第10話:社内公認の超過保護仕様と、男たちの静かなバトン
最終話までたどり着いていただきありがとうございます。
7/24から現代恋愛 第二弾を投稿いたします。今作と同じ3日間 全十話で完結!
そちらもよろしくお願いします
神崎課長のマンションから、再びいつものオフィスへと通う日々。
お互いの距離感が劇的に変わったことは、隠そうとしても隠しきれず、経理部の空気はどこかソワソワと甘いものに変わっていた。
「いやぁ、最近オフィスが甘いねぇ。経費で消臭剤(お砂糖用)を買わなきゃいけないかな?」
パーテーションの影から、大野部長がニヤニヤと楽しそうに茶化してくる。
「ぶ、部長、仕事中ですよ!」
慌てて書類で顔を隠す私。
だが、そんな甘い空気に、嫉妬と悪意をぶつけてくる者もいた。
「佐倉さんって、シングルマザーの同情をひいて、課長のお気に入りの座を狙ってるらしいよ。本当に計算高いよね」
他部署の女性社員が、廊下でそんな悪質な陰口を叩いているのを耳にしてしまった。
言い返そうとしたけれど、私が騒ぎを大きくすれば、課長に迷惑がかかってしまう――。
俯く私の隣で、千石くんが「……っ、そんなこと!」と怒りに肩を震わせた、その時。
「――全社への業務命令だ」
静かに、けれど圧倒的な冷たさを帯びた声がオフィスのスピーカーから流れた。
神崎課長が、全社宛の電子回覧板に、信じられない内容の通知を流したのだ。
【件名:経理部員に対する不当な中傷、および業務妨害に対する人事処分について】
『……現在、特定の経理部員に対する「シングルマザーであること」を理由とした悪質な噂が確認された。これは業務の正確性を低下させる重大な業務妨害であり、監査役会、および人事部名義で即座に特定および厳重処分を行う。経理部は、一円のズレも許さないプロフェッショナルの集団であり、その戦力を傷つける行為は、我が社の財務システムへの攻撃とみなす』
公然と、全社に放たれた「超過保護仕様」の警告。
噂を流していた他部署の女性社員たちは、真っ青な顔で沈黙した。
「神崎、課長……ここまで、してくださるなんて……」
「当然だ。君の完璧な数字(仕事)を邪魔するバグは、社内であっても即座にパージする」
眼鏡のブリッジを直し、いつもの冷淡な顔で言い放つ神崎課長。けれど、その指先は私のデスクの端を、優しく守るように掴んでいた。
その日の終業後。
誰もいない静まり返ったオフィスの非常階段で、私は千石くんが神崎課長を呼び止めるのを目撃してしまった。
「神崎課長」
千石くんは、いつもの明るい笑顔を消し、男としての真剣な瞳で神崎課長を見据えていた。
「佐倉さんのこと……本気なんですね。……僕、佐倉さんのことが好きでした。彼女がどれだけ必死に戦ってきたか、近くで見ていたから、僕が守ってあげたかった」
「……」
神崎課長は何も言わず、腕を組んで千石くんの言葉を待っている。
「でも、僕じゃ、彼女の過去も、紬ちゃんの未来も、全部を背負う覚悟も力も、まだ足りなかった。……神崎課長。佐倉さんを、もし一瞬でも泣かせるようなことがあれば、僕はいつでも、彼女を奪いにいきますから。……絶対に、幸せにしてください」
千石くんの、男らしい『卒業(敗北宣言)』。
それを聞いた神崎課長は、ふぅ、と小さくため息をつくと、初めて千石くんの目をまっすぐに見つめた。
「千石。お前にそんな隙は、生涯で一秒たりとも与えない。……だが、君が佐倉の有能な部下であり、彼女の頑張りを近くで支えてくれたことには、心から感謝している。君は、優秀な経理部員だ」
「……っ、はい! ありがとうございます!」
千石くんは目元を少し赤くしながらも、すっきりとした、清々しい笑顔で深く頭を下げた。
年下のライバルの成長と、男同士の強い絆。
非常階段の影で、私は胸をいっぱいにしながら、その光景をそっと見守っていた。
・・・・・・
――私の、完璧な領域は、もう誰にも侵させない。
社内で佐倉に対する不当な陰口が囁かれていると、私のデータベースにログが上がった瞬間、私の冷徹なロジックは即座に「完全なる社内パージ」を決定した。
ハラスメント対策規程および、大野部長の承認(『神崎くん、派手にやっちゃいなさい!』という満面の笑みでの決済)を 0.3秒で取得し、全社へ通達を流した。
(佐倉椎名は、この経理部の、いや、私の絶対的な主戦力だ)
彼女を傷つける者は、例え社内の人間であっても、財務システムの敵として徹底的に排除する。
これ以降、オフィスでの彼女への視線は「シングルマザーへの同情」から「誰も逆らえない鬼課長の超過保護仕様」という畏怖と羨望へと変わった。
これでいい。彼女は安心して、私の隣で、一円のズレもない美しい数字を出力し続ければいいのだ。
そして、終業後。
新卒の千石が、私を非常階段に呼び出した。
「佐倉さんを、もし一瞬でも泣かせるようなことがあれば、僕はいつでも、彼女を奪いにいきますから」
千石の瞳は、半年前に入社してきた時の未熟な新卒のそれではない。
一人の女性の幸せを心から願い、自分の敗北を認めつつも、ライバルを鋭く牽制する、一人前の「男」の瞳だった。
私の胸の奥に、わずかな、けれど確かな敬意が芽生える。
(若いな。だが、いい男に成長した)
「千石。お前にそんな隙は、生涯で一秒たりとも与えない」
私の冷徹な言葉の裏にある、絶対的な自信。
千石はそれを聞き、満足そうに微笑んで去っていった。
これで、私の「恋のライバル」は美しく卒業した。
非常階段の影から、そっとこちらを覗いている佐倉の姿を、私は見逃さなかった。
彼女の愛らしい瞳が、潤んでいる。
私は彼女の元へ一歩歩み寄り、その華奢な肩を、今度は誰の目を気にする必要もなく、優しく抱き寄せた。
「佐倉。オフィスが少々、甘くなりすぎているな」
「課長……ご自分で全社にあんな過保護な通知を出しておいて、何を言ってるんですか」
くすくすと、鈴を転がすように笑う、私の愛しい人。
「一円の狂いもない計算の果てに、私はお前という『真実』を手に入れた。もう、お前を誰の手にも渡さない」
私は、私の絶対的な『盾』と『数字(愛)』で、彼女と、愛らしい娘のすべてを、生涯をかけて溺愛し尽くすことを、静かに、そして狂おしいほどの情熱を持って確信していた。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
「人間は嘘がつけるが、数字は嘘をつけない」 という単純なフレーズを思い付き、現代恋愛を書いてみました。いかがでしたでしょうか。
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