KillerWorld ―七つ目の答え― カルロス編 最終章「ゼロ」
ダリオを消し、その力を「取得済」として取り込んだ彼は、ついに最悪の答えへ辿り着く。
本物が残っている限り、比較も差分も消えない。
レオ。
エミリア。
双子の兄。
そして、ずっと追い続けてきたマース。
一人消えるたびに、ノートの残り差分は減っていく。
31。
26。
19。
12。
他人の長所は増えていくのに、自分の中からは名前も、好みも、癖も、記憶も消えていく。
ジョナに問われる。
「ずっと、自分が選ばれるかどうかしか見てなかった」
マースにも突きつけられる。
「俺になって、その後誰になるんだよ」
それでも止まれない。
選ばれる人間を消し。
比較する相手を消し。
最後には、自分自身すら「旧個体」「不要」と処理する。
そして。
残り差分:0
何も足りない。
誰より下でもない。
それなのに。
そこにはもう、誰もいなかった。
名前を呼ばれても振り返らない。
ジョナの涙にも、正しい反応を組み合わせることしかできない。
やがて意識は暗転し、白い場所で少年に問われる。
「ゼロになったのは、差だけですか」
答えられない。
さらに暗闇の中。
ゆっくりと近づく足音。
トン。
トン。
そして、耳元で囁く声。
「何にでもなれるね」
カルロス編、終幕。
ダリオがいなくなってから、三日が経った。
学校ではまだ「行方不明」という言葉が使われていた。
朝、教室へ入るたびに、最初に目へ入るのは空いた席だった。
椅子は机の下へ収まったまま。誰かが横を通るたび、その机だけを避けるように人の流れがわずかに曲がる。
教室の後ろでは、レオとニナが声を落として話していた。
ニナが何か言う。
レオが眉を寄せ、スマホを伏せる。
エミリアは窓際で腕を組み、以前より口数が減っていた。誰かに話しかけられても、返事をする前に一度だけダリオの席を見る。
ジョナも同じだった。
空席へ目が向くたび、眉尻がほんの少し下がる。
そんな中で。
彼だけが、以前より人から話しかけられるようになっていた。
「これ分かる?」
机へノートが置かれる。
「次の提出いつだっけ」
横から別の声。
「先生、何て言ってた?」
振り向けば、もう一人。
以前ならダリオへ向いていた質問が、少しずつこちらへ流れてくる。
彼は椅子を半分回した。
ノートを引き寄せる。
「ここから」
ペン先で式を指す。
相手の瞳が止まる場所を見る。
理解していない。
なら、一つ戻る。
「こっち先にやれば分かる」
「あ、そっか」
答えられた。
全部。
ダリオがどう考えるかも分かる。
それより短く説明する方法も分かる。
相手がどこで躓くかは、エミリアの観察を使えば見える。
教室の空気が重くなれば、レオのように軽い言葉を挟める。
誰かが不安そうなら、少し顎を引き、相手の言葉が終わるまで待つ。
兄のやり方。
それもできる。
驚くほど自然だった。
だから周囲も、最初は気づかなかった。
人は大きな変化には気づく。
けれど。
毎日ほんの少しずつ変わるものには、慣れてしまう。
昼休み。
机が動き、人が集まり始める。
パンの袋が開く音。
飲み物の蓋。
窓から入った風がプリントの端を浮かせる。
レオがパンを咥えたまま何かを話していた。
誰かが突っ込む。
彼も笑った。
その瞬間。
レオの手が止まった。
「あれ」
「何」
「今の」
カルロスの笑顔が消える。
「何が」
レオはパンを持ったまま、口元を指した。
「俺みたいだった」
胸の中で何かが冷えた。
以前なら。
似ていると言われれば嬉しかった。
定着した。
成功した。
そう思えた。
今は違う。
本物が気づいた。
そう感じた。
「そう?」
「めっちゃ似てた」
レオは面白がっているだけだった。
身体をこちらへ向け、もう一度やってみろと言わんばかりに笑っている。
自分の笑い方を真似されたことに、少し嬉しそうですらある。
「じゃあ俺の代わりにバイト行ってくれよ」
「いいよ」
「いや行けんのかよ」
周囲から笑いが起きた。
レオも笑う。
彼も笑った。
その輪の中で。
彼だけが、レオの口元を見ていた。
笑う直前。
右の頬が一度だけ先に上がる。
それから目尻。
肩が少し落ちる。
知っている。
もう使える。
なのに。
レオが笑えば、みんなはレオを見る。
自分が同じように笑えば。
「レオみたい」
そう言われる。
マースみたい。
兄みたい。
ダリオみたい。
レオみたい。
どれだけ上手く使っても。
元の名前がついてくる。
笑い声の中で、彼の口元だけがゆっくり戻った。
いつまで。
自分は。
誰かの「みたい」でいなければならない。
---
その日の夜。
ノートを開いた。
机の明かりが白いページだけを照らしている。
『残り差分:31』
ペンを持つ。
指の位置は、もう考えなくてもダリオと同じだった。
数字の下へ。
『問題』
と書く。
少し考える。
ペン先が紙の上を行ったり来たりする。
やがて。
『取得後も、元個体が存在すると比較が残る』
そこで止まった。
瞬きをする。
もう一度読む。
元個体。
人間のことだ。
友達のことだ。
指先に力が入り、ペンが紙へ小さな点を作った。
消そうと思った。
でも。
消さなかった。
さらに書く。
『比較が残る限り、差分も残る』
手が止まった。
視線がページの上へ移る。
ダリオ。
二本線。
その下。
『取得済』
レオ。
エミリア。
ニナ。
兄。
マース。
ジョナ。
まだ名前が残っている。
一つずつ目で追う。
レオ。
笑い。
エミリア。
観察。
兄。
安心。
マース。
人を惹きつける何か。
いつの間にか。
名前の横に、人間の顔ではなく機能が浮かんでいた。
ページに書かれた名前が。
未処理の項目に見えた。
彼はノートを強く閉じた。
バタン。
「違う」
椅子を蹴るように立つ。
息が荒い。
「違うだろ」
机から離れる。
窓まで歩く。
止まる。
振り返る。
壁。
鏡。
また机。
狭い部屋を何度も往復する。
「俺は……」
鏡の前で足が止まった。
俺は。
何だ。
名前。
思い出そうとする。
カ。
そこから先が出ない。
唇だけが、続きを探すように動く。
以前なら焦った。
今は。
それすら少し面倒だった。
名前なんて。
呼ぶための記号だ。
必要なら周囲が覚えている。
自分が覚えておく必要はない。
そう考えた瞬間。
胸の奥が。
少しだけ軽くなった。
---
翌週。
レオが学校へ来なくなった。
その前日。
彼と最後に一緒にいたのが誰なのか。
誰も知らなかった。
ただ。
次の日から。
教室で笑いが起きる回数は減らなかった。
誰かが失敗する。
空気が止まりかける。
彼が先に口を開く。
軽い冗談。
誰かが吹き出す。
別の誰かも笑う。
空気が戻る。
以前。
それをやっていた人間の席だけが。
空いている。
ニナが笑った後。
ふと。
その空席を見た。
唇から笑みが消える。
「……レオなら、今もっとくだらないこと言ってたよね」
彼はニナの表情を見る。
眉。
瞳。
下がった口元。
悲しい。
なら。
埋めればいい。
「じゃあ俺が言おうか」
ニナがこちらを見る。
彼はレオと同じように片方の口角を上げた。
ニナの瞳が揺れた。
何も言わない。
椅子を引く。
その表情には見覚えがあった。
ダリオが最後に見せた。
嫌悪。
ではない。
まだ。
恐怖だった。
「……何」
「何でもない」
ニナはパンを持ち、別の席へ移った。
椅子一脚分。
距離が増えた。
彼の笑顔だけが残った。
---
その日の夜。
ノートを開く。
『レオ』
二本線。
その下。
『取得済』
残り差分。
二十六。
数字を見る。
ペンを置く。
もう。
手は震えなかった。
---
次に異変へ気づいたのは、エミリアだった。
彼女は早かった。
人の声。
姿勢。
癖。
視線。
昨日との違い。
そして。
人がいなくなる順番。
放課後。
誰もいない教室。
夕日が机の列を長く伸ばしている。
彼が鞄を持ち上げた時。
「待って」
エミリアの声。
振り返る。
彼女は自分の机の横に立っていた。
鞄を胸の前で抱えている。
「ダリオがいなくなる前から、あなた変だったよね」
返事はしなかった。
エミリアの指が鞄の布を掴む。
「レオがいなくなる前の日も、一緒に帰った?」
「何で」
「否定しないんだ」
彼女の目は怖がっている。
瞳が何度も扉へ向く。
それでも。
逃げてはいない。
「ねえ」
声が震える。
「あなた、本当に……」
名前を呼ぼうとして。
唇が止まった。
それが。
一番。
腹が立った。
「何」
「……誰?」
夕方の教室。
廊下の向こうから聞こえていた足音が遠ざかる。
「誰って」
笑いが出た。
その笑い方が。
誰のものか。
分からない。
「ずっと一緒にいただろ」
「そうじゃない」
エミリアが一歩下がった。
鞄が机の角へ当たる。
「前は、そんな顔しなかった」
「前?」
「そんな喋り方もしなかった」
「だから?」
「そうやって」
声が強くなる。
エミリアは鞄を机へ置いた。
震えていた手を握る。
「みんなの真似して、何がしたいの?」
胸が大きく鳴った。
真似。
また。
その言葉。
「真似じゃない」
「じゃあ何?」
「使えるから使ってるだけ」
エミリアの顔がはっきり変わった。
眉が上がる。
唇が開く。
一瞬。
呼吸が止まる。
「それ、人のこと?」
「何が」
「使えるって」
答えなかった。
その沈黙で。
エミリアは理解した。
瞳が扉へ動く。
身体が半分そちらを向く。
走る。
椅子が倒れた。
けれど。
彼の身体は。
それより先に動いていた。
---
数日後。
エミリアの席も空いた。
学校では。
偶然ではない。
という空気が生まれ始めていた。
教師が教室の外で話す。
保護者が校門の前に立つ。
知らない大人が廊下を歩く。
誰かが事件だと言った。
誰かは学校の外に犯人がいると言った。
会話は、彼が近づくと少しだけ小さくなる。
彼は。
誰より落ち着いていた。
相手が何を見ているのか。
分かる。
エミリアの観察。
危険を察知する視線。
人の会話の裏を見る癖。
全部。
もう。
自分の中にある。
「昨日は?」
教師が聞く。
彼は相手の目を見る。
少しだけ困った表情。
兄。
声は落ち着かせる。
「知らない」
短く。
ダリオ。
それ以上言わない。
エミリア。
場が重くなりすぎる前に、少しだけ息を抜く。
レオ。
上手くできた。
あまりにも。
上手く。
---
その夜。
残り差分。
十九。
ノートに並ぶ名前は減っていく。
それと反対に。
自分の中の声は増えていった。
---
朝。
ブラックコーヒーを飲む。
一口。
舌へ苦味が広がる。
顔が歪んだ。
カップを少し離す。
以前。
何が好きだった。
甘い。
何か。
思い出せない。
黒い液面に自分の顔が揺れている。
もう一口。
今度は顔が歪まなかった。
好きだから飲んでいるのか。
誰かが飲んでいたから飲んでいるのか。
もう。
判断する必要もなかった。
習慣になっている。
なら。
それでいい。
「お前さ」
背後から声がした。
振り返る。
兄だった。
双子。
同じ日に。
数分違いで生まれた。
そのはず。
兄の顔を見る。
どこか自分に似ている。
いや。
今は。
自分の方がどこに似ているのか分からない。
兄は部屋へ入った。
ノート。
鏡。
机。
順番に見る。
最後に。
こちら。
「最近何してる」
「何も」
「嘘つけ」
声が低い。
いつもの兄ではなかった。
顎が強く引かれている。
拳も開かない。
怒っている。
いや。
怖がっている。
「ダリオもレオもエミリアもいなくなった」
「俺に言われても」
「お前、最後にダリオといたよな」
胸が少し鳴る。
兄は目を逸らさない。
「レオの時も」
沈黙。
「エミリアも、お前のこと変だって言ってた」
彼は兄の顔を見る。
よく知っている。
昔から。
何度も見てきた。
自分より先に呼ばれる顔。
自分より先に褒められる顔。
失敗しても笑って許される顔。
自分が何年も。
何年も。
追いかけていた顔。
「兄貴」
その呼び方だけは。
まだ自然に出た。
兄の眉がわずかに緩んだ。
「何」
「何で」
声は静かだった。
「何でいつもお前だったの」
兄が眉を寄せる。
「何の話だよ」
「昔から」
一歩。
「何やっても」
もう一歩。
兄は動かない。
「俺の方ができることあっただろ」
「……」
「勉強も」
さらに。
「片付けも」
さらに。
「ちゃんと覚えてるのも」
喉が震えた。
「俺だっただろ」
兄の瞳が揺れる。
「なのに何で」
息が荒くなる。
「何で先にお前なんだよ」
昔。
門の前。
先生。
友達。
親戚。
誰かが最初に呼ぶ。
兄。
何かを任せる。
兄。
笑う。
兄。
頼る。
兄。
「一回くらい」
声が弱くなった。
子供の頃のように。
「一回くらい俺より下にいろよ」
兄の顔が苦しそうに歪んだ。
その顔を見た瞬間。
胸が痛んだ。
違う。
兄は悪くない。
知っている。
ずっと。
好きだった。
嫌いになれなかった。
だから。
何年も苦しかった。
「……ごめん」
口から出た。
兄が近づく。
「お前」
手が伸びる。
肩へ。
昔から。
そうだった。
兄はこうする。
何も解決できなくても。
隣に来る。
その安心感を。
自分はもう持っている。
同じ声。
同じ距離。
同じ手の置き方。
できる。
だから。
思ってしまった。
もう。
本人はいらない。
兄の手が肩へ触れた。
温かい。
その瞬間。
彼は泣いた。
「ごめん」
兄が目を見開く。
「何が」
「ごめん」
もう一度。
それしか言えなかった。
---
翌朝。
家の中から。
兄の声は消えていた。
ノートを開く。
兄。
名前。
ペンを持つ。
線を引こうとする。
引けない。
指が震える。
涙が紙へ落ちる。
文字の端が滲んだ。
「……ごめん」
その名前だけは。
何度見ても消しづらかった。
生まれた時からいた。
三分。
先に。
ずっと。
先に。
「……何で」
手が止まる。
今なら。
兄と同じように笑える。
同じように人を安心させられる。
同じ姿勢で。
同じ声で。
「大丈夫」
と言える。
なのに。
兄はいない。
胸の中が空いた。
本物がいなくなれば満たされると思っていた。
でも。
そこには。
穴しかなかった。
それでも。
ペンは動いた。
二本線。
『取得済』
残り差分。
十二。
---
その日から。
ジョナは明らかに彼を避けるようになった。
廊下ですれ違う。
目が合う前に逸らされる。
話しかける。
返事は短い。
近づく。
半歩離れる。
以前なら。
それを数字で記録した。
笑顔。
回数。
視線。
時間。
今は。
数字にする前から分かる。
拒絶。
「ジョナ」
放課後。
ようやく捕まえた。
彼女の足が止まる。
肩が一度だけ強張る。
ゆっくり振り返った。
「何」
声が冷たい。
目の下が少し赤い。
「最近避けてる?」
「避けてる」
即答。
胸が痛む。
「何で」
ジョナはしばらくこちらを見た。
瞳が揺れる。
それでも逸らさない。
「本当に分かんない?」
「分からない」
「そう」
彼女の目は赤かった。
泣いた後。
「じゃあ、もう無理だよ」
「何が」
「話すの」
「何で」
「怖いから」
廊下の向こうから聞こえていた声が途切れた。
「俺が?」
「うん」
その返事は。
ダリオより。
エミリアより。
何より痛かった。
「何が怖い」
「全部」
「全部って何」
「そういうところ」
ジョナが一歩下がる。
彼が詰めたわけでもないのに。
距離を取る。
「前だったら、そんな聞き方しなかった」
胸がざらつく。
「またそれ?」
「また?」
「前は」
声が強くなる。
「前の俺なら。昔の俺なら」
ジョナの身体が強張る。
「じゃあどれが正解なんだよ!」
廊下へ声が響いた。
ジョナの肩が跳ねる。
「何を残せばよかったんだよ!」
拳を握る。
「マースみたいにしたら嫌がる。兄貴みたいにしても違うって言う。ちゃんと話しても、優しくしても、何しても」
喉が詰まる。
「何で俺じゃ駄目なんだよ」
ジョナの目から。
涙が一つ落ちた。
頬を伝う。
彼の視線が、それを追う。
「違うよ」
「何が」
「私、一回もそんな理由であんたを嫌いって言ってない」
彼の顔が止まる。
「マースみたいじゃないから嫌いだったわけでもない。お兄さんみたいじゃないからでもない」
ジョナは袖で涙を拭った。
それでも次が落ちる。
「勝手に比べて」
胸に刺さる。
「勝手に足りないって決めて」
さらに。
「私が何言っても」
昔。
同じ。
「聞いてなかった」
ジョナの声が小さくなる。
「ずっと、自分が選ばれるかどうかしか見てなかった」
彼は言葉を失った。
「じゃあ」
ようやく声が出る。
「俺は」
続かない。
「俺は……」
名前。
出ない。
自分を説明する言葉も。
出ない。
好きだったもの。
嫌いだったもの。
昔の笑い方。
話し方。
癖。
何も出てこない。
口だけが開いたまま。
ジョナは待っていた。
それでも。
答えられない。
泣きながら。
彼女が言った。
「それを私に聞かないでよ」
その言葉が。
身体の奥へ落ちた。
「自分で決めてよ」
長い沈黙。
その時。
廊下の向こうから。
足音。
マースが歩いてきた。
二人を見る。
足を止める。
「……大丈夫?」
また。
あの声。
あの距離。
自然。
何も考えていない。
ジョナが。
マースを見る。
それだけ。
その一瞬で。
何年分もの何かが切れた。
また。
そっち。
こんな時まで。
また。
自分じゃない。
彼は笑った。
マースの笑い方で。
「マース」
「何」
「ちょっと来て」
---
夜。
人気のない場所。
以前。
ダリオと歩いた道。
今度は。
マース。
二人の足音が続く。
けれど、もう合わせようとはしていなかった。
「お前さ」
マースが歩きながら言った。
両手をポケットへ入れている。
「最近マジで何か変だぞ」
「みんな言う」
「なら聞けよ」
「何を」
「知らねえよ」
マースは笑う。
「そこまで面倒見れねえよ」
普通だった。
雑。
何でも分かるわけじゃない。
失敗する。
完璧じゃない。
それなのに。
みんな。
こいつを選ぶ。
「何で」
「何が」
「何でお前なんだろうな」
「知らん」
即答。
それが腹立たしい。
「俺も知らんし、別に俺が何でも選ばれてるわけじゃねえだろ」
「選ばれてる」
「誰に」
「みんなに」
マースが少し笑った。
「お前、俺のこと買いかぶりすぎ」
「違う」
「違わねえよ」
立ち止まる。
靴底が地面を擦った。
「俺、普通に嫌われるし」
肩をすくめる。
「失敗もするし」
少し考える。
「ジョナにも普通に怒られるし」
胸に刺さる。
ジョナ。
「でも」
マースが続ける。
「お前が俺の真似してるのは、前から分かってた」
顔が上がる。
「……いつから」
「結構前」
「何で言わなかった」
「別にいいから」
簡単。
また。
簡単。
「人の真似なんてみんなするだろ」
マースはこちらを見る。
さっきまでの軽さが少し消える。
「でも、最近のお前は真似してるっていうより」
言葉を探す。
視線が一度下がる。
そして。
「消してる感じする」
彼の指が止まった。
「何を」
「自分」
胸が鳴る。
「何それ」
笑う。
「自分って何」
マースは黙る。
「説明してよ。俺の何が自分だった?」
「知らねえよ」
その答え。
また。
顔が歪む。
「じゃあ何で言えるんだよ」
「分かんねえからだよ」
マースの声が強くなる。
「分かんねえけど、昔のお前と今のお前が違うくらいは分かる」
昔。
また昔。
「昔の俺なんて、何もなかっただろ」
「それ誰が決めた」
「俺だよ!」
叫ぶ。
「俺がずっと見てたんだよ!」
マースは黙った。
「兄貴の隣で。お前の隣で。ジョナの隣で。ずっと」
涙が出る。
拭わない。
「俺が一番分かってる」
マースが悲しそうな顔をした。
眉が落ちる。
それがまた嫌だった。
「その顔やめろ」
「何」
「分かったみたいな顔」
「してねえよ」
「してる」
一歩。
「いつもそう」
もう一歩。
「何もしなくても」
拳が震える。
「みんなお前を見る」
マースは動かない。
「じゃあ」
声が掠れる。
「お前がいなかったら」
マースの目が変わった。
重心が下がる。
右足がわずかに後ろへ。
「……お前」
見覚えがある。
その構えも。
「今度こそ」
一歩。
「俺だろ」
身体が動いた。
拳。
マースが避ける。
速い。
けれど。
知っている。
マースが避けた先へ足を出す。
向こうも読む。
こちらも読む。
レオ。
ダリオ。
エミリア。
兄。
失敗作。
そして。
マース自身。
一つの身体の中で、何人分もの動きが切り替わる。
マースの瞳が追いつかなくなる。
拳を避ける。
脚を止める。
腕を取る。
「っ……!」
マースは本気で振りほどく。
肘。
来る。
避ける。
身体を捻る。
次は脚。
知っている。
止める。
少しずつ。
マースの呼吸が荒くなる。
自分自身の癖を。
全部読まれている。
「お前……!」
肩が大きく上下する。
「何なんだよ!」
何度目だろう。
お前。
誰。
知らない。
だから。
答えられない。
最後。
マースが地面へ倒れた。
まだ息がある。
胸が上下している。
髪が額へ張りついている。
彼は上から見下ろした。
ここで終わらせれば。
最大の比較対象が消える。
これまで追いかけてきた人間が消える。
しゃがむ。
手を伸ばす。
マースの首へ触れる。
マースは抵抗しなかった。
ただ。
こちらを見る。
「なあ」
弱い声。
「一個だけ」
手が止まる。
「何」
「俺になって」
息を吸うたび喉が鳴る。
「何すんの」
意味が分からない。
マースが。
かすかに笑った。
「その後」
目が閉じかける。
「誰になるんだよ」
手が止まった。
誰。
次。
誰。
マースがいなくなる。
その後。
ジョナ。
違う。
ジョナから共感。
ニナ。
違う。
もっと選ばれる人間。
もっと好かれる人間。
もっと強い。
もっと優しい。
もっと面白い。
もっと。
もっと。
もっと。
終わらない。
初めて。
底がないことに気づいた。
手がわずかに緩む。
けれど。
遅かった。
胸の奥。
別の声。
まだマースがいる。
だから迷っている。
消せば分かる。
指に力が戻る。
マースの身体が少し動く。
そして。
動かなくなった。
---
夜。
静かだった。
彼は長い間。
そこに座っていた。
膝を立て。
腕を乗せ。
目の前のマースを見る。
泣かなかった。
吐かなかった。
ただ。
見ていた。
風が髪を動かす。
もう。
本人は払わない。
ずっと欲しかったもの。
そこにある。
もう。
誰もマースを選ばない。
そのはずだった。
---
翌日。
学校。
マースの席も空いた。
教室は静かだった。
誰も笑わない。
ジョナは来なかった。
ニナもこちらを見ない。
彼が教室へ入ると、近くにいた二人が会話を止めた。
一人が鞄を持つ。
別の席へ行く。
誰も頼らない。
誰も話しかけない。
空いた席だけが増えていた。
ダリオ。
レオ。
エミリア。
マース。
兄も。
家にいない。
選ばれる人間を。
消した。
なのに。
自分が。
選ばれない。
机へ座る。
一人。
周囲の声が遠い。
何で。
頭の中が空っぽになる。
何で。
本物を消した。
差をなくした。
それなのに。
誰も来ない。
---
その夜。
ノートを開いた。
ページには。
名前。
何本もの線。
『取得済』
残り差分。
十二。
数字を見つめる。
違う。
まだ多い。
マースを消した。
なら減る。
九。
兄を消した。
六。
レオ。
ダリオ。
エミリア。
全部。
自分の中。
四。
三。
二。
ペン先が止まる。
残り。
一。
あと一つ。
何が足りない。
ページを見る。
名前はもうほとんど残っていない。
ジョナ。
そこだけ。
線がない。
「……ジョナ」
声に出す。
胸が少し痛んだ。
彼女から欲しかったもの。
共感。
違う。
本当は。
違う。
何が欲しかった。
選ばれたかった。
誰に。
ジョナ。
何で。
好きだから。
本当に。
好きだった?
それとも。
マースより。
兄より。
選ばれたかっただけ。
分からない。
ノートへ書く。
『ジョナ』
その下。
『好き』
ペンが止まる。
『?』
さらに。
『マースに勝ちたかっただけ?』
長く。
見つめる。
『判定不能』
以前にも書いた。
覚えている。
けれど。
今。
誰が書いたのかは。
分からない。
残り一。
何を消せば。
ゼロになる。
鏡を見る。
男が座っている。
顔。
知らない。
笑えばマース。
姿勢は兄。
ペンの持ち方はダリオ。
目はエミリア。
口調はレオ。
そこに。
誰が残っている。
自分。
自分って。
何。
鏡へ近づく。
顔を見る。
「お前」
声も。
誰のものか分からない。
「何が残ってる」
鏡は答えない。
胸へ触れる。
心臓。
動いている。
それだけ。
ノートへ戻る。
最後の一。
まだ。
残っている。
その下へ何かを書こうとして。
ペンが止まる。
自分の名前。
書こうとする。
カ。
出ない。
C。
違う。
その文字すら。
もう。
他人のものに見える。
なら。
何。
長い沈黙の末。
『本体』
と書いた。
見る。
違和感。
線を引く。
その下へ。
『修正対象』
その文字の方が。
しっくりきた。
人間ではない。
改善するもの。
足りないところを埋めるもの。
余計なところを消すもの。
最後に残っている。
元の部分。
それを。
どうすれば。
消せる。
鏡を見る。
昔。
甘いものが好きだった。
たぶん。
静かな方だった。
話す前によく考えた。
緊張すると。
左の親指を触った。
彼の右手が動いた。
左の親指へ触れる。
止まる。
その癖だけは。
誰から取ったのか思い出せなかった。
ジョナと話す時。
言葉を選びすぎて。
よく黙った。
兄が選ばれるたび。
嫌だった。
でも。
兄が褒められると。
少し。
嬉しかった。
マースが来て。
嫌いじゃなかった。
むしろ。
好きだった。
だから。
苦しかった。
左の親指から。
手を離す。
それ。
全部。
弱い。
選ばれない。
原因。
そう思った。
ペンが動く。
『旧個体』
少し。
震える。
その下へ。
『不要』
書いた。
残り差分。
一。
数字を消す。
そして。
ゼロ。
『残り差分:0』
部屋は静かなままだった。
何も起きない。
光らない。
音もしない。
窓の外では。
誰かが歩いている。
遠くで扉が閉まる。
世界は普通に続いている。
ただ。
ノートの数字だけが。
ゼロになった。
彼はそれを長く見つめた。
これを。
目指していた。
差がない。
誰より。
下でもない。
足りないものも。
ない。
なのに。
嬉しくない。
悲しくもない。
何もない。
鏡へ顔を向ける。
知らない男がいる。
いろんな人間の良いところを持った。
誰でもない男。
「……誰だよ」
以前も。
同じことを言った。
今度は。
本当に。
答えを探さなかった。
---
翌朝。
廊下に。
ジョナがいた。
目が合う。
彼女の顔が固まる。
身体がわずかに後ろへ引く。
逃げるように。
視線を外した。
彼は立ち止まる。
何か。
言うべき。
そう思う。
でも。
何を。
ジョナ。
誰。
知っている。
大事だった。
はず。
彼女が。
震える声で。
名前を呼んだ。
「……カルロス」
反応はなかった。
もう一度。
「カルロス」
彼は。
少しだけ首を傾けた。
聞いたことのある音。
知っている。
昔。
何度も呼ばれていた。
でも。
それが。
誰の名前だったのか。
思い出せない。
ジョナの目から。
涙が落ちる。
「……返事してよ」
彼は。
その涙を見る。
頬を伝う速度。
震える唇。
狭くなった肩。
理由を考える。
悲しい。
たぶん。
そういう顔。
なら。
こうすればいい。
兄のように。
声を少し落とす。
マースのように。
相手を追い詰めない距離を取る。
ジョナのように。
相手の感情を否定しない。
全部。
分かる。
全部。
できる。
それらを組み合わせる。
少し身体を傾け。
柔らかい声を作り。
誰かから借りた笑顔を浮かべる。
「大丈夫?」
ジョナの顔が。
壊れた。
「……違う」
一歩。
後ろへ。
「それじゃない」
彼は黙った。
何が違う。
声か。
表情か。
距離か。
言葉か。
どこを直せばいい。
何を足せばいい。
考える。
けれど。
答えが出ない。
ポケットから。
小さなノートを取り出す。
最後のページ。
『残り差分:0』
そこだけは。
間違っていない。
ゼロ。
足りないものは。
ない。
はず。
それなのに。
ジョナは泣いている。
彼はジョナを見る。
ノートを見る。
また。
ジョナを見る。
何度繰り返しても。
分からない。
遠くで。
誰かが声を上げた。
「カルロス!」
廊下の向こう。
開いた教室の扉から、人がこちらを見ている。
彼は振り返らなかった。
「カルロス!」
また。
その音。
知っている。
何度も聞いた。
なのに。
自分へ向けられているという感覚がない。
ジョナが一歩近づく。
靴底が床を鳴らした。
その音だけが、妙に大きい。
誰だ。
カルロス。
誰。
窓の外では風が吹いていた。
校庭の木が揺れる。
カーテンが膨らむ。
廊下の奥を誰かが横切る。
教室では椅子を引く音がした。
全部。
いつも通り動いている。
なのに。
一つずつ。
遠くなる。
最初に。
教室の話し声が消えた。
口は動いている。
笑っている人間もいる。
でも。
聞こえない。
次に。
窓の外。
揺れていた木の葉から音が消える。
カーテンだけが。
音もなく膨らんだ。
ジョナの髪が風で揺れた。
彼女が何か言う。
聞こえない。
「……え」
ジョナを見る。
唇。
動いている。
何を言っている。
読めない。
一歩。
近づいてくる。
その一歩が。
遠い。
廊下が。
長い。
さっきまで数歩だった距離が。
伸びているように見えた。
違う。
ジョナは近づいている。
なのに。
遠ざかる。
視界が。
ぐらり。
揺れた。
窓枠が傾く。
机の列が斜めになる。
蛍光灯が一本。
二本。
視界の上へ滑っていく。
「……え」
壁へ手を伸ばす。
届かない。
さっきまでそこにあったはずなのに。
床が傾く。
違う。
身体だ。
膝から力が抜けた。
その瞬間。
音が戻った。
キィィィィ――。
耳鳴り。
それだけ。
手からノートが滑る。
ぱさ。
床へ落ちた。
開く。
視界が揺れている。
ジョナの顔も。
机も。
窓も。
全部。
輪郭が滲んでいる。
なのに。
ページの中央。
『残り差分:0』
数字だけが。
動かない。
妙にはっきり見えた。
ジョナが駆けてくる。
髪が跳ねる。
口を大きく開いている。
手を伸ばす。
指先。
あと少し。
届く。
はずなのに。
遠い。
視界の端から。
色が落ちた。
窓の青。
消える。
机の茶色。
消える。
ジョナの服。
消える。
最後に。
顔。
輪郭だけになる。
その輪郭も。
暗闇へ沈む。
声。
消える。
教室。
消える。
ジョナ。
消える。
最後まで。
白いページだけが残った。
その中央。
ゼロ。
瞬きをした。
暗転した。
---
白。
目を開けたのか。
最初から開いていたのか。
分からなかった。
白い場所だった。
壁がない。
床も見えない。
天井もない。
影がない。
上下も。
奥行きも。
距離を測るものが。
何もない。
ただ。
白。
彼は立っていた。
足の裏には。
何かがある。
硬いのか。
柔らかいのか。
分からない。
一歩。
足を出す。
音がしない。
もう一歩。
音がしない。
進んだのか。
同じ場所なのか。
分からない。
自分が立っている。
それだけは分かる。
身体を見る。
手。
腕。
足。
ある。
指を動かす。
動く。
腕を上げる。
上がる。
けれど。
影がない。
その手が。
どれほど自分から離れているのかさえ。
白の中では曖昧だった。
誰の身体だ。
前を見る。
いつからいたのか。
少年が立っていた。
白い服。
白い場所。
輪郭だけが。
そこにある。
近いのか。
遠いのか。
分からない。
少年はこちらを見る。
「あなたは」
声がした。
反響しない。
どこから届いたのかも分からない。
「何をなくしましたか」
彼は答えなかった。
白。
何も動かない。
風もない。
時計もない。
外もない。
少年も急かさない。
ただ。
待っている。
沈黙が長くなるほど。
自分の呼吸だけが。
場違いに感じた。
やがて。
口を開く。
「……差」
少年が聞く。
「誰との差ですか」
答えようとする。
兄。
マース。
ダリオ。
レオ。
エミリア。
顔が浮かぶ。
白の中へ。
一人ずつ。
でも。
目から消える。
口が消える。
輪郭が崩れる。
名前だけになる。
その名前も。
読めなくなる。
「……分からない」
「そうですか」
少年の声。
位置が変わらない。
彼は瞬きをした。
少年は。
さっきより近い。
ような気がした。
動いたところを。
見ていない。
「ゼロになったのは」
少し間を置いて。
「差だけですか」
胸へ手を置く。
心臓。
どく。
動いている。
どく。
白い空間には響かない。
自分の身体の中でしか。
鳴っていない。
なら。
何かは。
いる。
はず。
「……俺」
止まる。
俺。
誰。
少年を見る。
少年の顔は変わらない。
「あなたがなくしたものを」
白の中で。
声だけが届く。
「あなたは、覚えていますか」
「……分からない」
「そうですか」
また。
それだけ。
彼は少年から目を逸らした。
その瞬間。
どちらを向いているのか。
分からなくなった。
白。
右。
白。
左。
白。
後ろ。
白。
少年は。
どこだ。
振り返る。
いた。
最初から。
正面にいたように。
「じゃあ」
喉が乾く。
「俺は誰なんだ」
少年は。
答えなかった。
正しい名前も。
正しい生き方も。
何も。
渡さない。
ただ。
最後に。
一つだけ聞いた。
「それを決めるのは」
白い空間。
何もない。
「誰ですか」
答えられない。
その時。
少年の足元から。
白が薄れた。
いや。
少年が薄れている。
輪郭。
顔。
服。
順番に。
白へ溶けていく。
「待っ――」
声を出した。
初めて。
少年へ手を伸ばす。
届かない。
距離が分からない。
一歩。
二歩。
走る。
足音がしない。
近づかない。
少年の口が動いた。
「そうですか」
消えた。
白だけが残る。
「待て」
返事はない。
「おい」
白。
「……誰か」
白。
その白ささえ。
消えた。
---
暗い。
本当に。
何もない。
白すらない。
自分の手が見えない。
身体があるのかも。
分からない。
顔も。
名前も。
誰かを好きだった記憶も。
誰かを羨んだ記憶も。
どこまでが自分だったのか。
分からない。
音もない。
呼吸さえ。
聞こえない。
その暗闇の中。
トン。
身体が強張った。
音。
トン。
靴音。
遠い。
トン。
少し近い。
トン。
方向が分からない。
前。
後ろ。
右。
左。
暗闇には。
距離を測るものがない。
トン。
近づいてくる。
見えない。
なのに。
近づいていることだけは分かる。
トン。
止まった。
すぐ近く。
そう感じた。
でも。
何も見えない。
沈黙。
長い。
何もない暗闇で。
誰かが。
こちらを見ている。
それだけが分かる。
男の声。
「……へえ」
耳元ではない。
少し離れている。
はず。
聞いたことがあるような。
ないような。
楽しそうでもなく。
驚いているようでもない。
珍しいものを見つけた時のような声。
彼は後ろへ下がろうとした。
足が。
どこにあるのか分からない。
動いたのかも。
分からない。
トン。
もう一度。
今度は。
すぐ横。
いつ移動した。
「本当に」
小さく笑う。
声が。
近い。
「何も残ってないんだ」
返事をしようとした。
声が出ない。
いや。
どんな声を出せばいい。
兄。
レオ。
ダリオ。
マース。
どれを使う。
分からない。
男は黙った。
その沈黙の間に。
気配が消えた。
いない。
そう思った。
次の瞬間。
耳元。
息が触れるほど近く。
「なら」
身体が動かなかった。
逃げる方向すら。
ない。
間。
優しいほど。
静かな声。
「何にでもなれるね」
暗闇が。
もう一段。
深くなった。
完全に。
落ちた。
カルロス編、これで完結です。
最初のカルロスは、ただ「選ばれたい」と思っていただけでした。
双子の兄より。
マースより。
誰かより。
少しでも自分が選ばれる人間になりたくて、他人の良いところを真似し始めた。
最初は努力でした。
観察して。
練習して。
失敗して。
また直す。
けれど力を得てから、それは一気に加速します。
見るだけで使える。
取り込める。
そうなった時、カルロスの嫉妬は、
「自分もあの人みたいになりたい」
から、
「本物がいるから、自分が選ばれない」
へ変わってしまいました。
そして最終章では、その考えが最後まで進みます。
本物を消す。
比較対象を消す。
自分との差を消す。
その結果。
残り差分:0
カルロスがずっと求めていた数字です。
でもゼロになった時。
彼の中には「カルロス」も残っていませんでした。
今回の章で一番重要なのは、マースの、
「俺になって、その後誰になるんだよ」
という言葉です。
カルロスはずっと、誰かに近づけば完成すると思っていました。
でも実際には。
一人取り込めば、次が見える。
また次。
また次。
終わりはない。
そして最後には、自分自身まで「不要」と判断してしまう。
カルロスの嫉妬は、他人を欲しがった結果ではなく。
「自分である限り足りない」と思い続けた結果、自分自身を消してしまう病理でした。
最後に現れた白い少年は、答えを与えません。
「誰なのか」も。
「どうすればいいのか」も。
ただ。
「それを決めるのは誰ですか」
と問うだけ。
そして、その問いに答えられないまま。
暗闇の中で聞こえる、
「何にでもなれるね」
という囁き。
カルロスが完全に空っぽになった瞬間。
そこへ初めて近づいてきた声です。
この言葉が救いなのか。
新しい地獄なのか。
今はまだ。
ここまで。
カルロス編、最後まで読んでいただきありがとうございました。




