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8 北の国(弟子と師匠3)

○月×日

匿名X:この間の勝ち抜き戦、・・・あそこまで将軍も強いなら第六部隊長も今までずっと傍にいる必要なかったじゃねえかって思いました。そもそも、あれは女じゃないですよね?


匿名A:そう第六部隊長に言えよ。ほったらかしにされて泣いてる第六部隊の奴らが喜ぶぜ。

匿名B:どっちかってっと、普段、そこまで顔を見せないくせに、自分の悪口を言っていた人間だけを徹底的に叩きのめしたあれを見たら、俺は反対の意見を支持するね。第六部隊長なら、目の前で悪口を言われない限りキレないが、・・・あの将軍、いつ、それを聞いたんだろうな。その事実が一番怖いだろが。

匿名C:言われてみればそうだよな、B。実は俺の同僚もめった打ちにされたんだけど、あいつ、ガラの悪い酒場でしか悪口は言ってなかったんだぜ? それこそ将軍や部隊長なんて行かないような、さ。

匿名D:そうか? あれで将軍って可愛いところもあると思うけどな。Xは見る目がねえな。

匿名E:お前ら、悪事千里を走るという言葉を知らんのか?



 どこまでも北の国は愚かな決断をし、戦が始まることとなった。

 既に北方に出向いている第二大隊、第四大隊だけでは足りないだろうが、そうなると近衛騎士団、王都騎士団とも話し合う必要が出てくる。


「さて、皆に集まってもらったのは他でもないが・・・」


 フィゼッチ将軍と副官セイランド・リストリ、エイド将軍と四番隊長ドロイ、ケリスエ将軍と副官カロン・ケイス、その六名が、リガンテ大将軍の執務室に集まっていた。

 エイド将軍の懐刀とも言われるロメス・フォンゲルドは既に北方へと出向いている。

 リガンテ大将軍は皆の顔を見渡して言った。


「どうやら北の国はかなりガタガタらしい。今回の戦も、外国に勝ったという実績を掴んだ上での王位争いになるようだ。典型的な戦を知らない第二王子とその取り巻きによる愚行と言えるだろう」

「リガンテ大将軍。お伺いするが、王の意向は? その王位争いに我が国も関わるのでしょうか?」


 そうフィゼッチ将軍が軽く手を挙げて質問する。


「北の国は手に入れてもメリットがない。我が王としては丁重に蹴散らした上で、しっかり賠償金をせしめたいというお考えだ」


 そこでセイランドも手を挙げる。


「現在、王都騎士団のロメス殿が出向いておいでですし、三軍からもそれなりの兵を出しております。戦となれば我々も出陣いたしますが、他への警戒もありましょう。兵のいなくなったロームを襲われてはたまりません」

「ふむ。で、君達の意見は? 既にセイランド殿、ロメス殿、カロン殿で話し合いをしていた筈だが」

「はい。ですので、追って私とカロン殿も北方に参ることにしまして、各将軍方やある程度の部隊はロームに残しておき、それこそ東西南への睨みもきかせておくべきかと愚考いたします」

「なるほど。たしかに戦上手が揃ってロームを留守にするのは痛い」


 そんなリガンテ大将軍とセイランドの意見に、カロンも手を挙げる。


「恐れながら申し上げます。出陣に際しまして、どなたか我々よりも上位にあたる方に同行していただきたくお願い申し上げます。申し訳ございませんが、私ではもしその場のノリ・・・いえ、国を守る愛国心が強すぎて血気にはやってしまった方が出た場合、その熱情を止められる自信がありません」


 カロンが言いたい意味は、リガンテ大将軍にもすぐ分かった。

 その場のノリで行け行け状態になったセイランドとロメスの二人を止められる人間を出しておかないと、何をやらかすか分からないぞという忠告だな、と。

 さすがにリガンテ大将軍もそれを言われると、考え込む。


(さて、どうするかな。・・・管理されきった獣は牙を失って役立たずになるが、管理しきれぬ獣は味方を食い尽くす)


 セイランドが「この裏切り者」と、口の動きだけでカロンに言っているのが見えた。カロンは「当然の措置だろうが」と、やはり口の動きで返している。

 たしかに、あのロメスとセイランドの二人では売られた喧嘩を買うついでに北の国まで攻め込みかねない。・・・誰もがそれをありありと想像してしまう。

「あー、ついでに北の国も落としてきちまったわ。国一つが土産ってことで」

とか(主にロメスが)、

「そこまで進軍するつもりはなかったんですけど、そこで撤退しようものならかえって攻め込んできそうな様子だったんです。不可抗力です」

とか(主にセイランドが)、適当なことを言いそうだ。

 リガンテ大将軍がフィゼッチ将軍を見た。・・・そっと目を逸らされた。

 リガンテ大将軍はエイド将軍を見た。・・・さっと目を逸らされた。

 リガンテ大将軍がケリスエ将軍を見る。・・・最初から違う方向を見ていた。


(そりゃね・・・。暴走する部下なんて持ってないケリスエ将軍にとってはどうでもいいことなんだろうけどね)

 

 ちょっと切なくなるリガンテ大将軍である。そういう意味でも、最年少の将軍でありながら自軍を一番管理しきれている事実が恐ろしくもなった。一番侮られ、同時に誰よりも控え目でありながら、そこに存在する絶対的な自信とそれを裏付ける実績。


(だから我々はこの将軍を手放せない。・・・いや、そんなことはどうでもいい。今の問題は近衛騎士団と王都騎士団の方だ)


 リガンテ大将軍はちらりとエイド将軍を見た。何と言っても、狂犬とも呼ばれるロメスはどこまでも血を求めて突っ走る危険物だ。そのロメスが猫をかぶって可愛らしく振る舞っている相手はエイド将軍のみだと、誰もが知っている。


(が、その危険物は既に北方に出向いてるしな。エイド将軍にここで釘を刺してもらうこともできないんじゃどうしようもない)


 そんなリガンテ大将軍の視線を逸らしたエイド将軍にしても、自分の腹心であるロメスが戦となればどこまでも豹変するのは十分に理解していた。

 エイド将軍はロメスの笑顔を思い浮かべる。「エイド将軍の為にも頑張ってまいります」と、言って出て行った姿を。


(ましてや黒髪の乙女がカンロ領にいるとなれば尚のこと、あいつは今後の憂いを断つ為にも完全に叩きたいと思っていることだろう)


 カロンに言われるまでもなく、エイド将軍もその可能性を考えていた。あの心優しいロメスのことだ。愛しい妻の為にも、きっとどこまでも修羅と化すことだろう。


(それこそが、あいつの愛だ・・・)


 そう思って感動のあまり目を閉じるエイド将軍である。

ロメスを理解はしているが、エイド将軍の感性は全く違う方向に向いていて、その本質を分かっていないことも事実だった。

そんな上司とは別に、四番隊長ドロイもロメスを思った。


(セイランド殿はどこまでも確実な用兵をなさる方だ。しかし今まではフィゼッチ将軍と共にいることが多かった。ロメス殿にしても今まではエイド将軍がおいでになった。上司がいてもあれだけの成果を出してきたお二人が、その上司不在で戦う場合、どうなるのか。ましてやカロン殿も出るとなれば尚更だ。・・・それこそその場にいたいと思わずにはいられないもんだな)


 ドロイもロメスには何かと胃の痛い思いをさせられている。それでも同時に思うのだ。

 決して負けないと思えるあのロメスに、どこまでもついていきたいと。

もしもその場でロメスがそれを望むのであれば、王都の意向がどうであれ、北の国への王都にまで自分達は喜んで進軍するだろう。

 そしてそれは、おそらくセイランドの部下も、カロンの部下も同じことだ。


(戦いの場にあってはどこまでもついていきたいと思わせる統率力、・・・あれはもう努力を超えたものだ。嫉妬すら抱きようがない。まあ、お二人に比べてカロン殿はケリスエ将軍の陰に徹しすぎていていささか小ぶりともされるが。・・・・・・それでもあれだけの不遇からここまでのし上がった男だ。それこそケリスエ将軍の枷を外した時、どこまでやるのかなど分からない)


 ケリスエ将軍の名誉を守る為に喧嘩を売りまくった結果、暴れ狼の異名をとった男。もしもケリスエ将軍が女性でなければ、そんな異名をとることもなかっただろう。

 ではもっとケリスエ将軍自身が強くもなく、結果を出せない人だったならどうだったのか。あのカロン・ケイスは、将軍の為にどこまでの成果を叩き出したのだろう。

 だが、それを言うならばセイランド・リストリもまた優秀さと面倒見の良さとを兼ね備えた人柄で知られている。どこまでも情報を集め、分析し、確実に勝ちを取っていく男だ。セイランド自身は通常程度の剣の腕だが、部下を見出し、育てる手腕はずば抜けている。軍師としてはピカイチだろう。


(この三人が本気を出したら一番強いのは誰なのか。・・・それを知りたいのは俺だけじゃないだろうがな)


 ドロイはそう思いながら卓上の地図を見ているフリをした。






士気は大事だ。それの有る無しでかなり結果が変わってくる。

この人についていけば勝てる、そう思うから人は死力を尽くせる。

どんな劣勢であろうとも怖じることなく負け戦すら勝ちに転じさせてみせる、そんな軍神に愛された人間。そういう存在に男は惹かれ、兵士は奮い立つのだ。

そんなことを考えながら、ケリスエ将軍はふと小さな笑みを漏らした。


(さて、坊や達のお手並み拝見といくか)


結局、ケリスエ将軍が最高指揮官として北方に出向いたものの、本人は今回、出る気はなかった。打ち合わせや報告には立ち会うが、よほどでない限り口出しはしないというスタンスである。

なぜケリスエ将軍かといえば、高齢のフィゼッチ将軍に冬まで長引くかもしれない北方の気温は厳しいだろうという配慮だ。

エイド将軍でも良かっただろうが、いざとなったら阻止できる実力の持ち主をと考えたリガンテ大将軍の決定だった。エイド将軍はロメスを覆っている大きな猫の存在に気づいていなさすぎる。


「次世代が力を合わせてやろうと言うのだ。私は見物にまわらせてもらおう。ただし、目に余るようなら止めるがな」


セイランド、ロメス、カロンの三人、そして各軍の隊長達は、だから打ち合わせは聞いてはいるけど気にしないでくれというケリスエ将軍を前にして、話し合いに入っていた。

カロンにしても、今回、ケリスエ将軍からは

「お前は私のことは気にせず、そっちに専念しろ。というより、あの二人に遅れをとるなど許さん」

と、釘を刺されている。

そんなケリスエ将軍は、あとは兵達の見回りなどをして、大人しく天幕で過ごしているらしい。時には兵達の練習にも付き合ったりしているようで、評判はいい。

そうなるとカロンも、立場的にあまり将軍の所に入り浸るわけにはいかなかった。何と言っても結婚したばかりである。

これがただの上司と部下なら警護も兼ねて夜は近くの天幕で休めただろう。しかし女っ気に飢えている中で自分が妻となっている将軍の天幕に近寄ればどう勘繰られることか。兵達の不満が爆発するだけだ。

従って、結婚してしまったがゆえに、カロンは北方に出向いてからこっち、ケリスエ将軍の姿をあまり見られない状態に陥っていた。


(いいんだ、別に。どうせ一番奥の安全な所だし、何もないだろうし、何かあってもどうにかするだろうし)


何より、他の二軍に負けるなと言われている。どうせ将軍には小隊をつけてあるし、いざとなれば自分でどうにかする人でもある。その気になれば自分達から全軍の指揮すら奪って執れる権限を持っているのだ。何を心配することがあるだろう。

そう思い、カロンはせっせと動き回っていた。そんな自分の采配すら、ケリスエ将軍にはきっちり観察されている筈だ。手は抜けなかった。

 尚、実際の将軍は、全くカロンの様子を見てなどいなかった。






 第二軍に属するヤンス小隊長は、ケリスエ将軍の警護を言いつけられていた。


「今回、将軍は高みの見物だとよ。お前もつまらねえ仕事だってんで不満はあるだろうが、内々の第二部隊ご指名ときちゃ仕方ねえ。俺だってお前に抜けられるのは(いて)えが、俺らのトップを()られるわけにはいかん。しっかり守れよ」


 そうハイゲル第二部隊長からも言われているクリエット・ヤンスは溜め息をついた。

何と言っても機敏さで知られる第二部隊だ。ヤンス小隊にしても、天幕の奥で守られている将軍の警護というつまらない仕事ならよそに任せておきたいところである。

 が、しかし。


(おかしいと思うべきだったんだ。あの将軍が第二部隊の小隊をご指名という時点で・・・)


 ローム国騎士団の各部隊、各小隊について誰よりも知っているであろう将軍が、こっそりハイゲル第二部隊長に、

「打ち合わせの時、『うちの小隊を警護につかせましょう』と言うようにしてくれないか。今回、カロンだけではなく、どの部隊長にしても私の傍につかせる気はない。今回は前に出ない私の傍にいれば武勲も立てられんからな。だが、優秀な護衛を近くに置いておかないと皆も心配するだろう。ハイゲル殿が見込んだ小隊なら信頼できる」

と、(あらかじ)め伝えていた時点で、何かあると考えるべきだったのだ。

 将軍の警護には第六部隊の人間をつける気だったらしいケイス第六部隊長だが、さすがにハイゲル第二部隊長から申し出られたとなると、そこは譲ろうと考えたらしい。

 何と言っても一番年少のケイス第六部隊長が、今回はローム国騎士団を指揮している。そんな中、古参のハイゲル第二部隊長の顔を潰すようなことをする筈がなかった。


(何が警護だ。何が護衛を近くに置いておきたいだ)


 全然警護じゃない上、全くもって近くになんて置かれていない。


(第六部隊の小隊ならすぐにケイス第六部隊長に連絡が行く。だが第二部隊は様々な場所に機動力重視で散らばっており、ハイゲル第二部隊長も警護のような簡単な仕事の報告なんぞしなくていいと伝えてきていた。・・・分かっていたのだ、将軍は。その辺りを)


ヤンス小隊は、ケリスエ将軍の命令により斥候に出されていた。


「皆が打ち合わせしていた内容によると、この街道筋でぶつかるらしいな。・・・そしてあちらの軍はこの辺りにいるそうだ」


 ケリスエ将軍が地図を示しながら、ヤンスを始めとした小隊員に説明する。


「だが、この辺りの村は民家も少ない。そうなると、贅沢な生活に慣れきったお貴族のお坊ちゃん達が野営などできる筈もない。そうなると滞在するのはどこか。・・・この辺りとこの辺り、そしてここが考えられる」


 少し離れた村を幾つか指し示す。今回、北の国による王位争いが原因らしい。従って、形ばかりでも従軍してきた使えないアホがいる筈だと、ケリスエ将軍は説明した。ロームに進軍して勝ったという実績を引っ提げて帰る為にも、同行しているだろう。更に戦いなどには加わらない筈だと。

 そうして、その辺りの様子を探ってくる斥候として、ヤンス小隊は使われていたのである。


「そう不安そうな顔をするな。ちゃんと私の天幕は信頼できる者が警護してくれてるんだろう、ヤンス小隊長?」

「はっ。きちんと食事を運んでいるようにも見せかけ、そしてもしも天幕まで入り込まれた時には、散歩中や剣の稽古などといった理由で誤魔化すように言いつけてあります」

「ならば大丈夫だ。自分の部下を信じろ。さて、それでは表向きの戦は、表向きの奴らに任せておこう。・・・全員、出立用意」

「はっ」

 

 それでも、こういうことに立ち会えることにヤンスは喜びをも感じていた。

ケリスエ将軍は部隊長クラスの人間を傍に置いて戦うことが多かった為、ヤンスにしてもこんなに近くで将軍に指揮されるのは初めてである。


(最初は足手まといではないかと見做していた奴らも、さすがに将軍の方が野宿に慣れているのを見せつけられちゃあな。奮起せざるを得ん)


 しかも演技力も凄い。あんな筋肉のついた体でありながら、流れ者の女性を演じて食料を調達してくる手腕も見事なものだった。これがどう見ても軍人のような男達が食料を買い求めたのであれば警戒されるし噂にもなるだろうが、・・・女性ならば警戒されにくい。

そして北の国は衣類を重ね着するので、体格が分かりにくくなるのだ。頭から布をかぶり、化粧をして目だけを出した状態ならば、それこそ目元も涼やかな美女に見える。その上、将軍は簡単な舞いすらできるのだから、かえって自分達より有能である。

どこぞの居酒屋でもひとさし舞ってきたらしい。食べ物で報酬を払ってもらったようだが、おかげで待機していたこちらは大喜びだ。

更に、狩りにも慣れていた。気づいたら、適当に自分で仕留めてきた獲物を捌いて、汁物を作っていることも多い。さすがに材料が限られるだけに美食ではない。だが、腹ペコにだけはならない。大事なのはそこだ。


「きちんと温かいものを食っておけ。それだけでも違う」


 愛想や媚びはない。厳しい目つきとぶっきらぼうな言葉、それでもその行動を見れば人柄が分かる。

 ケリスエ将軍に胃袋を完全に掴まれているヤンス小隊だった。


「軍隊との戦は表向きの奴らに任せておくさ。私達はその軍を動かす坊ちゃん達を潰しに行こうじゃないか」

「はっ」「はいっ」「おおーっ」「よっしゃーっ」


 ヤンス小隊はどこまでも将軍について行く気だ。


―――戦なんてものは、簡単に終わらせてこそだ。それが分かってない間抜けは間抜けで勝手に踊ればいい。


 野営していた天幕を出発する際、そう片頬を上げて笑ってみせたケリスエ将軍だったが、たしかにこの若さで将軍になっただけはあると、ヤンス小隊は感じていた。






 明朝、打ち合わせが行われる。

 そんなわけでケリスエ将軍に知らせを出しておいたが、欠席の返事が文書で届いた。それは紛れもなく将軍の自筆なのだが、カロンは時間をやっとのことで見つけてケリスエ将軍の天幕に出向いていた。


「将軍は天幕の中においでか?」

「はっ。・・・いえ、現在、外に出ておいでです」

「外? この夜中に? いつ頃からだ?」

「・・・・・・。先程、出て行かれましたのでしばらくはお戻りにならないかと。散歩かと思われます」

「そうか」


 カロンの質問に第二部隊のヤンス小隊所属の兵士が答える。ふと、気づいてカロンは天幕の中に入った。

将軍の天幕に無断で入り込もうとする、その非礼な行動を止めようとした兵士達だ。


「お待ちください。そこは将軍の天幕でございます」

「これでもその将軍の配偶者なのだが?」


部隊長という役職だけなら排除も可能だっただろう。だが、カロンはケリスエ将軍の夫でもある。兵士達が止められる筈もなかった。

 天幕の中は冷え切っていた。すぐにカロンは天幕の外に出る。


「ここの警備の責任者は?」

「はっ。私でございます」


 一人の騎士が進み出てくる。ヤンス小隊長ではなかった。カロンは厳しい目つきで、周囲で自分を注視している騎士及び兵士達を見据えた。それはかなりの怒りを滲ませていた。


「いつから将軍はいなくなった? 散歩などではあるまい。もっと前からいなかったな」

「・・・・・・。将軍はいなくなってなどおりません。ここに天幕を張りました時より、常においででございます」


 騎士はありったけの勇気を振り絞った。ケイス第六部隊長は怖いが、ここで屈してはならない。


「誰に対してもそう言えるのか?」

「勿論でございます。我らローム国騎士団の主はケリスエ将軍のみでございます。ケリスエ将軍に誓いまして、嘘など申し上げてはおりません」

「・・・なるほど」


 そこでカロンは、表情を(やわ)らげて微笑んだ。その変化に騎士も虚を突かれる。

カロンにしてみれば、ケリスエ将軍の命令に忠実なのであれば良しとしただけのことだった。

あの将軍に命令された上のことであればいい。もしや拉致といった事態に巻き込まれたかとも思ったのだが、この返事ならばそれはないだろう。


「だが、将軍は何かあった時の指示も残していかれた筈だ。見せろ」


 責任者の騎士はしばし迷った様子だったが、カロンはそれこそケリスエ将軍の副官でもあり、夫でもあり、養い子でもある。しかもバレている。ここはおとなしく白状すべきだろうと判断したようだった。


「こちらが、不在時に何か打ち合わせがあった場合の欠席用文書になります。そしてこちらが、・・・もしも我らの力及ばず知られた場合にはケイス第六部隊長に渡せ、と」

「そうか。・・・責めるつもりはない。他の部隊長にはそのまま隠し通せ。俺が責任はとる。・・・まあ、将軍が命じたことなのだから、誰も責任は問わんだろう」


 そう言って、カロンは自分への手紙を見た。そこにはこう書かれていた。


―――留守にする。不在は適当に誤魔化しておいてくれ。


「・・・・・・・・・」


 カロンは溜め息をついた。どこに何をしに行ったかぐらいは書いておいてほしい。でもって、無茶は言わないでほしい。どうやって最高指揮官の不在を誤魔化せというのだろう。




 明朝、一番大きな天幕に、近衛騎士団、王都騎士団、ローム国騎士団の内、北方に出陣したそれぞれの指揮官及び隊長達が集っていた。

 だが、大事な人が一人足りない。不思議そうな顔で、セイランドがカロンに問うた。


「では、打ち合わせを始めたいが、・・・ケリスエ将軍はどうなさった?」

「すまないが、本日、将軍は欠席させていただく。後ほど、報告は私の方からさせていただくので、気にせず始めていただきたい」

「あの真面目な方が珍しいな。まあ、今回は見物にまわるとのことだったし、それならそれで構わないが」


 セイランドの言葉に、ロメスも首を傾げた。言われてみれば、たしかにケリスエ将軍は誰よりも生真面目な将軍である。

正直、ケリスエ将軍は苦手なロメスだが、色々と借りもある。カロンに対して世話になっている自覚もあるわけで、そこは珍しくも親切心から口を開いた。


「言われてみればそうだな。・・・体調でも崩されたか? いい薬ならあるぞ」

「いや、お気遣いなく。ちょっとしたこちらの事情だ」

「事情?」


 カロンは覚悟を決めた。・・・・・・決めるしか、なかった。

 自信と余裕に溢れた男の笑顔を作る。ゆっくりと口を開いた。


「申し訳ないが、こちらも新婚だ。昨夜、いきなり本日の打ち合わせが決まった為、それを将軍の天幕に私が直接伝えに行ったのだが、さすがに結婚したばかりで二人きりになったらどうなったかはご想像願いたい。将軍はお休み中だ。・・・まだお聞きになりたいか?」

「・・・いや、結構。てか、あの将軍を・・・。さすがだな、カロン殿」


 艶話に事欠かないロメスだったが、まさかカロンからそんな言葉を聞くとは思わず、しどろもどろでそう答えた。

 さすがにその場に集った人間の誰もが顔を赤らめる。平然としているのはカロンだけだ。


(こういう時は堂々としてろと言われたしな。・・・・・・見越してたんだな、この言い訳を俺に仕込んだ時点で)


 カロンにしてみれば、いつだったかの晩、ケリスエ将軍に、

「いいか? 朝、欠席しても誰もが許してしまう言い訳ってのはこれにつきるんだぞ? ただし、女ならな」

と、教えられたものをそのまま使っただけだ。あの時は

「はあ、そうですか。けどあなた、遅刻とか欠席とか無縁ですよね」

だったのだが、今にして思えば、最初からその気だったのだ、あの人は。


(この場合、最高指揮官を抱き潰したということになるんだよな、この俺が・・・)


 かなり切ない。きっとここに集まった人達には、「お前だけ女連れでサカってんじゃねえよ。この色ボケが」と、ムカつかれたに違いない。女連れどころか、肌に触れてもいない。寝顔さえ見ていない。食事だって別々だ。それどころか、顔も見ていなければ声も聞いていないというのに。

 

(理不尽すぎる。俺、何もしてないというか、何も出来てないのに・・・・・・)


 ちょっと泣きたい。だけど、それでもいいのだ。あの人が言い訳も後始末も任せてくれるのは自分だけなのだから。そう思えば耐えられる。耐えていける。どんなに恥ずかしくても。

 そう思ってカロンは顔を上げた。

落ち着いて真面目な声を出すように心がける。


「皆様にはご納得いただけたところで、セイランド殿、どうぞ始めていただきたい」

「あ、ああ。では、今回、なぜかあちらの進軍が止まっていることについて追加の情報が入った。それについて報告申し上げよう」


 そうして、セイランドが話し出す。全員、顔を引き締めて打ち合わせに入った。






 森の中、ケリスエ将軍は小隊を見渡して言った。


「いいか。隠密というのは、あくまで隠れていることが大切だ。正体が露見するくらいなら、仕事は失敗しても構わん。まずは絶対に我々の身元をばれないようにする。ここが大事だ。なぜなら我らがここにいる筈はないのだから」


 ケリスエ将軍の声は女性にしては低いが、同時に男よりも高く、心に留まりやすい声音をしている。


「従って、諸君らに求めるのは、絶対に捕まるな、ということだ。捕まるくらいなら逃げろ。逃げてしまえば後はどうにでもなる」


 そう言ってケリスエ将軍は地図を示した。


「さて、あちらの坊ちゃん達がいるのがこの村。そしてその村に続く、馬が通れる街道はこの二つだ。そして下見した通り、両側に潜むことのできる地点はこことここになる。そしてもう一つの村だと、こことここだな。最後の村はこことここ」


 その位置に小石を置いて示すと、ケリスエ将軍は全員を見渡した。


「農民達はどうでもいい。大事なのは馬に乗った騎士もしくは兵士だ。そこでこの両側から縄を引っ張り、馬を転ばせるようにする。おそらく落馬するし、その騎士は命を落とすだろう。だが、大事なのは連絡手段を途絶えさせることにある。坊ちゃん達から軍へ、軍から坊ちゃん達へ、王都から坊ちゃん達へ、坊ちゃん達から王都へ、それら全ての連絡をストップさせる。伝令の持っている文書は全て取り上げ、目を通せ」

「はいっ」

「死体は森に埋めろ。見つからぬよう深くだ。予め、穴は掘っておけ。馬は無事ならこちらがもらえばいい。食ってもいい。ただし、あくまでそれが単騎、もしくは二騎程度の場合だ。多い時は見逃せ。小競り合いになったらつまらぬことになる」

「はっ」

「さて、あとは私についてくる者を一人か二人、だな。私は南にある故郷から逃れてきた人間とする。同行するのは、夫といった関係にしておくか。故郷が戦乱に巻き込まれ、家を失い、北へと逃げてきた。日中は畑を手伝い、夜は酒場で踊っていた女ということにしよう。どうせ暇を持て余した坊ちゃん達だ。たまには毛色の変わった女もいいと思って手を出そうとするだろう。その際、同行している男は叩き出される筈だ。そこで泣きながらも権力者には逆らえないという状態で、こけつまろびつ逃げ出すような演技力がある奴がいい。さすがに女一人での旅はあまりにおかしすぎるからな」


 つまり、ケリスエ将軍をその貴族の坊ちゃんに差し出して逃げる男役が必要だと言うのである。さすがにヤンス小隊の誰もが難色を示す。

 自分達の将軍を差し出すなど、どうして出来ようか。それこそ命がけで守れと言われるのならともかく。


「ですが・・・お一人では危険です」

「そうです。夫婦を装うのであれば、そこで逃げ出さずにお守りするのが当然ではありませんか」

「何より将軍に何かあればどうなることか」

「そうです。それこそ・・・」


 そこで彼らはケイス第六部隊長のことを思い出した。

ローム国騎士団で暴れ狼との異名を持ち、更にこのケリスエ将軍の副官及び夫である男のことを。その異名をとる程に暴れた原因は誰であったか。


(ヤバイ)

(かなりまずいことになるんでは・・・)

(俺らが殺される)

(それこそ、この国に埋められかねん)

(何としてでも止めねば)


 だが、ケリスエ将軍はあっさりと言ってのけた。


「一応、夫婦を装うのはそれなりに諸君に気を遣っているんだが? それであれば遠くから様子をうかがうことも可能だろう。が、それに従えないというのであれば仕方ない。女一人でも、迷い込んだフリをして入り込むがどうする? 言っておくが、諸君らが私を止めるというのであれば力づくで排除するぞ?」


 全員、黙り込んだ。一人で行かれてしまうのも、力づくで排除されるのも全力で遠慮したい。

 どこか楽しそうな顔で皆を見渡して、ケリスエ将軍は言った。


「貴族の坊ちゃん達が旅の女と共に姿を消したり殺されたりしたら、軍人じゃない他の貴族の坊ちゃんは怖がって逃げ出すかもしれないな。それこそ自分とお供だけ連れて。・・・・・・勿論、そうなった時、そっちは引き受けてくれるんだろう? まさか私一人に全てやらせる気はないよな?」

「・・・勿論でございます」


 所詮、彼らは宮仕えだ。上司が言うのであれば仕方ない。

何よりも自分達にこの数日、剣の稽古をつけてくれた将軍はかなり腕が立つと誰もが理解していた。狩りの腕も自分達よりはるかに上のケリスエ将軍に勝とうとしたら数人がかりだ。数人がかりで上司を抑えつける、・・・出来るわけがない。やったら縛り首になりかねない。

 ヤンス小隊長は権力に屈した。


「演技力があり、それなりに腕の立つ者は誰だ?」


 そう部下に尋ねるヤンス小隊長の背中には哀愁が漂っていた。






 その村は本当にしけていた。グラシュ第二王子派に属しているスカーリタ公爵の長男アガフォン、バルキン侯爵の次男ヴァジム、ナニエフ伯爵の長男ゲラーシは、かなりうんざりしていた。

 暇つぶしに、太陽の出ている時間帯に散歩に出てみたが、新鮮さなどもうない。

 この村にいる美人もそれなりに見繕って楽しんだが、いいかげん飽きた。まだ他所(よそ)よりもこの村の方がマシだから居続けたが、自分達の寵愛を喜ばない田舎娘にはどこまでもうんざりだ。


「やってられないよな。なんで俺らが来なきゃいけないんだよ。戦争をしたいのはグラシュ王子なんだから、本人が来ればいいのにさ。そう思わないか、ヴァジム、ゲラーシ」

「それは言える。で、この戦いに勝ったらそれはグラシュ王子と俺達の父親の手柄なんだよな。自分達が来いってんだ。こんなド田舎。なあ、ゲラーシ」

「ああ・・・」


 だが、話しかけられたゲラーシは何かに気を取られているようだった。


「どうした、ゲラーシ?」

「ほら見なよ、アガフォン、ヴァジム。ちょっと変わった娘がいる」


 ヴァジムに問われ、ゲラーシが指さした先には、褐色の肌と黒い瞳をしたエキゾチックな女と、連れらしい男がいた。男の方は普通だ。日に焼けた肌に茶色の髪と青い目をしている。

二人は、どうやら座って休んでいるらしい。二人で話しているが、女は時に笑顔になったりしていて、まさに仲睦まじい様子だった。


「へえ。変わった肌の色だな。褐色だなんて初めて見た。あれが南の肌って奴か。それに瞼のキラキラした青緑色も素敵だな。あれは化粧なのか? かなり変わってる。唇は夕焼け色じゃないか」


 この国では、日に焼けていることはあっても白い肌の人間ばかりだ。焦げ茶色の肌などまず見ない。

アガフォンが感心すると、三人は示し合わせたかのようにそちらへと足を向けた。三人が近寄って行くと、二人はそれに気づいたらしい。三人の服装から高貴なる身分の人間だと判断したのだろう、立ち上がって頭を下げた。

 

「ああ、良い良い。・・・旅の者か?」

「はい。尊き御身分の方とお見受けいたします。殿様方」


 鷹揚に手を振ったアガフォンに、女は頭を下げたまま答えた。


「どこへ行くのだ?」

「もう少し北へ。主人が生まれたという故郷を訪ねていくつもりでございます」


 ヴァジムが行き先を尋ねる。すると、どうやら女の夫が、この国の人間らしいと分かる。


「だが、あなたは南の人間らしいな。どこの生まれだ?」

「生まれなど分かりませぬ。私は物心ついた時には親を亡くしておりました。様々な場所で働いております内に、主人と出会い、結婚したのでございます」

「それは苦労したんだね。・・・ところで路銀はあるの?」

「はい。主人の故郷といえど、主人にとってもおぼろげな記憶でございます。その故郷を探す為、路銀は行く道々で働いて稼いでおりますので、どうにかなっております」


 ゲラーシが親切そうに女に尋ねると、彼女は簡潔に、それでいて分かりやすく答えてきた。

 孤児として育ち、酒場などを渡り歩いて稼ぎながら、夫の故郷を探しているということなのだろう。

 近くで見ると、女はまさに異国情緒漂う雰囲気があった。この国では女性が日に焼けているのはあまり良く思われない。

だが、黒に近い褐色だというのに、それが美しくさえ見える。女の生国ならではの化粧なのだろう、近くで見ると瞼に塗られた青緑色が黒い瞳を更に印象的に引き立てているのが分かった。

その唇も何で染めているのか、朱色に近い夕焼けのような色をしていた。何かを話す度に動く、その唇に目が吸い寄せられる。

その黒髪も何で手入れしているのか、少し揺れる度に銀粉のような何かが煌めいた。

 どちらかといえば淡い色合いこそ女性の魅力として尊ばれるこの国にあって、全体的に黒っぽい印象のその姿は魅力的ではないとされる筈だっただろう。

 なのに美しい。

 目が離せない。

 この女が欲しいと、三人は思った。同時に他の二人が邪魔だとも。

この女の夫だという男など、最初から排除するつもりだった。

 聞けば、その女は踊り子もするのだという。


「なら、僕達をその南の踊りで楽しませてくれないか?」

「そうだな。報酬ははずむよ」

「心配しなくても踊りだけさ。無体なことはしないよ」


 その女に嫌われたくなくて、まさにおっとりとした貴族ならではの話し方をしながらも、三人は互いをどう出し抜いてこの女を手に入れるべきか、考えていた。






 夜更けになる前に、将軍は合流地へと戻ってきた。ヤンス小隊長はほっとした思いでそれを迎えた。


「ご無事で」

「ああ。彼はちゃんと戻ってきたか?」

「はい」


 ケリスエ将軍と夫婦を演じていた男は、貴族の坊ちゃん達の従者に追い払われ、泣く泣くといった様子でこの待ち合わせ場所と反対の方向に去ったように見せかけておき、ここに戻ってきていた。


「とりあえず貴族の坊ちゃん三人と隣室で控えていた従者達を始末してきた。寝室で殺したから朝までは発見されまい。さて、今のうちにあの貴族の坊ちゃん達の家来達をなるべく多く殺しておかねばならん。用意はできてるな」

「はっ」


 そう話しながらケリスエ将軍は女性の衣服から男物へと手早く着替えていく。軽さと小ささを重視した鎧に身を包んでも化粧は落としていないので、美しさは失われていなかった。しかし闇に覆われた状況では、それも分からなかっただろう。

そこに集まった男達に、将軍は改めて伝える。


「なるべく静かにできるだけ多く、だ。貴族の坊ちゃん達が死んだとなると、村の人間も恐れて何も言えなくなる。自分達が疑われるからな。そしてそれは家来達も同じこと。自分達がついていながら主人に死なれたとなっては、報告に行けば今度は自分達が責任を問われて殺されると分かっている」

「はい」

「だが、そんなことも分からぬ阿呆が助けを求めにいかないとも限らない。なるべく多く殺し、朝になるまでにここを完全に撤収する」

「はっ」

「そして昼過ぎには次の村で同様に、だ。いいか、あくまで姿を見られるな。見られたら殺せ」

「はい」


 貴族の息子達は、村長の家や村の中でも裕福な家を従者と共に使っていた。勿論、住んでいた人間は追い出した上で、である。

 さすがのケリスエ将軍も、自分一人で誰も逃がさず悲鳴をあげさせずに殺していくのは面倒だと思い、三人と従者だけ殺して戻ってきたのだった。本当は出来ないわけではなかったが、なるべく女物の服は汚したくない。数がないからだ。


「早く片付けよう。三日で全て終わらせねばならないからな」

「はい」

 

 将軍一人に全てをさせるわけにはいかない。ヤンス小隊は奮い立った。

 彼らは将軍に指示された家にいた家来達を皆殺しにした上で、朝になるまでに次の地点へと移動した。






 ケリスエ将軍が戻ってきたのは、カロンがその不在に気づいてから六日目のことだった。戻り次第、すぐに連絡を自分に入れるようにと命じていた為、連絡を受けてカロンは将軍の天幕へと向かう。

 天幕の前には異国情緒漂う褐色の肌をした黒髪の女が、複数の男達に囲まれて立っていた。


「将軍。何ですか、その格好は」

「悪いが湯を沸かしてくれないか。染め粉を落としたい。髪も肌もだから、いささか量が多くなるが」


 カロンは溜め息をつくと、その場にいた兵士達に、なるべく多くの湯を盥に入れてここに運んでくるよう命じる。兵士達も将軍の格好を見ればどれ程必要かを察するわけで、声を掛け合って用意しに行った。

そしてカロンは傍に控えていたヤンス小隊長に向き直った。ヤンス小隊長達は、この場にそぐわない農民のような格好をしていた。


「ヤンス小隊長」

「はい」

「ご苦労だった。将軍を無事に守り通してくれたことに礼を言う」

「いえ」

「強行軍だっただろう。まずは休め」

「はい。・・・ですが、我らは現在、ケリスエ将軍の指揮下にございます」


 つまりカロンよりもケリスエ将軍の命令を優先する、の意味である。そこでケリスエ将軍が口を挟んだ。


「私もこれから休む。ヤンス小隊長も休んでくれ。今回付き従ってくれた皆にも、明日は一日ゆっくりと休めるよう取り計らってやってほしい」

「かしこまりました。では将軍。お目覚めになりましたらお呼びくださいませ」

「ああ。・・・ヤンス小隊長」

「はい」

「第二部隊長の人選に間違いはなかった」

「はいっ」

「立場上、小隊長も第二部隊長に報告せざるを得まい。するのはいいが直接口頭にて行い、更にハイゲル第二部隊長には口止めしておいてくれ。ケイス第六部隊長に報告の必要はない。私からしておく」

「承知いたしました」


 下がっていくヤンス小隊長達は、ケリスエ将軍に心酔している様子だった。カロンとしては何とも言えない気持ちになる。

 

(大体、どうして髪を黒く染めているのか。しかもどうして肌も褐色に染めているのか。でもってその化粧は何なのか。・・・とっても綺麗なんですけどっ!?)


 自分はそんな化粧した姿なんて見たことなかったのに、こんなこともできるだなんて聞いてない。

 カロンにしてみれば何をやらかしてきたのかを考えればどこまでもムカつく事態なのに、鼻の下が伸びそうな状況でもある。一般人を装ったのだろう。将軍を始めとして全員が普通の服装をしていたが、女物の衣装を身につけたケリスエ将軍は美しかった。


「そこまで多くはいらないと思うが」

「いいから。完全に落としてもらわないと困ります」


 カロンは湯浴み用の天幕を別に張らせ、そこに盥を並ばせていった。

 こんな綺麗な化粧をしている時点で色仕掛けという想像はつく。ムカムカするだけに、きっちり全てを洗い流しておきたかった。


「別に一人で出来る。大体、お前も私のことよりすべきことがあるだろう」

「いいから黙っててください。髪にも何かつけているでしょう。きちんと落としておかないと怪しまれますよ。忘れているかもしれませんが、あなたはずっとこの天幕にいたんですから」


 普段ならそんな贅沢はしないケリスエ将軍であるが、カロンは入浴用の一番大きな盥も運ばせていた。まずはそこに将軍を放り込む。たっぷりのお湯でふやかした方が染め粉もきちんと落ちるからだ。

 入浴させている状態で、カロンは将軍の髪を手に取り、小さな桶の中で丁寧に洗っていった。


「で、訊かないのか?」

「後で聞かせてください。まずはこれを落として、それから休んでいただきます。話はそれからです」

「報告を第一にと、私は教えなかったか?」

「あなたがすることに報告なんていりません。俺はお願いするだけです」

「そうか」

「はい」


 浸かっている内に湯がどんどんと黒く染まっていくが、その中で出来るだけ、布で肌を擦って将軍も色を落とした。全体的にきちんと洗えただろうと思った時点で次の綺麗な湯の盥へと、カロンがその体を抱いて移す。


「お前も濡れてしまったな」

「別に構いません」

「お前も一緒に湯浴みするか?」

「どんな拷問ですか」


 小さく笑い、ケリスエ将軍は透明な湯の中で、まだ落としきれていなかった部分を見つけては落としていく。カロンも耳の後ろなど、ケリスエ将軍が見えていない部分を手伝っていった。

 再度、髪もカロンが洗い直し、洗い残しの染料を落としていく。頭皮もマッサージするかのような手つきで、揉みほぐしていった。


(こんなことを教えた覚えはないんだが、結構上手いな。カロンも変な所が細かいというか、以前から思っていたが、かなり多趣味な奴なのか? まあ、いいんだが)


カロンのその手つきはとても丁寧だった。尚、カロンは多趣味なのではなく、ケリスエ将軍のことでげんなりすることがある度、色々な人に訊いては知恵をつけていっただけである。

将軍の髪を手入れしようと決めた際にも、王宮の女官に尋ねて色々と教えてもらった。他の男性と違い、女性に頭を下げて教えを乞う姿勢のカロンは、ひそかに王宮女官からの評価が高い。


「だが、お前の気配は落ち着くな」

「そうですか」

「ああ」


 カロンとしては、(俺は全く落ち着けないんですけどっ?)な気分だったが、それでも洗うのに専念していた。専念しないと自分がとても困る事態になる。なんといっても、ここは野外で天幕を張っただけだ。周囲には警備している兵士達がいる。愚かなことは出来ない。


(外傷もないようだし、打ち身などもなさそうだ。痩せてもいないし、この様子からして満足のいく結果だったのだろう)


 三つ目の盥に移ると、さすがにそこではもう何も落とすものはなかった。肌を染めていたせいで分からなくなっていた傷痕も分かるようになっている。しかし、それこそが将軍の生き抜いてきた証だ。


「ちょっとまだ浸かっていてください」


 置いてあった板をその盥の近くへと移動させ、カロンはそこに着替えと大き目の布を用意していった。盥からケリスエ将軍の体を板の上に移動させると、その大きな布を体に巻きつかせてから、髪にブラシをかけながら拭いていく。

 そんなカロンを、ケリスエ将軍は(どこまでもマメな奴だな)と思いながら好きにさせていた。

けれどもあれだけの身勝手な欲情にさらされた後は、カロンのこの自分を思いやってくる気配が自分のささくれた心を宥めてくるのも確かで、今の時間はとても悪くなかった。

別に体そのものを好きにされたわけでなくても、自分の体を品定めした上でとんでもないことばかりを考えていた彼らの感情は、それだけでケリスエ将軍の心に負担を与えていた。


「別にそこまでしなくても放っておけば乾く」

「黙っててください。少なくとも一切の痕跡を落とさなくては」


 そんなカロンの耳元にケリスエ将軍が唇を近づけてきた。カロンにしか聞き取れない小さな声だった。


「この出兵に同行してきた貴族の子弟を始末してきた。軍自体は何ら被害を受けていないとはいえ、犯人捜しと責任逃れで、更に一悶着するだろう。既にあちらはガタガタだ。攻めるなら今だぞ」

「なんて危険なことを」

「私は何もしてないさ。やったのは、黒髪に褐色の肌をした旅の踊り子だろ?」


 カロンは大きく溜め息をついた。どうせもう終わったことだ。同じくケリスエ将軍の耳元に唇を寄せて囁いた。ついでに軽く抱きしめておく。それぐらいはいいだろう。


「できれば今度から、きちんとどこに何をしに行くかぐらい教えてほしいんですけど」

「別に私に報告はいらないんだろ?」

「だからお願いです」


 どうせ惚れた方が弱い立場だ。カロンはどこまでも諦めるしかない。そんな所も好きなのだから。

 その気持ちが伝わったのか、珍しくも優しく微笑んだケリスエ将軍が唇をカロンのそれに寄せてくる。


「言うとお前がついてきそうだったからな」

「当たり前じゃないですか。今度は連れて行ってください」


静かな長い口づけが終わった後、カロンは黙ってケリスエ将軍が衣服を身につけるのを手伝った。手早くしないと風邪をひく。

そうして、その体を抱きかかえる。


「別に自分で歩ける」

「いいから黙っていてください。もう寝るだけなんだからいいでしょう。それにあなたぐらい運べます」


 見張りをしていた兵士達に湯を片付けるよう指示した後、カロンは将軍を天幕に運んで寝かせた。

 名残惜しいが、やることは山積みだ。そろそろ行かねばなるまい。


「ライナ、無事で良かった」


 出て行く前に強く抱きしめて小さく囁いてきたカロンにケリスエ将軍は小さく笑う。


(そういえば、旅していた奴が、待っててくれてる人がいるから、帰る日を楽しみに頑張れるとか言ってたか。そういう意味では、カロンも港のようなものかもしれん)


そして、それで言うならば、ケリスエ将軍は船なのだろう。天幕を出て行ったカロンの後ろ姿に、そんなことを思う。

何かが違うと言うべき人間がいない為、ケリスエ将軍は満ち足りた気分で目を閉じる。

彼らの視姦してくるかのような感情にさらされてきた後だけに、自分を包み込むカロンの感情がとても温かく感じられた。






 二対一だったのが、三対ゼロとなった。セイランドが不思議そうにカロンへ尋ねる。


「あれ程まで慎重派だったカロン殿が意見を(ひるがえ)すとはな。どういった風の吹き回しだ?」

「考慮の結果、だ。この際、徹底的に叩くべきだろう。二度とふざけたことを考えぬように」


 それは嘘だ。単に、ケリスエ将軍がどこにいるのか分からない状態で動きたくなかっただけである。カロンが行動の基本に置くのは常に一人で、その理由づけとして、「慎重にすべきだ」と、言い張っていただけにすぎない。


「まあ、いいさ。それなら問題ないだろう。全員の意見は一致した。ならばやろうぜ」


 ロメスは、カロンの変更理由などどうでもいいとばかりに、ゴーサインを要求する。

 自分達から戦を仕掛けておきながら、なぜか国境付近で足踏みしている北の国に対し、このままじりじりと向かい合ったままでいくのか、それとも攻め込むのかで、意見は割れていた。今までは。

 だが、カロンがついに攻め込むべきだという意見に回った以上、こうなれば遠慮する必要はない。セイランドは地図を示しながら最新の情報を示しながら説明を始めた。

 周囲の隊長達も顔は真剣である。指揮官三人の意見が一致した以上、ついに総当たり戦となるのだから。

 

「現在、あちらが野営しているのはここからここまでにかけてだ。尚、将軍職は二人来ているという話だったが、一人という話だったり、やはり二人だったり、その辺りが分からん」

「一人でも二人でもお飾りの将軍じゃしょうがないだろ。だが、こんな所で足踏みしている様子といい、この冬にかけての時期を選ぶことといい、無能なんだろうなとは思うんだがね」


 セイランドの説明に対し、ロメスは相手を侮蔑するかのように片付けた。

 その意見に、フッと周囲からの笑いも漏れる。誰しも思っていたことだからだ。

 そこへ天幕に入ってきた人間がいた。ケリスエ将軍である。


「いや、気にしないでくれ。あくまで私は見物するだけだ。気を遣うには及ばない」


セイランド以下、立ち上がろうとするのを手で制し、ケリスエ将軍は言った。そう言われても「はい、そうですか」と言えるものではないが、カロンとローム国騎士団の部隊長達がさっさと座り直すのを見て、セイランド達もそれに倣う。

そういう将軍なのだろう。しかし将軍を立たせたままでというのは落ち着かない。せめて座ってほしいものだ。

そう思っていたら、空いている椅子にケリスエ将軍は勝手に腰掛けた。


「これは独り言なのだが・・・」


 ケリスエ将軍が小さく呟いた。


「今回、軍を率いているのは叩き上げの将軍だそうだ。最初はその将軍の武功を横取りするつもりで貴族の坊ちゃんを急遽(きゅうきょ)将軍職に就けた、それこそ名前だけのお飾り将軍がいたそうなのだが、その坊ちゃん将軍は野営もできず、近くの村で女漁りをしていたらしくてな。しかも女遊びが激しすぎて腹上死したらしい。現在、それで混乱中だとか。・・・元々、将軍にしてみればこの戦自体が無謀と考えており、だからこそなるべく戦わないよう力の温存と時間稼ぎをしていたらしいな。ヘタに突っ込んだら大火傷をしたのはこちらだっただろう」


 そこでケリスエ将軍の視線がセイランドを貫いた。


「そういう場合、あちらの将軍はどう考えるものなのだろうな、セイランド殿?」

「・・・撤退できる理由がつく程度の負け戦、しかしこちらが調子に乗り過ぎるようならば叩こうという腹ですか」


 セイランドがごくりと唾を飲む。


「ですが、その将軍よりもこちらの実力が上回れば話は別でしょう。どれ程の叩き上げであろうと、結局はその武功を横取りしようとする貴族に失望し、全力を出せないものと思います。勝っても負けてもいいことがない以上、かなりやる気も削がれているのではないでしょうか」


 カロンがそこで反対意見を述べた。そこでケリスエ将軍がカロンに視線を移す。


「その通りだ。ましてやこちらには戦上手が揃ってる。かなり結果は期待できそうだな? そう思わないか、セイランド殿、ロメス殿?」

「それよりもケリスエ将軍はどこでその情報を? こちらですら掴んでおりませんでした」


 セイランドの質問に、ケリスエ将軍が小首を傾げて答えた。


「結構有名な話らしいぞ? 私も暇だったからな。食料調達にでも貢献するかと思って国境付近の山に狩りに行ったんだ。そうしたらやはり狩りに来ていた奴と出会って、そいつが教えてくれた」

「・・・そんな話、信用できるのでしょうか」


 ロメスが疲れたような声になる。何だそりゃ、な話なのだから当然だろう。大体、どうして山に狩りに行くような村人がそんな話を知っているというのか。情報としては当てにならなさすぎる。


「だから独り言だと言っただろう。私とて信用できる話とは思ってないさ。だが、考慮する価値はあると思ったから呟いてみただけだ」


 カロンは視線を逸らした。ハイゲル第二部隊長と目が合う。二人は小さく頷き合った。


(将軍の話は本当だ。おそらくその貴族の坊ちゃん自身から聞き出したのだろう。腹上死じゃなく、寝台で首の骨を折られたってだけだろうが)


 そういう暗殺方法をカロンも教わっている。貴族の寝台にあげられる女は武器を持ちこめないことが多い。だからそんな女の刺客が使う手段を、ケリスエ将軍は事細かく教えてきたのだ。

どうやれば男は油断するのか、そして声を出さずに絶命させるその方法を。同時に寸鉄を持ち込む方法まで。

 そんなカロンにロメスが何かを感じたのか、質問してきた。


「カロン殿はどう思う?」

「俺はケリスエ将軍が白だと言えば、黒でも白だと言いきる人間だ。将軍が言うならそれが全てだ」

「は、ん。なるほど」


 ロメスはカロンから何かを察したらしい。ニヤリと笑い、その紺色の瞳をきらりと煌めかせた。

そんなロメスはケリスエ将軍が少し苦手なのである。聞き出すならカロンからと決めているようだった。

ロメスはさっと方向転換した。


「その将軍の意見をかなり参考にさせていただくという方向に俺も一票入れさせていただこう。だが、やることは変わらなさそうだ。戦って勝つ、それだけだろ?」


 それはその通りだ。だが、そういった内情を知っているのと知らないのとではかなり違いが出てくる。

セイランドもすぐに作戦を練り直している様子だった。なぜなら、そういった理由であるなら、その将軍はできるだけ味方の損害を少なくする方向へと考えている筈だからだ。逃走経路なども考慮しているだろう。


「私がいると活発な議論も出来まい。ここで失礼させていただこう。ああ、報告はケイス第六部隊長から聞くから構わない」


 そう言ってケリスエ将軍が立ち上がる。さすがにセイランドが声を掛けた。


「貴重な情報をありがとうございます。・・・ですが、あの、その、将軍は、今まで身動きがとれない状態だったんですよ、ね?」

「今まで打ち合わせに不参加だったのは、カロン殿が朝まで離さなかったからだと聞いておりましたが?」


 それこそ自分達とは全く違う情報網を持っていたとしか思えない。もしくはケリスエ将軍自らが何らかの潜入をしてきたか、だ。どこからその情報を得てきたのか。

何よりあの慎重派だったカロンが今日になって意見を翻したことといい、してやられたという気持ちがセイランドにはあった。

 同じくちょっと悔しい思いのロメスも言葉を重ねてくる。

 言い訳できるものならしてみろと言いたい気持ちがあった。


(恨めしそうな二人の視線が痛い・・・。俺だって被害者なのに)


 そんなことを思うカロンだった。一番割の合わない思いをさせられたのは自分だと思うのだが。

何にせよ、その場にいた誰もが、ケリスエ将軍が大人しく天幕にいたなどとはもう思っていなかった。

騙されたのだ、自分達は。きっとカロンも知っていて、抱き潰したなどとほざいていたのだろう。

 だが、ケリスエ将軍はにっこりと笑って言った。


「ああ。困ったことにな。勿論、セイランド殿もロメス殿も、最近結婚なさったばかりだからよくご存じだろうが、基本的に結婚したばかりだと、どうしても妻というのは昼過ぎまで身動きが取れなくなるもののようだ。・・・それともお二人の奥方達は、どちらも朝から元気に動き回られていたのだろうか?」

「・・・・・・」

「・・・・・・」


 ここで、「はい」とも「いいえ」とも言えるものではなかった。男の沽券(こけん)(かか)わる問題だからだ。いや、股間だろうか。

 セイランドとロメスがカロンを睨みつければ、カロンも何かを耐えるような顔になっていた。カロンにとっては、どんな羞恥プレイだ、である。


(そもそもっ、俺っ、何にもっ、してないって言うより出来てないですよねっ!?)


 三騎士団の主だった人達の前で、何てことを堂々と言うのか。部下であり、夫である立場の自分を何だと思っているのだろう。・・・・・・だけど、そんな身勝手な所も好きだ。

 まるで、私には何も分かりませんと言うような、不思議そうな顔を作ってケリスエ将軍は皆を見渡す。


「ハイゲル第二部隊長」

「はい」

「普通はどういうものなのだろうな?」

「セイランド殿やロメス殿のような、今時のお若い方々のことは知りませぬが・・・」


 一拍置いて、ハイゲルは真面目くさった顔で答えた。ここで外すようなハイゲルではない。


「結婚したばかりであれば、普通は昼過ぎまで妻というのは休んでいるものだと思っておりました」

「そうですな。私もそう思っておりました」

「普通、そうですな。いや、私の若い時のことではございますが」


ソメノ第四部隊長、そしてサフィヨールもそれに同意する。顔こそ真面目だったが、三人の内心はゲラゲラ、もしくはケーッケッケと、大笑い状態だっただろう。

内心の大きな羞恥に耐えているのはカロンだけだ。

既にローム国騎士団の部隊長達には、ケリスエ将軍が何をしてきたかは伝えられていた。


「それは安心した。少なくともローム国騎士団の部隊長クラスでは今も昔もそういうもののようだ。いや、別に他の騎士団では違うだろうと言いたいわけではないがな」


そう言って、ケリスエ将軍は天幕を出て行った。


「・・・・・・」

「・・・・・・」


 近衛騎士団と王都騎士団のそれぞれの隊長達が、噴き出さぬよう苦労しているのが、セイランドとロメスの視界に入った。誰もが肩を震わせている。

 勿論、彼らとて自分達の指揮官を含めてローム国騎士団にからかわれてしまったのはアレなのだが、こういう風に切り返されてしまっては、真面目にやり合う方が馬鹿らしい。


「えーっと、・・・お二人とも、な」


 気の毒そうな表情のカロンが二人に声を掛けた。あの将軍は、時々、皆を巻き込んで変なイタズラをすることがあるのだ。しかもそれを知っている部隊長達は遠慮なくそれに参加する。


(あの人、たまーにガス抜きと称して、そういうことをやるからな・・・)


 まさか即興でこんなことをしてくれるとは。

 セイランドとロメスが噛みついてきたものだから、ちょっとしたでこピンをかませたつもりだったのだろうが、・・・ケリスエ将軍にとってはその程度のつもりでも、男にとってはいささかダメージが強いということを、もっと理解してもらいたいものである。


「俺も不調法なもので、お二人に何を言えるものではないんだが・・・。口喧嘩だけは女性に仕掛けるものではないと思うぞ?」


 ましてや相手はあのケリスエ将軍となれば尚更である。ここは彼女を窘めるより、友人達に忠告した方が良かろうと、カロンは判断した。・・・人間、出過ぎた杭を打つよりも、杭に対する放置を勧めた方が早いことはある。

 だが、誰しもそう悟りの境地にいるわけではない。

自分の感情を抑えようとしながらも、ロメスは唸るような声でカロンに問いかけた。


「・・・なあ、カロン殿」

「何だ、ロメス殿?」

「言ってはならんことだが、敢えて言わせてもらおうっ。アレのどこが良かったんだっ!?」

「・・・え?」


 アレとは何か。・・・ケリスエ将軍のことだろう。

 カロンは考え込んだ。


忌憚(きたん)のないところを言わせてもらうなら・・・」

「おう、言ってみろや」


 既にロメスは半眼になっている。そんなロメスの様子に気づくことなく、カロンはケリスエ将軍の姿を思い浮かべた。ケリスエ将軍の良い所、良い所・・・・・・。


「しまったな、どうしたものか」

「何がだ」

「そもそも悪い所が見つからない」

「・・・・・・・・・」


 ロメスだけでなく、誰もが肩を落として脱力した。


(そうだった。こいつのケリスエ将軍に対する執着は有名だったじゃねえか。・・・ああ、ちくしょうが)


 ロメスも自分の愚かさを悟らずにはいられない。


「プッ」「クッ」「ブフッ」「ククッ」「フッ」


 ついにたまらないと、噴き出してしまったのは誰だったのか。


「いやいや、そうだよな、カロン。あの将軍は最高だよな」

「はい」


 バシバシとカロンの肩を叩きながら、サフィヨールがついに笑い出した。

 自分達は慣れているが、ここまで堂々とカロンに惚気られたら、そりゃ近衛騎士団も王都騎士団も脱力するしかないだろう。


「そうですな。うちの将軍は最高ですぞ。ええ、いつも我々を楽しませてくれる。なあ、第四部隊長」

「全くですな、第二部隊長。全てにおいて最高です。・・・決して退屈させません」


 ローム国騎士団の人間にとってはそうだろう。今のはかなりの見物だったに違いない。

 だが、他の二騎士団にしても、こうなっては真面目な顔をしていられるものでもなかった。女であることを逆手にとって、どこまでぬけぬけと言ってくれたのか、あの将軍は。

誰もが腹を抱えだした爆笑の渦の中、セイランドとロメスは拳を握りしめて一つだけ強く決意した。


―――あの将軍にだけは二度と喧嘩を売るまい、と。

【弟子と師匠3】


 我らが神よ。どの地にあって、どの名を名乗り、どのものに帰属しようとも、我らは常にあなたと共にある・・・。






 トトトトと、走り寄ってくる幼女を、サーライナは抱き上げた。


「サーラ、見つけたぁ」

「おはよう、ルース。怖い夢は見なかったか?」

「うん。大丈夫」


 目覚めて川へ顔を洗いに行ったのだが、ついでに野草を探して摘んでいたのだ。家にも川にもいないサーライナを、ルースレイルは探していたのだろう。


「サーラ、捜したのぉ」

「ああ、悪かった。よくここが分かったな、ルース」

「へへー」


 それでも自分が捕まえてしまえば、サーライナはこうして抱き上げてくれる。大好きなサーライナの肩へとよじ登るルースレイルだ。抱っこされるのも好きだが、肩車してもらうのも大好きだ。そうと分かっているサーライナも、ルースレイルが落ちないようにと支えてくれる。


「本当に仲がいいわね、あなた達」

「リスエル。おはよう。今から朝食なんだ。食べてないなら一緒にどうだ?」

「やり直し」

「おはよう、リスエル。今から朝食にしようと思うの。あなたも一緒にどうかしら?」


 そう言えば女性らしい仕草の特訓中だった。寝起きで忘れていたサーライナである。


「ありがとう、いただくわ。・・・ね、ルース」

「なぁに?」

「サーラはね、今、女の子らしくなる特訓中なの。おうちでも、可愛らしい言葉づかいや、女の子らしい仕草かどうか、ルースが見ていてくれる?」

「うんっ、いいよっ」


 ケリスロードとは母と一緒に三人で暮らしていたこともあり、ルースレイルも仲良しだ。小さな自分に託された任務に、ルースレイルは張り切って返事をした。

 まさか家でも見張られるとはと、がっくりとしたサーライナだった。




「思うんだけど、サーラはやる気がないのが問題なのよね。意欲って大事よ?」

「それを言われてしまうと困るわ。これでもかなり色々なことに興味を持つようになったつもりなんだけど」

「それはそうなんだけど、・・・それでも何か強くアレしたいとか、アレが欲しいとかってないでしょう?」

「うーん、もう少し眠りたい、とか?」

「それはただの現実逃避よ」


 リスエルードは論外ねと却下した。


「大体、最近は人の感情も読めないようになってるんでしょう?」

「ええ。初めのうちは人の感情を読んでしまう度に、何度も意識の修正を行っていたから。・・・だから、どうしても疲れて眠りが深くなっていたけど、もう今じゃ誰と話していても、何を考えているかなんて分からないわ」

「あなたも難儀な子よね。そっちを活かして神殿勤めにすれば、神官長も夢じゃなかったでしょうに」


 リスエルードがサーライナの手をそっと握ってくる。そこにあるのは、幾つもの肉刺(まめ)を潰した戦う手だ。


「こんな傷だらけになる道を選ばなくても、神官になれば大事にされたのに。・・・うちは本人の意思を尊重するから許されたとはいえ、それだけの資質がありながら勿体ないわね」

「そうかしら。だけど私はこれもまた神に近づく道だと思っているわ。祈りはどこででも捧げられるもの。神殿の中ではなく、普通の人々の中から神を讃える道だって、あっていい筈よ」

「・・・その為に、折角の才能を封印して?」

「仕方がないわ。人の感情はめまぐるしい上に、次々に変化し続けるんだもの。神官だって人間よ。様々な思いを抱えている。子供の頃は分からなかったからそういうものだと思っていたけど、今の私ではきっと、あれを持ったままでは、神殿の中でも人と会えなくなっていたでしょうね。なくしてよかったの」


 だから後悔はないのよと、笑うサーライナを、リスエルードはそっと抱きしめた。


「お願いよ、サーラ。約束して」

「なあに、リスエル?」

「いつか、・・・いつかあなたがその力を再び手にする日がきても、それは決して誰かではなく自分が望んだ時にしか使わないことを。一度であろうとも、誰かに要求されて使うようなことはしないで。お願いよ」


 サーライナは目を丸くした。二度と使わないと決めて封印したものを、解放するだなんてあり得るのだろうか。けれども、大した約束ではない。


「ええ、いいわ。リスエル、約束する。私がこの力を使う時は、自分の意思以外ではないことを。誰かに強要されようとも決して使わないと、私の姉弟子であり、第二の師匠であるあなたに誓うわ」


 リスエルードは暗殺関係の技を仕込まれている人間だ。だから人の醜い感情をよく理解していた。

 誰だって無敵ではいられない。いつか何かの折にそれを知られてしまったら、そしてそれが部族外の人間であれば、サーライナの利用手段なんて数多くあり、言うことを聞かせる手段も数多くあるのだ。

 人の心を読み取れる才能は、神の恩寵でもあり、呪詛でもある。善き方向に使えば様々なものを救い、悪しき方向に使えば様々なものを陥れる。そして、結果によってサーライナの心は破壊されるだろう。

 神殿の奥深くで守られているのなら、その心も守られただろうに・・・。


「サーラぁ、リスエルー」


 そこへトコトコと、子供がやってくる。


「ルース、お昼寝は終わったの?」

「んー。目が覚めたぁ」


 いつもなら抱き上げてもらうのだが、サーライナはリスエルと共に座り込んでいる。その膝にぽすっとルースレイルは抱きついた。ルースレイルが座りやすいようにと脚の形を組み替えて、サーライナが抱っこしてくれる。


「サーラ、一緒におねんねしてくれるって言ったのにぃ」

「ルースより先に目が覚めちゃったのよ、ごめんなさいね。寂しかったの?」

「うん」


 近くにいるのは話し声で分かったし、サーライナが自分の家に用意してくれたルースレイルの部屋は、とても可愛い。部屋にいるだけで、サーライナが作ってくれた物が溢れていて嬉しくなる。だから別に寂しくなんてなかったけれど、サーライナに心配してもらいたいから、ルースレイルは頷いた。

 だって、自分をほったらかしにするだなんて、サーライナったらひどいんだもの。いつだって自分がサーライナの一番じゃなきゃ嫌なのに。反省してもらわなくっちゃ。

 そんなルースレイルの気持ちはリスエルードにバレバレだったらしく、いたずらっぽい表情でルースレイルを見てくる。そこはサーライナの胸に顔を埋めて、見なかったフリだ。

 だってサーライナはルースレイルの我が儘は全部許してくれるのだから。


「サーラ。ずっと傍にいてくれなきゃヤだ」

「ええ、ルース。ちゃんと傍にいるわ」


 甘えた声でおねだりするルースレイルに、やっぱりサーライナは笑顔で約束してくれた。






 定期的に休みを取るのではなく、ケリスエ将軍はまとまった休みをとることが多い。なぜならば、そのまま地方へと出掛けるからだ。

 今日も王都を離れ、旅の空の下である。野宿する時もあるが、宿に泊まることが多い。食事は宿についている食堂や、適当に目についた食堂を利用する。


「いいか、カロン。人は生まれ育った場所を離れないことが多い。だから旅する者は全て訳ありだ。私達のように気まぐれに旅をしているなどという人間は、まず目立つし、ムカつかれる」


 何度かカロンが嫌な目に遭ってから、ケリスエ将軍はそう教え込んだ。


「だから、誰もが納得するような旅の理由と、設定を考えておくといい。そしてそれは、相手が気の毒にと思うようなものにしておけば、軋轢(あつれき)も生まない。但し、あまりにもなめられすぎると、人買いに売られかねないから、その辺りはよく考えろ」

「はい」


 ならば最初からそう教えてくれと、カロンは思った。この人は自分を嫌いなのだろうか。どうして今頃になってから言ってくるのだろう。初めに言っておいてくれれば良かったのに。

 しかし、ケリスエ将軍がそう言う以上、二人の関係を設定しておかねばなるまい。


「あの、・・・将軍はどういう設定がいいとか、そういうのはないんですか?」

「私はどうでもいい。目立とうが、ムカつかれようが、どうでもいいからな」

「・・・・・・」


 それはそうだろう。目立とうが、ムカつかれようが、返り討ちに出来る人だ。しかも女に負けたというので、そういう男達はケリスエ将軍の滞在している間は決して近づかなくなる。

仮に宿屋自体が人攫いと結託していようが、流血沙汰になれば将軍が圧倒的に強い。自警団が乗り出す騒ぎになっても、全くもって問題ない肩書きを持っている。


(そりゃそうなんだろうけど。・・・少しは、こういう設定の方がいいとか無いのかよ)


 ケリスエ将軍が言った、その本当の意味は、その頃のカロンには分からなかった。

 後年、かつて同じ部族にいた人間に出会えないだろうかという思惑から、様々な地域に足を延ばし、そして宿に泊まることで何らかの噂を耳にできないかと思っていたであろうことを知る。目立って噂になっても良かったのだ。そうすれば、もしも同じ部族の人間が近くにいれば気づいてくれる。

だが、そんな将軍の言葉にしない思いを読み取ることなど、カロンに出来るわけがなかった。


(設定を考えろって、・・・俺、そんな嘘をつくのなんて、したことないのに。いや、だけどやらなきゃ。えーっと、えーっと、どういう設定が・・・。普通、旅しているのが納得できて、人に同情される話って何だ?)


そんなカロンが馬上でうんうん唸りながら考え込む様子は、ケリスエ将軍にとっても微笑ましいものだった。勿論、表面はあくまで無表情だったが。


(やはり王都にいる時よりも生き生きしているな。それに太腿の筋肉もかなり鍛えられてきたようだ。いずれは一人で逃げ切る時に作る罠も教えなくてはなるまいが、今はこうやって旅に慣れさせた方がいいだろう)


 ついでに、ケリスエ将軍としては、カロンをそうやって連れ出すことで、気晴らしをさせているというのもあった。王都ではどうしてもカロンは苛められる。だが、旅先ではそんなこともない。

 馬に慣れさせるという目的もあったが、実際、長く乗り続ける練習として、旅は最適だった。


「将軍。どうも地図にあった村は廃村になっているようですね」

「そうだな。なら野宿しかないか」


 たまにはそういうこともある。

 そういう時は手分けして食事や睡眠の用意をするのだが、打ち捨てられた民家はかえって床が腐ったりしていて、外の方がよほど過ごしやすかった。

 手早く食事を済ませてしまうと、後はすることもない。そんな時は、星の見方を将軍はカロンに教えてくれた。

 春夏秋冬、移りゆく天上の星々。

 落ちてきそうな大量の星を眺めては、時に月明かりを頼りにわざと暗い道を歩いた。適当な枝を杖代わりにし、見えにくい場所はそれで道を確認して歩くのだ。


「ちゃんと持つ部分は表面を削ったか?」

「はい。これで棘は刺さらないと思います」

「毒蛇がいることもある。先にこういったもので草むらを脅かしてから歩くようにしろ」

「はい」

「あと、旅している時には将軍と呼ぶな。誰が聞いているか、分からん。適当な名前で呼べ」

「何て呼べばいいんでしょうか?」

「好きにつけろ」

「・・・・・・」


 かなりケリスエ将軍はアバウトな人だった。仮とはいえ、呼ばれる名前にこだわりもないらしい。

 その時その時で、カロンは適当な名前を将軍につけることにした。

本当に色々な名前をつけたと思う。リシル、ラーイ、レンネ、ロージェンナ、・・・それらが全てカロンの知る神々の名前だったと、ケリスエ将軍は知らなかっただろう。

「お前もよく、毎回毎回違う名前を考えつくもんだな」

と、何回目かに言われたことがあるからだ。

「それこそ、呼ばれる名前にこだわりがないというのもどうかと・・・」

と、ささやかに反論してみたカロンだったが、

「名前など、便宜上のものだからな」

と、当然のように言われて終わった。


(ずっと、旅し続けられたらいいのに)


 焚き火に枝をくべていると、少し離れた所を散策していた将軍の歌声が響いてくる。

 将軍の部族に伝わっていたという神を讃える歌だ。そんな時は優しい表情を浮かべるのをカロンは知っていた。人目のない時には、それにあわせて舞うことすらある。

 教えてもらっている剣舞とは全く違う舞は、恐らく綺麗な衣装を纏ってするものなのだろう。手の動きを見ればそれが分かる。そこにない布を、その手は翻しているからだ。


(ダンスとは全く違うけど綺麗だよな。本来の衣装をつけていたらどんな感じだったんだろう)


 考えてみればどんな部族であれ、神々を(まつ)っているからといって村人全員が歌ばかりか、舞まで出来るものではないだろう。

 もしかして将軍は神殿に属する人間ではなかったのだろうかと思いついたのはかなり後だ。

 その時はただ、その歌声を聞くのが楽しみの一つだった。


(旅している間は、ずっと一緒にいられるから・・・)


 王都に戻れば、また冷たい無表情のまま、カロンのことなど稽古の時しか見ない将軍だ。

 それでもこうして旅する時には、火を囲んで一緒に眠ったりもするし、同じ速度で馬を歩かせることもできる。

 火の番は交代の筈だが、やはりカロンよりもケリスエ将軍の方が慣れているせいか、カロンは分かっていなかったが、かなり将軍が長い時間を担当していた。


「そ、ばに・・・い・・・」


 そんな寝言を呟くカロンの手を小さく将軍は握ってやる。ルースレイルといい、カロンといい、自分が弟子にしようとする人間は、どうも甘えっ子が多いようだ。

 ここで誰かがケリスエ将軍の心の声を聞いていたなら、「いや、あんた、全然カロンを甘やかしてないから」と突っ込んだだろうが、そういう人間は存在しなかった。


「ああ。傍にいるよ、ずっと」


 かつて弟子にと考えていた少女への、果たされなかった約束。

 いずれカロンも独り立ちしたら、恋をし、家庭を作り、自分の所から羽ばたいていくだろう。

 自分の約束は嘘にしかならないけれど・・・・・・。それでも、その言葉でこうやって安らかな眠りが訪れるのであれば、それでいい。

 夢うつつに将軍の言葉を聞いて安心したのだろうか、眠りながらもカロンは小さく嬉しそうに笑った。






 人生とは分からないものだ。

 まさか弟子が自分をこんなにも望んでくるようになると、引き取った当時にどうして予想できただろう。

 あまりにも様々な感情が押し寄せてくるものだから、気を失っていたらしい。

 目が覚めたら朝だった。


「えーっと、大丈夫ですか? 起き上がれますか?」


 カロンが心配そうに声を掛けてくるが、かなり機嫌がいいのが分かる。だが、それこそが問題なのだ。


(何故、まだ消えてないのだろう・・・)


 カロンの感情があまりにも心に響いてくる。それだけではない。カロンがこちらに泊まったことを察してか、あちらの片翼で少年達が考えていることまで伝わってくる。


(カロンの感情が強烈すぎる。けれどもそれは、本来、完全に失われる筈だったのに)


 部族の掟で遠い地へと出向いた後、戻ったら部族は滅んでいた。村に残された、自分達にだけ分かる暗号。神殿にも、村長の家にも、村の入り口にも、同じように「二度と戻るな。すぐにここを離れろ。神が共にあるように」と記されていた。

何があったのか分からなかったが、その言葉に意味がない筈がない。即座に離れた。

一人で彷徨(さまよ)った日々、かつて封印した力を少しだけ呼び戻すしかなかった。生き延びる為に。

 同時に、軍で身を立てることにした時、その異常さに気がつかれないようにと、あくまで観察力により様々なものを見抜く訓練も行った。異能に頼らなくても、人の五感全てを鍛え上げれば、近いものまで持っていけるものなのだ。

 リスエルードの言っていた意味が、その頃にはよく分かっていた。知られたらとんでもないことになる力だということも。

 今ではその自分の力を使わなくても、かなりのことが分かる。だからあえて使わないよう心掛けていたのだ。生きるか死ぬかの時は遠慮なく使ったが、そうじゃない時には使わなくても問題ない。


(けれども、人と交わったら消えるという話でもあったのに・・・)


 部族の掟では、一定の年齢になったら神殿での集団生活が始まる。その上で、神官に向く子供を選別もするのだ。だが、自分は神官にならない道を選んだ。

 その際、かなり引き留められたものだ。


「サーライナ。お前のその能力は、誰かと肌を合わせたら消えてしまうものだ。折角の恩寵を勿体ないと思わないのか」

「いいえ。私はそれでも普通の人として神と共にありたいのです。いつか私が誰かと家庭を作り、自分で封じるのではなく、完全に神にこの力をお返しするのだとしても。・・・それでも私が神を讃え続けることには変わりありません」


 その決意が固いとみて、神官にならぬ道を許された。

 

(しかし、私が女と肌を合わせても力は消えなかった。だから男とであれば消えるだろうと思っていたのに・・・)


 男と寝るのは初めてだったので分からなかったのだが、それともカロンは最後までしなかったのだろうか。それなら消えていないというのも分かる。


「なあ、カロン」

「はい、何でしょう?」


 ずっと恋焦がれていたケリスエ将軍を手に入れたカロンはかなり上機嫌だ。しかも最高の夜だった。今なら何でも出来てしまう気がする。ああ、人生とは何て素晴らしいのだろう。


「お前、不能だったのか?」

「・・・・・・・・・はい?」


 将軍に言われている意味が分からなくて、カロンは固まった。

 それは自分のそれが、将軍を満足させなかったということなのだろうか。いや、だけど。そんな筈は・・・・・・。

 カロンの頭の中でぐるぐると、昨晩のことが思い返される。だって、あんなにもこの人だって・・・。それこそ、自分も今までにないぐらいに・・・。いや、だけど・・・。


(違うか。ちゃんとやってしまったようだ。となると・・・)


 カロンの感情がダイレクトに伝わってくるケリスエ将軍としては、それを疑う理由もない。


(私は騙されてたんだな、つまり)


 自分を神官にしようとして、大嘘を吹き込んでくれたのだろう。何ということか。分かっていたらきちんと自衛したのに。どうせなくなる力だからと、最後に解放したのが裏目に出過ぎた。

 人間、産まれた時からあったものがこれで消えていくのだと思えば、その消失を感じながら終わらせたいではないか。だから・・・・・・。

 今、自分の力は制御を失って、全ての感情を遮ることなく受け続けている。早めにどうにかしなくては。


「カロン」

「・・・はい。・・・・・・あ、の?」


 カロンとしても、あれだけの夜を過ごしてどうして不能扱いされたのかが分からない。

今度は何を言い出すんだろうと、びくびくせずにはいられなかった。


「今日は休む。お前は出勤しろ」

「はい。・・・・・・あの、何が食べられそうです? 動けないなら俺もいた方がいいんでは?」

「いや、誰もいない方がいい。できればフィオナも今日は断ってくれないか。誰も屋敷にいさせないでくれ」

「え。そうなると昼食とか・・・」

「いらん。今日は夜まで眠る。誰も近づけるな」

「はい」


 実はかなり無理をさせてしまったらしい。まさか昼どころか、夜まで眠ると言われるとは。

 それでも眠りから覚めたら食べられそうな物と水を枕元に置いておこう。

 そう思い、カロンは慌てて全てを手配すべく部屋を飛び出した。


(体も動かせないが、問題はこっちだ・・・)


 たとえ部屋を出ていかれても、カロンの考えが心に伝わってくる。本当はずっと自分の傍についていたいと願っていることも。

 その気持ちはありがたいのだが、今は一人にしてもらいたい。

 体の辛さは無理をすれば動かせるが、頭の中を様々な感情が流れていくのは、それこそ急流の河川におちた木の葉のようなもの。ただ、抗うこともできずに翻弄されるだけなのだ。


(二度とやらない、絶対にやらない)


 制限せずに力を使っていたのは子供の頃だけだ。今まで幾らかを使った時も、絞り出すかのようにあくまで少しだけに留めていた。だから、全面的に解放したらどうなるかだなんて分かっていなかったのだ。

自分の醜態を思い出せば、そのまま一人で失踪したい。できれば自分の記憶が薄れるまでカロンには屋敷に戻って来るなとも言いたいが、さすがにそれはまずいだろう。


(きっと夜までかかる筈だ。ここまで解放してしまった以上、一休みしてから冷静な状態できちんと解放し直し、それから少しずつ封じていく必要がある)


 本来は数日かけたいが、まさか数日間、誰も帰って来るなとは言えない。自分で人のいない場所に行こうにも、体はきついし、体をどうにか動かしたとして、そこに辿りつくまで人と話せる状態ではない。

自分が一人で歩くなり馬に乗るなりしていたら、見回りの誰かに声は掛けられるだろう。何よりカロンがどう出ることやら。


(神官長様の馬鹿)


 とりあえず皆がいなくなるまで眠ろう。意識を落としておかないと、もう耐えられない。心が体から溢れ出しそうだ。

 そう考えて、ケリスエ将軍は本格的に眠ることにした。


(今は何も考えたくない)


 だから気づかなくていい。

そんな自分の体を寝かし直す腕があったことも。

寝台を整え直し、枕元に果物やパンやチーズを置いていったことも。

好きですと囁いて、落とされた唇も。


―――ずっと傍にいさせてください。


 知るか、そんなこと。

 お前達が言うのは「傍にいてくれ」じゃなかったのか。いつから「傍にいさせろ」になったのか。

 そう思いながら、ケリスエ将軍の意識は深い眠りへと沈んでいった。


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