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9 二つの故郷(ロイスナーのリルドレッド)

○月×日

匿名X:猫かぶりって王都の狂犬だけじゃないですよね? 将軍がいないと、第五部隊長、遠慮ねえ鬼なんです。将軍の前じゃ年寄りぶってるくせに。


匿名A:そんなの、どの部隊長も一緒だろ。

匿名B:言える。こないだ、酒場で隣の席に座ったのが王都の奴でさ、「お前ん所、将軍も部隊長も寡黙で控えめだもんな。羨ましいよ」とか言われた日には、口から酒を吹き出したね。言いきってやってもいい。「お前らは騙されてる」と。

匿名C:で、B、お前、そう言ってやったのか?

匿名B:言うわけないだろ。一生、騙されとけや。特に近衛な。あそこ、態度でかくて嫌いなんだよ。

匿名D:俺も近衛は嫌いだな。貴族が多いからって威張るんじゃねえ。何かというと、女の尻に敷かれてる騎士団だって、うちを馬鹿にすんだぜ。

匿名A:D、今度、近衛のそいつに言ってやれよ。その女に近衛の猛者全てがボロ負けした事実を説明してみろよってな。あの戦いぶりを一度でも目にした奴は絶対言えねえセリフだぜ。

匿名C:そう言われても、将軍の戦いぶりなんてまず聞かねえだろ。ほとんど指揮を執ってるだけじゃねえか。そりゃかつて王の御前で勝ち抜いたって聞いたけど、それも八百長だったんじゃないかって話の方が信ぴょう性高いってな。

匿名A:俺、第六だが、お前ら、命が惜しければそれ以上はコメントするなと忠告する。それに、こないだの勝ち抜き戦見ただろ。あれのどこに八百長が必要なんだ。



暇な時間をどう潰すべきか。なかなか思いつかないものだ。


「これでも皆に気を遣っているんだ。何と言っても、ほら、私がいると気詰まりだろうと思ってだな。やはり緊張させてしまうだろうし」

「はぁ。それはそれは」


セイランドはそう相槌を打ってみた。だが、気を遣っているというのであれば、普通の話し合いの時にこそ出てきてほしい。少なくとも、一対一で相対するのは何だかなぁな人である。


「つまり、お暇だということにしておきたいわけですね。少なくとも連日、うちに入り浸る程度には」

「そうだな。そういうことだ。邪魔だったか?」

「いいえ、まさか」


いくら邪魔だと思っていても言い難い。自分より上官なのだから。

まさかケリスエ将軍が、カロンではなくセイランドにくっついて行動するとは思わなかった。さすがのセイランドも調子を狂わせられている。


(まあ、なかなか貴重な体験ではあるな。それに話していても面白い)


セイランドの部下達もケリスエ将軍の真意を測りかねてはいたが、思ったよりも気さくな将軍ではあった。何でも自分でしてしまう腰の軽さもあっただろう。


「カロン殿は何もおっしゃらないのでしょうか?」

「何も、とは何を?」

「やはり、他の男の所へずっと入り浸っているのでは、思うことも出てくるのではないかと」


すると、ケリスエ将軍は静かに笑った。


「カロンは私が育てた息子でな」

「存じ上げております」

「だから私の行動を邪魔しない。その証拠に何も言わないだろう?」

「・・・・・・」

「ところで、ならば訊くが、軍に男のいない場所はあるのか?」

「・・・・・・」


やはりなんらかの思惑があっての行動なのだろう。そうセイランドは思った。ただ、理由が分からないというのは気持ちが悪いものだ。

ケリスエ将軍は、人をおちょくってくれた次の日から、セイランドと行動したいと言い放ち、天幕も近衛騎士団の方へと移動させてきた。ヤンス小隊が護衛についているが、彼らもそれに対して何も思っていない様子である。

こっそり部下にカロンの所へ、その理由を訊きに行かせたのだが、カロンからは

「理由? 聞いてない。・・・悪いが俺も事後報告なんだ、いつも。ま、好きにさせておいたらどうだ?」

という返事だった。


「ケリスエ将軍」

「何だ?」

「ただ、理由が分からないというのは気持ちが悪いものなのです」

「だろうな。かなりこちらの面々が苛ついているのが分かる」

「では、何故」

「あやふやすぎて、全く違う可能性もある。だから言えない」


近衛騎士団にとって、ローム国騎士団は一段低く見てしまう存在だ。しかしそこのトップとなると、こちらも膝を折らねばならない。ゆえに誰もがピリピリとしていた。よその人間に自分達の内情を知られるのは不快だという、そういう縄張り意識もあっただろう。

ふと、セイランドはそこで思い出した。この戦いに行く前、寝ぼけた妻に言われた言葉を。


「あのね、セイランド様。女の人には素直にね。それが一番なのよ」


その時、「君にはいつも素直だよ」とか答えたら、寝言だったらしく聞いていなかった。いや、いいんだが。だが、もしかしたら、それは・・・。

考えてみればこの人はこの若さで一つの騎士団を率いている人でもある。それこそローム国騎士団の内情に一番詳しい人物だ。せっかくの人材だ、身構えるよりも取り込んだ方がいいのかもしれない。


「ところでケリスエ将軍」

「何だ?」

「明日、一気に総当たりとなるかと思いますが、やはり私と一緒に行動なさるのでしょうか」

「ああ」

「私はいいのですが、将軍と私との噂が出るのでは・・・」

「それは困ったものだな。噂話が好きなのは女だけではないということか」

「自惚れるわけではありませんが、もしかして私の護衛をしてくださってる?」

「いや。・・・結果としてそういうこともあるかもしれないが、そうではない」

「そうですか」

「そうだ」


やはり理由があって、なおかつ自分に敵対するものではないらしい。そう思ったら警戒するのが馬鹿らしくなったセイランドである。ふと、雑談をしたい気分になった。


「明日はあちらも将軍が出てくるでしょうかね」

「いや、こうなると出てこられないんじゃないか?」

「何故、そう思われるのでしょう?」

「何かあるとピーピー泣き喚いて呼びつけるアホ貴族がいるそうだからな。怖がって将軍を離すまい。ま、せっかくの人材も、使う人間が愚かだとその真価を生かしきれないという好例だな。おそらく将軍の部下達が奔走させられる事態となるだろう」

「・・・・・・」


 ケリスエ将軍にしてみれば、そのアホ貴族は将軍に引っついて野営していると聞いていた為、始末するのは諦めたのだが、今回、村にいた貴族の子弟はいずれも殺されている。

それはきっと王位争いにおける第一王子派の人間がやったのだとみなされていることだろうが、怖気づいたその貴族は暗殺に怯えて強い将軍から余計に離れなくなっていることだろう。・・・そして、身分の差が絶対的な北の国では、将軍もその貴族に逆らえない。


(ただでさえ本意でない出兵をさせられているというのに、我が儘を言われ、やる気を挫けさせられ、足を引っ張ってくれるのではな。・・・正直、同情する。生まれた国がそこだったというだけで)


 見知らぬ将軍の心境に思いを馳せるケリスエ将軍だった。

だが、セイランドは黙り込んだ。同席していた部下達も同様である。

なぜ、そんな具体的なことを知っている。それこそ、よほどの内情を知る者でない限り、分からないことではないか。


「あの、将軍」

「何だ?」

「どうしてそれをもっと早く教えて下さらなかったのでしょうか?」

「その話題が出たのは今だ。そして今、話しただろう?」


確かにその通りである。


「私は神様じゃない。セイランド殿が何を知っていて何を知らないかなど、知る筈もない」


それもその通りである。

仕方ないだろう。どうしてもこの若さ、そして性別。負けたくないと思うものはある。当たり前ではないか。二度と喧嘩を売るまいとは思ったが、やはり男として張り合いたくもなるのだ。

そこでふいっとケリスエ将軍が席を立った。


「あの、どちらへ?」

「ああ。うちの小隊員達に、寝る前に舞いを見せてやる約束をしているんでな。私はここで失礼する。では、明日」


そう言って、さっさとケリスエ将軍は出て行った。


「おい、どこに行くんだ、テイト?」

「え? 勿論、見物ですよ? 大体、セイランド様も隊長もプライドが高すぎなんですよ。負けたくないとか思うより、最初から立場も肩書きも負けてるんだから、肩肘張らない方がよほど賢いと思いますけどね。俺は将軍の舞いを見たいです。じゃっ」


そう言って隊長に声を掛けられたテイトも、それを振り切って出て行く。

残された人間は気まずい思いで視線を泳がしていたが、誰かが大きく息を吐いたのをきっかけに、皆は目を見交わした。セイランドが吹っ切れたように言った。


「ま、実際、他の騎士団とはいえ、今回は三軍協力体制にある。こちらのプライドはあまりに高すぎたかもしれん」

「そうですね。それをご存じの上でいてくださる、その意味をよく考えるべきだったかもしれません」

「俺達も見に行きますか」

「そうだな」


将軍の天幕前では、ヤンス小隊が勢揃いしていた。将軍は手首と足首に鈴を付けているらしい。別に人払いをしているわけではないようで、他にもちょうど通りがかった近衛騎士団の人間が立ち止まって見ていた。

テイトはしれっと将軍を取り巻くヤンス小隊の中に混じっている。だが、なぜ、そこで楽器を渡されているのか。どこまで馴染む気だ、あっちに。この裏切り者。

セイランドとしては、可愛がっていた飼い犬がよその見知らぬ人に懐いてしまったかのような気持ちになってしまった。大将軍や他の将軍達は女性であるケリスエ将軍にかなり配慮しているが、同時にその意見や行動をかなり尊重している。だからどうしても、負けたくないと思ってしまうのだ。

譲られて得る将軍位ではなく、自らの力で得た将軍位。・・・男なら誰だってそうでありたいではないか。

そんなセイランド達に、将軍達が話している声が聞こえてくる。


「テイト殿に渡したそれは、打ち合わせるだけで音が鳴るからな、拍子をとればいいだけだ」

「へえ。俺でも出来そうですね」

「ああ。誰もが楽しめなくちゃ意味がない。それにヤンス小隊長も笛が上手くて助かってる」

「いやいや。上手くはありませんよ。ですが簡単なものならどうにか・・・」

「あとは手拍子だけで十分だしな。こういう時は皆が知ってる有名なものに限る。よく知ってる歌はどういうのだ、テイト殿? できればノリのいいのが良い」

「そうですねぇ。ノリがいいのなら、くるくる回る木の葉と娘、でしょうか。あとはブドウの丘とか、小鳥と恋人達とか?」

「ああ、あれか。じゃあ、それでいこう。歌は皆で一緒に歌うか」


 そこでヤンス小隊員達がぎょっとする。


「えっ、将軍。俺達、歌、ヘタですよっ」

「安心しろ。私も一緒に歌ってやる。それにこういうのは皆で楽しむものだ。上手(じょうず)下手(へた)は関係ない。ヤンス小隊長、笛でリードを頼む。テイト殿も皆も、別に堅苦しく考えるな。こういうのは深く考えずに音を出せばいい」


 そう言って、将軍が小さく歌い出すと、それにあわせて笛が音を出し始める。やがてそれに他の音も重なってきたところで、全体的に揃い始めると、歌が始まった。


「くるくる回る木の葉と共に、村の娘が踊り出す・・・」


 将軍の声が夜空に響くと、誰もが知っている曲だからだろう。小さく一緒に口ずさむ者や手拍子をとる者が出てきていた。ヤンス小隊長の笛はともかく、他の人間が持っているのは打楽器だ。あれならテクニックは不要だろう。


「その金色の髪に花を挿してあげよう、その花を贈るのは・・・」


 それこそ庶民の男女が祭りの時に踊る歌だが、将軍はそういった踊りとは別の振り付けで体を動かしていた。かなり上手い。体につけていた布が大きく翻り、余計に目を奪われる。


「実りの季節に、娘へ贈ろう。愛の言葉と、男の心を・・・」


 やがて見ていた人間も参加して歌い始めていた。元々、テンポが良い上に、誰もが知っているメロディーだ。ましてやロームを離れてきている自分達には懐かしい歌でもある。

 祭りの時にはよく若い男女で踊られるものだからか、踊りたそうに足踏みしている兵士も出てきているようだった。それを認めたか、将軍が手を差し出して一人を誘い、一緒に踊り始める。


「風に舞う木の葉のように、この愛もまた・・・」


 将軍が次々と踊りたそうな人間に手を差し伸べるので、既に踊りに加わっている男達が増えていた。いっそ祭りのような雰囲気である。

 そうなるとどこまでも賑やかに歌も伴奏も広がっていく。ケリスエ将軍を中心に、男達の輪が出来ていった。

 邪魔にならないよう、セイランド達も少し離れた場所に移動した。


「どうします、セイランド様? どんどん集まってきてますよ」

「戦いの前だ。緊張もほぐれるし、やる気を高めるにはちょうどいい。・・・なんならスカルも加わって来い」

「じゃ、ちょっと行ってきます」


 スカルも賑やかなのは大好きだ。踊りの輪に加わりに行ってしまう。


「なあ、隊長」

「はい、セイランド様」

「将軍の目的が分からん。大体、こういう女らしさを完全に排除していた方だぞ」

「そうですな。結婚なさって考えが変わったか、それとも理由があるのか。ですが、その人となりに関しては皆が太鼓判を押す方でもあります」

「そうだな。ここはカロン殿の言う通り、好きにしていただくのが一番なのかもしれんな」


 やがて違う歌が始まる。そちらも踊りやすい歌だ。そうして皆もある程度踊った辺りで、雰囲気が変化した。


「そろそろ終わりかな」

「そのようですな。・・・最後に歌ってくださるようです」


シャリーンと手首の鈴を鳴らしたかと思うと、ケリスエ将軍が歌い出した。ゆっくりと手や足を動かすので、といってもそれは舞うのではなく、伸ばした手を少し揺らしたり小さく歩いたりという程度だったが、その度につけている鈴が鳴る。

それは厳しい北の大地に生きる者の歌だった。


「氷に閉ざされた大地に、短い春が訪れる。春よ、お前を讃えよう。ほんの僅かな日々しか会えぬお前を私はいつも待ち焦がれている。

私がこの大地を忘れる筈もない。この大地だけが私の足を受け止める。

我が祖国よ、我が身は常にあなたと共に。


淡い光が満ちる大気に、長い冬が訪れる。冬よ、我らが生きる日々よ。長く厳しいその冷たさすらも我らは誇りを持って愛し抜こう。

私がこの大気を忘れる筈もない。この大気こそが私の身を包む全て。

我が故郷よ、我が心は常にあなたを思う」


大きな声ではなかった。しかし声量が豊かだからだろう、よく通る声だった。先ほどまで踊っていた兵士達も、今度は地面に座って黙って聴いている。

 戻ってきていたスカルが感心したように呟いた。


「へえ、うまいもんですね。一人で動きながら歌うだなんて、かなり内臓も鍛えられてる」


 セイランドも驚いた。今まで宴席でもケリスエ将軍がこういった芸事を披露したことはなかったからだ。全てにおいて「私はそういうものは苦手でして」と断っていたかと思うのだが。

 ある意味、かなり貴重なものを見せてもらったのかもしれない。

 そんなセイランドに背後から寄ってきて並んだ男がいた。


「将軍がここまで多才とは思わなかった」

「俺もだ。・・・色々思うことはあるだろうが、あの人がするなら何か意味があるのだろう。できれば邪魔せずにいてやってくれ」

「カロン殿は何も聞いていないのだろう? それでいいのか?」

「今更だ」


 やがて歌の終わりと共に、皆が散らばり始める。だが、ここまで賑やかにしてくれた将軍である。この際だからと、お近づきになろうとする騎士達が取り囲んだ。


「来たか、カロン」


 それらには適当な微笑で済ませ、ケリスエ将軍がセイランド達の所へとやってくる。セイランドだけならともかく、その横にはカロンがいた。

 カロンと言えば、暴れ狼の異名を持つケリスエ将軍の配偶者だ。

諦めたように騎士達も振り返りながら去って行くしかなかった。

 自分の前に駆け寄ってきたケリスエ将軍を大きく腕を広げて抱き留めながら、カロンはその耳元で囁いた。


「俺は虫よけなんですね」

「協力しろ。本気で鬱陶しいし、殴り倒したくなるんだ」

「いいです、もう好きに使ってください」

「何ならこっちの天幕に泊まっていくか?」

「分かってて言ってますね、あなた。それよりあなたが俺の後釜の弟子を見繕っているという噂がこっちで流れてます」

「そのまま広げろ。同時に、実は今までも私が弟子をとったことはあったが、生き残ったのはお前一人だとも流しておけ。ついでにお前だけじゃ私が満足していないと付け加えておいてもいいな」

「誰が信じるんですか」

「人は信じたい噂を信じる。信じる奴が馬鹿なのさ。その証拠にうちの部隊長達は信じてないだろ?」


 周囲にいたセイランドとその部下達の心に、ぐさっと突き刺さるものがあった。

 まさに愛しい妻にするかのように、カロンは将軍の髪を手で梳きながら撫でている。微笑んでいる将軍の顔といい、遠く離れた場所からは夫婦が愛を語らっているとしか思えないだろう。


「その結果、今後、煩わしいことになっても知りませんよ」

「お前がどうにかしてくれるんだろう?」

「・・・させていただきますとも。も、好きにしてください。ところで、こちらの近衛騎士団でも同様の噂を流してるんですか?」

「いや。その必要はない。大々的では罠だとバレる。・・・あくまでローム国騎士団に探りを入れて分かるという程度に留めろ」

「分かりました」

「ここまで来たなら私の天幕で少し時間を潰していけ。そうじゃないと不自然だ」

「そうですね。さすがに長居はできませんが」


 そこでケリスエ将軍はセイランドに顔を向けた。


「セイランド殿はどうする? カロンと一緒に私の天幕に寄って行くか? それともお戻りになるか? ああ、今聞いたことは、そちらの方々にも、親しい部下にすら何も言わないようにしてもらいたいものだがな」

「ご迷惑でなければご一緒させてください。勿論、ここにおります者達が話すことはありません」


 そんなセイランドの返事に、ケリスエ将軍は小さく笑ってカロンに言った。


「ほら。これでお前一人に満足せず、セイランド殿にも手を出したという噂が放っておいても近衛騎士団に流れる。その為にわざわざセイランド殿にくっついてたんだ。こっちはその程度でいい」


 セイランドは夜空を仰いだ。将軍の思うままになるのは(しゃく)だが、ここは一緒に行くしかあるまい。

 周囲にいるセイランドの部下達も、さすがに将軍が自分を(おとり)にして誰かをあぶり出そうとしているのはもう理解していた。そしてその対象者が近衛騎士団に属しているのだとも。

 将軍の天幕に消えていく三人の姿を見送りながら、テイトは呟いた。


「生き残れないのは勘弁してほしいですが、・・・それなら僕を愛人にしてくれても良かったんですけどね」


 そんなテイトに、スカルは「お前なぁ・・・」と、疲れたような顔になった。






 北の国との街道は数が少ない。そしてぶつかることの出来る場所も限られていた。

 互いの国境近く、だが少し北の国に入り込んだ場所で、総当たり戦が開かれた。

 その戦いはカロンの指揮下に行われることとなっており、カロンは自身の第六大隊と近衛騎士団のほとんど、王都騎士団の一部を率いていた。


「本当はセイランド殿が行きたかったんじゃないのか?」

「そんなことはないと言えば嘘になります。ですが大切なのは適材適所です。俺ではカロン殿のようにはできない。こういう戦いは真っ先に誰よりも強く駆けていく大将が必要です」


 ケリスエ将軍にそう答えると、セイランドは地図に目を落とし、空を見上げた。ケリスエ将軍とセイランドは、一番奥の場所、それこそ丘の上から見ていた。今回、セイランドは全体的な指揮を執っていたからだ。

 やがて、銅鑼の音と共に、決戦の火ぶたが切って落とされた。




 敵味方が入り乱れて戦う様子は、どこまでも混乱していた。


「それこそ本当はケリスエ将軍も行かれたかったのではないですか?」

「それこそ、そんなことはないと言えば嘘になるだろうな。だが、大切なのは適材適所だ。いみじくもセイランド殿が言われた通りに」


 それがどういう意味なのか、その時のセイランドには分からなかった。

 時間が過ぎると双方の死者や怪我人が地面を埋めていく中で、生き残った者達が更に戦いを求めて突き進み、同時に逃走する者も出てきている様子が見えた。


「セイランド様。撤退の動きが出ました」

「少し遅きに過ぎたな。あと少し早ければまだもう少しは残れただろうに」

「カロン様の合図によると、更にできるだけ討つ気のようです」

「そのまま了解の合図を送れ、テイト」

「はい」


 本来はもっと多くの兵を逃走させるつもりだっただろう。だが、あちらも足並みはあまり揃っていなさすぎた。

 それでも討ち漏らした兵達が逃げていくのが見える。カロンはうまくその辺りを限られた街道へと誘導するかのように、追い詰めていっていた。


「スカル、合図の煙を起こせ」

「はい、セイランド様」


 スカルが部下に命じて煙を起こさせる。それは、ローム国騎士団の第二部隊と第四部隊、そして自身の王都騎士団の兵達を率いているロメスにも見えることだろう。

 ロメス達は逃走するであろう街道を見越し、それを挟撃できる位置に分散して待機している。

 少し離れた場所にケリスエ将軍は歩いて移動すると、セイランドを手招いた。

 何かと思い、セイランドが寄って行く。周囲を守る騎士達から離れるとはいえ、大した距離ではない。


「どうなさいました、ケリスエ将軍?」

「こちらからの方がよく見えるんだ。見ろ、あの辺りの小競り合いを。相手側だが、かなり強いのがいる。できればうちに欲しいぐらいだな」

「それは時々思いますね。敵方であろうと、強い男はやはり気になります」

「・・・あの男、死ぬ気だな」


 負けを悟り、それならば出来るだけ多くの道連れをと考えて死力を尽くす男がいる。ケリスエ将軍にしてみれば、今までも多く見てきた姿だ。セイランドもそれは同じことだった。


「たしかに強い。きっと将軍直属の部下でしょう」

「ああ、おそらく。死に場所をここと定めたか」

「捕虜にはできませんね。強すぎる・・・」


 勝ちが決まったも同然の為、セイランドも少し気が緩んでいた。小高い場所の為、風も強い。人好きのする笑顔を浮かべて大きな声で将軍に話しかける。会話の内容は周囲の騎士達にも丸聞こえだ。


「あちらはこれで壊滅状態となる筈です。ロメス殿は完全に叩き潰すでしょう」

「そうだな。・・・良かったな、セイランド殿。今回の第一の武勲は貴君となるだろう」

「は? いや、私は何もしていませんから。決戦で勝ったのはカロン殿、逃走した軍をこれから殲滅するのはロメス殿ですし」

「そうだな。だが、それらの指揮を執っていたのはセイランド殿だろ? ならば、セイランド殿が一番の功労者だ。何と言ってもセイランド殿が作戦を立てたわけだから」

「・・・・・・」


 そんな二人の会話を聞きながら、周囲の部下達も戦いの様子を見ていた。


「隊長。将軍とセイランド様にお飲み物をお持ちしましょうか」

「ああ、そうだな。水でも持っていっておいてくれ。気が利くな、シース」

「いいえ」


 前方の戦いを見ている二人に、背後からシースと呼ばれた一人の騎士が水の入ったカップを持って近づいていく。そしてあと二歩程度のところで、いきなり剣を抜いて斬りつけようとした。

 

「ぐふっ」


 戦いに気を取られていた為、その場面を見ている者は、少なくとも近衛騎士団には存在しなかった。

 ただ、ガキーンという剣が剣を撥ね飛ばす音、そしてカーンという飲み物のカップが落とされた音に気づいて皆が振り向いた時、ケリスエ将軍がその騎士の腹を蹴り飛ばしてうめき声をあげさせたのを見ただけだった。


「ヤンス小隊長っ」

「はっ」

「この者を運んでおけ。私への暗殺未遂だ。身動き取れぬようにしろ、自害させるな」

「はっ」


 すかさずヤンス小隊長以下、ケリスエ将軍の護衛をしていた騎士達が集まり、身動きできない状態のシースを拘束し、その鞘を外して落ちていた剣を拾い、更に口の中にも布を詰めて運んで行く。

 本来、シースは近衛騎士団の人間である。ローム国騎士団の人間に勝手な真似をされては困る。

 だが。


「セイランド様・・・」

「あ、ああ」


 スカルがあまりのことに愕然としながら、それでもセイランドに話しかけようとした。が、お互いに何も言えなかった。

相手はローム国騎士団を率いる将軍である。その将軍に剣を向けた人間をどうして庇えるだろう。

 それどころか、この落とし前をどうつければいいのか。

 現状を把握して蒼白になった彼らに、ケリスエ将軍は肩を竦めて見せた。


「気にするな。よくあることだろ?」

「・・・・・・」


 よくあることではない。だが、そんなセイランドの肩をぽんぽんとケリスエ将軍は叩いて言った。


「うちではよくあることなんだ。それに殺し合いというのであれば、うちのカロンだって私に真剣を抜いて夜中に斬りかかってきたこともあったが、それでもこんなに仲良しだぞ?」

「・・・・・・」


 どんな親子で、どんな師弟で、どんな夫婦だ。

 しかし、それはケリスエ将軍の身内のことだ。今回とは全く事情が違う。

今、よりによって近衛騎士団の騎士は、ローム国騎士団の将軍を殺そうとしたのだ。


(俺の首一つで済む問題なのか・・・)


 こんなことをどうフィゼッチ将軍に報告すればいいのか。

 そんなセイランドに、ケリスエ将軍は一転して厳しい声を掛けてきた。


腑抜(ふぬ)けるなっ、セイランド・リストリッ。今、大切なことは何だっ? 自分の肩に背負っている我らが軍を放り出す気かっ」


 その声は、呆然として立ち(すく)んでいたセイランドの部下達にも(かつ)を入れた。

 セイランドもはっと自分を取り戻す。


「大切なことを見失うな。今、我らがローム王国の剣としてなすべきことは、北の国に対して勝利することだ。それ以上に大切なことなど何一つない」

「はい」


 セイランドが気を取り直したのを認めたか、ケリスエ将軍が口調を和らげてきた。


「ロメス殿が負ける筈もないが、それらの確認もさることながら、怪我人の収容もせねばなるまい。先ほどの男は私が預かる。セイランド殿は、セイランド殿がすべきことをまずやれ。話はそれからだ。尚、近衛騎士団に責任を問う気は全くない。一切、その気遣いは無用だ。それは今、私の名において明言しておこう」

「・・・はい」

「私は見届け人として立ち会っている。この戦いの勝利、勿論見せてもらえるのだろうな?」

「はっ」


 肝心のケリスエ将軍がそう言うのであればと、セイランドは重苦しい思いを飲み込んだ。これが、相手が将軍ではなく隊長クラスであっても、そんな自軍から暗殺未遂などということがあったらとんでもないことになる。平謝りどころではすまないのだ。

 しかし、ケリスエ将軍は全く怒っていないらしい。それどころか、セイランドの状況を踏まえて、あくまですべき責任を果たせと言ってきた。なんという懐の深い人なのか。

若いから。女性だから。他軍の将軍だから。

そんな理由で、この人に張り合おうとしていた自分達に、セイランド以下、その場にいた人間は己を恥じた。






 ロメス達が戻ってくるのが遅い。というより、どうして未だに戻ってこないのだろう。


「何かあったのでしょうか。まさか、あのロメス殿が負けたということは・・・」

「いや、それはあるまい。ロメス殿にはうちの第二部隊と第四部隊も同行している。ロメス殿が何も連絡できない状態に陥っても、彼らから連絡は入る筈だ。何も知らせが入っていない以上、・・・・・・どこまでも皆殺しに励んでいるだけじゃないのか?」

「ならばいいのですが、・・・遅すぎます」


 夜になっても彼らは戻ってこなかった。案じるセイランドだったが、ケリスエ将軍は全く心配していない。

 あくまで手堅く進めていくセイランドは、ロメスのような感覚を持ち合わせていないから、今は理解できないのだろう。あのロメスならば敗残兵の掃討というつまらない仕事で満足せず、そのまま駐留していた本部も襲いに行っただけだろうと、ケリスエ将軍は見ていた。

 どうせ明日になれば戻ってくる筈だ。セイランドもロメスはそういう奴だと思うようになれば、いずれはそれを見越した戦略を練るようになるに違いない。


(頭じゃなく体験で理解を深めていくことは大事だ。・・・若い内は色々悩んで成長していくものだからな)


 さほど年は変わらないのだが、そんなことをしみじみと思うケリスエ将軍だった。そんな中、カロンはせっせと後始末に励んでおり、セイランド達の所へ顔を出す余裕は全くない。


「思ったより、身代金をとれそうな高位の人間がいませんね」

「そうだな。まあ、そこは仕方ない。身代金は諦めて賠償金をせしめてもらうしかなかろう。それは文官の仕事だ」


 セイランドとて、何もしていなかったわけではない。

 それこそ戦闘後の捕虜や怪我人の対応に追われていた。そんなセイランドにケリスエ将軍はどこまでもついていっていただけである。


(だが、この将軍はかなり便利なんだよな)


 自分よりも上の立場なので命令はできないのだが、ケリスエ将軍はセイランドの仕事を手分けして手伝ってくれたので、大変は大変なのだが、かなり助かってもいた。

 特に捕虜などにしても、「これじゃすぐ(ほど)けるぞ」と、手早く拘束し直したりする手つきはとても良い。

 更に時間があれば近くの怪我人をさっさと手当てしていくのだから、どこまでも働き者なのである。

 セイランドへの報告が立て込んでいる時、勝手にその報告を聞いておいて、後からまとめてセイランドに伝えてくる。わざわざ報告する人間を待たせておかなくてもいい上、時には勝手に指示を与えてしまっているが、それはどれも妥当な対応だった。

 しかも、食事をする余裕の無いセイランドの口に「これでも舐めておけ」と、干し肉や干した果実を放り込んでくるあたり、面倒見も良い。


(うちの副官に欲しいぐらいだ)


 本当は、尋問にしてもケリスエ将軍は上手なのだろう。しかしあくまで見届ける立場を崩そうとは思わないのか、そういったことには動く様子を見せなかった。


(だが、そういう感謝と今回の責任問題とは別だ)


 夜になってやっと時間がとれたセイランドは、カロンの所へと出向き、今回の近衛騎士団のやったことに対して相談することにした。

 ケリスエ将軍は責を問わないと言ってくれたが、それで済む問題ではない。

 その優しさに甘えるわけにはいかないのだ。場合によっては自分が全ての責任をとる覚悟を、セイランドは固めていた。

 出向いてみればやはり指示に勤しんでいたカロンだが、セイランドの姿を見ると、周囲の部下に「今日はもう休め。後は明日だ」と、言いつけて、自分の天幕に誘ってきた。

 そして事情をセイランドから聞くと、かえって謝ってきたのだった。


「あの人は言葉が足りないんだ。本当に申し訳ない」

「は? いや、カロン殿、頭を上げてくれ。それこそ俺が、謝罪に来たんだぞ?」

「いや、そうじゃない。だからセイランド殿がそういうことを気にする必要は全くないってことだ」

「いや、俺の説明が悪かったのか? だからうちの責任だと・・・」

「いや、それこそ将軍の責任だ。そんなことをセイランド殿が気にする必要は全くない」


 互いに謝り倒す二人だったが、そこでちゃんと情報を共有すべきだと思い至るのは当然の流れである。


「落ち着こう、うん、お互いに。どうもカロン殿と意思の疎通ができていない気がする」

「そうだな。責任問題と感情的な問題は置いておいて、お互いに理解を深めるべきだ」

 

 そこでコホンと咳払いしたカロンだが、全てを握っているのはあの優しくて無神経な()の人である。

 全くどうしてそこできちんと説明しておかないのか。・・・まあ、自分の好きに料理するつもりだったからだろう。将軍は人の気持ちを考えずに動きすぎるのだ。誰よりも人の心を思いやるのに。

 ケリスエ将軍が近衛騎士団に行くと言いだした時から、何かをするのだろうとは思っていた。まさかの暗殺未遂とは驚いたが、そうなるとそれこそが将軍の予測していたことの筈だ。もしくはそう誘導したか。

 ならばセイランドが謝ることはないのだ。そうカロンは判断していた。事情は分からないが。

 カロンはセイランドを誘ってケリスエ将軍の所に行くことにした。


「ここまで足を運んでもらっておいて悪いのだが、出向くべき先はあちらの天幕だ。一緒に行こう」






 近衛騎士団の中にあるケリスエ将軍の天幕は、ローム国騎士団第二部隊に所属するヤンス小隊が守っている。

 ローム国騎士団は近衛騎士団よりも格下とされているが、それを率いる将軍ともなれば、近衛騎士団の誰もが膝をつかねばならない存在だ。

 ヤンス小隊にしても、自分達の主が休む天幕には誰も近づけさせまいという気迫を(みなぎ)らせていた。


「うちの腑抜けた騎士達よりもはるかに根性入ってますよねぇ」

「やはりそう見るか、テイト」

「そりゃあね。肩書きなんて意味ありませんよ、隊長。大切なのは本質です。歌って踊るイロモノ的にも見せかけながら、一兵卒に至るまで忠誠を誓っているあの団結力は何なんでしょうね。一体、どうしてあの気さくな将軍がそれを持ち得るんでしょう。その秘訣に興味があります」

「やはり強いからじゃないか? 有名だろ? まあ、頼んでも手合わせしてはくれなかったおかげで、それも怪しいって話だがな」


 ケリスエ将軍が近衛騎士団に移動してきた際、せっかくだからと腕自慢の人間が簡単な手合わせをお願いしたのだが、「勇猛で知られる近衛騎士団の強者(つわもの)相手など、私ではとてもとても・・・」と、断られてしまったのだ。

謙遜もいいところだったが、おかげで近衛騎士団の中に、ケリスエ将軍をなめる空気が漂ってしまったのは仕方ないことだっただろう。


「それでも背後から斬りつけようとしたシースの剣を払い()けた御仁(ごじん)ですがね」


 スカルの声が重く皆にのしかかる。そう、誰もが気づかなかったシースの凶行を防いだのは、その侮られていたケリスエ将軍自身だった。

 第二のシースを出すわけにはいかない。

 セイランド子飼いの彼らは、現在セイランドの命令により、ケリスエ将軍の警護についていた。

それでもヤンス小隊長からは、「将軍を守るのは、我らの役目でございます。皆様方は皆様方のお役目をお果たしください」と断られ、その周囲から見守るに留まってはいたものの。

 何重にも張られた天幕の中など分からない。しかし放置もできなかった。

 そんな彼らは、セイランドとカロンが連れだってやって来るのに気づいた。


「申し訳ございません、セイランド様。ヤンス小隊長殿から、将軍をお守りするのは自分達だからと断られました為、その外側にて周囲を見張っておりました。・・・ケイス第六部隊長にも、この度のこと、心よりお詫び申し上げます」

「いや、全くもって気になさることはない。将軍がそう仰有(おっしゃ)ったのだろう? ならばそれが全てだ。かえってこちらの言葉が足りず、本当に申し訳ない。お許しくださると助かる」


 ケリスエ将軍が絡むと見境なく暴れまくると言われたカロン・ケイスだが、隊長の謝罪に手を振って済ませようとする。

 聞いていた話と現実とのギャップに、そこに集っていた皆は、内心で首を傾げた。かえって謝ってくるとはどういうことか。だが、たとえ自分達の知らない何かがあったとしても、それでもシースが剣を抜いて斬りつけようとしたのは事実だ。

 そんなカロンは将軍の天幕へと行こうとしていた。先程、隊長達が取り次ぎもされずに追っ払われた天幕へと。


「夜遅くにすまない。だが将軍はお休みになっていらっしゃらない筈だ。お休みのようなら声は掛けずに退散するので、通してくれないか?」

「ケイス第六部隊長。この度の勝利のご報告でしょうか。将軍もさぞお喜びかと存じます」

「おめでとうございます。こちらも見事な勝利に歓声が沸いておりました」


 天幕を守る兵達が嬉しそうな顔になる。自分達は出なかったとはいえ、総当たり戦で指揮を執ったのはカロンだ。その勝利はどこまでも誇らしい。

 そんな兵達にカロンも軽口を叩く。


「ありがとう。だが、喜んでいるというのはどうだろうな。あの人は勝てて当たり前とか言い出す人だからな、それこそ戦い方がなってなかったとか言い出しそうだ。・・・第二部隊はまだ戻っていないが、ロメス殿や第二部隊長達のことだ。更に突撃していることだろう。諸君にも次回はその力を振るってもらうことになる」

「はいっ」


 天幕を守るヤンス小隊とて、そこを訪れたのがカロンとなれば話は別である。

ましてや彼らは第二部隊に属する自分達に、第六部隊を率いるカロンが好意的であることにも感動していた。

通常は男としてのプライドが立つ筈なのだが、将軍の不在をカロンにも隠そうとした自分達を不問にしてくれた上、その忠誠心を褒めてくれた。さすがハイゲル殿が選んだ精鋭だと。

今回、ローム国騎士団を率いる立場にありながら、カロンはどこまでも将軍を自分の上位に置き、ケリスエ将軍の命令に従う自分達を労ってくれている。


「近衛騎士団の中では居心地も悪いだろう。だが耐えてくれ。将軍がする以上、意味がある。・・・既にそれを知っている君達ならば任せられる」と。


 どんな噂があろうとも、こんな身近で警護していれば、どれほど二人に厚い信頼関係があるかが分かる。ケリスエ将軍がその身を預けるのも世話を許すのもカロンだけだ。

何人たりとも一歩も通さぬという気概に満ちていた兵達も、カロンが同行しているという一点により、通過を許したのだった。






 ケリスエ将軍の天幕といっても、外周の中に、ヤンス小隊員の天幕が幾つかあり、その一番奥にケリスエ将軍の天幕が位置している。

 

「まずは食え。体も冷え切っているだろう」


 蓑虫(みのむし)のように縛られて転がされていたシースだが、夜になってからケリスエ将軍の天幕に運ばれ、そこでケリスエ将軍自らに、旨そうな匂いを漂わせている汁椀を出されていた。


「ヤンス小隊長。拘束を外してやれ」

「はい」


 拘束を外されると、痺れていた両腕と両足の感覚が段々戻ってくる。痛痒(いたがゆ)いそれにしばらく耐えていると、身動きも取れるようになった。

 

「動けるようになったら食え。どうせ私達も今から食べる。まさか食べさせてほしいなんぞとぬかすわけじゃなかろう?」


 目の前で将軍とヤンス小隊長が食べているのを見たら、シースも腹の虫が鳴る。シースとて騎士になったばかりの若い男だ。普段からよく食べる。それでもこんな状況でも空腹といったものを感じるのだとは思いもしていなかった。

恥ずかしくも情けない思いで、シースは椀を手に取って食べた。添えられているパンも旨かった。

 肉と野菜の入ったスープが体の内側から温めていく。その温もりに涙が零れた。

 嗚咽を漏らしているシースの様子に気づかないフリで、ケリスエ将軍とヤンス小隊長も自分の食事を済ませる。やがて泣き止んだと見て、ケリスエ将軍はシースに声を掛けた。


「食い終わったなら、排泄もして来い。場所は外の兵に訊け。それからここに戻って来い」

「・・・・・・私一人で、ですか?」

「まさかお前、将軍の私についてきてほしいとでも言う気か? この私に手伝え、とでも?」

「いえ。あの、見張りは・・・」

「その年にもなって、自分一人で行って帰ってくることも出来んのか?」

「いえ・・・。あの、逃げるとか、そういうことを・・・」

「逃げる気があるのか?」

「いえ」

「なら、さっさと行って戻って来い」

「はい・・・」


 教えられた場所は、近くに小川も流れていた。死ぬ覚悟もつけていたシースはそこで顔を洗う。せめて立派に死んでいこう。そう思った。


(最後の身支度をさせてくれたのかもしれない)


 身なりを整え直し、シースはケリスエ将軍の天幕へと戻った。


「うちの息子も小さい頃はよく母親にしがみついては泣いていたものです。さすがに初恋を済ませる頃にはそんなこともなくなっておりましたが。私も戦いにばかり赴いておりましたし」

「そうなると男の子は何歳ぐらいまで母親を恋しがるものなのかな」

「年は関係ないでしょう。母親というのは息子にとって永遠の存在です」

「なるほど。さすが父親の視点は参考になる」


 ケリスエ将軍とヤンス小隊長は、のんびりと育児について話し合っていた。シースが戻ったのを確認すると、指先でその向かいを示される。シースはそこに座り込んだ。


「とはいうものの、若さならではの、あの突っ張るのだけはどうにかならんもんかな」

「そればかりは難しいかと存じます。若ければどうしても周囲に認めてもらいたいと思う、だからこそどこまでも気張ろうとするものでございますから」

「いい薬もなさそうだな」

「ああいうことに、つける薬はございません。新人が入る度に、私も諦めております」


 どこまでものほほんとした会話を二人は続けていく。下を向いてじっと最後の宣告を待ち続けるシースだけが、一人で緊張していた。


「だがヤンス小隊長の意見が一番参考になるな。部隊長やその副官達なんぞ、言うに事欠いて、上官の私に『あなたに子育てを語る資格はない』だぞ。信じられるか?」

「ははは・・・。いや、まあ、何ともまあ・・・」


 ヤンス小隊長も、この短期間に色々と経験したわけである。ケリスエ将軍について、(ああ、こういう人なんだな)と、理解し始めていた。

 将軍の夫となったカロン・ケイスにしても、様々な噂やイメージがあったものの、部下達の報告を聞けば、将軍の湯浴みを手伝った上で自分達への労いも欠かさない人格者とのことだった。ではやはり将軍の小間使いの如き男妾上がりかと思えば、夜は一切将軍の天幕に近づくことなく、同時に今回もまた見事な戦いぶりだったのだから、いっそ清冽と言っていい男である。


(できれば次回もこの方の警護をさせてもらいたいものだが、・・・無理だろうな)


 ケリスエ将軍は直属の部隊を置かない。あくまでその時その時、同行させた部隊長を傍に置くスタイルを貫いている。例外はカロン・ケイスのみだが、それは勝手に彼がついて行っているだけだとも聞く。

 

(この方は(よど)みを作らないように心がけていらっしゃるのだろう。特定の人間や部隊を贔屓することなく、公平であるようにと)


 あれだけのクセのある部隊長達がどうしてケリスエ将軍に黙って付き従えるのか、それが理解できた気がする。将軍は己への媚びを要求せず、ただ部隊長としての成果のみを要求するからだ。そして公平な視野で評価する。だから部隊長達も全力を出して動ける。


(それには、自分達よりも年若い女性だからこそ守りたいという気持ちも入っているだろうが)


 たとえその部隊長達より強くても、ケリスエ将軍はほとんどの部隊長にとって娘のような年だ。本気で張り合う気になれるわけでもないといったこともあるだろう。


「まあ、いい。どうせヤンス小隊長も第二部隊長の味方なのだろうからな」

「いや、そんな、ハハハ。・・・まあ、やはり上司と長い物には巻かれるものでございますから」

「どいつもこいつも、その上司の上司に対してどうしてそう来るのか」


 そうぼやきながらも、そんなケリスエ将軍の気配が少し変わったような気がして、ヤンス小隊長は視線を合わせた。かすかにケリスエ将軍が目で頷く。

 待ち人が来たらしかった。


「さて、そろそろ名前でも訊いておこうか、近衛騎士団の騎士殿?」


 それまでの雑談を切り上げ、下を向いていたシースにケリスエ将軍が尋ねる。シースは顔を上げた。


「シース・ロイエールでございます」

「なるほど。では、シース。今の状況が分かっているか?」

「はい。・・・どうぞ、お斬り捨てください」


 シースは既に覚悟を決めている様子だった。


「その罪状を理解しているか?」

「は」

「言ってみろ」

「・・・・・・」


 だが、シースはそこで何も答えなかった。


「理解しているかどうか知らんが、お前は私への暗殺を行おうとしたことになっている」

「は」

「そうなるとだな、これでも私はローム国騎士団を預かる将軍でな、お前一人の命では済まん。追ってセイランド殿の首も出してもらうことになるだろう」

「お待ちくださいっ、セイランド様は関係ありませんっ」

「それでは済まない大罪だと言っているのだが?」


 シースが蒼白になる。


「私はっ、私は将軍を殺そうとなど・・・」

「言い逃れは見苦しいものだ。既にシース・ロイエール、お前が私を殺そうとしてその剣を弾き返されたことはその場にいた全員が確認している。ローム帰還後、フィゼッチ将軍からも私への詫びは入るだろうが、その場に居合わせたセイランド殿以下、全員が責任を問われる事態となるだろう。セイランド殿一人の首で済めばまだ良い方だと、私は言っている。おそらく、お前の家もまた取り潰されるだけでは済まない筈だ」

「ですが・・・、ですが私は将軍を狙ってなどっ。・・・少なくともセイランド様に罪は全くございませんっ。家族にもっ、家族も全く非はございませんっ」

「その言い分は通らん。だが、違うというのであればきちんと申し開きをしてみるのだな。大体、剣を抜いて斬りかかっておきながら、殺すつもりはなかった、では済まんことぐらい分かりそうなものだが?」


 シースはぶるぶると震えていた。こんなことになるとは思わなかったのだ。まさか・・・。


「私が、・・・私が殺そうとしたのはセイランド様でございます。あの方は被害者です。どうか、どうかセイランド様にはお咎めなきようお願い申し上げますっ」


 がばっと頭を下げて懇願するシースを、ケリスエ将軍は黙って見ていた。

ヤンス小隊長が、そこでシースに言葉を掛けた。


「シース・ロイエールとやら。家族に累が及ぶとなったら、いきなりお前が殺そうとしたのはセイランド殿という言い逃れをするのか。もしもそれが本当だと言うのであれば、きちんと順序立てて説明するのだな。・・・勿論、ただの作り話で誤魔化す気であれば、我がローム国騎士団としては遠慮なく、クソ生意気な近衛騎士団の若造共と一緒にお前の家族の首も差し出してもらうだけだ。・・・分かっているかと思うが、我らにしても我が騎士団の将軍に対する近衛騎士団の礼儀知らずな言動にはかなりムカついている。ここできっちり目にもの見せておきたいのでな」


 シースが顔を上げる。その顔は涙で濡れていた。

 シースも、ケリスエ将軍がいきなり近衛騎士団に天幕を移した上でセイランドにくっついているとあって、下世話な噂が立っているのは承知していた。


(・・・やはり不愉快に思われていたのか)


同時にセイランドの傍にいたシースは、その噂が根も葉もないことをも知っていた。


「もしも、もしも最初からお話しいたしましたら、私一人の首で収めてくださいますかっ」

「その話次第だ。どちらにしても、シースとやら。お前がもしも慈悲を願うとしたなら、ケリスエ将軍以外に求められよう筈もない。この若さで一つの軍を任されている将軍に危害を及ぼそうとした以上、王や大将軍とて知れば何もしない筈がなかろう。ましてやケリスエ将軍の配偶者が誰かも忘れているのでは話にならん。お前の関係者全てが狼によって皆殺しになるだけで済めばいいがな」


 ケリスエ将軍の夫となったカロン・ケイスはどこまでも将軍に忠実な男として知られており、暴れ狼の異名をも持つ。


「王も大将軍もあの狼も、全てにおいてそれを止められるのは、ケリスエ将軍ただ一人だ。同時に、お前の家族や同輩、そして上司全てを狼が皆殺しにしても、王はそれを許すだろう。二度とふざけた真似をさせない為にも」


 ケイス第六部隊長もケリスエ将軍が絡まなければ温和だとは聞くが、・・・こうなるとどういう行動に出るかなど、シースには分かる筈もなかった。

 ましてや王や大将軍など、雲の上の人すぎて全く想像がつかない。


「私は・・・、私はセイランド様を殺すよう命じられておりました」


 シースは諦めたように話し始めた。どちらにしても全てを話すしかない。せめてそれでどうにか、家族と近衛騎士団に累が及ばぬようにするしかないのだ。

 先程の会話を聞いていたことにより、何となくケリスエ将軍はそこまで話が分からない人ではないと、シースは感じていた。


「私の両親は、今回の戦となった北の国で知り合ったと聞いております。父が北の国に出向いた際、母と出会い、そして私が産まれたのだと。・・・ですが、父は望郷(ぼうきょう)の念()みがたく、しかし故郷を離れたくないという母と別れ、幼い私を連れてロームへと戻ったそうでございます」

「生まれ育った故郷を離れたがらぬ人間は多い。それは仕方なかっただろう」


 ぽつりぽつりと話すシースに、ケリスエ将軍が相槌を打つ。


「ロームで父は今の母と再婚し、妹も産まれました。家族四人、私は幸せに暮らしておりました。昨年には騎士にもなることが出来、薄情かもしれませんが、生みの母のことなど忘れておりました。時には思い返すこともありましたが、遠く離れて暮らす以上、二度と会うことはないのだと、そういうものなのだと思っていたのでございます」

「別れた時には幼かったのだろう? 薄情でも何でもない」


 ケリスエ将軍はシースの心情に寄り添ってくれる言葉を掛けてくる。話を急かしもしなかった。シースはこの人ならば分かってくれるだろうと、思い始めていた。


「ですがある時、見知らぬ若者が現れ、私に手紙を渡してきました。それは生みの母からの手紙でした。内容はこんな感じだったかと思います。

『愛しいジェミヤン。私のただ一人の息子よ。私は遠い国からあなたのことを思っている。どうか北の国に帰ってきておくれ』

私は当惑しました。なぜなら、私の名はシースです。きっと人違いだろうと思いました。ですが父に『ジェミヤン』という名前に聞き覚えはないかと尋ねたら、父は

『それはお前の名だ。お前の母の国で名付けた、あちらでの名前だ。・・・お前はまだ小さかったのに、よく覚えていたな』

と、そう申したのでございます」

「なるほど。つまりお前の両親しか知らぬ名前だったと」

「はい。私は母が私を思っていてくれたことを嬉しく思いました。同時に、ロームでこそ騎士になれた自分ですが、北の国に行ったところで身をたてることができまいとも思いました。私は母に手紙を書き、その若者に預けたのでございます」

「どんな内容の手紙にしたのだ?」

「よく覚えていませんが、こんな内容だったかと思います。

『懐かしい母上へ。お手紙を見て私のことを忘れていなかったことを嬉しく思いました。ですが私もこの国で騎士となり、やっと一人前になりました。北の国に出向くことはできませんが、母上一人であれば引き取ることもできます。どうかロームまで私を訪ねてきてくださいませんか。お待ちしております』

 そんな内容だったかと」

「なるほど。母御が生活に困っているようならば引き取ろうと思ったのだな」

「はい。騎士になった以上、家を出て暮らすことが可能でした。生みの母が、今の母や妹に変な気兼ねをしないですむようにと、私は小さな家を借りました。両親は、私が結婚したいが為に小さな家を借りたのだと思ったようでしたが、私はあえて訂正しませんでした」


 ケリスエ将軍の言葉にシースは頷くと、そういった説明を加えた。


「しばらくするとその若者が再び現れ、母の手紙を渡してきました。

『愛しいジェミヤン。あなたの気持ちがとても嬉しい。きっとロームに訪ねていく。それまでこの若者はあなたの従者として傍に置いてやっておくれ。お前の乳兄弟なのだから』

 乳兄弟と言われても覚えていませんでしたし、そんな立派なものがいる身の上なのかどうかも分かりませんでしたが、父には生みの母のことは訊けませんでした。なぜなら今の母が気にするからです。小さな家を借りてしまったこともあり、私はその若者を従者として住まわせることにしました。給金はいらないと言われていましたし、それなら母が来るまで一緒に待とうと思ったのです」


 ヤンス小隊長は、シースを真面目な若者なのだなと思った。そこで一人で抱え込まずに家族に相談していれば、また違った結果になっただろう。


「その従者になった若者は、アイヴァンと名乗りました。アイヴァンはどういう伝手(つて)があったのか、その後も母の手紙を渡してきました。私の手紙も誰かに頼んでいるのか、その返事もまたアイヴァンから渡されておりました。母は体調を崩していたようですが、私が手紙と共に託した薬を飲んで快調に向かっているとも伝えてきておりました。私は、母に再会する日をただ楽しみにしておりました。アイヴァンが話す、母のあれこれを聞きながら」

「なかなか出来ることではあるまい。覚えてもおらぬ母をそこまで大事にするというのは」


 ケリスエ将軍がそう感想を述べてくる。泣き笑いのような表情になり、シースは続けた。


「体調を崩した母は、とある貴族の方に保護されていたようです。やがて、その貴族の方にどれ程の面倒をみてもらっているのか、そして世話になっているかを綴られた手紙が届くようになりました。その貴族の方は、遠く離れて暮らす私のことをも案じてくださり、母がどんなに私のことを思っているのか、そしてどんなに会いたがっているかを、母の手紙と共に書いて添えてくるばかりか、北の国ならではの小物なども一緒に持たせて送ってきてくださるようになりました」

「それはまた、酔狂な貴族もいたものだな。・・・そう言うべきか?」


 ケリスエ将軍がそう呟く。きっとこの人は分かっているのだろう。シースはそう感じた。


「問われるままに、私は日々の生活を書き綴りました。今後頑張って出世したいこと、なるべく早く母を迎え入れたいこと、母の体が回復次第、ロームに来てほしいことなどを。ですが、何度か手紙をやり取りする内、いきなりその貴族の様子が一変しました」

「・・・・・・脅されたか」

「はい。母の命が惜しければ、こちらの軍の内情を事細かく知らせるようにと。母は現在地下牢に閉じ込めており、このままだと死ぬばかりだと。役立つ情報がある度に、食べ物や衣類、そういった環境を一つずつ改善してやろうと。・・・母からは、助けを求める手紙ばかりが届きました」


 シースは拳を握りしめた。


「乳兄弟というアイヴァンは、私の様子を監視する人間へと変わりました。『乳兄弟と言いましても、今の私の主はそのお貴族様ですので』と、従者でありながら私に命令する立場へと変化したのでございます。人前では従者として振る舞い、様々な場所へついてくる上、二人きりになるとアイヴァンは私にあれこれと指示するようになりました。そして私はそれに逆らえませんでした」

「・・・一番身近な従者に監視されていたのではな。誰にも相談すら出来まい」


 ケリスエ将軍は、シースの置かれていた状況をかなり理解している様子だった。


「私の立場はアイヴァンによりあちらにも知らされておりました。セイランド様の情報や軍の情報、それらを細かく報告するよう求められ、そして最後に母を解放する手段として、一つの命令が下されました」

「その最後の命令とは?」

「・・・セイランド様を殺すことです」


 シースは諦めたように告白した。それはケリスエ将軍にもヤンス小隊長にも予想できていた答えだった。


「セイランド様を殺せば、母を地下牢から解放してやると。・・・元々お前は北の国の人間であり、ロームにいたことが間違いなのだと。本来、あるべき祖国に忠誠を示せと。そのセイランド様殺害の一点でもって、今までの祖国への裏切りを許してやる、と」


 言い切ったシースの瞳から涙が落ちた。


「私には・・・、私にはその言い分が分かりませんでした。たしかに私の体には母の血が流れています。ですが私が育ったのはロームです。私の忠誠はロームにあるものだと思っていました。なのに、北の国が私の祖国であり、私の忠誠は北の国にこそあるべきなのだと、・・・それを突きつけられる自分の体がどんなに呪わしかったことか。母の存在すら恨みました」

「・・・シース。お前、私の歌を食い入るように見ていたな、あの夜」


 シースの脳裏に、ケリスエ将軍が歌った北の大地を思う歌が蘇る。


「私は、・・・私は知らないのです。氷に閉ざされた大地も、短い春も。厳しく冷たい大気も、長い冬も。そんな故郷なんて知らないっ。私がっ、私が忠誠を誓った相手は・・・っ」

「あえて訊こう。お前が忠誠を誓う相手は誰だ?」

「セイランド様です。あの人以外に、ついていきたい人なんていなかった。あの人の下で働けることがどんなに嬉しかったことか・・・っ。だから、・・・だから母を恨みました。そのまま地下牢で死んでいてくれればと。さっさと死んでくれればいいのにとすらっ。そうすれば自分はっ、自分は・・・っ」

「だが、お前の従者がそれを許さなかった。・・・そうだな?」

「はい。アイヴァンは毎日、私を殴りました。今日も殺せないとはどういうことだと。このまま母を見殺しにする気なのかと。だからセイランド様を軽く斬りつけ、私を殺してもらおうと決意したのです。少なくとも斬りつけたことで母も解放されるだろうと、そして私も・・・、私も、殺されてしまえばもう・・・」


 従者だと思っていた、自分よりも年下の若者に偉そうに指示され、命令に従って動く屈辱の日々。二人きりになれば、シースこそが彼の奴隷と化した。それでも母の為と思えば逆らうことなど出来なかった。


「ところでシース。私は全てを話せと言った筈だが?」

「は? あ、あの、それが全てですが・・・」

「その北の国に送った報告とやら。かなりいいかげんなものであった理由が抜けている」

「・・・・・・なぜ、それを」

「全てを話せと言った筈だ。続けろ」


 ケリスエ将軍の黒い瞳がシースを射抜く。シースはそのまま話を続けた。


「その貴族が欲しがったのは、ローム軍の実力とそれを指揮する人間の情報でした。従者であるアイヴァンが傍にいる以上、戦いに赴く人選に関して嘘は書けません。ですが、ある程度、アイヴァンでも分からない内情だけならばと、私は出来る限りそういうことは事実と違うことを報告するよう心掛けました」

「・・・ここは不敬を許してやる。その内容を言え」


 どこか不貞腐(ふてくさ)れたような声でケリスエ将軍が促してくる。


「はっ。・・・あの、セイランド様はフィゼッチ将軍に取り入ることで出世した人間であり、軍師として有能とされてはいるが、実はフィゼッチ将軍が傍にいないと何も出来ない人である、と。また、王都騎士団のロメス様は、単なる殺人狂であり、軍を率いる才能はその部下がそれを隠す為に作り上げた虚構であると」

「別に構わん。私のことも続けて良い。不敬は許すと言った筈だ」

「・・・あの、本当に申し訳ないことながら、将軍はお飾り的な方であり、その副官でありローム国騎士団を率いるカロン様は、その女性に引き立てられただけの存在であると。・・・どなたも武勲が有名なのは、そんな実情を覆い隠す為の、ただの誇張であると」


 フンとケリスエ将軍が鼻を鳴らした。


(バレている・・・。なぜかバレている。本当はもっとひどいことを書いたのを)


 シースは下を向いた。だが、それ以上の内容はケリスエ将軍も追及しなかった。


「で、そういったことを書いた理由は?」

「・・・北の国に敗北してもらわねばなりませんでした。私はもうあの国から逃れられません。ですがロームだけは、ロームだけはあの国から守らねばなりませんでした。せめて油断させ、侮らせることで北の国に大敗してもらわねばと、そう思ったのです」

「再度、問おう。お前が故郷と思い、忠誠を誓う国はどこだ?」

「ロームです。・・・それ以外の故郷など知りません。知りたくも、・・・ありませんでした」

 

 (こら)えきれない嗚咽が天幕に響いた。シースの頭にぽんと手巾を放り投げると、ケリスエ将軍は「それで拭け」とだけ言った。


「やれやれ。さて、ヤンス小隊長。どうやら、ここにいるのは、ローム国及びセイランド殿に忠誠を誓い、北の国にデタラメな情報を流してあちらを混乱させた、愛国心溢れる騎士のようだ。ただ、マヌケなことに、そのセイランド殿に水を運んだ時に蹴躓(けつまず)いて、カップを落っことした際に手が滑って剣を抜いてしまったようだがな」


 ヤンス小隊長は、ふむふむと頷いて言った。


「所詮、近衛騎士団の騎士のレベルなどそんなものでございましょう。剣もろくに扱えぬとは恥ずかしいことでございますが、そうとあればこちらも何も言うことはございません。セイランド殿の間抜けな騎士は、セイランド殿にお返しいたしましょう」


 ちなみに野営用の天幕など革と布で出来たものだ。

 それらの会話は、声量を気にしていなかったこともあり、ケリスエ将軍の天幕外にも筒抜けだった。勿論、天幕のすぐ外にいる護衛のヤンス小隊員達にも。彼らも初めて聞いたのだろう、小さく「だから将軍は・・・」「道理で・・」「ああ」と、囁き合っている。

 そして、カロンを始めとした訪問者達にも。


(・・・だから言ったでしょう、セイランド様。変な肩肘を張るからこういうことになるんですよ。ホント、情けない)

(今更言っても仕方ないだろう、テイト。こっちだって分かってれば、もっと皆にも礼儀正しく・・・)

(それを命令されないと分からない時点で、うちの騎士団、負けてると思いますがね)

(・・・・・・)

(同じく何も聞かされていなかったこの小隊に比べてどうですよ、うち)

(・・・・・・)


 どうやら近衛騎士団に対してヤンス小隊長はかなり思うことがあったらしいと、天幕の外で聞いていたセイランド達は気まずい思いで顔を見交わした。

 ケリスエ将軍の前では何も言わなかったが、聞こえない所では、ローム国騎士団のトップが近衛騎士団へと天幕を移してまで入り浸っていることに、嘲るようなことを言っていた人間がかなりいたのはセイランド達も知っていた。・・・ヤンス小隊も知っていたことだろう。


(分かってて言ってる、分かってて言ってる皮肉だよな・・・。そりゃ、ケリスエ将軍に対して近衛騎士団の連中が礼儀正しかったとはとても言えんし、将軍を守っていた小隊長がひそかに怒っていたのも無理はないが・・・、無理はないんだがっ)


 セイランドとしては顔から火が出る思いである。

 だが、こうなると自分達が立ち聞きしているのも、ケリスエ将軍は承知の上だったのだろう。道理でカロンがそのまま立ち聞きするよう合図した筈である。

 既にシースの従者であるアイヴァンは、話の途中で捕らえに行かせていた。

 セイランド達は覚悟を決めて、「失礼いたします」と、ケリスエ将軍の天幕へと入る。

 それを認めて、シースが目を見開いた。


「セイランド様・・・」

「シース。この馬鹿者がっ」


 セイランドはシースを一発殴り倒した。思いっきり転がったシースに、ヤンス小隊長が眉を顰めて「外でやってほしいものですな」と呟く。

 セイランドとその部下達はケリスエ将軍の前に膝をついた。


「この度は本当にご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。また、近衛騎士団の非礼をもお許しくださるよう伏してお願い申し上げます」

「何のことだ? 別に何も起きていないだろう? ・・・言った筈だ。近衛騎士団の責を問う気はない、と。実際、私には何もされていないしな」

「・・・・・・・・・」


 考えてみれば、シースが斬りかかった際、見ている者はいなかった。ケリスエ将軍に斬りかかったというのも、将軍がそう言ったからそうなのだと信じただけだ。

 しかし剣を弾いた将軍が気づいていなかった筈がない。シースの剣が将軍を狙っていなかったことなど。

 ふと、自分の護衛をしてくれるつもりかと、セイランドが尋ねた時に、ケリスエ将軍が答えた言葉を思い出す。


―――いや。結果としてそういうこともあるかもしれないが、そうではない。


 そしてカロンの言葉も思い出す。


―――あの人は言葉が足りないんだ。


 今、ここで「あなたが自分に斬りかかったとおっしゃったじゃないですか」と言おうものならば、どういうことになるか。せっかく将軍がセイランドの一存で済ませられるようにしてくれたのが全ておじゃんになる。おそらく、将軍はシースの状況を聞き出した上で、セイランドに全てを任せてくれる為にこの状況へと持って行ったのだろうから。

 そして、セイランドに斬りかかろうとしたということであの時に処理していれば、ここまでのことをシースからは聞き出せなかっただろう。


―――あのね、セイランド様。女の人には素直にね。それが一番なのよ。


 セイランドは深呼吸した。落ち着いて考える。アイヴァンとやらがシースと共にいても手紙のやり取りが出来ていたということは、更に協力者がいる筈だ。・・・口を割らさなくては。

 そしてシースもこのまま引き取れば、アイヴァン以外の脅迫的な接触が再びあるだろう。今はどこかに・・・。

 そこで、ふと、ケリスエ将軍がローム国騎士団に流すようカロンに指示していた噂の内容を思い出す。

 セイランドはぷるぷると震えずにはいられなかった。


(最初から見越していたのだ、この将軍は。全てを最初から最後まで計算して・・・・・・)


 顔を上げると、気の毒そうな顔をしているカロンと、肩を竦めているヤンス小隊長、そしてカロンに「のどが渇いた。水が欲しい」とか言っているケリスエ将軍の姿があった。

 それでも素直になるしかないのだ。


「ケリスエ将軍」

「何か、セイランド殿?」

「しばらくシースをお預かり願えませんでしょうか。これから我らは北の国が送り込んだ者達を割り出します。ほとぼりが冷めるまで、シースは生死不明ということにでもしておきたいと考えております」

「構わない。ヤンス小隊長」

「はっ」

「しばらくシースの名を変えて預かってやってほしい。あまり生真面目(きまじめ)すぎると生きづらいだけだとよく教え込んでやれ」

「はい。承知いたしました」


 カロンから水を受け取って一口飲むと、ケリスエ将軍はシースを見遣った。


「シース」

「はい」

「お前の母はグリッピーナという名か?」

「はい。・・・どうしてそれを」

「お前の母御は既にお亡くなりになっている。・・・お前は騙されていたんだ。大体、両親以外にもお前の名を知っていた者は北の国にいたに決まっているだろう。近所の者でも、親戚の者でも」


 シースが愕然とする。あまりのことに何も言えない様子だった。

 セイランドに殴られた頬が赤くなっていた。


「だがシース。そこで死を選ぶな。お前がすべきは、そんな卑怯なことをした北の国を恨みながら死ぬことじゃない。お前が死んでも北の国は痛くも痒くもないことを忘れるな。既に亡くなられた生みの母御ではなく、お前をそんなにもまっすぐ育ててくれた今の母御をこそ大事にしてやれ」

「・・・・・・」

「妹御は可愛いか?」

「はい。・・・とても」


 下を向くシースの脳裏に浮かんだのは誰の顔だったのか。顔も覚えていない母か、それとも・・・。

 口調を優しく変えて尋ねてくるケリスエ将軍の質問に対し、答える声は震えていた。


「妹御とて何かあれば頼れる兄はお前しかおらん。・・・違うか?」

「・・・いいえ、いいえ」


 シースは下を向いたまま、首を振った。顔を上げられる筈がなかった。八方塞がりだった自分を、ただこの人だけが救ってくれたのだと、今はもう理解していた。


「結局、お前がしたことはデタラメな情報を北の国に流してあちらを混乱させただけだ。誰も斬りつけていないし、今回はロームにとって役立つことしかしていない。・・・分かったら次回はきちんと上司に相談しろ」

「・・・はい」


 ぽたぽたと落ちる自らの涙が、シースの心を解放していった。

 そこでセイランドが口を開く。さすがにもう訊かずにはいられなかった。


「どうしてそれをご存じなのです、ケリスエ将軍。あなたこそ、なぜそれを・・・」

「決まっている。その北の国の人間から聞き出したからだ」


 ケリスエ将軍は小さく欠伸をした。


「どうして私が北の国の歌を歌えたのか考えろ。さ、話は終わった。私も休む。シースはヤンス小隊長に従え。うちに迷惑をかけた分は、ちゃんとお前の働きでもって返せよ。私はお前の為にヤンス小隊長達とここまで出向いてやったんだからな。セイランド殿も明日も忙しいだろう、そろそろお休みになった方がいい。既にご理解されたかと思うが、私への暗殺未遂というのは誤解だった以上、今後、蒸し返すことを禁じる」


 さくっとヤンス小隊長が、「女性の天幕に長居なさらないでください」と、セイランド達を天幕から追い出した。

一番長居していたのはヤンス小隊長なのだが、それを言える雰囲気はなかった。

 二人きりになったカロンは、ケリスエ将軍の為に寝る用意をととのえていく。


「カロン。今夜はここで泊まっていけ」

「はあ。あなたがいいのであれば・・・」

「いい。今夜は一人でいたくないんだ」


 そう言ってケリスエ将軍が、カロンに腕を巻きつけて寄り添ってくる。どうやら精神的に疲れているようだとカロンは思い、その体を軽く抱きしめた。

 それでもこの、話し声すら外に丸聞こえの天幕では何も出来ない。

どんな拷問だろうかと、そう思いながら。






 男としてなかなか辛い状況らしいが、カロンが自分を案じてくる感情が心地よくて、ケリスエ将軍は静かに目を閉じていた。

 様々な感情が自分の中で荒れ狂っている中、一番近くに自分を想っている心があるのは何よりも安心できる。


「なあ、カロン」

「はい」


 あくまで小さな声にしておいたのだが、カロンはまだ起きていたらしい。やはりケリスエ将軍にしか聞き取れない小さな声で返事があった。


「母の愛、子の愛とは何だろうな」

「どちらもただ相手を想うものだと思いますが・・・」

「本当はシースの母は生きている。グリッピーナは、自分の為に息子の存在を売り渡したんだ。そしてアイヴァンはシースの異父弟にあたる。厳しい北の国で暮らす自分達に比べ、騎士としてロームで生きる異父兄を恨み憎んでいたアイヴァンは、乳兄弟ということにして、恵まれて育った自分の兄を好きに動かすのを楽しんでいたんだ」

「・・・それは」


 カロンは息を呑んだ。


「セイランド殿もアイヴァンからいずれそのことを聞き出すだろう。セイランド殿もシースには言わない筈だ。・・・これ以上、あいつが苦しむ必要はない」

「はい」

「記憶にない母の為に尽くす息子もいれば、産んだ息子を利用するだけの母もいる。そしてその兄を死地に追いやる弟も」

「・・・それでもあなたが、その苦しみを代わりに背負う必要はないんです」


 全てを丸く収めておきながら、どうしてケリスエ将軍が浮かぬ顔をしていたのか、カロンは理解した。


「勝ち誇ったように、自分達には利用できる手駒がいるのだと言っていたあいつらを思い出すと、反吐(へど)が出そうになる。母親に売られた馬鹿な息子だと、あいつらは言っていた。・・・きっとグリッピーナも好きで息子を売ったのではないと思いたくもあったんだ。だがシースから聞くアイヴァンの行動に、私は家族であっても憎めるのだと、そう思わずにはいられなかった」

「・・・あなたが苦しむ必要はない。あなたがいたから、セイランド殿は無事だった。そしてシースも救われたんです」


 カロンの腕の中で、ケリスエ将軍が身動(みじろ)ぎする。


「どこまでも人は醜い。だから嫌いだ。・・・それでも、お前の心だけは安心できる」

「こんな所、来させるんじゃなかった」


 ふっとケリスエ将軍が笑う。


「今だけでいい。ただ、私の傍にいてくれ。・・・お前の感情は安心できる。少なくとも、あの人を人とも思わない、腐った感情をこれ以上思い出したくない」

「はあ。・・・かなり今の俺は煩悩まみれですけど」

「いいんだ、お前のものなら」


 なかなかに辛い状況だったが、ケリスエ将軍を想うことなら誰よりも優れている自信はある。特に最近は将軍も感情表現が豊かになってきており、カロンの心には様々な将軍の姿がありまくりだ。

 本当に、水晶の中にその姿を閉じ込めて持ち歩けるのであればどんなに安心できたことだろう。

 以前は感情をかなり抑制していた将軍だが、カロンの気持ちに応える為にそういったことをある程度抑えなくなってから、更に魅力も増してきていると思う。

 せめてこの優しい人の心に穏やかな気持ちが溢れるようにと、カロンは願った。

 気づけば、カリスエ将軍は静かな寝息を立てていた。


(北の国に利用される、その哀れな騎士に同情し、救ってやりたいと思ったから・・・。だから・・・)


 カロンは目を閉じた。

 貴族の子弟から聞き出した情報の中に、おそらくシースの存在があったのだろう。グリッピーナの名前だけではシースの特定までは出来ず、近衛騎士団に移り、セイランドと共に行動することで、シースが行動するのを待っていたのか。


(あなたはあまりに優しすぎる・・・)


 この人がこんな思いをするぐらいならシース一人ぐらい見殺しにしても構わなかったのにと思いながら、カロンはその目頭の涙を拭った。

 人の気配も何もかもを感じ過ぎるこの人が、近衛騎士団の中にいるのはどんなにきつかったことだろう。近衛騎士団はプライドが高い。いくらローム国騎士団の将軍といえども、好意的な感情などあまり無かっただろう。

 しかも今は、きっとシースを騙したことに苦しんでいるのだ。真実よりもその嘘こそがシースの心を救うと思い、あえて嘘をついたにもかかわらず、そのことにこの人は心を痛める。

 

(明日は連れて帰ろう、ローム国騎士団に。血は繋がらなくても、家族のような人達がこの人を包み込むあの場所へ)


 早く夜が明ければいい。

カロンはただそう祈った。


【ロイスナーのリルドレッド】


 リルドレッド・ロイスナー。

 彼は、黒い巻き毛に紺色の瞳を持つ、ロイスナーの次期当主である。


「リルドレッドのそれはカレン譲りよね。黒い巻き毛が艶めいて、本当に綺麗なんだもの」

「エイリ伯母上。俺は男です。短い髪で巻いてても、単なる癖毛(くせげ)にしかなりませんよ」


 カンロ城を訪れているリルドレッドは、次期女伯爵であるエイリと仲良くお茶を楽しんでいた。エイリは、リルドレッドの母であるカレン・ロイスナーの従姉にあたるのだが、二人の仲は姉妹のようなものだ。

 子供の頃のなし崩しにより、リルドレッド兄弟は、カンロ伯爵を「おじい様」、エイリを「伯母上」と呼ぶようになっていた。

 三人兄弟のなかで、リルドレッドは一番よくカンロ城に顔を出している。

 リルドレッドは両親のどちらにも似通った風貌だったが、そこそこ整った顔立ちの細身な若者だという印象があった。


「お母様。リル兄様が来てるって聞いたの」

「あらあら、ルイーザったら地獄耳ね」

「姫、大きくなったね。もう立派なレイディじゃないか」


 そこへエイリの娘であるルイーザが、扉からひょいと顔を出した。

 リルドレッドの姿を見て嬉しそうな顔になるルイーザは、金髪に水色の瞳をした母親似の美少女だ。リルドレッドの末弟であるレイルと同い年である。


「リル兄様。トレスト兄様とレイルは来てないの? たまには遊びたいのに」

「ああ、ごめんね。今日はお仕事だから俺一人なんだ。今度は連れてくるよ」


 リルドレッドの座っている場所に駆け寄ってくると、ぽんっとその膝に乗ってくるルイーザは、弟達とは違った意味で、リルドレッドにとっては可愛い存在だ。ぷぅっと膨れる頬をツンツンと指でつつきたくなる程度に。


(さすがにここまで大きくなって、殿方の膝に乗るっていうのは叱らないといけないのだけど・・・)


 まだ口をつけていなかった為、自分のお茶をルイーザに飲ませているリルドレッドは本当に面倒見のいい兄だ。きっとルイーザの実年齢から十は差っ引いた幼女の頃から、リルドレッドの中でルイーザは成長していないのだろう。

 ルイーザは他の女性にはさせないことも自分にはリルドレッドは許してくれると思って甘え放題だが、リルドレッドのそれは子ども扱いでしかない。エイリとしては複雑な気分だ。


「ところで、義伯父上(おじうえ)はどうしたんだい、ルイーザ姫?」


 するとルイーザは、リルドレッドの耳元に口を当ててこっそりと小さな声で答えてきた。


「お父様なら、今日はね、お母様の為に膝掛けを買いに行ったの。だけどお母様にこっそり贈りたいから内緒なのよ? 私もついて行くって言ったのに、二人ともいなくなるとお母様にバレちゃうからお留守番なの」


 耳のすぐ近くで話されるとこそばゆい。しかも、エイリもその様子から自分には内緒なのだなと察して、あえて知らんぷりだ。


「そうなんだ。じゃあ、姫は代わりに俺に付き合ってくれる? 俺は数日、こちらに滞在させてもらうからね」

「いいわよ」

「リルドレッド。はい、あなたの分ね」

「ありがとうございます。伯母上」


 娘に自分の分を譲ってくれたリルドレッドに、エイリは新しくお茶を淹れ直す。

 まだ少女とはいえ、ルイーザはいずれカンロの女伯爵となる身だ。従兄のような存在とはいえ、青年のリルドレッドと仲が良いのはあまり望ましくないのだろうが、その末弟であるレイルは同い年というのもあり、婿がねの一人ともみなされていた。

 リルドレッドもそれを知っている。そしてどんなに仲良くても、リルドレッドは決してルイーザに不埒な真似はしない人間だ。


「イレニア姫も誘おうか。二人ともそれなら目立たずに出かけられるだろう?」


 イレニアは、エイリの妹であるロレアの娘だ。ルイーザとは従妹にあたる。ルイーザとイレニアも、従姉妹同士ながら姉妹のように仲が良い。


「本当っ? わーいっ」


 このカンロ領で、エイリもロレアも娘しかいないのはよく知られているし、二人とも美女で有名だ。それこそルイーザもイレニアも、使用人とお出かけしようものならば、その育ちの良さなども見てとれるわけで、すぐに誰かが分かってしまう。

 だがリルドレッドと一緒だとどう見ても仲の良い兄妹なわけで、領主直系の姫君を妹扱いできる男がカンロ領にいる筈がないと思われている。従ってバレにくくなるのだ。


(本当にリルドレッドはカレンの息子よね)


 常にエイリを支えてくれていたカレン。その息子であるリルドレッドも、同じように娘達を守ろうとしてくれている。エイリにとって、それこそ息子のような頼りになる存在だった。

トレストとレイルも頼りにならないわけではないが、やはり信頼して全てを任せられるのはリルドレッドなのだ。






 エイリの娘であるルイーザは金髪に水色の瞳、ロレアの娘であるイレニアは銀髪に緑の瞳をしている。どちらも母親に似て将来が楽しみな美少女だ。


「リル兄様、みんなお揃いね」と、ルイーザ。

「トレスト兄様とレイル兄様もいたら、みんなお揃いね」と、イレニア。

「そうだな。二人とも似合ってるよ」と、リルドレッド。




 近くの屋敷に住んでいるロレア一家を訪ね、「折角だから明日はルイーザ姫と一緒に出掛けようと思うのですが、イレニア姫も一緒にどうでしょうか」と、リルドレッドが誘った所、そのままイレニアはカンロ城のルイーザの部屋でお泊まりとなったのだ。

 その晩は二人ともはしゃいで遊んでいたらしいが、夜中にリルドレッドの部屋を急襲してくれたのだけは閉口した。両脇に二人をそれぞれ担いで、カンロ伯爵に、孫娘へしっかりと男に対する警戒心を身につけさせろと直談判した程度には。

尚、細身には見えるが、リルドレッドは少女二人を担ぐ程度なら問題なく出来る。


「そうは言うが、リルドレッド。なら、お前が教えてやればいいだろう」

「俺に何をしろと言うんですかっ。俺だから良かったものの、これが他の男だったらどうなったと思ってるんですっ。ちゃんとおじい様も可愛い孫娘達の貞操を考えていただきたいっ」

「あー。まあ、ルイーザもイレニアも、男の部屋には行っちゃいかんぞ。行く時は、安全なリルドレッドの部屋にしておきなさい」

「はーい」「はーい」

「おじい様っ!!」




 反省のない二人は朝から髪を黒く染めて、お揃いの町娘の格好をしている。どちらも淡い色の髪をした一家なので、黒髪が楽しいのだ。

 しかし、どうしてこう、誰も彼もが自分に面倒を押しつけてくるのだろうと、朝からたそがれてしまうリルドレッドだった。あの伯爵も孫娘の価値を分かっていなさすぎる。男の危険性を自分にどうやって教えろというのか。・・・ふざけんな、である。


「仕度ができたなら、行くぞ。ルー、ニーア。二人ともちゃんと手を繋いで。俺からはぐれるなよ」

「はーい」「はーい」


 お返事だけは立派だ。あてにはならないが。

 それでもロイスナーから連れてきた従者も、カンロ伯爵家の護衛も、ちゃんと離れた場所から見守ってくれる手筈なので大丈夫だろう。

 三人は目立たぬように裏口から街へと出て行った。




「リルー、足が疲れたー」と、ルイーザ。

「リルー、あれ、食べたい」と、イレニア。


 イレニアが指さしたのは焼き栗だった。


「しょうがないな。どこかいい場所を見つけて食べるか」


 イレニアはまだ足は疲れていないというのでお金を渡してイレニアに栗を買わせる。

「お嬢ちゃん達、可愛いね。ほら、おまけだ」

と、店主も愛想がいい。

「ありがとう、おじちゃん」と、イレニア。

「美味しそうね、おじちゃん」と、ルイーザ。

 お釣りと栗の入った袋を受け取ると、リルドレッドはルイーザを抱き上げて、

「ほら、ルー。ちゃんと持ってろよ」

と、その手に焼き栗を持たせる。ついでに隣の屋台で飲み物を買い、イレニアの手を引いて、リルドレッドは人々が憩う広場へ向かった。柔らかい草が生えているそこに、自分のマントを敷いて二人を座らせる。


(あつ)っ、リルー、これ熱い」と、イレニア。

「駄目ねえ、ニーアは。私は熱いの平気よ」と、ルイーザ。


 しかしだからと言って、ルイーザが栗を食べるわけではない。手が止まっている。イレニアの栗を受け取って皮を取ってやりながら、リルドレッドは尋ねた。


「どうした、ルー」

「リルー、割れない」

「・・・・・・」


 栗を受け取り、割ってやってから渡すリルドレッドだった。


(あいつらを連れて来れば・・・、いや、もっと手間がかかっただけだ)


 弟達も弟達で手間がかかるのだ。二人の少女はもふぉもふぉと言いながら、熱々の栗を頬張っている。まるでリスのようだ。

「はい、リルー」と、ルイーザが栗を口元に差し出してきたのを、「ん」と、そのまま口に咥えながら、(だが、剥くのは俺)と、リルドレッドの両手はせっせと皮を剥いていた。ルイーザに対抗して、今度はイレニアが、「はい」と、差し出してくるのを食べていると、二人がどんどん競り合ってくる。


「お前らなぁ。お前達の為に買ったんだから、二人が先に食べなさい」

「はーい」「はーい」


 だけど二人にしてみれば、こうやって連れ出してくれる時は、リルドレッドはざっくばらんな言葉づかいになるし、小さな貴婦人としての行動も求められなくなるから楽しいのだ。

城の居住区域にいる時は親しく面倒をみてくれるが、それでも姫扱いである。更に人前に至っては、領主の姫君達だからと礼儀正しくしか振る舞ってくれない。


(リル兄様は頭が固いのよねー。別にいつでもこうしてくれてればいいのに。そう思わない、イレニア?)

(そうよねー。真面目すぎるのよ、リル兄様は。トレスト兄様はその点、融通がきくのにねー)


 手持ちの手巾を濡らしにその場を離れたリルドレッドを目で追いかけながら、二人はこっそりとそう話した。

 二人にしてみれば、他人にどう思われようとも祖父のカンロ伯爵だって孫息子のように接しているロイスナーの三兄弟だ。どうしてそこまで他人行儀にしようとするのかが分からない。


(あの二人、ろくな会話をしてないな。どうせ、ブツブツ俺の頭が固いとか言ってるんだろう)


 汚れるのは分かっていたので、水場から近くの場所に最初から陣取っていた。この距離ならば何かあっても対応できると踏んだからだ。それだけにリルドレッドからは二人がこそこそと顔を寄せて内緒話をしているのも丸見えだった。


(二人のリボンも買ってやったし、お揃いのブラシも買ってやったし、食事もさせたし、ここで栗も食べたし、・・・ま、こんなところか。今度はトレストも護衛に組み込んで港まで連れて行ってやるかな。さすがに港は、俺一人では厳しい。荒っぽい奴らが多いからな)


 こうしてカンロ城に出向く度、余裕があれば二人を連れ出しているリルドレッドだ。こういった経験は大事だからである。リルドレッドは無理をしてでも時間をやりくりしていた。


(しかし、どうしていつもいつも俺に一任されて終わりなんだろう)


 信頼されているといえば聞こえはいいが、弟達の面倒も、ルイーザの面倒も、イレニアの面倒も自分なのではないかと思うと、親世代の在り方について釈然としないものがある。

 それでも、濡らした手巾で二人の唇と手を拭いてやりながら、「ほら、これで綺麗になったな」と、身づくろいを手伝うリルドレッドだった。

 そんなリルドレッドを、遠くからキイロとサリトはのんびり眺めていた。


「リル坊ちゃんも、両手に花だよなぁ。やってるこた、子守りだけど」

「両手に子猫って感じだがな。ところでサリト、旦那は?」

「ガキの面倒なんてみてられるかってどっか行っちまった」


 あれだけの美少女達なので、羨ましく思うべきなのかもしれないが、キイロとサリトもカレンの護衛をしていた人間である。近くにいればいる程、顔の美醜よりも、次は何をやらかしてくれるかの方が、心の比重を占めるのだと理解していた。

 従者がつく良い所のお嬢様としてではなく、単なる兄妹の街歩きとして、店の人達と接することが大事だとリルドレッドは思っているのだろう。何故ならカンロは物の流通に力を入れている。肌で感じるそれらは大切だ。

 同じく従者のドーンとイールスも遠くから見ている。


「リル坊ちゃんも、ヘタに面倒見が良くて、それを実行しちまえるから、押しつけられるんだよな」と。イールス

「そうだな。誰に似たんだか・・・」と、ドーン。


 少なくとも父親ではないだろうと四人は思った。しかし、母親とも違う気がする。

 遠くから眺めている分には、青年が妹らしき少女二人と仲良く座っている様子は、微笑ましい光景だったが。

 

「リルー、なんか眠いー」と、イレニアが欠伸する。

「私もー。ちょっと眠い」と、つられたらしいルイーザも欠伸する。


 食べたら眠くなったのだろう。二人がそのままマントに寝転がる。


「分かった。だけど風邪ひかないよう、少ししたら起こすからな」


 寄り添って目をつぶる二人を見ながら、リルドレッドは余ったマントの両端を折って二人の上へと掛ける。状況を察したか、近寄ってきた護衛のマントをありがたく借りることにして、それもその上から掛けてやった。

 が、しかし。


「こらっ、起きろっ。二人ともっ」

「いやーん、眠いのー」と、ルイーザ。

「リル、抱っこー」と、イレニア。


 どう見ても狸寝入りだ。単に甘えてるだけだ。

 分かっていても、「しょうがないな」と、リルドレッドは二人の少女をそれぞれ片腕ずつ、その腕にお尻を乗っけさせて抱いてやる。嬉しそうに、二人が両側から首に抱きついてきた。


「こらっ、ルー、ニーア。前が見えないだろうが」

「えへへー。高ーい」と、イレニア。

「ねー」と、ルイーザ。


 二人ともどうせ黒髪に染めているから自分とはバレないと思っている。だから何だって出来てしまうのだ。

 リルドレッドのマントはドーン達が回収していた。本当に寝入ったのだったら、護衛の騎士達も抱きあげて運ぶのを手伝ってくれただろうが、どう見ても姫君達が構ってほしがっているのはリルドレッド一人である。従って誰も手伝わなかった。


「しかし、全く腰がぶれてませんね。あの若君」

「そう言えばそうだな。剣は苦手だそうだが、体力はあるんだろうな」

「俺、素顔でアレはちょっと勇気がいるなと思いますよ」


 護衛の騎士達は、二人を抱えて城へと歩いていくリルドレッドに、(どんな見世物だよ)と、いささか同情していた。






 カンロ城の執務室には、カンロ伯爵とエイリの二人が詰めていることが多い。

 今日はそこにロイスナーの次期当主であるリルドレッドが訪れており、それなりに注目を集めていた。

 現在のロイスナーの主はカレンだが、カレンは夫であるロメスと王都で暮らしていることが多い。代行ですからと謙遜するリルドレッドだが、若輩ながらも侮れない存在だった。


「ああ、次の面会の方ですね。そろそろ私は下がらせていただいた方が・・・」

「いや、リルドレッド。それには及ばんよ。お前はうちの息子のようなものだ。ここにいなさい」


 そう言って、客が来る度、カンロ伯爵はずっとリルドレッドを近くに留めている。いくらロイスナーといえども、特別扱いが過ぎるというものだった。

 必然、訪れた人も、カンロ伯爵親子と共にいるリルドレッドに目が行くわけで、そうなると挨拶の一つもすることになる。


「これはロイスナーの次期当主殿。本日は、ご当主殿はおいでではないのですか?」

「ええ。母は父と仲が良いものですから、なかなか。伯爵へのご挨拶には私が参りました」

「それはそれは。・・・お父上といえば、何と言っても武勇を謳われた王都の将軍殿ですからな。さぞ次期殿も剣はたしなまれるのでありましょうな?」

「生憎、剣は全くの不調法でして。代わりに、すぐ下の弟は父に似たようですし、いずれ軍に入れようと考えております」

「ほう。それは楽しみなことでございますな。ですが、あれ程の高名な方のご子息でありながら、剣が苦手とは・・・。いや、失敬」


 誰が聞いても失敬などとは思っていない言い草である。

 元々、リルドレッドは、剣を扱うのは無理だと言い切って、最初からその道を捨てている人間だ。カンロ伯爵主催の舞踏会に出席したことのある人間でそれを知らない者はいない筈なのに、それでもこうやって嫌味を言ってくる人間は存在する。


「いえ、お気遣いなく。母のロイスナーは私、父のフォンゲルドは弟と、うまく分かれたものだと、我が家では安堵しております」


 そう答えるリルドレッドは嫌味が通じていないらしく、にこやかなものだ。


「ほう。では、一番下の弟君は?」

「ああ。うちの末弟ですか? 本人の好きな道を選ばせるつもりでおります。ロイスナーに残り、妻を迎えて私を支えてくれるも良し、他家に婿入りするも良し、独立するも良し、・・・それは弟の好きなようにさせてやるつもりでおります」

「それはまた情けないことを。それこそ次期当主ともなれば、弟の行き先ぐらい、あなたが決めるべきでしょうに」

「いえいえ。大事な弟ですから、弟の意思を尊重するつもりです。私は弟のことなど何一つ決める気はございません」


 あの鬼神の如しと謳われるロメス・フォンゲルドの長子とはとても思えぬ意気地のなさである。

 しかし、そうなると末弟はエイリの娘ルイーザと同い年ではなかったか。


「そういえば、カンロ伯爵ご自慢の孫姫様はお元気でいらっしゃいますか?」

「ああ、ルイーザか? そうだな、今日もリルドレッド殿に買ってもらったというリボンをつけてはしゃいでいた」

「ほほ。ロイスナーの若君がルイーザとイレニアを遊びに連れて行ってくれましたの。本当にまだまだ二人とも子供で、リルドレッド殿がおもりをしてくれて助かりましたわ」


 にこやかにエイリもそれを補う。

 男の顔色がさっと変わった。


「いや。それは結構ですが、そういうことでしたらうちの息子も姫君達のお相手ぐらい務めさせていただきましたものを。こう申しては何ですが、リルドレッド殿は剣には全く自信がないとのこと。うちの息子でしたら、姫君達ぐらい一人でお守りできますぞ」


 すると、エイリがころころと笑った。


「まあ。ですけど、うちのルイーザもイレニアも、リルドレッド殿が誰よりもお気に入りですの。他の人では嫌だと言うんですもの、仕方ありませんわ。二人が言うには、リルドレッド殿は、本当に紳士的ですし、何よりも身勝手な贈り物もせずに二人の意見を聞いて二人が欲しがる物を買ってくれますし、剣で威嚇するような恐ろしい人と全く違いますし、何より優しくて面倒見が良いと、そう申しますのよ」

「で、・・・ですが、リルドレッド殿はロイスナーの次期当主殿。姫君達のお相手には・・・」

「ええ。勿論、別に婚約などは考えておりませんわ。ただ、頼りになるというだけですの。だって、リルドレッド殿はロイスナーがおありですものね。それがなければ、本当に・・・。明後日には帰ってしまうのが本当に残念」


 憂いてみせるエイリは、ロイスナーの長子でなければ、それこそルイーザの婿にしたと言わんばかりだ。だが、ロイスナーにはリルドレッドを含めて男子が三人いる。つまり、リルドレッドの代わりは二人もいるのだ。

 男が睨みつけてくるのを、外を見ているフリをして気づかぬフリをするリルドレッドだった。


(ああ、これを何度繰り返しただろう。そして明日も以下同文か)


 一日は街に連れ出してやったのだが、「もっと遊んで」と、ブーブー文句を言っていた、その元凶である少女達の顔が脳裏に浮かぶ。

 昼はずっとこれをしなくてはならないので、代わりに夜は相手をしてあげると、あの二人に約束させられているのだ。

今夜はダンスのお相手だろうか。それともお話をせがまれるのだろうか。城の中庭を肝試しと言って三人で散歩した時は、二人があまりにもはしゃぐので全く肝試しにならなかった。とりあえず夜中と早朝に寝室を襲撃してくるのだけはやめさせなくては。


(自分から言い出したこととはいえ、おっさんに睨まれ続けるのもうざいもんだな。だが、あの子達が襲われるよりはマシだ)


 縁談が持ち込まれるのはともかく、贈り物攻撃も激しくなってきている上、いささかしつこい動きが出ていると、リルドレッドは、カンロ伯爵、エイリの夫であるジールス、ロレアの夫であるルーファスの三人に相談されたのだ。

贈り物で済んでいる内はいいが、問題は、略奪婚を仕掛けられたらまずいということだ。ルイーザはカンロ領が約束された美少女である。ルイーザに何かがあればイレニアだ。

 ある程度のリスクは織り込んだ上で、やる奴はやるだろう。手に入れてしまえばこっちのものだと思って。


(トレストに、まだこういうのは見せたくないからな)


 そこらの騎士よりも弟の腕が立つのは分かっていたが、トレストは無邪気な性格の持ち主だ。トレストもレイルも、そしてルイーザもイレニアも、まだこういうことは知らなくていい。

 いずれは知るのだとしても。

 リルドレッドは、そう思ってその紺色の瞳を伏せた。






 今度はトレストとレイルも連れてくるよと、ルイーザ達に約束して、リルドレッドはカンロ城を出立した。ロイスナー城に帰る為だ。

 

「大丈夫と思うが、・・・ドーンとイールスも無理しないでくれよ」

「大丈夫ですよ、リル坊ちゃん。それに、・・・うちのカレン嬢ちゃんだって似たような目に遭いそうになったことはありましたからな。腐った奴ってのはどこにでもいるもんでさ」と、ドーン。

「そうそう。男じゃないっすか、坊ちゃんも。いやはや、あれだけの美少女になると羨ましいやら、気の毒やらでしたがね」と、イールスはケラケラ笑った。


 二人の従者と共に、リルドレッドは馬を歩かせていた。

 カンロ中心区域を離れ、次の街へと続く街道は人気がない。周囲には草原が広がっている。街道の両脇には山や林もあるが、水はけが良すぎて人が住みにくい場所でもあった。だからここは街道にしかならないのだ。


「可愛らしい姫君達だが本当に振り回されてたな、リル坊ちゃんも」と、ドーンもガハハと笑う。


 ドーンとイールスもかなり剣の腕が立つ男達だ。ドーンは初老を迎えているが、イールスはリルドレッドよりも少し年長な程度である。

 それでも長い付き合いなので、三人とも馬を並べて気のおけない会話をしていた。


「なら代わってくれりゃ良かったのに。・・・信じられるか? あの二人、夜中に俺の寝室まで『驚かしたかったからー』とか言って来るんだぜ? 勘弁してくれって思ったね」

「そこで鍵を掛けてない坊ちゃんもどうかと思いますがね」と、ドーン。

「仕方ないだろ。何事も、万が一はある。今回、ルイーザの隣室を使わせてもらってたからな。やっぱり心配じゃないか」

「そこで面倒見の良さが裏目に出るのがリル坊ちゃんだよな。だからロイスナーは押しつけられるし、面倒事は押しつけられるし、・・・そして、あのアホ共も押しつけられるんですぜ」


 そう言って、イールスが示すまでもなく、前方にある林の中から、武装した二十騎程が現れたのを、リルドレッドも(やはりな)という思いで確認していた。


「ところで、このまま先にやっちゃう為、後であの人がブチ切れる方に一票」と、リルドレッド。

「いない奴が悪いということで、サボリの自業自得に俺は一票」と、イールス。

「二人が付いていて、いないことはなかろうというので、勝手に出てくる方に一票」と、ドーン。


 何事も様々な意見は大事である。なるほどと、三人はそれぞれの意見を尊重し合う。

 そのままのんびりと同じ調子で歩かせて、どうにか声が届く程度の距離で向かい合った。


「悪いが通してくれないかな。どうも物騒な様子だが」

「ロイスナーの跡取り殿とお見受けする。死んでもらおう」


 何とも簡潔にして分かりやすい要求だった。三対二十とは、かなり分が悪い。


「恥ずかしくないか? 三人にそれって」

「失敗するわけにはいかんのでね。ここまで護衛が少ないと分かっていたら、もう少し人数も減らしたが。恨むなら、父親に似なかった弱いご自分を恨めばいい。・・・ま、ロイスナーの女主人が浮気して出来た子なら、父親に似なかったのも納得というものだがな」


 ゲラゲラと下品な笑い声が響く。

リルドレッドは静かだがよく響く声で応えた。


「生憎、浮気どころか、親父より強い奴しか男として認めねえよ、うちのお袋は。お前なんぞより強くて顔のいい男は腐る程いるし、お前の持ち物なら女房に物足りねえ男だと浮気もされるだろうが、うちの親父より剣でも寝室でも強い男はまずいねえぜ? 鏡を見てから出直すんだな、寝取られ男が」

「・・・言ってくれるじゃねえか。剣もろくに扱えん坊ちゃんのくせによ」

「事実しか言ってねえよ。ロメス・フォンゲルドの女と戦いの武勇伝が世に知られても、お前なんぞ誰も知らんだろうが。男として全く歯が立たねえからって、そう悔しがるなよ。・・・ま、ロイスナーの女主人も、お前の女ごときじゃ逆立ちしたって敵わねえ極上品だがな」


 せせら笑うリルドレッドは、かなり口が悪い。ドーンとイールスは、久々に見たなぁと、遠い目になった。よりによって母親のカレンを侮辱するとは。

 リルドレッドは自分のことなら怒らないが、リルドレッドが大切にしている存在に関してはその限りではない。意気地もなく真面目なだけだと思われがちだが、時に誰よりも誇り高く熱い男だ。

弟にも見せないそれを知るのは、小さい頃から世話をしてきたドーンと、近い年齢だからと付けられたイールスだけだった。


「くっ、やっ・・・」


 やっちまえと言いたかったのだろう。だが、その言葉は続かなかった。いささか動揺が走る。


「俺が、剣は自信がないっての、有名だろ?」


 先頭にいた四騎と後続の四騎が、落馬した。何が起きたのかと、ざわめく敵陣を見据えながら、リルドレッドがぼやく。


「これで三対十二か。まだきついな」

「いやいや。さすがリル坊ちゃん、容赦ねえな」と、イールス。

「しょうがない。馬に恨みはないが、あの人が悪いことにして片付けるか」と、リルドレッド。


 そこへ後ろから、三頭ほどの馬がやってくる音が響いた。ボサボサの髪に無精髭を生やした破落戸(ごろつき)のような男がリルドレッドに声を掛けてくる。


「もう終わっちまってたか?」

「いや、あと十二騎残ってますね。じゃ、よろしく。俺、荒っぽいの、嫌いですから」

「へえ? で、そこに倒れてるのは?」

「さっき拾っておいた(つぶて)を投げただけですよ。すぐに起き上がると思います」

「なるほど。・・・見てたんだがお前、一振りで四つだったか。外さなかったな」

「まぐれです」

「俺が間に合わなかったら全て片付けられただろ?」

「まさか。その時はドーンとイールスに守ってもらいますよ」


 そう言いながら、リルドレッドはドーンとイールスに目配せした。この人が来たなら、もういいやというやつである。餅は餅屋と言うではないか。

 敵の方も、十二対六である。どうするべきかと逡巡していたが、鼻血を出して落馬していた八人がよろよろと立ち上がり始めるのを見て、大丈夫と判断し始めているようだった。


「けどリル坊ちゃん、あんたの声、こっちにも響いてましたよ。もしかして猫かぶってました?」と、サリト。ちょっと腰が引けて丁寧な口のきき方になってしまうのは仕方ない。

「何が? 俺、怖くて震えてたからな。空耳だろ?」

「・・・実は中身、一番旦那に似てるんじゃないか」と、キイロも出来れば先程の記憶を消したいぐらいだ。いつでも様々な仕事を押しつけられては困った顔をしつつもこなしていた長男だと思っていたのに。


 ぽりぽりと頭を掻くと、誰にともなくリルドレッドは言った。


「自分勝手な父親と目の曇ってる母親のせいで、ロイスナーは俺が背負うしかないじゃないですか。俺は他人の評価も何もかも、ロイスナー以外はどうでもいいんです。俺のことなど興味持たないでくださいよ。・・・これが可愛い従妹達のことじゃなけりゃ、俺だってあなたに頼んでまで動きませんでしたとも」

「ふーん。まあ、お前がそれでいいならいいが」

「いいです。絶対に俺は剣の道なんて選びませんよ。最初から辿りつけないと分かってる人間が目の前にいて、その道に進もうだなんて思える人間じゃないんです」


 なるほどと、キイロとサリトは納得する。

 五人は、ロメスを残して後ろに下がった。


「けど俺、見たくないんだよなぁ。話に聞くだけでも、今晩眠れなくなりそうだし。目、つぶっててもいい?」


 そんな軽口を叩くリルドレッドだったが、実際に彼はこういう殺し合いは嫌いだった。死んだら終わりではないか。人生にはもっとすべきこともあれば、皆で力を合わせて乗り越えていくべきことも沢山あるだろうに。

 けれども。必要とあれば排除は躊躇うべきではない。大事なものを守る為ならば。


「俺もロメスの旦那のアレは見たくないけどな。・・・最近、慣れてきてしまいそうな自分が怖い」と、サリト。

「まさか噂に聞くあの人とは思ってないだろうしな、きっと用心棒だと思ってるだろう。・・・あちらさんもお気の毒に」と、キイロ。

「だけど間に合ってくれて助かったよ。さすがに三人じゃきつかった」と、ドーン。

「いや、ホント。リル坊ちゃんって怒らせるとえげつねえし。・・・勿論、キイロさんもサリトさんも分かってくれますよね? ロイスナーの跡取り殿は、あくまで物静かで大人しく、剣は苦手なお人好しで、いつも誰かにふりまわされてる情けない男だってことぐらい」と、イールス。


 キイロとサリトはピキーンと固まった。目の前にいるリルドレッドはにっこりと笑っている。


「勿論、キイロとサリトはそんなこと分かってくれてるさ。ね?」


 二人はコクコクと頷いた。一番特徴のない筈の長男が、まさかのまさかだ。ロメスとカレンのおかげで否応なしに若い内からロイスナーを押しつけられてしまった不憫な跡取りの筈だったのに。

 リルドレッドの笑顔は「忘れろよ、いいな?」と、雄弁に語っていた。


(そりゃ言いませんけど、どういうことですか、ドーンさん。そりゃロイスナーの実務能力もかなり出来る人ですけど、あっちもあれだけ出来るとなれば、ロイスナー外でもかなり・・・)と、キイロ。

(お前が口を出すことじゃないだろう、キイロ。リル坊ちゃんが言った通りだ。ロイスナーの当主は自分への評価など気にしない。さっき言っていただろう。ならば従え)と、ドーン。

(いや、ドーンさん。当主はまだカレン嬢ちゃん・・・)と、サリト。

(じゃないのは分かってるだろ、サリト。今、ロイスナーを動かしてるのはリル坊ちゃんだ)と、ドーン。


 その間にも、周囲は悲鳴と怒号で溢れている。腕や脚を斬られ、時には首を刎ねられた男もいるからである。

 それこそ、逃げれば良かっただろう。

 だが、全員で掛かればと、迷う時間が生じてしまった。それが命取りだった。ロメスをただの従者だと思っていたからだ。


「くそっ」


 それでも一騎だけが、当初の目的を忘れていなかったのだろう。ロメスが剣を振りまわしている間に、さっと馬をリルドレッドの方へと駆けさせてくる。

 馬で駆け寄りながら大きく剣を振りかざした男だったが、いつの間にか鞍から跳躍したリルドレッドが、その男の面前で剣を動かす方が速かった。


「俺は、剣はからっきしだって言っただろうが」


 不機嫌な声でリルドレッドが呟く。生命を失った体は馬から落ちたが、主を失った馬にリルドレッドが跨り直した。


「ただし、それはロメス・フォンゲルドに比べての話だ」






 何度か襲撃は受けたが、ありがたいことに、髪も髭もボサボサな用心棒のおかげで、一行は無事にロイスナー城へ帰り着いた。

 死体の始末はしないで放置してあったが、誰がどう見ても亡くなっているのは武装した男達である。自警団からすぐにカンロ城へと連絡が入った。戦も事件も起こっていない筈なのに、一つの街道に沿って抜き身の剣を持った男達が折り重なって死んでいる場所が点在していたのだから当然である。しかもそれらはかなり惨たらしいものだった。

 事態を重く見たカンロ伯爵は、その男達を誰が差し向けたのかを調べようとしたが、誰も名乗り出なかった。


「たかが婿候補というだけで、殺そうとする奴らがここまでいたとは・・・。やはり誘拐はあり得た話だったな」

「ですけど、お父様。これで全部なのでしょうか。リルドレッドは数日しかいなかったのです。他にも同じことを考えている人達がいてもおかしくありませんわ」

「お姉様の言う通りですわ。信頼できる護衛をつけなくては・・・」


 カンロ城の一室で、カンロ伯爵は大きく息を吐いた。

 伯爵は、街の宿屋でロメスが待機しており、リルドレッドの護衛にあたると聞いていた。だから心配はしていなかったが、これら全てを殲滅したとは、さすがはロメス・フォンゲルドである。

 エイリとロレアもそれには驚いたが、どちらかというと、それだけ娘が狙われていることの方が恐怖だった。


「いや。リルドレッドはあくまで人気のない場所を通るからこそ襲われたのであって、別にルイーザとイレニアは、街歩きすらしないだろうが。そうそう襲われんだろう」


 二人の娘を宥めながらも、カンロ伯爵としても孫娘達が心配にならぬわけではない。


「けれどもお父様。ロメス様がいらしてくれたからどうにかなりましたが、リルドレッドだって命を落としていた可能性もありましたのよ。まさかこんなにも多くの襲撃があっただなんて。私、せいぜい、一回程度で、ロメス様もいらっしゃると聞いておりましたから、協力しましたのに・・・」

「その通りですわ。まさかこんなことをお父様達が考えていただなんて。真面目なリルドレッドを巻き込んで、なんて危ない真似をなさったの」

「いや。言い出したのはリルドレッドなんだが・・・・・・」


 するとエイリが(まなじり)を吊り上げた。


「この期に及んでリルドレッドのせいにするだなんて、なんて情けない言い訳をなさいますの、お父様」

「え? いや、だって、本当に・・・」


 カンロ伯爵は、自分とジールス、ルーファスを前にして、一番若い筈のリルドレッドが一気に不機嫌そうな顔になったことを思い出す。

「俺はそういう、抵抗する力も持たない少女達を踏みにじって利用するって考え方、嫌いなんです。・・・勿論、そういうゲス共は叩きのめしておいていいんですよね?」

 三人はただ頷くしかできなかった。実の父と祖父よりも、従兄の方が静かながらも怒り狂っていたからである。

 まさか自分の父親を呼び寄せてまで、叩きのめすどころか殲滅させてくれるとは。しかも死体は見るも無残な状態だったという。それぞれの襲撃は違う人間が命じたものなのだろうが、リルドレッド一行がそれら全てを殺してのけたという事実に、命じた人間も震え上がったことだろう。

 それをやったロメスも凄いが、結果が分かっていて父親を使うリルドレッドも実は同じタイプの人間ではないのか。


 しかし、今は娘達に叱られておくしかないのだ。何故ならリルドレッドは、エイリとロレアが愛するカレンの息子なのだから。


「お祖父様、お母様、ロレア叔母様」


 そこへ扉が開き、ルイーザが真っ青な顔で立っていた。


「・・・リル兄様、私達の為に襲われたの?」






 ロイスナーの当主は、常に開店休業状態である。

 仕方ないので、リルドレッドは諦めの境地で代行している。時には新しい技術を知る為に人を他の地域に送り込んだり、材料費をもっと安くあげられないかと試行錯誤したり、商談に赴いたり。


「は? またカンロ城に来いって? 早急に?」


 カンロ城からは帰ってきたばかりだ。それでも早馬が来るとは何か大変なことが起きたのだろう。慌ててリルドレッドは馬を飛ばしてカンロ城へ向かった。




「あのー、これは一体どういうことなんでしょうか」


 リルドレッドの顔を見るや否や、わんわんと泣き喚いて離れないルイーザに困惑しつつ、目の前にいるカンロ伯爵夫妻、そしてジールスとエイリ夫妻に、リルドレッドは尋ねた。

 それでも頭を撫でながら、「よしよし。何かあったのか? 言ってごらん、姫?」と、その合間にもルイーザをあやしている。


「いや、それが・・・。先日、リルドレッド殿がルイーザ達の為に危ないことをしたというのを盗み聞きされてしまって、それ以来、リルドレッド殿が無事なことを確認しない限り食事もしないと、泣き喚いて手が付けられなくてですな・・・」


 困ったようにジールスが説明する。

 リルドレッドは、がっくりと肩を落とした。


(盗み聞きなんてされるなよ。ああ、もう)


 どうして大の大人が四人も揃っていて、自分に解決を投げてくるのか。そんなことで呼び出さないでほしい。これでもロイスナーでは仕事が溜まりまくりだというのに。


「姫。泣かないで。別に危険なことなんて何もなかったよ。うちの父はあれでかなり強いんだから」

「リル兄様ぁ」

「俺だって怪我一つないだろ? ・・・だけど襲われたのが姫じゃなくて良かった。な?」


 ぽんぽんと頭を叩いてその額にキスすると、ルイーザは漸く安心したらしかった。腰に回そうとして届かなかった手を、服を握りしめるのに変えてくる。


「泣かないでくれ、姫。あまりに急いでいたから、約束したトレストもレイルも連れてこられなかったけど、次回は連れてくるよ。楽しみに待っててくれるかい、な?」

「・・・・・・」


 自分の無事確認が用事なら、それは終了した。それならロイスナーに今からトンボ返りしよう。

 そう決めて、リルドレッドは四人に向き直った。


「ご心配をおかけしました。父も俺も全くの無傷です。姫も城から出ない限り、しばらくは安全でしょう。あれはそれなりの脅しになった筈ですから。・・・そういうことで俺は帰ります」


 自分ではすっぱりと殺してしまうだけだが、あの父ならば誰もがビビる殺し方をしてくれるだろう。その思惑から、わざわざロメスに頼んだ。差し向けた人間も、まさかの事態に焦っているだろう。そう簡単に、次にルイーザを狙って誘拐する人間を手配できるとも思えない。まあ、時間稼ぎにはなった筈だ。あとは伯爵が考えることだろう。

 ではと、去ろうとしたリルドレッドだった。


「・・・あのー、姫?」


 それでも服を掴んで離さなかったルイーザである。リルドレッドの動きにずるずると引き摺られてしまっていた。


「帰っちゃやだ」

「いや、そんなこと言われても、ロイスナーの仕事が」

「じゃあ、私もロイスナー城に行く」

「・・・・・・」


 誰か助けてくれと、リルドレッドは四人を見た。四人は困ったようにリルドレッドを見返してきた。

 ・・・うん、誰も役立ちそうにない。

 仕方なく、リルドレッドはしゃがんでルイーザに言い聞かせた。


「あのね、姫。ロイスナーは俺達兄弟がいる場所なんだよ。男が三人もいる所に未婚の姫が訪れたら、変な噂が立つだろ? いいかい? そういうことは決して言っちゃ駄目だよ」

「いいのっ」

「よくありませんっ」

「いいったらいいのっ」

「よくありませんったらよくありませんっ」


 全くもって、この城の姫君教育はどうなっているのか。

 それこそ領主夫妻と両親の責任を問うべき事態である。

 そんなリルドレッドに、がばっとルイーザは全力でぶつかってきた。さすがに油断していたリルドレッドもそのまま尻餅をついてしまう。

こうして自分の上に乗り上げてくるこの姫君を、自分は甘やかしすぎたのか。これが自分だからいいものの、男を押し倒してその上に跨ってくるだなんて、他の男ならどうなったことか。

 もう年頃なのだから、淑女教育はきっちりしなくてはなるまいに。


「いいのっ。私はリル兄様と結婚するんだからっ」

「・・・・・・・・・・・・は?」


 尚、そこで戸惑い、目が点になったのはリルドレッドだけだった。

 他の四人は、リルドレッド一行が襲われたという話に取り乱しまくったルイーザの様子に、嫌でも彼女の気持ちに気づかざるを得なかったからである。


(こっちが言えば即座に却下されるだろうが、ルイーザには甘いからな。これしかなかろう)と、カンロ伯爵。

(ルイーザも恋する乙女ね。そこよっ、頑張って)と、カンロ伯爵夫人リネス。

(リルドレッド殿にその気はないだろう。だが、娘がそこまで好きなら・・・)と、ジールス。

(リルドレッドなら最高なのよね。ロイスナーがあるから諦めてたけど。だけどルイーザがその気なら)と、エイリ。


 沈黙が、その部屋を満たしていった。


「おじい様、おばあ様、義伯父上(おじうえ)、伯母上。俺は姫に手を出してなんかいません。無実です」


 コホンと咳払いしてからリルドレッドがまず周囲の誤解を解こうと、そこから始める。これではまるで自分がルイーザを誑かしたかのようではないか。とんでもない濡れ衣をかけられてはたまらない。


「いや、リルドレッド。それは分かってる」


 同じく咳払いしてからカンロ伯爵が口を開いた。


「ただ、ルイーザがリルドレッドを好きだというだけで」

「・・・・・・」


 変な誤解をされていなくて良かったと、リルドレッドは胸を撫で下ろした。領主の姫君に手を出したと思われたら、どんなことになっていたか。が、そういうことであれば、ただの初恋というものだろう。


「それは光栄ですね。・・・姫、いつかあなたが素敵な大人になったら、本当の恋ができますよ」

「・・・・・・」


 ぎゅっと余計にしがみついてくるルイーザは納得しないようだった。

 リルドレッドは助けを求めて、床の上から四人を見上げた。


「あの、ね。それなんだけど、リルドレッド、どうかしら?」

「何がでしょう、エイリ伯母上? 勿論、分かっておいでだと思うんですが、俺はロイスナーを継ぐ人間ですよ?」

「勿論それは分かってるわ。だけど、ほら、リルドレッドなら、どうにかしてくれるんじゃないかと・・・」


 どうにかしてくれるって、何を解決しろと・・・? リルドレッドは嫌な予感がした。


「ほら。元々、同い年のレイルとルイーザはどうかって話も出ていたじゃない? だけどルイーザがリルドレッドを好きで、もしもリルドレッドがルイーザを好きになってくれるなら、それでも良いんじゃないかしらって・・・。ね? やっぱりレイルとでも良いわけだし・・・」

「いや、良いも悪いも、それってまさか・・・」

「ロイスナー城なら安全よね。誰も忍び込めないもの」


 控え目そうに言いながら、要求していることはかなり図々しい。ルイーザを婚約者としてロイスナー城で預かれと言っているのだ。しかもリルドレッドもしくはレイルが、ルイーザと結婚するのを勝手に前提にしてくれている。

 けれども。

 たしかに結婚相手の家で妻に迎える予定の婚約者女性を預かることはある。

しかし、ルイーザは嫁ぐ人間ではない。婿を取る人間だ。立場が違う。


「ちょっと待ってください、伯母上っ。義伯父上も何か言ってくださいっ。姫はカンロ領を継ぐ姫君なんですよっ!? ひょいっと、若い男達の住む場所に放り投げていい存在じゃないんですっ」

「そりゃそうなんだが・・・。リルドレッド殿が管理しているロイスナー城なら一番安全かな、と。それに私はルイーザの婿にはリルドレッド殿でも全く問題ないかと。・・・まあ、ロイスナーはトレスト殿かレイル殿に引き受けてもらえれば」

「・・・・・・」


 駄目だ。ジールスはエイリの言いなりだ。


「おじい様、おばあ様。よく考えてください。俺は次期当主と言われていますが、母がアレですから実質、ロイスナーの当主なんです。俺が結婚するとしたら、妻をもらうしかありません。婿入り出来る人間じゃないんです。も・ち・ろ・ん、おじい様はよぉくお分かりですよね?」

「あ、ああ。まあ、そうなんだが・・・。別にリルドレッドとルイーザの子供を渡してくれても構わないし」

「・・・はい?」

「今の君達がそうじゃないか。リルドレッドがロイスナー、トレストがフォンゲルドだろう? だが、別にうちもエイリに引き継ぐのは私が死んでからだ。ならばいずれ、リルドレッドとルイーザの子供が出来てから一人をこちらに渡してくれてもいいしね。レイルがロイスナー当主になれるようリルドレッドが教育する時間もあると思うよ。反対にリルドレッドへの思いが淡い初恋で終わっても、レイルをカンロ伯爵家に相応しく、リルドレッドなら教育してくれるだろう」

「・・・・・・・・・」


 リルドレッドは、嵌められたと感じた。

 きっと自分を呼びつけた時からそのつもりだったのだ。この人達は。


(俺に、ロイスナーだけじゃなくカンロ伯爵家まで面倒をみろってかっ!?)


 無理です。そう言って拒絶したい。

 けれども求められているのは、この従妹の人生を守ってほしいということだ。

 拒絶するのは簡単だが、いずれ伯爵家目当てのロクデナシにルイーザがいいようにされるのだけは許せない。同じ次期女伯爵でも他の跡継ぎ候補が存在していたエイリと、確実にその座が転がり込んでくるルイーザとは、周囲の思惑も熱意も異なってくるものなのだ。

 自分の上に乗っかっている金髪の少女が、その涙に濡れた水色の瞳で見上げてくる。


「リル兄様」


 ああ、その存在に自分は弱いのだ。弟達だけでなく、この従妹達にも。

 がっくりとリルドレッドはその小さな肩に自分の顔を埋めた。

 何ということだろう。この少女の気持ちが変わらなかった時と、変わった時と、両方を考えて自分はこれから両家の面倒を見なくてはならないのか。

 ついでにレイルの教育だけじゃなく、これではこの姫君の淑女教育まで自分に丸投げされる流れではないか。


(俺が何をしたって言うんだ・・・。ただでさえロイスナーで手一杯なのに)


 どうして自分ばかりがこんな目に遭うのだろう。神様にもう少し手加減しておいてくれと祈らなくてはなるまい。試練だなんて、あの両親だけで十分だろう。


「あのね、姫」

「なぁに?」

「夜から朝までは絶対に男の部屋に来ちゃいけません」

「えー」

「それが守れない限り、ロイスナー城はあなたを預かりませんよ」


 そこでぱっとルイーザの顔が明るくなる。


「リル兄様、大好きっ」


 諦めの境地で、ルイーザを抱えたまま、リルドレッドは立ち上がった。


「誰からも手出しされないという意味ならロイスナー城より安全な所はないでしょう。姫は預かりますが、ただし、婚約者はレイルということにしておきますよ。それなら仮にいずれ破棄しても子供だからと醜聞にはならないでしょう」


 そこに至ってもまだルイーザのことを考えるリルドレッドに、エイリは(やっぱり頼りになるのはリルドレッドなのよね)と、微笑んだ。真面目で気概のない男だと言われているが、カンロ伯爵やエイリには分かる。自分の背負うものを投げ出すことなく、何としても守り抜く人間だと。




 尚、その後、ルイーザがロイスナー城に行くと知ってイレニアも行くと言い始め、結局、リルドレッドは二人を預かることになる。淑女教育は一人も二人も同じだという諦観が、そこには漂っていた。




 後年、リルドレッドはルイーザの弛まぬアタックにより、ロイスナーの次期当主をレイルに変更し、カンロ伯爵家の婿となった。

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