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『KillerWorld ―七つ目の答え―』  作者: ザクロ
カルロス編

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12/57

KillerWorld ―七つ目の答え― カルロス編 最終章「ゼロ」

ダリオを消し、その力を「取得済」として取り込んだ彼は、ついに最悪の答えへ辿り着く。


本物が残っている限り、比較も差分も消えない。


レオ。

エミリア。

双子の兄。

そして、ずっと追い続けてきたマース。


一人消えるたびに、ノートの残り差分は減っていく。


31。

26。

19。

12。


他人の長所は増えていくのに、自分の中からは名前も、好みも、癖も、記憶も消えていく。


ジョナに問われる。


「ずっと、自分が選ばれるかどうかしか見てなかった」


マースにも突きつけられる。


「俺になって、その後誰になるんだよ」


それでも止まれない。


選ばれる人間を消し。

比較する相手を消し。

最後には、自分自身すら「旧個体」「不要」と処理する。


そして。


残り差分:0


何も足りない。


誰より下でもない。


それなのに。


そこにはもう、誰もいなかった。


名前を呼ばれても振り返らない。


ジョナの涙にも、正しい反応を組み合わせることしかできない。


やがて意識は暗転し、白い場所で少年に問われる。


「ゼロになったのは、差だけですか」


答えられない。


さらに暗闇の中。


ゆっくりと近づく足音。


トン。

トン。


そして、耳元で囁く声。


「何にでもなれるね」


カルロス編、終幕。

ダリオがいなくなってから、三日が経った。


学校ではまだ「行方不明」という言葉が使われていた。


朝、教室へ入るたびに、最初に目へ入るのは空いた席だった。


椅子は机の下へ収まったまま。誰かが横を通るたび、その机だけを避けるように人の流れがわずかに曲がる。


教室の後ろでは、レオとニナが声を落として話していた。


ニナが何か言う。


レオが眉を寄せ、スマホを伏せる。


エミリアは窓際で腕を組み、以前より口数が減っていた。誰かに話しかけられても、返事をする前に一度だけダリオの席を見る。


ジョナも同じだった。


空席へ目が向くたび、眉尻がほんの少し下がる。


そんな中で。


彼だけが、以前より人から話しかけられるようになっていた。


「これ分かる?」


机へノートが置かれる。


「次の提出いつだっけ」


横から別の声。


「先生、何て言ってた?」


振り向けば、もう一人。


以前ならダリオへ向いていた質問が、少しずつこちらへ流れてくる。


彼は椅子を半分回した。


ノートを引き寄せる。


「ここから」


ペン先で式を指す。


相手の瞳が止まる場所を見る。


理解していない。


なら、一つ戻る。


「こっち先にやれば分かる」


「あ、そっか」


答えられた。


全部。


ダリオがどう考えるかも分かる。


それより短く説明する方法も分かる。


相手がどこで躓くかは、エミリアの観察を使えば見える。


教室の空気が重くなれば、レオのように軽い言葉を挟める。


誰かが不安そうなら、少し顎を引き、相手の言葉が終わるまで待つ。


兄のやり方。


それもできる。


驚くほど自然だった。


だから周囲も、最初は気づかなかった。


人は大きな変化には気づく。


けれど。


毎日ほんの少しずつ変わるものには、慣れてしまう。


昼休み。


机が動き、人が集まり始める。


パンの袋が開く音。


飲み物の蓋。


窓から入った風がプリントの端を浮かせる。


レオがパンを咥えたまま何かを話していた。


誰かが突っ込む。


彼も笑った。


その瞬間。


レオの手が止まった。


「あれ」


「何」


「今の」


カルロスの笑顔が消える。


「何が」


レオはパンを持ったまま、口元を指した。


「俺みたいだった」


胸の中で何かが冷えた。


以前なら。


似ていると言われれば嬉しかった。


定着した。


成功した。


そう思えた。


今は違う。


本物が気づいた。


そう感じた。


「そう?」


「めっちゃ似てた」


レオは面白がっているだけだった。


身体をこちらへ向け、もう一度やってみろと言わんばかりに笑っている。


自分の笑い方を真似されたことに、少し嬉しそうですらある。


「じゃあ俺の代わりにバイト行ってくれよ」


「いいよ」


「いや行けんのかよ」


周囲から笑いが起きた。


レオも笑う。


彼も笑った。


その輪の中で。


彼だけが、レオの口元を見ていた。


笑う直前。


右の頬が一度だけ先に上がる。


それから目尻。


肩が少し落ちる。


知っている。


もう使える。


なのに。


レオが笑えば、みんなはレオを見る。


自分が同じように笑えば。


「レオみたい」


そう言われる。


マースみたい。


兄みたい。


ダリオみたい。


レオみたい。


どれだけ上手く使っても。


元の名前がついてくる。


笑い声の中で、彼の口元だけがゆっくり戻った。


いつまで。


自分は。


誰かの「みたい」でいなければならない。


---


その日の夜。


ノートを開いた。


机の明かりが白いページだけを照らしている。


『残り差分:31』


ペンを持つ。


指の位置は、もう考えなくてもダリオと同じだった。


数字の下へ。


『問題』


と書く。


少し考える。


ペン先が紙の上を行ったり来たりする。


やがて。


『取得後も、元個体が存在すると比較が残る』


そこで止まった。


瞬きをする。


もう一度読む。


元個体。


人間のことだ。


友達のことだ。


指先に力が入り、ペンが紙へ小さな点を作った。


消そうと思った。


でも。


消さなかった。


さらに書く。


『比較が残る限り、差分も残る』


手が止まった。


視線がページの上へ移る。


ダリオ。


二本線。


その下。


『取得済』


レオ。


エミリア。


ニナ。


兄。


マース。


ジョナ。


まだ名前が残っている。


一つずつ目で追う。


レオ。


笑い。


エミリア。


観察。


兄。


安心。


マース。


人を惹きつける何か。


いつの間にか。


名前の横に、人間の顔ではなく機能が浮かんでいた。


ページに書かれた名前が。


未処理の項目に見えた。


彼はノートを強く閉じた。


バタン。


「違う」


椅子を蹴るように立つ。


息が荒い。


「違うだろ」


机から離れる。


窓まで歩く。


止まる。


振り返る。


壁。


鏡。


また机。


狭い部屋を何度も往復する。


「俺は……」


鏡の前で足が止まった。


俺は。


何だ。


名前。


思い出そうとする。


カ。


そこから先が出ない。


唇だけが、続きを探すように動く。


以前なら焦った。


今は。


それすら少し面倒だった。


名前なんて。


呼ぶための記号だ。


必要なら周囲が覚えている。


自分が覚えておく必要はない。


そう考えた瞬間。


胸の奥が。


少しだけ軽くなった。


---


翌週。


レオが学校へ来なくなった。


その前日。


彼と最後に一緒にいたのが誰なのか。


誰も知らなかった。


ただ。


次の日から。


教室で笑いが起きる回数は減らなかった。


誰かが失敗する。


空気が止まりかける。


彼が先に口を開く。


軽い冗談。


誰かが吹き出す。


別の誰かも笑う。


空気が戻る。


以前。


それをやっていた人間の席だけが。


空いている。


ニナが笑った後。


ふと。


その空席を見た。


唇から笑みが消える。


「……レオなら、今もっとくだらないこと言ってたよね」


彼はニナの表情を見る。


眉。


瞳。


下がった口元。


悲しい。


なら。


埋めればいい。


「じゃあ俺が言おうか」


ニナがこちらを見る。


彼はレオと同じように片方の口角を上げた。


ニナの瞳が揺れた。


何も言わない。


椅子を引く。


その表情には見覚えがあった。


ダリオが最後に見せた。


嫌悪。


ではない。


まだ。


恐怖だった。


「……何」


「何でもない」


ニナはパンを持ち、別の席へ移った。


椅子一脚分。


距離が増えた。


彼の笑顔だけが残った。


---


その日の夜。


ノートを開く。


『レオ』


二本線。


その下。


『取得済』


残り差分。


二十六。


数字を見る。


ペンを置く。


もう。


手は震えなかった。


---


次に異変へ気づいたのは、エミリアだった。


彼女は早かった。


人の声。


姿勢。


癖。


視線。


昨日との違い。


そして。


人がいなくなる順番。


放課後。


誰もいない教室。


夕日が机の列を長く伸ばしている。


彼が鞄を持ち上げた時。


「待って」


エミリアの声。


振り返る。


彼女は自分の机の横に立っていた。


鞄を胸の前で抱えている。


「ダリオがいなくなる前から、あなた変だったよね」


返事はしなかった。


エミリアの指が鞄の布を掴む。


「レオがいなくなる前の日も、一緒に帰った?」


「何で」


「否定しないんだ」


彼女の目は怖がっている。


瞳が何度も扉へ向く。


それでも。


逃げてはいない。


「ねえ」


声が震える。


「あなた、本当に……」


名前を呼ぼうとして。


唇が止まった。


それが。


一番。


腹が立った。


「何」


「……誰?」


夕方の教室。


廊下の向こうから聞こえていた足音が遠ざかる。


「誰って」


笑いが出た。


その笑い方が。


誰のものか。


分からない。


「ずっと一緒にいただろ」


「そうじゃない」


エミリアが一歩下がった。


鞄が机の角へ当たる。


「前は、そんな顔しなかった」


「前?」


「そんな喋り方もしなかった」


「だから?」


「そうやって」


声が強くなる。


エミリアは鞄を机へ置いた。


震えていた手を握る。


「みんなの真似して、何がしたいの?」


胸が大きく鳴った。


真似。


また。


その言葉。


「真似じゃない」


「じゃあ何?」


「使えるから使ってるだけ」


エミリアの顔がはっきり変わった。


眉が上がる。


唇が開く。


一瞬。


呼吸が止まる。


「それ、人のこと?」


「何が」


「使えるって」


答えなかった。


その沈黙で。


エミリアは理解した。


瞳が扉へ動く。


身体が半分そちらを向く。


走る。


椅子が倒れた。


けれど。


彼の身体は。


それより先に動いていた。


---


数日後。


エミリアの席も空いた。


学校では。


偶然ではない。


という空気が生まれ始めていた。


教師が教室の外で話す。


保護者が校門の前に立つ。


知らない大人が廊下を歩く。


誰かが事件だと言った。


誰かは学校の外に犯人がいると言った。


会話は、彼が近づくと少しだけ小さくなる。


彼は。


誰より落ち着いていた。


相手が何を見ているのか。


分かる。


エミリアの観察。


危険を察知する視線。


人の会話の裏を見る癖。


全部。


もう。


自分の中にある。


「昨日は?」


教師が聞く。


彼は相手の目を見る。


少しだけ困った表情。


兄。


声は落ち着かせる。


「知らない」


短く。


ダリオ。


それ以上言わない。


エミリア。


場が重くなりすぎる前に、少しだけ息を抜く。


レオ。


上手くできた。


あまりにも。


上手く。


---


その夜。


残り差分。


十九。


ノートに並ぶ名前は減っていく。


それと反対に。


自分の中の声は増えていった。


---


朝。


ブラックコーヒーを飲む。


一口。


舌へ苦味が広がる。


顔が歪んだ。


カップを少し離す。


以前。


何が好きだった。


甘い。


何か。


思い出せない。


黒い液面に自分の顔が揺れている。


もう一口。


今度は顔が歪まなかった。


好きだから飲んでいるのか。


誰かが飲んでいたから飲んでいるのか。


もう。


判断する必要もなかった。


習慣になっている。


なら。


それでいい。


「お前さ」


背後から声がした。


振り返る。


兄だった。


双子。


同じ日に。


数分違いで生まれた。


そのはず。


兄の顔を見る。


どこか自分に似ている。


いや。


今は。


自分の方がどこに似ているのか分からない。


兄は部屋へ入った。


ノート。


鏡。


机。


順番に見る。


最後に。


こちら。


「最近何してる」


「何も」


「嘘つけ」


声が低い。


いつもの兄ではなかった。


顎が強く引かれている。


拳も開かない。


怒っている。


いや。


怖がっている。


「ダリオもレオもエミリアもいなくなった」


「俺に言われても」


「お前、最後にダリオといたよな」


胸が少し鳴る。


兄は目を逸らさない。


「レオの時も」


沈黙。


「エミリアも、お前のこと変だって言ってた」


彼は兄の顔を見る。


よく知っている。


昔から。


何度も見てきた。


自分より先に呼ばれる顔。


自分より先に褒められる顔。


失敗しても笑って許される顔。


自分が何年も。


何年も。


追いかけていた顔。


「兄貴」


その呼び方だけは。


まだ自然に出た。


兄の眉がわずかに緩んだ。


「何」


「何で」


声は静かだった。


「何でいつもお前だったの」


兄が眉を寄せる。


「何の話だよ」


「昔から」


一歩。


「何やっても」


もう一歩。


兄は動かない。


「俺の方ができることあっただろ」


「……」


「勉強も」


さらに。


「片付けも」


さらに。


「ちゃんと覚えてるのも」


喉が震えた。


「俺だっただろ」


兄の瞳が揺れる。


「なのに何で」


息が荒くなる。


「何で先にお前なんだよ」


昔。


門の前。


先生。


友達。


親戚。


誰かが最初に呼ぶ。


兄。


何かを任せる。


兄。


笑う。


兄。


頼る。


兄。


「一回くらい」


声が弱くなった。


子供の頃のように。


「一回くらい俺より下にいろよ」


兄の顔が苦しそうに歪んだ。


その顔を見た瞬間。


胸が痛んだ。


違う。


兄は悪くない。


知っている。


ずっと。


好きだった。


嫌いになれなかった。


だから。


何年も苦しかった。


「……ごめん」


口から出た。


兄が近づく。


「お前」


手が伸びる。


肩へ。


昔から。


そうだった。


兄はこうする。


何も解決できなくても。


隣に来る。


その安心感を。


自分はもう持っている。


同じ声。


同じ距離。


同じ手の置き方。


できる。


だから。


思ってしまった。


もう。


本人はいらない。


兄の手が肩へ触れた。


温かい。


その瞬間。


彼は泣いた。


「ごめん」


兄が目を見開く。


「何が」


「ごめん」


もう一度。


それしか言えなかった。


---


翌朝。


家の中から。


兄の声は消えていた。


ノートを開く。


兄。


名前。


ペンを持つ。


線を引こうとする。


引けない。


指が震える。


涙が紙へ落ちる。


文字の端が滲んだ。


「……ごめん」


その名前だけは。


何度見ても消しづらかった。


生まれた時からいた。


三分。


先に。


ずっと。


先に。


「……何で」


手が止まる。


今なら。


兄と同じように笑える。


同じように人を安心させられる。


同じ姿勢で。


同じ声で。


「大丈夫」


と言える。


なのに。


兄はいない。


胸の中が空いた。


本物がいなくなれば満たされると思っていた。


でも。


そこには。


穴しかなかった。


それでも。


ペンは動いた。


二本線。


『取得済』


残り差分。


十二。


---


その日から。


ジョナは明らかに彼を避けるようになった。


廊下ですれ違う。


目が合う前に逸らされる。


話しかける。


返事は短い。


近づく。


半歩離れる。


以前なら。


それを数字で記録した。


笑顔。


回数。


視線。


時間。


今は。


数字にする前から分かる。


拒絶。


「ジョナ」


放課後。


ようやく捕まえた。


彼女の足が止まる。


肩が一度だけ強張る。


ゆっくり振り返った。


「何」


声が冷たい。


目の下が少し赤い。


「最近避けてる?」


「避けてる」


即答。


胸が痛む。


「何で」


ジョナはしばらくこちらを見た。


瞳が揺れる。


それでも逸らさない。


「本当に分かんない?」


「分からない」


「そう」


彼女の目は赤かった。


泣いた後。


「じゃあ、もう無理だよ」


「何が」


「話すの」


「何で」


「怖いから」


廊下の向こうから聞こえていた声が途切れた。


「俺が?」


「うん」


その返事は。


ダリオより。


エミリアより。


何より痛かった。


「何が怖い」


「全部」


「全部って何」


「そういうところ」


ジョナが一歩下がる。


彼が詰めたわけでもないのに。


距離を取る。


「前だったら、そんな聞き方しなかった」


胸がざらつく。


「またそれ?」


「また?」


「前は」


声が強くなる。


「前の俺なら。昔の俺なら」


ジョナの身体が強張る。


「じゃあどれが正解なんだよ!」


廊下へ声が響いた。


ジョナの肩が跳ねる。


「何を残せばよかったんだよ!」


拳を握る。


「マースみたいにしたら嫌がる。兄貴みたいにしても違うって言う。ちゃんと話しても、優しくしても、何しても」


喉が詰まる。


「何で俺じゃ駄目なんだよ」


ジョナの目から。


涙が一つ落ちた。


頬を伝う。


彼の視線が、それを追う。


「違うよ」


「何が」


「私、一回もそんな理由であんたを嫌いって言ってない」


彼の顔が止まる。


「マースみたいじゃないから嫌いだったわけでもない。お兄さんみたいじゃないからでもない」


ジョナは袖で涙を拭った。


それでも次が落ちる。


「勝手に比べて」


胸に刺さる。


「勝手に足りないって決めて」


さらに。


「私が何言っても」


昔。


同じ。


「聞いてなかった」


ジョナの声が小さくなる。


「ずっと、自分が選ばれるかどうかしか見てなかった」


彼は言葉を失った。


「じゃあ」


ようやく声が出る。


「俺は」


続かない。


「俺は……」


名前。


出ない。


自分を説明する言葉も。


出ない。


好きだったもの。


嫌いだったもの。


昔の笑い方。


話し方。


癖。


何も出てこない。


口だけが開いたまま。


ジョナは待っていた。


それでも。


答えられない。


泣きながら。


彼女が言った。


「それを私に聞かないでよ」


その言葉が。


身体の奥へ落ちた。


「自分で決めてよ」


長い沈黙。


その時。


廊下の向こうから。


足音。


マースが歩いてきた。


二人を見る。


足を止める。


「……大丈夫?」


また。


あの声。


あの距離。


自然。


何も考えていない。


ジョナが。


マースを見る。


それだけ。


その一瞬で。


何年分もの何かが切れた。


また。


そっち。


こんな時まで。


また。


自分じゃない。


彼は笑った。


マースの笑い方で。


「マース」


「何」


「ちょっと来て」


---


夜。


人気のない場所。


以前。


ダリオと歩いた道。


今度は。


マース。


二人の足音が続く。


けれど、もう合わせようとはしていなかった。


「お前さ」


マースが歩きながら言った。


両手をポケットへ入れている。


「最近マジで何か変だぞ」


「みんな言う」


「なら聞けよ」


「何を」


「知らねえよ」


マースは笑う。


「そこまで面倒見れねえよ」


普通だった。


雑。


何でも分かるわけじゃない。


失敗する。


完璧じゃない。


それなのに。


みんな。


こいつを選ぶ。


「何で」


「何が」


「何でお前なんだろうな」


「知らん」


即答。


それが腹立たしい。


「俺も知らんし、別に俺が何でも選ばれてるわけじゃねえだろ」


「選ばれてる」


「誰に」


「みんなに」


マースが少し笑った。


「お前、俺のこと買いかぶりすぎ」


「違う」


「違わねえよ」


立ち止まる。


靴底が地面を擦った。


「俺、普通に嫌われるし」


肩をすくめる。


「失敗もするし」


少し考える。


「ジョナにも普通に怒られるし」


胸に刺さる。


ジョナ。


「でも」


マースが続ける。


「お前が俺の真似してるのは、前から分かってた」


顔が上がる。


「……いつから」


「結構前」


「何で言わなかった」


「別にいいから」


簡単。


また。


簡単。


「人の真似なんてみんなするだろ」


マースはこちらを見る。


さっきまでの軽さが少し消える。


「でも、最近のお前は真似してるっていうより」


言葉を探す。


視線が一度下がる。


そして。


「消してる感じする」


彼の指が止まった。


「何を」


「自分」


胸が鳴る。


「何それ」


笑う。


「自分って何」


マースは黙る。


「説明してよ。俺の何が自分だった?」


「知らねえよ」


その答え。


また。


顔が歪む。


「じゃあ何で言えるんだよ」


「分かんねえからだよ」


マースの声が強くなる。


「分かんねえけど、昔のお前と今のお前が違うくらいは分かる」


昔。


また昔。


「昔の俺なんて、何もなかっただろ」


「それ誰が決めた」


「俺だよ!」


叫ぶ。


「俺がずっと見てたんだよ!」


マースは黙った。


「兄貴の隣で。お前の隣で。ジョナの隣で。ずっと」


涙が出る。


拭わない。


「俺が一番分かってる」


マースが悲しそうな顔をした。


眉が落ちる。


それがまた嫌だった。


「その顔やめろ」


「何」


「分かったみたいな顔」


「してねえよ」


「してる」


一歩。


「いつもそう」


もう一歩。


「何もしなくても」


拳が震える。


「みんなお前を見る」


マースは動かない。


「じゃあ」


声が掠れる。


「お前がいなかったら」


マースの目が変わった。


重心が下がる。


右足がわずかに後ろへ。


「……お前」


見覚えがある。


その構えも。


「今度こそ」


一歩。


「俺だろ」


身体が動いた。


拳。


マースが避ける。


速い。


けれど。


知っている。


マースが避けた先へ足を出す。


向こうも読む。


こちらも読む。


レオ。


ダリオ。


エミリア。


兄。


失敗作。


そして。


マース自身。


一つの身体の中で、何人分もの動きが切り替わる。


マースの瞳が追いつかなくなる。


拳を避ける。


脚を止める。


腕を取る。


「っ……!」


マースは本気で振りほどく。


肘。


来る。


避ける。


身体を捻る。


次は脚。


知っている。


止める。


少しずつ。


マースの呼吸が荒くなる。


自分自身の癖を。


全部読まれている。


「お前……!」


肩が大きく上下する。


「何なんだよ!」


何度目だろう。


お前。


誰。


知らない。


だから。


答えられない。


最後。


マースが地面へ倒れた。


まだ息がある。


胸が上下している。


髪が額へ張りついている。


彼は上から見下ろした。


ここで終わらせれば。


最大の比較対象が消える。


これまで追いかけてきた人間が消える。


しゃがむ。


手を伸ばす。


マースの首へ触れる。


マースは抵抗しなかった。


ただ。


こちらを見る。


「なあ」


弱い声。


「一個だけ」


手が止まる。


「何」


「俺になって」


息を吸うたび喉が鳴る。


「何すんの」


意味が分からない。


マースが。


かすかに笑った。


「その後」


目が閉じかける。


「誰になるんだよ」


手が止まった。


誰。


次。


誰。


マースがいなくなる。


その後。


ジョナ。


違う。


ジョナから共感。


ニナ。


違う。


もっと選ばれる人間。


もっと好かれる人間。


もっと強い。


もっと優しい。


もっと面白い。


もっと。


もっと。


もっと。


終わらない。


初めて。


底がないことに気づいた。


手がわずかに緩む。


けれど。


遅かった。


胸の奥。


別の声。


まだマースがいる。


だから迷っている。


消せば分かる。


指に力が戻る。


マースの身体が少し動く。


そして。


動かなくなった。


---


夜。


静かだった。


彼は長い間。


そこに座っていた。


膝を立て。


腕を乗せ。


目の前のマースを見る。


泣かなかった。


吐かなかった。


ただ。


見ていた。


風が髪を動かす。


もう。


本人は払わない。


ずっと欲しかったもの。


そこにある。


もう。


誰もマースを選ばない。


そのはずだった。


---


翌日。


学校。


マースの席も空いた。


教室は静かだった。


誰も笑わない。


ジョナは来なかった。


ニナもこちらを見ない。


彼が教室へ入ると、近くにいた二人が会話を止めた。


一人が鞄を持つ。


別の席へ行く。


誰も頼らない。


誰も話しかけない。


空いた席だけが増えていた。


ダリオ。


レオ。


エミリア。


マース。


兄も。


家にいない。


選ばれる人間を。


消した。


なのに。


自分が。


選ばれない。


机へ座る。


一人。


周囲の声が遠い。


何で。


頭の中が空っぽになる。


何で。


本物を消した。


差をなくした。


それなのに。


誰も来ない。


---


その夜。


ノートを開いた。


ページには。


名前。


何本もの線。


『取得済』


残り差分。


十二。


数字を見つめる。


違う。


まだ多い。


マースを消した。


なら減る。


九。


兄を消した。


六。


レオ。


ダリオ。


エミリア。


全部。


自分の中。


四。


三。


二。


ペン先が止まる。


残り。


一。


あと一つ。


何が足りない。


ページを見る。


名前はもうほとんど残っていない。


ジョナ。


そこだけ。


線がない。


「……ジョナ」


声に出す。


胸が少し痛んだ。


彼女から欲しかったもの。


共感。


違う。


本当は。


違う。


何が欲しかった。


選ばれたかった。


誰に。


ジョナ。


何で。


好きだから。


本当に。


好きだった?


それとも。


マースより。


兄より。


選ばれたかっただけ。


分からない。


ノートへ書く。


『ジョナ』


その下。


『好き』


ペンが止まる。


『?』


さらに。


『マースに勝ちたかっただけ?』


長く。


見つめる。


『判定不能』


以前にも書いた。


覚えている。


けれど。


今。


誰が書いたのかは。


分からない。


残り一。


何を消せば。


ゼロになる。


鏡を見る。


男が座っている。


顔。


知らない。


笑えばマース。


姿勢は兄。


ペンの持ち方はダリオ。


目はエミリア。


口調はレオ。


そこに。


誰が残っている。


自分。


自分って。


何。


鏡へ近づく。


顔を見る。


「お前」


声も。


誰のものか分からない。


「何が残ってる」


鏡は答えない。


胸へ触れる。


心臓。


動いている。


それだけ。


ノートへ戻る。


最後の一。


まだ。


残っている。


その下へ何かを書こうとして。


ペンが止まる。


自分の名前。


書こうとする。


カ。


出ない。


C。


違う。


その文字すら。


もう。


他人のものに見える。


なら。


何。


長い沈黙の末。


『本体』


と書いた。


見る。


違和感。


線を引く。


その下へ。


『修正対象』


その文字の方が。


しっくりきた。


人間ではない。


改善するもの。


足りないところを埋めるもの。


余計なところを消すもの。


最後に残っている。


元の部分。


それを。


どうすれば。


消せる。


鏡を見る。


昔。


甘いものが好きだった。


たぶん。


静かな方だった。


話す前によく考えた。


緊張すると。


左の親指を触った。


彼の右手が動いた。


左の親指へ触れる。


止まる。


その癖だけは。


誰から取ったのか思い出せなかった。


ジョナと話す時。


言葉を選びすぎて。


よく黙った。


兄が選ばれるたび。


嫌だった。


でも。


兄が褒められると。


少し。


嬉しかった。


マースが来て。


嫌いじゃなかった。


むしろ。


好きだった。


だから。


苦しかった。


左の親指から。


手を離す。


それ。


全部。


弱い。


選ばれない。


原因。


そう思った。


ペンが動く。


『旧個体』


少し。


震える。


その下へ。


『不要』


書いた。


残り差分。


一。


数字を消す。


そして。


ゼロ。


『残り差分:0』


部屋は静かなままだった。


何も起きない。


光らない。


音もしない。


窓の外では。


誰かが歩いている。


遠くで扉が閉まる。


世界は普通に続いている。


ただ。


ノートの数字だけが。


ゼロになった。


彼はそれを長く見つめた。


これを。


目指していた。


差がない。


誰より。


下でもない。


足りないものも。


ない。


なのに。


嬉しくない。


悲しくもない。


何もない。


鏡へ顔を向ける。


知らない男がいる。


いろんな人間の良いところを持った。


誰でもない男。


「……誰だよ」


以前も。


同じことを言った。


今度は。


本当に。


答えを探さなかった。


---


翌朝。


廊下に。


ジョナがいた。


目が合う。


彼女の顔が固まる。


身体がわずかに後ろへ引く。


逃げるように。


視線を外した。


彼は立ち止まる。


何か。


言うべき。


そう思う。


でも。


何を。


ジョナ。


誰。


知っている。


大事だった。


はず。


彼女が。


震える声で。


名前を呼んだ。


「……カルロス」


反応はなかった。


もう一度。


「カルロス」


彼は。


少しだけ首を傾けた。


聞いたことのある音。


知っている。


昔。


何度も呼ばれていた。


でも。


それが。


誰の名前だったのか。


思い出せない。


ジョナの目から。


涙が落ちる。


「……返事してよ」


彼は。


その涙を見る。


頬を伝う速度。


震える唇。


狭くなった肩。


理由を考える。


悲しい。


たぶん。


そういう顔。


なら。


こうすればいい。


兄のように。


声を少し落とす。


マースのように。


相手を追い詰めない距離を取る。


ジョナのように。


相手の感情を否定しない。


全部。


分かる。


全部。


できる。


それらを組み合わせる。


少し身体を傾け。


柔らかい声を作り。


誰かから借りた笑顔を浮かべる。


「大丈夫?」


ジョナの顔が。


壊れた。


「……違う」


一歩。


後ろへ。


「それじゃない」


彼は黙った。


何が違う。


声か。


表情か。


距離か。


言葉か。


どこを直せばいい。


何を足せばいい。


考える。


けれど。


答えが出ない。


ポケットから。


小さなノートを取り出す。


最後のページ。


『残り差分:0』


そこだけは。


間違っていない。


ゼロ。


足りないものは。


ない。


はず。


それなのに。


ジョナは泣いている。


彼はジョナを見る。


ノートを見る。


また。


ジョナを見る。


何度繰り返しても。


分からない。


遠くで。


誰かが声を上げた。


「カルロス!」


廊下の向こう。


開いた教室の扉から、人がこちらを見ている。


彼は振り返らなかった。


「カルロス!」


また。


その音。


知っている。


何度も聞いた。


なのに。


自分へ向けられているという感覚がない。


ジョナが一歩近づく。


靴底が床を鳴らした。


その音だけが、妙に大きい。


誰だ。


カルロス。


誰。


窓の外では風が吹いていた。


校庭の木が揺れる。


カーテンが膨らむ。


廊下の奥を誰かが横切る。


教室では椅子を引く音がした。


全部。


いつも通り動いている。


なのに。


一つずつ。


遠くなる。


最初に。


教室の話し声が消えた。


口は動いている。


笑っている人間もいる。


でも。


聞こえない。


次に。


窓の外。


揺れていた木の葉から音が消える。


カーテンだけが。


音もなく膨らんだ。


ジョナの髪が風で揺れた。


彼女が何か言う。


聞こえない。


「……え」


ジョナを見る。


唇。


動いている。


何を言っている。


読めない。


一歩。


近づいてくる。


その一歩が。


遠い。


廊下が。


長い。


さっきまで数歩だった距離が。


伸びているように見えた。


違う。


ジョナは近づいている。


なのに。


遠ざかる。


視界が。


ぐらり。


揺れた。


窓枠が傾く。


机の列が斜めになる。


蛍光灯が一本。


二本。


視界の上へ滑っていく。


「……え」


壁へ手を伸ばす。


届かない。


さっきまでそこにあったはずなのに。


床が傾く。


違う。


身体だ。


膝から力が抜けた。


その瞬間。


音が戻った。


キィィィィ――。


耳鳴り。


それだけ。


手からノートが滑る。


ぱさ。


床へ落ちた。


開く。


視界が揺れている。


ジョナの顔も。


机も。


窓も。


全部。


輪郭が滲んでいる。


なのに。


ページの中央。


『残り差分:0』


数字だけが。


動かない。


妙にはっきり見えた。


ジョナが駆けてくる。


髪が跳ねる。


口を大きく開いている。


手を伸ばす。


指先。


あと少し。


届く。


はずなのに。


遠い。


視界の端から。


色が落ちた。


窓の青。


消える。


机の茶色。


消える。


ジョナの服。


消える。


最後に。


顔。


輪郭だけになる。


その輪郭も。


暗闇へ沈む。


声。


消える。


教室。


消える。


ジョナ。


消える。


最後まで。


白いページだけが残った。


その中央。


ゼロ。


瞬きをした。


暗転した。


---


白。


目を開けたのか。


最初から開いていたのか。


分からなかった。


白い場所だった。


壁がない。


床も見えない。


天井もない。


影がない。


上下も。


奥行きも。


距離を測るものが。


何もない。


ただ。


白。


彼は立っていた。


足の裏には。


何かがある。


硬いのか。


柔らかいのか。


分からない。


一歩。


足を出す。


音がしない。


もう一歩。


音がしない。


進んだのか。


同じ場所なのか。


分からない。


自分が立っている。


それだけは分かる。


身体を見る。


手。


腕。


足。


ある。


指を動かす。


動く。


腕を上げる。


上がる。


けれど。


影がない。


その手が。


どれほど自分から離れているのかさえ。


白の中では曖昧だった。


誰の身体だ。


前を見る。


いつからいたのか。


少年が立っていた。


白い服。


白い場所。


輪郭だけが。


そこにある。


近いのか。


遠いのか。


分からない。


少年はこちらを見る。


「あなたは」


声がした。


反響しない。


どこから届いたのかも分からない。


「何をなくしましたか」


彼は答えなかった。


白。


何も動かない。


風もない。


時計もない。


外もない。


少年も急かさない。


ただ。


待っている。


沈黙が長くなるほど。


自分の呼吸だけが。


場違いに感じた。


やがて。


口を開く。


「……差」


少年が聞く。


「誰との差ですか」


答えようとする。


兄。


マース。


ダリオ。


レオ。


エミリア。


顔が浮かぶ。


白の中へ。


一人ずつ。


でも。


目から消える。


口が消える。


輪郭が崩れる。


名前だけになる。


その名前も。


読めなくなる。


「……分からない」


「そうですか」


少年の声。


位置が変わらない。


彼は瞬きをした。


少年は。


さっきより近い。


ような気がした。


動いたところを。


見ていない。


「ゼロになったのは」


少し間を置いて。


「差だけですか」


胸へ手を置く。


心臓。


どく。


動いている。


どく。


白い空間には響かない。


自分の身体の中でしか。


鳴っていない。


なら。


何かは。


いる。


はず。


「……俺」


止まる。


俺。


誰。


少年を見る。


少年の顔は変わらない。


「あなたがなくしたものを」


白の中で。


声だけが届く。


「あなたは、覚えていますか」


「……分からない」


「そうですか」


また。


それだけ。


彼は少年から目を逸らした。


その瞬間。


どちらを向いているのか。


分からなくなった。


白。


右。


白。


左。


白。


後ろ。


白。


少年は。


どこだ。


振り返る。


いた。


最初から。


正面にいたように。


「じゃあ」


喉が乾く。


「俺は誰なんだ」


少年は。


答えなかった。


正しい名前も。


正しい生き方も。


何も。


渡さない。


ただ。


最後に。


一つだけ聞いた。


「それを決めるのは」


白い空間。


何もない。


「誰ですか」


答えられない。


その時。


少年の足元から。


白が薄れた。


いや。


少年が薄れている。


輪郭。


顔。


服。


順番に。


白へ溶けていく。


「待っ――」


声を出した。


初めて。


少年へ手を伸ばす。


届かない。


距離が分からない。


一歩。


二歩。


走る。


足音がしない。


近づかない。


少年の口が動いた。


「そうですか」


消えた。


白だけが残る。


「待て」


返事はない。


「おい」


白。


「……誰か」


白。


その白ささえ。


消えた。


---


暗い。


本当に。


何もない。


白すらない。


自分の手が見えない。


身体があるのかも。


分からない。


顔も。


名前も。


誰かを好きだった記憶も。


誰かを羨んだ記憶も。


どこまでが自分だったのか。


分からない。


音もない。


呼吸さえ。


聞こえない。


その暗闇の中。


トン。


身体が強張った。


音。


トン。


靴音。


遠い。


トン。


少し近い。


トン。


方向が分からない。


前。


後ろ。


右。


左。


暗闇には。


距離を測るものがない。


トン。


近づいてくる。


見えない。


なのに。


近づいていることだけは分かる。


トン。


止まった。


すぐ近く。


そう感じた。


でも。


何も見えない。


沈黙。


長い。


何もない暗闇で。


誰かが。


こちらを見ている。


それだけが分かる。


男の声。


「……へえ」


耳元ではない。


少し離れている。


はず。


聞いたことがあるような。


ないような。


楽しそうでもなく。


驚いているようでもない。


珍しいものを見つけた時のような声。


彼は後ろへ下がろうとした。


足が。


どこにあるのか分からない。


動いたのかも。


分からない。


トン。


もう一度。


今度は。


すぐ横。


いつ移動した。


「本当に」


小さく笑う。


声が。


近い。


「何も残ってないんだ」


返事をしようとした。


声が出ない。


いや。


どんな声を出せばいい。


兄。


レオ。


ダリオ。


マース。


どれを使う。


分からない。


男は黙った。


その沈黙の間に。


気配が消えた。


いない。


そう思った。


次の瞬間。


耳元。


息が触れるほど近く。


「なら」


身体が動かなかった。


逃げる方向すら。


ない。


間。


優しいほど。


静かな声。


「何にでもなれるね」


暗闇が。


もう一段。


深くなった。


完全に。


落ちた。

カルロス編、これで完結です。


最初のカルロスは、ただ「選ばれたい」と思っていただけでした。


双子の兄より。

マースより。

誰かより。


少しでも自分が選ばれる人間になりたくて、他人の良いところを真似し始めた。


最初は努力でした。


観察して。

練習して。

失敗して。

また直す。


けれど力を得てから、それは一気に加速します。


見るだけで使える。


取り込める。


そうなった時、カルロスの嫉妬は、


「自分もあの人みたいになりたい」


から、


「本物がいるから、自分が選ばれない」


へ変わってしまいました。


そして最終章では、その考えが最後まで進みます。


本物を消す。

比較対象を消す。

自分との差を消す。


その結果。


残り差分:0


カルロスがずっと求めていた数字です。


でもゼロになった時。


彼の中には「カルロス」も残っていませんでした。


今回の章で一番重要なのは、マースの、


「俺になって、その後誰になるんだよ」


という言葉です。


カルロスはずっと、誰かに近づけば完成すると思っていました。


でも実際には。


一人取り込めば、次が見える。


また次。


また次。


終わりはない。


そして最後には、自分自身まで「不要」と判断してしまう。


カルロスの嫉妬は、他人を欲しがった結果ではなく。


「自分である限り足りない」と思い続けた結果、自分自身を消してしまう病理でした。


最後に現れた白い少年は、答えを与えません。


「誰なのか」も。


「どうすればいいのか」も。


ただ。


「それを決めるのは誰ですか」


と問うだけ。


そして、その問いに答えられないまま。


暗闇の中で聞こえる、


「何にでもなれるね」


という囁き。


カルロスが完全に空っぽになった瞬間。


そこへ初めて近づいてきた声です。


この言葉が救いなのか。


新しい地獄なのか。


今はまだ。


ここまで。


カルロス編、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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