第60話 放生会 博多の三大祭りのひとつ(ソフトバージョン)初出09.5.22
オレは紺地に白い朝顔の柄の浴衣を着て長谷川の家に向っていた・・・さすがに真っ昼間から一人で浴衣を着て歩くのは緊張する・・・ドキドキするから早く着こうと、どうしても早足になってしまう・・・
長谷川のマンションのドアの前で息を整えた・・・玄関のチャイムを押すと待っていたかのように、すぐにお母さんが開けてくれた。
「有希ちゃん、いらっしゃい! まあ〜・・今日もきれいねぇ・・・」
「・そ・・そ・・そんなことないです・・・」
いつの間に長谷川のお母さん、オレのこと“有希ちゃん”って呼ぶようになったんだろう・・・
「その浴衣、このまえ順子が着せてもらった浴衣じゃない? あんまり素敵だから、順子が着たのと同じものとは思えないわ。同じ浴衣でも有希ちゃんが着ると映えるわねぇ・・・」
「・・そ・・そんなぁ・・・」
なんか長谷川のお母さんってオレのこと褒めすぎだ・・・そんなにお世辞を言われると照れくさくてしょうがない・・・
「それにしても、今日は少し大人っぽくない?」
「あ・・はぃ・・・髪型とか・・帯とか・・・ちょっと・・・」
今日はかあさんが仕事に行く前に、髪をきれいにセットしてもらったのだ。前髪だけ下ろして後ろとサイドをアップにしてもらった・・・そして帯も可愛い蝶結びではなく、おとなしめの文庫結びにしていた。浴衣というものは帯の締め方でずいぶんイメージが変わるものだ。オレはまだこの2種類しか出来ないけど、来年は他の締め方も三吉先生に教えてもらおうと思っている。
「もう秋に入ったから、本当は浴衣じゃいけないらしいんですけど・・・まだあまり着てなかったから・・・それで少し大人しい感じにしてもらったんです・・・あんまり・・わたしには似合わないかもしれないけど・・・」
「そんなことないわよ。すごく似合ってるわ! さ、入って・・・」
オレはすぐに長谷川と出かけようと思っていたのだが、お母さんにそう言われては断るのも失礼な気がする・・・それに長谷川の準備が、まだ出来てないのかもしれないし・・・
「順子、有希ちゃんいらっしゃったわよ。」
お母さんが長谷川の部屋に呼びかけると、引き戸が勢い良く開いて長谷川が出てきた。
「ママ!なんですぐに教えてくれないのよ!有希が来たらすぐに教えてって言ったでしょう?!」
「ご、ごめんなさい・・・」
なんかお母さんは悪くないのに怒られて可愛そうだなぁ・・・長谷川ってお母さんにいつもこんな感じなのだろうか・・・
「ママまた有希に変なこと言って困らせてない?」
「変なことなんて言ってないわよ、今日もきれいねって言っただけよ・・・」
「言ってるじゃない!有希はそういうこと言われると傷付くのよ!!」
なんか親子のケンカなんて見てられない・・・長谷川だって同じようなことオレに言ってるじゃないか・・・
「は・・長谷川さん、わたし何も困ってないからさ、もうそのくらいにしてよ・・・」
「・・・・・」
「それにさ、わたしもそういうこと言われるのに、だいぶ慣れてきたみたいだし・・・読者モデルなんかやったからかも知れないけど・・・」
「え? 有希ちゃん、モデルさんもやってるの?」
「い・・いえ・・・ただの読者モデルですけど・・・」
「すごいじゃない・・・何の雑誌に載ってるの? おばさんも見てみたいわ!」
「あ・・九州JINON〈ジノン〉ですけど・・・別に見なくても・・・」
「順子は知ってたの? 有希ちゃんがモデルやってること。」
「・・うん・・・」
「何で言ってくれないのよ。このコは何にも話してくれないんだから・・・順子は買ってないの? その雑誌!」
「・・買ってない・・・」
「もう・・・ダメねぇ・・・どうしてお友達が載ってるのに買わないのよ!」
長谷川のお母さんって結構テンション高いな・・・これじゃ長谷川と合わないハズだ・・・専業主婦だから退屈してるのかなぁ・・・お父さんもずっと単身赴任みたいだし・・・
「それはそうと・・・長谷川さん、その恰好で行くの?」
長谷川はいつもと一緒でチェックのシャツにジーンズと女の子っぽさが全くない服装だ・・・
「・・そのつもりだけど・・・」
「長谷川さんも、もう少しオシャレすればいいのに・・・」
「そうなのよ! 有希ちゃんからも言ってちょうだい・・順子ったら可愛い服を買ってあげても着ないんだから・・・」
「よけいなお世話よ! 有希もそれ以上言ったら、もう困っても助けてあげないからね!」
「そ・・そんなぁ・・・」
長谷川に見放されたら、オレ困っちゃうよ・・・
「わかったよ・・もう言わないから・・・放生会行こう?」
長谷川を怒こらせると面倒だ・・・こういう時はこっちが折れるに限る・・・
「それじゃ、お母さん行ってきます。」
何も言わないでさっさと出て行く長谷川のかわりに、オレが長谷川のお母さんに挨拶をしてドアを閉めた。長谷川はオレを待たずにどんどん行ってしまう・・・
「待ってよ、長谷川さん!」
オレは急いで小走りに長谷川を追いかけた・・・だけど浴衣と下駄ではなかなか早く走れない・・・
「ねえ、まだ怒ってるの? もう少しゆっくり歩いてよ・・・急いだら浴衣の裾がはだけちゃう・・・」
「・・・有希ったら、言うことまで女の子みたいね・・・」
「・・そ・・そんなこと言ったって・・・」
オレが思うに、人間の行動って服装によるところも大きいようだ・・・オレは女の子の服を着るようになって、それを痛切に感じていた・・・女の子の服には自由度が少ないものが多いから、そういう服を着るとどうしても動きが小さくなってしまう・・・スカートだと足を開いたらおかしいし、ブラウスだと激しい動きをしたらすぐにスカートから裾が出てしまう・・・そうならないように動くことが女らしい行動につながっている部分も大きいのではないだろうか・・・洋服でもそうなのに、着物となると一段と動きが制限される・・・おかげで今日のオレはよけいに女っぽい行動しかできない・・・浴衣を着て大股開いて走るなんて無理に決まってる・・・
「長谷川さんはジーンズだから平気でしょうけど、わたしは浴衣なんだからそんなに早く歩けないのよ・・・」
「・・わかったわよ・・ゆっくり歩けばいいんでしょう?」
「うん・・・」
長谷川はやっとオレの歩調に合わせてくれた・・・そのあとをチョコチョコついて行く浴衣のオレ・・・これじゃまるでオレが長谷川の彼女みたいだ・・・長谷川も浴衣を着てくれれば・・・いや、せめてもう少し女の子らしい恰好をしてくれたら・・・女の子どうしの友達として歩くことが出来るのに・・・
「ねえ、手つないでいい?」
「な・・なに甘えてんのよ有希・・・」
「いいじゃない、女どうしなんだから。」
「もう・・・しょうがないなあ・・・」
長谷川はそう言って照れくさそうに手を差し出した・・・なんか長谷川ったら本当に男の子みたいだ。
「ふふっ・・・」
考えてみると、レナとはよく手をつなぐけど・・・長谷川と手をつなぐなんてあまりないことだ・・・長谷川の手はレナの手みたいに冷たくない・・・それに少し大きくて頼りがいがあるかも・・・もっとも大きさでいえばオレの方が少し大きいかな・・・
「こうして見ると有希の手って、けっこう華奢なんだね。女の子の手みたい。」
「・・そ・・そうかな・・・?」
たしかにオレの手は男としては華奢かもしれないが・・・それを女の子から言われるのはちょっと微妙だ・・・それにオレの手の方が長谷川よりは少し大きいのに・・・とはいえ、もう女になってるクセに、ちょっとの違いをいちいち主張するのもどうかと思う・・・男のころは手の小ささは少しイヤだったけど、オレはもう女なんだし、女の子みたいな手でもいいのだ・・・
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天神からは地下鉄で箱崎へ向う・・・お宮の名前は筥崎なのに駅や地名は箱崎だ・・・へんなの・・・
「あ、もう来てるよ。」
オレがホームに入って来た電車に乗ろうとすると、長谷川がオレの腕をつかんで止めた。
「これじゃないわよ。貝塚行きに乗らないと途中までしか行かないわよ。」
「そうなの?」
オレはあまり地下鉄には乗らないし、行くとしても博多駅の方向だから、箱崎の行き方はあまり知らない・・・
2本ほど見送ると、次に入ってきたのが貝塚行きだった。車両の色が違うのは、たぶんJRから乗り込んできたやつだからだろう・・・乗ってみるといつもの車両とは臭いも違う・・・
シートに座ると長谷川がオレの耳もとで小声で言った。
「・・有希・・今日もナプキンつけてる?」
「・・う・・うん・・・」
なにもそんなこと聞かなくてもいいのに・・・長谷川もレナと一緒でオレを恥ずかしがらせるのが好きなのかなぁ・・・
「もし漏らしちゃったら言ってよね。すぐ取り替えたいでしょう? 濡れたままだと気持ち悪いのよね。」
「・・・・・?」
なんだ・・・気を使ってくれてるのかな?・・・たしかに漏らすものは違うけど、ナプキンが濡れた気持ち悪さは女の子の長谷川は良く知ってるに違いない・・・
「ありがとう・・・でも・・たぶん大丈夫よ・・用心のためにつけてるだけだから・・・」
やっぱり長谷川って、なにげにやさしいところもある。
「ねえ有希、モデルの撮影って大変だった?」
「うん・・まあ・・何度も着替えなきゃいけないのとか、ずっとテンション上げとかなきゃいけないのは大変だけど・・・でもけっこう楽しいよ。」
「プロのモデルさんとも会ったりした?」
「ううん・・わたしはまだちゃんとした撮影が間に合わなかった時とかに呼ばれただけだから・・・」
「そうなんだ・・・でも有希きれいに写ってたね。」
「え? 長谷川さん見たの?」
「そりゃぁ、見たわよ!」
・・・長谷川はオレがモデルやってると聞いただけで、実際には雑誌は見てないのかと思ってた・・・さっきもJINON買ってないって言ってたし・・・だって長谷川はオレのこと男だと知ってるんだから、女の子としてモデルやってる姿なんて見たくないんじゃないのかなぁ・・・
「佐倉さんより有希のほうが大きく載ってたね。やっぱり有希の方が可愛いからよね?」
「そ・・そんなことないよ・・たまたまわたしが着た服が大きく載せるやつだったんだよ・・・」
それにオレより千里の方が可愛いし・・・
「それにさ・・書類が来たのは千里の方なんだよ。わたしはただ付き添いで行ったら、たまたま受けるようになったっていうか・・・」
「へ〜・・・そういうの芸能人の話で聞いたことあるけど、本当にあるのねぇ・・・」
実際はそんなのんきな話じゃなかったけど、長谷川はあの時のゴタゴタを知らないからなぁ(44、45話参照)・・・知ってるのはオレたち4人だけだ・・・
「でもよく学校が認めてくれたよね。」
「え?!」
「だってさぁ、学校は有希の本当のこと知ってるんでしょう? それで良くモデルやること認めてくれたね。」
「ど・・読者モデルだけどね・・・」
ここは大事なところだ・・・本当のモデルと読者モデルでは全然ちがう・・・
「なんかね、うちの学校もお堅いイメージが強すぎると思ってるらしくて、JINONは人気の雑誌だから、うちの学校の生徒が出てたら少しは柔らかいイメージになるんじゃないかって思ったらしくて・・・」
「じゃあ、有希たちは学校の宣伝しなきゃいけないんだ? 責任重大ね。」
「そ・・そんなんじゃないと思うけど・・・」
オレとしては、そんな責任もちたくない・・・オレは自分のことだけで精一杯なのに・・・
そんな話をしているうちに次が箱崎だというアナウンスが流れた。オレは慌てて電車を降りるためバッグを忘れないように肩に掛けて降りる準備をした。オレはなにげに大きめのカゴバッグを持ってきていたが、長谷川は何も持ってないからオレが大きめのを持ってきて良かった。おみやげも買わなきゃいけないのにバッグも持たずに来るなんて・・・
駅から参道までは歩いてすぐだった。参道といってもお宮までは1kmもあるらしい。その参道の両側に露店が延々続いているのだから壮観だ・・・人の混みようもただ事じゃない・・・長谷川が自然にオレの手をとってくれた・・・これじゃイヤでも手をつないでいないとはぐれてしまいそうだ・・・
人混みは苦手だけど、ここまで混んでると逆にオレのことなんて誰も見てないんじゃないかと思えてくる・・・
「すごい人混みだね・・・長谷川さん放生会に来たことあるの?」
「2回くらい来たかなぁ、たぶん小学校のころだったから良く憶えてない・・それに夜来たし・・昼間はだいぶ感じが違うわね。」
そうか・・・夜のほうが提灯とかに明かりがついてキレイかもしれないなぁ・・・まだ昼間は暑いし、人が多いから少しホコリっぽい・・・
「有希なにかやりたいのある?」
「う〜ん・・・」
参道は広さも結構あるから向こう側のお店は人に遮られてよく見えない、こっち側も人垣からのぞくようにしないと何のお店だかわからない始末だ・・・人の間からのぞいていくと、金魚すくいや、カメすくい、うなぎ釣りに、ヒヨコ釣り・・・これじゃどこが放生なんだかって感じだ・・・
でもオレとしてはさっきから、美味しそうな匂いが気になっていた・・・
「ねえ、遊ぶのもいいけどさ、何か食べようよ。」
「それもそうね・・何にする? イカ焼き? とうもろこし? リンゴ飴はやめた方が良いわよ、美味しそうに見えるけど中のリンゴが酸っぱいから。」
リンゴ飴は最初から考えてなかったけど・・・イカ焼きも美味しそうだし、とうもろこしも食べたいなぁ・・・女の子が両方食べたいなんて言ったら・・・やっぱりはしたないかな・・・オレとしては両方食べたいんだけど・・・
「あ・・あのぉ・・・イカ焼きも、とうもろこしも食べたいんだけど・・・」
「え、有希もなの? わたしも両方食べたいなって思ってたのよ、気が合うわね。」
驚いた・・・長谷川もけっこう食べるんだ・・・
「でも少し空けたほうが美味しいんじゃない? 最初はどっちにする?」
う〜ん・・・どっちがいいかなぁ・・・
「・・イカ・・かな?」
「やっぱり? 実はわたしもイカがいいと思ってたの!」
なんか・・オレたちって案外気が合うのだろうか・・・
歩きながらイカ焼きを食べるなんて、三吉先生が見たら怒られそうだ。オレは60歳近い三吉先生に女の子としての教育を受けたから、オレのイメージする女の子はちょっと古いみたいだ・・・今どき女の子が食べながら歩いても普通だと思うのだが、どうしてもオレの中には、こんなことをしたら“はしたない”のではないか?という気持ちがある・・・でもオレも読者モデルなんかやるのだから、もう少し今風の女の子にならなきゃいけない気がする・・・だいたい“はしたない”なんて言葉、いまどき使ってるコもいないと思うし・・・オレは先生に何度も言われたからついつい使っちゃうだけだ・・・
でもお祭りの時に食べるのって何でこんなにおいしいのだろう・・・そんなに良いイカを使ってるワケでもないんじゃないかと思うのだが、妙においしい! それとも大量に仕入れるから、意外に新鮮なやつだったりするのだろうか? あんがい市場から安くて良いやつを仕入れているのかも知れない・・・
「おいしいね、有希!」
「うん。」
たぶんふたりで一緒に食べているから、よけいおいしいんだと思う・・・こうして長谷川と手をつなぎながら歩いていると、なんだか気持ちが落ちつく気がする・・・それは長谷川にはオレが男だとバレないか気にする必要がないからだと思う・・・クラスで千里たちといても・・・たとえオレが千里たちのことを親友だと思っていても、やっぱり心のどこかではオレが男だとバレないようにいつも緊張していなければならない・・・でも長谷川にはそれがないから、こんなに気持ちが楽にいられるのだと思う。
「見て有希!あんな小さい子も浴衣着てるわよ。」
「ほんとだ!かわいいね!」
浴衣を着た小さな女の子が、お母さんに手を引かれてチョコチョコ歩いている・・・
「有希も子供のころあんな感じだったのかなぁ?」
「え?!」
「子供のころの有希って可愛かったんだろうなぁ。写真とかないの?小さいころの。」
「ど・・どうかなぁ・・・見たことないなぁ・・・」
本当は妹の麻衣と一緒に浴衣を着た写真もあるけど、オレの記憶がないころの写真なんて無いのと同じだ・・・
「でもいいなぁ・・・」
「え? なにが?」
「だって、有希はいま幸せなんでしょう?」
「・・ど・・どういうこと?」
「だってさ、有希はずっと女の子になりたかったんでしょう? それが今はこうして女の子になったんだもん。すっごく幸せなんじゃない?」
「・・あっ・・そ・・そうよね・・・」
たしかに長谷川の言うとおりだ・・・オレがもし長谷川が思ってるように、小さいころから女の子になりたかったのなら、いまのオレは女の子になったことをすごく喜んでなきゃいけないことになる・・・とはいえ、それはオレの感覚とはかなり違っている・・・
「・・た・・たしかにそうなんだけど・・・でも・・わたしずっと女の子の気持ちを隠してきたじゃない? それに、男の子のころは男らしくしなさいって言われてたし・・・だから、じっさいは長谷川さんが思ってるほどは嬉しくないっていうか・・・いや・・嬉しいのはすごく嬉しいんだけど・・・単純に幸せとは感じられないっていうか・・・」
「・・・・・」
「・・い・・いろいろ・・大変なのよ・・・心の中はさ・・・」
「そうなんだ・・・こんなに女らしくなってるのに・・まだ男の子の気持ち残ってるの・・・?」
「そ・・そりゃぁ・・・少しはね・・・だってずっと男の子として生きてきたんだもん・・・半年やそこらじゃね・・・・」
「それなのにこんなに女の子らしいなんて、有希ってすごいね。」
「・・す・・すごくなんかないよ・・・だって女の子にはずっとなりたかったんだから・・・だから・・最初から女の子だったより・・女の子らしく出来るんじゃないかなぁ・・・」
・・・こんなふうに言って・・・屁理屈に聞こえてなきゃいいけど・・・
「それじゃ、有希もたまには男の子に戻ってみたいなんて思うことあるの?」
「・・そ・・それは・・・」
もちろん無いワケじゃない・・・オレはたしかに女の子になる決心はしたけど、それですべて男の子だった頃の気持ちが無くなるワケではない・・・オレの心にあるのは、小さいころの女の子になりたかったという封印してしまった記憶ではなく、普通に男の子として小学校、中学校と成長してきた記憶なのだ・・・もちろん今のオレには昔の男の子の記憶だけではなく、女子高に入学してからの女の子としての記憶もある・・・そのうち数カ月分は女性ホルモンの影響を受けた、より女の子に近い記憶なのかもしれない・・・それでもやっぱりオレの心の中には、まだまだ男の子の部分が少なくない・・・だから時々は男の子だった頃が懐かしくなる時だってある・・・
でもそれを長谷川に言っていいワケがない・・・長谷川が思っているオレと本当のオレは違うのだから・・・
「・・も・・戻りたいとは思わないよ・・・す・・少しは・・男の子のころはどうだったかなぁ・・・とか懐かしくなる時はあるけど・・・だ・・だって女の子って洋服とか、お化粧とか、いろいろ大変だしさ・・・」
「ふ〜ん・・・だったらさ、もし有希が良かったらだけど、今日は一日男の子でいてもいいわよ。」
「え?! ・・・そ・・それは変だよ・・・だってこんな浴衣着てさぁ・・・こんな髪だし・・・こんな男の子なんていないよ・・・」
「なに言ってんの?ここにいるじゃない。 それに見た目なんて関係ないわよ、だって有希は有希だもん。心だけ少し男の子の気持ちに戻ってみたら?っていってるの。その方が楽しめるんじゃないって。・・・それに有希ったら、さっきから男の子みたいなしゃべり方になってるわよ。」
「・・えっ・・・そうだった・・・?」
オレ・・長谷川がオレのこと男だと知ってるから油断しちゃったのかな・・・
「有希が頑張ってるのはわかるけど、あんまり頑張り過ぎても疲れちゃうでしょう?だから今日は無理してない普段の有希でいていいよ。」
「・・・・・」
・・・でも・・普段のオレって・・・あらためて言われると良くわからない・・・だってオレは家でも女の子として生活してるし、今では女の子でいることも、けっこう普通のことになってしまっている。
「長谷川さんの気持ちは嬉しいんだけど・・・わたしそんなに無理してるワケじゃないんだ。家でもこんな感じなのよ。」
「そう?・・・ならいいんだけど、とにかく今日は無理しないで。せっかくのお祭りなんだし、今日はわたしたち二人だけなんだから、言葉づかいが男の子っぽくなってもいいし何も気にしなくていいからね。」
「・・うん・・・」
そうか・・・つまり今日はオレたち二人なんだから、秘密を共有している者どうし気を使わずに楽しもうということなのだろう。それならオレとしても望むところだ。
「ねえ有希、金魚すくってよ。」
「え?・・・やってもいいけど・・・そんなに上手じゃないよ?」
「いいから、金魚ほしいんだもん。」
「!・・・長谷川さん、金魚持って帰るの?」
「有希がとってくれたらね。」
「持って帰るんだったら今じゃない方がいいよ・・・だって持って歩いてたら弱っちゃうよ?」
「あっ、そっか・・・じゃあ帰る前にやろう。有希ちゃんとおぼえててよ!」
「・・う・・うん・・・」
長谷川さん高校生にもなって金魚がほしいなんて変わってる・・・金魚すくいの金魚なんてすぐ死んじゃうんじゃないかな・・・
参道は金魚すくいや、ヨーヨー釣りや、綿菓子や、風船屋なんかの店が並んでいるが、少し脇道に入るととたんに雰囲気がいかがわしくなってきた。店も見世物小屋とかおばけ屋敷とか、そんなのが並んでいる・・・見世物小屋の看板には気味の悪い絵で牛女だの蛇女だの河童だのが描いてあり、なんだかここだけ昭和な雰囲気だ・・・
「見て!蛇女だって、ヘビ食べてるよ。本当に食べるのかなぁ・・・」
おじさんが大きな割れたマイクの音で何かガナリたてている・・・何を言ってるのか聞き取りにくいけど、どうも嘘だったらお金を返すと言ってるみたいだ・・・お代は見てのお帰りみたいなもんだろうか・・・?
「ねえ長谷川さん、なんか面白そうじゃない? 嘘だったらお金は返してくれるんだって!」
「・・や・・やめなさいよ・・・嘘に決まってるじゃない・・・それにお金だって返してくれるハズないわよ・・・」
まあ、そうだろうけど・・・出て来る人は誰も返してもらってないみたいだし・・・
「でもさぁ、どんなインチキなのか見てみたくない?」
「・・い・・イヤよ・・・もったいないわ・・・」
たしかにインチキと判ってるのに700円はもったいないかな・・・でもなんか変だ・・・長谷川ったら何かソワソワしてるし、つないでる手が汗びっしょりだ・・・もしかして長谷川こういうのが苦手なのかな?
「長谷川さん・・もしかしてこういうの怖いんじゃないの?」
「・・・こ・・怖くないわよ・・・」
やっぱり手が震えてる・・・こんなのが怖いなんてなんか可愛いなぁ・・・ちょっとイジメちゃおうかな・・・だって長谷川には結構イジワルなことされてるし・・・実は、オレはこういうの全然平気なのだ!
「だったらさ、お化け屋敷に入ろうよ!500円だからちょっと安いし、お化け屋敷は嘘とか本当とか言うようなもんじゃないし。」
ふふふ・・・怖がってる怖がってる・・・
「怖くないんでしょう? だったらいいじゃない。」
「・・だって・・・有希泣いちゃうかもよ・・・」
「わたしが? 大丈夫よ、わたしは平気だから。もし怖かったら、わたしにしがみついてもいいわよ!」
長谷川の性格ならこんな風に言ったら断れないだろう・・・オレが怖がってないのに、自分が怖がってるなんて許せないに違いない・・・
「・・な・・なに言ってるのよ・・・有希がわたしにしがみつくんじゃないの・・・?」
強がっても声が震えてる・・・
「じゃあ入ろうよ!」
「・・・・・!」
オレはなかなか入ろうとしない長谷川を引っ張って、お化け屋敷の中に入っていった・・・
「ギャ〜〜!!」
案の定お化け役の人が飛び出してくると、長谷川がオレの腕にしがみついてきた。たぶんアルバイトのお兄さんなのに何でこんなのが怖いんだろう。
「ハハハ・・大丈夫だよ。怖くないって・・・」
でも長谷川はさらにきつくオレにしがみついてくる・・・
「ち・・ちょっと・・・そんなにしがみついたら歩けないよ・・・」
小さいコなら良いだろうけど、長谷川はオレとそんなに体格も変わらない・・・体重はもしかしたらオレの方が軽いかも・・・そんな長谷川にしっかり抱きつかれてはたまらない・・・これがもしカップルなら男は喜ぶかも知れないが、オレは女だから長谷川に抱きつかれても、べつに嬉しくもない・・・
「・・・ちょっとぉ・・浴衣がはだけちゃうよ・・・」
それに重い・・・
こんなことなら入らなきゃ良かったと後悔してきたころ、やっと出口が見えてきた・・・でもこういうのは出口の間際に最後のドッキリがあるに決まってる!
最後はどこから来るんだろうと思っていたオレは思わず足を止めた・・・出口までの道に・・・何かいっぱい敷き詰められている・・・
「・・うそ・・・!」
オレはそれが何かわかった途端、背筋に冷たいものが走り、思わず身震いした・・・
「・・・む・・・虫だ・・・」
それは一面のイモムシだった・・・もちろんゴムの偽物なのはわかっている・・・でも・・いくら偽物とわかっていてもオレはイモムシはダメなのだ・・・ほとんどの虫は平気だけど、イモムシや青虫や毛虫だけはムシズが走るのだ!・・・だってグニョグニョして・・・ヘンな足がいっぱいあるんだもん・・・!!!
「・・ゆうきぃ・・・」
長谷川が泣きそうな声でオレを急かす・・・でも今や泣きそうなのはオレの方だ・・・体の震えもハンパじゃない・・・
そのとき後ろから幽霊役の人いきなり長谷川に飛びかかってきた・・・
「キャァ〜〜〜!」
驚いた長谷川はオレの浴衣をつかんだまま一気に出口に向って走りだした。
「だめぇ・・・」
オレは必死で引き止めようとしたが、馬力じゃとても長谷川にかなわない・・・オレは引きずられるようにイモムシの中に足を踏み込んだ・・・そのとたん草履の裏に“グニュッ”というイヤな感触が・・・
「ヒィーーーー!」
こうなったらもう止まってられない・・・オレも長谷川に抱きつきながら足の裏のイヤな感触を振り払うように必死で走った・・・もうどっちがどっちに抱きついているのかさえわからなかった・・・
出口に近づき足の裏の感触が無くなったことにホッとした瞬間、オレたちの頭の上から何か落ちて来た!
「・・・・!」
イモムシだ! イモムシがオレの頭や肩に乗ってる!!!
オレは頭がクラクラして思わずその場にへたり込んでしまった・・・・




