アベス編⑩ 狐と五人
アルスが帰らなくなって、三日。
アベスはイースと外へ出る。
そこで見つけたのは、怪我をした一匹の狐だった。
助けたい。
けれど。
山へ戻すことが、本当に狐の望みなのか。
人間の側には分からない。
「その子のことなのに」
何を欲しいのか。
何を嫌がっているのか。
何をしたいのか。
本人に聞くことすらできない相手を前に、
アベスは一つの問いへ戻っていく。
「それなのに、人間全部を決めるなんて、できるんですか」
そして。
「もっと、人間を知りたいです」
銀色の指輪が鳴る。
その夜。
アベスは、五人の夢を見る。
第十八章 狐
アルスが帰らなくなってから、三日が過ぎた。
家の中は何も変わっていない。
椅子も、食器も、窓際に置かれた小さな鉢も、そのままだった。
変わったのは、音だけだった。
朝になっても台所から物音がしない。
夜になっても鍵が回らない。
アベスは時々、玄関を見る。
そのたびに、何も言わず視線を戻した。
イースは、それを止めなかった。
「出る?」
昼過ぎ。
突然そう聞くと、アベスは少し考えた。
「どこへですか」
「その辺」
「目的は?」
「ないよ」
「……」
「嫌ならいいけど」
アベスは窓を見る。
それから、アルスがいつも座っていた椅子を見る。
「行きます」
少し間を置いてから。
「外に、いたいです」
「そっか」
二人で家を出た。
何日かぶりだった。
街は何も知らない。
店が開き、人が歩き、子どもが騒ぎ、車が通る。
アルスが死んでも、何も止まっていない。
アベスはそれを不思議そうに見ていた。
「みんな、普通ですね」
「普通だね」
「アルスさんが死んだのに」
「知らないから」
「知ったら変わりますか」
「少しは」
「少し」
「大体そんなもんだよ」
アベスは黙った。
しばらく歩いたあと、住宅地を抜ける。
さらに進むと、人の少ない細い道に入った。
イースが足を止めた。
「……ん?」
道端の草が動いた。
小さな音。
かすかな鳴き声。
アベスも気づく。
「何ですか」
「待って」
イースが草を掻き分ける。
奥にいたのは、一匹の狐だった。
まだ小さい。
身体の片側が泥で汚れ、後ろ足に血が滲んでいる。
呼吸が速い。
「怪我してます」
「してるね」
アベスが近づこうとする。
狐が歯を見せた。
「……」
「それ以上行くと噛まれるよ」
アベスが止まる。
「怖いんでしょうか」
「多分」
「僕が?」
「君も。僕も。痛い時は何でも怖く見えるんじゃない?」
狐は逃げようとした。
けれど後ろ足が動かず、その場で崩れる。
アベスの顔が僅かに歪んだ。
「助けられますか」
「やれることはある」
「してください」
「命令?」
「……お願いです」
「了解」
イースはしゃがんだ。
上着を脱ぎ、狐の頭から覆う。
暴れる身体を押さえる。
「アベス、そこ持って」
「ここですか」
「もうちょい上。そう」
狐が唸る。
アベスの手が少し震えた。
「痛いんでしょうか」
「そりゃね」
「僕たちが触るから?」
「それもある」
「……」
「でも触らないと運べない」
アベスは狐を見る。
「難しいですね」
「そうだね」
二人で家へ連れ帰った。
傷を洗い、布を巻く。
骨までどうなっているのかは分からない。
イースにも治療できる範囲がある。
狐は部屋の隅で丸くなった。
水には少し口をつけた。
食べ物はほとんど食べない。
「治りますか」
「分かんない」
「また、それですか」
「分かんないものは分かんないよ」
アベスが狐の前に座る。
近づきすぎない。
手も出さない。
ただ見ている。
「野生なんですよね」
「そう」
「なら、戻した方がいいんですか」
「普通ならね」
「普通なら」
「人に慣れすぎると困るし」
イースは狐を見る。
「動けるようになったら、元いた場所に戻す」
アベスはすぐには答えなかった。
「……その子は」
「ん?」
「帰りたいんですか」
イースが止まった。
「山に」
「……」
「その子が帰りたいなら、戻した方がいいと思います」
「うん」
「でも」
アベスは狐を見る。
「帰りたくないなら?」
「狐に聞けないからね」
「分かりませんか」
「分かんない」
アベスはしばらく考えた。
「僕たちが決めるんですか」
「最終的には」
「……」
「嫌?」
「少し」
「どうして」
「その子のことなのに」
イースは笑わなかった。
「そうだね」
夜。
アベスは床に座ったまま狐を見ていた。
「寝ないの?」
「もう少し」
「何してんの」
「見ています」
「見てても治らないよ」
「分かっています」
「じゃあ寝れば?」
「……もう少しいてもいいですか」
イースが狐を見る。
狐は目を閉じている。
「いいんじゃない」
「はい」
しばらくして。
狐が身体を動かした。
ほんの少し。
アベスの方へ。
「……」
また。
少し。
そして、アベスの足元の近くで止まった。
触れるほどではない。
けれど、さっきまでいた部屋の隅より近い。
アベスがイースを見る。
「これは」
「知らない」
「……」
「でも、嫌なら近づかないんじゃない?」
アベスは狐へ視線を戻す。
手を伸ばしかける。
止める。
狐の方から、鼻先を少しだけ寄せた。
指に触れる。
「……暖かいです」
「生きてるからね」
アベスは、ほんの少し笑った。
翌朝。
狐は水を飲んだ。
その次の日には、少しだけ食べた。
アベスは毎日、同じ場所に座った。
「今日は食べました」
「うん」
「昨日より多いです」
「見てた」
「歩けるようになりますか」
「なるかも」
「山に帰れますか」
「そこまではまだ」
日に日に。
アベスは話すようになった。
「この子、嫌な時は分かりやすいです」
「噛もうとするからね」
「人間より分かりやすいです」
「それはそう」
「でも、何が欲しいかは分かりません」
「そうだね」
「甘いものなら分かるんですけど」
「君と一緒にしないで」
「狐は甘いもの嫌いですか」
「そこから調べる?」
「知りたいです」
イースはその言葉に一瞬だけ目を向けた。
けれど、何も言わなかった。
四日目。
狐が立った。
後ろ足を引きずりながら、数歩。
アベスが顔を明るくする。
「歩きました」
「歩いたね」
「治ってます」
「少しは」
「なら」
言いかけて。
止まる。
「……山に戻すんですか」
「戻す?」
「イースが決めるんですか」
「僕?」
「はい」
「じゃあ戻そうかな」
アベスの顔が曇った。
「嫌?」
「僕が?」
「うん」
「……」
狐を見る。
「分かりません」
「そっか」
「でも」
少し考える。
「寂しいです」
「それは君の気持ちだね」
「はい」
「狐は?」
「分かりません」
「じゃあどうする?」
アベスは答えなかった。
その日の夕方。
狐は急に食べなくなった。
「……どうしたんですか」
「分かんない」
呼吸が浅い。
身体を起こさない。
傷口は悪化しているようには見えなかった。
けれど。
身体の中までは見えない。
「昨日、歩きました」
「うん」
「今日も朝は水を飲みました」
「うん」
「なら」
アベスが狐を見る。
「治ってるんじゃないんですか」
イースは答えなかった。
「イース」
「……分からない」
「また」
「うん」
「調べてください」
「調べても分からないことはある」
「でも」
「アベス」
少しだけ低い声。
「僕は医者じゃない」
「……」
「できることはやった」
アベスが俯く。
「できること」
「うん」
「全部ですか」
今度はイースが黙った。
「全部って」
「どこまで?」
自分が以前言った言葉を。
アベス自身が繰り返している。
イースは少し笑った。
「そういうの覚えてるんだ」
「答えてください」
「全部かどうかなんて、分かんないよ」
「じゃあ」
「うん」
「まだ、何かあるかもしれません」
「そうだね」
「なら」
アベスは狐を見る。
「やりたいです」
「何を?」
「できること」
水。
布。
体温。
食べ物。
二人で。
できることをやった。
夜になった。
狐はアベスの膝の近くで横になっていた。
呼吸が。
さらに遅い。
「……イース」
「うん」
「治らないんですか」
「……多分」
「多分?」
「治らない」
アベスの指が狐の背中に触れる。
「嫌です」
「うん」
「昨日まで歩いていました」
「うん」
「僕のところに来ました」
「うん」
「なら」
声が詰まる。
「生きたいんじゃないんですか」
「……」
イースは答えられなかった。
「この子は」
アベスが聞く。
「死にたいんですか」
「それも分からない」
「何も分からないじゃないですか」
「そうだね」
アベスが初めて。
少し強い声を出した。
「なら、どうやって決めるんですか」
「何を?」
「山に戻すとか」
「助けるとか」
「もう無理だとか」
「この子が何をしたいかも分からないのに」
イースは。
ただ聞いていた。
「人間も」
アベスは続ける。
「同じですか」
「何が?」
「何が欲しいか」
「何が嫌なのか」
「何をしたいのか」
「外から見ても」
一拍。
「全部は分からないんですか」
「……うん」
「本人に聞いても?」
「嘘つく人もいるからね」
「イースみたいに」
「そこ今入れる?」
「はい」
「ひどいなあ」
アベスは笑わなかった。
「じゃあ」
「うん」
「どうすれば分かるんですか」
イースは狐を見る。
「分からないまま、考えるしかないんじゃない?」
「……」
「見て」
「聞いて」
「間違えて」
「また聞いて」
「それでも全部は分かんない」
アベスの手が。
ゆっくり狐を撫でる。
「それなのに」
小さく言う。
「人間全部を決めるなんて、できるんですか」
イースは。
答えなかった。
それは。
自分が置いた問いだった。
でも。
今は。
アベス自身が。
そこへ戻ってきた。
しばらくして。
狐の呼吸が止まった。
「……」
アベスは手を離さなかった。
「イース」
「うん」
「もう」
「……うん」
「死んだんですか」
「うん」
沈黙。
「嫌です」
「うん」
「アルスさんの時も」
「うん」
「何もできませんでした」
「……」
「この子にも」
指先が。
少し震える。
「僕に、何かできたんでしょうか」
「分からない」
「……」
「でも」
イースが言う。
「君はこの子が何をしたいか、考えた」
アベスが顔を上げる。
「それは」
「うん?」
「意味がありますか」
「さあ」
「分からないんですか」
「僕が決めることじゃないから」
アベスは狐を見る。
長い間。
何も言わなかった。
やがて。
「僕は」
口を開く。
「人が何を考えているのか」
「何を嫌だと思うのか」
「何を欲しいと思うのか」
「何故、変わるのか」
そこまで言って。
一度。
止まる。
「もっと」
胸元。
服の上から。
銀の指輪へ触れる。
「人間を知りたいです」
カチ。
「……」
小さな。
音。
アベスが下を見る。
長い間。
ただ持っていただけの。
銀色の指輪。
「今」
「うん」
「音がしました」
「したね」
アベスが指輪を取り出す。
何も。
変わっていない。
昔と同じ。
簡素な。
銀色。
それなのに。
イースの頭の奥で。
声がした。
(やっとだ)
「……何が?」
アベスが聞く。
「いや」
それきり。
イースの目が僅かに細くなる。
イースは笑った。
「何でもない」
「今、何か言いましたか」
「言ってないよ」
「……」
「疑ってる?」
「少し」
「成長したねえ」
「それも前に聞きました」
「そうだっけ」
「はい」
アベスは。
もう一度。
指輪を見る。
そして。
今度は自分から。
指へ通した。
その夜。
アベスは。
夢を見た。
第十九章 五人
その夜、アベスは夢を見た。
白い部屋。
机を挟んで、知らない男と白い服の少年が向かい合っている。
「その人が嫌がっても?」
「死ぬよりマシだろ」
「君の方が正しいなら?」
男は少し黙った。
「俺が見えてるなら、俺が止める」
少年は、ただ頷いた。
「僕は聞いただけ」
そこで夢は終わった。
* * *
「変な夢を見ました」
朝。
アベスが言うと、イースはパンを齧りながら顔を上げた。
「へえ。どんな?」
「知らない人が、自分の方が見えているなら、自分が止めると言っていました」
「ふうん」
「その人が嫌がっても、と聞かれていました」
イースは少しだけ考えた。
「……昔、似たような奴いたなあ」
「似たような人?」
「よく見える奴。よく当てる奴。だから周りも段々そいつに聞くようになってさ」
「それで?」
「本人も『僕が決めた方が早くない?』ってなってった」
「どうなりましたか」
「失敗した」
「短いですね」
「朝から長話したくないんだよ」
「イースが話し始めました」
「それもそうだね」
イースが笑う。
「仕事で関わったことはあるけどね」
「何をしたんですか」
「その話は長くなるから、また今度」
「誤魔化しましたか」
「うん」
アベスは少し考えた。
「今も、その人は同じですか」
「さあ」
「知らないんですか」
「最後まで見てないからね」
イースは残ったパンを口へ放り込んだ。
「人間なんて、見てないところで勝手に変わるし」
その日は、それで終わった。
* * *
次の夜。
また白い場所だった。
今度は別の男。
「残ってほしいのですか」
「当たり前だろ」
「では、残ると決めるのは誰ですか」
男は答えた。
「俺が残せばいい」
「失くしてからじゃ遅いんだよ」
少年は。
「そうですか」
それだけ。
朝。
「また夢を見ました」
「また?」
「はい」
「今度は?」
「何かを、残したい人でした」
「へえ」
「皆に残ってほしいと言っていました」
イースが飲んでいた水を止めた。
「……で?」
「残ると決めるのは誰か、と聞かれて」
「何て答えた?」
「自分が残せばいい、と」
「……」
イースが少しだけ目を細める。
「そういう奴もいたねえ」
「またですか」
「いたいた」
「どんな人ですか」
「何でも残したがる奴。人も、記録も、思い出も。なくなるのが嫌で、全部取っとこうとする」
「できますか」
「できないから困るんでしょ」
イースが笑う。
「で、あいつは残そうとしすぎて、人が自分で離れることまで許せなくなった」
「イースも関わったんですか」
「仕事でね」
「何を?」
「それは内緒」
「またですか」
「またです」
アベスは黙っていた。
イースは気にした様子もなく立ち上がる。
「変な夢続くね」
「はい」
「寝相悪いんじゃない?」
「関係ありますか」
「ないと思う」
* * *
三度目。
また、白。
今度の男は、自分の手を見ていた。
「それは、あなたのものですか」
「使えるなら俺のだろ」
「あなたが欲しいのは、その人ですか」
「誰だよ」
「それとも、その人のように選ばれることですか」
男は鼻で笑った。
「同じだろ」
少年は。
「そうですか」
夢は切れた。
* * *
「またです」
朝一番に言うと、イースが眉を上げた。
「もう三回目じゃん」
「はい」
「で?」
「今度は、人のものを自分のものにしている人でした」
「物?」
「人の良いところ、だと思います」
「……」
「選ばれる人になりたいのか、と聞かれていました」
イースが黙った。
アベスが首を傾げる。
「どうしましたか」
「いや」
少し間。
「……似た奴、多いね」
「また知っているんですか」
「まあね」
「どんな人ですか」
「人の良いところ見つけるのだけは、すごく上手かったよ」
「良いことでは?」
「見るだけならね」
イースが自分の手を見る。
「で、あれいいな。これもいいな。自分にも入れよう。ってやってるうちに、どれが自分だったか分かんなくなった」
「欲張りですね」
「本人に言ったら嫌がるだろうね」
「イースは何をしたんですか」
「関わったよ」
「どこまで?」
「さあね」
「言わないんですか」
「うん」
イースは笑った。
アベスは夢のことを思い出す。
「三人とも」
「うん?」
「白い場所でした」
「……へえ」
「同じ白い服の人が、質問していました」
イースの笑みが、ほんの少しだけ止まった。
「同じ?」
「はい」
「……」
「イース?」
「いや」
すぐに戻る。
「夢でしょ?」
「はい」
「なら、そういうこともあるんじゃない」
軽く流した。
* * *
四度目の夜。
白い場所。
男の拳が震えていた。
「その人に、何を伝えたかったんですか」
「何?」
「怒っていることですか」
「黙れ」
「許せないことですか」
「黙れって言ってんだろ」
少年は少し待って。
「では、何だったんでしょう」
「うるせえ!」
男が殴りかかった。
届かない。
「そうですか」
そこで目が覚めた。
* * *
「今日は、怒っていました」
アベスが言う。
「へえ」
「とても」
「怒る人なんていっぱいいるよ」
「悲しいのか、怒っているのか、自分でも分かっていないように見えました」
イースの目が止まる。
「……何て聞かれてた?」
「何を伝えたかったのか、と」
「他には?」
「怒っていることなのか。許せないことなのか」
「……」
その時。
(くっ)
頭の奥で、笑い声。
イースの眉が僅かに動いた。
(くくっ)
「……」
「どうしましたか」
「何でもない」
(いやあ)
楽しそうに。
(面白いね)
「うるさい」
アベスが瞬きをする。
「僕は何も言っていません」
「あ、ごめん。君じゃない」
「?」
イースは誤魔化すように笑った。
「似た奴いたよ」
「また?」
「また」
「どんな人ですか」
「何でも怒りに変える奴」
声だけは軽い。
「悲しい。怒る。怖い。怒る。寂しい。怒る。便利でしょ?」
「便利なんですか」
「本人にはね。怒ってる間は、他のこと考えなくて済むから」
アベスは少し黙った。
「イースは、その人にも何かしたんですか」
「したよ」
「何を?」
「それは、今は言わない」
「何故ですか」
「長くなるから」
「誤魔化しましたか」
「うん」
イースは笑う。
「ただ、結果は分かりやすかったよ。悲しいも怖いも全部怒りにして、最後まで走った」
(くくく)
また、頭の奥。
「……相棒」
(ん?)
「さっきから何笑ってんの」
(別に)
「嘘下手だね」
(君に言われたくないなあ)
「それはそう」
アベスがイースを見る。
「誰と話しているんですか」
「ろくでもない奴」
(ひどいなあ)
「褒めてるよ」
(ならいいや)
アベスは余計に分からない顔をした。
* * *
五度目。
もう、白い場所を見ても驚かなかった。
女がいた。
白い服の少年が聞く。
「その人が、一人で何もできなくなったら」
「何」
「あなたは安心しますか」
「意味分かんない」
「あなたが必要だからですか」
「何が」
「その人が、あなたを必要としてほしいからですか」
「違う! 私は守ってるだけ!」
少年は反論しなかった。
「そうですか」
夢は終わった。
* * *
朝。
アベスが話し始める前から、イースは少し嫌そうな顔をした。
「……また?」
「はい」
「白い?」
「はい」
「同じ奴?」
「多分」
「今度は?」
「女の人でした」
「何て?」
「守っていると言っていました」
「誰を?」
「分かりません」
「他には?」
「その人が一人で何もできなくなったら、安心するのか、と聞かれていました」
イースの表情が消えた。
「……」
「その人に必要としてほしいのか、とも」
沈黙。
頭の奥で。
(あはは)
声。
(あはははは)
今までで一番、楽しそうだった。
「……相棒」
(何?)
「一人なら偶然で済む」
(うん)
「二人なら、まあ変な夢だねで済む」
(そうだね)
「五人」
(五人だね)
イースが目を細める。
「偶然にしては、出来すぎてる」
(そう?)
「そういうとこ、僕より嘘下手だよ」
(失礼だなあ)
「何したの」
(さあ?)
「はいはい」
それ以上は追わなかった。
アベスが聞く。
「今の人も知っていますか」
「知ってるよ。メリカ」
イースは椅子へ座り直した。
「必要とされたかった子。最初から相手を縛りたかったわけじゃない。好きだった。失くしたくなかった。守りたかった」
「でも、選択を取った」
「そう。守れる力が、便利だったからね」
「イースは?」
「僕?」
「何をしたんですか」
「関わったよ」
「どこまで?」
「それは、また今度」
「また隠しますね」
「仕事の話は長いんだよ」
「嘘ですか」
「半分くらい」
イースが少し笑う。
「でも、最後は夢の中とは少し違う選び方をした」
「夢で見た時とは違いますね」
「そうだね」
そこから。
アベスは五人について、もう少し聞いた。
イースは知っていることだけを、短く話した。
けれど。
自分が何をしたのかだけは。
何度聞かれても、曖昧にした。
「どうして、そこだけ言わないんですか」
「仕事の話は長くなるから」
「嘘ですね」
「うん」
「じゃあ」
アベスが少し考える。
「あの人たちの答えを、イースが決めたんですか」
「まさか」
「でも、関わった」
「関わったよ」
「どこまで?」
イースが笑う。
「それは、まだ内緒」
「じゃあ」
アベスが言う。
「測った結果は、間違っていたんですか」
「いや?」
イースは即答した。
「ネミティブは、自分の判断を他人より上に置いた」
一本。
「菅原は、失うのが怖くて他人まで残そうとした」
二本。
「カルロスは、足りない自分を他人で埋めた」
三本。
「ルウは、悲しいも怖いも怒りに変えた」
四本。
「メリカは、必要とされたくて相手の選択を奪った」
五本。
「ちゃんと出てるよ」
「では」
「ただし」
イースが笑う。
「その時はね」
アベスが黙る。
「一回測ったからって、その先まで同じかは知らない」
「でも、メリカは変わっていました」
「そうだね」
「他の人も?」
「さあ。会ってないから」
アベスは五人のことを考えていた。
そんな顔を見て。
イースが少し笑う。
「柄にもないことしたね」
「何がですか」
「人のこと、そんなに知りたがるなんて」
「知りたいです」
「昔の君なら、どうでもよかったでしょ」
アベスは少し考えた。
「そうかもしれません」
「今は?」
「知りたいです」
「そっか」
イースは笑った。
「じゃあ、随分変わったね」
「駄目ですか」
「別に。面白いだけ」
アベスは少しだけ不満そうな顔をした。
「また、それですか」
「またです」
頭の奥で。
(くくっ)
声が楽しそうに笑った。
イースは無視した。
アベスはまた少し考えて。
「イース」
「ん?」
「あなたは?」
「僕?」
「あなたは、何を測られたんですか」
イースの笑みが止まった。
今回は、「知りたい」が指輪を動かし始める二章です。
第十八章でアベスが向き合うのは、人間ではなく一匹の狐です。
助けたい。
山へ戻した方がいい。
でも、それは誰が決めるのか。
狐自身が何を望んでいるのかは分かりません。
近づいてきたからといって、
ずっと一緒にいたいとは限らない。
生きようとしているように見えても、
本当に何を感じているのかまでは分からない。
見ても。
聞いても。
考えても。
全部は分からない。
そこでアベス自身が、
「それなのに、人間全部を決めるなんて、できるんですか」
という問いへ辿り着きます。
そして、
「人間を知りたいです」
と望んだ時。
ずっと持っていただけだった指輪を、
初めて自分から指へ通します。
第十九章では、その先で五人の過去を見ます。
ただし。
そこで見えるのは、
その人たちの「その時」です。
測った結果そのものが、
全部間違っていたわけではありません。
ネミティブも。
菅原も。
カルロスも。
ルウも。
メリカも。
確かに、その時にはそういう人間だった。
でも。
「その時はね」
一度測った答えが正しかったことと、
その人間がその先も永遠に同じであることは、
別の話です。
だから最後にアベスが向けた問いは、
五人ではなく。
ずっと測る側にいたイースへ向かいます。
「あなたは、何を測られたんですか」




