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『KillerWorld ―七つ目の答え―』  作者: ザクロ
カルロス編

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10/57

KillerWorld ―七つ目の答え― カルロス編 第二章「残り差分」

自分と他人の違いを数え始めたカルロス。


誰が笑ったか。

誰が頼られたか。

誰がジョナに選ばれたか。


曖昧だった嫉妬は、少しずつ数字へ変わっていく。


残り差分――63。


マースの話し方。

兄の安心感。

レオの即応性。

ダリオの論理性。


他人の「良いところ」を取り込むほど、カルロスは以前より話しやすく、明るく、器用になっていった。


それなのに。


昔から彼を知るジョナだけは、その変化を喜ばなかった。


「前よりカルロスじゃない」


そしてある夜。


兄やマース、自分自身の癖まで混ざり合った奇妙な男に導かれ、カルロスは人気のない倉庫へ辿り着く。


そこで待っていたのは、白衣の男と――

「選べなかった」失敗作。


触れられた瞬間、カルロスの身体は変わった。


今まで何日もかけて覚えていた他人の動きを、

見るだけで理解し、使える。


努力して真似る必要すらない。


それをカルロスは、進化だと思った。


残り差分――34。


数字が減るほど。


彼自身もまた、確実に減っていた。

第二章 残り差分


「残り差分:63」


その数字は、カルロスにとって安心できるものだった。


誰かに好かれるかどうか。ジョナが自分をどう思っているか。兄と自分の何が違うのか。マースと自分の間にどれだけ差があるのか。


そういうものは考えれば考えるほど曖昧になる。感覚で判断すれば、結局最後には「自分なんて」というところへ戻ってしまう。


けれど、数字なら違った。


減ったか。増えたか。


それだけでいい。


カルロスはノートを閉じた。


パタン、と小さな音が部屋に響く。


それから彼は、以前よりもずっとよく周囲を見るようになった。


最初はマースだけだった。けれど、いつの間にかレオも、ダリオも、エミリアも、ニナも、兄も、ジョナも、同じように観察するようになっていた。


誰がどういう時に笑うのか。どういう人間が最初に名前を呼ばれるのか。誰かが困った時、どんな声をかければ安心するのか。


以前なら、人を見る時にはその人自身を見ていた。


今は違う。


まず、その人が持っている「良いところ」を探す。


次に、それが自分にはあるかを考える。


最後に、足りないと判断する。


その順番が、いつの間にか習慣になっていた。


昼休み。


レオが購買で買ったパンを落とした。


べちゃ、と嫌な音がして、ソースが床へ広がる。


「うわ、最悪」


一瞬だけ、その場の空気が止まった。


以前のカルロスなら、誰かが何か言うのを待っていた。


けれど今は違った。


「三秒ルール」


レオが顔を上げる。


「ソース側から落ちてるぞ!」


「じゃあ一秒ルール」


「短くしても無理だろ!」


どっと笑いが起きた。


マースも笑う。ジョナも笑う。


カルロスも笑った。


胸の奥で、カチ、と何かが噛み合ったような感覚がした。


放課後、ノートを開く。


レオが笑った。周囲も笑った。場の空気は止まらなかった。


以前なら出来なかったことが、出来た。


カルロスは少し考えてから、「残り差分:59」と書いた。


四つ減らした。


根拠なんてなかった。


それでも、減らしていいと思った。


結果が出ている。


自分は良くなっている。


そう思いたかった。


数日後。


兄がカルロスの部屋の前で足を止めた。


中から声が聞こえていた。


「大丈夫」


少し間が空く。


「大丈夫?」


もう一度。


「大丈夫」


兄は眉を寄せ、扉をノックした。


コンコン。


中の声が止まる。


「何」


「入るぞ」


扉を開けると、カルロスは鏡の前に立っていた。


机の上にはノートとスマホ。それから、何人かで撮った写真が置かれている。


その中央にマースがいた。


兄は写真を見て、次に鏡の前のカルロスを見た。


「何してんの」


「別に」


「今、喋ってただろ」


「発声」


「何で」


「声小さいって言われるから」


「誰に?」


「いろいろ」


カルロスは鏡へ向き直る。


「大丈夫?」


声の高さを少し変える。


兄の顔が曇った。


「……それ」


鏡越しにカルロスの目だけが動く。


「何」


「マースの言い方じゃない?」


一瞬。


部屋が静かになった。


カルロスは笑った。


「人の言い方に所有権あんの?」


「そうじゃなくて」


「だったら何」


兄は答えられなかった。


カルロスもそれ以上見なかった。


また鏡を見る。


「大丈夫?」


少し柔らかく。


もう一度。


兄はしばらくその背中を見ていた。


鏡の中で、カルロスが笑う。


少しずつ。


別人の笑い方へ近づいていく。


「カルロス」


「何」


兄は何か言いかけた。


結局、言わなかった。


「……いや」


扉が閉じた。


パタン。


カルロスは鏡を見たまま、小さく吐き捨てた。


「またそれかよ」


胸の奥が、ずく、と痛んだ。


誰かに変化を指摘されるたびに、二つの感情が同時に出る。


見抜かれたくない。


気持ち悪いと思われたくない。


それなのに。


ちゃんと変われている。


似てきている。


そう思うと、少し嬉しい。


どちらが本当なのか、自分でも分からなかった。


だからカルロスは感情ではなく、ノートへ戻った。


「兄:類似指摘」


そこまで書き、少し考える。


そして、その下へ。


「定着進行」


と書いた。


ジョナの反応だけは、思うようにならなかった。


カルロスは前より話すようになった。人の目を見るようになった。名前も呼ぶ。話題も振る。誰かが困っていれば、以前より早く気づいて声をかけられる。


周囲はそれを好意的に受け取った。


レオには「最近付き合いいいよな」と言われた。


ダリオには「前より話しやすい」と言われた。


ニナにも「感じ柔らかくなったね」と笑われた。


全部、結果だった。


けれどジョナだけは、ほんの少しずつ距離を取るようになっていた。


以前なら隣に座っていたのに、一つ席を空ける。


カルロスが相手の目を見るようになると、逆にジョナの方が先に目を逸らす。


名前を呼ぶ回数を増やした時には、


「最近よく名前呼ぶね」


と笑われた。


ただ、その笑顔は短かった。


マースへ向ける笑顔より。


短かった。


その日の夜、カルロスはノートを開いた。


ジョナがマースへ向けた笑顔。


七回。


自分へ。


四回。


マースを見る時間。


長い。


自分を見る時間。


普通。


カルロスは数字を睨んだ。


じっと。


紙に穴が開きそうなほど。


「……何で」


声が漏れる。


自分は変わった。


前より良くなった。


みんなそう言っている。


なのに。


ジョナだけは離れていく。


カルロスは「何が不足?」と書いた。


会話。


違う。


距離感。


違う。


笑い方。


違う。


シャッ、シャッ、と線を引く。


紙の上が黒くなっていく。


最後に、手が止まった。


カルロスは小さく、


「俺?」


と書いた。


数秒、その文字を見ていた。


ぐしゃ。


ページを握り潰す。


「……違う」


誰に言ったわけでもない。


それでも、その一言だけは妙に強かった。


数日後。


学校帰り。


少し前をマースとジョナが歩いていた。


兄とレオ、ダリオも一緒だった。


カルロスだけが、少し後ろを歩いている。


マースが何か言う。


ジョナが笑う。


カルロスの耳には内容が入ってこなかった。


一回。


二回。


三回。


ジョナがマースの腕を軽く叩く。


四回。


接触、一。


ざっ。


カルロスの足が止まった。


前を歩く五人との距離が、少しずつ開いていく。


誰も気づいていない。


カルロスもすぐには追わなかった。


ただ、前の光景を見ていた。


自然だった。


誰も無理をしていない。


マースも。


ジョナも。


兄も。


レオも。


自分がそこへ入っても、たぶん普通に受け入れてもらえる。


自分がいなくても、同じように笑っている。


胸の奥で、ざらざらと何かが動いた。


昔から積もっていたもの。


兄の時も同じだった。


最初に呼ばれる。


最初に見られる。


最初に頼られる。


そして今度はマース。


また。


同じ。


何で。


何でいつも。


自分ではない。


カルロスは奥歯を噛んだ。


ぎり、と小さな音がした。


「……そりゃそうだよな」


自分に言い聞かせるように笑った。


マースの方がいい。


自分より自然だ。


自分より明るい。


自分より余計なことを考えない。


自分より。


自分より。


自分より。


結局いつも、最後には自分へ戻ってくる。


「俺だからだろ」


乾いた笑い。


「俺だから選ばれねえんだろ」


その時。


前を歩いていた兄が振り返った。


「カルロス?」


カルロスの表情がすぐ変わる。


「何」


「遅いぞ」


「ああ」


走る。


笑う。


いつものように。


誰も、今の声を聞いていなかった。


その夜。


ノートには人の名前が並んでいた。


マース。兄。レオ。ダリオ。エミリア。ニナ。


それぞれの名前の下には、特徴や成功例が増えている。


その中で。


「カルロス」と書かれた場所だけは、ほとんど空白だった。


カルロスはペンを持った。


「カルロス固有」


と書く。


その下。


何も続かない。


好きなもの。


何だった。


嫌いなもの。


どんな時に笑っていた。


どういう怒り方をしていた。


何をすれば落ち着いた。


考える。


考える。


考える。


出てこないわけではない。


甘いものが好きだった。


話す前に考える癖があった。


緊張すると左の親指を触っていた。


でも。


だから何。


それが誰かに選ばれる理由になるのか。


人に好かれる役に立つのか。


カルロスには、それらがどんどん意味のないものに見えてきた。


ペンが動く。


「不要」


カリ、と紙を削る音。


その一文字を書いた瞬間。


胸が少しだけ軽くなった。


要らないなら、消していい。


そう思えた。


その翌日の夜。


カルロスは窓の外に人影を見つけた。


道路の向こう。


街灯の下。


一人の男が歩いている。


見覚えはなかった。


なのに。


カルロスは窓から離れられなかった。


歩き方に見覚えがあった。


右足を出す時に、ほんの少し身体が前へ傾く。


兄の癖だった。


「……兄貴?」


違う。


顔は知らない男だ。


男が立ち止まった。


ゆっくりこちらを見る。


そして。


笑った。


先に息を吐く。


少し首を傾ける。


口角が上がる。


マース。


ぞわ、と背筋を冷たいものが走った。


「……何だよ」


男はそのまま歩き始め、角を曲がった。


カルロスは窓から身を乗り出す。


見えない。


数秒。


迷った。


危ない。


放っておけ。


普通なら、そこで終わる。


だが。


知りたかった。


どうしてあの男が、兄とマースの癖を持っているのか。


カルロスは階段を駆け下りた。


ドン。


ドン。


ドン。


玄関を開ける。


ガチャ。


夜の冷たい空気。


男はまだ遠くにいた。


今度は違う歩き方だった。


少し跳ねるように進む。


腕を大きく振る。


レオ。


「おい!」


男は振り返らない。


カルロスは追った。


住宅街を抜けていく。


古い倉庫街。


人通りがなくなる。


カツ。


カツ。


カツ。


男との距離は縮まらない。


広がりもしない。


まるで。


誘っている。


その考えが浮かび、カルロスの足が一度止まった。


背中が冷える。


帰れ。


そう思った。


その時。


男が振り返った。


マースの笑い方。


次の瞬間には兄のように片手をポケットへ入れる。


首の傾げ方はエミリア。


相手を見る目はダリオ。


一人の身体の中に。


違う人間がいる。


「……何だよ、それ」


恐怖より先に。


興味が出た。


カルロスはまた走った。


倉庫の中には、薬品と鉄と湿気が混じったような臭いが充満していた。


奥に、さっきの男が立っている。


近くで見ると、さらにおかしかった。


一つ一つの動作は自然なのに、繋がっていない。


一歩目は兄。


立ち止まる時はレオ。


振り返るのはマース。


指先は知らない誰か。


「お前……」


男が口を開く。


「大丈夫?」


マースの声。


カルロスの身体が、びく、と震えた。


次には兄の声。


「気にすんな」


その次は知らない女。


「ごめんね」


子供の笑い声まで混ざる。


「……何なんだよ」


カルロスの声が震えた。


すると男が笑った。


今度の笑い方には見覚えがあった。


もっと近い。


ずっと近い。


鼻から小さく息を抜く。


ふっ。


カルロス自身の昔の笑い方だった。


顔から血の気が引く。


「……それ」


もう使っていない。


自分でも忘れ始めていた。


その時。


倉庫の奥から声がした。


「失敗した」


カルロスが振り返る。


白衣の男が立っていた。


いつからそこにいたのか分からない。


表情は薄い。


目の前の異形を、生き物を見る目では見ていない。


「……失敗?」


「ああ」


カルロスは再び異形を見た。


マース。


兄。


知らない誰か。


自分。


全部が混ざっている。


気持ち悪い。


怖い。


なのに。


カルロスの口から最初に出たのは、恐怖ではなかった。


「何で」


白衣の男がカルロスを見る。


「何がだ」


「何で失敗した?」


ほんの少しだけ。


白衣の男の目が変わった。


カルロスは異形を指した。


「できてるじゃん」


声も。


動きも。


癖も。


再現できている。


それなのに。


失敗。


「何で」


白衣の男は短く答えた。


「選べなかった」


「……選ぶ?」


それ以上の説明はなかった。


次の瞬間。


ドンッ。


異形が床を蹴った。


速い。


カルロスが避けるより早く、腕を掴まれる。


ガッ。


「っ……!」


冷たい。


異常な力。


異形の皮膚の下には、血管とは違う黒い筋がうねっていた。


異形の顔が近づく。


そして。


ジョナの声で言った。


「カルロス」


身体が止まった。


ほんの一瞬。


その隙に、黒い筋が触れた腕から入り込む。


じわ。


「……っあ」


熱。


腕から肩へ。


胸へ。


首へ。


最後には頭の奥まで一気に焼ける。


ドクン。


ドクン。


ドクン。


心臓の音が耳の中で響く。


視界が白く弾けた。


膝が崩れる。


その時。


どこからともなく声がした。


男でも女でもない。


近いのか遠いのかも分からない。


ただ。


古い話を思い出すように。


静かに語った。


昔、よく喋る女がいた。


山でも、泉でも、森でも、彼女の声はよく響いた。


彼女には自分の言葉があった。


笑う言葉も。


怒る言葉も。


愛する言葉も。


嫌う言葉も。


すべて。


自分のものだった。


けれど。


ある時から。


彼女は自分から言葉を始められなくなった。


誰かが話せば、その最後だけを返す。


誰かが愛を口にすれば、その愛を返す。


誰かが拒絶すれば、拒絶を返す。


誰かが笑えば、同じように笑う。


借りる。


返す。


また借りる。


また返す。


そうしているうちに。


彼女自身の言葉は少しずつ減っていった。


やがて姿まで薄くなり。


最後に残ったのは。


誰かが口にした言葉を繰り返すためだけの声だった。


そこで話は終わった。


何が悪かったのか。


どうすればよかったのか。


声は何も言わなかった。


カルロスの目が開く。


異形の腕が再び伸びてくる。


その瞬間。


見えた。


今までと違う意味で。


肩が動く。


肘。


手首。


指。


重心。


踏み込む足。


全部。


分かる。


今までなら、見て、覚えて、家へ帰って、ノートへ書いた。


鏡の前で何度も試した。


何日もかけて。


やっと使えた。


今は。


考えるより先に。


身体が動いた。


すっ。


半歩。


異形の腕が空を切る。


「……え?」


カルロス自身が遅れて驚いた。


異形がもう一度来る。


速い。


けれど。


カルロスの身体も同じように動いた。


ドンッ。


床を蹴る。


昨日までの自分には出来なかった踏み込み。


異形の横へ回る。


手首を掴む。


その瞬間。


ぞわ、と何かが流れ込んだ。


力の掛け方。


関節の角度。


呼吸。


知らない。


習っていない。


それでも。


使える。


カルロスは腕を捻った。


異形の身体が崩れる。


そのまま蹴る。


ドガッ。


壁へ叩きつける。


カルロスは止まった。


自分の手を見る。


足を見る。


息が荒い。


怖い。


はずなのに。


口元が上がっていた。


「……できた」


今まで何日もかかっていた。


観察して。


記録して。


試して。


失敗して。


また直して。


それが。


今は一度見ればいい。


異形が立ち上がる。


速い。


カルロスが見る。


欲しい。


そう思った瞬間。


身体が、その速さへ近づいた。


「……できる」


避ける。


殴る。


もう一度。


「できる」


その声には。


少しずつ。


喜びが混ざっていた。


床に倒れた異形は、いくつもの声を漏らしている。


「大丈夫」


「次やればいい」


「帰ろう」


「カルロス」


重なった声を聞きながら。


カルロスは失敗作を見下ろした。


怖い。


確かに怖い。


自分もこうなるのかもしれない。


普通なら。


そう考える。


けれどカルロスが見ていたのは。


なぜ失敗したのか。


そこだった。


全部入れた。


だから失敗した。


必要なものも。


要らないものも。


選ばずに。


混ぜた。


なら。


自分は違う。


必要なものだけを選べばいい。


マースだけになる必要もない。


兄だけでもない。


レオ。


ダリオ。


エミリア。


ニナ。


誰でもいい。


良いところだけ。


取ればいい。


カルロスは白衣の男を見る。


「これ、何だ」


男は短く答えた。


「適合した」


「何に」


返事はない。


カルロスは床の失敗作を見る。


「俺も、あれみたいになる?」


少しの沈黙。


白衣の男はカルロスを見たまま言った。


「同じものを持っていても、同じ結果になるとは限らない」


それだけ。


カルロスは。


それを警告だとは思わなかった。


可能性だと思った。


失敗しなければいい。


自分なら選べる。


管理できる。


間違えなければいい。


数字がある。


ノートがある。


修正できる。


カルロスの口元が少しだけ上がった。


白衣の男は、その表情を静かに見ていた。


翌日。


学校へ行くと、変化はすぐに現れた。


レオが机へ脚をぶつけた。


ガンッ。


「いって!」


痛がりながら笑う。


その瞬間。


カルロスの頬が、ぴく、と動いた。


レオと同じ笑い方。


ほんの一瞬。


エミリアの目が止まる。


「……今」


「何」


「……いや」


少し後。


ダリオが黒板の問題を説明した。


カルロスは一度聞いただけだった。


次の問題。


カルロスが説明する。


順序。


言葉の置き方。


例の出し方。


全部。


ダリオと同じ。


ダリオ自身が途中で口を閉じた。


「……お前」


「何」


「今の説明」


「変?」


「いや」


ダリオは少し困った顔をした。


「俺と同じだった」


どくん。


カルロスの胸が鳴った。


昨日までとは違う。


早い。


もう練習しなくていい。


「たまたまだろ」


そう言って笑う。


その笑い方はマースだった。


今度はエミリアが、はっきり気づいた。


放課後。


ジョナがカルロスを見ていた。


「何」


「……今日さ」


「うん」


ジョナは少し迷った。


「なんか変」


胸が縮む。


「またそれ?」


「そうじゃなくて」


ジョナは眉を寄せた。


「前より、うまい」


「何が」


「話すのも。返すのも。全部」


カルロスは少し笑った。


「じゃあいいじゃん」


ジョナは笑わなかった。


「……でも」


「何」


ジョナはカルロスをじっと見た。


「前よりカルロスじゃない」


笑顔が止まった。


「意味分かんねえ」


「私も分かんない」


ジョナは困っていた。


嫌っているわけではない。


むしろ。


怖がっている。


そのことの方が痛かった。


「ちゃんとしてるんだよ」


ジョナが続ける。


「前より優しいし」


「なら」


「でも」


ジョナの声が小さくなる。


「誰と喋ってるのか分からない」


カルロスの中で。


ざあ、と何かが崩れた。


良くなったはずだった。


昨日までより。


確実に。


足りないものを埋められるようになった。


なのに。


ジョナは離れる。


何で。


何が足りない。


次に何を入れればいい。


カルロスは、本当にそう考えてしまった。


「……じゃあ」


声が掠れる。


「何が足りない?」


ジョナの顔がさらに悲しそうになる。


「そういう話じゃないよ」


「じゃあ何」


「カルロス」


「俺、前よりマシになってるだろ」


「マシって何?」


「前より喋れるし、人ともちゃんとやれるし、失敗しても引きずらない」


「うん」


「じゃあ何が悪いんだよ」


ジョナはしばらく黙っていた。


そして。


「悪くない」


そう言った。


カルロスの顔が固まる。


「でも」


ジョナは続ける。


「それがカルロスかどうか、分かんなくなってる」


それだけ言って。


ジョナは帰った。


パタン。


教室の扉が閉まる。


夕方。


静かな教室。


カルロスは自分の手を見る。


ゆっくりと。


右手で左手首を握る。


マースの癖。


離す。


昔の自分は。


左の親指を触っていた。


そこへ手を伸ばす。


途中で止まった。


違和感。


今ではむしろ。


昔の癖の方が不自然だった。


「……何だよ」


小さく笑う。


「じゃあどれが俺なんだよ」


答える人はいなかった。


その夜。


夢の中で。


白い服を着た少年が立っていた。


カルロスは、その少年の名前を知らない。


ただ。


自分の手を見ている。


昨日までとは少し違う。


自分のものなのに。


自分だけのものではないような感覚。


少年が聞いた。


「それは、あなたのものですか」


カルロスが顔を上げる。


「使えるなら俺のだろ」


少年は否定しない。


「そうですか」


それだけ。


カルロスは苛立った。


「何なんだよ、お前」


少年は答えず。


また聞いた。


「あなたが欲しいのは、その人ですか」


「誰だよ」


「それとも」


静かな目が、カルロスを見る。


「その人のように、選ばれることですか」


マース。


ジョナ。


兄。


いくつもの顔が浮かぶ。


カルロスは鼻で笑った。


「同じだろ」


少年はまた。


「そうですか」


とだけ答えた。


「言いたいことあるなら言えよ」


カルロスが苛立つ。


少年は少しだけ首を傾けた。


「あなたから何かがなくなった時」


カルロスの顔が止まる。


「なくなったものを」


静かな声。


「誰が覚えていますか」


答えは出なかった。


少年も、それ以上何も言わなかった。


朝。


カルロスは目を覚ますと、すぐに机へ向かった。


ノートを開く。


そこには「改善対象」と書かれている。


カルロスはしばらくその文字を見た。


シャッ。


線を引く。


消す。


その下へ。


「C」


一文字だけ書いた。


もう。


名前全部を書く必要すらないように思えた。


マースからは、人との距離の取り方。


兄からは、安心させる空気。


レオからは、迷わず動く速さ。


ダリオからは、話を整理する力。


エミリアからは、人を見る目。


そして。


ジョナ。


カルロスのペンが止まった。


少し。


震える。


それでも。


「共感」


と書いた。


一番下。


「残り差分:34」


大きく減った。


以前なら。


何日も。


何週間もかかっていた。


カルロスは数字を見て笑った。


その笑い方が。


誰のものだったのか。


もう。


確かめようともしなかった。

カルロス編、第二章です。


第一章では、カルロスはまだ「観察して、練習して、真似する」人間でした。


鏡の前で何度も笑い方を直し、ブラックコーヒーに慣れ、周囲の反応を見ながら少しずつ自分を変えていく。


第二章では、そこが大きく変わります。


見て、覚えて、練習する。


その過程すら必要なくなった。


他人の良い部分を見れば、身体が勝手に理解する。


カルロスにとっては夢のような力です。


ずっと「自分は足りない」と思ってきた人間からすれば、足りないものをすぐ埋められるのだから。


ただ。


ジョナだけは、そこを「成長」とは見ませんでした。


「誰と喋ってるのか分からない」


カルロスは良くなっている。


実際、以前より器用です。


それでも。


それがカルロスなのか。


第二章では、その境目がかなり曖昧になってきました。


そして今回、初めて登場した「失敗作」と白衣の男。


彼らがカルロスへ何を与えたのか。


なぜ「選べなかった」ことが失敗だったのか。


残り差分がゼロへ近づく時、何が残るのか。


次章も読んでもらえたら嬉しいです。

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