KillerWorld ―イース編―「何にもなれない奴にも言える」
あらすじ
カルロスには、ほとんど何もしなくていい。
青年が外から言葉を置かなくても。
カルロス自身が。
人を見て。
比べて。
足りないものを探し。
自分へ足していく。
笑い方。
座り方。
声。
距離。
仕草。
誰かに選ばれるための要素を。
少しずつ。
自分へ移していく。 KillerWorld_イース編_第27章_第28章
青年はそれを見ながら。
休めると思っていた。
顔を使わなくていい。
誰かへ成り代わらなくていい。
ただ観察するだけ。
けれど。
静かな時間が増えるほど。
青年自身の異変も。
よく見えるようになる。
右手の感覚。
口元。
声。
昨日使った顔。
毎朝。
自分が自分かどうかを。
確認しなければならない。
そして。
ふと。
青年は言う。
「いつまで僕なんだろうね」 KillerWorld_イース編_第27章_第28章
そんな青年へ。
頭の奥の声は。
昔話をする。
強い男が。
猫を持ち上げられず。
老婆との相撲にも負けた話。
けれど。
猫の正体は。
世界を囲む大蛇。
老婆の正体は。
誰も勝てない「老い」。
男は負けた。
それでも。
大蛇を浮かせ。
老いを相手に。
片膝しかつかなかった。
「負けたから弱かったわけじゃない」
「片膝で済んだなら、結構すごいんじゃない」
青年は。
右手を見ながら。
「僕も片膝で済めばいいね」
と答える。 KillerWorld_イース編_第27章_第28章
しかし。
休めるはずだった翌朝。
ゴイが来る。
カルロスは。
すでに最終段階。
残り差分は。
一。
ゴイが命じる。
「最後の選択肢だけ与えろ」
青年は。
休みたかった。
顔も使いたくなかった。
それでも。
仕事用の顔を作る。
なぜなら。
「仕事って言葉」
は。
怖くても。
嫌でも。
自分が何なのか分からなくても。
進む理由になるから。
そして青年は言う。
「まだ立ってる」 KillerWorld_イース編_第27章_第28章 KillerWorld_イース編_第27章_第28章
一方。
カルロスは。
最後まで。
自分で自分を削り続ける。
残り差分。
一。
最後に残ったのは。
元の自分。
甘いものが好きだった。
静かな方だった。
話す前に考えた。
兄が選ばれると嫌だった。
でも。
兄が褒められると少し嬉しかった。
マースが嫌いだったわけではない。
だからこそ。
苦しかった。
その最後の差分すら。
カルロスは。
消そうとしていた。 KillerWorld_イース編_第27章_第28章
青年は。
すぐには近づかない。
カルロスが。
自分で答えを出すまで待つ。
そして。
その答えを。
もう一度。
自分で選ばせる。
ゴイが欲しいのは。
結果。
でも。
青年が欲しいのは。
選択。 KillerWorld_イース編_第27章_第28章
何と声をかけるか。
青年は何度も考える。
『完成したね』
違う。
『もう足りないものはない』
違う。
『誰にでもなれる』
強すぎる。
『カルロスじゃなくてもいい』
露骨すぎる。
最後に残った一言。
『何にでもなれるね』
青年は。
その言葉を嫌う。
なぜなら。
自分にも。
刺さるから。 KillerWorld_イース編_第27章_第28章 KillerWorld_イース編_第27章_第28章
やがて。
カルロスは。
残り差分。
ゼロ。
名前を呼ばれても。
自分のことだと分からない。
泣いているジョナを前に。
兄の声。
マースの距離。
ジョナ自身の共感。
全部を組み合わせ。
「正しい」反応を作る。
でも。
ジョナは言う。
「……違う」
青年には。
その理由が分かる。
全部合っている。
それでも違う。
「人間だから」
「足し算じゃないんだよ」 KillerWorld_イース編_第27章_第28章
そして。
青年はようやく。
カルロスへ近づく。
怒りも。
嫉妬も。
悲しみも。
名前も。
好きだったものも。
嫌いだったものも。
もう。
何も残っていない。
そんなカルロスの耳元へ。
青年は。
命令でもなく。
否定でもなく。
祝福にすら聞こえる声で。
一言だけ置く。
「何にでもなれるね」
何も残っていないから終わり。
ではなく。
何も残っていないから。
何にでもなれる。
その意味だけを。
青年は置いた。 KillerWorld_イース編_第27章_第28章 KillerWorld_イース編_第27章_第28章
仕事が終わったあと。
青年は。
その言葉を嫌う理由を口にする。
「何にでもなれるって」
「何にもなれない奴にも言えるから」
そして。
頭の奥の声から。
聞かれる。
「君は?」
「何になりたい?」
青年は。
答えられない。
最後に。
冗談のように言う。
「……カルロスより先に」
「僕の方が、その質問に答えられなくなるかもね」
頭の奥の声は。
笑わなかった。
# 第二十七章 片膝
カルロスには、本当にほとんど何もしなかった。
最初の数日は、学校の外から見るだけだった。校舎の向かいの店。駅のホーム。帰り道の反対側。
顔を変える必要すらない距離。
人の流れに混じり、カルロスが誰を見ているかだけを拾う。
以前なら、そこから一つか二つ言葉を置いた。
マースを褒める誰か。
ジョナの反応を意識させる誰か。
兄との差を口にする知らない人間。
一人混ぜるだけで、カルロスはもっと速く進んだだろう。
でも。
必要なかった。
カルロスは自分で見つける。
誰が先に名前を呼ばれた。
誰の冗談で人が笑った。
誰が困っている人へ自然に手を伸ばした。
そのたびに。
自分を見る。
足りない。
次の日には。
少し似ている。
青年は道路の向こうからそれを眺めた。
「……楽だね」
(喜んでいいの?)
「楽な仕事なんだから喜ぶでしょ」
(違う意味で)
「知らない」
カルロスが友人と笑う。
青年の目が細くなる。
昨日までと。
笑い方が。
違う。
「また増えた」
(何が)
「誰か」
それ以上は言わなかった。
自分のことみたいだったから。
休める。
そう思っていた。
菅原の時のように、何人もの顔を短時間で使わなくていい。
学校へ潜り込まなくていい。
友人へ成り代わらなくていい。
人間関係を一人ずつ押して回らなくていい。
観察。
報告。
それだけ。
身体を使わなければ。
少しは。
戻る。
青年は本気でそう思っていた。
最初の朝。
目を覚ます。
白い天井。
右手。
動く。
感覚。
ある。
青年は小さく笑った。
「ほら」
(何)
「治ってきてる」
(昨日より?)
「多分」
起き上がる。
テーブルの水。
コップ。
掴む。
持ち上げる。
問題ない。
口へ。
「……冷た」
言ってから。
眉が動く。
触った瞬間には。
冷たいと。
思わなかった。
一秒もない。
でも。
口元へ運ぶ頃。
指先から。
冷たさが来た。
「……」
(治ってる?)
「寝起き」
(便利な言葉だね)
青年は水を飲む。
「ゴイみたいなこと言わないでよ」
洗面台。
鏡。
青年は一度だけ止まった。
今日は。
顔を変えていない。
昨夜と。
同じ。
分かる。
分かるのに。
確認する前から。
手が頬へ行った。
「……癖になってるな」
(何が)
「触るの」
(確認してる)
「違うよ」
(何を)
「寝癖」
(頬に?)
青年は鏡へ向かって笑う。
「うるさい」
口角。
左。
右。
ほんの僅か。
右だけ。
遅れる。
笑みが消える。
もう一度。
笑う。
今度は。
揃う。
「……寝起き」
(はいはい)
三日目。
青年は、自分の声で目を覚ました。
正確には。
自分が使っている声で。
目だけ。
開く。
さっき。
何か。
言った。
寝言。
多分。
(おはよう)
「……おはよう」
声を出す。
青年の眉が寄る。
違う。
誰。
もう一度。
「あー」
低い。
少し。
掠れている。
昨日。
駅。
一度だけ使った男。
店員へ話しかけるため。
作った声。
「……なんで」
(残ってる)
青年は喉へ手を当てる。
咳払い。
高さ。
戻す。
「これで」
いつもの声。
(戻った)
「寝てる間に喉が変になっただけ」
(顔使うと喉も変になるんだ)
「そういう日もある」
(初めて聞いた)
青年は少し笑う。
「僕も」
そのまま。
少しだけ。
笑い続けた。
笑っていないと。
今の会話が。
妙に。
現実になる気がした。
カルロスは進んでいた。
青年が何もしなくても。
ノート。
数字。
比較。
模倣。
以前は。
一人。
マース。
今は違う。
兄。
レオ。
ダリオ。
エミリア。
ニナ。
誰でもいい。
良いものを持つ人間。
選ばれる理由がある人間。
カルロスは見る。
覚える。
自分へ。
移す。
青年は教室の外から眺めた。
窓越し。
誰かが。
カルロスの名前を呼ぶ。
一度。
反応しない。
もう一度。
やっと。
顔を上げる。
青年の表情から。
冗談が消えた。
(今の)
「見た」
(君もあるね)
青年はすぐ。
「一緒にしないで」
(何が違うの)
「僕は呼ばれた名前が多すぎるだけ」
(あの子も増えてる)
「違う」
(何が)
青年は答えない。
カルロスが笑う。
その笑い。
誰かに。
似ている。
座る。
その座り方も。
別の誰か。
ペン。
持ち方。
また。
違う。
青年は目を細める。
「僕は」
一拍。
「役が終わったら返す」
(返せてる?)
息が。
一瞬。
止まる。
「……嫌なこと言うね」
(ごめん)
「謝るなら言わないでよ」
(でも)
青年はカルロスから目を離さない。
「分かってる」
一拍。
「だから見てる」
五日目。
仕事らしい仕事はなかった。
報告を一本。
対象の比較行動、継続。
模倣範囲、拡大。
自己呼称への反応、低下傾向。
介入、不要。
それだけ。
その日は早く戻った。
横になる。
眠る。
起きる。
また。
眠る。
身体だけなら。
確かに。
楽。
でも。
静かな時間が増えるほど。
気づくもの。
増える。
右手。
遅延。
声。
口元。
歩き方。
何より。
頭。
昨日。
誰の顔で外へ出た。
思い出すまで。
少し。
時間。
かかる。
青年は天井を見た。
「……まずいな」
(やっと言った)
青年は仰向けのまま。
「これさ」
(うん)
「壊れてく人間って」
少し。
笑う。
「意外と忙しいね」
(忙しい?)
「毎朝、自分が自分か確認して」
右手。
持ち上げる。
「動くか確認して」
頬。
「顔確認して」
喉。
「声確認して」
少し。
笑う。
「出勤前の点検項目増えすぎ」
(休んでるじゃん)
「休みの日の方が増えてるけどね」
青年も笑う。
声も。
笑う。
でも。
途中。
目だけ。
止まる。
「……これ」
(何)
青年の口元から。
笑みが。
消える。
「いつまで僕なんだろうね」
軽い。
冗談みたい。
それでも。
頭の奥の声は。
笑わない。
青年も。
次の冗談を。
言わない。
(昔さ)
青年は枕へ顔を沈める。
「また?」
(何)
「昔話」
(嫌?)
「内容による。最近、死とか滅亡とかばっかりだからね」
(今日は負けた話)
青年は顔を上げる。
「もっと嫌なんだけど」
(すごく強い奴がいた)
「もう嫌な予感する」
(本人も、自分が一番強いと思ってた)
「嫌いなタイプ」
(君も似てるよ)
「話やめる?」
(その男が、ある場所で試されるんだ)
青年は黙った。
止める気は。
最初から。
ない。
(最初に猫を持ち上げろって言われた)
青年の眉が上がる。
「……猫?」
(うん)
「強い奴に?」
(猫一匹)
「それ神話?」
(そう)
青年は少し笑う。
「急に規模小さくなってない?」
(でも持ち上がらなかった)
「弱いじゃん」
(片足しか浮かなかった)
「思ったより弱い」
(次に婆さんと相撲した)
青年は吹き出す。
「もういじめじゃん」
(負けた)
「何それ」
(笑うなよ)
「だって。強い奴どこ行ったの」
(最後に教えてもらった)
青年の笑いが少しだけ静かになる。
(猫は、世界を囲んでる大蛇だった)
青年の目が天井へ向く。
「……」
(あいつは、その蛇を地面から浮かせた)
一拍。
(婆さんは、老いだった)
「老い?」
(誰でも最後には負けるもの)
少しの間。
(でも、あいつは片膝をついただけだった)
部屋が静かになる。
青年は天井を見たまま。
「……詐欺じゃん」
(そうだね)
「猫って言ったんでしょ?」
(言った)
「婆さんって言った?」
(言った)
青年は笑う。
「最低」
(騙した側の話だからね)
「誰かさんみたい」
(君ほどじゃない)
青年は。
少しだけ。
今度は。
ちゃんと。
自分で。
笑った。
「それで?」
(終わり)
「え?」
(それだけ)
「教訓は?」
(ないよ)
青年は顔をしかめる。
「慰め下手だね、君」
(慰めてない)
「じゃあ何」
少し。
沈黙。
(強い奴でも)
声。
静か。
(勝てないものには負ける)
青年の笑みが消える。
(負けたから弱かったわけじゃない)
「……」
(片膝で済んだなら、結構すごいんじゃない)
青年は右手を見る。
指。
開く。
閉じる。
少し。
遅い。
「そっか」
(うん)
青年は布団へ顔を戻す。
「じゃあ」
一拍。
「僕も片膝で済めばいいね」
声は答えない。
青年も。
返事を待たなかった。
翌朝。
調子は。
悪くない。
右手。
動く。
声。
合っている。
鏡。
顔。
分かる。
青年は少し笑う。
「ほら」
(何)
「片膝」
(まだ何もしてない)
「縁起悪いなあ」
上着を取る。
今日は。
カルロスを見る必要もない。
昨日の報告で十分。
一日。
何もしなくていい。
青年は上着を椅子へ戻す。
「寝ようかな」
(今起きたばっかり)
「二度寝って最高じゃない?」
(仕事は)
「ない」
靴も脱ぐ。
ベッドへ。
一歩。
扉。
三回。
叩かれた。
青年は止まる。
「……」
(嫌な予感)
「僕も」
もう一度。
ノック。
青年は扉を見る。
「開いてるよ」
開く。
ゴイ。
青年は。
本当に。
一瞬だけ。
嫌な顔。
する。
ゴイが部屋へ入る前に。
消す。
「おはよう」
「行くぞ」
「どこに?」
「対象」
「……誰」
「カルロス」
青年は時計を見る。
次。
ゴイ。
「今?」
「今だ」
「僕、今日休みなんだけど」
「設定していない」
「気持ちの話」
「不要だ」
青年は少し笑う。
「休暇って概念知ってる?」
「必要ない」
「君、雇用主として最悪だよ」
「雇用関係ではない」
青年は肩を落とす。
「もっと最悪じゃん」
ゴイは笑わない。
「対象が最終段階へ入った」
青年の表情が変わる。
カルロス。
ノート。
比較。
名前。
「どこまで」
「自己認識の分離が進行している」
「残り差分は」
「一」
青年は黙る。
(もうそこまで)
「うん」
声には出さない。
ゴイ。
「最後の仕上げだ」
青年の目が僅かに細くなる。
「……僕が?」
「お前の担当だ」
「今までほとんど触ってないけど」
「だからだ」
「意味分かんないな」
「対象は自力で最終地点まで到達した」
ゴイは淡々と続ける。
「最後の選択肢だけ与えろ」
青年は笑った。
「本当に一滴だけ?」
「十分だ」
「僕もそう思う」
口では。
すぐ。
出た。
身体は。
動かない。
一秒。
二秒。
ベッド。
見る。
さっきまで。
戻ろうとしていた場所。
(嫌なんでしょ)
青年は答えない。
ゴイがいる。
靴。
履く。
上着。
取る。
ボタン。
一つ。
二つ。
三つ目。
右手。
止まる。
感覚ではない。
動く。
でも。
穴へ。
少し。
合わない。
一度。
外す。
もう一度。
入る。
ゴイは。
見ている。
青年は顔を上げる。
「何?」
「いや」
青年は笑う。
「珍しいね」
ゴイは答えない。
青年は鏡の前へ立つ。
今の顔では。
行かない。
選ぶ。
必要なのは。
カルロスが知らない男。
でも。
声だけ。
どこか。
聞いたことがある。
安心させない。
警戒させない。
最後に。
一つだけ。
言葉を置ける。
そんな顔。
頬。
顎。
目。
髪。
声。
作る。
途中。
右の口角が。
別の人間の形へ。
寄る。
指が。
反射で。
触れそうになる。
止める。
後ろ。
ゴイ。
見ている。
青年は触らない。
鏡を見たまま。
自分で。
戻す。
口角。
直る。
完成。
青年は振り返る。
「どう?」
もう。
さっきまでの青年はいない。
別の男。
姿勢。
視線。
声。
全部。
仕事用。
「問題ない」
「でしょ?」
青年は笑う。
完璧。
廊下。
ゴイが先。
青年が後ろ。
(嫌なんでしょ)
「嫌だよ」
頭の中だけ。
(休みたかった)
「寝たかった」
(顔、使いたくない?)
「今日はね」
(じゃあ断れば)
青年は前を歩くゴイを見る。
そして。
笑う。
「仕事だからね」
(そればっかり)
「便利なんだよ」
(何が)
青年は歩く。
「仕事って言葉」
一歩。
「怖くても」
一歩。
「嫌でも」
一歩。
「自分が何なのか分かんなくても」
一歩。
「やる理由になる」
(それ、強いの?)
青年は少しだけ考えた。
朝。
昔話。
猫。
蛇。
老婆。
片膝。
「知らない」
それから。
少しだけ。
笑う。
「でも」
前。
見る。
「まだ立ってる」
その頃。
カルロスは。
一人で。
ノートを開いていた。
残り差分。
一。
自分の名前。
もう。
ほとんど。
残っていない。
Carlos。
C。
本体。
修正対象。
旧個体。
最後に。
残った。
元の自分。
甘いものが好きだった。
静かな方だった。
話す前に考えた。
緊張すると。
左の親指へ触れた。
兄が選ばれると。
嫌だった。
でも。
兄が褒められると。
少し。
嬉しかった。
マースが嫌いではなかった。
だからこそ。
苦しかった。
それを。
カルロスは。
最後の差分として。
見ていた。
青年はまだ。
そこには。
いない。
ただ。
向かっている。
最後の一滴を。
置くために。
# 第二十八章 何にでもなれる
青年は、最後までカルロスへ近づかなかった。
ゴイから「仕上げ」と言われたあとも、それは変わらない。
学校へ潜り込まない。
友人の顔も使わない。
ジョナへ何かを吹き込まない。
マースを使って比較を煽ることもしない。
ただ。
見る。
カルロスが、自分で減っていくのを。
校舎から少し離れた建物の屋上。
昼。
低い雲。
風。
手すり。
冷えた金属。
青年はそこへ肘を置き、双眼鏡も使わず窓の向こうを眺めていた。
距離はある。
表情までは読めない。
でも。
誰が。
どこにいる。
誰が。
誰を見る。
それくらいなら。
分かる。
教室の端。
カルロス。
誰かが。
名前を呼ぶ。
一度。
反応しない。
二度目。
ようやく。
顔を上げる。
青年の目が細くなる。
「……もう名前まで来てる」
(ゼロになる?)
「多分」
(止めないの?)
青年は右手を手すりから離す。
「何で?」
(最後の仕上げなんでしょ)
青年は掌を見る。
動く。
握る。
開く。
感覚も。
ある。
ただ。
手すりの冷たさだけが。
皮膚から。
少し遅れて消える。
「最後ってさ」
(うん)
青年は窓の向こうを見る。
「早く入れればいいってもんじゃないんだよ」
(そうなの)
「詐欺と一緒」
少し笑う。
「相手がまだ疑ってる時に答え渡したら」
一拍。
「その答えを疑う」
(じゃあ)
青年の視線。
カルロスへ。
「自分で答えを出した後」
もう一拍。
「その答えを」
小さく。
「もう一回選ばせる」
* * *
その夜。
青年は机へ向かっていた。
照明。
紙。
カルロスの資料。
何も書かれていない白紙。
机の端。
小さな鏡。
青年はペンを取る。
右手。
まだ。
使える。
「……何て言おうかな」
(決めてなかったの?)
「一滴って難しいんだよ」
(いっぱい言う方が楽?)
「そりゃね」
紙へ。
一行。
『もう足りないものはない』
青年は見る。
数秒。
「違う」
線を引く。
次。
『完成したね』
また。
見る。
「これも違う」
消す。
(何が違うの)
「完成って言ったら」
一拍。
「終わっちゃう」
(終わらせるんじゃないの?)
青年はすぐ。
「違うよ」
ペン先。
机。
トン。
トン。
二度。
「ゴイが欲しいのは結果」
(君は?)
ペンが止まる。
「選択」
青年はカルロスの記録を見る。
兄。
ジョナ。
マース。
比較。
羨望。
模倣。
改善対象。
残り差分。
「カルロスは」
一拍。
「ずっと足りないと思ってた」
(うん)
「だから」
資料。
一枚。
「足してきた」
マース。
兄。
レオ。
ダリオ。
エミリア。
ジョナ。
「でも」
青年の視線。
鏡。
「ゼロになったら」
頬。
触れる。
「足す理由がなくなる」
(じゃあ終わり)
「普通ならね」
鏡には。
今日の仕事用の顔。
知らない男。
見覚え。
ある。
当然。
自分で作った。
それでも。
一瞬。
名前が。
出ない。
青年はすぐ視線を紙へ戻した。
「……終わらせちゃ駄目だ」
(どうして)
ペン先。
紙。
触れる。
「ゼロになったあと」
一拍。
「ゼロを」
もう一拍。
「自由だと思わせる」
書く。
『誰にでもなれる』
青年は読む。
眉が寄る。
「強すぎる」
(そう?)
「命令っぽい」
線を引く。
次。
『もう誰でもいい』
青年の顔が歪む。
「……最悪」
(君が書いたんだけど)
「知ってる」
椅子へ深く座る。
天井。
見る。
「違うんだよな」
(何が)
青年は目を閉じる。
「押したくない」
(最後の仕上げなのに?)
「最後だから」
一拍。
「カルロスが」
目を開く。
「自分で扉を開けるところまで行く」
(うん)
青年は。
紙を見る。
「僕は」
一拍。
「扉の向こう」
少しだけ。
声を落とす。
「広いよって言うだけでいい」
夜が深くなる。
青年はまだ。
同じ紙を見ている。
候補。
全部。
線。
『完成したね』
『もう足りないものはない』
『誰にでもなれる』
『好きな自分になれる』
『もう比較しなくていい』
『カルロスじゃなくてもいい』
最後。
一つ。
線。
ない。
青年はそこを見る。
(それ?)
「……多分」
(読む?)
「嫌」
(何で)
青年は少し笑う。
「刺さるから」
(誰に)
「僕に」
頭の奥。
黙る。
紙。
『何にでもなれるね』
青年は。
しばらく。
その文字を見る。
「便利な言葉だよね」
(褒めてる?)
「最低って意味」
(君が言うのに)
青年はすぐ。
「だからだよ」
立つ。
鏡。
見る。
今の顔。
青年は。
少し。
笑う。
「僕も」
一拍。
「何にでもなれる」
違う声。
出た。
青年の笑みが。
止まる。
喉へ。
手。
戻す。
「……はは」
(大丈夫?)
「今の面白くなかった?」
(全然)
青年は紙を折る。
「厳しいなあ」
ポケットへ。
入れる。
(使うの?)
「何を」
(その言葉)
「うん」
(自分にも?)
青年は扉へ向かう。
「僕には」
一度。
止まる。
「もう効いてるよ」
* * *
翌日。
カルロスは一人だった。
青年が着いた頃には。
もう。
ほとんど。
終わっている。
遠くからでも。
分かる。
歩き方。
誰か。
振り向き方。
別の誰か。
人の話を聞く目。
また。
違う。
青年は建物の柱へ背を預ける。
(すごいね)
「うん」
(君みたい)
青年は即座に。
「違う」
言った。
でも。
一拍。
遅れて。
「……違うよ」
(どこが)
青年は。
カルロスを見る。
少し考える。
「僕は最初から」
一拍。
「役だって知ってる」
(今も?)
青年の口が。
止まった。
返事。
しない。
カルロスは。
歩く。
青年は。
追わない。
「まだ」
小さく。
言う。
(何が)
「まだ僕は」
続き。
出ない。
* * *
夜。
ゴイから連絡。
短い。
「ゼロになった」
それだけ。
青年は壁へ背を預けていた。
「早いね」
『予定範囲内だ』
「何でも予定範囲だね、君」
『行け』
「今?」
『今だ』
青年は。
目を閉じる。
身体。
重い。
今日は。
何もしていない。
それでも。
重い。
(行きたくない?)
「……行くよ」
ゴイへは。
『了解』
それだけ。
歩く。
青年は何度も。
右手。
確認。
握る。
開く。
問題。
ない。
頬。
触れない。
触れたくなる。
でも。
やめる。
(今日は誰?)
「何が」
(顔)
「さっき決めたでしょ」
(聞いただけ)
青年の足が。
止まる。
顔。
今。
誰。
分かる。
分かる。
名前。
設定。
声。
全部。
「……びっくりさせないでよ」
(ごめん)
青年は少し笑う。
「本当に」
一拍。
「笑えないから」
* * *
カルロスは。
もう。
自分の名前へ。
反応しなかった。
ジョナ。
「カルロス」
反応。
ない。
もう一度。
「カルロス」
カルロスは。
首を傾げる。
音は。
知っている。
でも。
自分へ。
向けられている。
その感覚だけが。
ない。
青年は。
遠くから。
見る。
まだ。
近づかない。
カルロスは。
ジョナを見る。
泣いている。
だから。
理解しようとする。
悲しい顔。
なら。
こう。
兄の声。
マースの距離。
ジョナ自身の共感。
混ぜる。
「大丈夫?」
ジョナの顔が。
崩れた。
「……違う」
カルロスには。
分からない。
何が。
違う。
声。
合っている。
表情。
合っている。
距離。
言葉。
合っている。
青年には。
分かる。
「全部合ってる」
(なのに違う)
「うん」
(どうして)
青年は。
ほんの少しだけ。
笑った。
「人間だから」
一拍。
「足し算じゃないんだよ」
カルロスが。
倒れる。
ノート。
床。
開く。
最後のページ。
『残り差分:0』
青年は。
動かない。
周囲。
声。
人。
ジョナ。
名前。
呼ぶ。
カルロス。
カルロス。
青年は。
待つ。
(行かないの?)
「まだ」
(倒れたよ)
「知ってる」
(最後の一言)
「まだ届かない」
青年は。
カルロスを見る。
目。
閉じる。
呼吸。
ある。
身体は。
ここ。
でも。
意識。
どこか。
深く。
沈んでいく。
青年は。
それを。
待つ。
「もう少し」
カルロスは。
白い場所にいた。
青年には。
見えない。
そこで。
何を。
見た。
誰と。
話した。
知らない。
それで。
いい。
青年の仕事は。
そのあと。
音への反応。
ほとんど。
消える。
青年は。
初めて。
動く。
人の視線。
外れる。
位置。
角度。
自然に。
近づく。
顔を。
見せる必要。
ない。
名前も。
いらない。
覚えられる必要も。
ない。
むしろ。
覚えられない方が。
いい。
青年は。
カルロスのそば。
立つ。
靴。
トン。
トン。
止まる。
(今?)
「うん」
青年は。
カルロスを見る。
本当に。
何も。
ないように。
見えた。
怒り。
嫉妬。
悲しみ。
名前。
好きだったもの。
嫌いだったもの。
全部。
どこへ。
行った。
少なくとも。
本人には。
分からない。
「……へえ」
漏れた。
予定。
していない。
青年の顔。
少し。
苦い。
「本当に」
一拍。
「何も残ってないんだ」
(似てる?)
青年は。
答えない。
カルロスへ。
もう一歩。
耳元。
あと。
一言。
それだけ。
昨日。
紙。
思い出す。
『完成したね』
違う。
『もう足りないものはない』
違う。
『誰にでもなれる』
強い。
『カルロスじゃなくてもいい』
露骨。
最後。
一行。
青年は。
ほんの一瞬。
躊躇する。
(言わない?)
「言うよ」
(嫌なんでしょ)
青年は。
少し。
笑う。
「仕事だから」
(それ)
「便利だって言ったでしょ」
声を。
柔らかく。
命令ではなく。
否定でもない。
慰め。
可能性。
祝福にすら。
聞こえるように。
「なら」
ほんの少し。
間。
青年は。
カルロスへ。
そして。
自分自身へも。
言うように。
囁いた。
「何にでもなれるね」
それだけ。
青年は。
離れる。
名前。
教えない。
顔。
残さない。
説明。
しない。
何になれとも。
言わない。
誰を真似ろとも。
言わない。
カルロスは。
全部。
自分で。
やった。
青年が。
したのは。
ゼロの向こうへ。
意味を。
一つ。
置いた。
何も。
残っていない。
だから。
終わり。
ではなく。
何も。
残っていない。
だから。
何にでも。
なれる。
その解釈を。
一つ。
置いた。
* * *
外。
夜。
青年は。
一人。
歩く。
数十歩。
人。
いない。
そこで。
足。
止まる。
(終わったね)
「うん」
(楽だった?)
青年は。
少し。
考える。
「仕事はね」
(じゃあ何)
右手。
見る。
顔。
触れる。
今。
誰。
分かる。
まだ。
分かる。
「あの言葉」
(うん)
「嫌いだな」
(何にでもなれる?)
「うん」
(どうして)
青年は。
笑う。
夜道。
誰も。
いない。
「何にでもなれるって」
一拍。
「何にもなれない奴にも」
もう一拍。
「言えるから」
頭の奥。
黙る。
青年は。
少し。
笑みを。
深くする。
「便利でしょ?」
でも。
その笑顔。
少し。
崩れる。
(君は?)
「何が」
(何になりたい?)
青年は。
歩き出そうとして。
止まった。
「……」
長い。
沈黙。
答え。
出ない。
やがて。
肩を竦める。
「今度考えるよ」
(逃げた)
「プロだからね」
(関係ない)
「あるよ」
また。
歩く。
少し。
して。
青年が。
小さく。
言う。
「……カルロスより先に」
(何)
青年は。
前を。
見る。
「僕の方が」
一拍。
「その質問に答えられなくなるかもね」
冗談みたいな。
声。
頭の奥は。
笑わなかった。
第二十七章「片膝」/第二十八章「何にでもなれる」でした。
今回の二章は。
カルロスの話でありながら。
かなり強く。
青年自身へ返ってくる構成になっています。
カルロスは。
他人を見ます。
比較します。
良い部分を見つけます。
そして。
自分へ足します。
誰かの笑い方。
誰かの話し方。
誰かの距離。
誰かの反応。
そうやって。
少しずつ。
「選ばれる人間」へ近づこうとする。
でも。
足せば足すほど。
元のカルロスは減っていく。 KillerWorld_イース編_第27章_第28章
そして。
その様子を見ている青年も。
ほとんど同じ場所へ立っています。
青年は。
「僕は役が終わったら返す」
と言います。
他人の顔も。
声も。
癖も。
全部。
必要な時だけ借りている。
だからカルロスとは違う。
そう言いたい。
でも。
頭の奥の声から。
「返せてる?」
と聞かれる。
青年は。
すぐには答えられません。 KillerWorld_イース編_第27章_第28章
実際。
もう。
使った声が残る。
顔の動きが遅れる。
昨日どの顔を使ったか。
思い出すまでに時間がかかる。
だから。
青年は毎朝。
自分の点検をするようになっている。
手。
顔。
声。
記憶。
そこで出る。
「壊れてく人間って、意外と忙しいね」
という台詞は。
かなり青年らしいと思っています。
怖い。
でも。
怖いとは言いたくない。
だから。
冗談にする。
ただ。
その次に出る。
「いつまで僕なんだろうね」
だけは。
冗談で終わらない。 KillerWorld_イース編_第27章_第28章
そこで入るのが。
「片膝」の昔話です。
結果だけ見れば。
強い男が。
猫も持ち上げられず。
老婆にも負けた。
それだけ。
でも。
正体を知れば。
全く意味が変わる。
猫は。
世界を囲む大蛇。
老婆は。
老いそのもの。
つまり。
負けたという結果だけでは、その人間を測れない。
何を相手にしたのか。
どこまで抗ったのか。
そこまで見なければ。
意味は分からない。
これは。
ここまでゴイがやってきた。
観察。
測定。
分類。
固定。
そこへの。
また一つの返しになっています。 KillerWorld_イース編_第27章_第28章
そして青年は。
「僕も片膝で済めばいいね」
と言います。
ここで。
「勝ちたい」
とは言わない。
もう青年自身。
完全に無傷で終われるとは。
あまり思っていないのかもしれません。
ただ。
まだ。
立っている。
だから。
行く。
今回の二章タイトルをまとめるなら。
この「まだ立ってる」が。
第28章までずっと残っています。
そして。
第28章。
青年は。
最後の一滴を何にするか。
かなり悩みます。
ここが重要で。
ゴイは。
結果が欲しい。
カルロスが。
どうなるか。
そこだけ。
でも青年は。
結果だけでは足りない。
だから言う。
「ゴイが欲しいのは結果」
「君は?」
「選択」
青年は。
カルロス自身に。
扉を開けさせたい。
自分で。
ゼロまで行かせたい。
そのあと。
青年は。
扉の向こうに。
一つだけ意味を置く。
ここは。
青年がずっとやってきたことの。
かなり完成形です。 KillerWorld_イース編_第27章_第28章
ただし。
青年自身が選んだ言葉。
「何にでもなれるね」
これは。
青年にとって。
かなり嫌な言葉でもあります。
カルロスには。
希望に聞こえる。
何もなくなった。
だから。
自由になれる。
何にでもなれる。
でも。
青年にとっては。
違う。
青年自身も。
何にでもなれる。
顔も変えられる。
声も変えられる。
役も変えられる。
でも。
だからこそ。
「何になりたいのか」
という質問に。
答えられない。
これは。
かなり大きな違いです。
何にでもなれること。
と。
なりたいものがあること。
は。
同じではない。
青年自身も。
今回初めて。
その差へ。
かなり近づいています。 KillerWorld_イース編_第27章_第28章
そして。
カルロスがゼロになった場面。
ここで好きなのが。
ジョナとのやり取りです。
カルロスは。
泣いている相手へ。
必要な要素を組み合わせる。
声。
表情。
距離。
共感。
全部。
正しい。
それでも。
ジョナは。
「違う」
と言う。
青年は。
その理由を。
すぐ理解する。
「全部合ってる」
「なのに違う」
「人間だから」
「足し算じゃないんだよ」
ここは。
カルロスだけではなく。
作品全体にかなり近い言葉でもあります。
人間を。
要素へ分解して。
観察して。
正しく組み合わせれば。
同じ人間ができるのか。
答えは。
少なくとも。
この場面では。
違う。 KillerWorld_イース編_第27章_第28章
そして最後。
青年は。
自分が選んだ言葉を。
カルロスへ置きます。
「何にでもなれるね」
命令しない。
何になれとも言わない。
誰を真似ろとも言わない。
ただ。
「何もない」を。
「終わり」ではなく。
「可能性」として見せる。
ここだけ見ると。
優しい言葉です。
でも。
仕事が終わったあと。
青年自身が。
その言葉を壊します。
「何にでもなれるって」
「何にもなれない奴にも言えるから」
何にでもなれる。
それは。
自由かもしれない。
でも。
何にも決められない。
何にもなりたいと思えない人間にも。
同じ言葉は使える。
だから。
便利。
だから。
青年は嫌い。
そして。
頭の奥の声が。
青年自身へ返す。
「何になりたい?」
青年は。
答えられません。
カルロスは。
自分を削りすぎて。
自分が分からなくなった。
青年は。
他人になりすぎて。
自分が分からなくなっていく。
やり方は違う。
でも。
二人が向かっている場所は。
少しずつ。
近づいています。 KillerWorld_イース編_第27章_第28章
そして最後の。
「僕の方が、その質問に答えられなくなるかもね」
青年は。
冗談みたいに言っています。
でも。
頭の奥の声は。
笑わない。
今回の二章は。
カルロスの完成より。
むしろ。
青年自身の「自分」が。
どこまで残っているのか。
そこが。
かなり前へ出てきた回でした。




