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30 お礼の言葉とお礼参り(羽ばたく想いは紺色の空に)

 ローム王国の第一王女ルイージア。彼女は父王と共に、謁見や執務にも同席する王女だ。父王譲りの濃い金髪に、母王妃譲りの緑の瞳をした彼女は、活発さ溢れる明るい王女としても知られていた。

 しかし、父王の政務に携わる姿を傍で見ている内に感じるものがあったのだろう。ここ数年、常に国王の斜め後ろに控え、年若いながらもまっすぐ人々を見つめる姿には、十代とも思えぬ落ち着きが備わっている。


「陛下。近衛騎士団のリストリ将軍がおいでになりました」

「通せ」


 やがて、侍従に先導されてセイランドが入室してくる。相も変わらず優雅な挨拶をすると、セイランドは王に尋ねた。


「二ヶ月後の、アディーネ殿下のお誕生日における警備についてなのですが、・・・・・・アディーネ殿下のご婚約発表なども行われるのでしょうか? 舞踏会における客室の警備でございますが、・・・一層厳しくしておくべきなのか、わざと緩やかにしておくべきなのか、それをお聞きしようと思いまして、参上いたしました」


 本来、たかが舞踏会の警備などで、近衛騎士団の将軍が出てくることはない。だが、今回は第二王女の誕生を祝う舞踏会である。それこそ、王女の婚約者候補として意中の人間がいるのであれば、わざと良い雰囲気になったり、もしくは少し言葉を親しく交わすことが出来る程度には警備を緩めておく必要もあるだろう。

 そうなると、ことは王室にかなり深く関係することだけに、警備担当の騎士程度では国王に訊きかねる。

 その為、わざわざセイランドがやってきたのである。

 

「う、む。・・・まあ、アディーネも微妙な立場だからな」


 国王は、そう言ってちらりと後ろへと少し顎を向けてみせた。ルイージア王女は、知らんぷりである。

 何故なら、第二王女であるアディーネ王女をどこに嫁がせるか、それはひとえにルイージア王女が誰と結婚するかにかかっているのだ。

 ルイージア王女が結婚する相手によって、アディーネ王女は誰と結婚した方がいいのかを考えると言っていい。

 なのに、である。

ルイージア王女は父王の側で政務を学び、査察にも同行し、それこそ時には父王の代わりに挨拶をしたりもしていたのだが、昨年、いい加減に婚約者を決めてくださらないかと貴族達に詰め寄られた場で、婚約者候補達を前に、ついに言い切ったのだ。


「私は、現在、父王の側で学んでいる身です。勿論、まだまだ父には及びませんが、私の配偶者となる男性には、私より優れている資質の人間を求めます。そうでなければ、婿を迎える価値も意味もありません。婚約者候補はどなたも立派なおうちの方々、そこは満足しております。後は、どれくらいのことが出来るのか、この私に見せてください。少なくとも、私が支えなくてはならないような殿方など、私にとっても、この国にとっても価値などありません」


 つまり、公爵家や侯爵家の子弟に対し、ルイージア王女を凌ぐ実績を出せと迫ったのだ。

 それに対し、父である国王は沈黙を保った。つまり、ルイージア王女の言葉を否定する気はないということである。

 他人事とばかりに、遠く離れた場所から見ていた近衛騎士団と王都騎士団のトップであるセイランドとロメスは、そこでプッと噴き出した。いくら何でも、「価値などない」はないだろう。

ちなみに、ローム国騎士団のトップであるカロンは、無表情で前を見たままだ。だが、カロンは単に目を開けたまま居眠りしているだけだと、セイランドもロメスも気づいていた。さすがに寝息までは誤魔化せないからだ。

どうしてそんな男を誰もが真面目だと評するのか、本当に理解に苦しむと、常々ロメスは思っている。

ロメスとてこれが、ルイージア王女が参加していなければ同じく目を開けて居眠りしていただろうが、さすがに

「おっさん達に囲まれて、可愛い女の子がぷるぷる震えながらも頑張ってるんだ。見ててやらなきゃ可哀想だろ」

なのである。・・・セイランドにしてみれば、

「ぷるぷる震えてるどころか、周囲をプリプリ怒らせてるだけじゃないのか?」

なのだが。

 婚約者候補の父である公爵や侯爵達は、何という生意気な王女かと思ったものの、その実績とはどういう形を示せばいいのかが分からない。それこそ、領地の管理能力なのか、文官としての能力なのか、王女を支える人柄なのか、武力なのか、外国との交渉能力か。


「いや、ルイージア殿下。その、どれくらいのことが出来るのか、とは、どういった分野での才をお求めでございますかな。それを教えていただかねば、誰しも競い合うことすら出来ますまい」


 一人の貴族が、そう尋ねる。ルイージア王女は微笑んで答えた。


「それすらも、私に訊かねば示せぬというのであれば、ただの臣下でも十分出来ること。私と結婚する者は、このローム王国の王配になるのです。私に言われないと何も出来ないような男が、あなたは私に相応しいと思えまして?」


 さすがに、それには誰も何も言えなかった。


「皆様、それぞれに私にその真価を見せてくださいませ。勿論、それに私が値しないと思われたなら、そのまま去ってくださって結構ですわ。私は共にこの王国を背負う人間が欲しいのです。それとも、・・・この私に足手まといな男を押しつけるつもりだとでも?」


 ルイージア王女は、そこでゆっくりと全員を見渡した。この国の女王となる自分に、役立たずな人間を押しつけると言うのであれば、まずは名乗り出るがいいと、そういった意味をこめて。

 さすがに婚約者候補達も、その父親達も、厄介なことになったと下を向いて表情を隠す。

 そこで王は立ち上がった。


「勿論、我が王女には、皆、それぞれにその持てる力を見せてくれると信じておこう。全員、下がるがよい。この話はこれで終わった。・・・それが、次期女王の望みである」


 その場にいた全員が、そこで「ははっ」と、片膝をつき、頭を下げる。それを父王と共に見下ろしながら、ルイージア王女はその震えている肩がばれないようにと、必死で無表情を貫いた。


(侮られては駄目、なめられてはいけないの。これ以上、私を見下すようなことを言わせてはならない。・・・あちらが私を娶る人間を持ってくるのではない、私が選ぶのだと見せつけなくては)


 婚約者候補達はそれまで邸でのんびりと暮らしながらたまに舞踏会に出てきていた程度だったが、それ以降、足繁く王宮に顔を出すようになる。一族に、王女に真価を見せつけろと焚きつけられたからだ。

 だが、いきなり高位貴族のお坊ちゃんが来ても、してもらうことなどない。それこそ、そこらを散歩していてください、というものである。

 その中でも自分が出来る仕事を見つけていく者、外国との使者達と顔つなぎする者、はたまた王宮の女官相手にひとときの愛を囁く者など、結果はかなり分かれていった。

 そうして未だにルイージア王女は、婚約者を決めぬまま、父王と共に政務の場に同席している。

 そんな事情を知っているセイランドは、国王と王女に対し、「そうそう、そう言えば・・・」と、話し出す。


「アディーネ王女もお年頃、そんなお誕生日をお祝いするわけですから、二ヶ月後には、様々な貴族が領地から集まって参ります。それにあわせ、各地に散らばっていた兵士達も街道筋などの警備にまわすそうですよ、ローム国騎士団でも」

「ほう、そうか。・・・まあ、あの男は真面目だからな」

「そうですね。ケイス将軍は融通が利かないというか・・・。だからこそ頼りになる男です」


 セイランドも頷く。


「そんなケイス将軍の一人息子も、フォンゲルド将軍の息子と共に、南の僻地でかなりの戦果をあげているとか。王都にいる時は突出したものなどありませんでしたが、・・・やはり親の子というべきでしょうか」

「そうらしいな。・・・だが、いささか大きくなりすぎていると、言えなくもない」


 これが父親であるカロンやロメスの前だったなら言えなかった台詞だが、セイランドの前なので、国王もそう小さく吐息を漏らした。

僻地にとばされた筈の年若き騎士達は、国境付近という複雑な場所にある砦を守るのみならず、その一帯を既に制圧したと、報告されていた。

 エルセット・ケイスが南にある僻地にとばされて三年弱だろうか。

だが、砦の責任者は既に書類上の責任者となり果てており、まるでそこに小さな一つの領地が出来ているかのような状態だという。あの若さでありながら、エルセットが優秀だったのか、それとも共にいるトレストが傑物なのか。

 しかし、それについて父のカロンは、

「現地で採用した兵士達がいること、村人が増えたということ、その報告はきております。特に治安は問題ないとも。きちんと報告は届いている上、現地の状況は良好です。そして国境付近一帯の土地を我がローム王国に組み込めたとのこと。・・・何か問題でも?」

と、気にする様子もない。


(問題はない。ローム王国が栄えるのはいいことだ。・・・だが、あの若さでそれを成し遂げたという事実が恐ろしいというのだ。しかも、トレスト・フォンゲルドもエルセット・ケイスも、息子達ばかりか父親同士も親友だという。これが両家とも貴族出身であれば、王位の乗っ取りすら行える力をつけかねない恐れがあるではないか)


 どんな王家も、それまでの王を倒した成り上がりから始まるのだ。

王の密偵からは、そこら一帯が既に自治区のようになっているとも報告が上がっている。王国からの給与ばかりでなく、その砦に配属された彼らは自力で稼ぎをも生み出しているのだ。

だが、それ以上の詳しい情報までは入らなかった。何故か、詳しいことを知ろうとした密偵は行方不明になるからだ。つまり間者を見逃さぬ目を持っているのだ、彼らは。


(しかし、こちらもそれを言い立てられぬものがある。カロン・ケイスは、今や誰からも嘲笑されている身なのだから)


 そのカロンは、エルセットが国王の不興をかったことを恥じた妻ルーナに見放されたのだという。離婚して妻子はフィツエリ男爵家に去ったと、貴族社会ではかなりスキャンダルになっていた。

自分の娘であるルイージア王女が原因で、前妻との間に出来た息子が僻地に左遷、そして後妻とその子供達には捨てられたというケイス将軍に、王が何を言えるというのか。


「おや。陛下におかれましては、何か問題でも?」

「問題はないが、・・・やはり、色々と思うことはある」


 国王とて、自分の娘が原因で一人の若者の将来を閉ざしてしまったことは負い目になっていたのだ。ましてや、一家離散となれば、尚のことである。

そういったことに頓着していたら、国など治められない。だから考えないようにしていたが、・・・その若者は、将来を閉ざされた筈の場所で、更なる成果をあげているのだから、空恐ろしいものがある。

さすがは、かの将軍達の息子というべきか。


「そうですか・・・。実は、そのトレスト・フォンゲルドとエルセット・ケイスが、アディーネ殿下のお祝いだからと王都に一時帰還すると聞いたのですが、・・・では、舞踏会には参加させない方がいいでしょうね。トレストとエルセットにはそう伝えておきましょう」


 にっこりと、セイランドはそこで爆弾を落とす。

 国王は慌てて、セイランドに確認した。


「ちょっと待てっ。今、何と言ったっ!?」

「ですから、トレスト・フォンゲルドとエルセット・ケイスが、殿下のお祝いである舞踏会が開かれるというので、一時、王都に帰還すると申し上げました。二人とも、身内に貴族の人間がおりますし、エスコートを頼まれたとか。ですが、陛下に含むところがあるようであれば・・・」

「あるわけ無かろうっ! ・・・この根性悪がっ。そうであれば、是非、彼らの苦労を労ってやりたい。舞踏会の際には連れて参れ。何より、・・・あの若さであれだけの実績を成し遂げた二人だ。さすが将軍の息子達と言うべきではないか」


 その二人が王都にやってくるとなれば、話は別である。慌てて、王は会う段取りをつけるよう、セイランドに命じた。

 こういう時は疑心暗鬼になっていても仕方ない。実際に、その本人を自分の目で確かめた方がいいのだ。人を介して報告された百の伝聞より、当人同士が直に言葉を交わす一度の方が、はるかに理解しあえるように。

 何より、そこまでの新星となれば、きちんと見極めておきたい。

 反旗を翻すというのであれば冗談ではないが、・・・王家に忠実な若い世代ほど、心浮き立たせてくれるものはないのだ。やはり、この目でこそ判じておきたいではないか。その彼らを。


「分かりました。それで、警備の方でございますが・・・」

「若い男女が多く集まるのだ。間違いがあっても困る。・・・通常よりも厳しくせよ。特に無理矢理、客室に連れ込むような真似は出来ぬように」

「御意」


 セイランドは軽く頭を下げると、立ち上がった。そしてルイージア王女に微笑みかける。


「第二王女のお祝いです。二ヶ月後には、各地から若い方々が多く集まってこられる。ルイージア殿下も、たまには羽目を外して楽しまれてはいかがでしょう。・・・いつもいつも、しかめっ面のおじさん達の顔を見ているのでは、心が老けておしまいになりますよ。手始めに、来月の舞踏会でもお楽しみになってください。リハーサルも兼ねておりますから」

「ええ、そうね。・・・そうするわ」


 おどけて語るセイランドに、ルイージア王女も微笑んだ。

 そうしてセイランドが去ると、国王は娘に向かって念を押す。


「ルイージア。お前にも引け目はあるだろう。・・・だが、それを見せてはならん。王が揺れてはならんのだ」

「分かっております、お父様」

「ならば良い」


 ルイージア王女は目を伏せた。かつて、自分が考えなしだったばかりに、一人の騎士の人生を歪めてしまったことは、今も心の傷になっていたのだ。


(会いたくない・・・。だって、きっと恨まれてる)


 出来ることなら逃げ出したい。どんなに成果をあげていようと、そこは王都から離れた不便な僻地だ。よりによって将軍の息子でありながら、惨めにもそんな場所へ行かされることになった彼らが、自分をどんなに憎んでいるかだなんて、想像するまでもない。

 それでも唇を噛み締めて、ルイージア王女は前を見据えた。

 どんなに怖くても、それでも自分は誇り高く顔を上げていなくてはならないのだから、と。




 アディーネ王女の誕生を祝う舞踏会は、その婿探しも兼ねている。外国からも祝いを告げる使者が訪れるだろう。

 失敗しないようにと、その一ヶ月前にはリハーサル的な意味合いを持つ舞踏会が開かれた。


「お姉様。どちらに行ったかと思えば・・・。何をこそこそしていらっしゃいますの?」

「アディーネ。・・・こそこそとは失礼ね。単に私はちょっと・・・、疲れたから休もうと思ったのよ」

「下手な言い訳は許しませんわ。さ、会場へお戻りになって。大体、主役がいなくてどうしますの。お父様とお母様だって、いくらダンスが得意とは言え、ずっと踊ってなんていられませんのよ」


 こっそりと抜け出そうとしたルイージア王女を、アディーネ王女が確保する。


「ちょっと待って。主役はア・ナ・タ。これは、アディーネの為のリハーサルなんだから」

「何をとぼけたことを仰有ってらっしゃるのかしら。私のお相手なんて、お姉様次第でいくらでも変わりますのよ。さ、あなたは婚約者候補の方々と踊ってきてくださいませ、お姉様。別に外国の王子でも、役に立ちそうでしたら、それでも結構でしてよ」


 普段は、活発な姉王女に振り回されている妹王女といった様子なのだが、二人きりとなれば話は別である。妹王女に首根っこを掴まれた姉王女は、しゅんと項垂れて会場へ戻った。


(大人しくて控え目な王女って言われてるけど、アディーネのどこが控え目だっていうのよっ)


 姉としての尊厳はどこに行ったのだろう。きっと、大勢の人に紛れて迷子になったに違いない。


「どうかなさいまして、お姉様?」

「・・・妹からの愛が足らない」

「こんなにも溢れる愛が見えないだなんて。本当にお姉様は贅沢ですこと。さ、手始めに今晩は二十人程と踊ってきてくださいましね。後で、それぞれの会話内容をお聞きしますから、ちゃんと人物評価してくることもお忘れなく」

「・・・・・・」

「ぐずぐずしていられませんのよ、お姉様。時間はいつだって限りあるものですわ」


 鬼だ・・・。ここに鬼がいる・・・。

 ルイージア王女は、扇を広げて慎ましげに微笑んでいるように周囲からは見えているであろう妹王女を見て、心の底から産まれてくる順番を間違えたと思っていた。




 有言実行のアディーネ王女である。自分もまた、様々な人と踊っては、清楚な微笑を浮かべている。

 だが、しっかり姉の行動にも目を光らせているようで、ルイージア王女が、適当なところで切り上げようとする度、踊りながらでも、何かを命じる瞳が向けられてきていた。


(こ、怖い・・・。あの静かに微笑みながら、それでも雄弁に物語ってくるあの青い瞳が・・・)


 薄い金髪に青い瞳の清楚な王女、そんな妹の微笑がいつ追いかけてくるかと恐れつつ、そろりそろりとルイージア王女は廊下へ足を踏み出す。


「に、逃げたんじゃないもん。ちょっと、足が痛かっただけだもん。・・・だから、仕方ない、んだもん」


 嘘ではない。本当に足が痛くなったのだ。

 ルイージア王女は、そう誰にともつかない言い訳を小さく呟きながら、会場からこっそりと抜け出していた。

 部屋で休んでいたら、絶対にとっ捕まって怒られる。アディーネ王女に懇々と言い含められている侍女までもが敵にまわり、果てしなきお説教が続けられるに違いない。

それが分かっている為、休憩室へ逃げようとしたのだ。とりあえず、妹王女に見つからなければそれでいい。

 廊下の端を歩き、柱の陰に身を隠すようにしてこっそりと移動していたルイージア王女だったが、そこで声が掛けられた。


「おやおや。こちらは具合が悪くなった方の為の客室ですよ、殿下」

「あら、フォンゲルド将軍。ごきげんよう」


 廊下の反対側の柱の陰に、王都騎士団のロメスがいたのだ。暗がりから少し出てくるようにして自分を見えるようにしたロメスに、ルイージア王女は安堵の息を吐いた。色々な場所へ自分を連れ出してくれていたロメスなら、信頼できるからだ。


「本日は一段とお美しくていらっしゃる。さすが我が国の大輪の花。・・・しかし、何を盗賊かゴキブリのようにこそこそとなさっておいでか? 逢引きだというのであれば、それは失礼したと、見なかったフリをして差し上げもするのですが」

「しっ。・・・黙ってちょうだい。アディーネにバレたらどうしてくれるのっ。あの子、私に『踊り続けるのがお仕事なのですよ、お姉様』って、にっこり笑って私を会場に放り込むのよっ。・・・・・・私、もう、足が痛くてたまらないのにぃ」


 きょろきょろと周囲を見渡し、口に指を当てて、ルイージア王女はフォンゲルドの声が大きいと、咎める。最後にちょっと泣きが入っていたのは仕方ない。ロメスには、今更取り繕う必要がなかったからだ。カッコつけても始まらない。

なるほどと、ロメスは了解しながらも、困った顔になった。


「しかし、困りましたね。実は、本番でご令嬢方に不埒な真似をする人間がいるのではないかと、わざとこの休憩用の客室を今回は囮にして人物チェックをしていたのですが。・・・そういうお盛んな人間ばかりで、実は休憩用の客室は、ほとんど使用中なのですよ。変にそちらに迷い込まれても困る」

「そういうの、将軍のお仕事なの?」

「本人の同意がある関係ならいいのですが、無理矢理だと助けなくてはなりませんからね。たとえば公爵クラスの人間だと、止められる存在にも限りがあるでしょう」

「・・・大変なのね」


 それこそ、実は王女達が連れ込まれることがあってはならないからと見張っていたのだが、ロメスはそこまで言わずに済ませた。


「大変なのは殿下ですよ。まだ遠いが、廊下の向こうではそのアディーネ王女がルイージア王女を探してきょろきょろとしていらっしゃる。ここに来るのも時間の問題ですね」

「えっ!? 将軍、そこの柱から出ちゃ駄目っ。・・・ね、私もここに隠れてたらバレないわよ、ね?」


 びくっとルイージア王女が柱の陰に縮こまる。それを見て、「妹が怖い次期女王ってどうよ」と、ロメスはぼやいた。だが、見捨てる気はなかったらしい。


「しょうがない、見た以上は助けてあげましょう、王女様。これは一つ、貸しですからね?」

「うんうんっ、・・・今度、お礼にお父様秘蔵のお酒をこっそりまわしてあげるっ」

「ふむ。取引完了、ですな」


 何と言っても、仲良くお出かけしていた二人だ。手を打つ落としどころは分かっている。


「・・・そんなわけで、カロン殿。ルイージア王女は頼んだ。・・・俺は、アディーネ王女の所に行って来よう」

「ああ、分かった」


 その声に、うげっと驚き、ルイージア王女はその方向を慌てて向いた。ロメスとの関係は周囲に内緒だったし、こんなざっくばらんな会話を他人に聞かれては困るのだ。

王女の威厳がなくなってしまうではないか。


(カロン殿って、・・・ケイス将軍じゃないっ。まさか、彼までいたなんて・・・。言いなさいよっ、そういうことはっ、早目にっ)


 きっとロメスを睨みつけようとしたルイージア王女だったが、既にロメスはアディーネ王女の方へと歩いていってしまっていた。


(あんのっ、色ボケ将軍っ。他にも人がいるならいるって言えっていうのよっ! やっぱり、お父様のお酒の中身、入れ替えて渡してやるっ)


違う柱の陰に、なんとローム国騎士団のケイス将軍までいたとは。

カロンは、その大柄な体に見合わぬ動きでルイージア王女の傍にやってくると、自分の体で周囲の灯りから王女を隠すようにして話しかけた。


「足が痛んでいらっしゃるのなら、お部屋にお送りしましょう。・・・こちらの休憩用の部屋は、ご婦人と甘い時間を楽しみたいという男性が使うことが多い為、近づかない方がよろしゅうございます。殿下が近づいたのを見られては、変な噂が立ちましょう」


 カロンは、先程の会話を聞いていたとは思わせぬ礼儀正しさで、ルイージア王女に接してくる。その態度に、ルイージア王女も自分を取り戻した。


「そうだったの? ごめんなさい。だけど、そう言ってくれるのはありがたいんだけど、それは駄目なの。自分の部屋に戻ったら、さぼってたって思われてしまうんだもの。たとえ、足に血が滲もうと、笑顔で踊ってなくちゃいけないの」

「・・・今回は、ただの練習用舞踏会です。そこまでの必要はありますまい。お部屋に戻れないなら、・・・そうですね、では庭の方へでも出てみますか? ベンチがありますから」

「庭は、・・・駄目なの。お父様に、夜にお父様以外の人と庭に出るなって厳命されているから」

「ああ、そうでしたか」


 かつてルイージア王女が、護衛騎士に茂みに連れ込まれそうになったことを、カロンも思い出す。


「迷惑をかけてごめんなさい。会場に戻るわ。大丈夫よ、・・・あと少しで終わるもの」

「では、会場までお送りしましょう」


 そこでカロンが手を差し出す。そこに自分の手を重ね、ルイージア王女は、カロンの手の大きさに驚いた。やはり騎士団の将軍だけはある。自分とは全く違う大きな手だった。


()っ」


 だが、そこで立ち話していたのが悪かったのだろう。足の痛みを忘れていたのだ。

 一歩踏み出そうとして、思わず発してしまったルイージア王女の声に気づき、カロンは立ち止まって少し考え込んだようだった。


「失礼。ルイージア殿下」

「きゃっ」


 カロンは、ルイージア王女の腰を掴むと、自分の左肩に腰掛けさせた。一気に目線が高くなる。天井の高い城の一階だから大丈夫だが、そうでなければ頭をぶつけていたことだろう。


「私が殿下を腕に抱えて現れたら醜聞も立ちましょうが、肩に乗せている分には問題ありますまい」

「え? まさか・・・」

「サボリだと思われなければいいのでしょう? 陛下にお許しを頂けばいいだけのこと。さあ、参りましょうか」

「・・・あの、本当に、この状態で?」

「何か問題でも?」


 まさか将軍の肩に腰掛けて舞踏会の会場に現れるだなんて、そんな目立つ真似をよりによって自分がしなくてはならないというのか。

 ルイージア王女は、蒼白になった。


「おいおい、カロン殿。ルイージア殿下が、固まっていらっしゃるぞ。・・・手段を選ばんのは、カロン殿らしいが、それはちょっと目立ちすぎるんじゃないか?」


 苦笑しながら、セイランドがそう体を灯りの下にさらして、声を掛ける。彼もまた、違う柱の陰にいたのだ。

 カロンの肩の上で慌てて振り返り、ルイージア王女は頬を紅潮させた。口をぱくぱくさせて、何かを言おうと思いながらも言えない有り様だ。


(あんのドスケベ将軍ッ! 覚えてなさいよっ)


よりによって、更に近衛騎士団のトップであるリストリ将軍にまでも見聞きされていたとは。彼の前では常にツンとした誇り高い王女を演じていたというのに、明日からどんな顔をしてみせればいいのか。


「酔っ払い共の中で目立とうが何しようが、どうでもいいだろう。それに、もっと多くの衆目を集めて凱旋パレードを行っているセイランド殿が、それを言うか。・・・・・・すぐ戻る」

「ああ、分かった。・・・・・・殿下、ケイス将軍はその気になったら目立つことも目立たぬことも自由自在です。ま、お任せになるがいい。堂々と、皆の目を集めていらっしゃい。きっと、その快感がクセになりますよ」

「・・・っ! ならないわよっ。・・・ケ、ケイス将軍。さすがにあの・・・」


 しかし、カロンは何とも思わないようで、さっさと会場へと歩いていく。背後から、セイランドが面白そうにクックと笑う声が追いかけてきた。

王女である自分が困っていると分かっていながら助ける気がないとは、それが近衛騎士団を率いる男のすることだろうか。

三人の将軍にとってはそんなルイージア王女が困っている様子すら、子猫が蝶を捕まえようとして失敗しているのと同じレベルで可愛らしいだけだったのだが、ルイージア王女は真剣に困っていた。

だが、三将軍の中で一番交流がないカロンには、何をどう言えばいいのかも分からない。


「堂々としていらっしゃるがいい、殿下。あなたはこの国の第一王女です。自国の将軍なぞ、その肩は椅子代わりなのだと、誇り高く顔をお上げなさい。さあ、笑って」


 様々な光が溢れる会場の、中心の扉から堂々とカロンは王女を肩に乗せて現れたのだから、壁際で休んでいた人々の目が一斉に集まる。更に、踊っていた人々も、それに気づいてさざ波のように、ルイージア王女達に視線が向けられていった。

 しかし、カロンは平然としたものである。

 それどころか、気づいたのならばそこをどくがいいと言わんばかりに、視線だけで何かを促していく。上座の中心にいた国王と王妃の所まで、海が割れるかのように道が開けられていった。

 カロンはそこをまっすぐ悠然と歩いていく。

 国王の所まで辿り着くと、さすがに娘が将軍の肩に座って現れたのだから、父王も苦笑せざるを得ない。


「どこかに消えたと思ったら、なかなか派手な登場だな、ルイージア。ケイス将軍、これはどうしたことか?」

「殿下のおみ足が痛むようでございましたので、私の肩を提供したまでのこと。・・・殿下は、痛みを堪えてでも踊り続けるおつもりのようでしたが、・・・そこまでしなくてはならぬ理由は、本日はありますまい。陛下に、まずは殿下を保護していただこうと、お連れいたしました」

「なるほど。・・・ルイージア、大したものだな、お前も。まさか将軍を自分の足代わりにした王女など、お前が初めてだろうよ」

「ちっ、違っ・・・。違いますわ、お父様。ケイス将軍は、私の為に・・・」

「ああ、分かっておる。さ、降りなさい、ルイージア。いつまで将軍を笑い者にするつもりだ。いくらお前が王女でも、小娘の足代わりをさせていい男ではない」

「ごっ、ごめんなさい、ケイス将軍。私、そんなつもりじゃ・・・」

「分かっております。私から殿下を肩に乗せたのだから、殿下は何も気になさる必要はないのですよ。陛下も、お人が悪くていらっしゃる。私は別に笑い者になどなっておりませんし、そればかりか、若く美しい王女を独り占めしていたのですから、この会場にいる全ての男達のやっかみをかっていたでしょう」


 その気になれば、師であり上司だった妻の真似も完璧に出来るカロンだ。常に傍にいたのだから当然である。ゆっくりとした動きでルイージア王女を床に立たせると、片膝をついて、その手に口づけるふりをする。


「それでは、私は戻ります。ご無理はなさいませんよう、ルイージア殿下」

「・・・待って」


 そのまま、身を翻して戻ろうとするカロンを、ルイージア王女は引き留めた。

さすがに、そのまま戻すのはまずいと思ったのだ。いくら何でも、貴族達皆の前で、ローム国騎士団のトップである彼を、そんな扱いをしたかのように受け止められてはたまらない。


「あ、あの・・・、ケイス将軍。私と、私と踊ってくれないかしらっ」

「・・・殿下。無理はなさるものではありません。私は別に気にしてはおりませんよ」

「将軍。ルイージアがそう言うのだ。一曲、踊ってやってはくれまいか。ルイージアも、一曲ぐらいなら耐えられるだろう。娘の意地を貫かせてやってくれ」


 さすがに見かねた国王が、言い添える。渋々と、カロンは受け入れた。

大体、たかがダンスなどにご大層な理由をつけてまで頑張る意味が分からない。・・・ダンスが飢えた兵の腹を満たすわけでも、何かを守るわけでもあるまいに。


「かしこまりました。・・・では、どうぞ一曲、お相手を願えますでしょうか、ユア・ハイネス?」

「ええ、喜んで」


 国王に一礼し、カロンは王女へと皆が分かるように大きく腕を差し出す。それは、国王が望んだから踊るのだと、あくまで国王の意であることを示す為だ。

 いくら将軍とはいえ、第一王女を気軽にダンスへ誘えるのだと思われたのでは、勘違いした男が続いて出るかもしれないと、案じたこともある。そんなカロンに、ルイージア王女は気丈に微笑んで、手を預けた。ゆっくりと、二人は踊り始める。


「・・・あの。重いんじゃないのかしら?」

「全く。殿下は軽すぎると思いますよ。もう少し沢山食べて大きくなった方がいいでしょう」


 カロンは紳士的だが、どうも自分を子ども扱いしているだけではないかと、ルイージア王女は思った。沢山食べて大きくなれとは何事なのだろう。・・・そりゃ、この男に比べたら小さいけれども。

 踊ってはいたが、ルイージア王女のつま先は、ほとんど床に着いていなかった。ルイージア王女の腰に手を添えているのではなく、カロンは彼女の腰にまわした腕一本で彼女の体を支えていたのである。


(うん、きっと、誰もこの後、私にダンスを誘ってこないわね・・・・・・)


 誰だって、よく見ればカロンがルイージア王女をその腕で持ち上げて踊っているのは分かる。そうなれば、王女が足を痛めていると、すぐに気づくだろう。・・・・・・そして、カロンと同じようにルイージア王女を腕一本で抱えて踊れるだけの膂力のある男など、まず貴族にはいない。


「あの・・・、ありがとう」

「ロームが誇る美しい王女と踊れて光栄に思うことこそあっても、礼を言われるようなことはありませんよ、殿下」


 ルイージア王女は赤くなった。その手の褒め言葉は聞き慣れているが、実行に移してまで自分を守ろうとしてくれたのは、父王とロメスと、・・・そしてこのカロンだけではないだろうか。護衛はそれが仕事なのだから除くとして。

 自分を腕一本で支えて、それでもポーズも何もかも、カロンは完璧に踊っているのだ。同じレベルで出来る自信がない限り、次に自分と踊ろうと思う人間は出てこない。つまり、踊る相手がいない以上、自分はこの後、この会場にいる必要はなくなるのだ。

 今なら、言える気がすると思った。


「あのっ、・・・ずっと謝りたかったの。その、あの・・・、息子さんのこと・・・」

「殿下。謝っていただくことは何一つありません。あなたは何もしていないではありませんか」

「だけど・・・」


 ルイージア王女は、そのまま俯いてしまった。カロンの顔が見られなかったのだ。

 カロンは国王の臣下だ。だから、そうは言ってくれるだろう。それでも自分の息子を王都から離れた僻地に送っておいて、平気な親などいる筈がない。


「それにエルセットも楽しくやっているようですよ。先日はあちらに残る遺跡の調査にも出掛けたとか。こちらとは比べ物にならない大きな魚を食べたとも書いてきていましたね」

「だけど、そんなの・・・。だって、将軍は、その為に奥様とも・・・・・・」


 こみ上げる感情に、ルイージア王女は泣きそうになった。だけど、辛いのは将軍の方だ。

 しかし、カロンは何でもないことのように言った。


「ああ、ルーナですか。彼女は、エルセットが目当てで嫁いできた人間ですから。エルセットがいない我が家には用などないと言って出て行きましたが、・・・おかげでやっと安らかに過ごせています」

「・・・へ?」


 ルイージア王女が顔を上げると、カロンは悪戯っ気のある表情で片目を瞑った。


「私にはエルセットを産んでくれた妻がいたのですが、ルーナはその妻と、・・・親友でしてね。ルーナは妻が産んだエルセットを誘拐しかねないぐらいに愛してくれていたのですよ。ただ、私にとってもエルセットは一人息子で渡すわけにはいかない。それでルーナは、エルセットを手に入れる為に、私に嫁いできたのです」

「は、あ・・・」

「エルセットが目的で嫁いできた妻ですから、屋敷での私の立場など無いも同然でした。何と言っても、家の女主人には逆らえません。・・・侘しいことに、家でも私は肩身狭く暮らしていたのですが、エルセットがいなくなったというのでルーナも出て行きましてね。やっとくつろいで、静かに暮らせているのですよ。我が家にしてみれば、良いこと尽くめですね」

「・・・・・・」


 ルイージア王女は、何とも言い難い顔になった。

 その場にルーナがいたら、カロンに平手打ちの一つもお見舞いしただろう。だが、そこにルーナはいなかった。


「あなたが気にすることは何一つありませんよ、殿下。あなたも、そしてうちの息子も、幼く純粋すぎた。そして周囲があまりにも下劣だっただけです。たかが少年少女の一挙手一投足いっきょしゅいっとうそく大事(おおごと)に騒ぎ立てた人間がおかしい。エルセットもあなたを恨んではいないでしょうし、・・・いつか、あなたのことを懐かしく思い返す日がくるでしょう」

「・・・懐かしい?」


 僻地に飛ばされた元凶を? と、ルイージア王女は首を傾げた。カロンは、面白そうに答える。


「ええ。エルセットもいずれ恋をするでしょう。そして、いつかあの日々を思い出して気づく筈です。・・・あなたが、彼の初恋だったのだと」

「・・・ええっ? そ、それはないわ。そんなこと、絶対にないわよ」


 ルイージア王女は、真っ赤になった。

 だってそんな筈はない。彼は自分を見るなり逃げ出してばかりいたではないか。自分を宥める為に、何という大嘘をつくのだろう、この将軍は。

 だが、カロンは何でもないことのように言った。


「男なんてそんなものですよ。好きな女の子をわざと避けたり、そのくせ、遠くからじーっと気づかれないように見ていたり。そっと内緒で何かをしてあげながら、それでも気づいてほしいと願うような、そんな愚かな真似をするのが男です。自分でもその感情が分からないまま、好きな女の子を傷つけるようなことをしてしまったり、ね」

「将軍も、そんなことがあったの?」

「・・・そうですね。ええ、ありましたよ」

 

 こんなにも全てを見通すような、それでいて懐の広い男性でもそういうことがあったのかと、ルイージア王女は思った。

 カロンから見れば、最初からエルセットの気持ちは分かりやすかった。大体、その女の子がいない隙にそっとクッションに詰め物をしてあげたり、壊れた玩具を直してあげたりしている時点で、護衛の仕事ではないだろう。何が「妹と同じ気分で」だ、同い年のくせに。

どう考えても好意があったに決まっているではないか。

サーライナに尽くしまくっていたカロンだからこそ、丸わかりの事実だった。

 ましてや、ルイージア王女は王妃に似て可愛らしいことで知られている。そして、初っ端の顔合わせで、あまりの居丈高な態度に度肝を抜かれたとはいえ、・・・・・・あのルーナを見て育ったエルセットなら、それすら慣れるのは早かった筈だ。

 それでも、息子の初恋だからと微笑ましく見ているわけにはいかなかった。そのお相手はあまりにも厄介な背景を持つ、文字通りのお姫様だったからだ。そして自分の息子もまた・・・。


(十代の恋なんて、気持ちが先走る感性の恋だ。・・・だが、自覚する前に引き離しておく必要はあった。あんな幼い恋の成就などあり得ない上、誰も幸せにならないと分かっていたからだ)


 それでも、この意地っ張りな王女がエルセットに好意を抱いたこと自体は、カロンにとっても嬉しくなかったわけではない。

 そう、カロンのルイージア王女に対する先程からの態度は、息子の初恋の、そして息子に好意を抱いてくれたお嬢さんに対する親愛感の表れでもあった。これがアディーネ王女なら、カロンとてそこまではしなかっただろう。


(なんて、素敵なおじ様なのかしら。ケイス将軍って・・・)


 自分がせっせと売り子をしている横で、通りすがりの女性を口説いていたロメスとは大違いだと、ルイージア王女は思った。自分のせいでエルセットが王都を離れることになったというのに、全く気にしていない素振りどころか、おどけてみせてくれる包容力がある。

 その場にロメスがいて王女の気持ちを聞いたのなら、

「根暗にも、未だに亡くなった妻に執着してるだけだろうが。あのケリスエ将軍の産んだ息子に王女が好意的だったから親切にしているだけで、そうでなければ王女だろうが、貴族令嬢だろうが、この男にとっちゃ十把一絡げだ」

と、言っただろう。しかし、ロメスはいなかった。


「さあ、曲が終わります。・・・殿下、陛下のもとへお送りしましょう。あとは侍女と共にお部屋にお戻りになり、早めに手当てなさった方がいい」

「ええ、ありがとう」


 もう隠す必要はないと思ったのか、ひょいっとルイージア王女を片手で抱き上げて、カロンは国王のところへとルイージア王女を連れていった。

 さすがの王も、苦笑するしかない。堂々たる体躯のカロンは、何と腕一本で軽々とルイージア王女を持ち上げて見事にステップを踏んで踊り続けていたのだから。真似しろと言われても、誰も出来ないだろう。


「ルイージア。部屋に戻るがいい。・・・将軍、ご苦労だった」

「はっ。・・・それではお休みなさいませ、ルイージア殿下。良い夢が訪れますように」

「ありがとう。・・・今までで、一番素敵なダンスだったわ」

「光栄です、殿下」


 玉座に座る王と王妃、そしてその後ろに控える側室とアディーネ王女に一礼すると、カロンはそのまま会場を立ち去っていく。


「ルイージア。あなた、・・・足が痛いのならそう言えば良かったのに。だけどケイス将軍が踊るだなんて珍しいこと。いつも不調法だからって遠慮なさっていらっしゃるのに、かなりお得意でいらしたのね」

「お姉様。あとでゆっくりお話を聞かせてもらいますからね」


 王妃とアディーネ王女が話しかけてくるが、ルイージア王女はカロンの背中を見ていた。

 去って行く体から視線を逸らさずに、ルイージア王女は父王に話しかける。


「お父様・・・」

「何だ、ルイージア」

「私、思いましたの」

「何をだ」


 うっとりと夢見るような娘の口調に嫌な予感を感じつつ、それでも父王は話の先を促した。


「やっぱり、男に求めるのは筋肉だと思うのです・・・」

「もう、部屋に戻って休め、ルイージア」


 聞く価値はない話だったと判断し、国王は第一王女をさっさと部屋へ追い払った。






 ローム王国の南の外れにあるナリファ砦。その辺りは、国境を巡って、ジルベスタ国と長年争っている場所だ。もう少し西に行くと、かつてラファイ王国と呼ばれた国との国境があるのだが、その地域にまで行くと、その辺りは特に争いもなく平和な様相をみせている。

 だが、南にあるジルベスタ国との境にあるこの国境付近は、大河が流れており、時に氾濫も起こるのだが、そのせいか、肥沃な土地でもあるのだ。

 豊かな実りを約束してくれることと、大河がもたらす貿易的な価値と、そういったことも絡み、その辺りは常に、国境付近として争われ、互いに奪い、奪われている地域だった。

 そんな殺伐としたナリファ砦に、かつてない一行が赴任してきたのは三年ほど前のことである。


「エルセット・ケイスです。どうぞ、これからよろしくお願い申し上げます」

「トレスト・フォンゲルドです。どうぞよろしくお引き回しの程をお願い申し上げます」


 その時、ナリファ砦の責任者だったローム国騎士団第二部隊所属のユンゲルス・ファスナー隊長は、これは天の祝福か、それとも地獄の呪いかと、かなり考え込んだものだ。

 自分達のトップであるケイス将軍の一人息子、エルセット・ケイス。彼は、父が率いる騎士団ではなく近衛騎士団に入団し、なぜかすぐに王都騎士団に異動し、更にローム国騎士団へ異動という、問題児としての典型パターンを踏襲してここに赴任してきた青年である。経歴だけ見れば、それはもう矯正不可能レベルで最悪な人物として考えていい物件だ。

 だが、ケイス将軍の副官であり、王都騎士団のフォンゲルド将軍の息子、トレスト・フォンゲルド。彼は、何故か父親の率いる王都騎士団ではなくローム国騎士団に入った変わり者だが、父譲りの天賦の才能を発揮している出世頭だ。

 これだけなら、最悪物件と最良物件のセットとして押し付けられたのだと判断すべきところだろう。

 だが、それだけではなかった。

 同行してきた男の一人は王都騎士団から、もう一人は近衛騎士団から引き抜き、その息子にあたる少年は特別扱いでローム国騎士団に入団してきたという。どう見ても、それはエルセットに同行させる為の人事だった。


(どんな馬鹿な若殿とその一行だよって、普通は言うところなんだが、なあ・・・)


 ファスナー隊長も、それだけなら息子に甘い父親としてカロンを軽蔑するだけで済んだだろう。


「まさか、ソチエト元第五部隊長までおいでになるとは・・・」

「気は遣わんでいい。・・・ただの隠居がうろついてやがると思っておいてくれ」


 意外なことに、エルセット・ケイスはソチエト元第五部隊長と仲が良いらしく、それで同行したのだとか。どこまで甘やかされ、守られている坊ちゃんなのかと、ファスナー隊長も思った。

 ここに赴任してくる人間で、そんな大切に、それこそ布にくるまれたかのような扱いをされてやってきた人間はいやしない。

 だが。


(問題は、そこじゃねえ)


 よりによって、この砦への赴任に妻子連れ。・・・この男だけの砦に、美人な妻と可愛い娘を連れてやってきた男が二人。


(てめえらは、どこの馬鹿だよっ)


 もう、どこからつっこめばいいかも分からない。てめえらは馬鹿か、間抜けか、頭ん中はオガクズかと、その襟首掴んで罵りたい。・・・ソチエト元第五部隊長と、トレスト・フォンゲルドの目がなければ。

 すぐに問題が起こるに違いない。そんなこと、ソチエト元第五部隊長なら分かっている筈なのに、どうして止めてくれなかったのか。

 きっと、明日や明後日にでも、何らかのトラブルは起こるに違いない。この三人の女性の内、誰かがどこかの茂みに連れ込まれるか、襲われるか、・・・それとも集団暴行されるかといったレベルで。


(だが、一度痛い目を見りゃ、ここの実態ってのが分かるかもな・・・)


 物見遊山気分で来られても困る。ここは、防衛の最先端の地の一つなのだ。

 ファスナー隊長も、悪い人間ではない。どちらかというと、面倒見もよく、かなり公平な立場に立って考えられる人間だ。

 しかし、あまりにもここの状況を理解もせず、能天気にやってきた一行に対し、怒りを抱かずにはいられなかった。

 命懸けで戦っているところに、何をやらかしたのか、お遊び気分でやってきた人間がいたら、誰だって腹を立てるだろう。


(こんな所に女を連れてくるなんて、・・・妻子に対する責任感もないのかっ)


 連れてこられた女性達に恨みはなかったが、ファスナー隊長は、そう思って静観することにした。数日中に、この甘い考えに満ちた一行は、泣いて王都に帰還することになるだろうと思いながら。

 どうせ、ここで色々と新しい生活に際して揃えたり整えたりする数日間、彼らに自由時間が与えられている。何も用意できない状況で、すぐに仕事に就けと言う程、今は一分一秒を争う事態が起こっているわけではない。

 だが、その間に、何かは起こるだろう。

 やってられるかと、がしがしと頭を掻きながら、ファスナー隊長は、そこにいた兵士に、彼らに住居となる建物へ案内するよう命じる。

 そんな彼を、面白そうに見ているソチエトの視線に気づかないまま。




 結果として、ファスナー隊長の思惑は当たってもいたが、外れてもいた。

 問題は起きた。それは当たっていた。思った通り、女に飢えていた兵士達が、ジールフェイルの妖艶な妻リスエルードを数人がかりで襲ったのだ。

 そして泣いた人間が出た。そこが外れた。泣かされたのは、兵士達の方だったからだ。


「ふふ。・・・ねえ、こんな所にやってきたのが悪いんでしょう? ね、それで痛い目をみるのって当然なんでしょう? ならぁ、仕方ないわよねぇ?」


 響き渡った野太い悲鳴に駆けつけた兵士達が見たのは、自分達の仲間が血反吐を吐いている姿だった。


「隊長っ、大変ですっ。すぐ来てくださいっ。新入りのっ、新入りの女房がっ」

「・・・くそっ、やっぱりかよっ」


 兵士達に呼び出されて駆けつけたファスナー隊長が見たのは、叩きのめした男達を積み重ね、それを椅子のようにして優雅に座るリスエルードの姿だった。


「あら、隊長さん。ごきげんよう」

「それは一体・・・」

「ああ。何でも、ここに来た人間は、人気のない場所に連れ込まれて、何をされても仕方ないんですって。・・・だから、その覚悟があるならいいかと思って、とりあえず気絶させてみましたの。・・・・・・ふふ、大丈夫ですわ。戦力外になっては困りますもの。骨なんて折ってません。ね、安心なさって?」


 長い黒髪を風にそよがせ、緑色の瞳を細めて笑う彼女は、汗一つかいてもいなかった。

 そこへ、リスエルードを探していたトレストとエルセットがやってくる。


「あ、リスエル、探したんだよ。・・・ここにいたの? って、どうしたのさ、それ?」

「あら、エルセット。そういえば、そろそろ稽古の時間ね。行こうと思ってたんだけど、この人達にお誘いをいただいたものだから、お付き合いしていたのよ」


 リスエルードがゆったりと人間椅子に腰かけているのを見て、エルセットが尋ねる。エルセットの後ろにいたトレストが、呆れたように吐き捨てた。


「さて、この砦の風紀を嘆くべきか。それとも女性と侮って、相手の実力も量れない愚かさを嘆くべきか。・・・これがかつて、ケリスエ将軍を先頭に戦ったローム国騎士団の兵士達とはな。女性であろうと、戦える人間は戦える、それを誰よりも知るのが我らではなかったか」


 トレストの蔑むような言葉に、その場にいた者に緊張がはしる。彼らは、さっと背筋を伸ばした。

 ファスナー隊長も、はっと気づいた。

そう、エルセット達に気を取られていたが、トレストはケイス将軍の副官の一人でもある。彼にしてみれば、愚かしい真似をしたであろう兵士達を見てこの砦の風紀を問いたくもなるだろう。年若い青年なのに、そこには何度も兵を率いて戦ったことのある男の貫禄があった。

 トレストの青い瞳がファスナー隊長を射抜く。あくまでこの砦の責任者に任せる、そういうつもりなのだろう。本来、ケイス将軍の副官であるトレストは、その気になったらここの責任者にもなれるのだが、彼はあえてそれを拒否し、一人の騎士として赴任してきていた。


「それより、リスエル。エルセットの稽古の時間なんだろう? 俺も混ぜてくれないか?」

「いいわよ。さ、行きましょうか。・・・ああ、隊長さん。言っておきますけど、これが私だったからこの程度にしておいてあげたけど、あとの二人に手を出すようだったら、もっとひどい目に遭いますからね? そこは皆さんに周知徹底なさって?」

「あ、あの・・・。その、今回のことは・・・」

「ふふ。いいのよ。いい見せしめになったんじゃないかしら。・・・私の夫は、こういうの、私に任せてくれる人なの。だけど、・・・あとの二人は、グリスもローランも黙ってないわよ? しかも、女だからって甘くみてかかったらとんでもないことになるでしょうね。それでもいいなら、やればいいわ」


 くすくすと楽しそうに笑うリスエルードは、まさに魔女のようだ。立ち上がりはしたものの、ぐりぐりと、とどめとばかりにつま先で兵士達の頭を踏んでいる。

 そこへ、一人健全な雰囲気を持つエルセットが、ファスナー隊長に頭を下げる。


「すいません。僕、今から師匠のリスエルと一緒に自主的稽古なので・・・。それでは失礼します」

「師匠・・・?」

「はい。リスエルは、僕の剣の師匠なんです」


 にっこりとエルセットが笑う。

普通、女性に剣を教わっているなどと、恥ずかしくて言えないものだと思うのだが、エルセットにそんな羞恥心はないようだった。

ファスナー隊長も、何と言えばいいのか分からなかった。大体、剣を習うなら、ソチエト元第五部隊長でも、それこそ仲が良いらしいトレストでもいいだろうに。


「あ、ああ。まあ、頑張ってくれ」

「はい、ありがとうございます」


 そう言って、エルセットはリスエルードとトレストに、「じゃあ、行こ」と、声を掛ける。三人とも和やかに、

「稽古の後で、釣りに行きましょうか。今晩はお魚もいいわよね」

「そうだね。だけどトレスト兄もここまで参加してるんだし、いっそリスエルに弟子入りしたら?」

「うーん。俺はお情けで混ぜてもらってる身だからなぁ。そこまで図々しくはなれないよ」

などと、話しながら去って行く。

 だが、重ねられていた兵士達を殴って正気づかせ、そしてきっちり懲罰を言い渡してから、その稽古を好奇心のままに見に行ったファスナー隊長と騎士達は、口をあんぐりと開ける羽目になった。

 稽古の場所はすぐ分かった。騎士や兵士達が、離れた所から集まって見ていたからだ。


「ファスナー隊長・・・。凄い、ですよ」

「隊長、いらしてたんですか。・・・あれ、見てください」

「隊長。今回、将軍のドラ息子の左遷っていう話でしたが、・・・本当にそう、なんですか?」


 そこには、男のように動きやすい格好をしたリスエルードとルースレイル、ミリアレーナがいた。それこそ愚かしくも、こんな砦にのこのことやってきた三人の女性達である。

その家族である三人の男達は砦の騎士や兵士達とでも共にいるのだろうか、そこにはいなかった。

 そしてトレストとエルセットが、模擬剣を持って、三人と打ち合っている。

 だが。

 その速さと動きは尋常ではなかった。

 まだ、トレストは分かる。彼の有名なフォンゲルド将軍の息子であり、武勇に優れた騎士とされてもいるからだ。

 なのに、あの三人の女性はどうだろう。そのトレストの動きに全く劣らないどころか、時に凄まじい速さで剣を動かしている。何より、あの跳躍力、そして身のこなしは、何なのか。

 まだ、一番弱いというのか、反射も遅く、勢いも弱いのがエルセットだろう。だが、そのエルセットすら、そこらの騎士よりは強いのだ。・・・あのケリスエ将軍とケイス将軍の息子として考えるならば、全くもって弱いのかもしれないが。


「隊長・・・。あれが、女の動きですか・・・」

「まさに、あの動き・・・。それこそ・・・」


 ファスナー隊長だけでなく、見ている人間全てが、知らず鳥肌を立てていた。

 そう、自分達は知っている。その動きすら目と心を奪っていく、あの剣を。


「ほら、さっさと来いよ」

「だからぁ、たかだか剣の稽古だろ? それを見に来いって何なんだよ」

「うぉっ、隊長までいるじゃねえか」


 そんな声が響き、背後から更に誰かが仲間を引っ張ってきたらしいと気づく。だが、ファスナー隊長達は、振り返りもせずに見ていた。

 遅れてやってきた彼らもまた、すぐに息を呑んで見入ったのが分かる。

 やがてファスナー隊長の横に、年老いた男が並んだ。乾いた唇を舐め、ファスナー隊長は目の前の光景から視線を外さず、その男に話しかけた。昔のように、呼びかけながら。


「ソチエト部隊長。彼女達は、まさか、あのケリスエ将軍に(ゆかり)ある・・・」

「黙ってろ。・・・何も気づかなかった、それでいい。エルセットを鍛える為ならともかく、他の奴らの為になど、彼女らは指一本動かさねえ」

「は」

 

 ファスナー隊長は小さく頭を下げた。しかし、その瞳が僅かに滲む。


「・・・ご一緒に戦わせていただいたこともあったのです。あの方には、到底届かない場所でしたが、それでも・・・」


 かつて、それこそ若き将軍の指揮下で戦った日々があった。

 だからこそ、その一人息子が他の二騎士団から放り出されるような青年であったことに、ファスナー隊長が失望したのは事実だ。

そんなエルセットは、どこが問題児だったのか分からない、おっとりとした青年で、今も果敢に模擬剣を振るっている。それを打ち流しているリスエルードだが、その姿こそ、かつてその青年を産んだ将軍を思わせる動きではないか。

ファスナー隊長は、どうしても気になっていたことをソチエトに尋ねた。


「どうして、彼はここに左遷されたのです? この人事、何が王都であったというんです?」

「・・・貴族達がエルセットを目障りだと殺しそうだったから、王都から引き離しただけのことだ。特にエルセット自身は問題など起こしちゃいねえよ」

「・・・そうでしたか。やはり、そうだったんですね」


 そこですとんと、ファスナー隊長の中に納得できるものが落ちた。

そう、最初から違和感はあったのだ。エルセットに、問題を起こす人間特有のひねたものはなかった。

 こんな辺境の地にやってきて、腐った様子もなく、彼は伸びやかに笑う青年だった。かつて、自分達を率いた将軍によく似た顔をした、そして同じ色の髪と瞳を持つ彼は。


「女性といえど、あれ程の使い手とあれば、・・・二度と彼女達に不埒な真似をする人間も出ないでしょう。後程、改めて兵士達には徹底しておきますが」

「そう願いたいね。言っておくが、最初だから手加減しただけだ、うちのも。学習しない馬鹿は、さっさと殺す女だぞ、あれは」


 いつの間に来ていたのか、ファスナー隊長の言葉に、背後からジールフェイルが口を挟んでくる。驚いてファスナー隊長は、振り返った。青い瞳を人懐っこそうに細めて、ジールフェイルが顎でリスエルードを示す。


「うちの妻はエルセットの師匠でな。あいつは、もうエルセット以外に弟子をとる気はねえんだ。見てるのはいいが、教えろってのは無しだぜ? トレストは、まあ、エルセットを可愛がってくれてたから、ついでに相手してやってるってだけで、あいつは弟子じゃねえ」

「ジールフェイル、だったか? 言葉づかいには気をつけたまえ」


 こほんと咳払いしてから、ファスナー隊長は注意した。


「おっと、いけねえ。・・・すみませんね、隊長さん。今まで適当にやっていたものだから、言葉づかいとかよく分かってないんですよ。まあ、よろしく頼みます」


 何とも憎めない男だと、ファスナー隊長は思った。考えてみれば、かなり異例な人事だったのではないか、今回の王都からやってきた一行は。

 だが、そんな不思議な一行は、誰もが強かった。

やがて、左遷させられた者達の吹き溜まりのようだったナリファ砦は、活気と笑い声の溢れる場所になる。それは、王都でも指折りであろう強い剣士達が派遣されたことにより、彼らの誇りが取り戻されたことが影響していただろう。

そしてまた、トレストを案じる兄リルドレッド・ロイスナーが、その地へロイスナー商会の人間を派遣し、様々な物資が流通するよう手配したことも大きく関与していた。

士気が高まり、そして人々が増えて、自分達でも様々な活動を行い、・・・やがて周辺に暮らす村人達とも協力し合い、自治領のような勢力になるのはすぐのことだと、その時にはまだ分からなかったが。

それでもその時、何かが変わるような新しい風を、ファスナー隊長は感じていた。






 久しぶりの王都は変わっていたこともあれば、そうでないこともあった。


「じゃあな、エルセット。今度は騎士団の棟で会おうぜ。さすがに今回はちゃんと実家に戻れって、父上からも言われてんだ」

「うん、トレスト兄。えっと、・・・多分、僕、王都にいる間はフィツエリ邸にいると思うから」

「ああ。ま、日中は騎士団で会うし、問題ないだろ。じゃあな」


 エルセットとしては、懐かしい屋敷に帰りたかったのだが、母であるルーナがエルセットの正装を用意してくれている上、弟妹達が会いたがっているということにより、フィツエリ邸に滞在することが決まっていた。父であるカロンは、屋敷で一人、暮らしているらしいが、

「別に、お前はうちの騎士団に所属してるんだし、日中は棟で会うから構わんだろう」

というスタンスだった。

だが、エルセットが王都にいる間、ファレンとアレナに泣きつかれ、カロンもフィツエリ邸で過ごすことになったとか。


(フィツエリ男爵も、よくあそこまでルーナお母さんに好きにさせて文句言わないもんだよなあ。・・・ま、フィツエリ領にいることの方が多いから、邸の管理人代わりだと思ってるんだろうけど)


 そんなことを思いながら、それでもフィツエリ邸に向かう前に、エルセットは懐かしい屋敷へと立ち寄った。


「あらあら、エルセット。お帰りなさい。まあ、たくましくなって。・・・フィツエリ邸に泊まるって聞いてたけど、こっちにも寄ってくれたのね。さあ、おあがりなさい。ここはあなたの家なんだから」

「おばあちゃんっ。どうしてここにっ!?」


 エルセットは驚いてのけぞった。自分の家に、ソチエトの妻がいたのだから。

 そんなエルセットの背中を押して屋敷に迎え入れると、彼女はエルセットに、

「まずは旅の汚れを落とさなくちゃね。うふふ、お湯を沸かしておいて良かったわ。まずは浴室に行ってらっしゃい。着替えは用意してありますからね」

と、追い立てる。

 何だかんだといっても、いつも面倒を見てもらっていたおばあちゃんである。エルセットは素直に指示に従った。

 さっぱりして出てきたエルセットには、果汁とパイが用意されている。


「だけどおばあちゃんがいるなんて思わなかった。どうしたの、一体? あ、トルおじいちゃんも連れて帰れば良かったんだけど、『別にいい』って、断られちゃったんだ。ごめん・・・」

「あら、いいのよ。・・・うちはね、息子夫婦が屋敷で暮らすことになったから、私はここに住まわせてもらうことにしたの。ケイス将軍も、自分のことは何でもしてしまう方だけど、やっぱり家を守る人は必要でしょ? 本当によくしてもらってるわ」

「そうなんだ・・・」

 

 何かが違うような気がしたが、おばあちゃんならいいかと、エルセットも思うことにした。何でも使用人も連れて引っ越してきたのだとか。以前、ロシータ達が使っていた片翼を使用しているそうだ。


「ねえ、おばあちゃん。・・・ルーナお母さん達がフィツエリ邸に引っ越したのって、やっぱり僕のせいなんだよね」


 エルセットにも、ルーナがケイス将軍親子に見切りをつけてフィツエリ男爵家に戻ったという噂は届いていた。

だが、噂よりも先に届いたルーナからの手紙には、

「お父さんと一緒に暮らすのも飽きたから、フィツエリ邸に帰るわ。ちゃんとあなたもこっちに泊まりにくるのよ」

という、何とも奔放な理由が書かれていて、遠隔地にいる以上何も出来ないエルセットは詳しい事情を考えるのを放棄していたのだが、やはり静かになった屋敷に戻ると、考えずにはいられない。


「そうねぇ。多分、ルーナ様はエルセットと一緒にナリファ砦に行けたなら行ったんだろうと思うんだけど、行けなかったから、もうこの屋敷にいる必要もないと割り切っただけじゃないかしらね」

「・・・何、それ」

「あら、まだ聞いてなかったの? 昔、フィツエリ男爵家のルーナ姫は、エルセットという可愛い坊やを欲しがったんだけど、父親が一人息子を手放さないので、自分からやって来たんだって話」

「・・・嘘」

「本当よ。あなたのルーナお母さんは、あなたが欲しかったから、あなたのお父さんと結婚したの。だから、あなたがいない屋敷で暮らすのは耐えられなかったんでしょうね」

「・・・・・・」


 ルーナがエルセットの母であるサーライナを愛していたとは聞いていた。だが、まさか、本気で父のカロンに対して全く気持ちが無かったとは、エルセットは考えもしなかったのだ。

 実に子供の時からの思い込みとは強力で、気づくような様々な事実はあったし、直接聞いてもいたのに、エルセットは完全にその事を聞かなかったことにして理解を放棄していた。

 そのツケが一気にきただけである。


(なんて人なんだ、ルーナお母さん・・・。てか、お父さん、そんな理由で捨てられちゃっただなんて、やっぱり可哀想)


 それでも、両親は大人だからいい。

 けれど、幼いファレンやアレナにとって、両親が別れて暮らすというのは辛いことだったのではないか。可愛い弟妹が、そのことでどんなに小さな心を痛めただろうと思うと、エルセットも辛い。


「ねえ、エルセット。あなたのお父さんは言ったわ。あなたが大きくなるまでの、一家五人の暮らしこそが夢のようなものだったんだって。・・・夢はいつか覚めるものよ。そしてね、人は、・・・現実を歩き出すの」


 それでも、自分が壊したのだ。あの明るく賑やかだった、家族の笑い声が響き渡る日々を。


「泣かないで、エルセット。・・・誰もがみんな、あなたを愛しているのだから」


 そこにソチエトはいなかったけれど、エルセットは小さな子供の頃のように、大好きなおばあちゃんに手を伸ばして、涙を流した。


「信じていれば、そして愛していれば、乗り越えられる辛さがあるのよ、エルセット。だから泣かないで」


 昔と同じように、彼女は優しくエルセットの頭を撫で続けていた。




 そんなエルセットの感傷は、フィツエリ邸に行った途端、粉々に破壊された。


「エル兄様っ、おっ帰りなさーいっ。見て見てっ、僕ねっ、こーんなに背が伸びたんだよっ」

「エルお兄様っ、お帰りなさい。あのねあのねっ、今日はご一緒に寝ていいんでしょっ。お父様がねっ、夜になったらお星さまを一緒に見に行ってくれるって約束したのよっ」


 双子達は、エルセットを見つけるや否や、全速力で駆けより、体重を思いっきりのせてぶつかって来たからだ。全身の力を込めたお出迎えである。


「これねっ、父様が作ってくれた剣なんだよっ。僕も父様みたく、カッコよくなるんだっ」

「でねっ、お母様が私にもドレスを作ってくれたの。お父様と練習したのよっ。エルお兄様もダンスを踊ってくれるわよねっ」

「だからエル兄様、一緒にお馬に乗せてっ」

「駄目よっ、ファレン。エルお兄様は私とダンスするのっ」

「そんなの駄目だよ。エル兄様は、僕と馬に乗るのっ」

「ずっるーいっ。そしたら私もエルお兄様と馬に乗るんだからっ」

「僕が先っ」

「私っ」


 とりあえず、エルセットは弟妹を両手で抱き上げて、肩を竦めてその様子を見ているルーナに笑いかけた。エルセットが何かを言う隙もなく、双子は我先にとまくし立ててきたのだ。口を開く隙がなかった。

弟妹は大きくなったが、エルセットもリスエルードによってかなり体を鍛えあげられている。片手に一人ずつ抱き上げても、全く問題はない。


「ただ今戻りました、ルーナお母さん」

「お帰りなさい、エルセット。待ってたのよ。・・・ファレンもアレナも、少しは落ち着きなさい。エルセットはちゃんとあなた達と遊んでくれるわよ。だから、まずはエルセットに出すお茶のカップを選んでちょうだい? アレナはエルセットにどのカップを使ってもらうんだったかしら?」

「そうよっ。・・・あのねっ、エルお兄様。お父様と市場で、とても綺麗なカップを見つけたの。エルお兄様が帰ってきたら、みんなで使おうねって約束していたのよっ」


 エルセットの右腕に抱えられたアレナが目を輝かせてエルセットに説明する。黄土色の髪に焦げ茶色の瞳をしたアレナは、色合いだけならカロンそっくりだが、性格はやはりルーナに似て明るく元気だ。

 三年前よりも大きくなって髪も伸びたが、そういうところは変わらない。


「アレナが選んでくれたの? 嬉しいな。どんなカップだろう」

「僕も一緒に選んだんだよ、エル兄様。あのね、かっこいい剣が描かれてるんだよ。そしてお花も。剣はね、交差してるんだっ。でねっ、でねっ、お花は三つ咲いてるんだよっ」


 左手に抱かれているファレンが唇を尖らせる。自分を忘れるなと言いたいらしい。小麦色の髪に薄茶色の瞳をしたファレンは、ルーナ譲りの色合いだ。妹に甘いエルセットが自分を置き去りにするのではないかと思い、慌てて詳しく語ろうとする。

 

「ファレンも一緒に? それは楽しみだな。・・・後で、一緒に二人とも馬に乗ろうね。そして一緒にダンスをしよう。今日は星を見に行くなら、星のお話もしてあげるね」

「約束よ、エルお兄様」

「そうだよ、エル兄様」

「うん、約束するよ」

 

 そんな仲の良い兄妹の様子を、フィツエリ邸の使用人達も穏やかに微笑みながら見守っている。

 

「お父さんはお仕事が終わらないと帰ってこないけど、明日はあなたと一緒に出勤するって言ってたわよ。さ、エルセット。ご馳走も用意してあるの。あっちでの暮らしも聞かせてちょうだい。手紙だけじゃ分からないこともあるもの」

「うん。・・・ルーナお母さん。お父さんって、・・・こっちにもたまに来てるの?」


 エルセットの質問に、ルーナは「当たり前でしょ」と、片眉を上げて答えた。


「そりゃ私達はこっちで暮らしてるけど、あなた達のお父さんなのよ、あれでも。あの男が、子供が親離れするまで、目を離すわけないじゃないの。毎週のように、こっちに来て子供達の相手をしてるわ。休みの日には、一日中、二人を遊びにも連れていくし」

「・・・・・・そうなんだ」


 別居といっても、かなり交流はしているらしい。というより、毎週やって来ているのであれば、それこそ双子達にしてみれば、普段から留守がちな父親だったのだ。生活する場所が変わった程度で、あまり別居という感覚もなかっただろう。


(なんか、泣いて損した気がする・・・)


 シリアスに考えていたのは自分だけだったのかもしれないと、エルセットは全力で「構って、構って」「遊んで、遊んで」と懐いてくる弟妹に押し倒されつつ、そんなことを思った。






 ある日のこと。

 ローム国騎士団の棟に、王宮の侍女らしき女性が、「ケイス将軍にお渡しくださいませ」と、壺を届けてきた。どうやら中身は酒らしい。


「どうしたんですか、ケイス将軍? 何か祝い事でも?」

「・・・聞いてないな。何故、こんなものが?」


 副官の一人であるジルードが、不思議そうな顔で尋ねてくる。今やジルードも、気にしていたソバカスは薄くなり、金髪に青い瞳をした立派な好青年だ。

 届けてきた侍女に理由を訊いても、

「私も、こちらにお持ちするように言いつけられただけでございますから。贈り主の名は明かさぬようにと、申しつけられております。それでは失礼いたします」

と、にっこり笑って去って行った。

 贈り主の名を明かせない品など怪しいだけなのだが、どう見ても上位の王宮侍女である。そう、王族に親しく仕えるクラスの。

 カロンは添えられていたカードを見た。そこには一言、「ありがとう」と、書かれていた。


「おっ。やっぱり、そっちにも来てたか。一緒に飲もうぜ」


 そこへ、がやがやと誰かがやって来る物音がしたかと思うと、ロメスが顔を出す。その後ろには、セイランドもいた。二人とも、同じ意匠の壺を抱えている。

 ひょいっと、ロメスがカロンの持っていたカードを攫って読む。


「どれどれ。・・・何だよ、カロン殿には『ありがとう』か。ひねりがねえな」

「そもそも、ひねりなどあっても仕方ないだろう、ロメス殿」


 セイランドが苦笑するが、ロメスは気にした様子もない。


「ちなみに、私は『口止め料』と書かれていたんだ」


 セイランドが、そうカロンに片目を瞑る。なるほど、贈り主は可愛い王女様のようである。


「こっちはふるってるんだぜ。『お礼参り』とか、書いてきやがった。大体、誰が妹から助けてやったと思ってるんだか。『お礼』の間違いだろ? 一度、言葉づかいをきちんと教えとかねえとな。どこで変な覚え違いをやらかしたんだか」


 そう、ロメスがぼやく。


「お礼参り、ねえ。・・・どこでそんな言葉を覚えたんだろうな。お礼に参上しました、という意味として覚えてしまったんだろうが」


 王女に親しく仕える人間は貴族の令嬢ばかりで、そんな言葉を知る環境に無い筈なのだがと、カロンは首を傾げた。その元凶であるロメスは、藪蛇になってはたまらないと沈黙を守る。


「ま、いいさ。折角だから飲もうじゃねえか。おい、カップ、持ってきてくれ。お前らも飲むだろ」

「はい、フォンゲルド将軍。少々お待ちください」


 カロンの副官の一人であるリールスが、苦笑しながら机の上を片付けていく。酒の入った壺とカップが置かれ、適当なつまみも用意される。


「ま、折角もらったもんだから、まずはそれを飲むべきだろうな」


 そこは堅苦しい貴族出身のセイランドである。自分がもらった壺の酒を飲む。

「ほう。悪くない」

と、呟いた。さすが王女、本当に王の秘蔵の酒を取って来たのか。


 そんなものかと思い、カロンも自分に贈られた酒を飲んでみる。

「たしかに、良い酒だ。まろやかさといい、咽喉を通るその刺激すら最高級だな」

と、感心した。


 だが、ロメスは一口飲む前にそれをテーブルに置く。

「あんの、クソガキ。・・・やってくれやがった」

と、物騒な声で呟いた。ロメスに届けられた酒壺の中身は、酢だったのだ。ロメスとて飲む前に気づくというものである。


 早速、三つの壺を皆が試し飲みし始める。


「だが、ロメス殿。酢とはいえ、これはとてもいい酢だぞ。水で割って飲めばかなりいける」

と、カロンがその酢に蜂蜜と水を足したものを作ると、それを飲んだ騎士達からも、「あ、うまい」とか、「かなりいけますね。疲れがとれる」などと、賛同の声があがる。

 セイランドも、それを飲んで、「たしかに。酢は酢だが、かなり良いものだぞ、これは」と、匂いを嗅ぎながら、カップを掲げてみせた。

 だが、ロメスにしてみれば、そういう問題ではないのだ。


「俺は恩人なんだぞっ。それをどうしてカロン殿が一番いい酒もらってんだっ」

「知るか・・・」


 カロンにしてみれば、それこそ、「贈り主に訊け」である。

 三将軍だけでなく、その場に居合わせた全員が飲み比べて意見を出し合った結果はこうだった。


 カロンに届いた酒こそ、王秘蔵の特別な酒ではないか。

 セイランドに届いた酒もまた、カロンには劣るが、かなり良い酒である。

 ロメスに届いた酢は、きっと料理長の秘蔵の酢だろう。


その辺り、様々な酒を飲み慣れているキヤンの意見が、かなり核心をついていて、これはどこの地方のものではないかと、蘊蓄(うんちく)を垂れたりもする。


「大体、一番嫌がられることをしといて、一番いい酒もらってるってどういうことだよ。あんの恩知らずの小娘が、・・・いずれ泣かせちゃる」

「大人げないぞ、ロメス殿」


 そんなロメスをセイランドが窘める。セイランドは、自分にきた酒も十分良いものだったし、自分の娘よりも年下な少女のしたことである。酒と思わせて酢だなどと、可愛らしいものではないかと思っていた。

 

「そうだぞ。まあ、飲め。なかなかいい酒じゃないか。さすがは王の秘蔵酒」


 カロンも自分に贈られた酒を、ロメスのカップに注ぐ。


「ま、いいけどな。所詮、小娘のしたことだ。本気で怒っちゃいねえよ」


 そう言ってロメスも、注がれた酒をじっくりと味わった。

 たしかにあれが、良い酢なのは分かる。だが、こうやってカロンがもらった酒と比べてみれば、対応の違いは歴然としたものではないか。

 あれ程、カロンには合わせる顔がないからと避けておきながら、ちょっと踊っただけでこれとはどういうことだ。今まで色々と面倒をみてやったのは誰だと思っているのか、あの王女は。


(こいつもむっつりしてるくせに、いつも一番美味しいところをちゃっかり持ってくんだよな・・・)


 それでも酒に罪はない。

 ロメスは、程よい酩酊感を楽しむことにした。


(今度はふんじばって、アディーネ王女の前に転がしてやろう。覚えてろよ、あの生意気王女が)


 本気で怒っているわけではないが、やられたらやり返しておくのがロメスである。そんなロメスを見ていたからこそ、ルイージア王女もしっかりやり返す人間になったのだとは、都合よく考えないことにする。


(全く、どんどん反抗的になりやがって。女なんだから息子よりも素直かと思いきや、全くそんなことはねえんだから、本当にガキってのだきゃあ・・・)


 だが、どうやら俗物的な意味で使う「お礼参り」の意味を、ルイージア王女はちゃんと分かった上で使っていたらしいと、そう思いながら。


【羽ばたく想いは紺色の空に】


 夕日が野原の向こうに沈むと、紺色の空が現れる。すぐにそれは夜の闇へと変化するけれど、その僅かな時間にだけ広がる紺色の空が、ミリアレーナは好きだった。


(今日も鳥が群れになって飛んでいく。・・・夜が追いかけてくる前に寝床へ帰るのね)


 これが人間なら、日の出ている内に家へと帰る。けれども鳥達は、その夕焼けが空を紅く染め、そして紺へと移り変わる時に、空を飛んでいくのだ。

 闇が来る前の、その僅かな時間を惜しむように・・・・・・。


(私も空を飛んで行けたなら・・・。人の(ことわり)に縛られない鳥の世界に生きられたなら・・・)


 ミリアレーナは、空を見上げて思った。そうしたら自分もあの鳥のように空を飛んでいくのに。

 僅かな時間でもいい。闇が優しく自分を包む前に、その紺色の空に包まれて空を駆けていくのだ。誰よりも空に近い場所で。




 案ずるより産むがやすしと言う。実際、その通りだなと、トレストもエルセットも思っていた。

 左遷されたことになっているナリファ砦での生活は、なかなか面白い発見と冒険に満ちた、心躍る日々だったからだ。

 そしてエルセットは、最後のロープを縛り上げて立ち上がった。


「出っ来上っがりーっ! これで大丈夫っ、・・・・・・の筈、うん、きっと、多分ね・・・」

「おいおい。・・・何だよ、その終わりの声が段々小さくなってるのは?」


 呆れてトレストが指摘する。言い訳をするかのように、きょろきょろと視線を斜め左下や右下に彷徨わせつつ、エルセットは答えた。


「いやいや。大丈夫、な筈なんだよ。文献によると、こういったものをだね、組み合わせて(いかだ)と船をドッキングさせたようなものが使われていた筈で・・・・・・」


 頭でっかちなエルセットは、どうしても考えることから始めてしまうのだ。それを兄貴分であるトレストはからかいながらも、「じゃ、まずはやってみようぜ。失敗してから考えりゃいいさ」と、朗らかに川の方向を顎で示した。

 ぐたぐた言うよりも、まずは動け。トレストはそう思っている。


「そうなんだけどさぁ・・・。これで失敗したら目も当てられないよ。また笑われちゃう」

「いいじゃないか。そしたら次に成功させりゃいいだけさ。さ、浮かべてみようぜ」


 二人は、丸太を筏のようにした上に、簡単な居住空間のような小屋を載せたものを、試作していた。あくまで試作段階だが、それなりに川が増水した時でも耐えうる強度や出来上がりになったら、それを幾つも連ねて川の岸から岸へと連ねていくことを考えている。あくまで川の本流ではなく、支流での使用を目的としているのだが、橋を架けるよりもそちらの方がいいのではないかとエルセットは思い、まずは作ってみようとしたのだ。

 とはいえ、先はまだまだ遠い。


「あまり堅苦しく考えるなよ、エルセット。別に岸と岸とを渡せなくても、いざとなれば船のように使えるんだからさ。・・・ま、ちゃんと浮いてくれれば、だけど」


 トレストにしてみれば、こういった自作の筏もどきで川に出る方が面白そうだと思っている。川の真ん中でのんびりと釣り糸を垂れて大物を狙うのだ。きっと楽しいに違いない。

 エルセットは、そんなトレストに苦笑すると、「そうだね」と、頷いた。そう、まずは浮かべてからのことだ。

 二人は、その筏を川へと押していく。

 そんな二人を、砦の窓からリスエルードとルースレイル、ミリアレーナの三人は、違う意味で感心しながら見下ろしていた。

 よくぞあそこまで昼夜を惜しんで作っていられるものだと思っていたのだ。


「いくらすることがないからって、あんな変わった舟みたいなのまで作りあげるだなんて、エルセットったら真面目なのねぇ。・・・だけど、ミリア。あなたも気になるなら手伝いに行けば良かったのに」

「ううん、お母さん。こうして遠くから見てるだけでいいの。だって、三人でああやっているのが一番楽しそうだしね。ローラン兄さんはまだ仕事中だけど、どうせ終わったら飛んでいくのよ」


 ルースレイルに促されたミリアレーナだったが、そう言って首を横に振る。


(それに、トレストもエルセットも、出来上がったら一番に招待するよって言ってくれたもの)


 だから自分は待ってる。それでいい。

 男の人はいつだって少年の心を持ち続けている。女は一足早く大人になってしまうけれど、そんな彼らを見ているだけで構わない。あの空気を、邪魔したくないから・・・。

そんな二人に、リスエルードも微笑んだ。


「そうよ、ルース。放っておきなさいな。男の子はいつだって秘密基地を作りたいだけなの。お子ちゃまなのよ。どんなご立派な名目をつけたところで、エルセットの本心はそんなものよ」


 リスエルードは、二人が川に浮かばせようとしている筏を指し示す。


「大体、本当に岸と岸とを繋ぐだけなら、あんな居住空間なんて必要ないじゃない。いずれ、あれが完成したら、生活用品を持ち込んで暮らし始めるわよ、あの子達。それこそ川で泳いでそのまま魚釣って寝てるんじゃないかしら。いずれ煮炊きできるような設備も作るでしょうね」


 なるほどと、二人は思った。川に水を汲みに行かなくても、川で暮らしてしまえばいいという逆転の発想らしい。しかし、そんなことが出来るのだろうか。・・・・・・出来そうだけど。

 実の所、他の人間はともかく、二人のこのナリファ砦における立ち位置はかなり微妙だった。

 そもそも、トレストはケイス将軍の副官の一人である。それこそ、この砦の責任者より上位になる。いくら一人の下っ端騎士として扱ってほしいと本人が言ったところで、「できるかぁっ!」なのである。

 そしてエルセットは、近衛騎士団、王都騎士団を経由して流れついた騎士だが、それこそ「王族と貴族達のごたごたに巻き込まれないよう」に逃亡させてきたケイス将軍の息子なわけで、いくら本人が下っ端騎士として頑張りますと言ったところで、「はい、そうですか」とは言いにくい。

それこそ経歴は問題児特有ながら、さすが本来は近衛騎士団でエリートコースを歩く予定だった青年だけあって、早速、この辺りの地図を見て不満を抱いたらしく、自分で計測し直して描いているときたものだ。

 つまり、二人は上物すぎて扱いかねるのだ。

 そんなわけで、ファスナー隊長の困惑を察したトレストが、

「今の所、戦も起こっていないようですし、何でしたら私とエルセットは自主練習をしておくことにしておきましょう」

と、言い出し、ほっと安堵の吐息をついたファスナー隊長も、

「そうしてもらえるなら、それが有り難い」

と、受け入れたのだった。

 要は、誰もこの二人を部下にしたい人間がいなかったのだ。

二人が剣の練習相手をしてもらっているリスエルード達にしても剣の腕は素晴らしく、それこそナリファ砦の騎士や兵士達も相手してもらいたい程だが、三人はあくまでエルセットの練習相手しかやる気はないと言い切ったのだから、もう何も言えるものではない。

 ジールフェイル、グリスファンド、ローランゲルドの三人は、騎士達の練習に組み込まれて大人しく仕事にも就いているが、その三人もまた凄いとしか言いようのない剣士である。

 それら全ての人材がエルセット一人の為についてきたのだと思えば、

「え? 一緒に来た皆は凄いけど、僕はただの一般騎士ですよ?」

と、本気でぬかしてくれるエルセットを、ファスナー隊長が持て余してしまったのは、仕方ないことだっただろう。

 そう、このファスナー隊長の横でのんびりとくつろいでいる、ソチエト元第五部隊長にしても・・・。


「どうした? こっちのこたぁ、気にすんなっつっただろうがよ」

「はあ。そうなんですが、・・・ソチエト殿。正直、エルセット・ケイスをどうすればいいのか、私には分かりかねます」

「別に。あいつだって適当に部下として扱えって言ってきたんだろ。なら、それでいいじゃねえか」


 そう事もなげに言い捨てるソチエト元第五部隊長を、ファスナー隊長は恨めし気に見た。


「・・・言っておきますが、トレスト・フォンゲルドと言えば、ケイス将軍の副官の一人である上、いつ王都騎士団に異動してフォンゲルド将軍の跡を継ぐやらと言われている出世頭なんですよ。そして妻や娘まであそこまでの使い手であるような凄腕の男が三人、ついてきているような人間を、どうしてただの騎士扱い出来ると言うんです。ましてや、・・・・・・あなたはあの第五部隊長ではありませんか」

「買いかぶりもいいとこだな」


 だが、そんな言葉に騙されるファスナー隊長ではない。いくらナリファ砦が左遷先と言われるような僻地でも、同時にここは国防の最先端の一つだ。左遷先ではあるが、ここに流されてくる騎士も兵士も、実力があることは確かなのだ。

だからこそ、毎日遊んでいるようなエルセット達に対しても、誰も文句を言わない。・・・あの女性三人とトレストの剣技に、誰もが畏敬の念を抱いたからだ。彼らが大事にしていると分かるエルセットに対し、今、ナリファ砦の人間達は遠巻きにしながら注目していると言っていい。


(あの二人の子供にしちゃ弱いが、あれはいずれ台風の目になるタイプの人間だ。だから、クセのある奴らですら何も言わず、遠くから眺めて判断しようとしている。力がある奴っていうのは、同じく力のある奴に敏感だからな)


 そんな力こそ全てと言わんばかりの彼らを束ねるファスナー隊長である。老いたとはいえ、そして亡くなったケリスエ将軍の前では人畜無害な好々爺を演じていたとはいえ、・・・かつて第五部隊を率いた鬼神の如きソチエト第五部隊長の勇猛さを忘れる筈もない。そして年老いた今も尚、彼の瞳は力を失っていないではないか。


「老いさらばえた人間に対して昔のことを持ち出すんじゃねえよ。ま、だが、さすがはあの小僧が見込んだだけはあると言っておこう」

「・・・ケイス将軍が、何か?」


 かつて、第六部隊長だったカロン・ケイスを、ソチエトが小僧と呼んでいたのは有名だ。

まさかずっと第二部隊に所属していた自分のことなど知る筈もなかろうと、ファスナー隊長は首を傾げる。


「あの小僧がケリスエ将軍に執着してたのは有名だろうが。その彼女が産んだ息子の落ち着き先だ。あの男が手抜きなどするか。お前さんに高い人物評価をしていたからこそ、エルセットはここに来たに決まってっだろうが。そんなことも分かってやがらねえのか」


 目を丸くしたファスナー隊長だったが、

「そろそろ、成功したか失敗したかは知らんが、筏も出来上がる頃だな。どれ、見に行ってやるか。邪魔したな」

と、ソチエトは立ち上がり、川の方向へと去って行く。

 こんな僻地のことまで本当に将軍が目を配っているのだろうか。だがしかし、言われてみればエルセットは、あのケリスエ将軍の一人息子だ。

 そんなことをぐるぐると思いつつ、ファスナー隊長は赤くなったり青くなったりして、しばし混乱した。

 所属する第二部隊からですら、左遷先として見られるナリファ砦である。どうして更に上の立場にある将軍から注視されていると思えるだろう。

 けれども、それが本当のことならば。

 嬉しいと、ファスナー隊長は思った。

もしかしたらソチエトは、自分をおだてただけなのかもしれない。先程の言葉なんて、それこそ本当か嘘かも分からないのだから。

だけど、こんなローム王国の果てにある地を守る自分達を、ケイス将軍が本当にきちんと見ていてくれたというのであれば・・・・・・。辛い任務の日々にも耐えられると、ファスナー隊長はそう思ったのだ。




 エルセット達が色々と試行錯誤して作りあげた小屋付き巨大筏だが、かなり居住性もいい。縄を結んで筏を幾つか連ね、岸と岸とを繋いでいる為、その上を馬も移動していけるのだ。増水した時の為、岸の両側の高い位置にある太い木に、端の縄は括りつけられている。

 そこは、いつしか騎士や兵士達の憩いの場所の一つにもなっていた。暑い日には、川の上で風を楽しんで涼むことも出来る。


(へたにあいつらを自分の監督下におこうと思わなくて良かった。好きにさせておいた方が良い結果を出す奴らだ)


 そんなことを思いながら、ファスナー隊長達はその筏の上に設置されているベンチに座っていた。考え事がある時には、この川の上で揺られている感じが良いのだ。

 近くにいた騎士が苦笑しながら話しかけてくる。


「で、あの坊ちゃん達、今日はどこに行ったんです? さすが将軍の息子達だけあって、飽きない奴らですよね」

「ああ。廃墟だか遺跡だかを見つけたとやらで、書き写せるものと野営用品を持って出掛けてったさ。そんな、朽ちる程の大昔に人が住んでいた名残りをどうするのかと思ったんだが、そういった場所に描かれているものが、時には何かの参考になるんだとさ。・・・頭のいい奴ってのは、何考えてるのか、全く分からん」


 ファスナー隊長がぼやくと、それを聞いて他の騎士も笑い出す。


「全くですなあ。何を遊んでいるのかと思うんだが、後になってみたら、なるほどと思わせることをやらかしてくれるんだから、見てて飽きんですよ。まあ、薬草を間違えて腹を下していたりするのはご愛嬌ですがね」

「ついでに、なかなか面白い軍師であることも否定は出来んですな。無茶苦茶な戦い方を考える上、それをやり遂げてしまう仲間がいるときたもんだ」


 実戦経験がなかったエルセットだが、それゆえに思考が柔軟なのか、今までになかった戦い方を言い出してきたのだ。本人に言わせると、過去にもそういう戦い方があって書物にも書かれているというのだが、囮は使う上、騙すわ、裏工作するわ、詐欺に近い戦い方を出してくる。しかし本人は、

「うちの戦力を失わずに済むならそれに越したことはないじゃないですか」

と、けろりとしたものである。

 それだけなら、「机上の空論は黙っとけ」なのだが、エルセットとペアなトレストがいる。しかも、ローランゲルドまで協力するのだからやってられない。

争っている筈のジルベスタ国の兵士に化けて嘘の伝令兵士を演じたり、村人を騙して他の地域に移動させた後で、その村にまるで焼き討ちがあったかのように煙を幾つもたなびかせて相手方を混乱させたりと、やることなすことが規格外なのだ。

しかも、ファスナー隊長の許可が下りないと悟った途端、事後報告でさっさと行動に移して済ませてくるものだから、本来は懲罰牢行きなのだ、本来は。

だが、懲罰牢に放り込む前に状況的に動かねばならず、そうなると戦える人間を削るわけにはいかない。罰は後にしようと思いきや、彼らのその工作のおかげで楽に勝ててしまったりしたら、罰を与えたくても与えられない。


そもそも、懲罰牢に放り込んでも、本人達は気にしないのだ。一度、命令違反ということで、トレスト、エルセット、ローランゲルドの三人を懲罰牢送りにしたが、夜中、反省しているようなら出してやろうと思ってこっそり様子を見に行ったら、

「ほら、見ろ。だから言ったろ? 黙ってりゃ分からなかったのに、馬鹿正直にエルセットが報告しやがるから、こうなったんだぜ」

「えー。そりゃないよ、トレスト兄。大体、黙っててもバレるって。それぐらいなら先に自己申告した方がマシだよ。懲罰牢ですむんなら。ねー、ローラン?」

「懲罰牢ですまない何かがあるんですかね、エルセット? 別にあなたが望むなら、俺達だって証拠も残さずに誤魔化してみせましたけど?」

と、三人とも全く反省していなかった。しかも、それに対するエルセットの答えは、

「生きて懲罰牢に入る方がマシでしょ? 負けて殺されてしまうより。僕はそう思うなあ。それにファスナー隊長も、本気で止める気もなかったんじゃない? 僕が隊長さんで、トレスト兄とローランを止めようと思ったら、ちゃんと最低でも騎士三十人を使って包囲網を作り上げるよ」

なのだから、もう、どこまでも虚仮(こけ)にされているとしか言いようがない。

反省? ないだろう、奴らに。その思考回路そのものが欠如しているのだ、きっと。

しかも、

「しっかし腹減ったな。飯抜きってひどくねえ? エルセット、俺とローランを巻き込んだのはお前なんだからな。責任持ってどうにかしろよ」

「えー。僕? まあ、いいけど。じゃあ、ご飯作ってくる。・・・だけど、もう夜だし、簡単なやつだからね」

と、そんな会話が聞こえると、何やらガチャガチャと牢の鍵が開けられた音がし、物陰から見ていたファスナー隊長の前を通ってエルセットはどこぞへ出て行った。そう、牢の意味は全くなかったのだ。しかも、しばらくして戻ってきたエルセットの手には、椀に入った汁物が四つ載っているのだから、どこで何を作って来たのかとしか言いようがない。

「はい、どうぞ。結構、自信作です」

と、物陰にいたファスナー隊長の所までやって来て、にっこりと笑って渡された日には、

「こんの、ばっかもん共がっ!」

と、怒鳴りつけてしまったファスナー隊長は悪くないだろう。まあ、食べ物に罪はないので、そのまま牢に行って四人で食べたが。エルセットも大人しく牢に入って自分で鍵を掛け直していた。そう、彼らに鍵などあっても無くても同じことだったのだ。尚、汁物の味は悪くなかった。


 そして、牢は無駄だと悟ったファスナー隊長は、その後彼らを懲罰牢送りにすることを諦めた。大体、あの三人の為だけに鍵を新しくする予算など割きたくもない。


(本来、上官の命令に従えない時点で懲罰や降格は当然だ。だが、・・・あいつらには違うものがある。だから、いけないと思いつつ、好きにさせてしまったんだよな)


だが、ここまでくると慣れたとしか言いようがない。実際、この周辺には新しい村が出来始め、様々な交易も始まっている。今までのさびれた土地ではなくなりつつあるのだ。

 ファスナー隊長以下、主だった騎士達は、「もう、好きにしてくれ」と、放置を決めてしまった。失敗も多いが、それでも諦めずにトライする彼らは、様々な実績を作り上げている。ただし、騎士としてではなく、村人を守り治める立場としての実績だが。

 ファスナー隊長は、しみじみと呟いた。


「規格外ってのはどうしようもない。出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は誰も打たないと言うしな」


 周囲にいた騎士達も、「違いありませんな」「ありゃもう、遠くから見て笑いを提供してもらうに限りますよ」「あそこまで突っ走られちゃあ、さすがの隊長もお手上げですか」と、苦笑するしかなかった。




 人が住まなくなった廃墟には、物悲しさがつきまとう。だが、残された神殿跡を見れば、分かるものがあるのだ。


(どんな神を(まつ)っていたか。どんな神事を行っていたか。それを壁に絵として彫られていることがある。そして祭壇の形式を見れば、どういった傾向のある信仰だったのかも分かる時がある)


 エルセットは、信仰こそ人の営みの中心だと捉えている。その地に生きる人心を治めるのに、宗教はとても大切な役割を果たすからだ。だから描かれた壁画に、その地ならではの特色が描かれていることもある。その地に生きる人がいなくなっても、時を超えて語りかけてくるものがあるなんて、人とは何と不思議な営みを持った存在なのか。

 壁に描かれた人や動物の絵をせっせと描き写しながら、エルセットはその地の生活様式に思いを馳せていた。


「なかなか熱心だな」


 背後から、そんな声が掛けられる。驚いてエルセットは振り返った。

 トレストでもローランでもない、そこには見知らぬ白髪の老人がいた。


「・・・ここに、住んでいる人、ですか?」

「いいや。通りすがりの年寄りだ」

「通りすがり・・・?」


 こんな街道すらなくなった廃墟に? と、エルセットは胡乱げな瞳を向けた。だが、その老人の瞳は穏やかで、エルセットに向けられた眼差しには慈愛がある。


「そうだ。我らはずっと探し続けているのだよ。自分達が暮らす場所を」


 それならば、ジプシーとかイェニシェとか呼ばれる流浪の民なのだろうか。そう、エルセットは首を傾げた。何となく、違うような気がしたからだ。


「旅をしてきた割には、汚れていませんね、その服装も何もかも。おじいさん、僕がそんな嘘で騙されるとでも?」

「おやおや。手厳しいことだな。・・・だが、嘘はついておらんよ。ちょうど、先程着替えたばかりなのだ。やはり、初めて会う人がいる場合、身なりは整えるものであろう?」

「そりゃそうですが・・・」


 だが、この辺りに人が住んでいるような場所はない。この老人はどこへ誰に会いに行くつもりなのか。それとも、呆けているのだろうか。高齢だし、それはあり得る・・・。

 そんなエルセットの思考に気づいたか、老人は顔をしかめた。


「やれやれ。若い者から知恵を訊かれることはあっても、まさかボケ老人と思われるとはな。まあ、仕方あるまいが」

「ごめんなさい」


 潔くエルセットは謝った。どうやら顔に出ていたらしい。


「いや、構わぬ。では、邪魔したな。青年」


 身を翻し、老人は立ち去ろうとした。すかさず、エルセットはその袖を掴んだ。何も言わずに服を掴むだなんて、普段のエルセットならしない不作法さだ。だけど、行かせてはならない。何故か、そう思ったのだ。

老人がゆっくりと振り返る。


「あのっ、暮らす場所を探してるならっ、僕達が作ってる村に住みませんかっ?」


 どうして自分がそんなことを言ってしまったのか、分からなかった。

 だけどエルセットは強く感じたのだ。行かせては駄目だ、と。


「ナリファ砦の近くに、人が暮らせる村を作ってるんです。今、色々な人が住み始めて、少しずつ大きな村にしていってるんですけど、良かったら・・・っ」


 老人は微笑んだ。


「私にそれをお前が言うのか。・・・だが、それも運命やもしれぬ。ならば、それに乗ってみよう。・・・では、その村に我らも世話になろうか」

「え?」


 運命とは、何なのか。怪しい宗教集団だったらどうしよう。もしかして、やばい人間に自分は声をかけてしまったのではないだろうか。

 そんな戸惑いを浮かべるエルセットに近寄り、その老人はそっと皺が波打つ手を差し伸べてきた。その手は、屋内に長く暮らしていた者特有の白さがある。日に焼けていない、労働者ではない手だ。

 老人の素性を、エルセットは考え込んだ。

 そんなエルセットの顎に、その手が掛けられる。


「よく顔を見せておくれ。・・・ああ、やはりよく似ている、我らが愛し子に。サーライナの息子よ」

「・・・・・・・・・」


 エルセットは、もしかしてと思った。まさかこんな所で、その名前を聞くとは。


「サーラお母さんの関係者ですかぁーっ」


 最初からエルセットのことを相手は知っていたのだ。きっと、自分がどんな反応をするのかも、楽しんで見ていたに違いない。

 がっくりと地面に両手と両膝をついて、エルセットは項垂れた。自分が相手を知らないのに、相手は自分を知っていて会話していたなんて、あまりにも恥ずかしすぎる。きっと自分の警戒するような表情も何もかも、面白く思われていたに違いない。

そんなエルセットに、老人は、「おやおや。可愛らしいことよの」と、カラカラと笑ってみせた。




 その頃。エルセットに付き合いながらも、特に遺跡や廃墟に興味のないトレストとローランゲルドは、狩りに出掛けていた。

しかし、トレストが手に持っている獲物を見て、ローランゲルドが不思議そうに尋ねる。


「それ、多くないですか、トレスト? そんなに食べないでしょう」

「ああ。ミリアの分。・・・一緒に来ればいいのに、わざわざ離れてこっちを見てるだろ。あれじゃ狩りに行く暇なさそうだしな」


 おやと、ローランゲルドがトレストを見返した。


「バレてたんですか。どこでミリアもドジ踏んだのかな」

「別にドジなんて踏んでねえよ。エルセットが、調べもんに夢中になって足を踏み外しそうになった時、ミリアが助けようとして出てきたんだ。まあ、エルセットは自力で着陸してたが。・・・来てたんなら、一緒に来いよっつったら、ミリアの奴、エルセットの護衛だから遠くから見てるのが当然だって逃げちまった」


 肩を竦めてトレストは語りながら、ローランゲルドに尋ねた。


「てか、護衛なんていらねえだろうが。エルセットだって弱かねえし、俺もお前もついてる。それを一番弱いミリアに一人で頑張らせるこたねえだろ。お前も知ってたんなら、妹を止めろよ」

「そういうわけにいかないんですよ。ミリアを僕達と一緒に行動させたら、他の人間をエルセットの護衛として見守る立場でつけさせなくちゃならなくなります。・・・護衛っていうのは、何かあったらエルセットを優先して助けるってことなんです。正直、俺達だって、うちの父やジールおじさんについてきてもらいたくないじゃないですか。ここは諦めてください」

「・・・・・・お前ら、本当にどれだけエルセットを特別扱いしてんだよ」


 トレストは呆れ返った。ジールフェイル夫妻といい、グリスファンド一家といい、エルセットをどこの貴公子と勘違いしているのだろう。

 だが、ローランゲルドは寂しそうに微笑んだ。


「俺達にとってエルセットは特別なんです。決して死なせてはならない存在ですから」

「いいのかよ、俺にそんなこと話して。本当は内緒なんじゃないのか?」

「まあ、そうなんですけど、バレバレですから。・・・それに、トレストもエルセットを大事にしている。だから俺達のことを裏切れないでしょう?」

「・・・分からねえぜ? 人なんて、自分の事情が変わったらすぐに変節するもんさ」

「そうなんですがね。こっちもあなたのことはずっと見てたんですよ。あなたと自己紹介し合う前からね」


 だから悪ぶってみせても無駄ですよと、ローランゲルドはトレストに笑って言う。そういう信頼というのは面映ゆいものだ。

 トレストは、ぼりぼりと頭を掻いた。ローランゲルドは、しなくていいと言っても敬語を崩さない。どこか冷めた感じの漂う彼は、真面目な自分を演じているかのようなところがあった。

だが、悪い奴じゃない。自分で決めた自分で居続けること、それを己に課す誇り高いタイプだ。

 そこへ、がささっと草を掻き分ける音がして、ミリアレーナが現れる。


「ローラン兄さん」

「何かあったのか、ミリア?」

『神官長様がいらしたの。エルセットとお話ししていらっしゃるわ。どうしよう』

『まさか。神官長様が村を出てくる筈が・・・。いや、エルセットに会いにいらしたのか。すぐ戻る。お前は、出来るようならば神官長様にご挨拶しておけ』

『分かったわ』


 目の前で兄妹が、知らぬ言語で会話するのをトレストは黙って見ていた。すぐにミリアレーナが木々の奥に消えていく。


「エルセットに何かあったのか?」

「・・・そうですね。まあ、エルセットの所に戻りましょう」

「しかし、ミリアも俺のこと無視ってひどくねえ?」

「ミリアも年頃なので、ツンケンしちゃうんですよ。・・・正直、兄としてはミリアがそこまで反応するあなたに対して、かなり思うものがあるんですけど」


 他の人には普通に接しているのに、トレストにだけ突っ張る妹の恋心を思うと、ローランゲルドもデリケートなことだけに何も言えない。トレストは明るく優しい気持ちのいい男だ。誰だって惚れるだろうが、自分の妹もと思うと、少しげんなりしてしまう。どちらも近しい存在だからだ。


(ましてや彼のカンロ領における従妹姫は美しいと有名だ。父親譲りの美形とあって、トレストは王都の貴族令嬢の間でも人気だという。・・・ロームではどこの馬の骨ともしれないとされるミリアでは勝ち目もないな)


 だが、今はそんなことを考えている場合ではなかった。さすがのローランゲルドも、神官長が来ているとなると、どうしたものかと悩まずにはいられない。

 それこそ、その神官長に指示を仰いだ方が良かろうと思い、エルセットの所へ戻ることを提案する。

 そして・・・。

 そこで見たのは、廃墟にそぐわない落ち着いた貫禄ある老人と共に、神殿跡の壁画を指さしながら仲良く語らっているエルセットだった。その老人は遺跡に詳しいのか、エルセットが質問すると、かなり細かい内容まで説明している。

 その老人を見て、ローランゲルドが、静かにその背中に頭を下げた。

 そんな自分達にも気づかず、エルセットは熱心に老人へ意味を尋ねては、説明に耳を傾けている。そのマイペースさこそ、エルセットがエルセットである所以(ゆえん)だ。


(この人も、エルセットというか、・・・ケリスエ将軍の関係者なんだろうなぁ。一体、あの将軍って何者だったんだろう)


 トレストは、少し遠い目になった。自分もロイスナー城で育った人間である。知るべきでないことは踏み込まない方がいいと思っているが、何だかここまで来たらもう教えてもらってもいいんじゃないかと、そう思えてならない。

 やがて、ひと段落して後ろを振り返ったエルセットが、トレスト達の存在に気づく。


「あ、トレスト兄、ローラン。・・・あのね、このおじいさんにね、僕達の村で暮らさないかって誘ってたんだけど・・・」

「うん、やっと気づいてもらえて嬉しいよ、エルセット。俺達、後ろでずっと、獲物を捌いて調理してたんだけどな」

「無駄ですよ、トレスト。エルセットは何かし始めたら、他のことは目に入りません」


 そう言いながら、ローランゲルドは改めてその老人に深々と頭を下げる。それを見て、エルセットは首を傾げた。


「やっぱり・・・。おじいさんって偉い人なの?」

「いやいや。そんなことはないよ。ただの耄碌(もうろく)した年寄りだ。ローランゲルドもそこまで堅苦しくすることはない。普通にしていなさい」

「はい、分かりました」


 そのまま老人とミリアレーナも一緒に、獲物を捌いて煮込んだ鍋を囲むことになってしまった一行だった。

トレストに対しては、「護衛は遠くから見守るものですから」と頑なだったミリアレーナだが、何故かその老人が、「一緒に頂こうか、ミリアレーナ」と、誘っただけで、「はい」と、従順に頷いたのだ。

その態度の違いは何なのかと、トレストは思わずにいられない。


(以前は、誘ったら笑顔でついてきたのに、最近じゃ近づくだけで逃げるんだもんな。本当に女の子ってのは分からん。・・・ま、嫌われてるわけじゃなさそうだけど)


トレストが誘えば逃げるくせに、それでも後からそっと自分の様子をミリアレーナは窺っているのだ。それでトレストが気を悪くしたのではないかと、恐れるように。

そんな怯えきった小鹿のような顔に気づいたら、怒る気にもならないというものだろう。


「ローランゲルドもミリアレーナも、このおじいさんと知り合いなんだよね? おじいさん、サーラお母さんとどういう関係だったの?」

「そうさな。お前の母親が子供の頃から見ていたと、言っておこうか」


遺跡よりもそっちが気になるらしく、エルセットは老人を質問責めにした。


「えっ、そうなの? じゃあっ、じゃあさっ、・・・お母さんってどんな子供だった?」


父カロンの話は聞いていたけれど、やはり違う人の話も聞きたくなるエルセットだ。ましてや、母サーライナを子供の頃から知っているとなれば、尚のこと。


「そうだな。とても質問の多い子供だったよ。不思議に思うことは、何でも訊いて知りたがったものだ」

「エルセットそっくりじゃないか」


 呆れた声で、トレストが呟く。エルセットも気になることがあると、そっちに一直線で突き進むからだ。

だが、ローランゲルドとミリアレーナは何も言わなかった。どちらかというと、彼らの会話などどうでもいい。それこそ、神官長が神殿を出てくることがあるなんて、ある意味、非常事態だ。

 ナリファ砦にいる両親に即座に連絡をしたいものの、まさか神官長の前で勝手に席を外すわけにはいかない。


(どうしよう、兄さん。村に行かれるなら、失礼にならないよう、用意を整えなくちゃ)

(そうなんだが・・・。まさかお一人ということはないだろう。見えない所に護衛もいる筈だ。そっちが先に村へ連絡を入れてくれてると、・・・信じたいな)


そんな二人に、神官長はそっと唇に指を当てて、小さく手を下に振ってみせた。どうやら何も言わず、何もするなということなのだろう。このまま沈黙を守るようにと。

そうなると、二人も何も出来ない。

そんな従弟妹(いとこ)の状況も知らぬげに、エルセットは質問を繰り返している。


「お母さんの家族ってどんな人だったの?」

「む。サーライナの家族か? サーライナが産まれた時の家族と、育つ過程での家族は違うからな。しかもサーライナは物心ついた時からは、我らと共に暮らしておったし、その後は、ルースレイルとも暮らしていた。さて、どれから話すべきかな」


 いささか理解できず、トレストとエルセットが眉間に皺を寄せる。どうやら、彼女は変わった子供時代を送っていたらしいと、そんなことを思った。


「お母さんってば、おじいさんと暮らしてたんだ?」

「そうだな。私は何人かの人々と大きな家で集団生活をしていたのだが、そこにお前のお母さんもやってきて一緒に暮らしていたのだよ。・・・サーライナは、優しい子だった。何かあると心を痛めては涙を零している、泣き虫な子だったよ。そして、とても筋の良い子だった。歌と舞も、見事なものだったとも。だが、こうと決めたら譲らない強さがあった」


エルセットは、父が母に贈られたという歌を、自分が旅立つ時に歌ってくれていたことを思い出した。

不敗の将軍だったと、死体の山を作り上げる剣士だったと、人は言う。

けれど、夫だったカロンにしても、妹だというルースレイルにしても、そしてこの老人にしても、彼らが話すサーライナという人物像は、そういった完全無欠な強い剣士ではなく、まるで情にもろく、優しく、それでいて意地っ張りな女性を語っているかのようだ。

やがて、最後にエルセットは尋ねた。それは、リスエルードにも返答を拒否された質問だった。


「お母さんって、どうしてロームにやってきたの? というか、お母さんの部族って滅んだんじゃなかったの?」

「そうだな。・・・いつか、それを話してあげよう、エルセット。だが、それは今ではない。どんなことも、話せる時というものがあるのだよ」


 神官長はそう言ってエルセットの頭を撫でた。


「心のままに生きなさい、エルセット。そなたを縛りつけるものなど何もない。我らが愛し子の息子よ」


その本当の意味をエルセットは知らない。エルセットだけは知らなくていい。

ローランゲルドとミリアレーナは顔を伏せた。

我らの神がどんな運命を用意しているにせよ、全ては自分達の努力が先になくてはならないのだ。エルセットの向かう先に、自分達の部族の未来がある。

 それがナリファ砦周辺の地なのか、それとも王都ロームなのか、はたまた違う場所なのかはまだ分からないけれども。だが、エルセットが産まれて十数年。既に自分達もエルセットの為に、ロームへ根づき始めていた。王都にも、どれだけの部族の人々が入り込んでいることか。

 それでも今になって神官長が出てきた、その事実に意味がない筈がないと思いながら。


なし崩しのまま、その老人を連れて一行はナリファ砦近くにある村へと戻ることになる。

 やがてその村に、その老人を追いかけてきた人達がやってきて、かなりまとまった村となっていくのはすぐのことだった。




 王都で行われる、第二王女アディーネの誕生を祝う舞踏会。

 それに出席する為、トレストとエルセットがナリファ砦を離れた。

二人の王都行きは、目立たぬように部族の者が追跡して護衛している。そして王都に着いた時点で、王都にいる部族の者がエルセットの護衛にまわる筈だ。部族の人間は、様々な場所に入り込んでいる。そう、王宮の中にすら。

だが、あの二人ならば問題ないだろう。

 エルセットは、三年前とは比べ物にならないぐらいに強くなった。

 そしてトレストもまた、三年前以上に強くなっている。

 ミリアレーナは、そこにあった花を摘んで、花びらを一つずつむしった。

 他愛ない花占いだ。何の意味もない。・・・分かっていても、案じずにはいられなかった。


(戻ってくる予定の日から三週間過ぎた。なのに、二人はまだ戻ってこない・・・)


 こんなことなら自分もついていくのだった。今回、ローランゲルドとミリアレーナは、年が近い分、舞踏会に出席できないのをエルセット達が気にするかもしれないと、わざとこちらに残ったのだ。

 だけど、何があったのか分からないまま、帰りが遅れているのを待つのは辛い。

 もしかしたら、二度と戻ってこないのだろうか。それはあり得る。二人とも、王都でも有名な将軍の息子達なのだから・・・・・・。


「帰ってくる、帰ってこない、帰ってくる、・・・」


 そう呟きながら、ミリアレーナが多弁の花を、願いをこめてむしっていると、背後から声が掛けられる。


「ふーん。それ、誰のこと? ミリアが帰ってきてほしい人って」


 驚いてミリアレーナは振り向いた。

自分がここまで接近されてても気づかなかったなんて。

 逆光だったが、黒い髪の青年が悪戯っ気のある顔で微笑んでいるのが分かった。知り合った時にはほとんど互角だったのに、今となっては自分よりもはるかに強くなった青年だ。

 

「本当にミリアはエルセットが大好きだよな。()けちゃうよ」

「何それ。ばっかじゃないの・・・」


 何が「エルセットが大好きだよな」だ。そりゃ、嫌いじゃないし、好きだけど、それはそういうのとは違うものだ。大体、自分が待っていたのは・・・・・・。

 ぷいっとそっぽを向くミリアレーナだったが、近寄ってきたトレストが、「はい、お土産」と、何かを手渡してくる。


「蛇の抜け殻ならいらないわよっ」

「あ。まだ、根に持ってんだ? あれ、凄い大きかっただろうが。感動的な大物だったってのに、ミリアは分かってないよな」

「分かってないのはトレストッ」


 蛇の抜け殻をもらって喜ぶ女がいるのならお目にかかりたいものだと思う。いつまで自分を子供扱いするのだろう、この三人は。三人の中で一番年長のトレストにとっては、まだ自分は子供なのだとしても、それはかなり不本意だ。

 だが。

 自分の手に押しつけられた物を、ミリアレーナはそうっと見遣る。それは、ピンク色の花が咲いた形をしたブローチだった。


「うわぁ、綺麗ね」

「ああ。兄上が手配してくれてたのが、王都に届いてたんだ。だからミリアに」

「・・・ちょっと。これ、なんか、高そうなんだけど」


 お土産と、ぽんともらえる物ではないだろう。もしかして、これは宝石を使っているのではないのか。


「そうなのか? 俺にはよく分からんが、気にせずもらっとけ。兄上がミリアの為にって贈ってきたんだからさ」

「・・・・・・トレストのお兄さんに、私、何かもらう覚えなんてないけど? 会ったこともないもの」

「は?」


 そこでトレストは、紺色の瞳を瞬かせた。


「えーっと、ミリア。俺、こないだ、君に、『ずっと一緒にいたいね』って言ったよな?」

「ええ、言ったわね」

「で、君、『うん』って言ったよね?」

「ええ、言ったわ」


 ミリアレーナはその日のことを思い出す。忘れる筈がない。出来ればずっと皆で、四人でいられたらいいと、本気で思った。

 あの時、トレストはミリアレーナを、綺麗な星が見えるからと連れ出してくれたのだ。二人きりで。


「・・・・・・普通、それって結婚の申し込みだと思うんだけど」


 しばらく沈黙が訪れた。


「えええええっ!? ・・・結婚っ!? 結婚って、あのっ、結婚っ!?」

「いや、他にどういう結婚があるのさ。未来の義妹に義兄が贈り物をしてきても当たり前だろ。・・・あ、俺からの贈り物はまた今度な。今、ロイスナーで作ってもらってるから」


 そう言ってトレストは、ぽんぽんとミリアレーナの頭に手を置いた。


(やっぱり、もっとストレートに言わなきゃいけなかったのか? だけどなぁ・・・、十分それで伝わると思ったんだよな)


 カンロ領にいる兄リルドレッドは、トレストが結婚を考えている娘がいると知って、ちょうど王都に持って行かせる荷物の中に、それを入れてきたのだ。

 あの父ロメスのからかうような視線と、母カレンが嬉しそうに質問責めしてきた時間は忘れられない苦行だった。あまりの恥ずかしさに憤死できると思ったぐらいだ。


「だって、だって、結婚って、トレスト達の結婚って、ずっと同じ相手と一緒に過ごすってアレでしょっ!?」

「普通、どこだってそうだろうが。・・・それとも、何さ。ミリアは俺と一生、一緒じゃ嫌なわけ?」

「ううん、そんなことないけど・・・」


 ミリアレーナは真っ赤になった。


「だけどトレスト。あなた、ちゃんと考えた方がいいわよ。大体、私達は、失敗したなって思ったら、伴侶を解消して次の人と伴侶になれるけど、あなた達って、そういうの、軽蔑されちゃうんでしょ。そんなの、ちゃんと考えなくちゃ駄目よ」

「何言ってるんだか。・・・大体、お前の母親のルースにしても、お前の伯母のケリスエ将軍にしても、どちらもずっと伴侶は一人じゃないか。お前だって、別に伴侶を次々に変える気ないだろう?」

「そりゃそうなんだけど・・・」


 だって、自分はいい。ずっとトレストを見てきたから。

 トレストと一度でも伴侶になれるなら、それだけで夢のようだと思う。けれど、トレストはどうなのだろう。

自分達の部族のやり方である伴侶のシステムなら解消できるけど、トレスト達の場合は、婚姻関係を破綻させたりしたら、「乱れてる」とか、「はしたない」とか、そう言われてしまう筈なのだ。

 ミリアレーナは、赤くなりつつもトレストを見上げた。あまりに赤くなりすぎて、目尻には涙が滲んでいる。


「ずっとミリアはエルセットのこと、好きなのかなぁって思ってたんだけど・・・」

「エルセットは好きだけど・・・」


 どうして、ここでエルセットの名前が出るのだろう。関係ないのに。

 ミリアレーナは、きょとんとしてしまった。面白そうに、トレストが自分を見ている。


「うん、そうだね」


 トレストの青い瞳が、ミリアレーナの薄茶色の瞳を覗き込む。かなり機嫌が良さそうだ。


「だけど、ミリア。君が伴侶になりたいぐらいに好きなのは、俺だけだろう?」

「そっ、それはっ・・・」


 そんな恥ずかしいこと、訊かないでほしい。

耳どころか首まで赤くなってミリアレーナは俯いた。それこそが答えのようなものだけれど。

 そんなミリアレーナを嬉しそうにトレストは見下ろした。

いつも護衛と称してエルセットを見ていたミリアレーナだ。最初はてっきりエルセットのことが好きなのだろうと思っていたが、その視線が自分にも向けられていることに気づいたのはいつだっただろう。

意地っ張りで、こっちが何か言えばツンケンしてみせる癖に、それでいて離れた所からいつもそっと見ている瞳だけはとても正直だ。彼女の瞳はいつだって、物陰から自分を見ていた。

カンロ領にいる従妹達と全く違う頑なさと、そこに隠された傷つきやすい心に、・・・いつしか惹かれていた。


「だからミリア。今すぐにとは言わないが、俺の所にお嫁においで。・・・大事にする。約束するよ」


 耳元で囁かれる言葉も恥ずかしくて、ミリアレーナは目の前にいたトレストに抱きついた。ちょうど上着の前を開いていたトレストだ。

そのトレストの上着で顔を隠すようにして、ミリアレーナは表情を死守する。今は絶対にこんな真っ赤になった顔なんて見られたくない。

だが、顔を隠す為とはいえ、抱きつかれた方にしてみれば、飛んで火にいる夏の虫、だろうか。そんな苦し紛れの愚かさすら、可愛く思えてならなかった。


「ミリア、返事は?」


 面白そうな声で尋ねてくるなんて、トレストは意地悪だ。

 ミリアレーナはぎゅっと目を瞑って、トレストを更に強く抱きしめた。もう何も見たくない。心臓がバクバクして破裂しそうだ。

 それでも、自分の髪や腕、そして背中を撫でてくるトレストの手はとても優しくて、誰よりも好きだと思える。

 ああ、一気に空が夜になってくれればいいのにと、ミリアレーナは思った。こんなにも明るくては、何も隠せない。


「ねえ。返事は、ミリア?」


 促され、ようやく小さな声でミリアレーナは呟いた。「アレーナって呼んで」と。

 一気にトレストが破顔したのが分かる。


「きゃあっ」


 全力でしがみついていたつもりなのに、トレストは人の隙を突くのが上手い。

 ミリアレーナはトレストに抱き上げられて、見下ろす形になった。

 自分の斜め下で、その紺色の瞳が輝いている。


「今度は一緒に王都に行こう? 父上と母上にも君を紹介したい。・・・愛してるよ、アレーナ」

「・・・っ!!」


 その言葉に、ミリアレーナは心臓が止まるかと思った。自分が好きな人に、愛していると言われるのは、こんなにも心臓を鷲掴みにされるものなのだろうか。

 エルセットとよく一緒にいる彼を、子供の頃よりずっと、遠くから見ていた。部族にとって特別なエルセットと共にいる彼を、こっそりと遠くから見るだけで胸がドキドキするようになったのはいつからだったか。


―――私はローランの妹のミリアレーナです。ミリアって呼んでください。


 あの時、大人びた自分を演じようと虚勢を張っていたことを、トレストは知らないだろう。

 このナリファ砦に向かう際、挨拶した自分に向けられた彼の顔を、どんな思いで見上げていたか、なんて。


(あれだけで十分だって思ったの。だって、あなたは私を知らなかったんだから)


 自分だけがずっとエルセットだけじゃなく彼のことも見ていたなんて、そんなことは知られたくなかった。そして自分の想いも。

そんな自分の異常を知られたくなくて、なるべく悟られないように、言葉少なに対応してきた。

 けれども自分の心の中で羽をばたつかせる想いは止まらなくて、いつだって胸から飛び出しそうになっては、想いを抑え込もうとする自分を苦しめた。


(ずっと、ずっと呼んでもらいたかったの。あなたに、あなただけに、その名前を・・・)


 今、彼の笑顔はエルセットではなく、自分だけに向けられている。それも特別な意味で。


「好き・・・」


 そう言って、ミリアレーナはそっとその唇に自分のそれを重ねた。

 どんなに強気に見せていようと、実は引っ込み思案な彼女のことを理解していたからか、トレストはそれを優しく受け止めるだけに留めた。


「カンロ領は寒いけど、一緒にそっちにも行こう。兄と弟にも君を紹介したいんだ。・・・あ、俺よりいい男だからって、兄上に(なび)かないでくれよ?」

「・・・あり得ないわよ。私達に浮気はないの。一番好きな人しか伴侶にしないんだから」


 言った後で、自分から凄いことを告白してしまったことに気づき、ミリアレーナは逃げ出そうとした。慌ててトレストから降りて、駆け出そうとする。だが、そこで逃がすトレストではない。その腕を掴んで、今度は自分からミリアレーナの唇を奪った。

やがて、ミリアレーナの力が抜けていくと、その体をそっとトレストは抱きしめる。


「愛してる。君の全ては俺のものだよ、アレーナ。・・・その代わり、俺の全てを君にあげる」

「・・・ほんと、に?」

「ああ、本当に」


 ミリアレーナの頬に涙が零れる。ずっと、その翼を広げて飛んで行きたい場所があったから。その紺の瞳が自分を見下ろしていた。


「ふぇっ、・・・えっ」

「・・・泣くなよ、ミリア。どんなにカッコつけても、まだまだ子供だな」

「子っ・・・供じゃ、ないっ、もんっ」

「あー、はいはい」




 長い間、ミリアレーナが胸の中で温め続けていた想いの卵は、やっと孵化して彼の元へと放たれ、大きくその翼を広げて紺色の空に羽ばたいた。

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