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32 ナリファ砦とミセルレッド(宝物は今日も病弱中)

○月×日

匿名X:とあるお方が、とある目的で、とある砦に行っていると噂になってます。・・・最新情報を教えてください。


匿名A:わーっはっは。親子揃って、スッポンみたいな令嬢に執着される運命なんだろ。いやいや、母親はともかく、息子はもう捕まってパックンされちゃうんじゃねえの。けど、平民からそれってすげえよな。ドラマチックなラブストーリーとして、もし現実化したら王都も一気に盛り上がりそうじゃねえっ!?

匿名B:だよな。貴族のスカした顔が歪むの、見てみてえ。

匿名C:砦にいる友からの情報によると、全く進展無しとのこと。・・・これはもう無理か?

匿名D:その前に、その平民がお断りした時が怖えだろ。不敬罪で首チョンとか?

匿名E:・・・・・・どうすればいいんだろうな。


 エルセットが配属されたナリファ砦の地域に、領主はいない。というのも、国境近くということで常に争い続けているその土地を、領主が治められる状態ではなかったからだ。

 あくまで国王直轄地として、その地域はおかれていた。

 しかし、その国境はどんどんとジルベスタ国の方へと入り込み、ローム王国の勢いは盛んである。


「生活そのものは問題ないよね。だけど、これからもっと村人も増えていくだろうし、嗜好品というか、ちょっとした贅沢品とかも、もっと流通していくようにしていきたいな。ほら、男の人だっていい剣とか砥石とか欲しいだろうし。女の人も綺麗な布とか欲しいよね。飾り物にしても。あと、もう少しこの土地でも様々な果樹を増やしたいかな。根付くかどうか、分からないけど」


 エルセットは、師匠であるリスエルード、叔母であるルースレイル、従弟妹であるローランゲルド、ミリアレーナ、そしてトレストと、剣の打ち合い稽古をした後で、そんなことを呟いた。

 体を動かすとスッキリするせいか、休憩時間に色々なアイディアが浮かぶのだ。


「お前なぁ。何か気もそぞろだと思ったら、そんなこと考えてたのかよ」

「そんなことって、・・・トレスト兄、これってかなり大事なことだよ。そりゃ生活そのものは出来てるけど、やっぱりたまには心の潤いって欲しくない? ねえ、リスエル達はどう思う?」

「そうねえ。やっぱり綺麗な布とか飾り物とか、あれば嬉しいと思うわよ。年頃の女の子には特にね。ね、ミリア?」


 そう、リスエルードが意味ありげにミリアレーナに視線を移す。ミリアレーナは真っ赤になった。


「そ、そんなこと・・・。そういうの、私、よく分からないし・・・」


 呆れ顔でトレストはミリアレーナを背に隠し、リスエルードから庇う。


「そういうの、やめてくれる? ミリアにはちゃんと俺が贈るからいいんだよ」

「あら、ご馳走様。・・・ところでトレスト、あなた、まだ『ミリア』って呼んでるの? 妻問いの贈り物をしたって聞いたけど? ミリアも受け取ったからつけてるんでしょ?」

「それはうちの兄上からの贈り物だよ。俺とは別。・・・それに俺はこういうこと、きっちりけじめをつけておきたいんだよ。うちの両親と兄弟と顔合わせして、きっちり名実共に俺の妻だって公表してからにしたいの。そんなの、当たり前だろ」

「私達はそういうの、あまり気にしないわよ? ねえ、ルース、ローラン?」


 話を振られたルースレイルとローランゲルドは、困った顔になる。たしかにリスエルードの言う通り、自分達はそういうことをあまり気にしない。だが、トレストはローム王国の人間だ。恐らく、自分に何かあってもミリアレーナの立場が保障されるようにと考えてくれているのだろう。現地妻という言葉があるが、そういったことをやる男も多いと聞く。

そんな中で、きちんと手順を踏んでミリアレーナのことを大事にしてくれるトレストの姿勢が、嬉しくない筈がない。

 そこでエルセットが、のほほんと口を挟んだ。


「別にいいじゃない。トレスト兄とミリアがそれでいいなら。・・・それに、僕、ミリアの結婚衣装、見てみたいなあ。きっと綺麗だよ。アハハ、グリスなんて、娘の結婚式には泣いちゃうんじゃない?」

「それは言えますね。父のことだから、それまではムッツリ不機嫌そうにしておきながら、土壇場で男泣きしていたりするかもしれません」

「やだ、ローラン。・・・それ、あり得そうよ。ぷぷっ」


 ローランゲルドが同意すれば、ルースレイルもそんな様子を想像して噴き出す。


「まあ、トレスト兄はともかくさ、他の村人達は、そういう伝手(つて)もなかなか無いでしょ? なるべく、ここから出していける特産物を多くして、その分、違う物を入ってこさせたいよね。そして技術も」


 たしかに商売人も多く通過するようにはなった。だが、扱われる品物は生活必需品が優先される。綺麗な布や糸だって入ってはくるが、それらを商品にしていく技術を更に増やしたい。そういった物で艶やかに装えるだけで、若い娘達も心が華やいでいくだろうし、それがやり甲斐になって発展する筈だ。 

近隣の地域でも綺麗な鉱石など採れはするが、磨く技術や加工する技術はまだ少ない。結局安く買いたたかれて、研磨技術を持っているところが儲けるばかりとなる。それではいつまでも、金銭が入ってこない。

 ローランゲルドが片方の眉を上げる。


「技術? これ以上、まだ手を出す気なんですか、エルセット?」

「まあ、出来れば、だけどね。あまり多くを望み過ぎても破裂しちゃいそうだし。だけど、ほら、昔から言うでしょ。人生は短いけれど、伝えられた(すべ)は長生きするって」


 その元となった言葉は医術を指すのだが、世間には全体的な技術として使われることが多い言葉だ。要は、人ひとりの命は短いが、その受け継がれた技術は永遠に生きる、そういったような意味だ。

エルセットは様々な分野の工房までも考えているようだった。


「それは弟子をとって伝えられていくのが前提でしょう。・・・そこまでクォリティを求めるのは無謀です。今は、生活に必要な程度で妥協すべきですよ」


 製鉄技術とて、まだ生活必需品レベルなのに、そこまで考えるのは行き過ぎだと、ローランゲルドが指摘する。今は平穏状態が続いているが、ここはいつ戦場になってもおかしくない地域だ。逃げ出す時に、物が多くては襲われてしまうだけになる。身軽であることも大切なのだ。


「そっか・・・。しょうがないよね」

「まあ、そうしょげるな、エルセット。最初は誰だって一歩からさ。・・・いつか、十年後、二十年後には、そういった弟子を取るような技術者が出るかもしれないじゃないか。ここだっていつかは平和な地になるかもしれない。それを踏まえて動いていけばいい。何事も一気に上を目指すと足元が崩れる」


 ローランゲルドがあっさり却下した為、エルセットもしゅんとしてしまう。トレストは、そんなエルセットの頭をぽんぽんと叩いた。その点、彼らは三人でうまくバランスを取っている。

様々なことを考えてエルセットが提案し、それが可能か不可能かを判断するのがローランゲルド、妥協点を見つけるのがトレストなのだ。

 そんな六人だったが、そこへリスエルードの夫であるジールフェイルがやってくる。


「ああ、いたいた。おい、トレスト。お客人だぞ。見て驚け」

「へっ? 俺っ?」


 茶目っ気たっぷりに、ジールフェイルは頷いた。


「ああ。何でも抜き打ちでの職場見学だとよ。・・・お前さんのお父上が」

「はあぁっ!?」


 さすがに皆が目を丸くする。トレストの父親と言えば、王都騎士団のフォンゲルド将軍である。常に王都にいなくてはならない三将軍の一人だ。それが、職場見学・・・。


(ど、どんな罠が・・・。いや、まさか、ついに母上に捨てられて乱心のあまり、とか・・・?)


 そんなトレストに、皆がこっそりと後ずさりしていく。だが、トレストはしっかりエルセットの服を掴んだ。


「いやいや、トレスト兄。連れて行くのは僕じゃなくて、ミリアでしょっ。良かったじゃない、紹介もできて」

「アホか、エルセット。あの父上が何を考えてるか分かるまで、ミリアを出せるか。・・・お前なら大丈夫だろ」

「ならローランも連れていこうよっ」

「引き抜かれたら困る。あの父上はやるとなったら周囲の迷惑を考えずにやる人だ。ローランを気に入ったら、それこそ縄でふんじばって王都にお持ち帰りしかねん。お前はまだケイス将軍の息子だから、父上も手を出せんだろ」


 つくづく息子に信頼されていない父親である。


「お前なぁ。・・・そこまでお前が隠したら余計に見たくなるってもんだろ。・・・ふむ、あなたがミリアでしょうか、可愛いお嬢さん? トレストの父です。どうぞよろしく」


 そこで、渋みのある声が空間を制した。勿論、話しかけられたのは、ミリアレーナである。さりげなく手を取られているところが、手慣れている彼のスキルを表していた。


「・・・え? あ、あのっ・・・、ミリアレーナ、と申します。フォンゲルド将軍様。・・・・・・あの、申し訳ありません。こういう時、どうご挨拶するのか・・・」

「そんなこと。・・・言葉など、あなたのその純粋で美しい心の前には全くの不要なものですよ、ミリアレーナ。美しいものは、飾る必要もなく美しいのです。これからはお義父さんと呼んでもらえますかな?」


 トレストが年を重ねたらこうなるであろうといったロメスだが、髪の色は異なる。トレストは漆黒だが、ロメスは明るいイエローレッドだ。だからだろう、華やかさと色気がそこに漂っている。

 ミリアレーナも、渋みのあるその色気にあてられて頬を紅潮させた。


(い、いつの間に・・・。さっきまではいなかった、よ、な? てか、父上、あなたって人は・・・)


 それこそ振り返ったら存在していたロメスに、トレストとエルセットも目が点になる。いつの間に来ていたのか。


「ちょっと待てっ。・・・父上、ミリアには手を出さないでくださいっ。母上に言いつけますよっ」

「お前な・・・。どうして息子の嫁に俺が手を出すんだ。本当にお前は分かりやすいな。そんなので、俺の目からどうやってこの娘を隠すつもりだったんだか」

「うっ・・・」


 そこでジールフェイルが、トレストを気の毒に思ったのだろう、

「妻のリスエルード、隣がミリアレーナの母ルースレイル、そしてミリアレーナの兄ローランゲルドですよ、将軍」

と、他の三人を紹介する。ロメスは、三人にもにこやかに挨拶をしていった。


「トレストの父、ロメス・フォンゲルドです。いつも息子がお世話になっております。・・・なるほど、道理でトレストが強くなったと理解しました。こちらのご婦人方には、その美しさ以外にも褒め称えられるべきものがおありのようですね」

「父上っ」


 トレストが制止の声を掛ける。ここで一勝負などとやられてはたまらない。

ロメスは、何だかなぁと、空を仰いだ。


「お前、本当に俺のことを信じていないんだな、トレスト。何もしないってのに・・・。いくら何でも息子を鍛え上げてくれた恩人相手だ。俺とて礼儀は守るぞ」

「父上なんて、面白ければ何でもする人じゃないですか」

「プライベートならそうかもしれんが、仕事は仕事として真面目にやるタイプなんだ、俺は」


 その場にいたジールフェイル、トレスト、エルセットは、即座に(それは嘘だ)と思った。


「今回は一応、仕事で来たんでな。ま、これなら安心だろ。安全を確保できる人材は十分に確認した。これで、俺もさっさと王都に帰れるってもんだ」

「は? 仕事? このナリファ砦はローム国騎士団の管轄ですよ、父上」


 トレストが首を傾げる。そこへ、蒼白になった騎士達が、エルセットを呼びに来る。


「いたいたっ。エルセット殿、ファスナー隊長の所まですぐに来て下さい。一大事ですからっ」

「えっ!? 一大事って、・・・トレスト殿ではなくてっ? 俺、ただの一騎士ですよっ?」

「あなたじゃないと駄目なんですっ。いいから来てくださいっ」

「その一大事ってここにいるフォンゲルド将軍じゃないんですかっ?」

「それも大事ですが、そっちよりももっと大事なんですっ!」


 問答無用で連れて行かれるエルセットだ。それを見送り、ロメスはトレストを促した。


「不憫に思うなら、ついていってやった方がいいぞ。ついでに女手も必要だろう。信頼できる女性を見繕って連れて行ってやれ。少なくとも護衛が出来る女性が望ましいな」

「父上。一体、何が・・・」

「質問するより、急げ。忠告の真偽も見抜けんのか?」

「・・・っ。すみません、リスエル、ルース、ミリア。そしてローラン、一緒に来てもらえるか?」

 

 そして五人が去って行くと、ロメスはジールフェイルを振り返った。その一大事とやらが何かを知っているジールフェイルは、のんびりとしたものだ。


「お前一人ならともかく、・・・ここまで手練れが集まっているっておかしくないか? トレストだけならカロン殿の所にいた、だから仕方ない。お前だけなら俺がエルセットを配属した、だから仕方ない。だが、あの兄妹だけじゃなく、女の身であそこまで強そうなのを見ること事態がかなり稀だと言ってもいい。それが一ヶ所に集まってるってのは異常だ」

「・・・偶然でしょう。時というのは、そういう巡り合わせがあるものですよ、フォンゲルド将軍。それを言うならば、あなた方とてそうだ。同じ時代、同じ王国に、セイランド・リストリ、ロメス・フォンゲルド、カロン・ケイスの三将軍が等しく並び立った。それこそが不思議なことでもあるでしょう。そしてそのフォンゲルド将軍、ケイス将軍の息子達にも、不思議な縁があっただけのこと」

「ま、そういうことにしといてもいいけどな」


 そこで目にも留まらぬ速さでロメスが斬り込んできた剣を、ジールフェイルは同じように素早く抜いた剣で弾いた。


「やっぱりな。お前、かなり手を抜いてただろう」

「はっはっは。まさか。いきなり危ないことをしないでくださいよ、ちびるかと思いましたね」

「けっ」


 ロメスは剣を仕舞う。試しただけだ、本気でやり合うつもりはない。


「強くなったとはいえ、カロン殿には劣る。頭がいいとはいえ、理想論が先に立つ。優しいが、それで自分の首を絞める。顔だちは悪くないが、注目される程ではない。誰からも愛されるが、いい人止まりだ。正直、突出した何かがあるわけじゃない。コレというものがないんだ。・・・なのに、何故かあいつには様々な人間が寄っていく」


 人の上に立つ時、必要なのはそのカリスマ性だ。だが、エルセットにそれはない。ロメスはがしがしと、頭を掻いた。


「俺にとっても赤ん坊の頃から知ってる子供だ。嫌いなわけじゃねえ。だが、・・・あいつのどこがいいのか、そこが分からん」

「フォンゲルド将軍は違う感覚で生きているからでしょうな。・・・別に、誰もが勝ち馬に乗りたいってわけじゃないってことですよ。そんなことより、我が家で一杯どうですか。まだ、客人用の部屋が用意されるには時間がかかるでしょう」


 ジールフェイルは、ロメスを自分の家へと誘う。


「ただねえ、将軍。エルセットは頼りなくても、それでも前を向いて進もうとするから、・・・だから手助けしてやりたくなるんですよ。メリットとか、そういうのを超えてね」


 最初は、サーライナの息子として、部族の命運がかかった子供として、陰から守っていただけだった。だが、王都騎士団で引き合わされ、一緒に行動を共にするようになり、特別な子供というよりも、自分に子供がいたらこんな感じだったのではないかと、エルセットを見る度に、ジールフェイルは思うようになっていた。

 それは、誰にとっても同じことだった。今では、あの神官長すら孫のように可愛がっているときたものだ。


(俺達のこの思いが、神に決められたものかどうかなど、どうでもいい。ただ、寄り添ってやりたくなるんだ、エルセットは)


 やがて、ローム国騎士団に入り込んでいた何人かもナリファ砦へ配属されてきた。偶然を装い、エルセットに接触し、様々な部族の人間が陰に日向に、エルセットを見守っている。

いつしか、エルセットは皆にとっての子供になっていた。

 そんなことを明かす気はないが、ジールフェイルはロメスに微笑んだ。


「ま、俺達に子供がいないからかもしれませんな、そう思うのも。で、久しぶりに息子さんに会ってみてどうでした?」

「・・・どうして俺は、トレストにあんなに信用されてないのかが分からんのだが」

「胸に手を当てて、よーく思い返すべきことがあると思いますがね」


 治療の第一歩はまず自覚から。そんな言葉を、ジールフェイルは思い返していた。




 一方。ファスナー隊長の所へ連行されたエルセットは、そこにいた娘の顔を見て、絶叫していた。


「ごっ、護衛はどこですっ!? 何をお一人で座ってらしてるんですっ!? 隊長っ、こんな危険な場所に来させていい方ではありませんっ。すぐさま馬車と護衛を仕立てて、せめて最寄りの領主の城にっ」


 エルセットを追いかけて現れたトレストも、がくっと肩を落とす。


「・・・まさか。まさかうちの父を護衛代わりにここまでいらしたわけじゃないです、よね?」


 そんな青年二人に、自分の椅子を譲って立っていたファスナー隊長は、疲れた声で答えた。


「あー。・・・何でも我が国のルイージア殿下は、現在、パストリア王国に留学中だとか。従って、ここにいらっしゃるのは、殿下ではない。殿下ではないのだが、・・・フォンゲルド将軍が、直々に護衛についていらした、さる大事なご令嬢になるわけだ」


 だが、そんな詭弁など、エルセットに通じるわけがない。いくら、普通の町娘のような格好をしていようと、その顔をエルセットが分からない筈がないのだ。


「ふざけないでください、隊長。何かあってからでは遅いんですっ。ここは国境近く、何かあって攫われたりしたらどうするんですっ。殿下もっ、こんな危険な所にいらっしゃるなら、せめて一中隊の護衛をつけるものでしょうっ。今すぐにっ、移動の用意をなさってくださいっ。・・・何より父が、・・・ケイス将軍は知らぬことですよねっ。知ってて、何もしないわけがないんですからっ。これは、あってはならぬことですっ」


 そこを突かれると、ファスナー隊長も何も言えない。だが、いくら他騎士団といえども、王都騎士団の将軍がやってきて、「よろしくな」と言われてしまうと、それを無視できるものでもないのだ。

何より、今からケイス将軍に問い合わせの早馬を出したとして、・・・返事が来るのはいつになるか、である。

 ファスナー隊長が怯んだのを見てとり、こほんとエルセットは咳払いをして心を落ち着ける。そしてルイージア王女に話しかけた。お忍びであろうと公的なものであろうと、彼女の傍に護衛騎士がいないことが異常事態だと、近衛騎士団にいたエルセットだから分かる。


「殿下。いいですか、あなたは大事な方なのです。そこは自覚なさっていただかないと困ります。こんな男だらけの場所に、侍女や護衛の一団もつけずに来ていいわけがないでしょう。すぐにもっと内奥の安全な場所に移動していただきます」


 だが、ルイージア王女は、ツンとそっぽを向く。


「イ・ヤ。大体、ルイージア王女はパストリア王国に留学中って、そこの隊長さんも言ったでしょ? 私のことはジーラって呼んでね。それにロメスは太鼓判を押してくれたもの。『護衛なら大丈夫です、うちの息子達がお守りしますから』って」

「あんのクソ父上・・・。やっぱり碌なことしやがらねえ。何を勝手なことを・・・」


 トレストが唸る。開いた扉の陰から室内の様子を窺っていたリスエルード達四人は、顔を見合わせた。


「それにお父様もいいって仰有ったもの。自分で見識を広げてくるのは大事だからって。ルイージア王女の留学における進行状態は、パストリアの叔父様が協力してくれるって約束してくださったわ。・・・それに、危険だって言うけど、ここで普通に暮らしてる人もいるんでしょ? なら、大丈夫よ。・・・だって、私は普通の村人のジーラなんだから」


 トレストとエルセットは口をあんぐり開けるしかない。何という無理のある設定なのか。

しかも、それに二ヶ国の国王が揃って協力とはどういうことか。娘が、姪が可愛くないとでも言うのか。一体、何を考えているのだろう。ついに乱心したのだろうか。

 だが、国王の名前を出されると何も言えない。ファスナー隊長も、既に、そういうことならばと揺れているのが分かる。

 

「あ、そうそう。お父様から、これ、預かってきたんだったわ」


 そこで、ルイージア王女が文書をファスナー隊長に渡す。そこには、「この娘の好きにさせてやってくれ」という一言が書かれていた。国王の印璽と共に。

 ファスナー隊長は、それをエルセットに見せる。


「本物、だ・・・。トレスト兄、ちょっと見てみて。これ、偽物かどうか」

「・・・・・・本物、だな」


 トレストとエルセットは、父親の職業が職業だけに、偽物の見抜き方をも教わっている。二人でそれを確認すると、瞳を見交わした。


「そこで、だ。エルセット・ケイス、君はかつて近衛騎士団にいて、王女の護衛騎士をも務めている。つまり、・・・我々では分からぬこともあるだろう。従って、ル・・・いや、ジーラ様の世話は君に一任したい」

「はぁっ!? 無理ですっ。俺っ、男ですよっ!? 護衛ならともかく、身の回りの世話なんて出来る訳ないでしょうっ」


 ふるふるふるっと、エルセットが首を横に振る。そこで、トレストが疲れたような声になった。


「すまん、エルセット。さっき父上に言われて、リスエル達、連れてきちまった。・・・護衛も出来る女性を連れて行けって言われて・・・」

「何、それ・・・」


 ロメスは完全にルイージア王女に協力体制をとっているということか。他騎士団といえど、三将軍の一人が命じるのであれば、ここにいる騎士で逆らえる者は存在しない。今すぐ、カロンにこの状態を知らせる手段があるならばと、エルセットは思わずにいられなかった。

ルイージア王女を迎えに一中隊、いや、一小隊でも構わない。すぐに動かしてもらわなくては。そして、それまでは目立たぬように、自分達で守るしかないだろう。末端の兵士など、どこに他国の間者が入り込んでいるやら分からない。完全な護衛が揃うまで、彼女のことには箝口令(かんこうれい)を敷かなくては。


「お世話って、・・・別に私、着替えぐらい、自分で出来るわよ? そりゃ、護衛は必要かもしれないけど」


 ルイージア王女が小首をかしげる。

 しかし、国王命令となれば是非もないエルセットは、それを却下した。


「そういうわけにはいかないのです、殿下。不自然にもあなたに護衛の騎士達がついていれば、村人からも注目を浴びます。そうなると、あなたが誰かという話になる。・・・身代金目当てで攫われてしまってからでは遅いのです。ここはあなたと共にいても不自然にならない、女性の護衛が必要です」

「別に、私、いつもロメスと一緒に二人だけで出掛けてたけど、特に問題なかったわよ?」

「フォンゲルド将軍の強さを一般の騎士に求めないでください。彼は特別です」


 エルセットは、一番安全な場所はどこかと頭の中で検索していた。砦ならば騎士もいるが、同時に男ばかりのそこは、末端の兵士まで徹底できないことがある。こんな場違いなルイージア王女が歩いているだけで、何が起こるか分からない。

リスエルードならともかく、ルイージア王女が襲われたら・・・。

そんな想像だけで、エルセットの頬が一気に紅潮する。絶対にそんなこと、自分は許せないだろう。


(安全な場所というと、村に作った神殿だろうか・・・。だけど、あそこは誰でも出入り自由だ)


 どちらかというと、村の中心区域の方が安全だろうと思えた。村には、ジールフェイル達のような、サーライナの部族の人間が住んでいるエリアがある。あそこならば、一騎当千の強者ばかりだ。


「殿下。・・・ジーラ様と、呼べばいいのですね?」

「ジーラでいいのよ。こうやってお忍びで出かける時は、その名前にしてるの」

「分かりました。では、ジーラ。村に、私の住んでいる家がありますので、そこをお使いください。・・・周囲には、このトレスト・フォンゲルドの家も、その婚約者の家もありますし、私の剣の師匠が住んでいる家もあります。ヘタな場所より安全でしょう」

「おいっ、エルセット。お前、まさか、お前の家に殿下を滞在させる気かよっ」


 いくら何でもエルセットは独身の男だ。その家にとは、とんでもないことだろう。トレストが目を剥く。しかし、砦の中は論外だ。男しかいないことを前提にした砦は、ある意味では無法地帯と化す。


「いけない? 大体、僕の家ならよその人間は入り込めないし、様々な仕掛けだってある。・・・それに、隠し部屋に続く部屋に窓はないからね。僕も扉だけ守ればいいから安心さ」

「・・・まさか。毎晩、扉前で護衛する気じゃなかろうな」

「するに決まってるでしょ。何を言ってるのさ、トレスト兄。だけど僕だって次の日に差し支えるのは困るもん。うちならちゃんと仕掛けをつけた上で、扉前に寝台を持ってきて寝てればいいだけだし、問題ないよね」


 真面目なエルセットは、あくまで護衛のことしか考えていないらしい。きっと数日程度のことだと思っているのだろう。

だが、ファスナー隊長とトレスト、そして扉の陰で聞いていたローランゲルドは、そうは思わなかった。・・・というより、本当にケイス将軍は迎えの一団を寄越してくれるのだろうか。


「あなたのおうち? そういうの、面白そうね。私、そういう所で暮らすっていうのもしてみたかったの」

「殿下、・・・遊びではないのですよ。迎えが来たら王都にお戻りいただきます。あくまであなたの安全を考えてのことです」

「ジーラって言ったでしょ。ロメスなら、ちゃんと不自然にならないよう振る舞えるのに、若い癖にあなた、頑固なのね」


エルセットの言葉を小さく欠伸しながら受け流すルイージア王女に、ファスナー隊長とトレスト、そして部屋の中にいた騎士達は視線を交錯させた。


(ファスナー隊長・・・。これ、ヤバイことになりませんか?)

(言うな。王命まで絡んでる以上、俺に何が出来るってんだ。ここはエルセット・ケイスとトレスト・フォンゲルドに押しつけるしかないだろう。下手すりゃ文字通り首が飛ぶ事態になる)


 そして、エルセット以外の人間は薄々察していたことながら、エルセットがカロンに特別早馬で要請した「ルイージア王女お迎えの護衛」が差し向けられることはなく、一ヶ月が経過したのであった。


「ねえ、トレスト兄。・・・これ、どういうことになるんだろう」

「うん、かつてはお前の鈍さが羨ましかったけど、・・・今はそうは思わなくなったな、俺」

「トレスト。そう、本当のことを言うには遅すぎましたよ。どうしてエルセットが子供のうちに軌道修正しといてくれなかったんです?」


 そんなエルセットの困惑を置き去りにして・・・。

尚、肝心のルイージア王女は、リスエルードやルースレイルに色々と教わり、そしてミリアレーナには様々なおしゃれを提案したりして、楽しく過ごしていた。






 そこまでの話をカロンから聞いて、ミセルレッドは年齢より幼い顔を、更にきょとんとさせた。そうすると、まるでミセルレッドこそが困っているかのようだ。

 寝台の脇にある椅子に座って話をしていたカロンは、そこでミセルレッドの頭を撫でた。常に寝台の上で暮らしているミセルレッドは、嬉しそうに笑う。まだ十才だというのに、ミセルレッドはかなり賢い。


「ミセルレッド、疲れたか? 疲れたなら、この続きは明日でもいいが」

「ううん、疲れてないよ。とても面白い。お父様ってば、鈍すぎて面白いよね。お母様の方がよっぽど行動力あるし」

「ああ、まあ、そうだな」


 ミセルレッドは、カロンの孫にあたる。エルセットの五番目の子供で、末っ子だ。上には兄が二人、姉が二人いる。母譲りの明るい金の髪、そして緑の瞳をしていた。

 だが、ミセルレッドは本人の強い希望で、両親や兄姉とは別にカロンの屋敷で暮らしている。


「ねえ、お祖父様。どうしてそこで護衛の一団を差し向けなかったの? 普通、するでしょ?」

「する前に止められたんだ」

「誰に?」

「国王陛下、つまりお前のもう一人のお祖父様だな」

「あー・・・。そっか。お祖父様も大変だったね。すまじきものは宮仕えって言うんだっけ」

「そうだな。だが、ミセルレッドが言っちゃいかんだろう」

「大丈夫。誰も聞いてないから」


 ルイージア王女が産んだ第三王子ミセルレッド。しかし、彼は体が弱く、何かと体調を崩しては寝込んでいた。そんな彼は王籍を抜けて、ケイス将軍の屋敷で暮らすことを強く望み、周囲が根負けした形でそれが叶えられたのである。


「だが、ミセルレッド。お前、本当に体が弱いのか?」

「勿論? いつだって寝込んでるじゃないの。お祖父様だって知ってるでしょ?」

「そうなんだがな。・・・だが、その割には健康そうなんだが。大体、うちで暮らすよりも王宮の方がよほど人も多いし、華やかだろう。もしも俺のことを心配しているというのなら・・・」

「あー、ないない。それはないよ、お祖父様。僕は、自分がいたい場所にいるだけ。そりゃたまに行く分には王宮も悪くないけど、一番落ち着くのはこの家なんだ」


 ミセルレッドの希望で王籍を抜けたとはいえ、その気になったらいつでも戻れる。その方がいいのではと、カロンは案じずにはいられない。

 エルセットの子達は、ミセルレッド以外は王子、王女ということになる。カロンは祖父と言えども、孫としておおっぴらに可愛がることのできる立場ではない。

そしてファレンやアレナが結婚して出来た孫達は、たまに遊びにも来てくれるが、カロンとしては自分と暮らすミセルレッドの将来こそが心配でならなかった。


「変なことを心配してるんだね、お祖父様。どうせ僕は長生きしないって分かってるから、好きに生きたいだけだよ。そういう天命って受け入れるしかないでしょ。ファレン叔父様も僕に気兼ねしなくていいのにさ。この屋敷はファレン叔父様が継げばいいのに、生真面目だよね」

「・・・この屋敷は、エルセットの母親のものだからな。エルセットの子供達は、お前以外は王族になり、こんな屋敷など必要としていない。だからお前の物でいいんだ」

「そうかもしれないけど、僕も長生きする予定はないんだよね。僕が許すから、ちゃんとファレン叔父様には言っておいた方がいいよ、お祖父様。大体、ルーナ姫の産んでくれた、あなたの子供なんだからさ。十分だよ」


 そういうミセルレッドは、ファレンやアレナとも仲が良い。ただ、ルーナに関しては、ルーナおばあ様とは呼ばなかった。別にそう呼んでくれてもと、ルーナ自身が言っても、

「そうなんだけど、姫って感じだから」

と、常にルーナを「姫」と呼ぶのだ。

「こんなおばあちゃんに、姫はないでしょうに。この王子様ったらどうしちゃったのかしら」

と、真っ赤になっていたルーナだが、ミセルレッドも人前では「ルーナ様」と呼んでいる。ただ、身内しかいない時には、姫と呼ぶのだ。そして、何故かルーナにはとても親切である。


(もしかして年寄り好みとかいうのだったら、どうすべきなんだろう・・・)


 世の中には、枯れ専というのがある。枯れた年寄りに好意を抱くという、それである。

成人した大人が少女を性的に好むというのであればロリコンで珍しくもないが、太った人間が好きとか、人の足首だけが好きとか、人には様々な嗜好があるのだ。中には、年配者好みな人間もいるだろう。


(他人のことなら、本人の勝手だと言えるんだが・・・。ミセルレッドのこととなると、やはりなぁ)


だが、まだミセルレッドは幼い。いずれ、年頃になれば同世代の女の子にも興味を持ってくれたりもするだろう。そうだ、そうに違いない。・・・だが、そうならなかったらどうすればいいのか。

 人には決して言えない、この年になって発生しているカロンの悩みは尽きなかった。






 エルセットは、トレストの家で机に突っ伏していた。

トレストとローランゲルドは、ぽりぽりと頬を掻きつつ、せめてもと酒とつまみを並べている。


「えーっと、エルセット、このドライフルーツ、かなり美味しいですよ。ね、好きでしょう?」

「そうだ、エルセット。こっちの酒も、うちの兄上からの差し入れだしな。悪くないぞ。ま、飲め。な?」

「・・・・・・それより、切実にこの状況をどうにかしてくれる何かが欲しい」


この村を作る時、面白がってエルセット達も自分達の家を建てた。こぢんまりとしているが、居心地の良いそれは、家人の性格が出ている。

トレストの家には馬以外にも山羊や鶏がいて、不在時にはリスエルードやルースレイル達が餌をやりにきてくれる。

そしてトレストは面白い物が好きなのか、テーブルや椅子にしても、変わった形の物が多い。波型や歪んだ形をそのまま活かした家具は普通ではないのだろうが、自分なりに居心地のいい場所を定めて座ってみるとしっくりくるのだ。

 

「まあ、大変だな。エルセット。・・・代わってやりたいんだが、それもそれでまずそうだしな。うん、もう、覚悟を決めちまったらどうだ? というか、ここまで据え膳なんだ。しかも国王黙認だろ。なら、いいじゃないか」

「他人事だと思って。言っとくけどね、僕だって男なんだよ。かなりきついんだよ。てか、今になってどこも受け入れ先が無いってどーゆーことっ!?」


 がばっと顔を上げ、エルセットはバンッと机を叩いて嘆く。

 最初はせいぜい十日前後だと思っていた。だからエルセットはルイージア王女の為に、隠し部屋がある自宅を提供し、いざとなったら自分が盾になってでも守るつもりだったのだ。

 トレストの家と違い、エルセットの家は、様々な仕掛けを施してある。それは、本当に役立つかどうかのテストを兼ねていた。ちなみに、エルセットの目論見はともかく、エルセットの家に辿り着く前に、様々な猛者の家を通っていかねばならぬそこに、強盗などやってくる筈もなく、その仕掛けを試せたことはない。

 そしてルイージア王女の扉前に寝台を持ってきて、生きた盾になっていたエルセットだが、周囲から見ればルイージア王女の気持ちは火を見るよりも明らかである。誰もそんな家に邪魔しに行くような無粋さの持ち合わせはない。

 従って、誰の訪問も何もないまま、勿論、護衛の必要もなく、一つ屋根の下で二人っきりな日々が続いていたのである。

 カロンからは、「王女の好きにさせろと、国王命令が出ている。お前も好きにしろ」という手紙がエルセットにきたままで。

 その手紙を見て、「好きにしろって、どーゆーこと・・・?」と、エルセットはかなり悩んで悩んで、悩み過ぎて、やがて放心したりもしていたのだが。


「受け入れ先なんてあるわけないだろ。今や、皆が王女の味方だ。・・・諦めて素直になれよ、エルセット」


 移住してくる人のことを考えて、新しい住人用の住まいも幾つか余裕がある。そこに、部族の女性達を一緒に住まわせてはどうだろうと、さすがにこのまま一つ屋根の下で生活し続けるのはヤバイと思い始めたエルセットが打診したのだが、部族の女性全員が断ってきたのだ。

ならばせめて持ち回りで、ルイージア王女を受け入れてくれないかと訊いても、答えはノーだ。


「あら、ごめんなさいね。エルセット。ほら、うちにそれだけのスペースがないのよ」

「そうなのよ。うちの娘も最近ちょっと怪我しちゃって護衛できる状態じゃないの。ね、あなたの家が安心よ、やっぱり」

「そうよ。もう、こうなったら一緒になってもいいんじゃないかしら。うふふ、お似合いよ」

「本当に、どこが気に入らないのかしら。あんなにも可愛くって不満があるだなんて、もしかしてエルセットの理想ってかなり高いの? せっかくだから教えてちょうだい」


 エルセットだって、ルイージア王女が嫌いなわけではない。どちらかというと、とても大切な存在だ。だからこそ、今の状況はかなりきついのに、どうして誰も分かってくれないのだろう。

 まだ男の方は分かってくれるというか、気の毒そうな瞳で同情を示してくれるが、しかし、

「すまん、エルセット。うちも女房にゃ逆らえん。許せ」

とか、

「悪いが、こればかりはな。・・・男女間のことは当事者だけで解決するもんと決まってる。・・・ま、やっちまった時に、お前さんを逃がす協力ならしてやるからさ」

とか、

「こればかりはお前に協力するなと、女共に脅されてんだ。悪いが、他を当たってくれ」

である。話にならない。

 いつの間に、ルイージア王女はそこまで味方を広げたのだろう。女性同士のネットワークを自分は理解していなかったのだろうか。そもそも、彼らは亡き母の部族だったのではないか。ルイージア王女にその血は一滴も流れていないというのに、どういうことなのだろう。


(そりゃ、部族にとって特別なエルセットだからこそ、王女様がそこまで捨て身でやってきたんだ。誰だって協力するに決まってる。・・・分かってないのはエルセットだけなんだよな)


 ローランゲルドは、そんなエルセットの皿に干し肉を多めに入れてあげた。自分に出来るのは、それぐらいだ。

肝心のルイージア王女は、現在、リスエルードの家で、船で運び込まれてきたばかりの布地を広げて皆と楽しくやっているところだ。ローム王国の最新ファッションだけではなく、パストリアなどの衣装文化にも詳しいルイージア王女である。彼女のアドバイスは、村の女性にとっても頼りになるらしい。

 どういう形のドレスにどんな飾りが似合うかなど、皆と話しては盛り上がっていることだろう。さすがのエルセットも、リスエルードやルースレイル達が一緒ならば、ルイージア王女からも目を離していられる。

 それ以外は、常にエルセットは王女の傍にいた。あそこまで一緒にいたら、もういいじゃないかと、エルセット以外は誰もが思っている。

 ドボドボと、トレストはエルセットのカップに酒を注いだ。


「大体、嫌なら嫌って言えよ、エルセット。王女様だって本当にお前に嫌われてるんなら、そこまで無茶は通さないさ。・・・結局、お前次第ってことだろ」

「やめてよ、トレスト兄。・・・言っとくけど、僕達にとって殿下は聖域なの。絶対に汚されない大切な王女様なの。ずっと幸せに、そして大事に守ってあげたい存在なんだからね」

「あの、・・・エルセット。それはいいんですけど、王女様だっていつかは結婚するわけで、それで聖域とか何とか言われても。それこそ、王女様が高位貴族出身というだけの、ロクデナシと結婚する羽目になったらどうするんです?」


 呆れて、ローランゲルドが尋ねる。ちなみにローランゲルドは少し酒を舐めて、思ったよりも度数が高いと判断し、ちびりちびりと舐めている。だが、エルセットは感情が昂っているせいか、度数の高さには気づいておらず、そのままこくこくと飲んでいた。

 トレストの兄リルドレッドから差し入れられた酒は、とても飲み口が良い高級品だったのだ。


「そんなの・・・、あるわけないでしょ。殿下は誰よりも幸せな結婚をするの。そう決まってるの」

「うん、そのドリームがどこから来てるかは知らんが、どこまでも神聖視しているのはよく分かった」


 机に懐いているエルセットに気づかれぬよう、トレストは、「こいつ、アホだな」と、唇の動きだけでローランゲルドに言う。ローランゲルドも頷いた。

 やがて酔い覚ましに川で水浴びもしたが、エルセットは自分の家に一人で帰っていった。




 その夜は、ルイージア王女はリスエルードの家に泊まると言われていた為、エルセットは久しぶりに自分の部屋で寝ていた。

 とはいえ、酒は今になって全身にまわってきたかのようだ。水浴びをして静めてきたつもりなのに、体が熱い。実はかなり強い酒だったのだろうか。

 手を、寝台近くの台に伸ばして水差しを取ろうとしたら、誰かの手に触る。


「水が欲しいの?」

「そう。水が欲しいんだ」


 ぼうっとしたまま、その問いに答えると、カップに入った水が渡される。ガンガンとする頭の痛みに耐えて身を起こすと、エルセットはそれを一気に呷った。腕で雫を拭って視線を上げると、台に置かれた小さな手燭が金の髪を映し出している。エルセットはそっと手を伸ばして、結い上げずに垂らされたその髪を一筋すくって口づけた。


「結構、いい夢かも」

「そうなの?」

「うん。頭痛以外はかなり・・・」

「何で頭痛なの?」

「トレスト兄の酒を飲んだから、かな」


 それでも体を起こし続けているのは辛い。カップを台に戻すと、エルセットはその(たお)やかな白い腕を掴んで同じ寝台に連れ込んだ。何度も夢に見ただけあって、慣れた手順でもある。

 そんな夢ですら、彼女に痛い思いをさせる気はなく、だからいつだってスピードはつけずに、ゆっくりとエルセットの体自身をクッション代わりにして彼女を掻き抱く。


「一緒にいて。君がいてくれるなら、どんな痛みも平気だから」

「そうなの?」

「そう」


 エルセットは目を閉じた。その柔らかく官能的な曲線を描く体も、髪から香る花の香りも、彼女だけのものだ。いつものように、エルセットはその顎に手を添えて唇に口づけた。

 誰にも言えない想い、それでも夢だけは心のままに見る自由がある。


「好きだ。・・・だから、僕には君の夢だけあればいい」

「・・・・・・何、それ」


 だが、エルセットの意識は、そこで抗えない眠りに落ちていった。

 そして・・・・・・。

 翌朝、自分の部屋にある寝台で、エルセットは脂汗をダラダラと流していた。

 同じ寝台には、ほとんど夜着もはだけたルイージア王女がいる。そして自分の上半身は裸である。だって、暑かったのだ。仕方ないだろう。

 だが、問題はそこではない。


「あの、これは一体・・・・・・」

「あなたが私の腕を掴んで、『一緒にいて』って言ったんだけど?」

「い、いや。そもそも殿下、昨夜はリスエルの所で泊まる予定でしたよねっ? うち、夜は仕掛けがあるから、誰も入って来れない筈なんですけどっ」

「仕掛け? トレストさんが外してくれたわよ?」

「・・・・・・」

 

 尚、エルセットの家で使われている仕掛けは、どれもロイスナー商会の特製品である。勿論、トレスト・ロイスナー・フォンゲルドはそれの使い方のみならず、外し方も熟知している上、どこに仕掛けたかも知っている。


「殿下・・・。正直に教えてください。私はどこまであなたにしましたか・・・」

「どこまでって・・・? 色々されたから分からないわ」

「・・・・・・!!! い、色々と言うと、たとえば・・・」

「最初に腕を掴まれて寝台にいたあなたの上に引き倒されて、それからキスされたでしょ。で、色々と手が動いてってね、まず、私の夜着を脱がしたの。で、あなたの手が私の胸と、それから脚の、むがっ」

「うわぁぁぁっ、いえっ、もういいですっ。言わないでくださいっ、勘弁してくださいっ」


 自分で訊いておきながら、エルセットはルイージア王女の口を自分の手で覆い、それを遮った。彼女の口からだけは聞きたくないことがあるのだ。

はあはあと息をつくと、エルセットは思い詰めた声で言った。


「殿下・・・。こうなってはどうしようもありません。そりゃ王宮の生活とは比べ物になりませんが、どうにかあなた一人を食べさせていける蓄えはあるつもりです。この国の王女が純潔でなかったなどと婚姻相手から糾弾される、そんな辱めをあなたが受けるなどあってはなりません。どうか私と一緒に逃げてください。名前を変えて、知らぬ土地で、二人で暮らしましょう。そうすれば、あなたは行方知れずになった悲劇の王女ということで、誇りだけは守られます。・・・ですが、あなたには苦労をかけないと、それだけは誓います」

「・・・・・・・・・えーっと、どうして逃げなきゃいけないの?」


 どうやら、エルセットはかなり悲観的に考えるタイプらしいと、ルイージア王女は思った。


「当たり前でしょう。あなたの純潔が私ごときに奪われたなどと明るみに出れば、あなたが平民風情に汚されたのだと言われ、辛い思いをすることになります。私自身はどんなお咎めを受けようとも仕方ありませんが、あなたが(そし)られることなどあってはなりません。ですが、失われた純潔は戻らないのです。・・・王族の婚姻で、婚姻相手の協力なしにそれを隠すことは出来ません」


 仮に婚姻相手が協力してくれたとしても、それにより婚姻後は相手に逆らえない、辛い立場に置かれてしまうのだと、エルセットは辛そうな顔で語る。男は経験を誇れても女は違うのだと、今のローム王国ではそういった感覚こそが主流を占めると、エルセットはそこで説明した。

 かつて遠い時代であれば、それだけの地位がある女の方が処女性にこだわらずに男を選ぶこともできたのだが、今は違うのだ。


「へぇー。それは大変ね」


 そうのんびりと、ルイージア王女は感想を述べた。

以前から感じていたが、どうもエルセットは自分をかなり大切に考えているらしい。・・・全く、かつて自分を茂みに連れ込もうとしたリーフォゲン侯爵の弟とは大違いだ。

しかし、せっかく責任を感じてくれているのだから、そこは利用しなくては。本当のことがバレない内に。


「ねえ、ところで『一緒に逃げてください』って駆け落ちの申し込みなの?」

「え、ええ。そうなり、ますね。・・・ですがっ、ですが別にもう二度とあなたにこんな無体なことはしませんからっ。あくまであなたを守って生きていくつもりですからっ」

「・・・・・・酔ってる方が素直なのね、あなた」


 昨夜はあれ程に自分を好きだと言っていたくせに、この生真面目さは何なのだろうと、ルイージア王女は思った。エルセットは目に涙を滲ませる程に赤くなって口に手をあてているが、絶対に先程からルイージア王女の方を見ない。

 周囲の大人の女性に比べてあまり大きいわけではないルイージア王女の胸だが、決定的に見えているわけではなくても、鎖骨から膨らみにかけてのラインを目に入れるのも、エルセットは避けているらしい。

 あのロメスには色気もなくダメダメと言われた自分だが、エルセットにはそうでもないようだと、ルイージア王女は自信を持った。

 ルイージア王女は、そのままエルセットの首に腕をまわして抱きついた。エルセットの体が固まる。


「・・・駆け落ちって、好きだとか、そういうのを言ってくれるものじゃないの?」


 ロメスに連れて行ってもらった娼館で、娼妓達はたしかこうやってしなだれかかっていた筈だと思い返しながらやってみたルイージア王女だが、なるほど、素晴らしい効果があるようである。


「でっ、ですから殿下っ。あくまで私は・・・っ」

「私のこと、嫌いなの? やっぱり単にこうなってしまったから仕方なく、なの?」


 エルセットだって健康な男である。既に酔いは抜けていたが、違う意味で心臓が早鐘を打つ。

 大輪の花のようだと謳われたルイージア王女である。寝起きのしどけない姿だからこそ、男ばかりの騎士団にいるエルセットには刺激的すぎた。何より、ずっと想い続けていた相手である。

 エルセットはその体を抱きしめた。


「好きです。・・・初めて会った時から、ずっとあなただけをお慕いしておりました。どうか私と一緒に逃げてください。贅沢はさせてあげられないかもしれませんが、出来る限りあなたをお守りし、幸せにすると誓います」


 まるで羽毛をそっと包むかのように、エルセットはそのうなじに手を差し入れて上向かせ、ルイージア王女をまっすぐ見つめてきた。その黒い瞳の奥にあるのは自分への想いだと、ルイージア王女は目を閉じた。

 エルセットの自分に対する気持ちを確信できたからこそ、ここまで強気だったルイージア王女だが、やはりきちんと愛を告白されれば、心が震える。

 酔ったせいでもなく、夢というわけでもなく、明るい朝の光の中、二人は口づけを交わす。

 だが、その後で、ルイージア王女は念を押した。そう、一番大事なことが残っているのだ。ここまで皆に協力させて、どうして失敗などできようか。


「それって、私と結婚したいってことよね?」

「え、ええ。そうですね。いえ、別にずっとあなたを主人としてお仕えするので十分なんですが」


 その返事に、ルイージア王女はイラッとしたようだった。口調がいささか据わる。


「けっ・こ・ん・し・た・い・の・よ・ね?」

「は、はい・・・」


 ルイージア王女は、とんっと軽やかに寝台から跳び下りる。とても爽やかな笑顔だった。


「良かったわ。あのね、あなたはリガンテ公爵の養子になるの。だからリガンテ公爵の義息子(むすこ)ってことになるわね。で、私と結婚するのよ」

「・・・は?」

「リガンテ公爵家なら、王家と縁続きだから私と結婚しても問題ない家格なの。お父様も、ケイス将軍も、あなたが私と結婚したいって言ったらそれでいいって仰有ったわ。リガンテのおじ様は、最初から私の味方だもの。・・・まさか今更イヤだとか言わないわよね?」

「い、言いませんが・・・」


 しかし、頭がこの状況に追いついていない。エルセットは呆然としていた。


「じゃ、決まりね。さ、朝食にしましょ。これから忙しくなるわ」

「は・・・?」


 反対に、ルイージア王女は素早かった。手早く着替え、エルセットと共に朝食をとると、そのままファスナー隊長の所に出掛けて王宮とリガンテ公爵家、そしてケイス将軍への早馬を出させる。

 リガンテ公爵家からの迎えがやってきて、エルセットと養子縁組を行った後、結婚式に持ち込まれるまで、電光石火の早業としか言いようがなかった。






 エルセットの義父となるリガンテ公爵は大将軍の地位をも持つ。

王城近くに豪邸を構えており、代々王族との婚姻を繰り返してきた名門として名高い。

ナリファ砦からリガンテ公爵家へと呼び出されたエルセットは、緊張した面持ちでその応接室にいた。


「あははは。ルイージア王女に嵌められたって? いやぁ、なかなか行動力のある王女様だからねえ。うん、逃げるなら今の内だよ。あんな強引で権力に物を言わせるような子、冗談じゃないよねぇ」

「恐れながら、・・・ルイージア殿下はとても心優しく傷つきやすい、繊細な方です。今回のことは、私の殿下を恋い慕う気持ちを汲み取ってくださっただけのことにすぎません。そしてこの度は、私との養子縁組を快くご了承して頂きましたこと、心より感謝申し上げます」


 そこは書類上のこととはいえ、養子になるのである。エルセットは、リガンテ公爵にきちんと頭を下げて礼を尽くす。だが、リガンテ公爵はあまりそういうことを気にしないタイプのようだった。


「・・・・・・繊細? あの子が? 君、ルイージア王女が、部屋でクッションをタコ殴りしてたのも見てたんでしょ? 普通、そんな乱暴王女に、心優しく傷つきやすいとは言わないんじゃないの?」

「いえ、その・・・。その場で言いたい気持ちを押しこめて、せめてもと部屋に戻ってからクッションに八つ当たりしていたなんて、えっと、・・・その、・・・可愛い、ですよね?」


 そこはつい、赤くなってしまうエルセットだ。やはり他人にそういうことを話すのは、何かと気恥ずかしい。

 そんなエルセットを、手振りでリガンテ公爵はソファに座るよう促す。そして自分も向かいのソファに座った。


「・・・うん、見かけはケリスエ将軍そっくりだけど、中身はケイス将軍似なんだね、君。よく分かった」

「は? 父ですか? あまり父に似ているとは言われないのですが・・・」


 エルセットは困惑してリガンテ公爵を見返す。見かけは実の母親、中身は育ての母親そっくりと言われることが多いからだ。


「そう? うんざりする程そっくりだよ、君達。ケイス将軍も長年の想いが実って結婚したってのに、それすら『自分の気持ちを彼女が受け入れてくれただけですから』って、君と同じような反応で、周囲がどれ程げんなりしたものか。しかも、全てにおいて彼女が基準ときたものだった。結婚祝いにと、王が夫婦で使えるような装身具を贈れば、ケリスエ将軍だけを飾るしね。君もそのクチじゃないの?」


 あれだけ存在感のある二人だったのだ。石の選別からデザインに至るまで、王宮でも名匠と呼ばれる者達に命じて作らせた。王の名前で贈ったが、リガンテ公爵が取り仕切ったのだからよく覚えている。


「・・・別に、飾りでしたら女性の方が似合うでしょうし、それは仕方ないかと」


 エルセットには、それのどこがまずいのか分からない。自分だって、何か飾るものがあれば、ルイージア王女を飾るだろう。ルイージア王女なら、生花だろうが布飾りだろうが宝石だろうが、どんな物でも似合うに違いない。

 それを言うと、リガンテ公爵は、「ああ、そうだろうね」と、疲れた声になる。


(フィツエリ男爵令嬢に育てられたんんだから分かっていない筈がないんだが、・・・やはりケイス将軍の息子ということか)


 どうして男も宝石や金銀で身を飾るかといえば、それは財力と権力の証だからである。妻を飾るのもさりながら、妻よりも夫の方が偉いことを示す為、余計に男の方が大きく目立つように飾り立てることを、・・・ルーナに育てられた彼が知らない筈がないのだが、エルセットはそもそものそういう感覚が全くないのだろう。


「うん、まあ、・・・あのケイス将軍みたいな愛し方が出来る君なら、ルイージア王女も幸せになれるだろう。いや、君がそれでいいならいいんだ。いや、お互いに両想いなら問題ない」

「はぁ」


 父のような愛し方と言われても、自分は全く似ていないと思うエルセットだ。実母サーライナのように、瞬殺とか木端微塵(こっぱみじん)とか、そう言わざるを得ない、男に対する無慈悲な対応を、あのルイージア王女がするとは思えない。そして自分も、父カロンのように何度玉砕しようと懲りずに付き纏うような真似など出来ないだろう。

 だが、リガンテ公爵は違うものを見ているようだった。


「君には分からない、いや、当事者にとってそれは当たり前のことだから分からないものなのかな。・・・このローム王国において、自分より妻の方を優先できる、それが自然に身についているというのが、どれ程に稀有なことなのかを。・・・・・・君がケイス将軍の息子で良かったよ」


 エルセットは首を傾げた。しかし、リガンテ公爵はもう語ろうとはしなかった。


「さあ、後はこちらでの手続きだけだ。君はケイス将軍の所にお戻り。ただ、君はこのまま王都勤務になるけどね。・・・ナリファ砦のある地方は、恐らく君個人の財産として国王から贈られることになるだろう」

「えっ!?」

「当たり前だろう? あの地域は国王直轄地だ。・・・だから、娘婿に結婚祝いとして贈られてもおかしくない」

「あの、・・・それでしたらそれはルイージア殿下の物にしておいていただけないでしょうか。やはり、色々と女性の方が物入りですし、お金も必要となるでしょうし。・・・私は特に自分の食べる分だけあれば十分ですので」

「・・・黙ってもらっておきなさい。その収入でルイージア王女に君が何か贈ってあげればいい」

「そうなんですが、財産とか不相応に持ってしまうと、自分がルイージア殿下を大事にしなくなるんじゃないかって心配になるんです。古来、そういう話はよくありましたし」

「無駄な心配だね。・・・大体、あのケイス将軍がケリスエ将軍の全てを手に入れたからって、亡くなったケリスエ将軍のことを蔑ろにしているわけでもないだろう。君はそうならない人だよ」

「はあ」


 そんなやり取りを経てエルセットが立ち去ると、隣の部屋にいたリガンテ公爵の長男が静かに入ってくる。


「何とも無欲な青年でしたが、さて、どうなると思います、父上? いみじくも彼が言った通り、高貴な人間に見出されて結婚し、それまでの美徳を全て失っていった例は枚挙(まいきょ)(いとま)がありません」

「そうだな。・・・彼は変わらない、そしてルイージア王女は幸せになれると思うよ」


 リガンテ公爵は、ワインをグラスに注いだ。それを息子にも差し出す。受け取り、先程までエルセットが座っていた場所に、長男は座った。


「王位継承者の女を手に入れて、利用し尽くした男は多い。だから、場合によっては彼をいずれ処分する覚悟もあって、うちの養子にしたが、・・・あれならばその必要もないだろう。決して彼は王女を裏切るまい。そう、彼の父親が彼女一人を愛し続けたように」

「ですが、父上。ケイス将軍は後妻を迎え、子も儲けていた筈。ケリスエ将軍を愛し続けていたとは言いますまい」

「そこに愛などないさ。赤ん坊のエルセットを連れて放浪していたカロン・ケイスを呼び戻したのはこちらだ。王都への帰還命令を受けて戻った直後の結婚なんて、エルセットを育てる為だけだったと、誰でもすぐに分かる。分からないのは、見る目のない奴らだけだよ」


 リガンテ公爵は、かつて自分が信頼していた将軍の顔を思い出す。先程までいた青年によく似た、それでいて彼よりも強い意志を内包していた、あの黒い瞳を。

 そのケリスエ将軍が軍を退いても、病に倒れても、カロンは彼女を手放さなかった。後妻に迎えたルーナがフィツエリ男爵家に子供と共に去ろうが、引き留めも何もしなかった時点で、扱いの差は一目瞭然だ。大体、養子で部下の癖に、褒美に養母である上司を欲しがるような男ではないか。


―――もしも、ケリスエ将軍がいなくなっても君が軍に残ってくれるとしたら、どんな条件があれば残る気になるものかな?

―――ケリスエ将軍を私にくださるのでしたら。


 そう、あれは前代未聞の要求だった。二度と同じような話を聞くこともないだろう。

 けれども、だからこそ、その息子は、ルイージア王女を得ても自分がルイージア王女の権利を奪おうとはしないだろう。カロンだからこそ、息子をそう育てることが出来たのだ。


(ケリスエ将軍の息子が、僕の息子になる、か)


 それも悪くないと、リガンテ公爵はグラスを傾けた。




 リガンテ公爵邸は、王宮に近い。そんなわけで、エルセットは自分の屋敷ではなく、王宮にあるローム国騎士団の棟へと向かった。父に会うなら、その方が早いと思ったのだ。


「あっ。ついにおめでとうございます、ですね? いや、何というか、アハハハ、こっちもどうなることかとやきもきしていたんだけどね。うん、凄い出世だよね、エルセット?」


 棟に入った途端、そこを通りがかったキヤン・ハイリ第一部隊長に捕まったエルセットは、乾いた笑いを立てた。


「ハハハ・・・。知ってたんならどうして何もしてくれなかったんですかね? てか、どうしてその話を知ってるんでしょう? こっちなんていきなり呼び出されて王都に来たんですけど」

「いや、だいぶ前から皆知ってるよ? だって、王女様ったら、隣国へ留学なんて大嘘こいてナリファ砦に行ったの、有名だったしさ。そうなると、目的なんて一つじゃないか。・・・いや、もう、あのケイス将軍の苦悩している顔っ、是非見せたかったねっ」


 バンバンと、エルセットの背中を大笑いしながらキヤンが叩く。以前はもっと貴族らしい洗練された物腰だったらしいが、トル・ソチエトに言わせると、「クネライ将軍の影響でガサツになり過ぎた」のだそうだ。そのクネライ将軍がどういう人なのか、エルセットは知らないが、かなり豪放磊落な人だったらしい。


「痛いです、第一部隊長。・・・ところで、やっぱり父ってば苦悩してたんでしょうか」


 エルセットが出した早馬には、「好きにしろ」という冷淡な手紙一枚の対応だったが、それでも内心は思い悩んでくれていたのだろうか。父の愛を疑ったことはないが、今回のこれをどう考えているのか、やはり会うまでは心配せずにいられなかったエルセットだ。


「そりゃそうだろ。だってエルセットが王宮にとっ捕まったら、もう逃げられないもんな。ま、諦めてうちの将軍でいてもらうさ。うん、エルセット、お前のおかげでうちの騎士団も助かったよ。やっぱりあのケイス将軍とやり合うのはきついしさぁ」

「は?」


 会話が噛み合っていない。エルセットは、キヤンの顔を見直した。性格の悪そうな笑みを浮かべると、キヤンはエルセットの耳元で小さく囁く。


「お前さんが王女との結婚を嫌がったら、将軍はお前を連れて逃げる気だったのさ。・・・さすがにお前を連れたケイス将軍相手をどう捕まえるか、しかもお前を守る為に将軍がどの国に仕官するかを考えたら、ヤバイ流れしか思いつかねえじゃねえか。何と言ってもうちの騎士団を全て把握しているばかりか、あのケリスエ将軍の愛弟子なケイス将軍だぜ。俺だって勝てる自信はねえよ」

「はぁっ!?」

「ま、おかげでローム王国も寿命が延びたってもんだ。愛されてんな、エルセット。当たり前だが」


 そこへ、カロンの副官の一人であるジルード・ファレが通り掛かる。


「あれっ、エルセット? ナリファ砦から戻ってたのか。・・・じゃなかった、ほら、すぐに来い。将軍なら執務室にいるから」

「ジルードさんも、・・・知ってるんですよね」

「当たり前だろ。知らない奴はいないって」


 そこまで言うと、何かを考えるような顔になり、ジルードもエルセットの近くで囁いた。


「今更、嫌だなんて言うなよ。お前が一言でも言ってみろ、この王国にどんな混乱が引き起こされるかも分からねえ」

「あのぉ・・・ですね、父はそんな短絡的なことなんてしません」


 そこはきっちりと釘を刺しておこうと、エルセットは二人に向かって言い切った。だが、ジルードは呆れたように却下する。


「アホか。基本的にケイス将軍は無神経な人だっつーの。単に、今は神経を集中しておく人がいないから、出来た人間っぽく振る舞ってるだけで、いざ動く時は人を人とも思わねえに決まってんだろ。言っとくが、俺はあの人が本気で動く時に邪魔する気はないんだからな。そうしたら、この国が瓦解するのも見えてるじゃねえか。あのイカレたフォンゲルド将軍と、無茶ぶりなリストリ将軍と親友やってる同類なんだから」

「・・・・・・」


 もしかして、父は部下にかなり信頼されていないのかもしれないと、エルセットは思った。

今度、トレストに話して聞かせてあげよう。部下に信用されていないのは、自分の父ロメス・フォンゲルドだけじゃないのだと、感涙してくれるかもしれない。

 

「何をぼうっとしてるんだよ、エルセット。ほら、ダディが待ってるって。俺もついていってやるからさ」

「いや、第一部隊長、単に見物したいだけですよね? エルセットは俺が連れて行きます」

「そういうジルードこそ、単にケイス将軍にいい所を見せたいだけだろうが。相変わらず心酔してやがんな」

「あなたに言われる筋合いはありません。第一号の癖に」

「うるせえ、第二号」


 意味不明なことを言いつつ、二人はエルセットの腕を片方ずつ確保する。


「さ、行こうぜ、エルセット。第一部隊長自らが案内してやるってんだ。嬉しいだろ?」

「おっさんの親切の押し売りってウザいって、正直に言っていいですよ、エルセット」

「とりあえず、僕、一人で行けるんですけど・・・」


 そんなエルセットの意見は、言うまでもないが二人に黙殺された。






 くすくすと、ミセルレッドが笑う。


「お前には面白いのか、こんな話?」

「面白いよ。お父様とお母様は、結婚式の話はしてくれるし、その時の絵も王宮に飾られているから分かりやすいんだけど、そういう話はしてくれないもん。それに、・・・お祖父様が話してくれることに意味があるんだ」

「お前はよく分からん子だな、ミセルレッド」


 あまり外に出られない体だと、考えも大人びてしまうのだろうか。子供には分かりにくい話だと思うのだが、ミセルレッドはカロンがどう生きてきたか、何があったか、そういった話を、何かと言えばねだる子供だった。

 子供が好むようなおとぎ話など知らないカロンである。寝台でほとんどを過ごす孫息子が望むままに、息子であるエルセットにも話したことのないものまで話してしまっていた。


「今日、使用人を追い出したって、ミセルレッド?」

「ああ。うん、そう。・・・だから片翼にいるソチエト家の人にだけ任せておけば良かったのに、お祖父様ってば使用人を雇うんだから、こうなるんだよ」

「いや、まず追い出した理由を言いなさい、ミセルレッド。・・・そりゃ、ソチエト家の人はうちの世話もしてくれているが、・・・あまり世話になるのもな。それにきっと・・・」

「きっと?」

「いや、何でもない。・・・で、どうして追い出したんだ?」


 何が気に入らなくて追い出したのかと、カロンは孫息子に尋ねた。どうしても自分は仕事に行く為、ついていてやれないのだ。だが、ミセルレッドは王籍から抜けたとはいえ、王子でもある。庶民の子のように、大人しく留守番を言いつけておくわけにもいかなかった。


「掃除しているフリをして、貴重品を盗もうとしていたからね。お祖父様、バレてないと思ってるかもしれないけど、お祖父様のお部屋の暖炉横にある隠し扉、実はバレてたみたいだよ」

「・・・何故、お前もそれを知ってる」

「なーいしょ。いくら何でも大事な物を盗もうとしている使用人を許せるわけないでしょ。ちゃんと盗られてないか確認しといたけど、・・・装身具と一緒に入ってたの、遺髪?」

「ああ、そうだ。妻の、・・・お前のお祖母様のものだよ。ミセルレッド」

「そんなの、・・・後生(ごしょう)大事にとっておくこともないのに」


 かなり辛辣な言葉なのだが、その口調はどこか寂しげで、カロンは怪訝(けげん)に感じた。だが、確認はしておかねばならない。ミセルレッドを寝台から抱き上げて、カロンは一番奥の自分の部屋に行く。


「お前もその隠し扉を開けたのか? やってみなさい、ミセルレッド」

「何だ、疑ってるの? いいけどね。ほら、ここをこうして押さえて、スライドさせて開けるだけ」


 手慣れた様子で、ミセルレッドはその壁に隠された扉を開けてしまう。そこには小さなスペースがあって、かつて国王から結婚祝いにもらった装身具と、サーライナがカロンにくれた虎目石、そしてカロンがサーライナの為に購入した様々な装身具、そして編まれた焦げ茶色の髪が入っていた。


「別に、こんな所に仕舞い込まず、ルーナ姫にでも使わせれば良かったのに。男女兼用のが多いから、お父様でもアレナ叔母様でも使えたんじゃないの?」


 ミセルレッドは、かつて国王が結婚祝いにくれた装身具を取り出して、カロンの腕に嵌める。


「ほらね。お祖父様だって似合うのに。大体、どれもこれも男女兼用ばかりなんだからさ。使ってあげないと可哀想だよ」

「仕方ないだろう。おまえのお祖母様は男装していることが多かった。男女兼用の物を選ぶのは当然だ」


 そう言いつつ、カロンはミセルレッドの手から首飾りの方を取り上げて、その首にかける。赤みのある黄色い石は、ミセルレッドの金髪よりも色が濃く、それでいて彼がつけると統一感がある。首飾りも腕輪もまだ大きいが、いずれミセルレッドが成長したらちょうどいいサイズになるだろう。

 ミセルレッドが、「お揃いだね」と、笑いかけてくる。

 あの頃はサーライナによく似合うとしか思っていなかったカロンだが、こうして出世し、様々な装身具を見慣れるようになって、これらがかなりの逸品であると知った。


「たしかに仕舞い込んでても仕方ない、か。ならミセルレッド、これらはお前が使えばいい。・・・華やかなお前に、それはとても似合う」


 サーライナを飾ったそれを、ルーナに使わせる気にはなれなかった。男女兼用だから、エルセットに渡せば良かったのだろう。しかしエルセットもそういった物に興味はなく、エルセットに渡そうものなら、そのままルーナに使わせるのが分かりきっていた。

 ファレンやアレナに使わせるには、・・・サーライナが自分と結婚した証の一つであるそれは、あまりに思い出が残り過ぎていた。

 けれども、・・・ミセルレッドならば構わない。カロンはそう思った。


「そういう意味じゃないんだけど。ま、いいけどね。・・・ね、お祖父様。なら、そのケリスエ将軍と僕、どっちが似合う?」

「・・・・・・お前は、俺が知る限り、世界で二番目にそれが似合うよ」

「そういう人だよね、お祖父様。分かってたけど」


 何故が、がっくりとした様子で、ミセルレッドはぼやいた。諦めた様子で、隠し扉から仕舞われていたそれらを取り出す。


「この虎目石は正装用のマント留めにしなよ、お祖父様。色合いだけは地味だし、派手なのが嫌いなお祖父様でも問題ないでしょ。・・・きっと、幸運がお祖父様を守ってくれるよ」

「そんな話までしたか?」

「したよ。南の国で買ってきたのを渡されたんでしょ」

「ああ、・・・そうだったな」


 かつてサーライナがカロンに土産でくれた石だ。お守りになるからと渡されたそれを、引き出しに仕舞っていたのはいつまでだったか。

エルセットやファレン、そしてアレナが色々なことに興味を持つ年頃になり、自分の留守中に悪戯されてしまう前にと隠したのだった。

 そこで、ふとカロンは気づいた。


(そういえば、ミセルレッドは、悪戯(いたずら)をしないな・・・)


 体が弱くて寝台から出られないというのはあるだろう。だが、子供なら気分のいい日には探検したり、こっそりと何か悪戯したりするものだ。なのに、ミセルレッドはそういったことをしない。彼が望むのは、カロンと一緒に食事すること、そしてカロンの話を聞くことぐらいだ。


「どうしたの、お祖父様?」

「いや。・・・まあ、使用人は次が見つかるまで、もう片翼にいるソチエト家にお前の世話を頼んでおこう。お前の世話なら、喜んでやってくれるだろうしな」


 ミセルレッドはふーんと言いながら、てくてくと歩いていって、そのカロンの部屋にある寝台にごろんと寝っ転がる。


「ねえ、お祖父様。今夜は一緒に寝よ? で、聞かせてよ。いつから、・・・ソチエト家の人達が、お祖母様の、つまりケリスエ将軍と同じ部族の人達だって気づいていたのか」

「ミセルレッド・・・?」


 拗ねたような幼い顔が、寝台の上からカロンを見上げてくる。


「だからお祖父様は自分の為に彼らを利用したくないんでしょ? 自分は部族の人間じゃないから。だけど、ケリスエ将軍の血をひくお父様の為なら利用してもいいって思ってるんでしょ? そしてお父様の為になるなら、彼らがどこでどれだけロームに根を下ろそうが、何をしようが構わないと思ってる。・・・違う?」

「ミセルレッド。・・・以前から思っていたが、お前、一体・・・」

「僕は僕だよ。それ以外の誰でもない。それに、・・・ぼかしていても、結構分かるもんだよ、そういうの。お祖父様は未だにケリスエ将軍に義理を貫こうとしている。・・・誰もそんなこと望んでないのに」


 カロンは息を呑んだ。

 そしてゆっくりと、自分の寝台に寝転がっているミセルレッドに近づいていく。

 母親であるルイージア王女譲りの豪華な金髪は肩までの位置で切り揃えられている。それは緩く波打ち、その顔を彩っていた。ルイージア王女より濃い緑の瞳が、カロンを見上げている。

 その首筋はとても細い。


「知り過ぎている僕を殺す? あなたの息子であるお父様を守る為に」


 他人ならそれもあっただろう。カロンにとって、ローム王国などどうでも良かった。ただ、いずれはエルセットの子供が王位に就くと分かっている。そして、様々な場所にサーライナと同じ部族の人間が入り込んでいるのを気づいていても阻止せず、かえってそれを手助けし続けたのは、彼らがエルセットを守り続けると分かっていたからだ。

 それは、誰にも知られたくない秘密だった。

 特に、国王や貴族達には。そう、ミセルレッドの母方の親族達には、決して知られたくない秘密。


「そういう、大人を試すようなことを言うのはやめなさい、ミセルレッド」


 カロンは、孫息子の頭を撫でてから夜着に着替えた。そして同じ寝台に潜り込む。自分を殺すのかと問うておきながら、ミセルレッドは警戒心も持たずに、そんなカロンの上へと這い上がる。


「そのことを誰かに話したのか、ミセルレッド?」

「まさか。あのお父様に話したら、卒倒しちゃうよ。いつだってお母様ばっかり信仰してるんだから」

「・・・そうだな」


 ミセルレッドはかなり賢い。両親をよく見ているのだろう。信仰とはよく言ったものだ。実際、エルセットは、ルイージア王女をかなり、そう、かつてのカロンがサーライナに対していたのと同じぐらいに大切にしている。

 カロンに馬乗りになって見下ろしてくる小さな緑の瞳は、全くエルセットにも自分にも、そしてサーライナにも似ていない。

 だが、どれ程にこの孫息子が危険な存在になろうと、どうして自分が手に掛けられるだろう。


「ねえ、お祖父様。僕、そのナリファ砦にある村に行ってみたいな」

「・・・お前の体で遠出が出来るわけないだろう」

「じゃあ、元気になったら連れていってくれる?」

「そうだな」

「約束だよ」

「ああ」


 ちゃっかり約束を取り付けると、自分の寝やすい形を試行錯誤してからミセルレッドは寝入ってしまった。子供は、体温が高い。こうしてカロンが掛布で包むと、「ん」とか言いながら、その懐に潜り込んでくる。


(そういえば、ミセルレッドはどこが悪いのだろう・・・。本当に治す手立てはないのだろうか)


 産まれた直後はともかく、物心つくあたりから寝台から起き上がれない体になったと聞いていた。

 同時に、無理さえしなければ特に寝台で暮らし続ける程度のことで、医師や薬師は必要ないのだとも。

 それでも毎日、薬湯は飲ませている。同時に、何かあったら発熱しているのも確かだ。

王籍を離れることができたのも、王族としてその体の弱さでは役立たないと分かっていたからだとも聞いている。

 けれども、考えてみればその発熱すら、・・・タイミング的に王宮で何かがある時ばかりではなかったか。おかげで、人の出入りが少ないカロンの屋敷で養生していてもまだ体は弱いままかと、王宮では肩を落としている有り様だ。


(いや。まさかな。・・・こんな小さい子供がそこまで計算して仮病を装えるわけがない)


 カロンは、目を閉じて寝息を立てている孫息子をそっと抱きしめた。

 彼女を失ってから、長く生きた。けれどまだ、終わりは見えない。

 それでも今のカロンにとっては、ミセルレッドの成長だけが楽しみだった。


【宝物は今日も元気に病弱中】


 ローム王国の第一王女、ルイージア・シンディス・ゼラ・ローミディス。彼女は、エルセットとの間に五人の子供を儲けた。

 第一子、グレンフォース王子。

第二子、フローリア王女。

第三子、アベライド王子。

第四子、フィルティア王女。

 そして、第五子ミセルレッド王子は、家族を前にこう言ってのけた。


「うん、お父様とお母様が仲良くって、王子も王女もしっかり産み分けてるのはよく分かったからさ。そんなわけで、みそっかすの僕は、そろそろ王子をやめたいな」


 仲良く家族七人での夕食の席である。

 さすがに誰もが、この子は何を言い出したのかと、手を止めて注目する。


「別に産み分けなんてしてないよ、ミセルレッド。・・・古来、どうすれば男の子が出来るとか、女の子が出来るとか、そういった話はあるけれど、かなり眉唾だね。というよりも、デタラメと言っていい。ああいうのは信じない方がいいよ」


 父であるエルセットは、そっちが気になるらしい。しっかり訂正してきた。


「何を言ってるんですか、父上。論点が違います。・・・ミセルレッドも何を言ってるんだ。病弱なことなら気にしなくていい。ちゃんと今日だって、一緒に夕食の席につくことが出来てるじゃないか。いいか、ミセルレッド。お前はそこにいてくれるだけで、皆を幸せにしてるんだぞ」


 グレンフォース第一王子が、エルセット譲りの黒い瞳に力強い意思をこめて末弟を説得する。いつもながら暑苦しい長兄である。ミセルレッドは、ぽりぽりと頭を掻いた。


「お兄様の言う通りよ、ミセルレッド。大体、王子って職業じゃ・・・、あら、職業に、なるのかしら?」


 そう、のんびりとフローリア第一王女が首を傾げる。

 ミセルレッドは、一番の権力者である母ルイージア王女に向かって言った。


「あのね、お母様。それこそ僕なんて、気分のいい日にしか、それもこうやって椅子に座ったり、ちょっと散歩したりするしか出来ない体なんだもん。どうせ長生きできないのは分かってるんだ。弱い子ってそういうものでしょ。人間でも動物でも。なら、残された日々、自分の好きに生きたい」

「ふむ。賢いな、ミセルレッドは。・・・だが、たしかに野生に生きる動物ならばその掟も通用するが、人間の場合、生まれ育ちによってどれだけ名のある医師が手配できるかにも左右される。少なくとも、王宮の名医を手配できるこの状況ならば、長生きできないと決まったものでもあるまい」


 アベライド第二王子が、そう言ってミセルレッドの頭を撫でた。


「お兄様。それ、褒めているのか、否定しているのか、全くもって意味が分かりませんわよ」


フィルティア第二王女は、溜め息をついた。どうも兄も姉もマイペースすぎる。まともなのは自分だけではなかろうか。

そこで、母であるルイージアが口を開く。


「だからってどうして王子をやめると言い出すの、ミセルレッド?」

「ん? 僕、ケイスのお祖父様(じいさま)の所で暮らしたいなって思ったんだ。こういう王宮の暮らしよりも、ああいう平民の暮らしがしてみたいんだよね。あまり人のいないおうちで、静かに暮らすってのをやってみたい。・・・それって、王宮や、リガンテ公爵邸じゃ無理でしょ?」


 そんなくだらない理由で王子をやめると言い出したのかと、誰もが呆れ返る。


「別にいいじゃない。王子が一人減っても。大体、ちゃんとお母様の跡継ぎならグレンフォース兄様がいるし、アベライド兄様がそれを支えることで、王室は安泰。何より、フローリア姉様もフィルティア姉様も、結婚の申し込みが多すぎて、そっちの見合い作業用の侍女まで雇ったぐらいだって言うし、僕がどうしようが、特に影響はないよね」

「大有りだっ」


 そこで、グレンフォース第一王子がテーブルをバンッと叩く。


「可愛い末っ子を王族から外すなどと冗談ではないっ。絶対に認められんっ」

「別にそこまで深く考えなくてもいいじゃない、グレンフォース兄様」


 呆れた様子で言いながらも、ミセルレッドは、寂しげな顔を作った。


「王族だと、王宮でしか暮らせないから、王族から外してほしいってだけだよ。・・・それとも、僕が王籍から抜けたら、それだけでお父様もお母様も、兄様も姉様も他人になるの?」

「そんなわけないだろうっ」


 グレンフォース王子が、席を立つとミセルレッドの所までやって来てぎゅっと抱きしめる。


「可愛いお前がどんな状況下にあろうと、私の弟であることに変わりはないっ。お前はうちのだいっじな大事なっ、宝物なんだぞっ」

「じゃあ、問題ないよね」


 ミセルレッドはそう片付ける。

長兄の熱く深い愛に対し、末弟の愛はいささか淡泊なように見受けられた。気づいてないのは、肝心のグレンフォースだけだ。

 そんなミセルレッドは幼い顔をグレンフォースに向けて、悲しそうに尋ねる。


「ね、グレンフォース兄様。僕はただ、僕の夢を叶えて欲しいだけなんだ。・・・それとも、普通のおうちに暮らしてみるっていう夢は、僕みたいな弱い人間では、見るのも許されないぐらいに贅沢なことなの?」

「・・・お前に許されない夢などあるものかっ。どんな夢もこの兄が叶えてやるからなっ」


 この時点で、誰もが、(駄目だ、こりゃ)と、頭を抱えた。

一番上のグレンフォースは、体が頑健で、一番上の兄としての意識も強い。そして弟妹達を大事にしているのだが、体の弱い末っ子には特に甘い傾向があった。


「別にケイス将軍のおうちに行きたいだけなら、王子のままでも構わないんじゃないかしら」

「いえ、母上。そうなると王子を迎え入れる以上、ケイスのお祖父様の屋敷にはそれなりの召し使いや調度の数々といったものを調えてもらわなくてはなりません。ケイスのお祖父様は質素倹約に暮らしておられるお方。しかも女主人もいない屋敷にそれを求めるのは、酷なことではないかと」


 母であるルイージア王女に、アベライド第二王子がそう意見を述べる。

 エルセットも、うんうんと頷いた。


「そうだよ、ルイージア。辺境の地ならどうにか誤魔化せることはあるけど、王都では格式も要求される。・・・さすがにうちの実家で、王家の人間を受け入れるのは無理だろうねぇ。というより、変な前例を作るわけにはいかないんだよ。ほら、王子なのに平民の家に預けられた前例があったとなったら、後世、それを盾に変な要求をされることもあるだろう?」


 そのカロン・ケイスの実子であり、屋敷のことも熟知しているエルセットがそう言うのなら、そうなのだろう。

ルイージア王女は考え込んだ。

母として、病弱に産んでしまった末息子に対して不憫な気持ちはあるのだ。願いがあるのであれば、叶えてやりたい。


「お母様。あまり深く考えなくてもいいんじゃないかしら。お父様だって、色々な騎士団に行ったり来たりなさったと聞いておりますわ。なら、ミセルレッドも、王子になったり、ケイスのお祖父様のおうちの子になったり、また王子になったりすればいいと思いますの」


 フローリア第一王女がミセルレッドに微笑みかけながら、母にそう提案する。

フィルティア第二王女は、(そういう問題なのかしら・・・?)と、思ったが、あえて何も言わなかった。

 別に不祥事を起こしたわけでも何でもない。家族内のトラブルでもない。

ただ、王子が平民の家で暮らすとなると、王籍を持ったままではまずいというだけのことである。


「しょうがないわね、ミセルレッド。お父様とリガンテのおじ様に訊いてみるわ。その話はちょっと待ちなさい」

「うん」


 ルイージア王女はそうミセルレッドに告げる。困った時はリガンテ公爵に相談するのがお約束だ。父王と一緒に、良い方法を考えてくれるに違いない。




 話を聞いたローム国王と、その従兄にあたるリガンテ公爵は絶句した。

廃嫡といった王子が王子でなくなるケースは、世間でも数多くあるだろうが、「ちょっと平民のおうちで暮らしてみたいから」という理由で王子をやめたいと言い出す人間がいるなど、前代未聞だったからだ。


「だが、ケイス将軍の屋敷、ねえ。そんなことを言い出すなんて、やはりミセルレッドも王子としての義務を果たせないのが辛かったのかもしれないね」


 そう、リガンテ公爵が呟く。そこで国王とルイージア王女が自分をまじまじと見てきたものだから、慌ててリガンテ公爵は言葉を追加した。


「いや、義務というよりは、期待かな。・・・ほら、シグルドもルイージアも、王族として立派にやってたから分からないだろうけど、政略結婚とかそういった形で国を大きくしたり守ったり出来てこそ、国の頂点に立つ王族だって考え方もあるものだからさ。式典にも出られない第三王子なんて、政略結婚として他国の王女との縁談をまとめたくてもまとめられない、・・・そういう考え方だってあるわけだよ。もしかしたら、誰かそんな話をしているのを、ミセルレッドは立ち聞きしたのかもしれないね」


 そこで、切なげにルイージア王女が瞳を伏せた。

自分によく似た顔立ちのミセルレッドである。それだけにあの体の弱さは自分のせいではないかと思えてならない。一番上のグレンフォースなど、まさにカロン・ケイスによく似た健康さと大柄さだけに、余計に強くそれを感じるのだ。


「そういうことならば、ミセルレッドを王籍から離れさせよう。・・・環境が変われば、良い結果に転ぶかもしれん。ルイージア。それでもミセルレッドにはちゃんと医師を派遣してやれ」

「分かってますわ、お父様」


 国王が、そう決断する。早速、ミセルレッドにそれを伝えに出て行ったルイージア王女を見送りながら、残された従兄弟は、それでもしばし顔を見合わせる。


「ただ、・・・なあ、フィットリード。そんな繊細なタマには見えんのだがな、あのミセルレッドは」

「実は僕もそう思ってたりしてたんだよね。ま、いいさ。どうせ王子に戻すのなんてすぐ出来る。君が決めればいいだけなんだから。ね、シグルド」

「議会が反対したらどうするんだ」

「僕が反対なんてさせるわけないだろ?」


 どうせ、内々のことではあるしと、普段は我が儘を言わずに大人しく寝台の中で過ごしているミセルレッドの願いということで、それは叶えられた。


「はぁっ!? 一体、どうして・・・」

「よろしくね、お祖父様。これから僕、お祖父様と一緒に暮らすから」


 肝心の受け入れ先であるカロン・ケイスがその事実を知ったのは、ちなみに一番最後だった。






 ミセルレッド第三王子が、王子としての身分を捨てて、カロン・ケイスの屋敷にやってきたのは、ある春の日のことだった。

 カロン・ケイスの屋敷は、双翼タイプで建っており、片翼はカロン一人が、もう片翼は住み込みの使用人である六人が使っている。その六人は困った顔で話し合っていた。


「病弱な王子様で、寝台から動けないっていうから、・・・多分、日中、私しかいなくても、それに気づかれることはないと思うんだけど」

「問題はそこだな。カロン殿は、俺達が部族存続の為、ここを拠点にして様々な場所に入り込んでいるのを黙認してくれてるし、対外的には住み込みの使用人として扱ってくれているが、実の所、屋敷に常駐しているのは一人だともご存じだ。・・・・・・だが、それもこれも」

「そうだな。あくまでカロン殿は、サーライナ殿の伴侶。そしてエルセット殿の父親として、我らが部族に協力してくれているにすぎん。いくら王子がエルセット殿の息子でも、・・・我らを知るわけではない」

「困ったわねえ。・・・ケイス将軍に対しては、食事の用意と簡単な掃除だけで十分と言われてたけど、王子様なんて我が儘ばかりじゃないのかしら。大体、王宮で何人もの召し使いに囲まれてたわけでしょう?」

「まあ、しばらく我らも六人、この屋敷にいて様子を見るしかあるまい。病弱な王子がどれ程のものかを」

「そうね、しばらくは様子を見るしかないわね。けれど王子をやめさせられるぐらいに体が弱いなんて可哀想に」


 そんな話し合いを経て迎えられたミセルレッド王子だったが、彼は常に寝台の上で眠っており、運ばれてきた食事に礼を言って食べるだけである。思った以上に手の掛からない王子だった。




 気分のいい日は、寝台の上で座って、ミセルレッドはお喋りを楽しむ。

 同じ屋敷の片翼に住み込んでいるというアディナファーレが運んできた食事をとりながら、ミセルレッドは面白そうに笑った。


「えー。そうしたら、そのトル・ソチエト元第五部隊長の奥さんってば、うちのお父様にご主人がついてったのに、自分は王都に残っちゃったの? ご主人ってば、ナリファ砦で寂しくて泣いちゃってたんじゃなーい?」

「ほほほ。そんなことありませんわ。楽しくミセルレッド様のお父様と過ごしていらしたようですよ。奥様は、お子さん方がおうちを継いだので、この屋敷に使用人である私共と移って、ケイス将軍のお世話をさせていただくことにしたのです。そうして、ソチエト様の奥様が亡くなられた後も、私共はここに残って、お世話をさせていただいているのですよ」


 アディナファーレは、すっかりミセルレッド元王子が気に入っていた。我が儘も言わないし、裏庭で摘んできた花も嬉しそうに眺める子供だ。お皿を並べたりとか、ほんの少しではあるけれど、体の調子がいい日にはお手伝いもしてくれる。

 そこへ、通いの使用人である男が入ってくる。

 彼は、カロンが大急ぎで手配した使用人、スロイドだ。王子を迎えるというので、誰か王族の世話に慣れた者を雇った方がいいだろうと考えたカロンは、王宮の女官に相談して、スロイドが紹介されてきたのである。


「ミセルレッド様。そんな下賤な者とお喋りなどしていてはなりませぬ。王子とあろうお方が情けない。さ、お前もすぐに下がるがいい」

「・・・はい、スロイド様」


 だが、その男は貴族が妾に産ませた子供らしく、自分は貴族の血をひいているというのが自慢の、鼻持ちならない男だった。

 そこで何かを言おうものなら、アディナファーレがミセルレッドのいない場所で責められると分かっていたのか、ミセルレッドは何も言わない。だが、そのミセルレッドの緑の瞳が、すごすごと下がろうとするアディナファーレに、そっと労わるような思いを浮かべて見ていたことに、アディナファーレは気づいていた。


(ああ。・・・ちゃんと人を思いやれる、優しい子なのね)


 そんなある日のことである。

 いつものようにミセルレッドに食事を運んできたアディナファーレだが、そこでミセルレッドが心細そうな顔で彼女の服を引っ張った。


「どうなさいました、ミセルレッド様?」

「ねえ。・・・一番奥のお祖父様の部屋から音がするんだ。見に行ってくれない?」

「スロイド様じゃないでしょうか。・・・たしか、彼は部屋のお掃除をするとか言っていたかと」

「お願い。見に行ってほしいんだ。心配なんだよ」


 まだまだ幼いミセルレッドである。親元を離れて心細い思いをしているに違いない。

物音がするのが怖いのか、泣きそうな顔のミセルレッドに、つい、身分の差もわきまえずにぎゅっと抱きしめてしまったアディナファーレは、

「分かりました、大丈夫ですよ、ミセルレッド様」

と、微笑むと、一番奥にあるカロンの部屋へと足音を忍ばせて見に行った。

たしかに、人の気配がする。だが、掃除ならどうして扉を閉めているのか。

不審に思ったアディナファーレは、そっと扉を開けようとして、鍵がかかっていることに気づく。


(あんの、クソ男・・・!)


 髪から引き抜いたピンで扉の鍵を外すと、アディナファーレは扉を開け放った。

 思った通り、スロイドはカロンの部屋にある引き出しを開けている最中だった。


「何をしていらっしゃるのです、スロイド様?」

「お前ッ、鍵が掛かっていただろうっ。何を勝手にそこを開けているっ! 召し使いごときが、主人が呼んでもいないのに、やってくるとは何事かっ!」


 スロイドはそう吠えた。

たかが平民の女、貴族の血をひく自分がそう言えば恐れ入ると思ったのだろう。

 しかし、スロイドの言葉に臆する様子もなく、アディナファーレは部屋に入ると、ざっと部屋の中を確認する。特に荒らされた様子はないように見えるが、スロイドの持っている袋の中身が何かを考えれば、痕跡を残さないようにしているだけで、色々と家探しした後なのだろう。


「私の主人は、カロン・ケイス様。・・・貴様など、主人でも何でもない」


 そこへ、開いた扉から、ミセルレッドがちょこんと顔を覗かせる。

 それに気づき、二人はミセルレッドに対してどう振る舞うべきか、戸惑った。


「ミセルレッド様っ。この女っ、この女が盗みを働こうとっ」

「はぁっ!? 何を言い出してんのよ、この盗っ人が!」

「貴様こそ何を白々しい。薄汚い平民の女如きが身分の差もわきまえず、勝手に言葉を喋るとは何事かっ!」


 スロイドはミセルレッドに、力強く笑ってみせた。


「ご安心ください、ミセルレッド様。あなた様は私がお守りいたします。こんな女など、あなた様が気に掛ける価値すらないのですよ」


 ミセルレッドは、ルイージア王女そっくりの顔できょとんと小首を傾げた。そしてスロイドとアディナファーレに尋ねる。


「ねえ、ここの主人って誰だっけ、スロイド、アディナ?」

「それは勿論、ケイス将軍ですぞ。ミセルレッド様」

「ケイス様ですわ」


 ミセルレッドが自分の名をアディナと呼んだことには気づいていたが、子供なので舌足らずに呼んだのだろうと、アディナファーレは考える。

二人の答えに、ミセルレッドは重ねて問う。


「じゃあ、お祖父様が不在の時、ここの主人は誰になるの?」

「ミセルレッド様ですわ」

「それは勿論、ミセルレッド様です。しかしご心配はいりません。私に任せておいてくれれば、全てをうまく取り計らってみせましょう」


 くすっと、ミセルレッドが笑う。けれどそれはいつものあどけない微笑みではなく、いささか嘲るかのような笑い方だった。


「ならば、アディナ。僕の命令に従ってよ。・・・そこの泥棒を叩きのめして、玄関前に放り出して。勿論、出来るよね?」


スロイドは、その言葉を聞いて鼻白んだようだった。これだから子供はと、吐き捨てる。


「どうも悪戯が過ぎるようですな、ミセルレッド様。ケイス様がお帰りになったら厳しく叱っていただきましょう。そもそも、弱く何も出来ぬ女に頼るとは何事ですか。みっともない」


 そう言って、スロイドは聞き分けのない子供にお仕置きを与えようというかのように近寄ってくる。だが、ミセルレッドは平然と命じた。


『アディナ、先程の命令を速やかに実行しろ。・・・出来ぬとは言わさない、部族の誇りにかけて』


 目を見開いたアディナファーレが、風のように動く。

 何が起きたかも分からぬまま、当て身を喰らわされたスロイドの体は、床に沈んだ。


「あー。だけど、アディナファーレが、玄関前にこいつの体を運んだりしたら、門番の兵士さんが目を丸くしちゃうよね。そこの窓から落とせばいっかなあ」

「・・・・・・それ、死んじゃいますから。ミセルレッド様」


 ツンツンと、ミセルレッドは足の先でスロイドをつついている。そんな所は子供らしいが、言っていることはかなり物騒である。

だが、先程の冷たい視線が嘘のように、ミセルレッドは悩んでいる様子だ。


「ま、いっか。僕が兵士さん達、呼んでくるよ。アディナはここでそいつを見張ってて」

「あ、ミセルレッド様」

「なぁに?」

「あなたは、・・・一体、・・・どうしてあの言葉を・・・」

「なーいしょ。ね、アディナ。僕が兵士さん達、呼んでくる間にさ、・・・そいつ、足でグリグリしててもいいと思うよ。大体、女だからって言ってたけど、ここの屋敷の元主人が女だってことも知らないだなんて、ホント、馬鹿だよね」


 そう言って、くるりとミセルレッドが軽やかに走っていく。

 窓から見下ろしてみれば、玄関から顔を出したミセルレッドに気づいた門番に、可愛らしく二階の部屋を指さして何やら説明している様子だ。

 だが。


(・・・どうして私がミセルレッド様を庇って、この男に殴られ、蹴られたことになってるのかしら。かなり話を作ってるわね。だけど盗みばかりか、元王子様に乱暴をしようとしたことになってる以上、この男、二度とまともな就職先ないわよ)


 しかし、それもこれも、アディナファーレを庇ってくれてのことだと思えば、協力する気にもなるというものである。実際、貴族の血をひくスロイドだ。多少のことであれば、平民であるアディナファーレが泣き寝入りしなくてはならない。

 そう、仮に貴族の血をひく人間が完全に悪いことをやったとしても、その人間が、「犯人は平民のこいつだ」と言えば、それがまかり通ってしまうのだ。恐らく、それを知っているミセルレッドは、だから元王子であるミセルレッドに危害を与えようとしたのだと主張しているのだろう。アディナファーレに濡れ衣が掛けられないように。


(となると、やっぱり一目瞭然にしておかなきゃね)


倒れているスロイドの傍に、彼が盗んでいた袋の中身をぶちまけると、彼が家探ししたであろう引き出しも再度開けておくあたり、アディナファーレもノリがいい。

 やがて、ミセルレッドを腕に抱いてやってきた門番の兵士達が見たものは、髪の毛はほつれ、服も所々が破れ、必死に悪党に抵抗したと言わんばかりのアディナファーレと、盗みを働きながらも必死の抵抗にあって気絶した男の姿だった。

 その状況に、ミセルレッドが機嫌よく小さく笑ったのをアディナファーレは見逃さなかった。そこはミセルレッドもノリがいいらしい。


「アディナッ、怖かったぁっ! 兵士さんがねっ、兵士さんが来てくれたから、もう大丈夫だよっ」

「ミセルレッド様っ!」

「ごめんねごめんねっ。僕がお祖父様の物を盗ろうとしていたこの人を見つけてしまったから、代わりにアディナが殴られちゃってっ。僕がっ、僕が見つけなければっ」

「いいんですっ、ミセルレッド様に怪我がなかったならそれでっ。ああっ、どんなに恐ろしかったことでしょうっ」


 ひしっと二人は抱き合う。

そんなか弱い女性と小さな子供の姿は、いくら門番の仕事に徹していたとはいえ、こんなことが起きていたとも気づかずにいた兵士達の義侠心をかなり刺激するものだった。


「こやつ、何という恥ずかしげもない真似をっ!」

「信頼をいいことに、何という不届きなっ」


 けれど、そこで幼く心優しい元第三王子ミセルレッドが、兵士達の服をちょんちょんと引っ張る。


「あのね、僕は、アディナさえ無事ならいいの。それに、盗られたものはちゃんと返してくれればいいと思うんだ。・・・きっと、その人にもその人なりの理由があったんだよ。お祖父様の盗られた物は、多分、ここに転がってるので全部だろうから、僕が戻しておくね。・・・彼は許してあげて。だけど、二度とここには近づけないで。僕、僕、・・・怖かった・・・」


 今だ世の中を知らないからとはいえ、あまりにも優しく慈愛溢れる幼い王子の言葉である。それでもかなりの勇気が必要だったのだろう。最後に、ぽろりと零れた涙が痛々しい。

 尚、ミセルレッドは欠伸を先程から噛み殺しており、涙を流すタイミングをしっかり計っていた。やはり、そこは「・・・怖かった」と、そこで流すのが効果的だよな、と。

兵士達は目を見交わして語り合う。二人は、床に跪いてミセルレッドと視線を合わせると、取り出した手巾で、そっとミセルレッドの涙を拭い、力強く頷いてみせた。


「分かりました、ミセルレッド様。二度と、この男は近づけません」

「そうです。二度とこんな怖い目には遭わせません」

「ありがとう」


 幼い元王子が、二人の頬にそっとキスをする。大輪の花のようだと謳われたルイージア王女によく似た元王子、男の子であっても何とそれは可愛らしいことか。

 こんな心優しい元王子に乱暴しようとした男など、厳罰に処さねばと、二人は決意した。


「アディナ。お洋服ね、着替えてきた方がいいと思うの」

「はい、ミセルレッド様」


 兵士達が縛り上げたスロイドを運んで行き、そしてアディナファーレが自室に戻って身なりを整えてから戻ってくると、ミセルレッドは器用にも、カロンの部屋で、それらを元の場所に仕舞っている最中だった。


「あ、アディナ。ごめん、もう少しかかりそうなんだ。色々な場所から盗ってくれてるからさ、バレないように戻しておくのって大変なんだよね。あいつ、書類までごちゃごちゃにしてくれたんだもん」


 どうやら、バラバラにされた書類にまで目を通して順番にミセルレッドは揃えているらしい。


(ちょっと・・・。どうしてそれが分かるの。そして、どうして何がどこにあったかまで知ってるの)


 こっちのコレはそこに、これはどこにと、元通りの場所を完璧に把握しているミセルレッドは、もしかしてカロン以上にこの部屋の中を知悉しているのではないのか。

 だが、アディナファーレは何も言えなかった。


「ねえ、アディナ。二人分のお茶を淹れてきてよ。もうすぐしたら終わるからさ。そうしたら一緒にお茶にしよう? 僕、チェリーも食べたいな」

「はい、ミセルレッド様」


 そのままそこにいたら訊いてしまったかもしれない質問を胸に、アディナファーレはそう答えた。

 台所へと向かおうとするアディナファーレの背中に、ミセルレッドの小さな声が追いかけてくる。


『何も訊くな。信じるべきものは自身で見極めよ。我らが神は、自らの努力こそをお望みだ』


 はっと、アディナファーレが振り返る。今のは幻聴だったのだろうか。いや、そんな筈はない。けれどアディナファーレの瞳に映ったのは、何事もなかったかのようにせっせと動いているミセルレッドの後ろ姿だった。

そんな幼い元王子は、そこで床に放り出されていた、編んだ一筋の髪のようなものを拾い上げ、寂しげに目を閉じた。






 気まぐれが終わったら城に帰るだろうと思われていたミセルレッド王子が、そのままカロンの屋敷に居ついて数年が()つ。

 その屋敷の裏庭には、頭から黒いベールをかぶり、指先まで黒い布で覆った姿があった。


「暑くないんですか? それじゃ前も見えないでしょうに、本当にいつも器用ですわね」


 呆れてアディナファーレが尋ねると、真っ黒な姿のミセルレッドは拗ねた声で答えた。


「仕方ないでしょ。病弱な元王子様が日焼けして健康的だったらおかしいんだから。・・・まあ、前が見えにくいおかげで、気配を読む訓練にはちょうどいいけどね」


 アディナファーレの夫であるシルドレイドが、呆れて口を挟む。


「病弱設定なら、筋肉つけちゃまずいでしょうがよ。大体、そんなにも背が伸びて、いつまでも病弱じゃ通りませんぜ」

「だいじょーぶ、だいじょーぶ。だって僕、人前にはそうそう出ないし。出る時は体が弱いからって、すっぽりなクロークを羽織っていくしさ。全く問題ないね」


 クロークとは、マントよりも体を長く広く覆う、すっぽりとした上着である。それこそ前を留めてしまえば、体のほとんどを包み込んでしまう外套だ。おとぎ話では、魔法使いのオーソドックスな格好でもある。


「そんなことより、シルド、もう一回。・・・どうも間合いがおかしいんだよね。やっぱり実戦がないと、身につかないことってあるからかなぁ」


 その言葉に、諦めたような顔でシルドレイドが立ち上がる。

 シルドレイドとミセルレッドは剣を構えて向き合った。ひゅんっという風を切る音と共に、打ち合いが始まる。どうしてもミセルレッドが押されているが、ほとんど前が見えていない状態でのそれは、かなり健闘していると言えるだろう。

 しかし、やがてミセルレッドの剣が跳ね飛ばされる。


「あーあ。やっぱり負けちゃったか」


 がっかりした声でミセルレッドがぼやく。見物していたロトムファールトが、その剣を拾ってミセルレッドに差し出した。


「ありがとう。・・・あ、そうだ。三日後からお祖父様ってば演習に行くらしいんだけどぉ」


 そこで、ぎくっとロトムファールトとシルドレイドの肩が跳ねる。またか、そう思ったのだ。

二人の反応に気づかなかった様子で、ミセルレッドはにこにこと笑って言った。


「今度は僕、ファスロ領にも行ってみたいな。ね、楽しそうだよね?」

「前回は俺が行った。次はお前な。ロトム」

「・・・分かった」


 シルドレイドの言葉に、ロトムファールトが諦めの境地で受け入れる。

 この元王子様は、祖父に内緒で何かと出掛けるのだ。何がしたいのだろう。単なる好奇心か。しかし、行く先行く先で、何かとやらかしてくれるのが、・・・そりゃ自分達ならどうにでもなるが、頭痛の種だ。


(こないだは、そこの領主軍に勧誘されて、一日体験とかやってたし。・・・あのまま連れて逃げなければ、元王子がどこぞの領主に仕えるという、恐ろしい話になるところだった)


それでも一人では出掛けず、自分達の誰かを連れて行くあたり、ある程度の配慮はしているつもりらしい。

 正直、本当にわけが分からないというか、怪しい元王子様なのだ、この少年は。


「本当に、何でそこまでして・・・」

「あっ、そう言えば巣箱も置いてあげるつもりだったんだ」


 シルドレイドの言葉に、かなり無理のある唐突さでミセルレッドが話題を変える。


「泉の上にね、巣箱を作ってあげるんだ。夏になったら、鳥の声を聞きながら水浴びするんだよ。素敵でしょ?」

「・・・独創的な巣箱だな」と、シルドレイド。

「まあ、鳥は気にしないだろ」と、ロトムファールト。

「大事なのは、その優しいお心ですわ」と、アディナファーレ。


 はっきり言ってミセルレッドが出してきた巣箱はとてもヘタクソだった。


「いっぱい、鳥がきてくれたら楽しいよね。・・・お祖父様は、そういうの、やめちゃったみたいだけど」


 寂しげにそう呟く。昔は、カロンもそういうのを好んでいたのだと、ミセルレッドは言うのだが、あの厳つい初老の将軍が小鳥に囲まれているところなど想像も出来ない。


(だけどそんな、・・・顔をするなよ)


 シルドレイドはそう思った。布に隠れて顔が見えなくても、彼が辛そうな顔をしている時は何となく分かる。アディナファーレもそう思ったのだろう、まるで自分の子供に対するかのように、ミセルレッドの肩をそっと抱いている。

 こんな出来では、すぐに壊れて落ちてしまうだろうと思い、落ちても誰も怪我しない場所に巣箱を取り付けてやりながら、シルドレイドは、今度、鳥の巣箱を沢山作って木に括りつけておこうと考える。

 この身勝手でありながら心優しい元王子が、それで笑ってくれるなら。


「うわぁっ、あんたっ、何、そっちの木に上ってんだっ」

「え? 僕もたまには木登りしてみようかなって・・・」


 ぎょっとしてシルドレイドが叫ぶ。黒い布に包まれた物体が、隣の木に上っていたからだ。

ミセルレッドがきょとんとした声で、怪訝そうに言い返す。

別に木登り自体は構わない。だが、その木は根元が腐っていて、撤去しようかと思っていたところなのだ。


「下りろっ、下りるんだっ、すぐに!」

「えー。シルドったら我が儘なんだからぁ。しょうがないなぁ。じゃあ、・・・・・・あれ?」

「うわぁぁぁっ、ミセル王子っ!」

「きゃあああっ」


 ぐらっと倒れるそれに、「あれ?」とか言っているミセルレッドは、ぽきっと根元から折れた木と共に落ちていく。シルドレイドとアディナファーレが悲鳴をあげた。

 しかし、落ち着いて見ていたロトムファールトがミセルレッドを受け止める。ロトムファールトも肝を冷やしたらしい。助けた途端、怒鳴りつけた。


「こんのっ、ボケ王子っ。危険なものとそうでないものの区別もつかん内は、人に訊いてから動けっ!」

「ロトムったらひどいっ。ボケなんてお母様にも言われたことないのにっ」


 アホなことを言い返せるのだから、全く反省はしていないだろう。ロトムファールトは、違う意味で感心というより、脱力しながらも、ミセルレッドを地面に下ろした。


「あー、だけどありがと、ロトム。いやはや、びっくりしたぁ」


 びっくりしたのはこっちである。全く、少し目を離したら何かをやらかしているのだから、常にこの元王子にはハラハラさせられっ放しだ。


(だが、落ちる時、この王子は目を見開いていた。地面や他の木々との距離を測るかのように)


 受け止めようと注視していたロトムファールトだから、それに気づいた。だが、その目測は少しずれてもいた。飛び降りるならば、あと少し早目に跳ぶべきで、あれでは遅いのだ。

 しかも、自分でも失敗したと思ったのか、すぐにロトムファールトに受け止めてもらうことを選ぶあたり、かなりちゃっかりしている。


「ミセル様。あんた、ホント、何者なんですかね」

「ボケ王子と言ったそばから何者と言われても・・・。ロトムったらもうボケたの? 僕のお父様とお母様はかなりはっきりしていると思うよ?」


 そう言いながら、ミセルレッドは、近くにあった木にまた登ろうとしている。その首根っこをロトムファールトが掴んだ。


「うわっ、何すんだよ」

「どうして木から落ちた後、また木登りしようとしてんですかね、この王子様は」

「え? いや、もう一回、落ちる時の感覚を体験してみようかと・・・」

「冗談。これであんたに怪我なんぞされちゃ、こっちがどんな責任を負わされると思ってんですかね。さ、大人しくそこらへんに座っててくださいよ。ちょっとこの倒れた木をきちんと倒しておかにゃならんのでね」

「むー」


ロトムファールトに、ぽんっと岩の上に載せられて、ミセルレッドはかなり不満気だ。


「しょうがないなぁ。あ、だけどその木を乾かしたら少しちょうだい? 小鳥の巣箱を作ってあげるんだ」

「あんなドヘタクソな巣箱、鳥にも迷惑ですよ。巣箱なら作ってあげるから、大人しく待ってなさい」

「・・・ひどーい。暴言の罰として、巣箱は三個だよっ、ロトムッ」

「へいへい」


 別に元王子様だろうが何だろうが、雇用主でも何でもないのだから、そんな命令をきく必要はないというのに。

 それでも、自分達は何故かこの元王子様に逆らえないというか、関わりたくなるのだ。


(すごーく怪しくはあるんだけどなぁ。・・・一体、何もんなんだろな)

(怪しくはあるんだが、・・・けどなあ。お前だってそうだろ、シルド?)


 シルドレイドとロトムファールトが、こっそりと囁き合う。

残りの三人は、今日は仕事に行ってて留守だ。そして体が空いているアディナファーレ達三人が、ミセルレッドの剣の練習相手になっていたのである。


『我らが求めるは神の息吹。この身を持って地上にあらん。

空より降りたるは神の恩寵にして、我らが住まう闇にその身を示さるる』


 そんな噂の元王子様は、色が白ならば神官が奉納舞を捧げる時のようなデザインの、黒い服を纏ったまま、歌っているときたものだ。

座っているのに飽きたのだろう。岩の上で器用に体も動かしている。

 ミセルレッドの父親であるエルセットですら知らない、自分達の言葉を話せるのだから、本当に怪しい元王子なのだ。ミセルレッドが今まで部族の人間と言葉を教わる程に接触していないのは、確認済みである。


『勇ましき者よ、神の恩寵はそなたと共に在り。

賢き者よ、導く光はそなたと共に在り』


 しかし、その歌はとても心地が良い。聴いているだけで、心が澄み渡っていく。


『祈りを神に捧げよ。知恵の泉がそなたを導く』


 その舞も、かなり素晴らしいものなのだ。

 だから、ソチエトの屋敷からこのカロン・ケイスの屋敷にやってきた六人は、カロンよりもミセルレッドを優先せずにはいられない。


「おいで、アディナ。一緒に歌おうよ」

「えっ。嫌ですよ、ミセル様ってば上手すぎるんですもの。比べられたら悲しすぎます」

「そんなこと。大事なのは形じゃないよ、心でしょ」


 屈託なく、ミセルレッドが笑っているのが、あんな布をかぶってても分かる。だから、それだけでいい。


「ま、いいさ」


 そう、シルドレイドが呟いた。ロトムファールトがそれに同意する。


「そうだな。・・・少なくとも今だけは、俺達のものだ」


 遠く故郷を離れ、それでも部族の歌と舞がそこにある。

 既に打ち捨てられた故郷の神殿も、そしてナリファ砦近くの村に造られたという神殿も、この王都から遥か遠い。

だが、まさに神官クラスの歌と舞がそこにある。

それは今、彼ら六人だけの宝物だった。


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