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『KillerWorld ―七つ目の答え―』  作者: ザクロ
イース編

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37/57

KillerWorld ―イース編―「ちゃんとマリ」

マリの研究は、突然終わる。

ゴイにとって必要なデータは揃った。

だから、もう形を維持する処置も必要ない。

崩れていく身体を前に、マリは言う。

「あるよ。私には」

研究に価値がなくても。

マリであり続けることには、本人にとって意味がある。 KillerWorld_イース編_第35章_第36章

そしてマリは青年へ頼む。

メリカにとって。

「かわいいお人形のマリでいたいの」

自分の顔すら分からなくなりつつある青年だからこそ、その怖さを知っている。

最後まで今の姿でいたい。

だから。

「この姿のまま、殺して」 KillerWorld_イース編_第35章_第36章

青年は、自分の決め事を破る。

誰かにやらせず。

嘘にも逃げず。

マリ自身が選んだことを。

自分の手で終わらせる。 KillerWorld_イース編_第35章_第36章

戻ってきたメリカへ。

青年は冷たく言う。

「この子は偽物だよ?」

けれど。

メリカは叫ぶ。

「そんなの前から知ってる!」

「偽物でもいいの!!!」

本物ではなくても。

違っていても。

それでも。

マリだった。

第三十五章 処置終了


 定期検査の日だった。


 マリは、いつものようにメリカの家を出た。


「本当に一人で行くの?」


 玄関までついてきたメリカが、もう何度目か分からない確認をする。


「うん」


「送る」


「大丈夫」


「でも最近――」


「メリカ」


 マリは笑った。


「検査だけだから」


「……終わったら連絡して」


「する」


「絶対」


「するって」


「遅かったら迎えに行く」


「はいはい」


 返事をしながら、マリは扉を開けた。


 外へ出る。


 閉まる直前。


 もう一度だけ振り返る。


「行ってきます」


 メリカは少し不満そうな顔のまま。


「……行ってらっしゃい」


 扉が閉じた。


 マリは。


 その言葉を聞いてから。


 ほんの少しだけ笑った。


 研究所へ着いた頃。


 青年も呼び出されていた。


 理由はない。


 いつも通り。


 来い。


「もう少し文章覚えたらどうかな」


(短い方が伝わる)


「君、ゴイ擁護するの珍しいね」


(してないよ)


「じゃあ何」


(君が結局行くから、二文字で足りるって話)


「……嫌な合理性」


 青年は歩く。


 今日は最初から顔を隠していた。


 フード。


 その下。


 黒いマスク。


 頬。


 口元。


 鼻。


 ほとんど見えない。


(今日は完全装備)


「仕事だから」


(何の仕事)


「人前に出る仕事」


(昔は人前に出るために顔を作ってたのに)


「時代は変わるんだよ」


(君が変わってる)


「それも時代」


(無理あるね)


 右手。


 ポケットの中。


 指を開く。


 遅い。


 閉じる。


 さらに遅い。


 青年は。


 そのまま手を隠した。


 処置室前。


 マリは長椅子に座っていた。


 青年を見つける。


「あ」


「どうも」


「今日すごいね」


「何が」


「怪しさ」


「完成度上がった?」


「顔ほとんど見えない」


「プロだから」


「何の?」


「隠す方」


「またそれ」


 マリは笑う。


 けれど。


 その笑顔の右側。


 少しだけ。


 遅れた。


 青年の目が。


 そこへ止まる。


「……増えた?」


 マリ。


 頬へ触れる。


「分かる?」


「うん」


「メリカには内緒」


「もう見つかってるでしょ」


「……昨日」


「やっぱり」


「怒られた」


「何て?」


「次は一緒に行くって」


「いいじゃん」


「嫌」


「何で」


「絶対ゴイに喧嘩売るから」


 青年が小さく笑う。


「それは見たいな」


「止めてよ」


「僕?」


「あなたしか止められそうな人いない」


「評価高いなあ」


(無理だと思う)


「君は黙って」


「またいるの?」


「いるよ」


「今日は何の話?」


(まだしてない)


「聞いてないって」


 マリが笑う。


 それから。


 青年のマスクを見る。


「ねえ」


「何」


「今日は」


 一拍。


「あなた、ちゃんとあなた?」


 青年の目が。


 止まった。


(返されたね)


「……ずるいなあ」


「いつも私に聞かせるから」


「聞かせてないでしょ」


「答えて」


 青年は。


 少し考える。


「多分」


「多分?」


「今日はそれで勘弁して」


 マリは。


 何も言わず。


 少しだけ頷いた。


 検査は。


 いつもより短かった。


 ゴイはマリの右手を見る。


 感覚。


 反応。


 視覚。


 聴覚。


 皮膚。


 形状。


 端末へ数字を入れる。


「進行している」


 マリが頬へ触れる。


「……前より?」


「そうだ」


「処置したら戻る?」


「一時的には」


「じゃあお願い」


 ゴイの指が止まる。


「必要ない」


 マリ。


 顔を上げる。


「え?」


「研究は終了した」


 青年。


 壁際。


 マスクの奥。


 目だけが動く。


「終了?」


 マリ。


「もう検査来なくていいってこと?」


「そうだ」


 少し。


 マリの顔が明るくなる。


「じゃあ、もうずっとメリカのところに――」


「好きにしろ」


 ゴイ。


 端末。


 見る。


 青年だけが。


 その続きを待っていた。


「……で」


 声。


 低い。


「処置は?」


「行わない」


 マリの笑顔が。


 止まる。


「え?」


「必要なデータは得た」


 ゴイは変わらない。


「これ以上、形状維持処置を継続する必要はない」


 静かだった。


 機械の音だけ。


「待って」


 マリ。


 頬へ触れる。


「でも」


「何だ」


「これ」


 欠けた場所。


「このまま?」


「進行する」


「また前みたいに直せるんでしょ?」


「可能だ」


「じゃあ」


「行わない」


「……何で」


「必要がない」


「あるよ」


 マリの声が。


 少し強くなる。


「私にはあるよ」


「研究上はない」


 青年の右手。


 ポケットの中。


 握られる。


「ゴイ」


「何だ」


「それ」


 青年は。


 マスク越し。


 笑わなかった。


「今まで何のために直してた?」


「実験を継続するためだ」


「じゃあ」


「実験は終了した」


「だから壊れても」


「問題ない」


 マリが。


 小さく息を吸う。


「……問題ない?」


「データ取得は完了している」


「私が」


 一拍。


「こうじゃなくなっても?」


「研究結果には影響しない」


 マリの目。


 揺れる。


「マリじゃなくなっても?」


 ゴイは。


 ほんの一瞬。


 考えた。


「定義に意味がない」


 青年の目が。


 細くなる。


「あるよ」


 マリが言った。


 ゴイを見る。


「私には」


 返事はない。


「どれくらい?」


「不明」


「今日?」


「可能性はある」


「明日?」


「可能性はある」


「一週間?」


「維持確率は低い」


 マリ。


 右手を見る。


 指先。


 まだ。


 ちゃんと指だ。


「最後は」


 喉。


 少し。


 詰まる。


「どうなるの」


「組織統合が破綻する」


「分かんない」


「現在の形状を維持できなくなる」


「もっと」


「崩壊する」


 短い。


 それだけ。


 青年は。


 壁から背を離した。


「もういい」


 ゴイ。


 青年を見る。


「何がだ」


「質問」


 青年はマリを見る。


「帰ろ」


「……」


「メリカ待ってるでしょ」


 マリ。


 少しだけ。


 頷く。


 廊下へ出る。


 マリは。


 いつものようには歩かなかった。


 ゆっくり。


 自分の足を確かめるように。


「ねえ」


「うん」


「研究終わったんだよね」


「うん」


「もう来なくていい」


「うん」


「メリカのところにずっといられる」


「うん」


「……良かったよね」


 青年。


 返事。


 少し遅れる。


「良かったこともある」


「言い方」


「全部一個にしなくていいよ」


「何それ」


「僕の趣味」


 マリは。


 少し笑う。


「良かった」


「うん」


「怖い」


「うん」


「帰りたい」


「うん」


「見られたくない」


「うん」


「全部?」


「全部」


「矛盾してる」


「人間だね」


「私、人間?」


「またそれ?」


「だって」


 マリは。


 自分の手を見る。


「作られたし」


「うん」


「終わったら直してもらえないし」


「うん」


「道具みたい」


 青年。


 歩み。


 少し遅くなる。


(似てる)


「黙って」


「何?」


「悪い友達」


(今は言わせて)


「嫌だ」


(君もそうだった)


 青年の目が。


 僅かに揺れる。


(必要な顔)


(必要な声)


(必要な立場)


(必要な嘘)


(使える間は使われる)


「……」


(使えなくなったら?)


「黙れって」


 マリが。


 青年を見る。


「怒ってる?」


「ちょっとね」


「誰に」


「昔話の登場人物」


「また神話?」


(そうだね)


「今日は何」


 マリが聞く。


 青年は。


 しばらく答えなかった。


 それから。


「何にでもなれた男」


「前も聞いた」


「うん」


「鳥」


「なった」


「魚」


「なった」


「女」


「なった」


「馬」


「そこ詳しく聞かない約束」


 マリ。


 少し笑う。


「便利だね」


「そう見える?」


「だって何にでもなれるんでしょ」


 青年。


 前を見る。


「必要ならね」


(必要とされる形に)


「……」


(誰かを助ける形に)


「うん」


(誰かを騙す形に)


「うん」


(逃げる形に)


「うん」


(壊す形にも)


 青年は。


 少し笑う。


「忙しい人だ」


(でも)


 声。


 静かになる。


(その男が、自分の好きな姿を選んだ話は、あまり残ってない)


 青年の歩み。


 止まる。


「……嫌な話だな」


「何て?」


 マリ。


「何でもない」


(必要なものになり続けたら)


「やめろ」


(最後に)


「やめろって」


(自分が何だったか)


 一拍。


(分からなくなるかもしれないね)


 青年は。


 マスクの上から。


 自分の口元へ触れた。


 形。


 その下。


 何があるのか。


 今日は。


 確かめなかった。


 マリは。


 いつもの家へ帰った。


 扉を開ける。


「ただいま」


 すぐ。


 足音。


「マリ!」


 メリカ。


「遅い!」


「ごめん」


「連絡してって言ったでしょ!」


「忘れた」


「嘘」


「うん」


「何された?」


「検査」


「それだけ?」


「……うん」


 メリカは。


 頬を見る。


「増えてる」


「ちょっとね」


「ちょっとじゃない」


「大丈夫」


「大丈夫じゃない!」


 その声。


 マリは。


 少しだけ。


 嬉しかった。


 それが。


 余計に。


 苦しかった。


「ねえ」


「何」


「今日、ご飯私が作っていい?」


「駄目」


「即答」


「手、分かんないんでしょ」


「まだ分かる」


「でも」


「今日だけ」


「マリ」


「お願い」


 メリカ。


 止まる。


 長い。


 間。


「……隣にいる」


「いいよ」


「危なかったら代わる」


「いいよ」


「無理しない」


「はいはい」


「返事軽い」


 マリは。


 笑った。


「じゃあ決まり」


 包丁。


 少し。


 怖かった。


 握っている感覚。


 遠い。


 それでも。


 切る。


 メリカが。


 横から。


 何度も手を出しかける。


「見すぎ」


「見てない」


「見てる」


「危ないから」


「大丈夫」


「その大丈夫信用ない」


「怪しい人にも言われた」


「誰?」


「秘密」


「誰それ」


「友達」


 口にして。


 マリ。


 少しだけ。


 笑う。


 食卓。


 カップ。


 二つ。


 パン。


 一つ。


 マリは。


 手に取る。


 少し考えて。


 ぱき。


 半分。


 メリカへ差し出す。


「はい」


 メリカ。


 止まる。


「……何」


「覚えてる?」


「何を」


「最初」


 半分のパン。


 何もなかった頃。


 何もできなかった頃。


 それでも。


 見つけた。


「忘れるわけないでしょ」


「そっか」


「どうしたの急に」


「別に」


「変」


「うん」


 マリは笑う。


「今日は変でいい」


「ねえ」


 食事の途中。


 マリが言った。


「何?」


「私」


 一拍。


「かわいい?」


 メリカが。


 目を丸くする。


「……何それ」


「いいから」


「かわいいよ」


「本当?」


「本当」


「どこが?」


「全部」


「雑」


「じゃあ」


 メリカ。


 少し考える。


「笑った時」


 マリ。


 笑う。


「今?」


「うん」


「そっか」


 笑ったまま。


 涙。


 一つ。


 落ちる。


「マリ?」


「嬉しかった」


「何で泣くの」


「嬉しいから」


 メリカの手。


 頬へ触れる。


 マリ。


 逃げない。


「……冷たい」


「そう?」


「マリ」


「大丈夫」


「それ言うの禁止」


「じゃあ」


 マリは。


 メリカの手へ。


 自分の手を重ねる。


「今日はここにいる」


 メリカの顔。


 少し。


 和らぐ。


「明日も」


「……」


「明後日も」


「……」


「ずっと」


 マリは。


 笑った。


「うん」


 嘘だった。


 夜。


 メリカが眠る。


 マリは。


 隣で目を開けていた。


 音。


 遠い。


 呼吸。


 かすか。


 触れる。


 髪。


 感触。


 ほとんどない。


 右手。


 見る。


 指先。


 白く。


 ひび。


 ぱら。


 欠ける。


「……」


 頬。


 触る。


 落ちる。


 肩。


 僅かに。


 形が揺れる。


 もう。


 始まっている。


 マリは。


 眠るメリカを見る。


 今日。


「かわいい」


 と言ってくれた。


 笑った時。


 かわいいと。


 まだ。


 その顔。


 ある。


 マリは。


 目を閉じた。


 翌日。


 メリカが物資を取りに出た。


「すぐ戻るから」


「うん」


「絶対外出ないで」


「分かった」


「本当に?」


「本当」


「何かあったら連絡」


「はいはい」


「返事軽い」


「早く行って」


「……行ってきます」


「行ってらっしゃい」


 扉。


 閉まる。


 足音。


 遠ざかる。


 マリ。


 一人。


 静か。


 右手。


 見る。


 昨日より。


 悪い。


 袖を捲る。


 腕。


 皮膚。


 ところどころ。


 輪郭が。


 崩れている。


「……やだな」


 ぽつり。


 その時だった。


 コン。


 窓。


 音。


 マリ。


 振り向く。


 外。


 人影。


 黒。


 フード。


 そして。


 マスク。


 顔は。


 何も見えない。


 マリの目が。


 少し。


 丸くなる。


「……怪しい人」


 窓の向こう。


 青年が。


 片手を上げた。


 裏口。


 マリが開ける。


「何してるの」


「仕事」


「嘘」


「半分」


「今日はどっち」


 青年。


 マスクの奥。


 少し黙る。


「見に来た」


「何を」


「君」


「ゴイに言われた?」


「違う」


「じゃあ何で」


「来たかったから」


 マリ。


 何も言わない。


 青年も。


 それ以上。


 誤魔化さなかった。


「入る?」


「外でいい」


「怪しいから?」


「プロだから」


「何の」


「君、それ好きだね」


「毎回答え違うから」


 青年は。


 少し考える。


「今日は」


 マスクへ。


 指。


「顔を見せない方」


 マリ。


 青年を見る。


「本当に見せないね」


「うん」


「前より?」


「うん」


「悪い?」


「……うん」


 初めて。


 素直に。


 答えた。


 マリの目が。


 少し柔らかくなる。


「そっか」


「君は?」


「悪い」


「知ってる」


「見て」


 マリが。


 頬を隠していた髪を。


 どける。


 青年の目。


 僅かに。


 揺れる。


 頬。


 かなり。


 欠けている。


 右側の輪郭。


 時々。


 違う形へ。


 沈む。


 戻る。


「今日」


 マリ。


「ちゃんとマリ?」


 青年は。


 長く。


 見る。


「うん」


「嘘?」


「違う」


「本当?」


「本当」


 マリ。


 安心したように。


 息を吐く。


「良かった」


(昔ね)


 声。


 頭の奥。


 青年の目が。


 僅かに動く。


「今?」


(今だから)


 マリ。


 首を傾げる。


「友達?」


「うん」


「今日は何の話?」


「……何にでもなれる男」


「またその人」


(その男は)


 声。


 穏やか。


(必要な形に、何度もなった)


「聞いたよ」


(でも)


 青年は。


 黙る。


(ある時)


(一番大事な人の前へ)


(一番酷い姿で出なければならないこともあった)


 青年。


 少しだけ。


 目を閉じる。


「それ、神話?」


(昔話)


「逃げた」


(君に似た)


「……」


 マリが。


 青年を見る。


「何て?」


「嫌な話」


「いつもじゃん」


(でもね)


 声。


 静か。


(形って)


(誰かに見せるためだけのものじゃない)


 青年の目。


 開く。


(自分で最後に)


(これがいいって選んでも)


(いいんじゃない)


「……」


 青年は。


 返事をしなかった。


 マリは。


 壁へ背を預ける。


「私ね」


「うん」


「メリカに見られたくない」


「……うん」


「これから」


 自分の腕。


 見る。


「もっと酷くなるんでしょ」


「うん」


「多分」


 笑う。


「もう歩けなくなる」


「うん」


「見えなくなるかも」


「うん」


「喋れなくなるかも」


「……うん」


「それでもメリカ」


 一拍。


「全部やるって言うと思う」


 青年。


 黙る。


「私が何もできなくても」


「うん」


「きっと」


 マリの声。


 小さくなる。


「それでも嬉しそうにする」


「必要とされるから?」


「多分」


「……」


「でも」


 マリ。


 すぐ。


 続ける。


「それだけじゃないよ」


「分かってる」


「本当に優しい」


「うん」


「本当に私のこと好き」


「うん」


「だから」


 涙。


 一つ。


「見せたくない」


 青年は。


 近づかない。


 肩も抱かない。


 慰めもしない。


 ただ。


 そこにいる。


「今日」


 マリ。


「かわいいって言ってくれた」


「メリカが?」


「うん」


「どこが」


「笑った顔」


 マリ。


 小さく。


 笑ってみせる。


「まだ?」


 青年の目。


 少し。


 細くなる。


「まだ」


「そっか」


 マリは。


 自分の頬へ触れる。


「私ね」


 少し。


 間。


「メリカにとって」


 笑う。


 でも。


 声は震える。


「かわいいお人形のマリでいたいの」


 青年の呼吸。


 止まる。


(イース)


「……」


(聞いて)


「分かってる」


(違う)


 声。


 珍しく。


 強い。


(ちゃんと聞け)


 青年の目。


 マリへ。


 戻る。


 マリ。


 まっすぐ。


 見ている。


「あなたなら」


「……何」


「分かる?」


「何を」


 マリ。


 自分の顔を。


 指先で。


 そっと。


 なぞる。


「自分の顔じゃなくなるの」


 一拍。


「怖いって」


 青年は。


 答えなかった。


 マスクの下。


 今日の自分の顔。


 何になっているのか。


 自分でも。


 知らない。


 マリ。


 その沈黙を見る。


「……やっぱり」


「何が」


「あなたもなんだ」


 青年は。


 否定しなかった。


(昔ね)


「今はやめて」


(最後だけ)


「……」


(何にでもなれる男がいた)


 青年。


 目を伏せる。


(鳥にも)


(魚にも)


(女にも)


(獣にも)


(必要なら、何にでも)


「うん」


(だから)


 声。


 静か。


(最後くらい)


 一拍。


(好きな形を選ばせてやっても)


(いいんじゃない)


 青年の右手。


 震える。


 袖の中。


 握る。


 マリ。


 それを見る。


「ねえ」


「……何」


「お願いしていい?」


「内容によるよ」


 いつもの。


 軽い言い方。


 でも。


 声は。


 軽くなかった。


 マリが。


 少し笑う。


「嘘」


 青年。


 長い。


 沈黙。


「……うん」


 マリは。


 青年を見る。


 まだ。


 ちゃんと。


 マリの顔。


「この姿のまま」


 青年の指。


 止まる。


「殺して」


 夜ではない。


 銃声もない。


 誰も命令していない。


 ゴイも。


 メリカも。


 ここにはいない。


 ただ。


 二人だけだった。


 青年は。


 しばらく。


 何も言えなかった。



第三十六章 かわいいまま


 青年は、しばらく何も言わなかった。


 マリも急かさない。


 風が通る。


 家の中からは、生活の音がまだ残っていた。


 時計。


 冷蔵庫。


 どこかの配管。


 メリカが帰ってくれば、また扉が開く。


 いつものように名前を呼ぶ。


 きっと最初に、マリを探す。


「……嫌だな」


 青年が言った。


 マリは少し笑った。


「何が?」


「そのお願い」


「うん」


「僕、こういうのやらないんだよ」


「知ってる」


 青年の目が動く。


「知ってるの?」


「なんとなく」


「便利だなあ、そのなんとなく」


「あなた、人殺すの好きじゃなさそう」


「それは違う」


 青年は即座に否定した。


「好き嫌いじゃない」


「じゃあ?」


「必要がなければやらない」


「……同じじゃない?」


「全然」


 声はいつもの調子だった。


 でも。


 笑ってはいなかった。


「嘘で済むなら嘘を使う。誰かに選ばせれば済むなら選ばせる。別の出口があるなら、そっちを作る」


「うん」


「死んだら、その人もう選べないから」


 マリは自分の指を見る。


 白い亀裂。


 少しずつ。


 広がっている。


「でも私」


「うん」


「もう選んだよ」


 青年の言葉が止まった。


(聞いたね)


「……うん」


(本人の口から)


「聞いた」


(じゃあ)


「簡単に言うな」


(言ってないよ)


「君なら出来るからいいよな」


(何が)


「昔話に出来る」


 頭の奥の声は、しばらく黙った。


 青年が続ける。


「何百年とか、何千年とか経ったらさ」


 マリを見る。


「『ある女が死にたいと言った。ある男が殺した』で一行になる」


(そうかもね)


「便利だよ」


(君は嫌い?)


「嫌い」


(どうして)


「その一行になるまでが」


 青年は少し息を吐く。


「長いから」


 マリが。


 壁から背を離した。


 少しだけ。


 足元が揺れる。


 青年が手を出す。


 途中で。


 止める。


 マリは自分で立った。


「ねえ」


「何」


「マスク取らないの?」


「取らない」


「最後なのに?」


「だから」


「……そっか」


 マリは少し笑った。


「プロだもんね」


「そう」


「何の?」


 いつもの質問。


 青年は。


 少し考えた。


「今日は」


 マスクへ触れる。


「見送る方」


 マリの目が。


 ほんの僅かに揺れた。


「見送るんだ」


「……言い方変だったね」


「ううん」


 マリは首を振る。


「好き」


「何が」


「その言い方」


 ぱら。


 肩。


 欠ける。


 マリが自分の身体を見る。


「早いね」


「……うん」


「もう少しあると思ってた」


「僕も」


「嘘」


「半分」


「どっち?」


「もうちょっとあると思ってたのは本当」


 マリの右目。


 一瞬。


 形が崩れる。


 戻る。


 青年の手が。


 僅かに動く。


「……マリ」


「まだ?」


「まだ」


「ちゃんと?」


「ちゃんと」


「かわいい?」


 青年は。


 今度は迷わなかった。


「かわいいよ」


 マリが笑う。


「メリカと同じこと言う」


「光栄だね」


「嘘つきなのに」


「嘘つきだから、ここぞって時は本当のこと言うんだよ」


「ずるい」


「知ってる」


(昔ね)


 声がした。


 青年は目を閉じる。


「今度は何」


(光の神がいた)


「……」


(みんなに愛されてた)


 青年は何も言わない。


(母親は、世界中のものに誓わせた)


(この子を傷つけるな、と)


 マリが青年を見る。


「また神話?」


「うん」


「聞かせて」


 青年は少し迷う。


 それでも。


 話す。


「みんなに愛されてた男がいた」


「うん」


「母親がね、世界中に頼んだんだって。この子を傷つけないでって」


「優しいね」


「……そうだね」


「それで?」


「石も」


「うん」


「鉄も」


「うん」


「病気も」


「うん」


「全部、約束した」


「じゃあ死なない?」


「一個だけ」


 青年の声。


 少し低くなる。


「小さすぎて、誓わせなくていいって思われたものがあった」


 マリ。


 黙る。


「それが?」


「残った」


「……死んだ?」


「うん」


「その男の人」


「うん」


「誰が殺したの」


 青年。


 答えない。


(言う?)


「……ある男が」


 ゆっくり。


「他の人の手を使った」


「自分では?」


「触ってない」


「じゃあ殺してないの?」


 青年の目。


 マリを見る。


「どう思う?」


 マリは考える。


「殺したと思う」


 青年。


 少しだけ笑う。


「僕も」


(珍しいね)


「何が」


(責任、取るんだ)


 青年の笑みが止まる。


「今日はね」


 青年は。


 ポケットから。


 小さな刃物を出した。


 マリの目が。


 それを見る。


 怖い。


 当然。


 分かる。


「やっぱり」


 青年が言う。


「やめてもいいよ」


 マリは首を振る。


「嫌」


「まだ戻れる」


「戻ったら」


 マリ。


 家を見る。


「メリカが帰ってくる」


「うん」


「見つかる」


「うん」


「私を直そうとする」


「……うん」


「全部自分でやる」


「うん」


「私が何もできなくなっても」


「うん」


「ずっと」


 声。


 震える。


「そばに置こうとする」


 青年は何も言わない。


「それ」


 マリ。


 涙。


「嬉しいんだよ」


「……」


「すごく」


 涙。


 もう一つ。


「だから嫌なの」


 青年の手。


 刃物。


 下がる。


「分かる?」


「……分かる」


 一拍。


 青年はすぐ言い直す。


「いや」


 マリが見る。


「分かった気になるのは嫌いだった」


「じゃあ?」


「似た怖さなら」


 青年のマスク。


 その下。


 何の顔か。


 本人にも分からない。


「知ってる」


 マリ。


 小さく笑う。


「それでいい」


「一つだけ」


 マリが言った。


「何」


「メリカには」


 声が細くなる。


「言わないで」


 青年。


 黙る。


「私が頼んだって」


「……どうして」


「絶対、自分のせいにするから」


「するね」


「でしょ」


「でも」


 青年は。


 マリを見る。


「僕のせいにはなるよ」


「いいの?」


「よくない」


「じゃあ」


「でも」


 青年は。


 少しだけ。


 首を傾げる。


「僕、悪役慣れてるから」


 マリが笑った。


「プロ?」


「プロ」


「何の?」


「嫌われる方」


「それは嘘」


 青年の目。


 少し開く。


「何で」


「あなた」


 マリ。


 笑う。


「嫌われるの、結構傷つくでしょ」


 沈黙。


(当たり)


「……最後まで失礼だなあ」


「当たった?」


「半分」


「残り半分」


「企業秘密」


 遠く。


 足音。


 まだ。


 かなり遠い。


 けれど。


 青年には分かった。


 時間がない。


 マリも。


 家の方を見る。


「メリカかな」


「多分」


「早い」


「心配だったんじゃない」


「そっか」


 マリは。


 一度。


 深く息を吸う。


「ねえ」


「何」


「最後に聞いていい?」


「うん」


「今日」


 一拍。


「ちゃんとマリ?」


 青年は。


 彼女を見る。


 頬。


 欠けている。


 腕。


 崩れている。


 指。


 もう一本。


 形が保てない。


 それでも。


「うん」


 即答。


「ちゃんとマリ」


「そっか」


 マリ。


 笑う。


 あの日。


 メリカが言った。


 笑った顔。


 かわいい。


「よかった」


 青年は。


 一歩。


 近づいた。


 マリの肩へ。


 左手を置く。


 右手は。


 震えている。


 だから。


 左。


「怖い?」


 マリ。


 少し考える。


「うん」


「やめる?」


「やめない」


「……そっか」


 青年は。


 息を吐く。


 刃。


 位置。


 一度で。


 出来る場所。


 長引かせない。


 マリが。


 目を閉じる。


「怪しい人」


「何」


「名前」


「……」


「結局、教えてくれなかったね」


 青年の目が揺れる。


「そうだね」


「まあいいや」


「いいの?」


「うん」


 マリは。


 目を閉じたまま。


「覚えてるから」


 青年の手。


 止まる。


(イース)


「……」


 右手。


 震え。


 左手。


 肩。


「……もう」


 声。


 低く。


 軽口はなかった。


「頑張らなくていいよ」


 マリの口元。


 少し。


 笑う。


「うん」


 一滴。


 涙。


「ありがと」


 青年は。


 やった。


 誰かにやらせなかった。


 嘘も使わなかった。


 出口も作らなかった。


 本人の選択を。


 そのまま。


 自分の手で終わらせた。


 マリの身体から。


 力が抜ける。


 青年は。


 床へ落とさない。


 ゆっくり。


 抱える。


 座らせる。


 壁。


 背中。


 頬。


 まだ。


 形がある。


 まだ。


 マリだ。


「……」


(ポリシー)


「うん」


(破ったね)


「うん」


(後悔してる?)


 青年。


 答えない。


 マスク。


 顔。


 見えない。


「……後で考える」


(逃げた)


「うん」


 青年は。


 マリの髪を。


 一度だけ。


 整える。


「今日は」


 一拍。


「逃げさせて」


 足音。


 近い。


「マリ!」


 メリカ。


 声。


 青年は立つ。


 マスク。


 確認。


 フード。


 深く。


 顔。


 絶対に見せない。


(行く?)


「まだ」


(どうして)


「仕事」


(終わったよ)


「こっちは」


 青年は。


 マリを見る。


「まだ」


「マリ!」


 メリカが角を曲がる。


 止まる。


 床。


 マリ。


 その横。


 黒い男。


 顔。


 見えない。


「……マリ?」


 青年は。


 何も言わない。


「マリ!」


 メリカが走る。


 抱き起こす。


「マリ! ねえ!」


 軽い。


 また。


 あの日と同じ。


「何したの」


 青年。


 沈黙。


「何したの!」


「……楽にしただけだよ」


 メリカの顔。


 上がる。


「返して」


「メリカ」


「返してよ!」


 青年の目。


 僅かに動く。


「返せない」


「誰なの」


「……」


「何でマリを!」


 青年は。


 マスクの奥。


 呼吸を整える。


 プロ。


 顔を見せない。


 理由も。


 見せない。


 マリの願いも。


 言わない。


 そして。


 冷たい声を作る。


「この子は」


 一拍。


「偽物だよ?」


 時間が。


 止まった。


 メリカの目。


 開く。


 次の瞬間。


「そんなの前から知ってる!」


 青年の目が。


 ほんの僅かに。


 動いた。


「知ってるよ!」


 メリカ。


 マリを抱く。


「だって違ったもん!」


 声。


 震える。


「触った感じも!」


 一つ。


「声も!」


 二つ。


「仕草も!」


 三つ。


「全部!」


 涙。


「少しずつ違った!」


 青年。


 何も言わない。


「でも!」


 メリカ。


 マリを。


 さらに強く。


「偽物でもいいの!!!」


 青年の右手。


 袖の中。


 震える。


「喋れなくてもいい!」


 一つ。


「歩けなくても!」


 二つ。


「見えなくても!」


 三つ。


「聞こえなくても!」


 四つ。


「何もできなくてもいい!」


 青年は。


 聞く。


「私が全部やるから!」


「私が見るから!」


「私が聞くから!」


「私が決めるから!」


 その言葉。


 一つずつ。


 青年の中へ。


 落ちる。


(……)


 頭の奥。


 声すら。


 何も言わない。


 メリカ自身も。


 途中で。


 自分の言葉に。


 怯えた。


 それでも。


 マリを離さない。


「私のこと忘れてもいい!」


 涙。


「何も分からなくなってもいい!」


 抱く。


「ここにいてくれればいいの!」


 最後。


 小さく。


「お願いだから……」


 顔。


 マリの髪へ。


 埋める。


「もう誰も」


 一拍。


「いなくならないでよ……」


 青年は。


 長い間。


 何も言わなかった。


 マリが言っていた。


 きっと。


 全部やろうとする。


 何も出来なくなっても。


 それでも。


 そばに置く。


 そして。


 メリカは。


 本当に。


 そう言った。


 青年は。


 マスクの奥で。


 目を閉じる。


「……そっか」


 それだけ。


 メリカが顔を上げる。


 そこには。


 もう。


 黒い背中しかなかった。

第三十五章「処置終了」/第三十六章「かわいいまま」でした。

今回は、ずっと続いていた。

「本物か、偽物か」

という問いに。

マリとメリカが、それぞれ違う形で答える回です。

マリが最後に確認するのは。

「今日、ちゃんとマリ?」

青年は。

崩れた姿を見ても即答します。

「ちゃんとマリ」 KillerWorld_イース編_第35章_第36章

そして青年自身も。

今回は「最後の一手を本人に任せる」ことから逃げません。

マリはもう選んだ。

だから。

青年は初めて。

その選択を自分の手で引き受けます。

「ポリシー破ったね」

その通りです。 KillerWorld_イース編_第35章_第36章

最後のメリカの。

「偽物でもいいの!!!」

も。

偽物だと気づかなかったから愛したわけではありません。

違うと知っていた。

それでも。

マリをマリとして選んでいた。

今回の「ちゃんとマリ」は。

同じものかどうかではなく。

誰として存在し、誰として選ばれたのか。

そこに置いた言葉です。

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