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『KillerWorld ―七つ目の答え―』  作者: ザクロ
アベス編

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アベス編② 指輪と喪失実験

青い紙を、自分で「持っておく」と決めた0。


そんな0の前に、イースと同じ顔をした何者かが現れる。


差し出されたのは、一つの銀色の指輪。


「君が本当に望んだ時に、それは意味があるものだよ」


つけるか。

捨てるか。

持っておくか。


0はまだ、その意味を知らない。


一方、0の中に少しずつ生まれ始めた選択を観測したゴイは、次の段階へ進もうとしていた。


形成されたものは、失われた時にどうなるのか。


観察だったはずの実験は、次第に「選択そのもの」へ手を伸ばし始める。

第三章 指輪


その日。


0は廊下を歩いていた。


手には、青い紙。


子どもからもらったものだった。


折り目だらけで。


何を作ろうとしたのかも、よく分からない。


0は歩きながら、それを見ていた。


どうして持っているのか。


聞かれれば。


たぶん、まだ説明できない。


ただ。


捨てなかった。


自分で。


持っておくと決めた。


「……」


紙を裏返す。


表と同じ青。


また戻す。


そのまま角を曲がって。


誰かにぶつかった。


「……すみません」


「いいよ」


聞き慣れた声だった。


0が顔を上げる。


「イース」


青年が立っていた。


「うん」


いつもの顔。


いつもの声。


いつもの笑み。


なのに。


0は少しだけ首を傾げた。


「何?」


「……分かりません」


「便利だね、それ」


青年は笑った。


0は彼を見る。


何かが違う。


でも。


何が違うのかは分からない。


青年の視線が、青い紙へ落ちた。


「それ、もらったの?」


「はい」


「欲しかった?」


0は紙を見る。


「分かりません」


「でも、持ってる」


「はい」


「捨ててもいいのに?」


「……持っておこうと思いました」


青年の口元が、ゆっくり上がった。


「へえ」


しばらく。


0を見る。


まるで。


何かを確かめるように。


「君はさ」


「はい」


「何もなくて、空っぽだよね」


0は瞬きをした。


「空っぽ」


「欲しいものも分からない」


「はい」


「嫌いなものも分からない」


「はい」


「何をしたいかも」


「……分かりません」


「そう」


青年は笑う。


責めるでもなく。


憐れむでもなく。


ただ。


面白そうに。


「じゃあ、人間を知りたくないかい?」


0は青年を見る。


「人間を?」


「うん」


「なぜですか」


「さあ」


青年は肩をすくめた。


「君が決めればいい」


そう言って。


ポケットへ手を入れる。


取り出したのは。


小さな銀色の輪だった。


石もない。


模様もない。


ただの指輪。


それを。


青い紙の上へ落とした。


「これは?」


「指輪」


「何に使うんですか」


「今は何にも」


0が顔を上げる。


「何にも?」


「うん」


青年は指輪を指先で軽く弾いた。


「君が本当に望んだ時に、それは意味があるものだよ」


「望む」


「そう」


「何をですか」


青年の笑みが深くなる。


「それまで僕が決めたら、つまらないでしょ?」


0は指輪を見る。


「使わなくてもいいんですか」


「もちろん」


「捨てても?」


「君がそうしたいならね」


「……」


青年は少し考えて。


「ああ、そうだな」


楽しそうに笑った。


「嘘つきからの、ささやかなギフトだよ」


「嘘つき?」


「そう」


「なぜ僕に?」


一瞬。


青年の目が細くなった。


いつものイースなら。


きっと。


適当に誤魔化していただろう。


けれど。


その青年は。


0をまっすぐ見た。


「僕は君が気になるから」


「僕が?」


「うん」


青年は笑う。


「何もない君が」


青い紙を見る。


「誰かから何かをもらって」


指輪を見る。


「世界を見て」


そして。


もう一度。


0を見る。


「それらをすべて見た後――君は、どんな答えを出すんだろう?」


0は答えなかった。


答えられなかった。


青年はそれでよかったらしい。


口元を吊り上げる。


「楽しみだ」


その目だけが。


ひどく遠い。


0には。


なぜか。


目の前にいる青年が。


自分ではなく。


もっと先にいる誰かを見ているように思えた。


「つけるんですか」


0が指輪を見ながら聞く。


「僕に聞くの?」


「あなたがくれたので」


「じゃあ、つけろって言ったらつける?」


「はい」


「捨てろって言ったら?」


0は少し止まった。


手の中には。


青い紙。


その上に。


銀色の指輪。


「……分かりません」


青年が笑った。


「いいね」


「何がですか」


「前なら、すぐ捨てたでしょ」


「そうですか」


「たぶん」


0は指輪を見つめる。


少しして。


青い紙と一緒に、手の中へ握った。


「持っておきます」


青年が笑った。


「うん」


0は青年を見る。


「ありがとうございます」


青年の目が一瞬だけ丸くなる。


それから。


楽しそうに笑った。


「どういたしまして」


青年は0の横を通り過ぎる。


「あ」


0が振り返った。


「イース」


「なに?」


「これは、あなたのものだったんですか」


青年が止まる。


数秒。


振り返らないまま。


「僕の?」


「はい」


そして。


くすりと笑った。


「違うよ」


「では、誰のですか」


「さあ」


青年が振り返る。


その顔は。


確かにイースだった。


けれど。


0には分からない。


なぜか。


その瞬間だけ。


ずっと遠いところから見られているような気がした。


「僕はただ」


青年が言う。


「綺麗に並んでるものを見ると」


一拍。


笑う。


「一個くらい、余計なものを置きたくなるだけ」


「なぜですか」


「崩れたら面白いでしょ?」


0には。


意味が分からなかった。


「……そうですか」


「うん」


青年は手を振る。


「じゃあね」


角を曲がる。


姿が消えた。


*


0はしばらく、その場に立っていた。


手を開く。


青い紙。


銀色の指輪。


どちらも。


誰かに持てと言われたものではない。


0は指輪をつまんだ。


指へ近づける。


止まる。


少し考えて。


また手のひらへ戻した。


今は。


つけなかった。


*


少しして。


別の廊下。


「0」


声を掛けられた。


0が振り返る。


「イース」


「何してるの?」


青年が歩いてくる。


0は手を開いた。


「これをもらいました」


「何それ」


「指輪です」


「それは見れば分かる」


青年は覗き込む。


「誰にもらったの?」


0は彼を見る。


「あなたです」


青年の笑みが止まった。


「僕?」


「はい」


「いつ」


「さっきです」


「……」


数秒。


青年は黙る。


頭の奥で。


(似合ってた?)


楽しそうな声がした。


青年の眉がぴくりと動いた。


「お前……」


「どうしました?」


「いや」


(ちゃんと君っぽく喋ったよ)


「勝手に僕の顔使うなよ……」


「何ですか」


「独り言」


0は青年を見る。


「同じことを言いますね」


「何が?」


「さっきも」


「……」


(ほら。僕たち似てるって)


青年は額を押さえた。


「考え方だけな」


一拍。


「それも嫌だけど」


「誰とですか」


「何でもない」


0は指輪を見る。


「捨てた方がいいですか」


青年が止まった。


それから。


0を見る。


「なんで僕に聞くの」


「あなたが――」


「僕じゃないんでしょ、それ渡したの」


「でも」


「君がもらったんだから」


青年は指輪を指した。


「君が決めれば?」


0は黙った。


指輪を見る。


青い紙を見る。


少しして。


「……持っておきます」


青年は一瞬だけ目を細めた。


頭の奥で。


小さな笑い声がした。


(ほらね)


「うるさい」


「何ですか?」


「何でもないよ」


青年は歩き出す。


すれ違いざま。


0の手の中の銀色を、もう一度だけ見た。


(捨てさせないの?)


「本人が持つって言ったんだろ」


(ふうん)


「何」


(別に)


青年は小さく息を吐く。


そして。


ほんの少しだけ笑った。


「……しゃーないな」


0には。


その意味も。


まだ分からなかった。


*


指輪は。


それから数日間、0のポケットに入ったままだった。


つけない。


捨てない。


誰かに見せることもしない。


ただ。


服を替える時だけ。


青い紙と一緒に、次の服へ移した。


*


その日は。


研究所ではなかった。


アルスの家だった。


通常環境下での反応を見る。


ゴイはそう呼んでいた。


研究員も同じ言葉を使った。


アルスには。


「普段通りに過ごしてください」


それだけだった。


「普段通りって言われるのが一番困るんだけどね」


アルスはそう言いながら、鍋をかき混ぜていた。


0はテーブルに座っている。


向かいには子ども。


少し離れたところで、アルスの夫が新聞を読んでいた。


「ねえ」


子どもが言った。


「はい」


「それ何?」


指差された。


0は自分を見る。


「何ですか」


「ポケット」


銀色の輪が少しだけ見えていた。


0は取り出す。


「指輪です」


「指輪?」


「はい」


「誰にもらったの?」


0は少し止まる。


「イース……だと思います」


「だと思う?」


「はい」


子どもには意味が分からなかったらしい。


「つけないの?」


0は指輪を見る。


「今はつけません」


「なんで?」


0は考える。


「……分かりません」


「またそれ」


子どもが笑った。


0は怒らない。


指輪をポケットへ戻した。


「でも捨てないんだ?」


「はい」


「なんで?」


今度は。


少し長く考えた。


「持っておくと決めたので」


新聞の向こうから。


男の目だけが上がった。


台所で。


アルスの手も、一瞬止まった。


子どもだけは気にしない。


「ふーん」


それだけ。


また自分の遊びへ戻った。


*


「できたよ」


アルスが皿を並べる。


湯気。


温かい匂い。


0の前にも同じ皿が置かれた。


「熱いから気をつけな」


「はい」


窓が少し開いていた。


冷たい風が入る。


カーテンが揺れる。


0は一度だけ、そちらを見た。


食べる。


また風。


見る。


アルスが気づいた。


「寒い?」


「……」


0は考える。


以前なら。


分かりません。


それで終わっていた。


「窓、閉める?」


0は窓を見る。


それから。


「……はい」


アルスが振り返った。


「閉めてほしい?」


0はまた少し考える。


「はい」


アルスは何も言わなかった。


窓を閉める。


風が止まる。


「これでいい?」


「はい」


0は食事へ戻った。


それだけだった。


たった、それだけ。


けれど。


部屋の隅。


記録端末の画面に。


一つ。


項目が追加された。


*


夜。


研究所。


ゴイは記録を見ていた。


青年は椅子を逆向きにして座っている。


「何回見るの、それ」


「必要だ」


「窓閉めただけだよ」


「要求した」


「うん」


「自発的に」


「聞かれたからだけどね」


「拒絶ではない」


「まあね」


ゴイは画面を送る。


扉を見る時間。


特定人物の来訪前に起きる視線移動。


青い紙の保持。


指輪の保持。


座る位置。


食事。


温度。


返答までの時間。


小さな変化が。


数字になって並んでいた。


「形成されている」


ゴイが言った。


「何が?」


「選択基準だ」


青年の笑みが少し薄くなる。


「まだそこまでじゃないでしょ」


「以前は存在しなかった」


「だから?」


ゴイは答えず。


別の記録を開く。


アルス。


夫。


子ども。


0。


四人が同じテーブルにいる映像。


「特定環境への反応も増えている」


「へえ」


「人物への反応差もある」


「先生、嬉しそうだね」


「感情ではない」


「知ってる」


青年は背もたれへ顎を乗せる。


「で?」


ゴイの指が止まった。


「次の段階へ移る」


青年の目が動く。


「次?」


「形成されたものが」


一拍。


「失われた場合を見る」


部屋が。


少しだけ静かになった。


青年は笑わなかった。


「……何するつもり?」


「環境条件を変える」


「どう変えるの」


「特定対象を除外する」


「誰」


「必要に応じて選ぶ」


青年はゴイを見る。


「先生」


「何だ」


「それ」


ゆっくり椅子から立つ。


「やめた方がいいよ」


ゴイの目が上がった。


「理由は」


「やっと出始めたところでしょ」


「だから確認する」


「何を?」


「それが何であるか」


青年は机へ近づく。


「無くした時にどうなるかで?」


「ああ」


「それで強く反応したら?」


「執着が形成されている」


「何も起きなかったら?」


「形成されていない」


「便利だね」


青年が笑った。


でも。


目は笑っていなかった。


「何がだ」


「先生の実験」


ゴイは返さない。


青年は画面に映る四人を見る。


アルス。


その夫。


子ども。


そして。


0。


「それやったらさ」


「何だ」


「本人が選んだのか」


一度。


言葉を切る。


「追い込まれて出たのか、分からなくならない?」


「負荷も条件の一つだ」


「程度の話してるんだけど」


「必要な負荷を与える」


「必要?」


青年が鼻で笑った。


「誰に?」


ゴイは黙っていた。


「0に?」


返事はない。


「それとも先生に?」


「結果を得るためだ」


「ほら」


青年は小さく息を吐く。


「それ」


「何だ」


「結果欲しさに条件弄り始めたら」


机の端を指先で叩く。


「もう観察じゃないよ」


ゴイの視線が鋭くなる。


「お前が決めることではない」


「そうだね」


青年はあっさり引いた。


「先生の研究だもんね」


くるりと背を向ける。


扉へ向かう。


「イース」


「ん?」


「何故止める」


青年の足が止まった。


少しだけ。


間があった。


「止めてないよ」


振り返る。


いつもの笑み。


「まともな結果出なくなるって言ってるだけ」


「それだけか」


「それだけ」


ゴイを見て。


笑う。


「僕、研究熱心だから」


扉を開けた。


頭の奥から。


声がした。


(嘘)


青年の眉が僅かに動く。


「……うるさい」


扉が閉じる。


*


廊下へ出てから。


青年は立ち止まった。


壁へ背を預ける。


(止める?)


「何を」


(分かってるでしょ)


「先生が何するかなんて、まだ決まってないよ」


(そうだね)


「そうだよ」


沈黙。


青年は天井を見る。


(怖い?)


「誰が」


(あの子)


青年は答えなかった。


遠く。


白い廊下の向こう。


0の部屋がある。


「……せっかく」


小さく。


呟く。


「選び始めたのにね」


頭の奥で。


(昔ね)


青年の眉が寄る。


「今?」


(神様たちが、大事なものを一つ失くして、急に老けたことがある)


「……何の話」


(さあ)


少し。


声が笑った。


(なくすまで気づかなかったの、人間だけじゃないんだなって)


青年は少し黙った。


「だから何」


(別に)


一拍。


(先生の実験、面白くなりそうだね)


「……最悪」


声は。


それ以上、何も言わなかった。


*


翌日。


ゴイは一枚の実験計画書を開いた。


最上部。


そこには。


短く。


こう記されていた。


――喪失条件下における選択反応の観測。



第四章 喪失実験


翌日。


0の部屋に、研究員が来た。


「0」


「はい」


「移動する」


0は椅子から立ち上がる。


「どこへですか」


「検査室だ」


「何の検査ですか」


「通常環境試験の追加確認」


0は少し考えた。


「アルスさんも来ますか」


研究員の手が。


一瞬だけ止まった。


「来る」


「そうですか」


0はそれ以上聞かなかった。


ポケットへ手を入れる。


青い紙。


銀色の指輪。


二つとも入っていることを確認する。


それから。


研究員の後ろを歩いた。


*


その少し前。


アルスの家にも連絡が来ていた。


「また?」


アルスは受話器を肩へ挟みながら、鍋の火を止めた。


『追加の確認です』


「この前やったばっかりだろ」


『前回、いくつか反応が確認されました』


アルスの眉が寄る。


「反応?」


窓を閉めてほしいと言ったこと。


青い紙を持っていること。


最近。


0がほんの少しずつ。


自分で何かを決め始めていること。


アルスにも心当たりがあった。


『確認だけです。長くはかかりません』


「本人に変なことしないだろうね」


一拍。


『通常の観察です』


アルスは嫌そうに息を吐いた。


「……分かったよ」


電話を切る。


「また研究所?」


夫が聞いた。


「だってさ」


「今日は俺も?」


「家族全員で来てくれって」


子どもが顔を上げる。


「0いる?」


「いるんじゃないかい」


「じゃあ行く」


「遊びに行くんじゃないよ」


「分かってる」


「絶対分かってないだろ」


夫が笑った。


アルスは笑わなかった。


何となく。


嫌な感じがした。


理由は。


分からなかった。


*


研究所へ着くと。


いつもの部屋ではなかった。


アルスが足を止める。


「……ここ?」


「はい」


研究員が扉を開ける。


中は広い。


白い床。


白い壁。


中央には何もない。


片側だけ。


大きなガラスがある。


「ずいぶん殺風景だね」


「動線を見るためです」


「動線?」


「0が誰に接近するか。距離を取るか。そういった反応を確認します」


「そんなの家でも見てただろ」


「条件を揃える必要があります」


アルスは研究員を見る。


あまり好きな説明ではなかった。


けれど。


夫が肩を軽く叩く。


「すぐ終わるんだろ」


「……そうだといいけどね」


子どもが室内を覗く。


「あ、0」


反対側の扉から。


0が入ってきた。


「こんにちは」


子どもが手を振る。


「こんにちは」


0も答える。


アルスは少しだけ表情を緩めた。


「元気だったかい」


「はい」


「ちゃんと食べてる?」


「はい」


「指輪は?」


子どもが聞く。


0はポケットへ触れる。


「あります」


「まだつけてない?」


「はい」


「なんで?」


「まだ、つけようと思っていないので」


子どもが笑った。


「そっか」


アルスは。


その答えを聞いて。


ほんの少しだけ笑った。


「じゃあ、そのままでいいさ」


ガラスの向こう。


ゴイはその会話を聞いていた。


端末には。


昨日までの記録が並んでいる。


青い紙。


指輪。


窓。


来訪予測。


食事。


返答。


そして。


新しく追加された項目。


――自発的保留。


青年が隣から画面を覗き込む。


「本当にやるの?」


「ああ」


「まだ間に合うけど」


「何がだ」


「普通の観察に戻すの」


ゴイは答えない。


青年がガラスの向こうを見る。


0。


アルス。


夫。


子ども。


いつもの四人。


「先生」


「何だ」


「昨日も言ったけど」


笑っている。


でも。


声だけは軽くなかった。


「これ、失わせる必要ある?」


「形成されたものを確認するには必要だ」


「失わせなくても確認できるでしょ」


「推測では足りない」


「……」


青年の目が細くなる。


「本人たちには?」


「知らせていない」


「だろうね」


「知らせれば条件が変わる」


「便利だね、その言葉」


頭の奥で。


(条件が変わると困るんだ)


青年の目が、ほんの少しだけ動く。


「……黙ってて」


(同じこと考えてる?)


「だから黙れ」


ゴイが青年を見る。


「何だ」


「独り言」


ゴイは端末を操作した。


*


実験室。


アルスが周囲を見る。


「それで、何すればいいんだい」


天井のスピーカーから声がした。


『普段通りにしてください』


ゴイだった。


「普段通りって言われてもね」


アルスは呆れる。


「椅子もないじゃないか」


『必要ありません』


「じゃあ何を見るんだよ」


『こちらで指示する』


0がガラスを見る。


ゴイの姿は見えない。


『0』


「はい」


『中央へ』


0が歩く。


白い床の中央へ立つ。


アルスの眉が寄る。


「何するんだい」


『確認だ』


「何の」


返事はない。


研究員が0の腕へ、小さな装置を取り付けた。


アルスの表情が変わる。


「それ何」


「運動反応の測定装置です」


研究員が答える。


「測るだけ?」


「はい」


青年が。


ガラスの向こうで目を伏せた。


嘘だった。


測るだけではない。


0の腕に付けられたものは。


身体の挙動へ干渉できる。


以前。


因子安定化試験で使っていたものだった。


「先生」


青年が小さく言う。


「何だ」


「一応もう一回聞くけど」


ゴイを見る。


「これで身体先に動かしたら」


一拍。


「出てきた反応が本人のものか分からなくなるよ」


「拒絶が出れば観測できる」


「因子も使うんでしょ」


「ああ」


青年の笑みが消える。


「……それ、本当に観測って言う?」


ゴイは答えなかった。


装置を起動する。


*


0の右腕が。


ゆっくり上がった。


0自身が。


その腕を見る。


「……?」


アルスも気づいた。


「0?」


0は答えない。


自分の腕を見ている。


指が曲がる。


開く。


自分でしていない。


0の顔は。


人形のようなままだった。


「何してるんだい」


アルスが研究員を見る。


「確認です」


「何の」


0の足が。


一歩。


動いた。


子どもの方へ。


「……ちょっと待ちな」


アルスが立ち上がる。


もう一歩。


「おい」


研究員が前へ出た。


「そのままでいてください」


「どきな」


「実験中です」


「知るかよ!」


アルスが研究員を押し退ける。


別の研究員が腕を掴んだ。


「離しな!!」


アルスの声が響く。


「危険です」


「危険なのはあんたらだろ!!」


暴れる。


0を見る。


その身体は。


まだ。


子どもの方へ進んでいた。


「ゴイ!!」


ガラスを睨む。


「家族に何かしてみろ!!」


腕を振り解こうとする。


「絶対に許さないからな!!」


ガラスの向こう。


ゴイは端末から目を上げなかった。


「挙動制御を継続」


「ふざけんな!!」


0の指が。


僅かに震えた。


「0?」


子どもが呼ぶ。


その瞬間。


0の喉から。


小さく。


「……ん」


音が漏れた。


アルスの目が見開く。


「ほら!!」


さらに暴れる。


「この子、嫌がってるじゃないか!!」


ゴイは数値を見る。


「反応あり」


「反応じゃない!!」


青年が。


横から画面を覗いた。


「先生」


「何だ」


「止めて」


「まだだ」


「もう出たでしょ」


「何がだ」


「本人と身体がズレてる」


頭の奥で。


(誰の反応なんだろうね)


「……黙れ」


(同じところ見てるくせに)


青年の目が細くなる。


「だから嫌なんだよ」


ゴイは0を見る。


「負荷を上げる」


青年の顔から。


完全に笑みが消えた。


「先生」


低い声。


「それ、選択を見てるんじゃない」


ゴイの指が止まる。


「選択を作ろうとしてるよ」


数秒。


「継続」


頭の奥で。


(答えまで作るんだ)


青年は。


何も言わなかった。


ただ。


0を見た。


白い部屋の中で。


人形のような少年が。


また。


小さく。


「……ん、っ」

今回は、アベス編で重要になる「指輪」が初めて出てくる二章です。


ただ、この段階では指輪そのものよりも、


「つけない」

「捨てない」

「持っておく」


という保留まで、0が少しずつ自分で選び始めていることの方が重要だったりします。


第三章では、0の中にまだ名前のつかない小さな選択が生まれ始めます。


そして第四章では、ゴイの研究も少しずつ形を変え始めます。


反応を観測するのか。

反応が出る条件を作るのか。

それとも、答えそのものを作ってしまうのか。


イースの、


「それ、選択を見てるんじゃない」

「選択を作ろうとしてるよ」


という言葉は、この先のアベス編にも繋がる部分です。


そして、イースの頭の中で笑っている声。


まだ答えは教えません。

ただ、イースと同じ場所に引っかかりながら、少しずつ何かを面白がり始めています。

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