7 変わった関係と変わらぬ日々と(兄と弟と妹と)
○月×日
匿名X:第六部隊長がついに将軍とって聞きました。俺、第六部隊長に紹介してくれって頼まれてた女性がいるんですけど、それ、断ってもしつこかったんで閉口してたんですよね。おめでとうございますって言いたいので、ここに書きました。
匿名A:それは俺も思った。あそこまで突き抜けてんならいいよな。おめでとうございます。
匿名B:そうか? どこまであの将軍に取り入ってんだよ。そこまで出世したいかね。
匿名C:おい、B、お前、ひねくれてんな。こういう時は素直に祝福してやれよ。うちの将軍だって、行かず後家とか言われるよりいいじゃねえか。俺もめでたいと思う。・・・けど、あの二人に他の選択肢なんてなかっただろ?
匿名D:俺、第六だけど、本気でおめでとうございますって言いたい。うちの部隊長、たとえ誰に何を言われてても強えしな。男なんてそれが全てだろ。
匿名E:とりあえずX、その女性も第六部隊長に紹介してやったらどうだ?
匿名F:お願いですから、Eはそういうことを書かないでください。
やはりケリスエ将軍は優しい人なのだとカロンは思った。
対外的には何も変わらないようでありながら、ケリスエ将軍はどこまでもカロンのことを配慮し続けてくれていた。
カロンに申し込まれてきた縁談には、「申し訳ないが、カロンは自分の配偶者に考えておりますので」と、全て断りを入れたらしい。
あくまでケリスエ将軍が望んだのだという形にすることで、噂を立てられるにしてもその悪評は自分へと考えたのだろう。カロンが望んだのだとすれば、それは将軍に取り入る一つの手だと、心ない噂が出たに違いないから。
また、その話が広まった結果、リガンテ大将軍にも真偽を問われたらしいが、「ええ。息子として育ててきましたが、別に問題もなさそうですので、夫にすることに決めました」と、淡々と話したそうである。
「あそこまであっさりと言われると、誰も何も言えなくなるよね」
「はあ」
そうにこにこと、リガンテ大将軍がカロンに話しかけてくる。偶然、ローム国騎士団の棟へ来ていたというリガンテ大将軍に捕まったカロンは、王城にあるリガンテ大将軍の執務室にまで連れてこられていた。
大将軍は公爵でもあるから当然なのだが、軍部と違い、こちらは華やかさを重視した部屋である。かなり居心地が悪い。人払いをしていて二人きり、しかもカロンは椅子を勧められていた。これではさっさと逃げ出しようもない。
「ところで、私が連れてこられたのはどういった理由なのでしょうか」
「うん、それでだね。・・・ほら、何と言っても、我がローム国が誇る将軍の一人が結婚するわけだし、ここは盛大にお祝いしようかと」
「申し訳ございませんが、それだけはおやめください」
うげっと思い、カロンは即座にリガンテ大将軍に断った。
リガンテ大将軍は目を丸くする。
「どうして? 普通、嬉しいものじゃないの? 君だってはっきりさせてしまえば色々と言われなくなるだろうに」
「何より将軍がそういうことを嫌う方ですし、私も華やかな席は苦手でございます。それこそ、そんなことが行われると知った時点で、将軍は出奔して行方不明になりかねません。騎士団にしてもこの状況下で将軍の捜索を行う余裕はございません。そうなると私が一人で探しに行く羽目になります。ですからそれだけはどうぞおやめください」
祝いの席だなんて、それこそ「やってられん」とか言って、ケリスエ将軍が失踪してしまうだけだ。必死な思いでカロンはリガンテ大将軍を説得した。
「それじゃずっと君は日陰のままにいることになるだろう」
「私のことはどうぞお気遣いなくお捨て置きください」
日陰だろうが曇りだろうが、カロンにとってはどうでもいい。今の幸せを壊さないでほしい。何もしないでくれ、である。
そこでリガンテ大将軍は困った顔になる。
「ケリスエ将軍にも断られてしまったんだよね。だから君から説得しようとしたのに。・・・言っとくけど、あの将軍だって見ていて凄い覇気があるし、どこまでも無愛想で無表情で強かったから口説く男がいなかっただけだよ。だけど最近、君と話している時とか表情も豊かになってきていただろう。目を奪われている男も出てきている。ましてや男所帯の軍だ。腕自慢の男なら口説きかねないだろう」
「ええと・・・、何がおっしゃりたいんでしょうか」
あれでケリスエ将軍は、言えばある程度は付き合ってくれる人だ。カロンがもう少し話してほしいとか、そこは笑ってくれると嬉しいとか言うと、時々はその願いを叶えてくれていた。あくまで時々。
同時にカロンは気づいてもいた。
それは、虫よけのカロンが傍を離れないならある程度は気を抜いていてもいいと判断しているだけなのだと。あれでちゃっかり計算はしている。よほど男に口説かれるのが鬱陶しいのだろう。
カロンが傍にいない時は、それこそあの人は誰も近づけない気迫を出し続けるだけだ。
誰が口説けるというのか。そもそも男に興味のない人を。ついでに軍でも三人しかいない将軍の一人を。
「きちんとお披露目しておけば手を出されにくいんじゃないかと思ったんだけど。・・・これでも君にはかなり高い評価をしているつもりなんだ、王もね。それこそ浮気とかされたくないだろう? いくら君が出世しているといっても、将軍よりは下の立場だ。将軍さえ口説き落とせばと考える人間も出てくるかもしれないじゃないか」
「浮気はなさらない方だと分かっておりますので構いません」
どちらかというと、あの将軍を口説き落とせる可能性を持つのは、太陽の乙女などと呼んで将軍が可愛がっている男爵家の小娘ぐらいだろう。妹のように可愛がっていた娘に似ているからという理由で、どこまでも将軍は甘い対応だ。
同時にあの小娘の立場を考えて、決して将軍は彼女に手を出さない。彼女の幸せを考えたなら、あの小娘は有力な貴族と結婚すべきだと思っているからだ。
「王も僕も、君をもっと引き上げたいと思っていればこそ、なんだけど」
「十分に出世させていただいておりますし、これ以上を望む気もございません」
「本当に君は謙虚が過ぎる」
やれやれと、リガンテ大将軍は両脇を開いて手のひらを上に向けた。
王にしてもリガンテ大将軍にしても、カロンの出身などどうでもいいと考えている。ローム国出身でも信用できない人間ばかりの中で、たかが拾って育ててもらったというだけでここまでの成果を出し続けた男だ。
かえってどんな出自であれ、ロームに忠誠を誓い、結果を出すのであれば報われるのだと、そういったアピールに使いたい思惑もあった。
なのにカロンはどこまでも慎ましく控え目な男で、リガンテ大将軍も苦笑せずにはいられない。
「しょうがない。お披露目は諦めよう。二人からそう断られちゃね。それにこの状況で行方不明になられても困る。・・・じゃあ、何かお祝いを贈ろう。何が欲しい?」
「欲しい物、ですか。特には・・・。将軍にでもお尋ねください」
「訊いたら、君に訊いてくれと。だからそれじゃ困るんだけど・・・」
「はあ・・・。ですがそう言われましても何も思いつきません」
本当に欲しい物などないのだ。いきなり言われてもカロンも困る。二人はお互いに困ったような顔を見合わせた。
「普通は妻よりも出世したいと夫は思うものなんだけどね。君はそういうものを欲してもいいんだよ? 財産とか」
「私は最初から将軍に拾ってもらった人間ですのでそういう気持ちはありませんし。それに私が出世したり何らかの財産を持ったりしようものなら、あの方は『ならもういいか』と、私を置いてフラリと旅に出るのがオチです。私がまだ頼りないと思えばこそ、傍にいてくれているだけですから」
「・・・・・・。お祝いは、何か適当な物を見繕っておこう」
「ありがとうございます」
そんな会話がなされた結果、王から結婚祝いにと家紋がカロンに、ケリスエ将軍には馬二頭と装身具、樽酒が贈られた。さすがにリガンテ大将軍も、不敗を誇るケリスエ将軍をまだ失いたくはなかったらしい。そうなるとカロンも将軍を探して失踪するだけだと分かっていれば尚のことである。
「とりあえず良かったな、カロン。お前に家紋が王から贈られた以上、お前の出身が理由で排除されることはないだろう」
「そうかもしれませんが、これをどうしろと言うんでしょう」
「屋敷の門にでも刻んでおくか?」
「・・・変な客が増えそうだからいいです」
もらった二人にとって役立ったのは、結局馬だけだった。樽酒の半分は騎士団に運び入れておいた。
ローム国騎士団の中では、特に変化はなかった。なぜかというと、それまでもカロンはどこまでもケリスエ将軍にくっついていたからだ。
噂が出回り、ケリスエ将軍とカロンが結婚したらしいとなっても、「へー。だから?」といった感じだった。というより、「今更何言ってんだ?」という思いの方が多かっただろう。軍では常に将軍の傍にいる男で、更に住んでいる場所も同じなのだ。そうじゃない方がおかしい。
「だが、そんな噂を聞いた以上は確認しておかねばなりませんな。第三部隊長」
「そうですね、第一部隊長」
それでも、やはり直属の部下としてはきちんと聞いておきたい。けじめというのはあるのだ。
「現在、第二部隊と第四部隊が出向いている北方についてだが・・・」
いつもの将軍と部隊長達だけの会議が始まろうとした時だった。ケリスエ将軍が話し出すと、クネライ第一部隊長が軽く手を挙げた。
「将軍。その前に少しだけよろしいでしょうか?」
「第一部隊長。何か?」
「いえ。実は将軍と第六部隊長とが結婚したと噂が出回っておりまして、それは本当かどうかお尋ねしたいと・・・」
「ああ、本当だ」
そう片付けると、そのままケリスエ将軍は話を続ける。
「で、その北方の駐留なのだが・・・」
「ちょっと待ってください、将軍」
「何か? 第三部隊長」
「ですから、もうちょっとそこは・・・」
「そことは?」
「ですから、・・・将軍と第六部隊長は結婚なさったんですね?」
「ああ」
「そうなるとお祝いとか、やはりきちんとした公表とか、もう少し何か・・・」
「必要ない」
あっさりと済ませたケリスエ将軍である。そこでソチエト第五部隊長が口を開く。
「いやいや、将軍。それは大切なことですぞ。何と言っても我らがローム国騎士団を率いる将軍が結婚なさったのです。ましてやお相手は第六部隊長。それこそ騎士団を挙げて盛大に祝ってもよいかと存じますが」
「却下する」
最後にサフィヨールが頑張った。
「ですが、第六部隊長だって祝ってもらいたいかもしれませんぞ、将軍」
皆の目がカロンに集中する。
いきなりお鉢が回ってきたカロンは、(なぜそこで俺に訊く?)である。カロンにしてみれば、ケリスエ将軍が決めたらそれが全てだ。
盛大に祝われても将軍が嫌がるだけだ、だから不要。当然の帰結である。それにカロンはもう十分に幸せだ。お祝いなどしてもらう必要はない。
「え? いや、俺も必要ないと思います。大体、今更、何が変わるわけでもないですし」
「・・・・・・」「・・・・・・」「・・・・・・」「・・・・・・」
言われてみれば最初から住んでいる家も一緒、職場も一緒、行動も一緒、・・・何が変わるわけでもないと言われたらそれまでである。
だが。それでも。
カロンのそれまでの献身を知っている部隊長達にしてみれば、祝ってやりたかったのだ。どう見ても新婚の妻らしくない将軍の様子を見るだに、せめて自分達だけでも祝ってやらないと、カロンが不憫すぎるではないか。
どうせこの将軍のことだ。まあ、便利だから夫にしておくか。そんな程度で決めただけに違いない。
クネライ第一部隊長(女の趣味だけは理解できんが、よく頑張った)
・・・こんな可愛く甘えることすらしない女のどこがいいのかは、全く分からないが。
カリスフ第三部隊長(せめて俺達だけでも祝福してやりたい。こんないい奴、なかなかいないからな)
・・・女性としての魅力はどうであれ、いい上司だ。カロンは見る目がある。
ソチエト第五部隊長(ま、少しは褒めてやってもよい。小僧、良かったな)
・・・いくら自分とて、鬼ではないのだ。
サフィヨール(結婚したってのがカロンの妄想じゃなくて良かった。思い詰めすぎてついに幻覚を見たのかとも思ってたぜ)
・・・将軍が肯定したんだ。悩み過ぎた挙句の空想結婚じゃないと、やっと安心できたぜ。
会議の内容は北方の駐留における今後の見通しだったのだが、その会議が終わるや否や、カロンは第一、第三、第五の部隊長とサフィヨールに拉致された。
「・・・どうしてどいつもこいつもお祝いとか言い出すんだろうな」
そうぼやきながら、それを見送ったケリスエ将軍だった。
ケリスエ将軍にしてみれば、恋愛というのは本人同士の気持ちが全てで、結婚もまた当事者の思いが全てだ。他人に対して何を公表するものでも、何の祝いをもらうものでもあるまいという気持ちが強かった。
互いの、そしての自分の心に誓う想いがあれば、それで十分ではないか。勿論、他人の結婚式を重んじる程度の常識は身につけているつもりだが。
(しかし、カロンはやはり祝ってほしかったのだろうか・・・)
そういった不満は全くなさそうなので、そこの辺りは自分と同じ感覚なのだろうと思っていたが、よくよく考えたらカロンはまた自分とは違う価値観で育ってきた人間である。
ケリスエ将軍は考え込んだ。
(だが、王から祝いをもらっても、あいつもあまり喜んでいる様子はなかったしな・・・)
そんなケリスエ将軍のもとへ、ソチエト第五部隊長が戻ってくる。
「せめてもの気持ちとして、我が家で今夜は祝賀会というのはいかがかと思いましてな。将軍も是非」
「いや、私は遠慮しておこう」
自分がいると部下達が遠慮してあまり騒げないのを知っているケリスエ将軍は、酒の席でも中座することが多い。それに何よりそんな場は嫌いだ。それくらいなら気に入った女性と二人で飲む方がいい。
「だが、王より頂戴した樽酒がある。それを二樽、運んで行って皆で飲んでくれ」
「では遠慮なく運ばせて頂きましょう。・・・将軍。色々とお思いになることはあるかと存じますが、あなたの幸せを我らも願っておるのですぞ」
「知ってる。ソチエト殿は信頼できるお人柄だ」
彼らに連行されたカロンは、その晩、帰ってこなかった。
ソチエト第五部隊長の屋敷は、それなりに城に近い場所にある。本来は、ケリスエ将軍もこのぐらい近い位置にあってもいい筈なのだが、それはそれである。
そのソチエトの屋敷に、第一、第三、第五、第六の各部隊長とその副官、そして小隊長達が集っていた。カロンの副官見習いのリールスは不参加だ。あくまで彼はサフィヨールの手助けをする為にそういった立場にしているだけであって、何よりもこういった場に参加するには子供すぎた。
「ソチエト第五部隊長のお屋敷はかなり広いのですね」
カロンが感心する。これだけの人数が集まって騒げる大広間があるとは、さすがである。家人も慣れているのか、さっさと摘めるような食事を並べていく。
「それこそ将軍ならもっと広い屋敷を構えているのが当然なのだがな。どうせ一人暮らしだからと、こぢんまりした屋敷にお住まいだっただろう。これを機に、もっと広く城に近い屋敷を構えられてもいいのではないかと思うが」
「どうでしょう。元々、うちはあまり大勢で集まることもありませんし、あれでも広いぐらいなんですけど。それにあそこは裏庭で鍛錬もできますし、悪くないです」
「だが、お前も既に第六部隊長だ。部下など屋敷に呼ぶこともあるだろう」
「いえ。うちは将軍があまり人と接するのがお好きじゃありませんし、騒がしいのはお嫌いですし。それこそ騒ぐなら出て行けと、俺ごと追い出されかねません。それにそういった部隊長っぽいことはサフィヨール様がしてくださってますし、その点も助かってます」
ソチエトにしてみれば、もっと将軍らしい大きな屋敷に住んでもいいのではないかと、カロンから説得にかかりたかったのだ。が、カロンの「そうしたら俺が屋敷から追い出されます」という話に納得したりもしてしまう。たしかにあの将軍ならばやるだろう。
「まあ、いいじゃねえか。今夜は無礼講なんだろう、ソチエト殿? カロン、今日はお前が主役だからな。お前はよく頑張った。誰が認めなくても俺が認めてやる」
「え。ありがとうございます、サフィヨール様。って、いや、俺はそういうのは遠慮したいんですけど。いえ、皆さんが飲む分にはいいんですが、正直、主役は遠慮したいです。何より本来の主役である将軍も欠席ですし」
カロンとしては自分も欠席したいぐらいである。こんな所でこの面子に囲まれているぐらいなら、屋敷でケリスエ将軍と一緒に月でも眺めていたい。それが本音だ。
同じ片翼で暮らすようになって、部屋の中で舞う将軍の姿を知った。自分の腕の中でも小さく歌っている姿を見れば、そのくつろいでいる時間を自分だけが守りたいと思わずにはいられない。
(けど、逃がしてはくれねえよな。まあ、将軍さえ無事ならいいとしよう。そうだ。頑張れ、俺)
諦めてカロンは席についた。あれでもケリスエ将軍は女性だ。酒の入った男共の中にいるのは苦痛だろう。ましてや宮廷などのお行儀の良い宴席ならばともかく、こういった男の祭りみたいなものなど、すぐに下世話な内容となる。・・・犠牲になるのは自分だけでいい。
王からもらった酒樽は大広間に運び込まれていた。
(二樽もまさか飲む気か? マジか。いや、できれば一樽だけにしといて、後は残しておいてくれるといいんだが・・・)
そんなカロンの気持ちを無視して、カロンに対する祝賀なんだか慰労なんだか分からない宴の席は、最初から全員三杯は飲まされるというものから始まった。
そしてしっかりクネライ第一部隊長が、常々感じていた疑問をぶつけてくる。
「以前から聞きたかったが、お前、あの将軍のどこが良かったんだ?」
「どこと言われましても・・・」
「たしかになぁ。そりゃ恩師だろうし、世話にはなってるだろうが、だからって惚れるならもっと女性らしい女の方が良くないか?」
と、カリスフ第三部隊長もクネライ第一部隊長と同じ意見である。
どの部隊長にしても、ケリスエ将軍が嫌いなわけではない。
ただ、女性とは男性に仕えるとされる一般常識を無視したあの存在について、しかも男勝りというかわいい言葉では済まない時点で、女性としては見ることができないだろうにと、そこが疑問なのだ。
「お二人とも分かってませんねぇ。無礼講だから言っちゃいますけど、将軍はかなりいい女だと思いますよ。まあ、俺は自分より弱い女の方が好みですけど」
と、第一部隊長副官のキヤンは、上司と反対意見にまわったと見せかけて、結局何が言いたいのやらである。それには第五部隊長副官のミゲルも呆れずにはいられない。
「褒めてるのか貶してるのか、どちらかにしたらどうだ、キヤン殿?」
「褒めてますよ。ただ、俺の好みは自分より弱くて守ってやりたい女だってだけです」
そうなると、ふと気づいたように、第三部隊長副官のロンが疑問を口にする。
「そういえば、将軍と第六部隊長ってどちらがお強いんですか?」
そこで全員の目がカロンに集まった。
「将軍だと思います」
「そうかぁ? だけどお前、体格とかお前の方がはるかに出来てるだろうが。そりゃ昔は敵わなかっただろうが、今はいけるんじゃないか? 別に今は地面に這い蹲らされてはいないんだろ?」
カロンの言葉にサフィヨールが首を傾げる。たしかにケリスエ将軍は強いが、カロンもかなりのものである。訓練を見ていれば、更にまた強くなっていることに気づく。
あえて他の部隊長の前で言う気はないが、恐らくどの部隊長よりも強いだろう。
サフィヨールはカロンの地道な努力を知っている。そして、あのケリスエ将軍がここまでの年月をかけて仕込んだカロンである。既にケリスエ将軍から教わることが出来るものは全て学んでいるだろうと見抜いていた。
技が同等にまで追いついたならば、それこそ体格的にはるかにケリスエ将軍よりも良いカロンである。
とっくに師を追い抜いているだろう、カロンは。
「そりゃそうですけど、だけど最近はそういう叩き込まれなきゃいけないものもないからであって・・・。けど、やり合ったら俺が負けると思いますよ」
聞いていた人間ががっくりと肩を落とす。何といっても力を誇示してこその騎士団である。その部隊長が妻相手に何を情けないことを言っているのか。
「何を情けねえこと言ってやがる。こうして自分のものにしちまったんだ。それこそ剣でも寝台でも叩き伏せてナンボだろうがよ」
「そういうの、やめてください。あの人を傷つけるくらいなら俺が傷つけられた方がマシです」
クネライ第一部隊長の言葉に、カロンは本気で嫌そうな顔になった。
それこそ想像すらしたくないことだった。同じ寝台で同じ時を過ごしたカロンだから分かる。
戦いに赴いた時はどうであれ、人が無防備に安らぐ夜の帳の中では、ケリスエ将軍は常に思いやりと慈しみを重んじている。どうしてそれを、自分が踏みにじることができるだろう。
しかし、その言葉尻を捕まえたのがカリスフ第三部隊長だ。面白そうに尋ねた。
「ということは、やっぱり第六部隊長の方が強い、と?」
皆の視線が再度カロンに集まった。どう答えるべきなのかとカロンも悩む。
「そんなに聞きたいんですか?」
カリスフ第三部隊長が「聞きたいね」と言い切れば、クネライ第一部隊長も「当たり前だろが」と同意する。男はそういう話題が大好きだ。カロンは、嫌々ながら口を開いた。
「・・・ここだけの話にしておいてほしいんですけど」
これはもしかしてトップシークレットを聞けるかもしれない。皆は固唾をのんでカロンの次の言葉を待った。
「本当のことを言いますと、実は不明です」
何だそりゃと、皆が一気にがくっとなった。
誰がそんな言葉で納得するというのか。
さすがに白い視線を浴びて、カロンもこれじゃいけないんだろうなと、そこで追加説明に入る。
「いや、言い逃れじゃなくて、本当なんですって。というのも、将軍も本気でやり合ってはくれなかったので・・・。元々、あの人って容赦ない剣を使うんですよ。なのにそれは使わないし、俺の隙を見出しても攻撃してこないし、俺にしても練習ならともかく、あの人に本気で剣を向けられるわけもないし、その結果、全く勝負になりませんでした」
かつて、山にある神殿跡で剣を交えた時のことをカロンは思い出す。あの人は、最初から自分に殺されるつもりだったのだろうと、今だから確信できる。
カロンとてケリスエ将軍の教えを受けた身だ。自分に対して、本格的な剣を絶対に向けてこない将軍のそれにはとっくに気づいていた。
ソチエトが苦笑して、呆れたように言った。
「何を当たり前のことを聞いているのやら。そんな答えは分かりきっていただろうに、どなたもお若いことだな」
「ま、そんなとこだろうとも思ったさ」
サフィヨールも最初に焚きつけておきながら、さらりとそう済ませる。
サフィヨールとソチエトにしてみれば、年の功もあるのだろうが、そんな勝っただの負けただのを、本気で追求する気はなかった。
カロンは言うに及ばず、ケリスエ将軍にしても、あそこまでカロンを大事にしてきたのだ。本気でやり合える筈もない。
だが、そう言われてしまうとカロンもソチエト第五部隊長には素直に話してしまうものである。
「けど、俺が思うに、多分、まだ将軍の方が強いんだと思います。一応、肉体的な強さやスピードは俺が追い抜いているとおっしゃってはくれたんですけど、強さってのは体だけじゃなく技や全てを使いこなした上での結果をさすものですし。もし俺があの人よりも強いというのなら、・・・それが本当なら手加減してくる必要はなかったんですから」
「まあ、それは分からん。お前も本気で剣を向けられなかっただろうが、それは将軍も同じことだ。どっちにしてもこうなった以上、将軍はどうでもいいともお考えだろうしな」
「はあ。・・・できればここまで鍛えられた以上、少なくともあの人よりは強くなりたかったんですけど」
「まだまだ小僧だな。・・・少なくとも、あの将軍が、勝たせてやろうと思った人間はお前しかおらんだろうに。それならそれでいいだろう」
そうソチエト第五部隊長は、カロンの気持ちを片付けた。
カロンとしては将軍を凌ぐ強さこそを手に入れて彼女を守りたいのだという気持ちがあるのは、ソチエトにも分かる。だが、ケリスエ将軍とカロンとの強さを競う意味などない。
しかし、そこで捉え方の違いが出るのが人間の若さだ。皆は、違う意味の方で納得した。言われてみれば、全ての部隊長に勝った上で将軍になった女性だ。その人がわざわざ勝ちを譲ろうとした相手など、カロンしかいない。ということは・・・。
「え。じゃあ、やっぱりそれだけ将軍も第六部隊長に惚れているってことなんですか」
「そりゃ自分の屋敷から手放さなかったわけですし、結局、第六部隊長の一方通行じゃなかったわけですよね」
「そうでなきゃ、そんなことしませんよ、普通」
「やはり将軍も女性だったんですね」
「勝ちを譲ってまでも、第六部隊長と一緒になりたかったんですね」
そう、小隊長達が口々に言い始める。将軍はカロンが好きで、だからこそカロンに勝たせて自分を得て欲しかった、そういうことなのだろうと判断したのだ。
1「・・・・・・」3「・・・・・・」5「・・・・・・」サ「・・・・・・」カ「・・・・・・」
部隊長達は口を噤んだ。なぜなら、その勝負とやらがどういう時に行われたか、ある程度の察しをつけていたからだ。
自分を殺せと言った時のことだろう、それは。
死んだ上で惚れた腫れたもないだろう。屋敷から手放さなかったどころか、追い出されそうになってもしがみついていたのはカロンの方だ。殺せと言われても、その勝負っぷりだったなら、どうせ泣き落としただけだろう。
部隊長達とて将軍とは長い付き合いだ。そんな恋する乙女のような可愛らしさがあの将軍にあるだなんて思うほど馬鹿じゃない。
見れば、カロンですら黙り込んでいた。
こんな誤解をされてしまうのもカロンの本意ではないだろうが、同時に真実を話すわけにはいかないと思ったらしく、沈黙を貫いている。
言えないことというのはあるのだ。
自分達のトップがどんなに異常かだなんて、彼らはまだ知らなくていい。いや、永遠に知らなくていい。
「ま、飲め。それはともかく、お前は頑張った」
「ありがとうございます、サフィヨール様」
サフィヨールとカロンは、それでスルーすることにした。
しかし、逃げさせてくれないのがクネライ第一部隊長である。最初の質問を忘れていなかったらしい。
「で、あの将軍のどこに惚れたんだ?」
「と、言われましても・・・。優しいですし、綺麗だと思いませんか?」
カリスフ第三部隊長が眉根を寄せてコメントする。
「あの人が優しかったら、この世に優しくない女性は存在しないぞ。・・・まあ、そりゃ、かなりお優しい所はおありだが」
「でしょう? 大体、あの人の優しさって分かる人にしか分からないじゃないですか。・・・けど、だからこそ、俺はあの人の優しさが好きです」
そう言いながらカロンはケリスエ将軍を思い出していた。・・・誰もが理解できない行動の裏にある優しさ、その切なさが自分の心を強く掴んで離さない。
どこまでも強くありながら、それでいて傷つきやすい、まるで水晶のような人だ。その鋭利さで人を傷つけながら、清冽な美しさと曇って見通せない部分とを持ち合わせている。
「だが、綺麗、ねえ・・・。まあ、お顔立ちは整っていらっしゃるが。しかしドレスが似合うってわけじゃないしな」
「別にドレスを着てほしいなんて思いませんけど。俺はあの人が剣を持ってる姿とか、森の中でくつろいでいる姿とか、何かに集中している時とか、そういった時に綺麗だなって思います。ついでに何か失敗した時とか、不貞腐れている時は可愛いですし」
カリスフ第三部隊長は釈然としないものがあるらしく、将軍に対して失礼にならぬ程度にそう呟いたが、カロンは人の美的感覚にさほど興味はない。自分の美的感覚に基づいて、そう惚気た。
(あの人は存在こそが人の目を奪う。・・・大体、ドレスで着飾った女性より、何も着飾らないあの人の方がどれ程美しいことか)
だが、生憎とカロン以外の面々は普通の女性が好みなので、そういったものに関してはあまり同意できなかった。
ケリスエ将軍が不貞腐れている時にかち合おうものなら、自分なら回れ右するだろう。以前、何があったか知らないが、据わった目をして不機嫌なオーラを出しつつ黙々と壁に向かって剣を投げ続けていた時なんて、誰もが声を掛けずに退散したぐらいだ。
「まあ、それはともかく。将軍にもお前を好きになってもらえて良かったじゃないか。頑張ったよな」
「はあ・・・。好きになってもらえたんじゃなくて、妥協してくれただけですけど」
カリスフ第三部隊長は、そう言ってこの話題を終わらせようとした。カロンはどうも自分達と女性に対して求めるものが違うようだと、理解したからである。
だが、カロンの発言を聞き咎めたのはクネライ第一部隊長だった。
「は?」
「俺がいつまでたっても諦めないので、根負けしてくれたそうです。数十年も傍で片思いされるのは面倒だったらしく・・・」
そこで誰もがしーんとなる。カロンは少し赤くなって照れているが、・・・普通は悲しむべき所だろう。
クネライ第一部隊長は、説教態勢に入った。
「いや、お前。そこは怒れよ。もしくはふざけんなって言って、よその女に行け」
「怒る理由なんてありません」
カリスフ第三部隊長もカロンの意識を改革しようと、クネライ第一部隊長に同意する。
「いや、お前も少しは怒れよ。いくら上司ったってどこまで無神経で傲慢なんだ」
「まあ、そりゃ無神経な所はありますけど。だけど、そうやって根負けしてくれる所が優しいですよね」
それのどこが優しいのか、カリスフには理解不可能だった。
単なるモノグサじゃないのか、それ。
「まあまあ。男女の仲とは本人同士にしか分からぬもの。本人同士がそれでいいなら、いいではないか」
「お前がそれで幸せってんなら、そりゃいいんだが・・・」
ソチエト第五部隊長が男女の仲に他人がどうこう言う無粋さを咎めるように言えば、サフィヨールも哀れみを浮かべた瞳でカロンを見つめる。そんなサフィヨールに対してカロンは言い切った。
「幸せです」
少し離れた所にいた、副官達はこそこそと囁き合う。
第五部隊長副官のミゲルが
「どんなささやかな幸せなんだよ」
と、言えば、第一部隊長副官のキヤンも
「他の女性ならより取り見取りだってのになぁ」
と、何だか悲しい生き物を見るかのような瞳で呟いた。
だが、それはあくまで始まりの方だった。
人間というのは、酒が入れば入る程、どこまでも解放感が出てくるものだ。しかも王から頂戴したという酒はかなり良い物で、飲みやすく酔いやすい。
「どうせなら、ここは将軍もお招きしてしまいましょうっ」
「そうだそうだっ。やはりここは第六部隊長への熱い思いを語ってもらってもいいと思うんですっ」
「そうじゃないと可哀想すぎますよっ」
そう言い出す者も出てくる騒ぎになる。
「アホかっ。あくまで無礼講はここの場だけに決まってるだろうっ。お前らっ、将軍の所に押しかけるような真似だけはするなよっ。正気に戻った時に、真っ青になるだけじゃすまんからなっ」
「ひどいですよっ、第六部隊長っ。俺らはあなたの為にっ」
「俺の為なら尚更だっ。どっちにしても押しかけようとするなら、せめて俺の屍を越えていけっ。そうでなけりゃ許さんっ。というより、そうでもしないと、俺までどんな目に遭わされると思ってるっ」
そうなると肉弾戦が始まるわけで、ただでさえカロンは飲まされている。しかし、それこそがカロンの為と思い込んでいる酔っ払いは、素面であろうケリスエ将軍の恐ろしさを忘れている上、カロンの言葉など聞いてはいない。
「大丈夫か、ソチエト殿。特に壊される物はなさそうだが」
「どうせここは部下達を飲ませる時に使う広間ですからな。最初から壊れて困るようなものは置いてはござらん。・・・ま、あの小僧のことだ。投げ飛ばすにしても方向は考えてやるでしょうしな」
「あいつも本当に報われん奴だよな。こういう時でも将軍を守ろうとするんだから。別に行かせた所で、あいつらが返り討ちに遭うだけだってのに」
サフィヨールとソチエト第五部隊長にしてみれば、アホには付き合えないといったスタンスである。マイペースにそんなことを話していた。二人は結構ウマが合うのだ。
ソチエト第五部隊長にしても、小僧と小馬鹿にしているようで、かなりカロンを高く評価していた。
「いやあ、第六部隊長って本当に将軍にベタ惚れですよね。・・・けど酔ってても強えな。俺、さすがにあれには加わりたくないですよ」
「何を情けねえこと言ってやがる、キヤン。ほら、お前も行って来い」
「嫌ですよ。なら部隊長、どうぞ」
「上官命令だ。行け」
「今夜は無礼講です。嫌です」
クネライ第一部隊長と、その副官であるキヤンは、全く連携が取れていない。
だが、そう言いながらも、目の前でいつの間にか勝ち抜き戦が始まっているとなると、血がうずくのが男である。その頃になると、目的は既に忘れ去られていた。
結局誰もが一番強いのは誰かということで参加してしまい、余計に酒がまわって床に倒れ込むことになったのである。
「あー、もう駄目だ。俺、も、限界」
「情けね・・・こと・・・言う、な。俺、は、まだ・・・まだ・・・」
「そんな、ひょろひょろが当たるかってんだ・・・。おや? ど、して、俺・・・」
などと言って、バタンと倒れていく男達。それはそのまま放置された。
「はーっはっは。じゃあ、行くぞぉ。一番強ぇ奴は誰だ。そりゃ飲み比べだろう」
「はっ、もう酔っぱらってるじゃないですか、第一部隊長」
「なぁに、まだまだいけるぜ。ほら来いよ、第三部隊長」
ケリスエ将軍を守る為にも絶対に最後まで倒れるわけにはいかないと思っていたカロンである。カロンも結局、酔っていた。守られる必要などなく、こんな酔っ払いを、それこそ屋敷の二階から叩き落とすことなど将軍にとっては造作もないことを完全に忘れ去っている。
(絶対、広い屋敷だけはやめよう。こんなことが屋敷で行われた日には冗談じゃない)
そんなカロンの決意を置き去りに、どこまでも調子に乗った男達の宴は続いていった。
裏庭で摘んできた花を束ねて、昔を思い出しながら花冠を作ってみる。
(こうやって作っては頭にかぶせてあげたものだったな)
そんなことをケリスエ将軍は思った。
カロンがお祝いとやらで連れて行かれたので、そう言えば自分達の部族でもそれなりにお祝いする時もあったようなと、そんなことを考えて作ってみたのだ。
枝と花を組み合わせて作った冠はなかなか良い出来で、それをかぶってみる。けれど、自分では見られない。
(カロンにかぶせてやったら喜ぶかな)
綺麗な花を飾って、そして綺麗な衣装を纏い、伴侶にするのだと皆に伝えて、親しい人達に囲まれて、おめでとうと祝福されて・・・。
そこで、ぽろりと涙が一粒だけ落ちた。
(どうして、私は一人なんだろう・・・)
ケリスエ将軍は立ち上がり、水の入った盥にその花冠を頭から外して浮かべた。
それは、考えるべきではないことだ。これ以上は、考えてはいけない。
叫び出したくなるから。泣きたくなるから。
「寝るか」
世の中、一人で生きている人間なんて珍しくない。カロンもその父親は自分が殺したし、その副官にと住まわせているリールスだって親を亡くしている。従者として引き取ったヨイネは家族に捨てられた。
部族が滅び、一人で生きる自分とておなじことだ。
灯りを消して寝台に横たわり、ケリスエ将軍は目を閉じた。
(カロンがいなくて良かった)
こうやって泣きながら眠る自分を見られたくない。
眠って忘れてしまおう。そして朝にはいつもの自分に戻ればいい。
ちょっと今夜は感傷が過ぎただけだ。
(だが、何か大事なことを忘れているような・・・。そんな、気がして・・・ならない)
そんなことを思う意識はすぐ闇に包まれ、そして眠りへと引き込まれていった。
「一体、どこまで飲んでいたんだ。部隊長と副官、小隊長の全員が全員揃って情けない」
呆れ返ったケリスエ将軍だったが、そう言いながらも、その程度は目こぼししてやってもいいかとも思っていた。
男は祭りが大好きで、祭りとなると狂ったように騒ぐ。そういう生き物だ。じゃあ仕方ない。
そういう認識である。
雨が降ったら蛙がゲコゲコ鳴くように、朝になったら鶏がコケコッコーと鳴くように、宴会になったら男は馬鹿になるのだ。そういう生態なのだろうと思っている。
クネライ第一部隊長「・・・いや、面目ないことでございます。まさかあそこまでみんなが頑張るとは」
カリスフ第三部隊長「最後には飲み比べになっておりまして。すぐに決着がつくかと思ったのですが」
ソチエト第五部隊長「いやいや、楽しゅうございましたぞ。やはり将軍ももっと強くお誘いすべきでしたな」
サフィヨール元第六部隊長「そうそう。将軍もおいでになればよろしかったのに。ここはやはりお屋敷まで全員でお迎えに行こうかとしましたら、カロンが絶対に将軍だけは呼ぶなと反抗して暴れましてな」
カロン「来なくて良かったです。いや、絶対来ちゃ駄目です、あんなの」
ケリスエ将軍は、誰が行くかと思った。
まあ、カロンだけは後で労ってやってもいい。
「どの部隊も部隊長、副官、小隊長、全てが全滅とは・・・。どうせなら一般兵も祭りで行くか」
次の日、酔っ払いが多すぎて機能しないローム国騎士団だったが、各部隊長や小隊長達が行う訓練指導を、なんと全部まとめてケリスエ将軍が行うこととなった。
「私も混じるが、私に勝った奴と優勝者への賞金は弾んでやろう。だから勝てよ」
そんなケリスエ将軍の第一声から始まったそれは、誰でも参加できるという、トーナメントの勝ち抜き戦だった。勝ち抜き戦なら、さっさと勝者が絞られていく。吐きそうな部隊長、副官、小隊長も、審判くらいは出来る。
「部隊長と小隊長が出ないなら、俺らにも優勝のチャンスはあるよな」
「ばっか言え。将軍が出てんだぜ」
「けど将軍ったって、基本的に指揮ばっかじゃねえか。ならいけるって」
「そうそう。それに、簡単には当たらねえよ。まずは勝ち進んでからだろ」
張り切って参加した一同は、まさにお祭り騒ぎとなった。別に優勝しなくても、ケリスエ将軍と当たって勝つだけでも賞金はもらえるのだ。日頃から訓練している自分達の方が有利である。
上司といっても手加減しなくていいと、小隊長達とて言っているではないか。
が、しかし。
現実はそう甘くなかった。
「将軍ってこんなに強かったのかよ」
「誰だよ、第六部隊長に守られたお飾りだって言ってた奴」
「知らねえよ。てか、なんであの人、全然疲れてねえんだ」
「どこまで勝ち進む気だ」
「けど女だろ。いいかげん、疲れてる筈だ。誰か勝てよ」
「無理。俺、手がかなり痺れてる」
将軍が指揮を執る様になって久しい。それこそ剣をとった姿を知る人間は限られている。
結婚したという噂にしても、カロンに守られた将軍なら当たり前かという空気が、二人をよく知らない人間の間にあった。
そんな将軍が次々と試合の度に叩き伏せていったものだから、今までケリスエ将軍の腕など知りもしなかった人間に、改めて緊張が走ったのは当然である。
「思うんですけど、あれ、実は単なるストレス発散じゃないですかね」
「どうしてそう思う、キヤン?」
その辺り、かなり人の心の機微に敏いキヤンが、上司のクネライ第一部隊長に話しかける。
「部隊長達は気づいておられなかったかもしれませんが、あのクソ強い将軍の姿を知ってる奴って上の人間に限られるじゃないですか。下っ端にしてみりゃ、いつも自分達を叩きのめしているケイス第六部隊長しか知らないんですよね。それにいつも第六部隊長が将軍の傍にいるじゃないですか」
「だから?」
「つまり、将軍はケイス第六部隊長に庇護されているという認識がされていたんですよ」
「アホか」
カロンに庇護されているどころか、それこそそれをしたがるカロンの心をズタボロにしていく凶器のような女ではないか。
クネライ第一部隊長は呆れ返った。
「あまり気になさってはいらっしゃらないようでしたが、実はムカついてたのかもしれませんね、将軍も。・・・あれで結構子供っぽいというか、可愛いところがありますし」
「可愛い? お前ちょっとおかしいぞ、キヤン」
「たまにむきになったり、ちょっと拗ねたり、少し膨れたりしてる時って可愛いですよ。まあ、分かりにくいですけど。あれで俺より強くなくて、俺より上官じゃなくて、もっと可愛らしい格好をして、ニッコリとか笑ってくれたらって思いますよね」
「その時点でそいつは将軍じゃねえ」
そんな会話をしていたクネライ第一部隊長とその副官であるキヤンだったが、二人ともやはり表情は冴えない。夜明けまで飲んでいたのだから当然である。
やはり自分達も箍が外れていたのだろう。
「それでも将軍のああいうところは優しいと思いますがね」
「そうだな、ソチエト殿」
第五部隊長とサフィヨールがそれに言葉を続かせる。自分達が飲み過ぎで使い物にならないのはカロンへの結婚祝いということで許してくれた上で、今、こういった勝ち抜き戦をしたのは、自分達が出られる状態ではないのが理由だろう。
兵士達の前で、小隊長や部隊長を叩きのめすわけにはいかないと考えたに違いない。将軍はどうしても騎士レベルに囲まれる上、その指揮すら受けることが出来るのは部隊長クラスだ。兵士にしてみれば部隊長や小隊長こそが自分達に命じる偉い立場なのである。その面子を思いやったのだろう。
(そういうあなたの優しさを、知っているのは俺だけじゃない。たとえあなたが何も言わなくても、伝わっている心はあるんです。だから、この騎士団はまとまっていられる)
カロンはそう思って、目を閉じた。・・・今だけは口を開きたくない。きっと吐く。
部隊長や小隊長達にとっては当たり前ながら、優勝したのはケリスエ将軍だった。ついでに、負けた奴でも再度試合に応じるとやってくれたのはいいが、更にそこで勝ち続けてしまった。
「私に勝った奴には賞金を弾むと言っただろう。何、安心しろ。さっきから私はずっと試合ばかりしているからな。かなり疲れている。体を動かし足りてない人間なら軽く私に勝てるさ」
それを真に受けて挑戦した兵士達のプライドは粉々である。なぜなら、朝から始まって、昼の休憩をはさみ、そして夕方までそれは行われたのだから。その間、ずっと将軍は試合をし続けていたのだ。
「やはり書類仕事だけだと飽きるし、たまには体を動かす方がいい」
そう言って機嫌よく帰っていく将軍を見ながら、自軍の将軍にだけは逆らうまいと決意するローム国騎士団だった。
必要以上に練習用の剣を体に叩き込まれていたのは、将軍をお飾りだの女を武器にしてのし上がっただのと言っていた者達だったからだ。体に残された青あざはしばらく消えないだろう。
誰だって馬鹿ではない。あまりにもメタクソにやられた人間がいたら、それらの共通項ぐらいすぐに察するのだ。
(どんな地獄耳の持ち主だよ、おい)
(知るか。自業自得だろ)
(実は魔女かよ)
(ありゃ女じゃねえ。悪魔だ)
(目は笑ってなかったよな)
少なくとも、ここまでコテンパンにされてしまっては、二度とそういったセリフも吐けない。しっかり将軍は自ら部下の隅々に至るまで鉄拳制裁を下したのであった。
私生活においても、ケリスエ将軍とカロンの間で、そこまで劇的に変化するようなことはあまりなかった。
ケリスエ将軍の使っている片翼の一番手前の部屋を一つ、カロンが使うようになっただけだ。ケリスエ将軍が使っているのは一番奥の部屋である。
「そういえば、何でお前の部屋、一番手前にしたんだ?」
「一番遠い方が人の気配があまりうるさくないんじゃないかと思ったんですが。あなた、人の気配ってあまり好きじゃないでしょう」
「ああ、なるほど」
二人で使う時は真ん中の部屋にした。部屋数が余っているのは助かるもので、そういう使い分けもできる。
のんびりと語り合う時、穏やかに同じ時間を共有したい時、一緒に眠る時、そんな時は真ん中の部屋を使った。だから真ん中の部屋が、一番物が揃ってもいる。
完全に一人でいたい時もあるだろうと、あえて踏み込み過ぎないカロンのやり方は、ケリスエ将軍にとっても負担にならなかったらしい。勿論、カロンの中には、やっと手に入れた存在に関して自分が全てにおいて関与する思惑があってのことでもあった。同時に、自分が暮らす片翼には誰も近づけなかった将軍の今までを思えば、一気に距離を縮めすぎては失敗しかねないと案じたこともある。
その日は、二人で同じ寝台に寝転びながら、睡眠前の雑談をしていた。
「たしかに助かるな。お前は響きすぎる」
「・・・響きすぎるって声がですか?」
どちらかというと、カロンは穏やかに話すことの方が多い。ケリスエ将軍に対してブチ切れた時はそうでもないが。
まだ眠くなかったカロンは寝台の上に座って体を壁にもたれさせていたのだが、ケリスエ将軍は横になって目を瞑りながら話していた。
「いや。何と言うのか、声というよりも体から出ている感情、みたいなものか? だからお前の顔はあまり見たくない」
「えーっと、それはどういう意味なんでしょう」
さすがに顔を見たくないと言われると傷つくカロンだが、同時にこの人の話はきちんと最後まで訊いておかないと厄介なことになるとも学習している。
一般的な概念や常識が通じない生き物なのだ。そう思うことで自分を納得させている。
将軍も男という存在に対して極端な認識を持ってはいたが、カロンもカロンで将軍に対しては、そういう生物なのだろうと思うことで折り合いをつけていた。カロンの中でも、将軍を普通の女性だと思う気にはなれない何かがあったのである。
「人は思いや感情を体から発散しているだろう」
「・・・・・・表情に強く出ていたらそうでしょうね」
怒り狂っていたり、腹を抱えて笑っていたりしたら、たしかに感情を体から発散させていると言えるだろう。カロンは控えめに同意してみた。
「お前は特に顕著だ。全体的に周囲を見ておきたいのに、お前がいるとそっちが大きくて困る」
「・・・どんな風にでしょう」
どちらかというと、将軍の前では穏やかな表情の方が多いつもりのカロンである。ましてや人がいる場所では将軍の後ろに控えていることが多い。そんな時、将軍は自分を見ていないだろうと思うのだが。
(おかしいな。・・・ヘマしたか、俺?)
尚、カロンは基本的に自分の行動を将軍に見せないよう、かなりの配慮をしていた。鍛錬場で部下の稽古に付き合う時も、なるべく将軍の執務室から見えない場所を選んでいる。・・・そうすれば、ものぐさな将軍がわざわざ見に来ないと分かっているからだ。大体、自分を地面に這い蹲らせるぐらいにまで強かった師に対して、自分が偉そうに指導している姿を見せたいと思う人間がいるだろうか。いたら、そいつは露出的な変態趣味があるに違いない。
そして、カロンは荒れて将軍に絡む時はともかく、それ以外の、将軍に対する侮辱的なことを口にした人間相手に暴れる時は、決して将軍に見られない場所を選んでいた。自分にとって大事な存在を侮辱した人間に対して報復に走る時、その本人にバレるようなことを、男がするわけがないのである。
「私に向けてくる感情が大きすぎる。あれだと他が分かりにくくなる。できればその場にいる人間の敵意とかも全部把握しておきたいのに、お前に気を取られるのではどうしようもない」
「はあ」
そんなことを言われても、カロンには理解できない。そこで将軍は目をぱちりと開けた。
「そうか。お前には分からないんだな」
「はあ。すみません」
そこでケリスエ将軍は考え込む様子になった。
「そうだな、たとえばお前の所に、赤毛に緑色の目をした奴がいるだろう。お前の前ではいつも笑っているが、笑っていない奴だ。・・・通常、笑っている人間というのは笑っている感情を出してくる。なのにお前の所の赤毛は笑顔でも怒りの感情を発している。・・・よく観察しておくんだな。いつかお前の足元を掬いにやってくるだろう。それから何かとお前に突っかかってる金髪に青い目のそばかすだが、あれはお前をかなり好きだろう。口では絡みながらも、まるで飼い主に飛びつこうとする犬のようだ。信頼するならあちらにしておけ」
そして目を閉じる。
元々、自分以外の人間はほとんどが敵だと思っていたカロンだ。サフィヨールは信頼できる人だし、その甥であるリールスは信用もできるが、それ以外の第六部隊員など、腹の中で何を考えているかなど分からないとも思っている。だが、自分の命令にさえ従ってくれればいいと割り切っていた。
(信頼、ねえ・・・。まあ、この人がそう言うなら、そうしとくか)
だから、・・・そんな自分のことを好きな人間がいるだなどと、思ってもいなかった。
「ありがとうございます。明日からよく注意しておきます」
「ああ」
「ところで、そうなると俺のその感情というのは・・・」
「だからお前の感情は私にまっすぐ来るから困る」
カロンは考え込んだ。
それが一般的かどうかは関係ない。この人が出来るというのなら出来るのだ。そして・・・。
「あの、・・・ライナ、ちょっとお伺いしますが・・・」
「何だ?」
「そうなると俺の感情はあなたにダダ漏れということなんでしょうか?」
「そうだな」
カロンはかなり考え込んだ。それこそ自分がのた打ち回り、悩み苦しんでいた時のことを。
(・・・・・・・・・何、それ)
この人の無神経さに反論しても、心以前に言葉は通じないし、どこまでも打ちのめされては傷つき、にもかかわらず、この人は無表情に立ち去っては次の瞬間にはどうでもいいこととばかりに、カロンの心情になど全く頓着せず・・・・・・。
「ちょっと待てっ。ひどくないか、それっ!?」
「・・・何がだ?」
ダンッと、寝台に手を大きくついたカロンに、ケリスエ将軍は再度目を開けた。
「俺のあれだけの思いを知っていて、それで無視っ? あれをっ!?」
「何のことだ?」
「俺があんたに告白する前のことだよっ」
「・・・知らん、そんなの」
ふわぁと、ケリスエ将軍は欠伸をした。眠いらしい。少し体をもぞもぞと動かして寝やすいポーズを探し始めている。
そういう時の仕草は少し可愛いと思うカロンだ。つい、枕なども寝やすいようにと差し入れてしまう。
できればそのままキスもしたいが、ここは我慢しておこう。
(知らんって・・・・・・。いや、そういう人なんだよな、・・・分かってたけど)
基本的にカロンは自分よりもケリスエ将軍の感情を優先する。
将軍は眠そうにしているし、それなら眠らせてやりたい。諦めの境地で、そう思った。もう、そう思うしかない。そういう生き物なのだから。
「お前の感情は強すぎると言っただろう。・・・初めて会った時からそうだったんだ。だからその後はお前の表情も感情も見ないよう、遮っていた。だから知らん。お前があの日、好きだの、自分を男として見てくれだのと言いだしたから、それからは徐々に見ていくようにしていたんだが、・・・やっぱりお前のは疲れる」
「疲れるって・・・・・・」
だが、どうやらカロンとは違う思考でケリスエ将軍は言っていたようである。カロンは右眉を上げた。
「一番傍にいるのが、一番強い感情を放っていたら、他のが見えにくくなる。だからお前が傍にいると、余計に他の感情を知る為にかなり注意力を必要とする。・・・そして疲れる。こうして二人でいるなら他の人間のことを考える必要はないが、二人だけでもお前の感情はかなり強く飛び込んでくる」
「・・・どんな風に?」
そうやって何回かに分けて説明されると分かるような気もするが、自分にそういったものはないので完全には分からない。大体、感情を放つなと言われても困るだけだ。
(けれど、それだけ人の気配にも感情にも敏いということなのか・・・)
人の気配を感じ過ぎるこの人が、雑多な中にずっと居続けるのを嫌うのは知っている。だが、感情までも感じているとなったら、それは時に辛いことなのではないだろうか。
自分を取り巻く人達全員に好かれるだなんてことは不可能なのだから。
理由もなく嫌われることだってあるだろう。その度に、人知れず傷ついていたのではないか。
「・・・寂しがるなよ。こんなことを知ったところで、人を嫌いになるだけだ」
たしかにカロンはそれを理解できずに寂しいと思いはしたが、それは彼女のことを思ってのことだ。その痛みすら分かち合えられるものであれば、どんなにか・・・。
「それでも俺は・・・」
「お前は分からなくていい。だから人を大事に出来る」
カロンは思った。
人の感情を読み取るのがその表情の僅かな変化からなのか、それとも体のこわばりや仕草といったささやかな変化からなのかは分からないが、もしもそういったことが出来るのであれば、・・・・・・それは人を寄せつけたくなくなるだろう。
(この人が一人を好むのは、・・・人間そのものを嫌っているからなのかもしれない)
自分達は力が全てだ。人を傷つけ、命を奪うことを生業とする自分達に、優しさといった感情は無駄なものでしかない。そんな騎士団の頂点に立つこの人は、敵からも一番に憎まれ、狙われる存在だ。
「ライナ、・・・俺は」
「お前は本当によく泣くな」
「泣いてません」
「だが、心が泣いている。そうだろう? けれどカロン、お前が傷つくことはない」
そう言って、手を伸ばしてケリスエ将軍は自分の上に屈んできていたカロンの頭を撫でた。その差し伸べる手が楽なようにと、カロンも横になる。
まだ眠くはないが、この人の寝顔を見ていてもいい。
「考えようによりけりだ。だから私は全てを乗り越えてこられた。自分への悪意ある人間を退けていけばいいのだから。・・・だが、お前だけは本当に強烈だったな」
「どんな風にですか?」
「どんな風と言われても、・・・何かそんな感じというか、何かそんな気がするというか。そうとしか言えん。まあ、何となくそれが分かる感じか?」
「はあ」
普段は全てを拒絶するような雰囲気を纏うこの人が、同じ寝台の中では全てを受け入れるかのような雰囲気を纏うのだと、今のカロンは知っている。
それは人がいない屋敷の部屋だからこそ、安らげるというのもあるのだろう。そして剣を置いて休む時に、この人はやっと穏やかな気持ちになれるのかもしれない。
そこで、ふとカロンは尋ねた。
「初めて会った時からって、・・・その時から俺は普通じゃなかったんですか?」
「・・・そうだな。普通じゃないというよりも、お前の感情は私に向かってきたんだ」
ケリスエ将軍は何度も欠伸を噛み殺している。本気で眠いのだろう。
「どこまでも私にまっすぐきたから、・・・だからお前にしようと・・・」
そう言って、ケリスエ将軍は仰向けの姿勢で寝てしまった。手は枕の横に落ちている。こんな無防備な寝姿も、夜を共にするようになって知った。
野宿の時などは常に剣を傍に置いていたし、屋敷で眠る時はカロンもこちらの片翼にはあまり近づかないようにしていたから。
(俺がまっすぐきたって、・・・どういう意味だ? 何かそんな気がって、それでいて強烈って何だ?)
カロンとしては何とも言いようがない。きっとこんな話をしてくれたのも、眠さの余りに問われるままに答えてしまっただけなのだろう。気にはなるが、もうこの人を手に入れた以上、どうでもいいことでもある。
(とりあえず俺の感情はこの人に丸わかりなのだとして、・・・それがどうしたって感じだな)
好きだと口で言うか、この人に悟られるか、その程度の違いなら意味はない。自分が好きな気持ちがバレバレだったとして、そんなことはきっと誰もが知っている。・・・この人だけが最後まで気づいてくれなかったが。
何にせよ、知らない人間の方が少ないだろう。
(けれども。もしも俺がこの人を包むような感情を持てば、この人にはそれが伝わるんだろうか)
せめて安らかで穏やかな眠りであるようにと、祈りを込めてそっと額に口づけた。すると、「ん」と言いながら、ケリスエ将軍がカロンの方へと寝返りを打って、その腕の中に入り込んでくる。
それが嬉しいと思える。少なくとも、この人が体を預けるのは自分の腕だけだ。
(おやすみ、ライナ。・・・良い夢を)
満ち足りた気分になりながら、カロンも眠ることにした。今までのように、ただ好きだと思い続ける感情ではなく、あくまでその眠りを包みこむような気持ちを胸に抱いて。
そのせいだろうか、その夜はいつもよりも安らいだ寝顔に見えた。
【兄と弟と妹と】
王宮で勤務しているフェルエスト・リストリには弟が二人いる。
その上の弟であるセイランドが妻を迎えた。その名をユリアナという。
(妹とは、なんと素晴らしい存在なんだろう)
じーんと、フェルエストは感動に打ち震えていた。
自分よりもでかく育ったセイランドなんぞ、それこそ見ていても暑苦しいだけだ。下の弟はそこまでではないが、フェルエストに男を愛でる趣味などない。
そんなフェルエストだったが、新しく出来た義妹にメロメロだった。
「フェル義兄様、あまりおいしくないと思うのですけど、我慢してお飲みになってくださいね。ちゃんと飲めたら、ご褒美に甘いものも用意してありますから」
少しばかり体調が悪くても、忙しい時は休めない。それを聞いて心配したユリアナは、王宮までフェルエストについてきてくれ、細かい手伝いは機密情報も含まれるから出来ないが、その代わりにとフェルエストの様子を見ながら薬湯を作ってくれたり、世話をしてくれたりしているのだ。
(飲んだだけでムカつきが消えていく。王宮医師に診てもらう為に列に並ばずとも、こんな専属がいてくれるとは。・・・くぅっ、セイランドの果報者がっ)
出会いこそ、セイランドの結婚式当日とあって最悪としかいいようがなかったが、後日、フェルエストは改めてお詫びの品を持って、ユリアナを訪問し、謝罪した。
その誤解に至った理由を説明すれば、ユリアナも納得してくれ、よりによって男と思い込んだフェルエストにも可愛らしい微笑みを向けてくれたのだ。
「それでしたら仕方ありません。・・・そうですわよね、ユリーって、私が男の子の格好をしていた時の呼び方ですから。セイランド様も私もそれに慣れてしまっていて、私もセイランド様だけが呼ぶ名前っていう感じでつい・・・」
そう恥ずかしそうに、「お義兄様ですからお話しするんですけど・・・」と、セイランドとの馴れ初めを語ってくれたのだが、それを聞けばフェルエストも納得するものがあるわけで・・・。
お互いに、「あの時は振り回されたよね」と、被害者の会同盟が結ばれてしまった。
今や、義理ながら二人は仲の良い兄妹である。
実の兄弟よりも仲がいいのではないか。
「私、一人っ子だったから、お兄ちゃんに、いえ、お兄様って存在に憧れていたんです」
そう言って、「だからセイランド様を兄さんって呼んでた時の癖が、今も時々出ちゃうんですけど」と、お茶目な顔つきになるユリアナなど、同じ兄さん呼びでも下の弟とは大違いだ。何て可愛いのだろう。こんな弟なら、あの皮肉っぽい下の弟とトレードしたくなるではないか。
「・・・・・・。お兄ちゃんって呼んでくれてもいいんだが。ユリアナ殿になら」
「そんな。セイランド様のお兄様に、そんな呼び方できません」
いや、是非呼んでもらいたい。野太い声で、兄上とか兄さんとか呼ばれるよりも、ユリアナに呼ばれる「お兄ちゃん」だなんて最高ではないか。
しかし、フェルエストが貴族だからとユリアナも恐縮してしまって、それだけは許してほしいと言う。
そういった理由で、二人は「フェル義兄様」「ユリー」と、呼び合うことで合意したのだった。
その日、セイランド直属の部下の一人、ランスは上司の不機嫌なオーラに悩まされていた。
「あの、セイランド様」
「何だ?」
「どこがお加減でも・・・」
「別に悪くない」
そうだろうとも。悪いのは機嫌だ。
テイトなら軽口も叩けただろうが、真面目なランスにそれは出来ない。
「なあ、ランス」
「何でしょうか、セイランド様」
「普通、恋人同士や夫婦同士だからこそ呼び合うお互いだけの名前ってのは、他の誰にもそういう呼び方をさせないよな」
「・・・・・・。えーっと、つまり、『ハニー』とか『ダーリン』とか言う呼び方ってことでしょうか」
そういう呼び方は人それぞれだ。恋人を、私の薔薇と呼ぶ人もいれば、菫や鈴蘭と呼ぶ人もいるだろう。ランスは別に普通に名前で呼ぶ。
「いや・・・。たとえば恋人の名前を縮めて呼ぶとか」
「うーん。俺はリオネッタはそのまま呼んでますけど、家族はリタって呼んでますね。あ、時々、俺はリータって呼びますけど、確かに俺しか呼ばないかもしれません」
「そうか。・・・そうだよな」
「ユリアナ殿は、セイランド様はあの頃のまま、ユリーってお呼びになってますよね。少年の格好をしていた時は似合ってましたけど、今のあの姿じゃ、ユーナとかリアーナとかの方がお似合いかもしれませんね」
「・・・そうかもな」
だが、セイランドにしてみれば、ユリアナはユリーなのだ。兄さんと呼びながら、感情を隠さずに素直に懐いてくれていた偽りの弟。弟の仮面をかぶった、自分だけの宝。
ユリアナをユリーと呼ぶのは自分だけだと思っていたのに、あの図々しい兄はどこまで自分の世界に浸食してくるつもりなのだろう。しかもユリアナもユリアナで、それを許している。
そう、実はセイランドは兄に嫉妬していたのだ。
セイランドが帰宅すると、そこには美味しそうな匂いが漂っていた。
「お帰りなさい、セイランド様。今日は、フェル義兄様にとってもいい鵞鳥をいただいたんです。だからご馳走ですよ」
「ただいま、ユリー。それは楽しみだ」
セイランドを確認するや否や、笑顔になって抱きついてくるユリアナだ。セイランドも笑顔になって抱きしめると、その髪から少し薬草の香りがした。何か、煎じていたのかもしれない。
本来は使用人付きの屋敷を構えることもできたセイランドである。ユリアナのことを考えて小さな家にしていたものの、その造りはかなり便利にさせていた。それこそ鵞鳥の丸焼きだって出来るし、薬草を煎じる大鍋だって掛けられる。
薬草を乾かせる部屋も用意してあった。
「フェル義兄様もお体は治りましたし、そのお礼なんですって。何か欲しいものはあるかと言われたので、甘えることにして、セイランド様がご自宅でよく食べていらしたお好きな食べ物が欲しいっておねだりしちゃったんです。だけど、こんな立派な鵞鳥をもらえるとは思わなくて。・・・セイランド様も、フェル義兄様にお会いしたら、お礼を申し上げておいてくださいね」
えへっと笑うユリアナだが、あんな図々しい兄からの礼なら、もっとふんだくってくれて構わなかったのに。
そこでセイランドの好きな食べ物をねだる所が、なんといじらしい妻なのだろう。
(結婚して良かった・・・っ)
別に鵞鳥も嫌いじゃないが、特に好きだというわけでもない。セイランドは出されたら何でも食べる。単にユリアナに鵞鳥を食べさせたかっただけだろう、あの兄のことだから。
「ユリー。何か鍋が掛けっ放しだが?」
「ええ。鵞鳥の脂身だけを取り分けて煮詰めてるんです。脂を取ろうと思って」
今日は鵞鳥の丸焼きなのだが、内臓や筋などを使ってスープも作ったらしい。その出汁で野菜を煮たスープも出されていたが、本格的なスープは明日出すつもりなのだとか。
「あ、ですけど足りなかったらそちらも出しますね」
「いや。これだけでかなり腹いっぱいだ。本当に丸々と太った鵞鳥だったな」
「そうなんです。びっくりしちゃいました。フェル義兄様って本当にセイランド様のお兄様ですよね。用意する時はどどんと出してくる所が」
使用人が作って出してくる料理も悪くないが、こうやって嬉しそうな顔でユリアナが作る料理を食べるのは何にも代えがたい幸せがある。
「あのな、ユリー。そのフェル義兄様というのは・・・」
「ええ。私、お兄さんって憧れていたから」
そう頬を染める姿は可愛いのだが、・・・かなり面白くないセイランドだ。
「だからセイランド様を兄さんって呼んでる時、とっても楽しくて・・・。お兄ちゃんってあんな感じなんだなって。セイランド様って本当にちゃっかりさんで、なのに頼りになったし。だけどこうして暮らし始めたら、セイランド様はもうお兄さんじゃないわけで・・・」
ちょっと寂しかったんですと、言われてしまうとセイランドも赤くなる。そりゃ今の自分を兄だと思われても困る。
「フェル義兄様はセイランド様のお兄様なので、セイランド様みたいな感じなのかなって思ってたんですけど、・・・ご兄弟なのに、全くセイランド様とは違うんですね。ふふ、セイランド様は自分が憧れてそうなりたいタイプのお兄ちゃんだったのに、フェル義兄様はなんだか弟を猫かわいがりするような方なんです。同じユリーって呼んでくれても、全く違うんですよね」
比べられているのは不愉快なのだが、「憧れてそうなりたいタイプ」と言われた事実にセイランドはぴくっと反応した。
猫かわいがりという言葉に、あの兄に対してムカムカするものはあるのだが、どんなに猫かわいがりして甘えさせても、ユリアナにとっての憧れは自分なのだ。
(ふっ。そうだろうとも。所詮、あの兄など敵ではない)
現金なもので、そうなると同じユリー呼びすら許せるものだ。どんなに同じ立場に立とうとも、自分の方がユリアナにとっては一番なのだから。
「あんな兄など兄にもならないだろうが、・・・ユリーを甘やかしてくれるならそれでいい」
「また、そんなこと言って。本当はお兄ちゃんを取られてしまって、私に妬いてたりしませんか?」
お兄ちゃんをとられてしまって寂しいなら寂しいって言っていいんですよ? と、からかうように上目遣いで尋ねてくるユリアナである。
妬く? ユリアナに? あの兄のことで?
うん、あり得ない。まず、あり得ない。絶対にあり得ない。
しかし兄弟というものを理解しないユリアナに、それは分からないだろう。
「ユリーになら何でも捧げるさ。あんな役に立たない兄でもね」
「もうっ。本当にセイランド様ったら素直じゃないんだから」
そう言って、二人は優しいキスをした。
ちょうど近衛騎士団の棟にいた時、兄のフェルエストから呼び出され、セイランドは兄の所へと出向いた。
「来たか、セイランド。まあ、どれか一つやろう」
そこには、光沢のある布で作られた薔薇を模した飾り物が何個か並べられていた。聞けば、新しいタイプの布地の見本なのだとか。もう用事は済んだので、見本はそのままもらっていいことになり、フェルエストはセイランドに一個好きなものをあげて、後は部下に渡すつもりなのだと言う。
フェルエストの部下達も、恋人や妻に渡せるとなれば喜ぶだろう。
「どれと言われても・・・」
ユリアナはどれが好きだろうか。赤色が好きなのは知っているが、水色も好きだと言っていた。
「ユリーは赤色が好きだったな。なら、これか」
そう言ってフェルエストが、少しピンクがかった赤色の薔薇を取り出す。ちょっとムッときたセイランドはくすんだ水色の薔薇を取り出した。
「兄上は知らないんですね。ユリーは水色も好きなんですよ」
フェルエストは首を傾げた。たしかにユリアナは水色も好きだと言っていたが、それは、そんなくすんだ色ではない。なぜならその色は・・・。
うん、この弟は馬鹿だ。ただの馬鹿だ。だから軍部は脳みそが筋肉なんだ。
「愚かな男だな、セイランド。なら黙ってユリーに選ばせるといい。明日、残った方は返しに来い。ま、ユリーは赤い方を選ぶさ」
「受けてたちましょう。ユリーは水色を選びます」
何と言っても婚礼衣装だって水色を選んだユリアナだ。きっと水色を選ぶだろう。
家に帰ったセイランドは、「見本なのだが、どちらか一つをもらっていいらしい。好きな方を選んでくれないか?」と、ユリアナに二つの薔薇を見せて言った。
「えっ? ・・・まあ、何て綺麗な薔薇なんでしょう。この光沢が素敵ですね。本当に好きな方を選んでいいんですか?」
「ああ、勿論だとも」
「じゃあ、本当に遠慮なく」
そう言って、ユリアナが選んだのは赤い薔薇だった。
きゃっきゃと喜んで、「お出かけ用の服に縫い付けようかしら」などと言っている。
(水色が、・・・水色も好きだって言っていたのに、どうして・・・)
ガーンとショックを受けつつ、次の日、そのくすんだ水色の薔薇を返しに行ったセイランドだった。
そんなセイランドに、フェルエストは勝ち誇った顔で言った。
「フッ。所詮、この兄に分からぬことはない」
フェルエストにしてみれば、目の前の薔薇と、セイランドの瞳なんて全く似ていない水色なのだ。ユリアナが選ぶ筈もない。
ちょっと落ち込んでいる弟を見れば溜飲が下がるが、情けない弟でもある。
以前、好きな色を尋ねた時、ユリアナが照れながら話してくれたことをフェルエストは思い返した。
「実は私、赤色が好きなんですけど、言わなかったのにセイランド様が気づいてくれていたことが嬉しくて・・・。だけどあの人が優しい瞳になって笑う顔も好きなんです。兄さんって呼んで振り返る時は、いつもその笑顔があって・・・。空の色を見ると、セイランド様の笑顔を思い出して幸せになるって言うんでしょうか」
そう言って、ユリアナはとても嬉しそうに微笑んだのだ。
「だから結婚式の衣裳はセイランド様の空の色にしたんです。そうしたらずっと幸せな気分でいられそうだなって、一生に一度だから、一番幸せな色に包まれたかったんです」
本当にどこまで可愛い義妹なのだろう。宮廷にいる、何かと装身具やドレスをねだる姫君達や女官達と大違いだ。
「お前はまだまだということだ。兄としてのスキルなんぞ、俺の足元にも及ばんよ」
「・・・・・・くっ」
本当に馬鹿な弟だ。返されてきたくすんだ水色の薔薇は、フェルエストの瞳と同じ色だというのに、それすらも分からないのだから。
(ま、言ってやらないがな)
どんなにフェル義兄様と呼んでくれて懐いてくれても、結局ユリアナが一番大好きなのは「兄さん」と呼ばれていたセイランドなのだ。
せいぜい悔しがらせてやっておこう、気晴らしに。
ふふんと、フェルエストは鼻で笑ってみせた。




