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『KillerWorld ―七つ目の答え―』  作者: ザクロ
メリカ編

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16/57

KillerWorld メリカ編 前編 「ふたり」

RATの抗争の中、メリカは目の前でマリを失った。

銃声と怒号が響く中、膝の上で冷たくなっていく小さな身体を抱きしめながら、メリカはただ一つのことを思う。

――なんで、みんな私の前からいなくなるの。

父親。

旅の途中で出会った男。

自称“魔法使い”のマーサ。

幼い頃から、メリカのそばにいた人間はいつも突然いなくなった。

そんな彼女が、飢えと孤独の果てに出会ったのがマリだった。

路地裏で倒れていたメリカへ、怖がりながらも近づき、自分の小さなパンを半分に分けてくれた少女。

やがて二人はRATへ辿り着き、家族のように寄り添いながら生きていく。

マリが泣くのは、メリカの前だけだった。

マリが弱さを見せるのも、メリカの前だけだった。

そしてある日、マリは涙を流しながら言う。

「私、貴女が必要なんだから!」

それはメリカにとって、何より嬉しい言葉だった。

誰かに必要とされること。

誰かが自分のそばにいてくれること。

まだこの時のメリカは知らない。

その願いがいつか、

“愛する人を手放せなくなる欲望”へ変わっていくことを。


# 幕間


 パンッ。


 乾いた音が、通路の壁へ跳ね返った。


 誰が撃ったのかは分からなかった。


 人が走る。


 肩がぶつかる。


 誰かが怒鳴る。


 床へ落ちた薬莢が、靴に蹴られて転がっていく。


 パンッ、パンッ。


 その中で。


 マリの身体だけが。


 不自然に止まった。


「……マリ?」


 小さな身体が。


 膝から崩れる。


 メリカの手が伸びた。


 床へ落ちる前に、肩を抱く。


「マリ」


 軽い。


 思っていたより。


 ずっと。


 そのまま膝をつく。


 抱き起こした胸元。


 服へ。


 赤いものが滲んでいた。


「待って」


 手を当てる。


 ぬるい。


 指の間から。


 じわり。


 じわり。


 溢れてくる。


「待ってよ」


 強く押さえた。


「マリ」


 返事がない。


 パンッ。


 誰かが横を走り抜ける。


 パンッ。


 壁の一部が弾ける。


 遠くで。


 ドォン――!


 床が揺れた。


 天井から細かな埃が落ちる。


 メリカの髪にも。


 マリの頬にも。


 それでも。


 メリカの手は。


 胸元から離れない。


「ねえ」


 頬に触れる。


 まだ。


 温かい。


「……」


 冷たくはない。


 だから。


 まだ。


「起きてよ」


 マリの髪を。


 耳へ掛ける。


 何度もやった動き。


 眠っている時。


 邪魔そうにしていたから。


「私、起きてるよ」


 ぽた。


 涙が一滴。


 マリの頬へ落ちる。


「ちゃんと起きてるから」


 もう一滴。


「だから」


 肩を抱く腕に。


 力が入る。


「……なんで」


 声が震えた。


「なんでみんな、私の前からいなくなるの……?」


 マリの手は。


 床へ落ちたまま。


 握り返さなかった。


---


# 第一章 空席


 ジジ……。


 天井の蛍光灯が。


 一定の間隔で明滅していた。


 以前なら。


 誰かが交換していた。


 今は。


 誰も気にしない。


 廊下の壁には。


 剥がれかけたRATの標章。


 端が浮いている。


 通るたび。


 空調の風で。


 ぱた。


 ぱた。


 小さく壁を叩いた。


 メリカは。


 その下を歩く。


 カツ。


 カツ。


 靴音。


 以前は。


 こんなに響かなかった。


 廊下の幅が変わったわけではない。


 人が減った。


 それだけだった。


 メリカの目が。


 開いた扉を一つずつ拾う。


 一室。


 二室。


 中に人。


 次。


 空。


 次。


 二人。


 昔からの癖だった。


 誰がいる。


 誰がいない。


 昨日あった物が。


 今日もある。


 確認する。


「……あれ、メリカじゃね?」


 曲がり角の向こう。


 声。


 若い男が二人。


 壊れた端末を運んでいる。


「まだここいたんだ」


「いるだろ。所属はまだRATだし」


「いや、そうじゃなくて」


 男の歩幅が。


 少し狭くなる。


 声も。


 小さくなる。


 メリカは歩みを止めない。


「ほら、あの抗争の時……」


「やめとけって」


 聞こえている。


 気にしない。


 気にしないことには。


 慣れている。


「横にいつもいた子――」


 メリカの指が。


 服の裾を摘まんだ。


 ほんの一瞬。


 すぐに離す。


 歩幅も変えない。


 男たちも。


 それ以上は何も言わなかった。


 すれ違う。


 メリカは。


 三歩進んだところで。


 わずかに振り返る。


 二人ともいる。


 そのまま。


 向こうへ歩いていく。


 それを確認して。


 前へ戻る。


 ピッ。


 物資管理室の扉が開く。


「おはよ」


 明るい声。


 メリカの肩から。


 ほんの少しだけ力が抜けた。


 エレン・ヴァイス。


 端末に数字を打ち込みながら。


 顔だけメリカへ向ける。


 肩までの髪。


 袖を肘まで捲った作業着。


 指は止まらない。


 忙しそうなのに。


 いつも。


 誰かと喋っている。


「今日の分、そこ」


 机の上。


 小さな箱。


 メリカは持ち上げる。


「ありがとう」


「……それだけ?」


「うん」


「食料も持ってきなよ」


「まだあるから」


 エレンの指が。


 端末から離れる。


 眉が寄る。


「昨日も同じこと言ってなかった?」


「そうだっけ」


「そうだよ」


 メリカは笑った。


 口角。


 上げる。


 目。


 少し細める。


 昔から。


 笑うのは得意だった。


 これで。


 相手は大抵。


 それ以上追及しない。


「平気」


 エレンは。


 追及しなかった。


 でも。


 目は逸らさなかった。


「……マリなら怒ると思うけど」


 カチ。


 箱の留め具へ触れていた指が。


 止まる。


 笑顔は。


 そのまま。


 エレンの目が。


 メリカの指へ落ちた。


「あ」


「そうね」


 メリカは。


 笑ったまま。


 箱を持ち直す。


「怒るでしょうね」


 声は。


 ちゃんと出た。


 それで十分だった。


 出口へ向かう。


 その時。


 入口から。


 別の少年。


「あ、メリカさん」


 ノア・リード。


 まだ十九になったばかり。


 細い身体。


 大きな上着。


 最近ようやく。


 一人で物資を取りに来られるようになった。


「昨日教えてもらったやつ、できました」


「そう」


「一人で」


 少し。


 胸を張っている。


 以前なら。


 メリカも。


 同じように嬉しかったはずだ。


「よかったね」


「はい」


 ノアは笑った。


「これなら、次からメリカさんに聞かなくても大丈夫かも」


 胸の奥。


 ちくり。


 何かが。


 刺さった。


「……そう」


 小さい。


 無視できる。


 その程度。


 なのに。


 メリカの指が。


 箱を抱え直す。


 少しだけ。


 強く。


 ノアはもう。


 エレンへ話しかけている。


 メリカは。


 二人へ背を向けた。


 扉を出る。


 カツ。


 カツ。


 また。


 廊下。


 途中。


 割れたガラス。


 そこへ。


 自分が映る。


 メリカは。


 足を止める。


 髪。


 少し伸びた。


 顔色。


 悪い。


 それでも。


 この辺りでは目立つ顔だと。


 昔から。


 よく言われた。


 以前。


 マリが。


 隣に並んだ。


『メリカって黙ってれば美人なのにね』


『失礼ね』


『だって喋るとすぐ眠いとか言うじゃん』


『マリだって小さいくせに生意気じゃない』


『小さいは余計!』


「……」


 ガラスを見る。


 今。


 映っているのは。


 一人。


 メリカの目が。


 無意識に。


 自分の隣の空白へ動く。


 何も。


 映っていない。


 その瞬間。


『小さいは余計!』


 声。


 メリカが振り返る。


 誰もいない。


 長い廊下。


 開いた扉。


 点滅する蛍光灯。


 ジジ……。


「…………」


 メリカは。


 もう一度。


 ガラスを見る。


 一人。


 いつからだろう。


 静かな場所が。


 こんなに嫌いになったのは。


---


# 第二章 いなくなる


 父親がいなくなった朝も。


 静かだった。


 まだ。


 メリカが子供だった頃。


 目を覚ます。


 天井。


 朝の光。


 いつもと同じ。


 メリカは。


 横を見る。


「……?」


 いない。


 身体を起こす。


「父さん?」


 返事はない。


 布団から出る。


 台所。


 いない。


 寝室。


 いない。


 玄関。


 靴が。


 一足ない。


「父さん?」


 もう一度。


 返事はない。


 メリカは。


 部屋を戻る。


 台所。


 見る。


 寝室。


 見る。


 玄関。


 見る。


 同じ場所を。


 もう一度。


 確認する。


 やっぱり。


 いない。


 テーブルの上。


 紙。


 一枚。


 何が書いてあったのか。


 今でも。


 全部は思い出せない。


 ただ。


 **ごめん。**


 それだけ。


 覚えている。


 メリカは。


 紙を握ったまま。


 玄関の前へ座った。


 昼。


 人の足音が通る。


 顔を上げる。


 違う。


 夕方。


 足音。


 顔を上げる。


 違う。


 夜。


 また。


 違う。


 帰ってくると思った。


 帰ってこなかった。


 次の日も。


 その次の日も。


 玄関を。


 何度も見た。


 帰ってこなかった。


 だから。


 探した。


 家にいても。


 戻ってこないなら。


 自分から探せばいい。


 それだけだった。


     *


 途中で。


 一人の男に会った。


 名前は。


 もう覚えていない。


 少し年上。


 歩く時。


 いつも半歩前にいた。


 金の作り方を教えてくれた。


 物を運ぶ。


 拾ったものを売る。


 頼まれたことをやる。


 危ない場所には。


 一人で行かない。


「お前、結構覚えいいな」


 そう言って。


 笑った。


 父親とは。


 違う笑い方だった。


 それでも。


 一人より。


 ずっとよかった。


 眠る時。


 隣に人がいる。


 朝。


 目を開けても。


 いる。


 それだけで。


 よかった。


 ある朝。


 メリカは。


 目を覚ました。


 最初に。


 横を見る。


「…………」


 いない。


 身体を起こす。


 荷物。


 ない。


 靴。


 ない。


 壁へ掛けてあった上着。


 ない。


 メリカは。


 入口を見る。


 開いている。


「……」


 まただ。


 その日から。


 眠るのが。


 少し嫌いになった。


 目を閉じる。


 次に開いた時。


 昨日あった物が。


 なくなっているかもしれない。


 昨日いた人が。


 いなくなっているかもしれない。


 だったら。


 最初から。


 起きていればいい。


 そう思った。


 けれど。


 子供の身体は。


 そんなに都合よくできていなかった。


 いつか。


 眠る。


 だから。


 起きる。


 目を開ける。


 横。


 入口。


 荷物。


 靴。


 人。


 いる。


 ある。


 残っている。


 確認する。


 それが。


 普通になった。


---


# 第三章 魔法使い


 腹が減っていた。


 どれくらい。


 食べていないのかも。


 分からなかった。


 ゴミ捨て場。


 鴉。


 カァ。


 カァ。


 黒い羽が。


 ゴミ袋の上で跳ねる。


 メリカは。


 その間へ手を伸ばす。


 何でもよかった。


 腐っていても。


 少し。


 食べられれば。


 ガサッ。


 背後。


 音。


 メリカは。


 すぐ振り返る。


 大きな女。


 四十代くらい。


 皺の入った顔。


 エプロン。


 両手。


 白いゴミ袋。


「…………」


「…………」


 メリカの目が。


 女の後ろを見る。


 道。


 空いている。


 逃げられる。


 走る。


 いや。


 走ろうとした。


 ぐいっ。


「わっ!」


 首元。


 引かれる。


 服を掴まれた。


 隣にいた猫だけが。


 さっと隙間へ消える。


「離して!」


「暴れんな。落とすぞ」


「離してよ!」


「腹減ってんだろ」


 身体が。


 止まる。


 女がしゃがむ。


 顔を覗き込む。


「図星か」


「……違う」


 ぐぅぅ。


 腹。


 鳴る。


 女の口が。


 大きく開く。


「カッハハハハ! 腹は随分素直じゃないか!」


「笑うな!」


「元気あるじゃねえか」


 女は。


 ゴミ袋を置く。


「来な」


「やだ」


「飯あるぞ」


 メリカは黙る。


「肉もある」


「…………」


「スープも」


「…………」


「甘いのもある」


「行く」


「現金なガキだな!」


     *


 女の名前は。


 マーサ・ベル。


 連れていかれた建物は。


 外から見れば。


 半分崩れていた。


 壁。


 ひび。


 入口。


 錆。


 メリカは。


 中へ入る前に。


 振り返る。


 道。


 覚える。


 入口。


 覚える。


 逃げる場所。


 覚える。


 マーサが。


 壁へ手を当てる。


「よく見とけよ、お嬢ちゃん」


 カチ。


 何かの音。


 ブゥン……。


 暗かった内部へ。


 一斉に照明。


「……え?」


 メリカの目が。


 大きく開く。


 壁面へ。


 淡い光。


 汚れていた壁が。


 暖かな木目へ変わる。


 窓のない壁。


 景色。


 暖炉。


 本棚。


 絨毯。


 さっきまで。


 逃げ道を探していた目が。


 全部忘れて。


 光を追う。


「何これ」


 マーサが。


 ニカッと笑う。


 抜けた歯まで。


 丸見え。


「魔法」


「嘘」


「失礼なガキだな」


「だって魔法なんか――」


 パチン。


 指。


 天井。


 星空。


「……」


 メリカの口が。


 開いたままになる。


 マーサは。


 得意げに胸を張る。


「魔法使いを舐めるんじゃないよ」


     *


 それから。


 しばらく。


 メリカは。


 魔法使いと暮らした。


 後になれば。


 分かる。


 映像投影。


 自動照明。


 隠し扉。


 遠隔操作。


 化学反応。


 全部。


 種があった。


 でも。


 マーサは。


 一度も種明かしをしなかった。


 メリカが驚く。


 マーサが笑う。


「カッハハ!」


 それで。


 よかった。


「マーサ」


「なんだ」


「私も魔法使える?」


「使えるさ」


 メリカが。


 鍋の向こうから顔を出す。


「本当?」


「ああ」


「どうやって?」


 マーサは。


 鍋をかき混ぜる。


「まず飯食え」


「それ魔法関係ある?」


「腹減ってる奴にロクな魔法は使えねえ」


「適当」


「うるせえ」


 皿。


 二枚。


 机へ置かれる。


 メリカは。


 無意識に。


 二枚とも見る。


 一枚。


 マーサ。


 一枚。


 自分。


 二人。


 いる。


     *


 マーサは。


 色々教えた。


 文字。


 機械。


 怪我の手当て。


 危ない場所。


 近づいてはいけない人間。


 逃げるべき時。


 そして。


「自分でやれ」


 それが。


 一番多かった。


「できない」


「やれ」


「マーサやってよ」


「嫌だ」


「なんで!」


「できるから」


「できないって!」


「じゃあ失敗しろ」


 メリカの頬が。


 膨らむ。


 マーサは笑う。


「失敗したら覚える」


「マーサの意地悪」


「お前が一人でも飯食えるようにしてんだよ」


 メリカの顔から。


 不満が消える。


「……」


 一人でも。


 嫌いな言葉だった。


 メリカの目が。


 机へ動く。


 皿。


 二枚。


「……どっか行くの?」


「は?」


「私が一人でできるようになったら」


 マーサの手が。


 止まる。


「マーサもいなくなる?」


 ジュウ……。


 鍋の中。


 肉が焼ける。


 マーサは。


 振り返らない。


「馬鹿言え」


 それだけ。


 メリカは。


 机を見る。


 二枚。


 まだ。


 二枚。


 少しだけ。


 肩の力が抜けた。


     *


 だから。


 あの日も。


 マーサの言葉を。


 信じた。


 外。


 騒がしい。


 銃声。


 パンッ。


 メリカの顔が。


 入口へ向く。


 ドォン!


 建物が揺れる。


 棚の物が落ちる。


「メリカ!」


 マーサ。


「裏から出ろ!」


「マーサは?」


「魔法使いが逃げるかよ!」


「一緒に――」


「先に行け!」


 マーサが。


 装置を叩く。


 ブゥン――!


 廊下。


 照明。


 一斉に落ちる。


 暗闇。


 次の瞬間。


 右。


 足音。


 左。


 足音。


 奥。


 さらに。


 何人もの人間が。


 走っているように響く。


 壁へ。


 人影。


 一人。


 二人。


 三人。


 偽物。


 外から。


 怒声。


 マーサは。


 笑った。


 いつものように。


「見せてやるよ」


「……何を?」


「とっておきの魔法だ」


「でも」


「あとで追いつく」


 メリカは。


 動かない。


 マーサの顔から。


 笑みが消える。


「行け」


 低い声。


 メリカは。


 一歩。


 後ろへ下がる。


 マーサ。


 まだいる。


 もう一歩。


 いる。


 走る。


 曲がり角。


 振り返る。


 いる。


 扉。


 振り返る。


 まだ。


 いる。


 最後に見えたマーサは。


 笑っていた。


 それが。


 最後だった。


 マーサは。


 戻ってこなかった。


 けれど。


 メリカは。


 死んだとは思わなかった。


 魔法使いだから。


 きっと。


 どこかへ。


 消えただけ。


 そう思った。


 そう思うことにした。


---


# 第四章 半分


 もう。


 立てなかった。


 壁へ。


 手をつく。


 指。


 力が入らない。


 冷たい壁を。


 掌が滑る。


「……お腹、減った」


 誰に言ったのか。


 分からない。


 足。


 もつれる。


 どさっ。


 路地裏。


 冷たい地面。


 頬へ。


 硬さが伝わる。


 起きなきゃ。


 こんなところで。


 眠ったら。


 また。


 誰かが。


「……」


 誰か?


 もう。


 誰もいない。


 瞼が。


 落ちる。


 その時。


 ぱた。


 小さな足音。


 メリカの瞼が。


 少し開く。


 足音。


 止まる。


「…………」


 少女。


 小さい。


 こちらを。


 怖そうに見ている。


 メリカは。


 目だけ動かす。


 少女の足。


 半歩。


 後ろへ。


 やっぱり。


 逃げる。


 みんな。


 そうだった。


 ボロボロの人間。


 面倒。


 メリカは。


 また目を閉じる。


 ぱた。


 足音。


 今度は。


 近づいた。


「……お姉ちゃん?」


 メリカの目が開く。


 少女は。


 まだいる。


「どこか痛いの?」


 答える力がない。


 少女は。


 困ったように。


 眉を下げる。


 ポケット。


 手。


 小さなパン。


 本当に。


 小さい。


 子供一人でも。


 足りない。


 少女は。


 それを両手で持つ。


 ぱきっ。


 半分。


「これ食べれば元気になるよ」


 片方。


 差し出す。


「マリの分、あげる」


 メリカは。


 パンを見る。


 次に。


 少女。


「……いいの?」


「うん」


「なくなるよ」


「半分あるよ?」


 少女は。


 笑った。


 足は。


 まだ少し。


 逃げられる向き。


 怖いのだ。


 それでも。


 手だけは。


 メリカへ伸びている。


「はい」


 メリカの手が。


 上がる。


 震える。


 パンを受け取る。


 指先が。


 一瞬。


 少女の指へ触れた。


 温かい。


 口へ運ぶ。


 乾いている。


 美味しいものではない。


 なのに。


 喉を通らない。


「お姉ちゃん?」


「……なんでもない」


 涙。


「痛い?」


「違う」


 メリカは。


 泣きながら笑った。


「美味しい」


「ほんと?」


「うん」


 少女も笑った。


 メリカは。


 その顔を見た。


 長く。


 忘れないように。


 自分に。


 何もなかった時。


 汚れて。


 倒れて。


 誰からも。


 必要とされていなかった時。


 マリだけが。


 怖がりながら。


 離れなかった。


---


# 第五章 家族


 最初の頃。


 マリは。


 メリカの少し後ろを歩いた。


 ぱた。


 ぱた。


「そんな離れなくていいよ」


「離れてないよ」


 メリカが。


 振り返る。


 マリ。


 三歩後ろ。


「三歩くらい離れてる」


「二歩だもん」


「一緒じゃない」


「違うもん」


 頬。


 膨らむ。


 メリカは笑う。


 また。


 前を向く。


 ぱた。


 ぱた。


 足音。


 ちゃんと。


 後ろにある。


     *


 マリは小さい。


 けれど。


 弱くはなかった。


 泣かない。


 転んでも立つ。


 怖くても。


「大丈夫」


 そう言う。


 最初は。


 強い子なのだと思った。


 違った。


     *


 ある夜。


 外。


 銃声。


 パンッ。


 布団の中。


 マリの肩が。


 跳ねた。


 メリカは。


 見なかったことにした。


 しばらく。


 静か。


 それから。


「メリカ」


「ん?」


「起きてる?」


「寝てる」


「じゃあいい」


「何それ」


 布団。


 擦れる音。


 マリが。


 少し近づく。


 メリカは。


 暗闇を見る。


「……怖い?」


 返事はない。


 手を伸ばす。


 布。


 探る。


 指。


 触れる。


 小さい。


 ぎゅっ。


 掴まれる。


 思ったより。


 強い。


「寝ようか」


「……うん」


 手は。


 そのまま。


 しばらく。


 離れなかった。


     *


 翌朝。


 マリは。


 何もなかったように笑った。


 そこで。


 メリカは気づいた。


 この子は。


 強いんじゃない。


 **強く振る舞っている。**


 迷惑をかけたくない。


 心配させたくない。


 だから。


 我慢している。


 そして。


 その我慢をやめるのは。


 自分の前だけ。


 胸の奥。


 温かい。


 ――私には見せてくれる。


 嬉しかった。


 マリが辛いのに。


 嬉しい。


 そんな自分を。


 少し嫌だと思った。


 それでも。


 嬉しかった。


     *


 二人は。


 やがて。


 RATへ辿り着いた。


 人がいた。


 笑う人。


 怒る人。


 喧嘩する人。


 誰かのために。


 走る人。


 食事の時間。


 皿が並ぶ。


 誰かが席を詰める。


 廊下では。


 人を避けなければ。


 肩がぶつかる。


 夜になっても。


 どこかから。


 声が聞こえる。


 メリカは。


 眠る前。


 周囲を見る。


 マリ。


 いる。


 他にも。


 いる。


 朝。


 目を開ける。


 マリ。


 いる。


 昨日いた人間。


 いる。


 少しずつ。


 確認する回数が。


 減っていった。


     *


「マリ!」


 遠く。


 声。


 エレン。


 まだ。


 今より少し幼い。


「これ分かんないんだけど!」


「どれ?」


 マリが。


 メリカの隣から離れる。


 走っていく。


 メリカの目が。


 その背中を追う。


 エレンの隣。


 止まる。


 二人。


 顔を寄せる。


 笑う。


 楽しそう。


 よかった。


 マリが笑っている。


 それが。


 一番いい。


 そう思う。


「メリカ」


 隣。


 声。


 メリカが振り向く。


 ノア。


 当時。


 RATへ来たばかり。


「これ、どうしたらいいですか」


「見せて」


 ノアが。


 端末を差し出す。


 メリカは。


 隣へ少し寄る。


「ここ」


 指。


「先にこれを確認して。それから――」


「ありがとうございます」


「これくらいならいつでも」


「メリカさんって、何でも知ってますね」


「そんなことないよ」


「でも」


 ノアが笑う。


「メリカさんに聞けば安心します」


 胸の奥。


 温かい。


「……そう?」


「はい」


 メリカの目が。


 少し離れた場所へ向く。


 マリ。


 エレン。


 まだ笑っている。


 嬉しい。


 本当に。


 そのはずなのに。


「じゃあ」


 メリカは。


 ノアの端末を。


 もう一度。


 自分へ寄せた。


「次から一人でもできるように、もう少し説明するね」


 声は。


 いつもより。


 少しだけ丁寧だった。


---


# 第六章 必要


「……ちょっと」


 声。


「メリカ」


 遠い。


「起きて」


 肩。


 揺れる。


 眠い。


「起きなさいってば!」


 ぺちん!


「痛っ!」


 メリカの目が開く。


 最初に。


 目の前。


 マリ。


 いる。


 次に。


 部屋。


 昨日と同じ。


 その確認が終わるより先に。


 マリの顔が。


 目に入った。


 真っ赤。


「……どうしたの?」


「どうしたのじゃない!」


「え?」


「何回呼んだと思ってるの!」


「寝てた?」


「寝てたどころじゃないよ!」


 マリの手が。


 メリカの肩を掴んだまま。


 離れない。


 指先。


 震えている。


「全然起きないし! 息してるか分かんなくて! 私……」


 声。


 詰まる。


 ぽろ。


 涙。


 メリカの服へ落ちる。


「マリ」


「私、また一人になったと思ったんだから!」


 胸が。


 痛む。


 同時に。


 別の何かが。


 胸の奥で。


 動いた。


「メリカが起きなかったらどうしようって」


「ごめん」


「ほんとだよ!」


 マリは。


 手の甲で。


 涙を拭う。


 また。


 落ちる。


「私……」


 息を吸う。


 肩が震える。


「私、貴女が必要なんだから!」


「……」


 廊下。


 誰かが走っている。


 外。


 何かを運ぶ声。


 部屋の端末。


 低い駆動音。


 全部。


 そこにある。


 でも。


 メリカには。


 一つの言葉しか。


 残らなかった。


 必要。


 メリカは。


 マリを見る。


 泣いている。


 自分のために。


 自分が。


 いなくなるのが怖くて。


 泣いている。


 胸が締めつけられる。


 ごめんね。


 そう思う。


 なのに。


 その奥。


 ほんの少し。


 温かい。


 嬉しい。


「……メリカ?」


 メリカの腕が。


 マリの背中へ回る。


 抱きしめる。


「ちょっと」


「もう少しだけ」


「何が?」


「このままで」


 小さい身体。


 温かい。


 腕の中。


 いる。


 ここに。


 いる。


 逃げない。


 消えていない。


 メリカの手が。


 マリの背中の布を。


 少しだけ掴む。


「マリ」


「なに」


「私ね」


 喉まで。


 出る。


 **ずっと必要として。**


 言えない。


 指の力を。


 緩める。


「……ありがと」


「何が?」


「なんでもない」


 身体を離す。


 マリは。


 不思議そうな顔。


 でも。


 離れたのは。


 腕一本分だけ。


 そこにいる。


 それから。


 いつものように。


 笑った。


---


# 終章 ひとり


 カチ。


 机へ。


 カップを置く。


 一つ。


 カチ。


 もう一つ。


 メリカの手が。


 止まった。


「…………」


 二つ。


 並んでいる。


 昔と。


 同じ位置。


 向かい。


 自分。


 メリカは。


 しばらく。


 そのまま立っていた。


 やがて。


 一つ。


 手に取る。


 棚へ戻す。


 カチ。


 一杯だけ。


 コーヒーを淹れる。


 ぽた。


 ぽた。


 液体。


 落ちる。


 昔は。


 この音の間にも。


 マリが喋っていた。


 今日は何をする。


 誰と会った。


 エレンがどうした。


 ノアがどうした。


 メリカが。


 また寝ていた。


 どうでもいい。


 話ばかり。


 でも。


 その。


 どうでもいい話が。


 今は。


 一つもない。


 メリカは。


 椅子へ座る。


 向かい。


 空席。


「…………」


 手を伸ばせば。


 届く距離。


 昔は。


 そこに。


 マリがいた。


 ふと。


 唇が動く。


 ――マリ。


 音には。


 ならない。


 ジジ……。


 蛍光灯。


 明滅。


 遠く。


 誰かの声。


「カイルのところ、まだ連絡つかないのか?」


「向こうも人手が足りねえんだよ。あの抗争からずっとだ」


「RATも終わりかね」


「聞こえるぞ」


「聞こえたっていいだろ」


 人は。


 まだいる。


 廊下を歩く。


 話す。


 仕事をする。


 扉が開く。


 閉じる。


 それでも。


 この部屋だけ。


 一席。


 空いている。


 メリカは。


 コーヒーを飲む。


「……まずい」


 冷めていた。


 昔なら。


 マリが淹れてくれた方が美味しい。


 そう言う。


『じゃあ自分で淹れれば?』


『面倒』


『ほんっとメリカって――』


 続き。


 知っている。


 でも。


 聞こえない。


 メリカは。


 空席を見る。


 誰もいない。


 当たり前。


 分かっている。


 視線を。


 カップへ戻す。


「……」


 また。


 空席を見る。


 誰もいない。


 目を離す。


 また見る。


 いない。


 確認する。


 いない。


 もう一度。


 いない。


 昔。


 父親がいなくなった朝。


 台所。


 寝室。


 玄関。


 何度も。


 確認した。


 昔。


 知らない男がいなくなった朝。


 荷物。


 靴。


 上着。


 何度も。


 確認した。


 マーサ。


 走りながら。


 何度も。


 振り返った。


 マリ。


 RATへ来てから。


 朝。


 目を開けるたび。


 最初に。


 確認した。


 いる。


 いる。


 いる。


 ずっと。


 いた。


 今。


 いない。


「…………」


 メリカは。


 空席から。


 目を離さなかった。


 目を閉じたら。


 次に開いた時。


 誰かが。


 いなくなっているかもしれない。


 子供の頃から。


 そう思っていた。


 だから。


 起きていればいいと思った。


 眠らなければ。


 誰も消えないと。


 でも。


 違った。


 起きていても。


 いなくなる。


 見ていても。


 いなくなる。


 抱いていても。


 手を握っていても。


 いなくなる。


 それでも。


 メリカは。


 目を閉じなかった。


 ジジ……。


 蛍光灯。


 廊下を歩く足音。


 遠くの話し声。


 誰かが扉を閉める。


 一つずつ。


 減っていく。


 夜が深くなる。


 廊下の足音が。


 なくなる。


 話し声が。


 なくなる。


 最後まで残っていた部屋の灯りが。


 消える。


 メリカの部屋だけが。


 残る。


 机。


 一つ。


 椅子。


 二つ。


 カップ。


 一つ。


 そして。


 空席。


 メリカは。


 そこを見ていた。


 夜が明けるまで。


 ずっと。

メリカ編は、今までの主人公たちとは少し違った入り口から始まります。

今回描きたかったのは、まず「愛」そのものではなく、誰かがいなくなることへの恐怖でした。

メリカは幼い頃から、何度も「置いていかれる」という経験をしています。

父親がいなくなり、旅の途中で出会った人間も消え、彼女を助けてくれた“魔法使い”も帰ってこなかった。

だからこそ、路地裏で自分に手を差し伸べてくれたマリは、メリカにとって特別な存在になります。

そしてマリの、

「貴女が必要」

という言葉は、メリカにとって単なる愛情表現ではありません。

「必要とされているなら、この人は自分を置いていかない」

そんな安心まで含んだ言葉です。

前編では、まだその気持ちはとても自然なものとして描いています。

誰かを守りたい。

大切な人に頼られたい。

自分だけには弱さを見せてほしい。

どれも、それ自体は珍しい感情ではありません。

ただ、この物語ではその小さな願いが、これから少しずつ形を変えていきます。

メリカの愛がどこまで行くのか。

そして、

誰かを大切にすることと、誰かを自分のそばに置き続けることは同じなのか。

メリカ編では、その境界を描いていきます。

【KillerWorld ―七つ目の答え― 世界地図】


挿絵(By みてみん)

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