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『KillerWorld ―七つ目の答え―』  作者: ザクロ
イース編

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22/57

KillerWorld ―イース編―「本人には言えないこと」

0を連れ出した翌日。

青年は逃げるどころか、何事もなかったように研究所へ戻る。

当然、ゴイはすべてを把握していた。

それでも青年はとぼけ、相手に答えを言わせ、最後まで自分の本心を明かさない。

「君が何も分かってないってこと」

0を「不要」と切り捨てたゴイへそう言い残した青年に、次の仕事が与えられる。

新たな対象は、ラドとネミティブ。

青年は二人を観察するうち、一つの遊びを思いつく。

ラドにはネミティブの顔で。

ネミティブにはラドの顔で。

本人には言えないことを、本人だと思った相手から聞き出す。

ラドは言う。

「お前が全部見えるわけじゃねえだろ」

ネミティブは言う。

「……困る」

互いをどう見ているのか。

何を認め、何を隠し、何を必要としているのか。

青年はその本音を知ってしまう。

そして。

二人の間に、自分が入り込める隙間があることにも。

# 第七章 戻る


研究所へ戻ったのは、翌日の昼だった。


逃げた人間が戻るには早すぎる。


だからこそ。


青年は地下の廃棄路でも、搬入口でもなく。


いつもの正面口を選んだ。


曇天の下。


研究所の外壁は鈍い灰色をしている。


窓らしい窓はほとんどない。


巨大な箱のような建物の上を、細い排気管だけが黒く這っていた。


扉の脇。


小さな監視レンズ。


青年はそこへ軽く手を振る。


「ただいま」


(帰ってきたね)


「家みたいに言うなよ」


(君が言った)


「僕は皮肉」


自動扉が音もなく開いた。


一歩。


中へ入る。


外の湿った風が切れた。


代わりに。


薬品。


金属。


乾いた空調の匂い。


鼻が覚えている。


天井から均等に落ちる白い灯り。


磨かれた床。


低く回り続ける換気設備。


ぶううん。


昨日まで。


何度も通った場所。


けれど。


0を外へ出した後では。


同じ廊下が少し違って見えた。


出口を知っている。


監視の位置も。


人の癖も。


地下の配管も。


どこから逃げられるかも。


全部知った。


その上で。


自分から戻ってきた。


青年は右手を握る。


ゆっくり開く。


一本。


二本。


三本。


四本。


五本。


全部動く。


痺れ。


ない。


右足。


床を踏む。


硬い。


分かる。


頭痛。


薄い。


鼻血。


ない。


舌を上顎へ押しつける。


口の中に残る薬の苦み。


ある。


「…………」


まだ。


戻ってこられた。


その事実に。


ほんの少し安心した。


それが。


気に入らなかった。


(怖い?)


「何が」


(怒られるの)


「子供じゃないんだけど」


(じゃあ)


一拍。


(治療してもらえなくなるのが)


足が。


ほんの一瞬だけ止まった。


右足。


感覚はある。


なのに。


前へ出ない。


「……嫌なこと言うね」


(当たってる?)


「黙ってて」


歩く。


一歩。


二歩。


いつもの歩幅へ戻す。


白い壁へ靴音が反響する。


角を曲がる。


人影。


青年の目が先に拾った。


壁へ寄りかかる男。


肩。


腕。


右足へ偏った重心。


昨日。


監視卓に座っていた男。


青年を認識した瞬間。


男の身体が変わった。


背中が壁から離れる。


右の眉だけが上がる。


肩が僅かに前へ出る。


息を吸う。


「お前」


青年は歩幅を変えない。


「こんにちは」


「……何で普通に来てる」


「来ちゃ駄目だった?」


「お前、昨日」


青年は首を傾げる。


「昨日?」


「ふざけんな。0を連れ出しただろ」


「僕が?」


「お前以外に誰がいる!」


声が白い廊下へ跳ねた。


奥まで。


一度。


二度。


薄く返ってくる。


青年は笑わなかった。


男を見る。


眉。


呼吸。


肩。


握った右手。


怒っている。


でも。


怒りだけじゃない。


目が。


青年の顔と。


その向こうの廊下を何度も往復している。


昨日。


自分が見たもの。


画面。


研究員。


0。


ゴイ。


矛盾。


まだ。


整理できていない。


青年はそこへ。


一つだけ。


言葉を置いた。


「見た?」


男の口が止まる。


「何を」


「僕が0を連れ出すところ」


「カメラに……」


「映ってた?」


一拍。


男の目が動いた。


右。


昨日。


監視画面があった方向。


「…………」


青年は待つ。


「じゃあ僕なんだ」


男の顔が歪んだ。


「何だ、その言い方」


「だって見たんでしょ?」


青年はほんの少しだけ首を傾ける。


「なら僕だね」


(認めた)


「認めてないよ」


(今の何)


「相手に言わせた」


頭の中だけで返す。


男が一歩近づく。


青年は動かない。


男の足が。


二歩目を出す前に止まった。


昨日。


見たものを。


まだ。


信じ切れていない。


「先生が待ってる」


「誰」


「ゴイだよ!」


「最初からそう言って」


青年は男の横を抜ける。


肩と肩の間。


触れない程度。


近い。


男の視線が背中へ刺さる。


「逃げないのか」


青年は歩いたまま答える。


「何で?」


「……」


「僕、呼ばれたんでしょ」


角。


「なら行くよ」


振り返らなかった。



* * *



研究室の扉は開いていた。


青年は入口で一度止まる。


いつもの部屋。


白い灯り。


机。


紙。


ガラス。


針。


容器。


薬品の匂い。


配置は。


前回来た時とほとんど同じ。


ゴイは机へ向かっている。


白衣。


背筋。


ペンを持つ右手。


こちらを見ない。


青年の視線が。


壁際の棚へ滑った。


透明な容器。


番号。


白濁した液体。


その中。


何か。


見ない。


青年は視線を外した。


「呼んだ?」


「入れ」


「機嫌悪そう」


「入れ」


「はいはい」


部屋へ入る。


背後。


扉。


かち。


小さな音。


青年の肩が。


ほんの僅かに固くなる。


閉じた。


それだけ。


なのに。


空気が一段重くなった気がした。


ゴイは書類から目を上げない。


「0が消えた」


「へえ」


青年は机の前まで歩く。


「大変だね」


ペン先が止まった。


音も。


止まる。


「お前がやった」


「何を」


「連れ出した」


「証拠は?」


「ある」


青年は椅子を引いた。


脚が床を擦る。


ぎ。


座る。


背もたれへ身体を預ける。


足を組む。


「じゃあ僕だね」


ゴイの目が。


初めて上がった。


「……何だ、その答えは」


「証拠あるんでしょ」


青年は肩をすくめる。


「だったら聞く意味ないじゃん」


「確認している」


「何を」


「お前がどう答えるかだ」


青年の口元が上がる。


「趣味悪いね」


「お前に言われたくない」


「それはそう」


(怒ってる)


頭の奥。


声が少し楽しそうに言う。


青年はゴイの目を見る。


「見れば分かる」


(君は平気そう)


「平気な顔してるだけ」


膝の上。


右手。


親指の爪が。


掌へ少し食い込んでいる。


青年はそれに気づいて。


力を緩めた。


遅い。


ゴイの視線は。


一度。


そこを通っている。


「何故だ」


「何が」


「0を連れ出した理由だ」


「僕が?」


「とぼけるな」


「とぼけてないよ」


青年は少しだけ身を乗り出した。


「仮に僕だったとして」


一拍。


「何でだと思う?」


「質問しているのは私だ」


「僕、詐欺師だから」


「関係ない」


「あるよ」


肘を膝へ置く。


「相手が答え持ってる時に」


ゴイを見る。


「こっちから正解言うの、損じゃん」


ゴイは黙った。


青年も。


黙る。


換気設備の低い音。


じ。


天井の灯り。


紙の端が。


空調で僅かに震える。


以前なら。


沈黙は。


相手が耐えられなくなるまで置くものだった。


0と会ってから。


少し変わった。


答えが出るまで。


待つ。


同じ行為。


でも。


使い方は。


まるで違う。


しばらくして。


ゴイが言った。


「情が移った」


青年の笑みは消えない。


「それだけ?」


「0へ選択させることに意味を見出した」


ゴイの目は青年から動かない。


「自分の意志で外へ出るか確認したかった」


「かなり僕っぽいね」


「否定するか」


「別に」


青年は椅子へ深く座り直す。


「面白い答えだと思う」


「正解か」


「どうだろう」


ゴイの声が低くなる。


「お前は私を試しているのか」


「違うよ」


「なら何だ」


青年は一度。


ゴイの後ろを見る。


棚。


番号だけの容器。


途中だった何か。


失敗した何か。


もう。


名前を必要としない何か。


「君が」


青年は視線を戻した。


「どこまで分かってるか知りたいだけ」


「…………」


「ほら」


青年は笑う。


「僕ら、似てるよね」


ゴイの眉間が僅かに寄る。


「不愉快だ」


「僕も」


(似てる)


「お前まで言うな」


頭の奥で。


声が笑った。


ゴイは机の横から紙を一枚取る。


青年の前へ。


滑らせる。


紙が。


机を擦る。


青年の指先で止まった。


0。


観察記録。


青年は持ち上げる。


文字を追う。


「生体適応、良好」


一行。


「因子安定」


次。


「精神干渉、極小……」


そこで。


目が止まる。


「自我衝突、観測されず」


さらに下。


「欲求反応、著しく低い」


一拍。


「選別評価……不能」


青年は。


紙を見たまま動かなかった。


青。


小さい硬貨。


甘い菓子。


風。


閉めてほしいと言った窓。


外。


行きます。


全部。


紙にはない。


「……だから捨てる?」


「不要と判断した」


「同じことだよ」


「違う」


「君の中ではね」


ゴイは変わらない。


「0は何も返さない」


青年の指が。


紙の端を少し強く摘まむ。


「返してたよ」


「測定上は」


「青を選んだ」


「無意味だ」


「軽い方を選んだ」


「無意味だ」


「甘いの」


青年の声が。


少しだけ速くなる。


「もう一個欲しがった」


「無意味だ」


「寒いって言った」


「無意味だ」


青年の口が止まった。


紙の端に。


小さな皺が入っている。


それを見て。


指を緩める。


胸の奥。


熱い。


大きくはない。


でも。


消えない。


「……そう」


青年は紙を机へ戻した。


「君には」


ゴイを見る。


「全部無意味なんだ」


「選別に寄与しない」


「うん」


「だから不要だ」


「分かった」


ゴイの眉が。


僅かに動く。


「何が」


青年は立った。


椅子が。


僅かに後ろへ滑る。


「君が」


一拍。


「何も分かってないってこと」


「何を」


青年は答えない。


扉へ向かう。


一歩。


二歩。


「待て」


足が止まる。


青年の右手が。


扉の取っ手へ届く前。


「治療は続ける」


青年は振り返らない。


「ただし、次はない」


ゆっくり。


顔だけ戻す。


「何が」


「私の指示に背けば」


ゴイの声は。


最初から最後まで変わらない。


「お前の崩壊を遅らせる理由がなくなる」


青年は笑おうとした。


口角は上がる。


でも。


いつもの高さまで届かない。


「脅し?」


「条件だ」


「言い方変えただけじゃん」


「受けるか」


喉が乾いた。


青年は唾を飲む。


その感触まで。


妙に大きい。


(断る?)


返さない。


(君)


少し間。


(死にたくないんでしょ)


右手。


指先。


震えた。


一度。


青年は握る。


見えないように。


「受けるよ」


笑う。


「だって」


一拍。


「死にたくないし」


ゴイは青年を見る。


目。


口。


喉。


握った手。


全部。


「なら働け」


「はいはい」


「次の対象がある」


青年の目が。


僅かに動く。


「誰」


ゴイが机へ。


二枚の写真を置いた。


一枚目。


年上。


粗い笑顔。


誰かの肩へ腕を回している。


写真の中ですら。


身体が他人の側へ開いている。


「ラド」


ゴイが指す。


青年の目が。


もう一枚へ移る。


若い。


人との距離は少し遠い。


けれど。


目だけが。


写真の外まで見ているようだった。


「もう一人は」


一拍。


「ネミティブ」


青年は。


二枚を並べた。


近づく人間。


見る人間。


「何するの」


「観察だ」


「それだけ?」


「今は」


青年の口元が。


僅かに上がった。


「今は、ね」



* * *



研究所を出る。


自動扉が背後で閉じた。


その瞬間。


世界が。


一気に耳へ戻ってきた。


荷車の車輪。


ぎい。


店先の呼び込み。


遠くで怒鳴る男。


子供の笑い声。


鍋へ何かを落とす音。


犬。


風。


靴。


研究所の低い換気音しかなかった耳へ。


街が。


一度に押し寄せる。


青年は立ち止まった。


「……うるさ」


(嫌?)


「いや」


少しだけ。


笑う。


「悪くない」


歩き出す。


ポケットから。


写真を二枚。


ラド。


ネミティブ。


(ラド)


「うん」


(ネミティブ)


「うん」


(どっちから見る?)


青年は写真を重ねる。


「両方」


(欲張り)


「仕事だからね」


(嘘)


「今度は本当」


少し。


声が遠くなる。


(昔ね)


青年の歩幅が。


僅かに緩む。


いつもの。


軽口とは違う。


「何」


(僕はよく)


一拍。


(相手の顔を借りた)


青年は写真を見る。


「仲間の顔?」


(仲間も)


風が。


紙の端を揺らす。


(敵も)


もう一枚。


(愛する者も)


青年の眉が上がる。


「趣味悪いね」


(君に言われたくない)


「それもそう」


声が笑った。


(面白いのは)


青年は歩く。


人とすれ違う。


(顔を借りることじゃない)


「じゃあ何」


(その顔に向かって)


少し間。


(人が何を言うかなんだ)


青年の足が止まった。


人の流れだけが。


左右を抜けていく。


(本人には言えないことを)


青年は写真へ視線を落とす。


(本人だと思った相手には言う)


「矛盾してない?」


(人間ってそういうものだよ)


青年は。


ラドを見る。


ネミティブを見る。


二枚。


(試す?)


口元が。


ゆっくり上がる。


「何を」


(ラドに)


一拍。


(ネミティブを)


青年の目が細くなる。


その先は。


聞かなくても分かった。


「それで」


写真を重ねる。


「ネミティブにはラド」


(うん)


青年は二枚を折った。


ポケットへ入れる。


「性格悪いね」


(君が言う?)


「僕は詐欺師」


(僕は昔から)


声が。


少し楽しそうになる。


(そういうのが得意だった気がする)


「気がする、なんだ」


(記憶か)


一拍。


(物語か)


もう一拍。


(まだ分からない)


青年は歩き出す。


「じゃあ」


人の間へ。


紛れる。


「試せば分かるかもね」



# 第八章 鏡


ラドを見つけるまでに。


四日かかった。


居場所を知らなかったわけではない。


ゴイから渡された資料には。


RATが使う拠点。


出入りする時間。


周辺の道。


大まかな人員。


書かれていた。


青年が探していたのは。


場所ではない。


ラドが。


一人になる時間だった。



昼。


駄目。


人がいる。


若い男。


荷を運ぶ人間。


銃の手入れをする女。


誰かが呼ぶ。


「ラド!」


振り返る。


「何だ!」


荷を指す。


「これどこ!」


「奥!」


別の声。


「こいつまた壊した!」


「本人に直させろ!」


「無理だって!」


「じゃあ手伝え!」


怒鳴る。


次。


笑う。


肩を叩く。


誰かが。


また来る。


ラドの周囲には。


いつも人がいた。


本人が。


集めているようには見えない。


でも。


気づけば。


人が寄っている。


(人気者だね)


「面倒見いいんでしょ」


(君と逆)


「僕だって面倒見るよ」


(有料で?)


「内容による」



四日目。


夕方。


青年は拠点裏の廃材置き場へいた。


割れた窓。


風が入るたび。


残ったガラスが震える。


かた。


かた。


油。


埃。


焦げた木。


鉄。


遠くで。


鉄板を引きずる音。


誰かの笑い声。


青年は壁へ背を預ける。


目だけ。


出入口。


「……まだ?」


(君、せっかち)


「四日待ってる」


(僕は昔)


「また?」


(もっと待った気がする)


青年の目は。


出入口から動かない。


「何を」


(罠を張って)


一拍。


(獲物が自分から入るまで)


「曖昧だね」


(記憶なのか)


風。


ガラス。


かた。


(話なのか)


かた。


(分からないから)


「役に立たない神話だなあ」


少し。


間。


(でも)


声が言った。


(罠って)


一拍。


(待つ方が長い)


その時。


出入口。


人影。


青年の背中が。


壁から離れる。


ラド。


中から声。


「明日でいい!」


ラドが振り返る。


「知らねえよ、自分で考えろ!」


何か返される。


笑い声。


ラドも笑った。


肩を一度上げ。


手を振る。


一人。


路地へ。


青年は立ち上がる。


「来た」


(行く?)


「うん」


壁の陰。


呼吸。


一度。


吸う。


吐く。


顔の奥が熱くなる。


皮膚の下。


ぬるいものが這う。


頬骨。


顎。


鼻。


目。


首。


喉。


ごり。


小さく。


内側で何かが動く。


視界が。


一瞬。


揺れた。


「っ……」


壁へ指をつく。


(痛い?)


「ちょっと」


青年は目を閉じない。


ラドではない。


ネミティブ。


姿勢。


少し前。


目は。


常に周囲。


歩幅。


呼吸。


相手より先に。


出口。


手。


足。


青年は。


ネミティブになった。



* * *



ラドは河原にいた。


濁った川。


ゆっくり。


対岸。


古い倉庫。


夕日が。


割れた窓の残骸だけを赤く光らせている。


川沿いの草は濡れ。


風が吹くたび。


先端が同じ方向へ倒れた。


ラドは石へ腰を下ろす。


煙草。


口。


火。


ち。


小さな音。


青年は。


少し離れた場所で止まった。


「珍しいね」


ネミティブの声。


ラドが振り返る。


「何が」


「一人」


「お前こそ」


煙を吐く。


「何だよ」


青年はラドの真正面には座らない。


少し横。


川も。


ラドも。


両方見える位置。


ネミティブなら。


そうする。


「別に」


「じゃあ何で来た」


「見えたから」


「気持ち悪いな。そういうとこ」


青年は川を見る。


水面。


赤。


黒。


揺れる。


「最近さ」


「何」


「みんな僕に聞くよね」


ラドの眉が。


僅かに動く。


「だから?」


「前は」


一拍。


「ラドだった」


「……そうだな」


即答。


でも。


声が。


少し乾いた。


青年は。


続けない。


川。


風。


煙草の燃える先。


ラドの指。


青年は。


待つ。


0の時も。


待った。


あの時は。


自分で選んでほしかった。


今は。


違う。


自分で。


喋ってほしい。


ラドが煙を吐く。


「言いたいことあるなら言え」


青年は。


少しだけ間を置く。


「僕がいると」


ラドを見る。


「ラドいらない?」


煙が。


ラドの口元で。


一瞬。


止まった。


「……は?」


「みんな判断聞くの僕だし」


青年は。


自分の膝へ肘を置く。


「僕が全部やれるなら」


ラドを見る。


「ラドいらないのかなって」


「馬鹿かお前」


即答。


青年の口元が。


僅かに動いた。


「怒った?」


「呆れてんだよ」


ラドは煙草を地面へ落とす。


靴。


ぐり。


火が消える。


「お前さ」


ラドの目が。


青年へ向く。


「最初、使えると思った」


青年の目が。


僅かに細くなる。


来た。


「最初?」


「目ぇいいし」


ラドは指を一本立てる。


「頭回るし」


二本。


「人が見てねえとこ見る」


手を下ろす。


「だから便利だった」


「ひどいな」


「お前も人のこと」


ラドは笑う。


「便利か使えねえかで見てるだろ」


青年の笑みが。


ほんの少し深くなる。


「まあね」


「だろ」


ラドは川へ目を戻した。


「でも」


一拍。


「途中からそうじゃなくなった」


青年は動かない。


「お前が判断する」


風。


「だいたい当たる」


草。


「みんな助かる」


川。


「俺が気づかなかったもんも」


ラドの手が。


膝の上で一度握られる。


「お前が先に見つける」


夕日の赤が。


水面で崩れる。


「……正直」


ラドが鼻で息を吐く。


「ムカつく時ある」


「へえ」


「俺より見えてるから」


青年は。


ラドを見る。


「認めるんだ」


「結果出てんだろ」


ラドは笑った。


でも。


目だけ。


少し苦い。


青年はそこへ。


もう一つ。


置く。


「じゃあ」


一拍。


「僕が間違えたら?」


ラドが青年を見る。


「止める」


早い。


青年の目が。


僅かに開く。


「何で」


「何でって」


「僕が正しいかもしれない」


「間違ってるかもしれねえ」


「でも」


青年はネミティブの目で。


ラドを見る。


「僕の方が見えてる」


「それでもだ」


ラドは。


真っ直ぐ青年を見る。


「お前が全部見えるわけじゃねえだろ」


青年の胸の奥。


ざら。


何かが擦れた。


(いいね)


「黙って」


小さく。


漏れた。


ラドの眉が寄る。


「何?」


「別に」


青年はすぐ笑う。


「独り言」


「気持ち悪い」


「よく言われる」


ラドはまた。


川へ目を戻した。


「ネミティブ」


「何」


「お前が見えてるからって」


ラドの靴先が。


潰した煙草を。


もう一度踏む。


「全部決めていいわけじゃねえぞ」


青年は。


返さなかった。


ラドは。


ネミティブ本人へ。


そう言った。


青年は。


その言葉を。


覚えた。



* * *



帰り道。


路地。


暗がり。


青年はネミティブの顔を解いた。


頬。


ぐに。


喉。


一度。


狭くなる。


息が詰まる。


次。


戻る。


「っ……」


こめかみ。


痛い。


青年は壁へ手をつく。


指先。


冷たい石。


分かる。


(大丈夫?)


「うん」


(嘘)


青年は壁から手を離す。


「まだ歩ける」


歩く。


頭の中。


言葉を並べる。


最初は使える。


途中から違う。


間違えたら止める。


全部決めていいわけじゃない。


「いい人だね」


(君、嫌いそう)


「何で」


(止めるから)


青年の足が。


僅かに遅くなる。


「僕は止められるの嫌いじゃないよ」


(嘘)


「……嫌いかも」


声が笑った。


(次)


「ネミティブ」


(ラドになる?)


「うん」


(どう思ってるかな)


青年は。


前を見る。


「それを聞くんでしょ」



* * *



ネミティブが一人になる場所は。


ラドより簡単に見つかった。


夜。


武器庫。


扉。


半分だけ開いている。


中。


油。


金属。


火薬。


黒ずんだ布。


裸電球の黄色い光が。


机の上だけを照らしている。


拳銃。


弾倉。


バネ。


ネジ。


分解された部品。


青年は。


外の暗がりへ立つ。


呼吸。


ラド。


頬。


少し粗く。


顎。


首。


肩。


歩幅。


大きく。


身体を。


人の側へ開く。


口を開く前。


まず相手を見る。


(似てる?)


「似せてる」


(違う)


「何が」


(君)


一拍。


(楽しそう)


「仕事」


(嘘)


青年は。


武器庫へ入った。


「まだやってんのか」


ネミティブが顔を上げる。


目。


一瞬。


青年の後ろ。


入口。


次。


手。


腰。


それから。


顔。


「ラド」


「何」


「別に」


青年は机へ近づく。


ネミティブの手。


拳銃。


分解中。


「それ」


青年は机へ指を向ける。


「バネ弱ってる」


「分かる?」


「見りゃ分かる」


「前言ってたやつ?」


「似たようなもん」


雑に。


答える。


ラドなら。


そうする。


ネミティブの肩から。


ほんの少し。


力が抜けた。


青年は。


見る。


「最近さ」


「何」


「俺」


一拍。


「いらねえ?」


ネミティブの手が。


完全に止まった。


「……何」


「そのまんま」


青年は机へ腰を預ける。


「みんなお前に聞くだろ」


少し。


身体を傾ける。


「俺より」


「別に」


ネミティブは。


拳銃へ目を戻す。


「聞かれるから答えてるだけ」


「へえ」


「何だよ」


「いや」


青年は笑う。


「嬉しい?」


「何が」


「頼られて」


「知らねえ」


「嘘」


「うるせえ」


青年の口元が。


僅かに上がる。


「俺より上?」


ネミティブの眉が寄る。


「何でそんなこと聞く」


「気になるから」


「ラドが?」


「悪いか」


ネミティブは。


しばらく。


机を見た。


指先。


分解した部品。


金属の縁。


「……見えるものは」


一拍。


「俺の方が多い」


青年は。


ラドの顔で笑う。


「言うね」


「事実」


「じゃあ」


身体を少し起こす。


「俺より上じゃん」


「違う」


早い。


青年は。


その速さを見る。


「何が」


ネミティブは拳銃の部品を置いた。


かち。


小さな金属音。


「俺は見つける」


指が離れる。


「決める」


一拍。


「でも」


ネミティブの目が。


青年へ向く。


「お前がいる」


青年の身体が。


ほんの僅か。


止まった。


「何それ」


「……知らねえ」


「説明して」


「嫌だ」


「何で」


「うるせえ」


青年は。


笑いそうになった。


でも。


止める。


ラドなら。


ここで。


どう笑う。


ほんの。


一瞬。


空いた。


(間)


頭の奥。


「分かってる」


小さく返す。


ネミティブの目が上がる。


「何?」


「何でもねえ」


青年は。


ラドの声を。


少し荒くする。


「つまり」


一歩。


「俺がいないと困る?」


ネミティブは。


目を逸らした。


「……別に」


「嘘つけ」


「お前が言うな」


青年の胸が。


一度。


跳ねた。


「俺がいなきゃ」


青年は。


ネミティブを見る。


「お前、全部自分で背負うだろ」


ネミティブは。


黙った。


青年は。


待つ。


「勝手に決めんな」


「ほら」


「何が」


「図星」


「違う」


青年は。


声を落とした。


「じゃあ」


一拍。


「俺がいなくなったら?」


ネミティブの指が。


止まった。


小さい。


本当に。


小さい。


でも。


青年には。


見える。


「何で」


「仮に」


「縁起悪い」


「答えろよ」


「嫌だ」


「何で」


ネミティブの指が。


金属の縁をなぞる。


爪。


鉄。


僅かな音。


「……困る」


青年は。


聞こえなかったふりをした。


「何」


ネミティブの眉が寄る。


「困るって言った」


胸の奥。


何かが。


落ちた。


(聞けたね)


「うん」


青年の口元が。


僅かに動く。


ネミティブが顔を上げる。


「何笑ってんだ」


「笑ってねえ」


「笑ってる」


「気のせい」


青年は。


ラドの顔を保ったまま。


内側だけで。


少し。


ざわついていた。


思っていたより。


深い。


この二人は。


互いに。


思っていたより。


ずっと。



* * *



数日後。


ゴイの研究室。


白。


薬品。


紙。


机の上。


ラド。


ネミティブ。


二人の資料。


「どうだった」


ゴイが聞く。


青年は。


棚の瓶を眺める。


「何が」


「対象だ」


「元気だったよ」


「それだけか」


「ご飯食べてた」


「ふざけるな」


「寝てた」


「イース」


その名。


空気が。


少し変わった。


青年は。


ゴイを見る。


自分の名前。


そう呼ばれている音。


いつから。


それが自分になったのか。


もう。


あまり考えない。


「二人へ接触したな」


「誰が」


「お前が」


「証拠?」


「ない」


青年は笑う。


「じゃあ」


椅子へ座る。


「僕じゃないかもね」


「ラドが」


ゴイは資料へ視線を落とす。


「ネミティブと話したと言った」


「へえ」


「同じ時間」


紙を一枚ずらす。


「ネミティブはラドと話したと言っている」


青年は。


少し考えるふり。


「仲良しだね」


「場所が違う」


「足速いんじゃない?」


「時間も重なっている」


「器用だね」


ゴイの目が。


青年へ向く。


「お前だろ」


青年は。


笑ったまま。


「何で僕」


「顔を変えられる」


「他にもいるかも」


「声も変えられる」


「世の中広いよ」


「癖まで似せる」


青年の笑みが。


少し深くなる。


「練習したんじゃない?」


ゴイは。


黙った。


青年は。


待つ。


「何」


「お前は何を聞いた」


「聞いた?」


「二人からだ」


「何も」


「嘘だ」


青年は肩をすくめる。


「僕、嘘つきだからね」


ゴイの目が。


冷える。


青年は。


椅子へ深く座った。


「でも」


一拍。


「面白かったよ」


ゴイは。


何も言わない。


「お互い」


青年は。


ラドの写真を指で押す。


次。


ネミティブ。


「本人には言わないことを」


二枚を近づける。


「本人だと思った僕には言うんだね」


「内容は」


「教えない」


「命令だ」


青年の指が。


止まる。


治療。


右手。


味覚。


足。


視界。


鼻血。


全部。


一瞬で。


頭を通る。


青年は。


笑う。


「それなら」


一拍。


「治療止める?」


言った瞬間。


喉が乾いた。


怖い。


ちゃんと。


怖い。


右手を。


机の下へ置く。


指先。


震えている。


それでも。


笑う。


ゴイは青年を見る。


長い。


「……内容を言え」


青年は。


少し考える。


そして。


口を開いた。


「ラドは」


一拍。


「ネミティブを使えると思ってる」


ゴイは黙って聞く。


「ネミティブは」


青年の口元が。


僅かに上がる。


「ラドを邪魔だと思ってる」


(嘘)


頭の奥。


すぐ。


「うん」


内側だけで答える。


ゴイの目が。


資料へ落ちる。


「そうか」


青年は。


ゴイを見る。


笑う。


「信じた?」


ゴイの顔が上がる。


「何が」


「別に」


青年は立つ。


椅子が。


床を擦る。


「僕」


一拍。


「嘘つきだから」


扉へ。


手。


「なら何故答えた」


青年は。


取っ手を握ったまま。


振り返る。


ゴイ。


机。


二枚の資料。


「君が」


少し笑う。


「信じたい顔してたから」


扉を開ける。


白い廊下。


青年は外へ出た。


(性格悪い)


「君の真似」


(僕、そこまでじゃない)


「昔は?」


少し。


間。


(……多分)


声が笑う。


(もっと酷い)


青年も笑った。


「じゃあ」


歩き出す。


「ちょうどいい」



この時。


青年はまだ。


ラドを殺すつもりはなかった。


ネミティブを壊すつもりも。


なかった。


ただ。


見たかった。


二人が。


互いをどう見ているのか。


本人を前にした時には。


隠してしまうものを。


借りた顔の前なら。


どこまで出すのか。


ラドは。


ネミティブを止める。


ネミティブは。


ラドを必要としている。


青年は。


両方を知った。


そして。


その二人の間に。


自分が入れる。


ほんの小さな隙間を。


見つけてしまった。


まだ。


穴を広げるつもりはない。


ただ。


そこに穴があると。


知っただけだった。

第七章「戻る」/第八章「鏡」でした。

今回は、0編を終えた青年が、いよいよネミティブ編の裏側へ入り始める話です。

まず、0を逃がした直後なのに普通に研究所へ戻る青年。

怒られることよりも、治療を失うことの方が怖い。

それでもゴイの前では笑いながら、

「君が何も分かってないってこと」

と言い切ります。

そして新しく与えられた対象が、ラドとネミティブ。

ここから青年のやり方も少しずつ変わっていきます。

ただ情報を集めるのではなく、相手の顔を借りることで、その本人には言えない本音を引き出す。

ラドはネミティブを認めている。

ネミティブはラドを必要としている。

けれど、その言葉は互いの本人には届かない。

青年だけが知っている。

この時点では、まだ二人を壊すつもりも、ラドを殺すつもりもありません。

ただ面白かった。

ただ知りたかった。

そして、その二人の間にある小さな隙間を見つけてしまった。

ここから、これまで表側で見えていたネミティブ編の出来事が、少しずつ別の意味を持ち始めます。

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