第32話 売場 下着を選ぶオレ 初出08.10.22
オレと長谷川は30分後に駅で落ち合うことにして、お互いの家へと私服に着替えに帰った。
しかし考えてみれば長谷川はオレの家を知らない。長谷川の家は駅に近いマンションだから良いが、オレの家は駅から10分近くかかってしまうことを忘れていた。
「ただいま・・・」
なるべく速歩きで帰って、玄関の鍵を開けて家に入ると、家の中には誰の気配もなかった。妹の麻衣はまだ帰ってないか、帰ってからどこかへ出かけたのだろう。誰の気配もないとはいっても父はたぶんいると思うし、オレが帰ってきたことも判っているハズだ。なぜなら父の書斎とは名ばかりの納戸には、玄関に仕掛けたカメラの映像が見られるようになっているからだ。音も聞こえるし、必要なら父の声もスピーカーから出すこともできる。なんでそんなふうになっているかといえば宅急便など来た時に困るからだ。玄関の鍵はリモートで開けられるし、脇の靴箱の上にはヒモにつないだ印鑑が置いてある。宅配の業者に自分で印鑑を押してもらおうという計算だ。ほとんどの場合はこれで上手く行くらしい。オレも昔は父のことを対人恐怖症のようなものかと思ったこともあったが、どうやらそういう訳ではなく単に書き物を止めて出て行くのが面倒なだけらしい。
オレはそのまま玄関脇の階段を上がって自分の部屋に入った。制服のセーラー服を脱いで何を着ようかと思いオレは手を止めた。いったい長谷川はどんな服を着て来るのだろうか?オレたちはまだ1回しか私服の状態では会っていないから長谷川がどんな服で来るのかは、あまり想像できない・・・
前に会った時は、ジーンズにTシャツの上にチェックのシャツを羽織るというラフな恰好だった。いつもあんな恰好なのだろうか?長谷川がラフなのにオレが女の子っぽい恰好では何だか恥ずかしい・・・しかしオレはジーンズは穿きたくなかった。オレは女の子のように骨盤が広くないから、パンツスタイルは女の子としてはいまいち着こなせない。オレはどうしようかと迷っているうちに時間が経ってしまったことに気がついて焦りだした。
「いいや・・・これにしよう・・・」
オレは白に茶系の淡いチェック柄のワンピースを選んだ。丸い衿が少しアンティークっぽい感じだ。前のボタンを開けて足を通し、すこし膨らんだ袖に腕を通してから急いで並んだボタンを留めた。同じ生地で出来たベルトの端を白いプラスチックのバックルに通し、先端のホックを留めた。
もう時間がないから急いで出かけようとして、大事なことを忘れているのに気がついた。
オレはスカートを捲ってパンティーを脱ぐと、タンスから取り出したナプキンの袋を破いてパンティーにセットした。もしもまた漏らしてしまった時の用心のためだ。
これは白石先生の提案だった。白石先生が言うには、不安神経症がひどくなってパニック障害にならないためには、あらかじめ心配事を減らしておくのが重要だということだった。一度漏らしてしまうと、同じような状況になった時に、また漏らしてしまうのではないかと心配になるのが良くないらしい。そのために、もし漏らしても大丈夫という準備をしておけば、心配の種がひとつ減るというわけだ。もちろん漏らさなければそれで良いし、そのまま緊張そのものをしなくなるまで続ければ、いつかは無くても大丈夫になるらしい。ちなみに先生は多めに漏れても良いように、多い日用というのを用意してくれた。先生が水を使った実験を見せてくれたが、かなりの量でも十分染み込んでくれるのが解りオレは安心した。
裏側のテープを剥がしてパンティーに固定してから穿き、ちゃんと位置が合っているか確かめてみる。オチンチンを後ろ向きに挟んでいるので、少し後ろめに付けないといけない。もっとも今のオレのオチンチンは、シワシワでまったく元気がないからそんなに後ろまではいかないのだが・・・
緊張しそうな時に飲んでおく薬は、前もって学校で飲んでおいた。少し前に飲んでおかないといけないからだ。
準備が終ると、オレは小さなバッグを肩にかけて急いで階段を降り、靴箱からかかとが低めの白いサンダルを出して履くと急いで駅に向かった。もうすでに待ち合わせの時間になっている! 本当は髪も何とかしたかったのだが、とてもそんな時間はなかった。
小走りで駅に着くと、もう長谷川は来ていた。
「ご、ごめん・・・待った?」
オレが聞くと、長谷川は「そんなに待ってないよ」と首を振った。
長谷川の私服はやはりジーンズにTシャツだった。セーラー服の時とは違い、私服の長谷川は少しボーイッシュな感じさえする。
それにひきかえオレは、シックなワンピースにお下げときている・・・せめて長谷川も、もう少し女の子っぽい服を着てくれればいいのに・・・・
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ダイエーの下着売り場に行ったオレは、抱いていたイメージとの違いに少し戸惑った。オレはなんとなくレナに連れて行かれた天神のランジェリーショップのような感じを想像していたのだが、色とりどりだったランジェリーショップとは違ってダイエーの下着売り場は白とベージュだらけだ。
考えてみれば当たり前のことだし、まだオレが男のころにも通りすがりに見たことはあったと思うのだが、あのころはまさか自分が女性物の下着を着けるようになるなんて思わなかったから、まったく気にしていなかった。
きっとランジェリーショップで売ってるような下着は勝負下着というやつなのだろう。今のところオレには下着で勝負をする機会は無さそうだ。だいたい女の子がいつどんな時に勝負をしているのかもオレはまだ良く知らない・・・・
しかしこんなに多くてはみんな同じように見えて、どんなのを選んだらいいのかさっぱりわからない。オレはちらっと長谷川を見て助けてもらおうかと思ったが、長谷川にはそんな気持ちはなさそうだし、オレとしてもこんなことで助けてもらうのはシャクな気もするのでやめにした。
オレはゆっくり歩きながら、どんなのが良いのか考えていると、カップの下にレースが付いていて、上半分が透けているのが目とまった・・・胸が無かったころはこういうのは着けられなかったなぁと思い手を伸ばした時
「ふ〜ん・・・」と長谷川のうなずく声がして思わずオレは手を止めた。
オレはそのまま何ごともなかったように歩き続ける・・・次に目にとまったのは全体にレース模様で飾られたやつだった。真ん中の部分に小さなリボンが付いている。オレが手にとると長谷川が言った。
「有希は可愛い感じのが好きなんだぁ・・・」
「え?!い、いや・・そういうわけでも・・ないんだけど・・・」
オレは思わず手にとったブラをまた置いてしまった。
「べつにいいじゃない、どうせ下着なんて普段は見えないんだから。」
それはそうなのだが・・・普段は見えないといっても、どんな下着を着けるかで多少気分も違う気がするし・・・
「わたし・・どんなの買えばいいのかな・・・」
「そんなに深く考えないでいいんじゃないの? 有希が好きなの買えばいいのよ。」
「好きなの・・・?」
「そう、とにかくいいかなって思うのを買ってみて、あんまり着けないようなら、またこんど違った感じのを買えばいいじゃない。」
「そっか・・・」確かにオレは深く考えすぎなのかも知れない。女の子は下着まで気を使わなきゃいけないと聞いたが、普段着ける下着にはそこまで気を使う必要はないのかも・・・
「そうよね・・好きなの買うしかないもんね・・・」オレはそう言って自分を納得させた。
オレは目にとまったものをいくつか手にとっていった。オレが選んだブラはシンプルなものではなく、レースをあしらったようなタイプが多かった。長谷川に指摘されたのはシャクだが、オレはやっぱり可愛いのが好きみたいだ。最初は全部同じように見えたブラだったが、良く見ると色々違いがあって、選びだすと何だか楽しくなってきた。
「なんかこんなにあると迷っちゃうな・・・」オレは思わずそう口に出していた。
「ふふっ、有希ってやっぱり可愛いね。」
オレは焦った。長谷川にそんなこと言われると、なんだかドキドキしてくる・・・
「そ、そんなふうに言わないでよ・・・」
「だって有希がブラ選んでるの見てたら、すごく女の子っぽいんだもん。すっごく真剣に選んじゃってさ。」
「うぅっ・・・」オレは恥ずかしくてうつむいた。そんなこと言われたら選べないじゃないか・・・
「は、長谷川さんは・・どんなのしてるの・・・?」
オレが聞くと、急に振られた長谷川は少し戸惑ったようだった。オレは長谷川とはクラスが違うから体育などで体操着に着替える時に見る機会もない。
「わたし? わたしは・・・もっとシンプルなのかなぁ。だって学校にしていくんでしょう?だったらオシャレしても仕方ないし・・・」
長谷川は無造作に何の飾り気もないブラを取り上げて言った。
「わたしはこういうのをしてるけど・・・」
言われてみるとたしかに着替えの時に見る同級生のブラはそういうのが多いかもしれない・・・じゃあ、オレはいままで他のコよりも可愛いブラを着けていたという事になるのだろうか?
「でも有希は可愛いのを着けたいんだったら、そうした方がいいんじゃないかなぁ。」
「そ、そう・・・?」
でもさすがに、いまさらそう言われても「はいそうですか」とばかりにと可愛いのばかりを選ぶのも難しい・・・オレは結局、長谷川がしてると言ったような、レースも何も無いツルツルのブラも買ってしまった。
他にも白いブラウスの時に透けないようなベージュのも買ったが、スポーツタイプのは今までのでも当分間に合いそうなので買わなかった。スポーツをする時は少しきつめくらいの方が都合がいい。オレは急に胸が大きくなってしまったためか、いまだに走ったりした時に胸がゆれる感覚に慣れなかった。
昔はヌーブラをした時に、重さの感覚が本物のようでリアルな気がしたが、実際に自分に胸が出来てみると、その感覚はヌーブラとはかなり違っていた。なにしろ本物の胸は上下の動きがハンパじゃない!肉そのものが揺れるうえ、それ自体に感覚があるからたまらない。こんな大したことない大きさでこれなのだから、もっと大きかったらどうなってしまうのだろうか・・・オレはもうこれくらい十分だと思った。
ついでにパンティーやスリップなんかも買って売り場を離れると、長谷川が言った。
「せっかく来たんだから他も見ていこうよ。わたしも良いのがあったら買いたいしさ。」
「う、うん・・いいよ・・・」
オレは自分のことでいっぱいいっぱいだったから、下着を買うことしか考えていなかったが、たしかにせっかくダイエーに来たのだから他を見るのも悪くない。そういえばオレはこういうところで女物の服を見たことはなかった。男のころは女性服売り場なんか長居するものではなかったし、レナと行った天神の店はオシャレな服しか売っていなかった。
「でもさぁ、有希っていろんな服着るのね。」
「え?・・・どういうこと・・・?」
「だってこの前は清楚なお嬢様風だったじゃない。今日はカントリー少女みたいよ。お下げも可愛いし・・・」
そういって長谷川がオレの頭をさわったから、オレはまるで首根っこをつかまれた子猫みたいに思わず身を縮めた。
「ちょ、ちょっとやめてよ・・・恥ずかしいよ・・・」
たしかにオレは普通の女の子よりも、いろんな服を着ているのかもしれない。そもそも、女の子の服に慣れるためにいろんなタイプの服を母が用意してくれていたし、オレには発言権もなかったから選り好みなど出来る状況じゃなかった。もっとも発言権があったとしても、オレには着たい女の子の服などなかったのだが・・・そういえば最近は、やっと持ってる服の中から、自分で着る服を選べるようになってきた・・・これって少しはオレも女の子っぽくなったということなのだろうか?
「でも長谷川さんがいけないんだよ・・・」
「え?!なにが?」
「長谷川さんがもっと女の子らしい恰好してくれれば、わたしも同じような服着れるのに・・・」
相手がレナならオレよりずっとオシャレだから、オレはもっと可愛い服でも着ることができるのだ。
「だって、わたしはこういう恰好が好きなんだもん。有希みたいに可愛い服は似合わないし。そんなこと言うんだったら、有希がジーンズ穿けばいいじゃない。」
それを言われるとオレも困ってしまう・・・オレがジーンズなんか穿いたら男だとバレる確率が高くなる気がするし、それにオレはやっぱり女の子はスカートの方が可愛いと思う。でもそう思うのはオレがまだ男だからなのだろうか?
「わたしは・・・ジーンズは穿きたくないの・・・」
「なんで?」
「だって、女の子に近づいたっていっても、やっぱり体型は女の子とはちがうんだもん・・・」
「そうなの?そんなふうには見えないけどなぁ・・・」
「長谷川さんは普段はスカートは穿かないの?前もジーンズだったけど・・・」
「うん、ほとんど穿かない。だって面倒じゃないスカートって。」
「そうかなぁ? そんなに面倒でもないと思うけど・・・」
なんだか男のオレがスカートの方がいいと言うのも変な気もするが・・・
「だって、スカートの方が可愛いじゃない?女の子っぽいし・・・」
「だから有希は可愛いから、そうやって可愛い服着ればいいじゃない。わたしは似合わないから着ないの!もう放っといてよ。」
長谷川さんにそう言われてしまい、オレはシュンとしてしまった・・・たしかに男なのに女の子の恰好をしてるオレが言えることではなかったのかも知れない。オレが女の子の恰好をしているより、長谷川さんがスカートを穿かない方が世間ではずっと普通のことなのだ・・・
でもどうして女の子は男っぽい恰好をしてもいいのに、男の子はスカートを穿いてはダメなのだろうか?元々はスカートも男の服だったらしいのに・・・とはいえオレは決して女の子の服を着たくて着ているワケではないのだが・・・
「ごめん・・・長谷川さん・・・」オレは素直に謝った。
「女の子の恰好してるわたしが言うことじゃなかったよね・・・」
すると長谷川さんはオレの肩を抱き寄せた。
「あやまることないよ。わたしはこういう服装が好きだし、有希は可愛い服が好きなだけでしょう?」
「う、うん・・・」
なんだか女の子の長谷川さんにこんなふうにされるとオレはドキドキしてしまう・・・これはオレの中の男の部分がドキドキしているのだろうか? でも長谷川さんには妙な信頼感を持ってしまうオレもいる・・・こんなに抱き寄せられたりしたら・・・・・
それにさっきから何だか変な気がしていたが、普段はオレの方が長谷川より少し背が高いのに、今日は同じか、少し長谷川の方が高い気がする・・・良く見ると長谷川のスニーカーはずいぶん厚底になっているようだ。オレの方はあまり背が高くならないように、かかとが低いのを履いてきたから背丈が逆転してしまったらしい・・・
オレたちは女の子どうしのように服を見てまわった。しかし長谷川さんがTシャツなんかを選んでいる間もオレはずっとドキドキしていて、何も考えられないような状態だった。オレは結局、男のころには女の子とデートしたことは一度もなかったが、もしデートしていたらこんな感じだったのだろうか?
おなじ女どうしでもレナとの時はこんな感じではなかった気がする。オレはレナとも女の子のように遊んだり買い物をしたりしたが、あの時はもっと心を開放できるような感じがあった。でも今は・・・なんだか心を開放するのが怖い・・・オレは長谷川さんの前で女の子になってしまうのが怖かった。
長谷川さんは、もうオレのことを女の子だと見てくれているのかも知れない。だけどオレ自身はまだ女の子になりきれているワケではないのだ。オレはあくまで男として物事を考えているし、教えられた女の子らしい行動をしているにすぎない・・・しかし・・ときどきオレは自分でも気づかないうちに女の子として振る舞ってしまう時がある。でもその時のオレが本当にオレなのかは、オレ自身にもよくわからなかった。オレは長谷川さんの前で、よくわからない自分を出すのが怖かったのだ。長谷川さんがオレのことをどう思っているのか知ることができたらいいのに・・・・
「有希、何ボ〜ッとしてるのよ。」
「あ、ご、ごめん・・・」
「これ似合うか聞いてるのに!」
「あ、うん・・似合うんじゃないかな・・・」
「なんか気持ちが入ってないなぁ。」
「ご、ごめん・・・」
「もう・・謝らなくていいから・・・有希もわたしにひっついてこないで自分が着たそうなの探してきたら?」
「う、うん・・そうする・・・」
オレはそう言ってトボトボと店内を歩きはじめた。でもダイエーにはあんまりオレが着たいような服は見当たらない・・・うろうろしているうちに、いつのまにか呉服売場の方に来てしまった。
「あ、着物だぁ・・・きれいだなぁ・・・」
オレも少しは着付けも出来るようになってきたから、自分で着ることを想像しながら見ることも出来る。ぶらぶら見ていると、オレはある一角に目が止まった。
「浴衣だ!」
そこには二人のマネキンが青とピンクの浴衣を着ていた。他にもいくつかのマネキンが浴衣を着て立っている。
「浴衣着てみたいなぁ・・・」
帯の締め方なんかを見てみると、着物より簡単に着れそうだ。最近はいろんなのがあるようで、バラの花のような西洋風の柄のものや、襟元がレースになってるやつまであった。そういうのもたしかに可愛いけど、でもオレは浴衣は普通の昔ながらの日本風の方がいいと思う。
考えてみれば、もうすぐ7月だし浴衣の季節なのだ。こんなの着て花火とか見にいけたらいいなぁ・・・などと考えながら眺めていると、いきなり肩をたたかれた。
「有希なに見とれてるのよ。」
「あ、長谷川さん・・・ちょっと・・・」
「浴衣? 有希浴衣着たいの?」
「う、うん・・・長谷川さんは?浴衣とか持ってるの?」
「ううん、有希は?」
オレも首を横に振った。
「長谷川さんは浴衣着て花火とか行きたくない?」
「う〜ん・・・でも、なんか面倒くさそうだなぁ・・・」
「またぁ?」
オレはちょっとあきれてしまった・・・長谷川さんってかなりの面倒くさがりみたいだ・・・
「でも浴衣ってけっこうするのねぇ。」
長谷川に言われて値段を見てみると、いいなって思えるのは大抵2万とかするようだ。安いのもないわけじゃないが、柄がいまいちだ・・・
母に浴衣が欲しいって言えば買ってくれるかも知れないが、女の子になるためにずいぶん服も買ってもらったし、そのうえ浴衣が欲しいなんて言えない・・・それに浴衣なんて、そんなに何回も着るものじゃないし・・・
でもやっぱり着てみたい気持ちは頭から離れなかった。そういえば母が大切に残しておいてくれた、オレが小さい頃の写真には麻衣と一緒に浴衣を着たやつもあった。あれはいつの写真なのだろうか・・・なんだか田舎のような風景だったが・・・それがいつ何処で写した写真なのか、オレにはまったく記憶がなかった。




