俺が残す」へ踏み越えないこと。
かつては、人も記憶も選択も、自分の手で固定しようとした。
今は。
分からないことを。
分からないまま残せる。
流れていくものを。
無理に止めなくてもいいと思える。
だからアベスの答えも、
「変わった」ではなく。
「同じではないと思います」
になっています。
そしてイースの身体は。
確実に。
残り時間を失っています。
次はカルロス。
五人を見る旅は、二人目を終えました。




