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29 別れと旅立ち(家族計画は突然に)

 二人よりも年上なのに妖艶な雰囲気を持つ女は、爪の手入れをしながら、ふぅっと溜め息をついてみせた。それすら、わざと男の目を意識したものだ。

 エルセットも少し胸をドキドキさせる。

 女性が爪を赤く染めていく姿は、どうしてこんなにもセクシーなのだろう。


「駄目ね。本当に駄目なこと。・・・どうして私の孫弟子も、新しい弟子も、どちらも女心を分からない駄目な親子なのかしら」

「生憎、俺の基準はライナだ。そんなことを言われても困る。それともライナに一般的な女の感性があったとでも? ・・・それこそ、ライナを仕込んだのはリスエルだろうが」


 年の功か、すかさずカロンはリスエルードに反論した。さすがにリスエルードも、それにはぐうの音も出ない。しかも、いささか恨みのこもった視線すら感じられるのは、気のせいではないだろう。

 一拍置いて、リスエルードはその話を終えることにした。負け戦はしない主義だ。ちょっと明るく話を変えてみる。


「ま、それはともかく。・・・だけど、エルセットったら凄いじゃないの。王女様を誘惑したなんて」

「うん、してないから」


 エルセットはばっさりと否定した。父の様子を見て、ここは強気にいった方がいいと判断したのだ。とはいえ、虚勢など長くは続かない。


「単に、自分に興味を持たない安全な男と見做されただけなんだよ。・・・だけど、周囲はそう思ってくれないから困ってるんだって」


 ふんふんと、リスエルードは頷いた。


「ああ、いるわよね。いい人止まりの男っていうか、恋愛対象としての男として価値がないっていうか、まさに体は男だから頼れるけど恋愛対象外ってオ・ト・コ」

「・・・・・・」「・・・・・・」


 どうして、サーライナとは違った意味で、リスエルードの言葉もまた凶器なんだろうと、カロンは遠い目になった。

 体重を感じさせぬ動きでひらりと立ち上がると、リスエルードはふわりとエルセットの傍へと寄ってきて、艶めかしい動きでその顎から頬にかけて、触れるか触れないか程度に手を滑らせる。


「いーい? 男も女もね、逃げられたら追いかけたくなるものなのよ、エルセット。勿論、逃げられたらプライドが傷つけられたって怒る人もいるの。また逃げられたことに傷ついて悲しむ人もいるの。そしてあなたは、そういう時に悲しんでしまうような、そういう控え目な人が好きなのよね、エルセット。・・・だけど世の中には、逃げられたからこそ反対に闘志を燃やす人間もいるのよ。・・・そこは見極めなくっちゃね」


 エルセットが言いたいことを、そこでカロンが代弁する。


御託(ごたく)は不要だ。で、いい考えがあるのか、無いのか。問題はそこだろう」

「やーね。何でも早く終わらせちゃう男って。それ、女に嫌がられるのよ」

「知ったことか」


 カロンは気にしない。カロンにしてみれば、最愛の妻が自分を愛していたことは十分に自覚している。ならば、何の問題もない。千人の女に嫌われようと、自分が欲しい女一人に好かれたら、それでいいではないか。

 リスエルードはつんと唇を尖らせて、「んまぁ。・・・一途も、度が過ぎると気持ち悪いだけよ」と、しっかり反撃しつつ、カロンに流し目をくれた。

だが、その瞳の奥に真剣な光が宿るのを、カロンは見逃さなかった。


「そんなの、簡単よ。ローム国騎士団のケイス将軍サマ? あなたが王女様のお父様に言えばいいの。『うちの息子が王女のお気に入りなどと噂が立っては、王女の縁談に差し支えましょう。王都騎士団より、我が騎士団に息子を引き取らせてください。私は責任を持って、息子を王都から離れた地方に赴任させますから』ってね」


 リスエルードは、「さすがに王都を離れた人間を追いかけてはいけないわよ」と、ほほほと笑う。

 しかし、カロンにしてみれば、それは到底受け入れられる提案ではなかった。


「何をっ。エルセットは・・・!」

「別に一生、とは言わないわよ。王女様が落ち着くまでの間じゃないの。・・・ローム王国内に赴任させる場所なんて沢山あるでしょ。そりゃあ、誰よりも可愛い息子を手放したくないのは分かるけど、ちゃんとあなたに約束ぐらいはあげてよ、カロン」


 リスエルードは、カロンに微笑みかけた。


「将軍サマの権限ぐらいあるんでしょ? それこそ、いきなり入団させて騎士にする程度の権限ぐらい。エルセットには私達の誰かが同行してあげる。たとえどんなに近くで守ってあげたいと思っていても、その肩書きじゃ無理なことは分かってるわよね? ・・・あなたはね、息子を僻地にとばしてまでも王の機嫌をとったと、周囲に言われていればいいの。その代わり、エルセットは私達がついててあ・げ・る」


 師匠と父との会話に、エルセットはついていけなかった。

 それこそ、「お散歩にでも行きましょうか」のノリで、地方への赴任を持ち出されてはたまらない。ローム王国において、全ての栄達は王都ロームにいればこそなのだから。

 そんな彼のことを無視し、リスエルードはカロンに負ける筈のない勝負を仕掛ける。


「エルセットが可愛いんでしょ。それこそ自分の地位も屋敷も財産も、本当は全てエルセットに渡したいんでしょ、カロン? ・・・なら、受け入れなさい。今、王都にいたら面倒なことに巻き込まれるだけじゃない。言っておくけど、私達だってエルセットは可愛いのよ。サーラの息子ですもの」

「俺に、・・・俺にエルセットを手放せ、と?」

「あなたには、他にも子供がいるでしょう?」

「そういう問題じゃないっ」


 カロンが、ばんっと机を叩く。

 エルセットは、そんな父の姿を初めて見たと思った。

カロンは、何があっても物静かな男だったからだ。それに、カロンはいつだって少し離れた所から自分を見ている存在だった。最近でこそ、エルセットが軍に入って会話も増えたが、いつだってエルセットのことは全てルーナが仕切っている。

 だが、二人の会話は、まるでカロンにとって一番大事なのはエルセットだと言わんばかりだった。


「はっきり言えばいいのに。・・・カロン、鈍いエルセットには言わなきゃ通じないわよ。サーラがいない今、エルセットだけを愛してるんだと。年齢が離れているから、エルセットより弟妹達の方を可愛がっているかのように見えていたかもしれないけど、エルセットがいなければ男爵令嬢との再婚もしなかったし、あの双子すらエルセットが望まなければ作らなかったって」

「リスエルッ。子供の前で何てことを・・・っ!」

「え・・・?」


 驚いたエルセットがカロンの顔を見る。

 カロンの激昂すら、何でもないかのようにリスエルードは言った。


「本当にどこまでも男なのね、カロン。男はいつでも大事なものを自分の腕の中に抱え込んで、お外を見せないようにするの。・・・だけど、サーラは違ったでしょ? あなたをいつだって自分から飛び立たせようとしてたんじゃないの? 女はちゃんと分かっていてよ。手放すからこそ、子供は大きくなるのだと」

「見ていたかのようなことを・・・」

「見てなくても分かるわよ。どれだけ私とサーラが一緒にいたと思ってるの」


 パンパンと、リスエルードは手を叩いた。


「さ。今日はもうお帰りなさいな。カロン、ちゃんとこっちの入団手配はしてもらいますからね。エルセットは、息子ラブなダディを、ちゃんとおうちまで連れて帰ってちょうだい」


 いくら何でも、この年になって父親をダディだなんて呼ぼうとは思わないエルセットだ。

 どうしたものかと戸惑い、リスエルードとカロンを交互に見ていたが、カロンはいきなり立ち上がると、何も言わずにさっさと出て行ってしまう。


「ちょっと待ってよ、お父さん」


 リスエルードに慌ただしく挨拶すると、慌ててエルセットはカロンの後を追いかけた。

 しかしカロンはエルセットを待たず、どんどんと歩いて行ってしまう。少し走って追いついたものの、何も言えずにエルセットはカロンの後ろをそのままついていった。

 ジールとリスエルードの家は、自分達の住まいよりも郊外にある。なのに、屋敷へ帰るでもなく、カロンは更に中心区、つまり城の方向へと向かって行く。


「って、お父さん。どこに行くのさ?」

「山だ」

 

 王宮の裏に広がる山の中へ、カロンは登っていった。

 やがて崩れた、神殿跡へと辿り着く。切り出された白い石を使って作られたのだろう。今となっては寒々しいものだが、かつては美しい神殿だっただろうにと、エルセットは思った。その崩れた礎に、カロンは腰を下ろす。


「ここ、結構、ロームが見下ろせるんだね。何の神殿だったのかな。・・・昔はとても綺麗だっただろうに」


 エルセットが、場を和ませようと感想を述べても、カロンは何も言わない。

 仕方なく、エルセットも適当な石の上に腰をおろし、考え始めた。

 リスエルードの提案には驚いたが、それもエルセットは王都の外に出たことがないからだ。しかし、考えてみれば騎士団にいる以上、戦になれば、いつかは王都の外にも出ることになるだろう。


「ここは・・・、ライナが時々祈りを捧げに来ていた場所だ。祀られていた神は違っても、祈る気持ちは同じだからと」

「サーラお母さんが?」


 ぽつりと、カロンが口を開く。


「ライナの部族は、彼らの神を信仰していた。お前にも教えてやるべきなのかと思いつつ、けれどもお前に教えたらどこかに行ってしまいそうで、教えられずにいたものだ。・・・エルセット。お前のお母さんが神に祈りを捧げ、そして舞う姿は、とても・・・勇壮なものだったよ。見ておくがいい」


 カロンは、剣を腰から抜き、かつて自分が教わった剣舞をエルセットに披露しようと、微かに微笑んだ。

 本来は二人でするものだ。しかし、彼女は一人でも舞えるようにアレンジしていた。カロンはそれを思い出す。そう、彼女が教えたそれを、自分が忘れる筈がない。


「剣舞に特化したものもあるが、本来のを見せてやろう」


 エルセットは黙って、そんな父が舞う姿を見ていた。

 どうしたらいいか、分からなかったからだ。何より、父の剣舞など見たことも聞いたこともない。

 わけの分からぬまま見ていた、そんな感じである。

 本来は何かの曲に合わせるのだろう。だが、それがなくても、目を奪われる動きだった。


(何、あの動きって・・・。どうやったら出来るんだ)


 父のカロンは、かなり大柄な男だ。なのに、滑るかのように地面を移動するものだから、肩の位置は全く上下に跳ねていない。それがどんなに難しいことか。

両手も両足も、全てが違う方向を向くこともあるのに、全くバランスを崩す様子がなかった。

 エルセットは息を呑む。

 地面から大きく跳躍しつつ、その足が、手から離れた剣を蹴りあげ、更に落ちてきた剣は手にすとんと握られる。その動きすら、ただ決められたものをなぞっているかのように、体にブレがないのだ。


(剣舞というよりも、様々な剣の型だ。それを組み合わせているけど、・・・あの指先の形とか、一体何を表しているんだろう。それって・・・)


 剣に引っぱられるかのように弧を描きながら、それを支えるのは足の指だけ。それであの体を支えるとなったら、どれ程の負荷がかかるものなのか。

 エルセットは食い入るように眺めた。元々、エルセットは文官を目指していた。だから、かなりの書物にも目を通している。

 神に捧げる祈りの型や儀式には意味がある。美しい体の動きを表現しているようでありながら、実は小さな手先や足先の動きに、神話的な意味合いがあるのではないかと、少しでもそれを見抜こうとして、エルセットは目を凝らした。

 だが、戦うのと違い、こういった型は何と美しいものなのか。

 様々な肉体の動きを駆使したそれが終わった時、エルセットは既に考えるのを放棄していた。


「それを、・・・お母さんが?」

「ああ」


 自分の近くに戻ってきた父に向かって、エルセットは問いかけた。

 ジールフェイルやリスエルードが強いのは知っている。だが、こんな剣舞は教えてもらっていなかった。それに、・・・多分、これは違うのだと思った。何が、とはうまく言えなかったけれど。


(サーラお母さん。あなた、一体、何者だったんです・・・?)


 けれども単に母に動きを教わっただけの父では知らないだろう、その意味までは。これは同じ部族だという、リスエルードに訊くべきことだ。・・・エルセットは、神と祈りとその形式には、様々な意味が含まれていると考えていた。

 知識欲というのだろうか、そちらがかなり刺激される。

 知りたいという欲求、学問にそれは欠かせないものだと言われている。だが。


(違う・・・。今は、その意味を考えている時じゃない。それは現実逃避だ。今、僕が考えるべきは・・・)


 エルセットは、乾いた唇を舐めた。

 そう、今は母のことを考えている場合ではない。それは過ぎ去った時のことだ。今、優先すべきは自分の身の振り方である。


(これは、お父さんに言わせることじゃない。僕が言うべきことだ)


 それがけじめなのだろうと、エルセットは顔を伏せた。

 本当は分かっている。父のカロンにしても、自分にしても。リスエルードに言われたそれが、最善の策なのだろうと。

 それでも、それに対してカロンは不快感を示した。普段は見せないカロンの激情、それを引き出したのは、エルセットを手放したくない、その思いだ。

それこそエルセットが望めば、全てを敵にまわしてでも守ってくれるであろう父の姿勢こそ、自分に対する愛なのだと分かる。だから、・・・もう十分だ。


「・・・お父さん。僕、王都の外に行くよ」


 何かを振り切るように、エルセットはカロンを見上げて明るく宣言した。


「そうか」

「いつか、・・・それを教えてくれる?」

「ああ」


 幼い頃のように、カロンの服の裾を、そっとエルセットは握った。やっぱり勇気が足りず、顔を少し下に向けてしまう。

 ずっと訊きたかった、そして聞きたくなかったことがある。


「僕が、・・・僕が、お母さんに似てなくても・・・」

「愛してるよ。お前が産まれてくれて、そして健やかに、幸せに生きていてくれれば、それだけでいい。俺に全く似ていないお前を、ライナが愛していたように。お前がライナに似ていようが似ていまいが、・・・ずっと愛してるよ」


 父には、エルセットの不安が分かっていたのだろうか。言葉を奪うようにして欲しい言葉が向けられる。


「お父さん・・・」


 大柄な父に抱きしめられながら、エルセットは涙を零した。

 どれほど遠く離れていても、きっとそれだけで生きていけると思った。

 

(大丈夫。だって、二度と会えないわけじゃない)


 屋敷以外で暮らしたことのないエルセットに、外の世界など全く想像もつかない。けれど、父だって見知らぬローム王国にやってきて、一から始めたのだ。

 まだ、自分は恵まれている。

 だから、頑張ろう。それに、自分は一人じゃないのだから。

 そう自分に言い聞かせながら、・・・エルセットは父の背中に手を強くまわしていた。






 それはひっそりとした旅立ちだった。だが、見送る面々は錚々(そうそう)たる顔ぶれだったと言って良かっただろう。

 それこそ、王都ロームの城壁出入り口を守る門番が、緊張して声も出せなくなった程だ。


「ジールもうちに異動してまで、お前についていってくれるんだ。エルセット、・・・様々な経験をしてこい。きっと、お前の成長に役立つだろう」

「うん、お父さん。・・・ここまで見送りに来てくれてありがとう」


 門番は、目のやり場に困った。

 カロン・ケイス将軍はまだいい。ローム国騎士団を率いているだけあって、ちょくちょくと城門に立つ自分達にも声を掛けてくれる人だからだ。ケイス将軍と言えば、部隊長の時から面倒見が良かったことでも知られている。

 だが、ローム国騎士団に所属する門番にしてみれば、他の二人はそれこそ声も聞いたことのない偉い人間だった。


「何の為にロメス殿の所に異動させたのやら。・・・エルセット、しばらくの辛抱だ。いずれ、近衛騎士団に戻ってくるがいい。今度は、国王付きの護衛にまわすから」

「いや。ちょっと待てよ、セイランド殿。うちがエルセットをもらったんだぜ。・・・どこぞの親バカが、国王権限なんぞに持っていって掻っ攫ってくれたが、こいつはうちのだ。だからエルセット、ちゃんと王都騎士団に戻って来いよ。というか、お前が戻ってこねえと、ジールフェイルも戻ってこねえじゃねえか」

「何を言っている。近衛騎士団に帰ってくるさ、なあ、エルセット?」

「勿論、王都騎士団だよな。エルセット?」


 セイランド・リストリ将軍と、ロメス・フォンゲルド将軍。どうしてここに、よりによってロームに三人しかいない将軍の三人が三人とも居るというのか。

 門番達は、その理由であろう青少年を、そっと見遣った。かつて不敗を誇った女将軍と、よく似た顔立ちの若者である。


「えーっと・・・。お気持ちはとても嬉しいのですが、私は、ローム国騎士団に配属されましたので、今後につきましては・・・」


 エルセットも、さすがに二人を前にしてどちらかを選ぶ勇気などない。どっちを選んでも、選ばれなかった方が怖い。ここは父に丸投げしようと、ローム国騎士団を持ち出す。

しかし、そんな時に頼りになるのが、兄貴分であるトレストだ。


「何を言ってんだよ、父上。エルセットはもう、ローム国騎士団の人間なの。大体、この若さで本人に何ら問題があったわけでもないってのに、三つの騎士団を異動したの、エルセットぐらいなんだぜ? これ以上、話のネタになるようなことさせられないよ。エルセットは、もう、異動しませんっ」

「トレスト兄・・・」


 トレストがエルセットの肩を抱いて、父親に宣言する。信頼に満ちた瞳をトレストに向けるエルセットだが、門番達はなんだか倒錯的な気持ちになった。

 まるでロメスとケリスエ将軍の、若かりし頃の小型版が一緒にいるかのように見えたからだ。


「話のネタなんて、一度なったら二度も三度も一緒だろう。別にお前も一緒に王都騎士団に戻ってきて構わないんだぞ、トレスト。そろそろ反抗期も終わる頃だろう、愛する父の所へ帰っておいで?」

「・・・命が惜しいんで遠慮します」


 にっこりと両手を広げて迎え入れようとするかのようなロメスに、トレストは蒼白になって後ずさった。必然、一緒にいたエルセットも後ろに下がることになる。


「ロメス殿。ご子息をあまり苛めないでくれ。大体、ロメス殿もトレストを見送りに来たのだから、名残りをもっと惜しんでもいいだろうに。最後まで苛めてどうする」

「うちの息子達はいつだってカンロ領に行ってばかりだったからな。今更さ。・・・まあ、トレストがエルセットにくっついて僻地に行くのまではいい。だが、いずれロームに戻ってきた時には、一人ぐらいはこっちに寄越せ。・・・ジールフェイルもトレストもエルセットもカロン殿が独り占めするってのは無いだろう」

「・・・・・・・・・俺に言われてもな。戻ってきたら、本人に直接交渉してくれ」


 ロメスと違い、カロンは本人の意思を尊重する人間である。ついでに独り占めした覚えはない。

 エルセットを国境近くにある砦の一つに赴任させると聞いて、トレストが「冗談じゃありません。なら俺も行きます」と言い出し、それこそカロンにしてみれば、自分の副官の一人をエルセットに持っていかれた形になっているのだ。

 しかも、エルセットと一緒にジールフェイルも王都騎士団から異動してきたものの、

「勿論、俺もエルセットと一緒に赴任させてくれるんだよな」

とか言われた日には、それこそ書類上の人材確保にすぎない。

 更には、どさくさに紛れてルースレイルの夫であるグリスファンドと、その息子であり、エルセットの従弟になるローランゲルドまでローム国騎士団に入団させ、一緒に行かせる手配をしたのだ。

副官達の、あのじとーっとした、(俺達にはこの人事について何も教えてくれないんですね。いいですけどね、説明なんてしてもらえなくても。信用されてないなんて、別に思っちゃいませんけどね。いいですよ、いいんですけどね)といった、恨みがましい瞳は忘れられない。


「ジール、リスエル。グリス、ルース、ローラン、ミリア。そしてトレスト。・・・エルセットをよろしく頼む。何かあったらすぐに連絡を」


 カロンは、エルセットに同行するジールフェイル夫妻、そしてグリスファンド一家に頭を下げる。

 そこまではいい。別に、そこまでは。


「ただ、・・・本当にどうしてあなたまで同行するんです、ソチエト元第五部隊長?」

「観光だ。気にするな、小僧」

「・・・そうですか」


 もう、いつお迎えが来てもおかしくない年寄りが、どうしてそんな僻地に行こうとするのか。

 いくらエルセットを可愛がっていたとはいえ、足腰も弱っているくせに。

 カロンにしてみれば、ソチエトはとっくに退団した人間である。どういった扱いにすべきかと思い、・・・・・・「相談役」という肩書きを用意した。しかし、当日には「やはりやめておこう」と、言い出してくれると信じていたのだ。まさか本当に行く気だったとは。

 きっと赴任先の責任者は、親バカな将軍が、息子を案じて無茶な人事をしてくれたもんだと、呆れていることだろう。その通りだが。


「ですが、ソチエト元第五部隊長まで・・・。いや、お懐かしい」

「はっはっは。かつてフィゼッチ将軍の秘蔵っ子として知られていたセイランド殿がこーんな頃から存じ上げておりますからな。いや、もう、本当に長く生きもうした」


 そこは貴族のリストリ将軍である。そうとしか言えなかった。いくら言いたくても、「年寄りの冷や水という言葉はご存じですか?」とは、言えないものだ。

 さすがに以前のような迫力は、今のソチエトにはない。それでも、かつて第五部隊を率いた武将である。その眼差しの鋭さは衰えてはいない。


「それはエルセットも心強いでしょうが、・・・何もわざわざ身内でもないソチエト殿が同行なさらなくても。それともエルセットにそこまでの思い入れがあるのでしょうか?」

「おやおや、それこそ面白ければそれでいいというロメス殿、・・・いや、フォンゲルド将軍の言葉とも思えませんな。人生とは、常に心を奮い立たせる何かがなくては面白くないものですぞ」


 あのトル・ソチエト元第五部隊長が、まさかエルセットに同行するとはと、さすがのカロンだけではなく、他の二将軍も驚くしかなかったのだが、ロメスに対しても、カラカラと、ソチエトは笑ってみせる。


「どうせもう、いつ死んでもおかしくない年寄りだ。なら、エルセットに看取られて亡くなる方がいい」

「冗談やめてよ、トルおじいちゃん。赴任地はロームより南にあるんだもん。少しは体も楽なんじゃないかな。・・・ちゃんと移動日程は余裕をみてるし、いざとなったらおじいちゃんぐらい、僕が背負っていくからね」

「ああ。本当にお前はいい子だな、エルセット」


 ソチエトがエルセットを可愛がっていたのは知っていたが、ここまでとは思わなかったカロンだ。自分に対しては、常に「小僧」だの「こわっぱ」だのと言っておきながら、なにゆえエルセットには甘いのか。


(ライナの息子だから、なんだろうな。まあ、いいんだが)


だが、心強くもある。いくら年老いたとはいえ、ソチエトにはそれまでに重ねた経験があった。

 年若いメンバーだけでは分からないものを、ソチエトなら補ってくれるに違いない。

 そして何より、ジールフェイル夫妻、そしてグリスファンド一家。どちらも女ですらかなりの使い手であり、エルセットに特別な思い入れがある人達だ。彼らがいて、エルセットに危害が及ぶことはないだろう。


「行って参ります、お父さん。・・・リストリ将軍、フォンゲルド将軍。本日は、わざわざのお見送りを頂戴しまして、心からお礼申し上げます。皆様のお心に恥じることのなきよう、頑張ってまいります」


 母であるルーナ達とは屋敷で別れを済ませた。寂しさはあるけれど、トレストも同行してくれるのだ。

 エルセットは片膝をついて、将軍達に挨拶をする。


「ああ。息災でな、エルセット。ほとぼりが冷めたら、ちゃんと帰っておいで」

「トレストもエルセットも、親の目がないからって遊びまくるなよ。・・・たまには手紙も寄越せ」


 さすがにトレストが、「父上じゃあるまいし」と、ぼやく。大体、自分は手紙など寄越したこともないくせに、何を言っているのか。それこそ、たまには息子に手紙ぐらい寄越せばいいものを。

 それでも一行は馬に乗り、出発した。

 トレストとエルセットは何度も振り返り、手を振る。三人の将軍は、皆の姿が見えなくなるまで見送っていた。




 ローム王城にある、アディーネ第二王女の部屋で、ルイージア第一王女はぽろぽろと涙を零していた。


「いいかげん泣き止んでくださいまし、お姉様。別に、たかだか一人の騎士が僻地にとばされただけじゃありませんの」

「アディーネは何とも思わないのっ。私っ、私、こんなことになるだなんて・・・っ、うっく、ひっく・・・」


 そこへ、ノックの音と共にローム国王が入ってくる。王としてではなく、父としてやってきたのだろう。それは取り次ぎもない訪れだった。


「お父様。・・・お姉様は先程から泣き続けておいでですわ。・・・他に、やりようはありませんでしたの? 大体、ちょっとお姉様が声を掛ける頻度が高かった。それだけではございませんか」


 さすがのアディーネ王女も、姉王女が自分を責めて泣き続けるのを見るのは辛い。父親にねだるように、(なじ)るように問いかけた。


「他に方法は、・・・あったとも言えるし、なかったとも言えるだろうな」


 ローム国王はそう言って、ルイージア王女に声を掛けた。


「口惜しいか、ルイージア。だが、それがお前の力ということだ。お前が人々を従えていれば、たかが気に入りの騎士に親しく声を掛けようが、何ということもなかっただろう。だが、お前には何の実績もない。それでは無力なお飾りの王女として、人に利用されるだけの存在だ。お飾りの王女が、気に入りの存在を作ることなど、臣下の誰も望みはしない。・・・エルセット・ケイスは、お前の無力さの犠牲になっただけだ」


 ルイージア王女は、涙で濡れた顔を上げる。


「じゃあっ、じゃあどうすればよかったって仰有いますの、お父様っ。私は、私はただ・・・・・・」


 ルイージア王女は、そこで更に涙を流した。

 そう、ただ自分は、また彼に笑ってほしかっただけなのだ。困ったような顔で笑う彼の顔が見たかっただけなのに・・・。

自分の為に、黙ってそっと気に入りの玩具やクッションを直しておいてくれた、そんな彼の。


(人に見られて恥じることもしてないのに・・・)


 少しは声を掛けていた。だけど、それは見かけたら声を掛けた、その程度だ。王都騎士団に異動しても、フォンゲルド将軍の直属の部下の下に配属されたという彼とは、よく顔を合わせたからだ。

 なのに、どうしてそれで彼が僻地へと行くことになるのか。それも騎士団では一番格下とされるローム国騎士団に異動させられてまで。


「ルイージア。女が人の上に立つというのは、とても・・・難しいことだ。だから、女は権力者の男と結婚し、その男に自分がすべき義務を任せるのだ。・・・お前が、人に守られる王女である限り、お前の夫は公爵もしくは侯爵の子弟でなくてはならん」

「お父様。今、この場でお姉様にそんなことを・・・」


 アディーネ王女は、父王の言葉を遮ろうとした。公的な場では出来ぬことだが、ここは私室である。


「お前は黙っていろ、アディーネ。・・・ルイージア、お前が気づかなくても、お前の行動は皆が見ている。誰に何回声を掛けたかも、誰のことを避けようとしているかも、全て。お前の侍女も、護衛も、お前が誰とどんな会話をしたかすら、全て誰かに報告しているのだ」

「・・・まさか」

「だが、それには慣れろ、ルイージア。お前にはちゃんとそれでもフォンゲルド将軍と共に過ごすという、他の誰もが近づけない時間を与えておいた筈だ。あの男がついていて、そんな人間が近寄れることはないからな。・・・・・・しかし、遊びの時間は終わりだ。お前も、お前の未来を託す男を選ばねばならない」


 そこで、びくりとルイージア王女が身を震わせる。アディーネ王女は、父に対して非難の目を向けた。

 何もこんな日に、それを持ち出さなくてもいいだろうにと、そう思ったのだ。

 現在、ルイージア王女には、数人の婚約者候補がいる。どれも公爵家もしくは侯爵家の人間だ。

 勿論、その名前と経歴をアディーネ王女は把握していたが、それはルイージア王女には伝えられていなかった。


「・・・だが、ルイージア。かつて、男しか所属しない騎士団に入り、その頂点である将軍にまでなった女がいなかったわけではない。その女は、自分が戦場で拾った敵国の男を夫にした。それが出来たのは、誰もが口出しできない実力があればこそだ。・・・お前がどう生きるかは、お前次第だ。手始めに私の手伝いをする気はあるか?」


 二人の王女は、そこで目を丸くした。それは、まるで・・・ルイージア王女がそれだけの力を身につけたら、配偶者は好きに選んでいいと言っているようなものではないか。

 そんなこと、あり得る筈がないのに。

 だが、ルイージア王女は頷いた。


「・・・・・・やります、お父様」

「なら、顔を洗え。そして泣くな。泣く時は、一人で泣け。・・・その気があるなら、明日から私の執務室に入れ」

「はい、お父様」


 娘にそう言い放つと、ローム国王は部屋から出て行った。


「お姉様。それでもお姉様の結婚相手は・・・」


 アディーネ王女は唇を噛み締めた。父王は何というむごい真似をするのか。いたずらに希望を与えて、そしていつか、ルイージア王女の希望を打ち砕くのだろう。

 ローム王国を受け継ぐルイージア王女。その王配に、格下の貴族や平民など持ってくることなど、出来る筈がない。それこそ、反乱が起こるだろう。

 それぐらいなら、ちゃんと現実をありのままに教える方が、よほどいい。叶わぬ夢を見させるなど、残酷なことでしかないからだ。


「分かってるわ、アディーネ。・・・だけど、抵抗する力を持ってて困ることはないもの」


 不安そうなアディーネ王女に、ルイージア王女は何かを吹っ切ったかのような表情で微笑んだ。


「それに、私だって辛い目に遭わなきゃ、不公平じゃない」






 エルセットを見送り、カロンは屋敷へと戻った。

 それこそ、少し前には皆が勢揃いして屋敷でエルセットと名残りを惜しんだのだが、カロンだけが城門まで見送りに出たのだ。

 だが、エルセットが屋敷を出るまではいつも通りだったのに、今はかなり荷物が散らかっている状態となっている。


「何をしてるんだ、ルーナ」

「決まってるでしょ、引っ越しの準備よ」

「そうか」

 

 何となく、そう言い出すような気はしていた。カロンも止めようとは思わなかった。


「それでね、ファレンとアレナのことなんだけど・・・」

「好きにしていい。連れて行きたければ連れて行けばいいし、置いていきたければ置いていけばいい」

「・・・あれだけ可愛がっていたんだもの。絶対に渡さないとか、言うかと思ったわ」


 ルーナが驚いたようにカロンを見返す。


「どうなんだろうな。俺はこういう時、普通はどう考えるものなのかを知らん。ただ、・・・彼女が暮らしていた部族では、子供は母親のものだと言っていた。女の家に男が入り、子供のことは母親が決めるのだと。だから俺は、・・・子供についてはお前の意見を優先してきたつもりだ」


 カロンは、普通の家庭を知らない。母を幼い時に亡くし、父も戦場で亡くした。だから、サーライナの語る話をそのまま受け入れていたと言ってもいい。


「別に連れて行っても、・・・たまにはフィツエリ邸に、子供達に会いに来てくれるんでしょう?」

「ああ」

「たまには、こっちに泊まりに来させてもいいんでしょう?」

「ああ」


 二人は、互いに顔を見合わせて小さく笑った。

 思えば自分達の関係は何というものだったのだろう。こんな夫婦などあるものなのか。


「今までありがとう、ルーナ。エルセットを立派に育ててくれて」

「それはこっちの台詞よ。ありがとう、私にエルセットを育てさせてくれて」


 二人はそこで互いを抱きしめた。愛情からではない。友情もしくは同士としての気持ちからだ。

 エルセットが王都に戻ってくるのは、少なくとも数年後だ。場合によってはもっと延びるだろう。だからルーナももう、この屋敷にいる必要はない。

 母親を恋しがって泣く赤ん坊は、今では立派な騎士となった。愛情を与え、涙を拭いてやり、微笑みかける母親の役目は終わったのだ。

 そして、・・・今はエルセットの為に、ルーナはフィツエリ家に帰ると決めた。

今回はいい。エルセットは僻地へと赴くことで、貴族達の不快感を流した。だが、いずれ王都に戻ってきた時のこともある。

 ルーナも貴族の人間である。次期女王を巡る何らかにエルセットが巻き込まれた時、自分と子供達が足手まといになる可能性を考えていた。家族を人質にとるのは、常套手段だ。ならばフィツエリ邸の方が、貴族相手には安全である。爵位は低くても、国の要の一つであるフィツエリ領を、貴族だからこそ怒らせることはできない。

 今のままでは、自分達はいくらカロンが将軍とはいえ、平民の妻子なのだから。


「そして、ありがとう。ファレンとアレナを産んでくれて」

「それも、よ。ありがとう、あの子達を私に産ませてくれて」


 二人が子供を作ったのは、弟妹を欲しがったエルセットの言葉がきっかけだった。その為だけに、体を重ねた。

 男女間の愛などなかったが、エルセットを育てている間に、・・・情は生まれていた。


「ルーナ。何かあったらちゃんと連絡は寄越せ。・・・お前に何かあれば、あの人がしたであろうように、俺は駆けつけて力になる」

「馬鹿ね。当たり前じゃない。あなたなんて、あの人の使い走りにすぎないんだから。せいぜい、私達の為に動くといいのよ」


 あくまでルーナの心に残る人を持ち出し、カロンが「何かあれば、気にせず自分を使え」と言い出したことに、ルーナの瞳にも涙が滲む。

 お互いに気に食わない存在だったのに、長い年月、エルセットを間において、・・・自分達はいつしか仲間になっていた。時の流れとは、全てを少しずつ緩やかに変化させていく魔法だ。

それでも強がってみせたのは、男の前で涙を流す自分など許せないからだ。


「子供達を頼む。・・・お前には、また醜聞になるだろうが」

「今更よ。今度は、王家の不興(ふきょう)(こうむ)ったケイス将軍親子を捨てた烈女として名をあげてみせるわ。だから、・・・こっちは心配しないで」


 サーライナの忘れ形見としてエルセットを大事にしていた二人だが、その間に産まれたファレンとアレナもまた、二人の宝物だった。

 そこへ、ペタペタと廊下を歩いてきたアレナが顔を出す。


「お母ちゃま。どこに行くの? ファレンが、フィツエリのおうちに行くって言うのよ」


 二人は、腕をほどいて愛娘に微笑んだ。


「そうよ、アレナ。これからね、私達はフィツエリのおうちで暮らすの。エルセットが遠くで暮らすことになっちゃったでしょ? そしてお父様もお仕事でおうちを空けるでしょ? だからね、フィツエリのおうちで暮らすことにしたのよ」

「お父ちゃまは行かないの?」


 そんなアレナを、カロンは抱き上げた。


「そうだな。だけど、お前達にはちゃんと会いに行くよ。アレナ、・・・フィツエリのおうちは、沢山人がいるだろう? だから寂しくないようにって、お母様はお前達の為に引っ越すことを決めたんだ」

「お父ちゃま、またお仕事でいないの?」

「ああ。ごめんな、アレナ。また、お仕事で出かけなきゃいけないんだ」


 それは嘘だった。だが、今までもカロンが仕事で家を空けることは多かった。子供達にはそういった理由で引っ越すのだと言っておいた方がいいだろうと、判断しただけだ。

 そうなると、アレナも諦める。男の人がお仕事だと言ったら、それは大事なことなのだと教えられていたからだ。


「早く帰ってきてね、お父ちゃま」

「ああ。アレナもちゃんとお母様のことをよく聞いて、いい子にしてるんだぞ」


 可愛い娘の頬にカロンがキスすると、アレナがくすぐったそうに笑う。

 元々、ルーナは兄妹といえど、エルセットと双子達をそれなりに区別して育てていた。エルセットはケイス家の子、ファレンとアレナはフィツエリ家の子、そういう感覚だったのである。

 エルセットは気づいていなかったが、言葉づかいや作法に至るまで、ルーナはしっかり区別して躾けていた。それは、この屋敷はサーライナのものであり、いずれエルセットが受け継ぐべきだと考えていたからだ。ファレンとアレナは、いずれフィツエリで引き取るつもりだった。


(思ったよりも、その時は早くきちゃったけどね。・・・エルセット、ここはあなたのお母さんの家だもの。ファレンとアレナが、もらっていいものじゃないの)


 だからファレンとアレナも、フィツエリ邸で貴族の子供として振る舞うことには慣れさせてある。

 ルーナは目を閉じた。

 思い起こせば、なんて短く、そして長い日々だっただろう。泣きながら母を呼んでいたエルセットが、やがて舌足らずにも自分を母と呼んだ日のことを覚えている。そして自分に抱かれていた幼子は、今では自分よりも背の高い若者になった。

 いつも自分の後を追いかけてきた小さな男の子は、自分よりも早く走るようになった。何かあると自分の所へ来て泣いていた少年は、今では「心配しないで、お母さん」と、笑いかける強さを持つようになった。

 産みの母のことを知っても、自分を母と呼んでくれるあの子が、どれ程に愛しかったことか。


「あーっ、アレナばっかり。僕も抱っこ」


 そこへ、バタバタと走ってきたファレンが顔を出す。次男を一緒に抱き上げながら、カロンは寂しさを飲み込んで、子供達をそれぞれの腕一本で持ち上げてみせた。


「たかーい。お父ちゃま、もっとよ。もっと高くね」

「あーっ、そんなの無し。僕ももっと高く」


 エルセットが出て行ったのが悲しかったのか、今日の二人はとても甘えん坊だ。カロンは、黙って子供達の要望に応えてやった。


(寂しく、なるな・・・。だが、今までが夢のようなものだっただけだ)


 長男も出て行った。そして荷造りが済んだら、次男と長女もここを出て行くのだろう。

 そうして自分は、再び取り残されるのだ。

・・・彼女のいない、この屋敷に。






 小さなエルセットを連れて屋敷に戻ったカロンだが、エルセットは毎日、母親を探しては泣き喚いた。


「ルーナ様。ちょっとエルセット様を抱いていてくださいます?」

「いいわよ。ほら、いらっしゃい。エルちゃん。ほら、泣かないで」


 しかしエルセットは、「まぁああっ、まあぁっ」と、ルーナにしがみついては泣き叫ぶ。


「エルちゃん、マミーはね・・・」


 そう言いながら、ルーナももらい泣きしている有り様だった。涙を流すルーナが、泣くエルセットを抱きしめて更に泣くのではどうしようもない気がするが、それでもエルセットをみていてくれるならそれでいい。

ロシータは洗濯物をまとめながら、ヨイネに

「やはり、人手は必要よね。それも信用できる人が」

と、話しかけていた。ヨイネも

「同感です。・・・住み込みじゃなくて、通いで誰か雇いましょう」

と、同意する。

 片翼に引っ越してきたロシータ一家だったが、ロシータとて夫や子供達の世話もある。ルーナはロシータがいるからと、毎日顔を出していたが、ロシータとヨイネにしても、人が増えたことにより、世話の内容が増加していることに気づかざるを得なかった。

 通いの手伝いを雇うしかないという決断に至るのは早い。


「あら。じゃあ、フィツエリ邸の人間を寄越すわよ。・・・すぐに人なんて決まらないでしょ。うちで雇ってる人間なら、身元もしっかりしてるし」


 何でもないことのようにルーナは言ったが、ロシータとヨイネは顔を見合わせる。乳姉妹であるロシータが咳払いをして言った。


「ルーナ様、それはまずいのではないかと・・・」

「何がよ?」

「それこそ、ルーナ様とカロン様の仲が取り沙汰されてしまいます」


 ロシータは、そこをルーナに説明した。まだロシータはいい。ケイスの屋敷に下宿しているキルケイドの妻だからである。

 だが、ルーナはフィツエリ男爵の令嬢なのだ。それが、妻に先立たれた男の家に足繁く通うばかりか、使用人まで差し向けるなど、醜聞にしかならないだろう。それこそ、ルーナがカロンの愛人といった噂が立ちかねない。

 ヨイネも、ロシータと共に言葉を尽くして使用人を寄越すことだけはやめるよう頼んだ。


「考え過ぎよ、ロシータ」


 からからと笑い飛ばしたルーナだったが、しかし、人の口に戸は立てられない。

 ある日、兄であるロカーンはフィツエリ邸に帰宅するなり、ルーナを呼びつけた。


「ちょっと来なさい、ルーナ。お前、最近、ある屋敷に入り浸っているという噂が立っているそうだが、どういうことだ」

「回りくどい言い方はやめてちょうだい、お兄様。私はケリスエ様のエルちゃんに会いに行っているだけよ」

「こっのっ、ばっかものがぁっ!! 誰がそんなことを信じると思ってるっ!」


 そう、兄のロカーン・フィツエリの耳に噂が入ってしまったのだ。ロカーンは、ルーナを私室に閉じ込め、使用人にも見張っておくようにと言いつけた。だが、元はと言えば活発なルーナである。日がな一日、部屋に閉じこもっていることなど耐えられる筈がない。


「いいかげんにしてっ。お買いものにも行けないじゃないのっ」

「行かんでいいっ」


しかしエルセット可愛さに何度も抜け出そうとしたルーナが原因で、話し合いの場がカロンに連絡の上、もたれることになってしまった。


「は? うちに、ルーナ姫が・・・? まあ、日中、不在にしておりますので、そうだったのですか、としか言いようがないんですが。申し訳ありません、家人にも特別なことがない限り、報告は不要としていたものですから・・・」


 フィツエリ邸に呼び出されたカロンは、青天の霹靂とばかりに面食らった。言われてみれば、ルーナがエルセットに会いに来ていたであろうことは想像もできる。

だが、ルーナにエルセットが誘拐されない限り、それはそれでどうでもいいと、そんなことも思ったりした程度だ。カロンは、ルーナをそもそも女として全く意識していなかった。

 正直、ロシータとヨイネにエルセットの世話を任せきりにして、第六部隊長に戻ったカロンにしてみれば、屋敷の中のことなど全く分かっていない状態だ。ルーナが毎日来ていたことも、来なくなっていたことも知らないぐらいだった。

ヨイネも、新しい通いの人間を試しに雇っては人柄や手癖などチェックするのに忙しくて、そんなどうでもいいことを報告するには至らなかったのだ。

 カロンもまた、長く不在にしていた第六部隊をまとめあげるのに、忙殺されていたと言ってもいい。


「フィツエリ家としては、それこそ後添いといった形でも構わない。どうせ、出戻りの傷ものだ。そんなルーナをカロン殿が引き取ってくださるのであれば、それでいいのだが・・・」


 かつて、カロンとルーナとの間には縁談が持ち上がったこともある。ましてや、あのケリスエ前将軍も亡くなってしまったのだ。彼女の生前から通っていたとはいえ、こうなったらもう、カロンに妹を引き取ってもらえないかと、ロカーンは打診してみた。

 しかし、肝心のカロンではなく、妹のルーナが即座に反応する。


「ちょっと待ってよ、お兄様。どうして私がこんな男と結婚しなきゃいけないのよっ」

「おっまっえっがっ、そのカロン殿の屋敷に入り浸っていたからだっ」


 そう、常にルーナが原因なのだ。この妹の縁談関係に関して、自分はどれ程の迷惑を被ったことか。

 ロカーンは、それこそ人目がなければこの妹の頭をがんがんと振り回したい気持ちで怒鳴った。


「失礼ねっ。私が会いに行っていたのはエルちゃんよっ」

「誰が信じるというんだっ」

「誰だって信じるわよっ」

「誰も信じんわっ、この馬鹿娘がっ!」


 そんな兄妹の口喧嘩を、カロンは「まあ、落ち着いてください」と、宥めるしかなかった。

 人間、目の前で先に興奮されてしまうと、自分が冷静になるしかないものだからだ。


「仕方ありませんね、ルーナ姫には二度とうちには来ないでいただくということで・・・」

「嫌よ。エルちゃんは私を必要としているの」

「いや、エルセットの世話は人に頼むから、そういうことで・・・」

「駄目よ。大体、使用人ほどあてにならないものはないのよ。エルちゃんに、誰も見ていない隙に何かおきたらどうするっていうのっ」

「・・・・・・」


 エルセットを盾にされると、カロンもルーナには何も言えなくなる。問題のある小娘だが、ルーナはエルセットに対して安全な人間だと分かっていたからだ。

 簡単に出入り禁止ということで済ませようと思ったカロンだが、そうなるとじっくり話をしなくてはなるまいと思い、座っていた椅子に更に深く腰掛けた。

 そして、言葉を選びながら状況を整理していく。


「だが、・・・兄君の仰有る通りだ。たしかに、いくら不在にしているとはいえ、今の状況はまずいだろう。ルーナ姫、そこはきちんと考えた方がいい。俺はまだいい。どうせ二度と結婚するつもりはない。だからどんな噂が立とうが気にしないでいられる。だが、あなたは違う。・・・いずれ、再婚もあり得るだろう。その時に、俺との噂があったとなれば、どんな支障が生じるか」

「別に私も噂なんて気にしないわ。二度と結婚する気はないもの。もう、結婚なんてこりごりよ」


 ルーナに対しては全く愛着などないカロンだが、それでもサーライナが可愛がっていた娘だという程度の認識はある。

 ましてや、あの結婚に彼女が傷ついていたことも知っている。

 だから、出来れば幸せな再婚があればいいなと思う程度の気持ちはあった。

 しかし、そんなカロンの気持ちをルーナは叩き落とした。そもそも、あんなことを二度とする気はない。勢いだけでやればいい結婚と違い、離婚はかなりエネルギーを使うのだ。

 そんなルーナにしてみれば、醜聞などと言われても片腹痛い。


「・・・・・・」

「・・・・・・」


 だが、そこで二人は顔を見合わせる。・・・そう、そういうことであれば。

 互いに、この状態に対して四方八方が丸く収まる手段があるではないか。

 基本的にカロンは、世間体とか肩書きとか、そういった他者から見た自分の評価や決めつけに全く頓着しない男だった。世間がどう見ようが、自分さえ納得できればいいと思っている。

 そしてルーナは、実利を取る人間だった。

 その場で話し合っていた三人は、そこでにっこりと表面上の笑顔を浮かべた。ルーナの兄であるカローンは、いささか複雑そうな顔でもあったが。


「よろしくね、旦那様。あなたは家と私の立場だけ提供してくれればいいわ」

「ああ。息子を頼むよ、奥さん」

「・・・こんな妹ですが、よろしく頼みます。カロン殿」


 そうしてカロンとルーナによる、エルセットを育てる為だけの、全く愛のない婚姻関係が成立した。




 カロンが復帰して、第六部隊はかなりの成果を出していた。


「第六部隊長。・・・お前、いい加減に休め。ずっと出っ張りじゃねえか」

「クネライ将軍。・・・体を動かしている方がいいんです。正直、休みたくなんてない。次の戦いもお願いします」


 だが、それはその場にいた部隊長達全員に分かっていた。カロンは生き急いでいる、つまり死にたいが為に戦っているのだと。自分を危険にさらし、殺してくれる人を待っているのだと。

 だが、わざと負ける気はないらしい。そしてそんなカロンの戦い方は、味方も敵も怖じる悪鬼のような凄まじさがあった。

 部隊長と副官が集まった会議ながら、カロンの目はどこか虚ろで、同時に底光りしていた。まさにその相反したそれが、カロンの今の状態だ。


(まだだ・・・。まだ、疲れ足りない。こんな程度じゃどうしようもない)


 カロンが求めていたのは、全てを考えないでいられる時間だ。

 屋敷に戻らずにはいられないが、屋敷に戻りたくもなかった。エルセットは可愛いが、サーライナがいないことを思い知らせてくる事実に耐えられない。

 現在、片翼はロシータ達一家とヨイネが使い、もう片翼の二階はカロンが、一階の客室をルーナとエルセットが使っていた。寂しがって泣くエルセットを抱いて、ルーナが毎晩一緒に寝ていたからだ。


「お前なあ・・・。まだ子供も小さいだろうが。いくら再婚したからって任せっぱなしにしていいわけないだろ。何より、お前こそ父親だろうが。ちゃんと戻って相手してやれ」

「分かってます。だけど、俺は・・・。将軍、軍に戻り、エルセットも屋敷に留めてます。だから文句はないでしょう。けど、俺は屋敷にいたくないんです」


 旅に出て心の痛手を誤魔化していたカロンを無理矢理ロームへ戻すよう命じたのはクネライ将軍である。それしか方法が無かったとはいえ、今のカロンは痛々しいものがあった。


「・・・・・・すまん。許せとは言わん。だが・・・、今回は休め。他の部隊を行かせる。・・・言っとくがな、お前はあの方が見つけて育て上げ、最後まで傍に置いていた人間なんだ。つまらないことで潰されちゃあ、あの方に会わせる顔がねえんだよ。たとえそれが、お前自身のすることであってもな」


 クネライ将軍は、そう言ってリールスに合図する。


「お前らの隊長を屋敷に放り込んでおけ。どんなに辛かろうと、あの赤ん坊が大きくなるまでは死ねねえってことを叩きこんでおくんだな」


 それはクネライ将軍の優しさでもあったのだろう。乱暴な口調だったが、そこにはカロンのひび割れた心を思いやるものがあった。

 ソチエト第五部隊長が、そこで口を開く。


「カロン。子供なんざ、すぐに大きくなるもんじゃねえ。・・・そりゃ、今はあのルーナ殿がお前と結婚してくれて面倒をみてくれてるからいいさ。ま、誰もお前とあの姫が本気で結婚したなんざ、思っちゃねえがな。・・・だが、子供だっていつかは大きくなる。いずれ、本当の母親の話を聞きたいとも思うようになるだろう。てめえがその時に死んでたんじゃ、誰が母親のことを子供に聞かせるんだ」

「ソチエト部隊長。エルセットはまだ赤ん坊です。そんな先のことを言われても・・・」


 そこで、普段は一番の長老的立場として穏やかにしてみせているソチエトが立ち上がり、低くどすのきいた声でカロンを怒鳴りつける。


「このど阿呆がっ。天涯孤独のお前とケリスエ前将軍だろうがっ! その母親が死んだ今、エルセットにとって血の繋がった人間はお前しかいねえってことをよおっく自分に言い聞かせやがれっ。少年だったお前が父親を亡くしたことにすら、ケリスエ前将軍があれ程に心を砕いてたってのに、てめえはそのケリスエ前将軍の赤ん坊に対して何をやらかす気だっ!」


 言葉の終わりと共にもたらされたソチエトの拳は、カロンなら避けられるものだった。

だが、あえてカロンはそれを受けた。がっしゃーんと、大きく椅子と共に床に転がったカロンを見下ろし、ソチエトは吐き捨てた。


「よけなかったことは褒めてやる。さっさと家に帰ってエルセットに土下座して謝りやがれ。一番辛いのは、こうして気を紛らわせることのできる大人じゃなく、泣くしか出来ねえ赤ん坊だってことを忘れんじゃねえぞ、クソが」


 殴られた拍子に頬の内側を少し噛み切ってしまったカロンは、唇を腕で拭った。

 すたすたと部屋から立ち去るソチエトにしても、実際はかなり荒れていることをカロンも知っている。


(けれど・・・。どんなに理性で抑え込んでも、狂気が俺を追いかけてくる。穏やかで飄々としている自分と、何も考えずに暴れずにはいられない自分と、そのバランスがとれずに荒れ狂う。ライナ・・・。あなたがいなければ、俺は俺でいる必要もないというのに・・・)


 そんなカロンに、カリスフ第三部隊長が手を差し出す。


「エルセット坊やも少しは大きくなっただろう。俺がついでに送ってやる」

「一人で立ち上がれます」


 カロンは立ち上がった。どちらにしても、今は帰宅するしかないだろう。


「俺も失礼します。今回は見送りということは了解しました。それでは」

「ああ、お前はもう帰れ。・・・ところで第三部隊長。しれっと第五部隊長に続いて、逃げ出しているようにしか見えんのだがな?」

「気のせいですな。今回は、第三、第五、第六以外が出ればいいだけでしょう。ちょっとケイス部隊長とも話したいことがありましてな」

 

 紅一点だったケリスエ前将軍がいなくなれば、男同士など殺伐たるものだ。誰もが自分勝手に生きている。

 会議というものの意味を全くもって無視し、カリスフ第三部隊長はカロンと共にその場を辞したのだった。




 なぜかカリスフ第三部隊長にカロンとリールスがついていく事態になっていた。しかも、屋敷まで送っていくと言いながら、カリスフは違う建物に二人を連れていく。カロンの屋敷に程近い、石造りの建物だった。

 そこには、何人かの騎士と兵士がいた。


「あの、・・・カリスフ第三部隊長。これはどちらの・・・」

「ああ。ちょっと黙ってろ、リールス。・・・・・・今日はどうだ?」

「特に今の所は異常ありません」


 その場にいた騎士の一人が、カリスフの問いに答える。

 質素な建物だが、最低限の物は揃っているようだった。というより、ぼろくて買い手がいない建物を使っているだけなのだろう。

 そこで、カリスフは、「まあ、座れ」と、二人にそこにあった椅子を示す。


「知ってるか? 赤ん坊の臓物を食べると、その生命力が自分のものになるって話を」

「・・・黒魔術、ですか?」


 リールスが、カリスフの質問に、そう問い返す。


「さあな。その手の話はよくある。実際、赤ん坊の干物も売買されているぐらいだ。ま、表にゃ出回らんがな」


 実際、若さを保つ為にと、若い娘が殺されて食べられていた事件も起きている。

 さすがのカロンも、そこでカリスフが何を言いたいかは察していた。先程から顔が強張っている。


「最初は見回りの人間が気づいた。門前を何度も往復している男がいることに」


 カリスフが、顎で兵士の一人を示す。その兵士は、僅かに顔を傾けてみせた。


「お前の新しい奥方、赤ん坊を抱いて敷地内をよく歩いているそうだな。・・・最近、お前の家の門前を往復する人間が増えたそうだ」


 がたっと、カロンが立ち上がる。しかし、カリスフは「座れ。話はまだ終わっちゃいねえ」と言い、カロンも躊躇いつつ腰を下ろした。


「夜にゃお前が戻ると思ってるんだろうな。・・・おそらく家人が油断した隙に攫おうと考えてるんだろう。なんてったって、かの女将軍の産んだ赤ん坊だ。使い道はそれなりにある。・・・その臓物を食うにしろ、何らかの儀式の生け贄にするにしろ、な。・・・・・・一応、ここに兵士を常駐させちゃあいるし、まあ、あれでお前の奥方も赤ん坊から目を離さないせいか、なかなか隙がねえようだ。だが、それもいつまで続くやら、だ」


 カリスフは立ち上がった。


「父親が知らなくて済むことでもねえだろう。後は自分で考えな。詳細はこいつらに訊け」

「・・・ありがとうございます。カリスフ第三部隊長」

「いいってことよ」


 用は済んだ、そういうことなのだろう。カリスフはひらひらと手を振って立ち去り、カロンとリールスがそこに残される。


「ご安心ください。今も門の前を兵士が見回りに出掛けております。・・・できれば、敷地内の納屋にでも常駐させていただく方が安全かと思い、それをカリスフ第三部隊長に相談しましたら、今回、こういうことになりまして。・・・もっと早くにご報告すべきでしたが、ケイス部隊長は戦場に赴いていることが多い上、更にまだあくまで不審人物がうろついているといった程度なものですから」


 騎士らしき男が、そうカロンに話しかけてくる。


「いや。俺の考えが足りなすぎた。すぐに、うちの兵士を敷地内の納屋に常駐させることにする。・・・ありがとう。あなた方のおかげで、うちの息子はまだ攫われずに済んでいる」


 カロンの言葉に、騎士は一人の兵士を呼んだ。


「彼は、その怪しい男達のほとんどの顔を見ております。どうぞお使いください」


 カロンは感謝をこめて騎士に頷いた。

 食べ物のない戦場ならいざ知らず、まさかこの王都で、赤ん坊を文字通り食い物にする人間がいるとは思わなかったのだ。


(育てる人間を用意すればいいってわけじゃない。・・・俺が間抜けだっただけだ)


 そんなことを思いつつ、カロンはそういった人間をどう排除すべきかと考えを巡らせていた。

 サーライナが生きていたらどうしただろうと、そんなことを思いながら。




 ルーナは、今日もエルセットを抱いて敷地内を散歩している。

 裏庭にある小さな泉は、かつてサーライナと共に戯れた思い出の場所でもあった。

 カロン・ケイスの後妻として嫁いだ形になるが、自分達は結婚式も挙げていないし、全く夫婦の営みもない、形だけの婚姻だ。


(本当にイヤになる男よね。初めて見た時から気に食わなかったわ。・・・ケリスエ様の前では従順そうにしておきながら、ただの獣よ、あいつ)


 そんな男に嫁いだ自分はどうなるのかと言えば、それについては考えないことにしているルーナだ。

 元より、あの男とて自分を妻だとは思っていないだろう。ルーナとて、あの男を夫などとは思っていない。

 そんなルーナが不機嫌になる理由は一つだ。カロンが気に食わない、それに尽きる。


「ここにいらしたのですね。申し訳ございませんが、坊やをお貸しいただけますか?」


 そこへ、カロンの副官の一人であるジルード・ファレの声が掛けられる。ジルードはファレ男爵家の人間だ。貴族の為、平民を殺したとしても許される立場になる。だから、ここに差し向けられたのだ。

顔を上げて、ルーナは渋々とエルセットを差し出した。逆らっても意味がないことは学習済みだ。


「いつまで続ける気なのよ」

「この屋敷にだけは近づくまいと、誰もが決意するまで、だそうです」


 ジルードは、何でもないことのように言った。

 最初は少し門扉を開けられ、そして、大きな籠の中に玩具と一緒に入れられたエルセットが、屋敷の前で遊んでいるだけだったのだ。ルーナにしてみれば、どうして自分は黙って離れた場所から見ていろと言われたのか、全く意味が分からなかった。

 だが、門の前を通り掛かり、少し開けられた門扉からそれを覗き込んだ男が、そうっと入り込んでエルセットを攫おうとする。叫ぼうとしたルーナの口は、横にいた騎士によって塞がれ、隠れていた兵士達がその男を殺した。

 それが、・・・何度も繰り返されたのだ。

 そして、カロンは、屋敷の周囲である道沿いにその死体を並べさせたのだ。

よりによって、「赤ん坊を狙った人攫い達」という看板をつけて。


「あんたねえっ、よりによってエルちゃんを囮にするなんて何考えてんのよっ。しかも何っ!? ここ、すっごく危ない屋敷だって噂になってんのよっ。どうしてくれんのっ!」


 勿論、ルーナはカロンに猛攻撃といった感じでまくしたてた。やめさせようにも、騎士や兵士達は、カロンにルーナの話には全く取り合わなくていいと命じられていたらしく、ルーナが騒いで邪魔するようならば拘束すると脅されたのだ。

それが、形だけでも自分の妻に対する態度だろうか。

しかし、カロンは平然としたものだ。


「エルセットには、何が起きたか分からん。問題はない」

「あるわよっ。ここ、ヤバイ屋敷だって噂になってんじゃないのっ!」

「知ったことか」


 カロンにしてみれば、

「赤ん坊の生き肝を狙っている人攫いが横行しています。不安になるような何かがあれば、すぐにローム国騎士団まで」

という看板をあちこちに掲げたことにより、赤ん坊を産んだ母親から兵士に声を掛けられることも増えたと聞いている。治安について、市民の評価が上がっているのだ。全く何も問題はない。

それこそルーナの意見など、どうでもよかった。

 カロンは、サーライナが何をやったおかげで夜盗がこの屋敷に入らなくなったのか、それを再現しただけにすぎなかったのだ。


(だから気に食わないのよっ、こいつってば、何食わぬ顔をして、さらりとやってしまうんだものっ)


 全く自分の意見など聞く気のない、それどころか、どこぞで犬が吠えているなと言わんばかりのカロンの態度に、ルーナはわなわなと震える拳を握りしめた。

 そんな二人を、ロシータとヨイネは、はらはらとしながら見守る。


「だからあんたなんて嫌いなのよっ」

「お互い様だ」


 まだまだエルセットは赤ん坊だ。それゆえに、二人の仲を取り繕う必要もない。

 そんな二人が、見かけだけでも仲良い夫婦のように振る舞うには、まだ数年の時が必要だった。






 王都ロームを旅立ったエルセット達だったが、ふと、エルセットは振り向いた。


「どうした、エルセット?」

「トレスト兄。・・・歌が、聞こえる」


 どこからなんだろうと、エルセットは風の流れを辿って、首を巡らせた。

 同行していた他の人間はとっくに気づいていたらしい。皆が、同じ方向を振り返っている。それに気づき、トレストとエルセットがそちらを見ると、ロームの方向にある崖の上に、人が見えた。


「お父さん・・・」


 エルセットは、そう呟いた。あんなに遠くからでも、風に乗って歌が届くのか。

 けれども、何を歌っているのかは分からなかった。何より父が歌っている姿など、初めてではないか。


「お前の母親がカロンにいつも贈っていた歌だよ、エルセット。・・・その相手が強くなるように、そして神の加護があるようにと願う、祈りの歌だ」


 ソチエトが、そう呟いた。カロンは、何度も歌っているかのようだった。

 ただ、どうしても風の流れが影響して、途切れ途切れにしか聞こえない。


「あのケリスエ将軍が歌っていた歌ですか? なら、一緒にいるうちに聞かせてもらうんでした。ちゃんと聞いてみたかったな」


 トレストが残念そうにぼやく。するとソチエトは、「ま、聞きかじりだがな」と、カロンに合わせるように、歌い始めから唱和し始めた。

 ソチエトもまた老いたりと言えど、戦いを生き抜いてきた猛者である。肺活量が違うのだろう。堂々たる歌い手だった。さすが元第五部隊長と、トレストも感心する。


『我らが求めるは神の息吹。この身を持って地上にあらん。

空より降りたるは神の恩寵にして、我らが住まう闇にその身を示さるる。

されど我らが慢心はならず。なればこそ神の姿は遠くにありて、我らを導かん。

勇ましき者よ、神の恩寵はそなたと共に在り。

賢き者よ、導く光はそなたと共に在り。

勝利を神に捧げよ。武勇の力がそなたを寿ぐ。

祈りを神に捧げよ。知恵の泉がそなたを導く。

我らにもたらされし神の息吹をもって、地上より永久に神を寿がん』


 エルセットは、その歌を聞きながら父に大きく手を振った。カロンが手を振りかえすのが見える。

 一度歌い終えると、声量を落としてソチエトはカロンの声と共に重ねて歌い続けた。

 そして一行は、再び馬を進め始める。

 ソチエトの歌に合わせて、そっとリスエルードがその意味を小さくエルセットに囁いた。


(この女の人、ジールフェイルさんの奥さんって話だけど、・・・なんでこんな外国語の歌の意味が分かってるんだろう。てか、そもそも、ケリスエ将軍の部族が使ってた言語なんだよ、な? でもって、この一行、あの少年と少女も含めて、かなり強い、よな・・・?)


 トレストはそんなことを思いもしたが、リスエルードに微笑みかけられて、何も気づかなかったフリをする。

 何となく、リスエルードには逆らってはいけない気がしたからだ。

 そう、蛇に似た怖さがあるというのか、何か言ったら一飲みにぺろりと食べられてしまいそうな気がしてならない・・・。

 何も言うなと要求している目だ、あれは。「ヘタなことを口にしたら首チョンしてくれてよ、坊や」と、語っているのだ、あの緑の瞳は。


「トレストさんって、エルセットのお兄さんみたいなものなんでしょう? ローランゲルドです。ローランって呼んでください。僕は父と一緒にどさくさでローム国騎士団に入団させてもらった身ですし、まだ何も知らないものですから。これから色々と教えてくださいね」

「私はローランの妹のミリアレーナです。ミリアって呼んでください。・・・一応、剣は使えますけど、まだ弱いんです。良かったらトレストさんも教えてくださいね」


 カロンが手続きも何もかもすっ飛ばして入団させたローランゲルドと、その妹がそうトレストに話しかける。その父親であるグリスファンドは近衛騎士団で兵士をしていたらしいが、いきなりの異動で一気に騎士となっていた。

 だが、その所作を見ていれば分かる。・・・誰もがそこらの騎士より強いことなど。

 さすがにトレストとどちらが強いかは、やってみなくては分からないが。


「トレストだ。よろしく。・・・ローラン。この一行、俺とエルセット以外の、・・・それこそ、君達の正体をちょっと訊きたくなるんだけど?」

「あはは。普通の一家ですよ。当たり前じゃないですか。うちの家族、仲がいいから一緒についていくしかないよねって、同行することにしたんです」

「そうなんです。私も僻地の砦なんて怖いけど、・・・頑張りますね」


 ローランゲルドとミリアレーナが、そう可愛らしくのたまう。だが、トレストのこのメンバーに対する違和感はかなり大きかった。

だから彼らの仕草や行動を注視しており、気づくこともあったのだ。

何故かというと、普通、こういった場合、家族は王都に残していくものだからだ。ましてや妻や娘を同行させた日には、女に飢えた同じ騎士団の男達に襲われることも多い。田舎の場合、村人の人数も限られる上、娯楽的な施設が少ないことが影響するのだろう。


(だけどきっと、返り討ちに出来るんだろうな。この三人が三人とも)


 トレストはそう思った。リスエルードは強い。見れば分かる。そして、グリスファンドの妻であるルースレイルは控えめだが、やはり強いだろうと察せられた。そしてこの少女もまた。

 そんなトレストの心境も知らず、エルセットは大好きなトルおじいちゃんに話しかけては色々と訊いている。


(たまに、お前の鈍さが羨ましいよ、エルセット・・・)


 箱入りで育ったエルセットは、実戦や野戦といった経験がない。近衛騎士団など、王宮内の貴族相手の仕事がメインな騎士団だ。そして王都騎士団にいた期間はあまりに短すぎた。

その為、エルセットは辺境の地における物騒さも、その実態も何も知らない。だからだろう、この一行の不自然さが分からないのだ。


(大体、にこにこと笑っちゃいるが、このローラン、・・・かなり性格はひねくれてるとみた)


 トレストは、そっと青い空を見上げた。


(兄上・・・。世界は広く、色々な人がいるって知りました。父上も変人だけど、クセの強い人って無駄に存在するんですね)


 さすがに空は何も応えてくれなかったが、・・・そよ風がトレストの溜め息を攫っていく。

 それが、トレストがいずれローランゲルドと親友になり、そしてミリアレーナと恋を育む始まりの、三人の出会いだった。

【家族計画は突然に】




 エルセットは両親が大好きだ。

 父のカロンは忙しくてなかなか家にいてくれないけれど、帰ってきたら自分を馬に乗せてくれる。馬は高くて大きいし、普段は「大人がいなかったら近寄っちゃいけません」と言われているけれど、父さえいればそこはとても安全な場所なのだ。

 そして母のルーナは常に笑顔を絶やさない明るい人だ。いつでも自分と遊んでくれる。

 だから自分はかなり幸せなのだ。だけど、ちょっと不満もある。


「どうしたの、エルセット。おでこに皺が寄ってるわよ?」


 そこへ、ロシータの長女であるレジータが洗濯物を持って通り掛かり、エルセットの額をツンツンとつついた。


「ほーら、皺も伸びた。ね、笑ってなさいよ、エルセット。笑ってるあなたは、とっても可愛いわ」


 黒い髪に緑の瞳をしたレジータは、母親のロシータによく似た顔立ちだが、性格は父のキルケイドに似ている。いつだって笑っているのが大好きなのだ。エルセットもレジータが笑ってくれるのは大好きだ。

 だから、えへっと笑ってレジータのスカートを握りしめた。


「いいなあ、レジータは」

「何が?」

「お姉ちゃんなんだもん。僕も、お兄ちゃんって言われてみたい・・・」


 同じ屋敷の片翼に住むキルケイド・ジラン一家には、二人の子供がいる。

長女である姉レジータと、長男である弟ユールスだ。二人とも、エルセットを弟のように可愛がってくれている。それはいい。そこに全く不満はない。

 ただ、エルセットは・・・。


「僕をお兄ちゃんって呼んでくれる、弟か妹が欲しい・・・」


 お姉ちゃんとお兄ちゃんはもういるから構わない。だけど自分だって、去年の服が小さくなったのだ。つまり、大きくなったということだ。なら、そろそろ頼りになるお兄ちゃんをやってみたい。

 それが、最近の願い事なのだ。


「そうかしら? 私はお兄ちゃんが欲しかったけど。ユールス、あなたはどう思う?」

「うーん。弟ならエルセットがいるって感じだし、僕は特に不満なんてないなあ」


 そんなエルセットの思いだが、レジータとユールスにはあまり伝わらない。二人にしてみれば、まだまだ小さいエルセットが、背伸びして「お兄ちゃんになりたい」と言い出すことすら、可愛いだけだったのだ。

 しかし、本気でエルセットは弟か妹を欲しがっている。


「しょうがないわねえ。・・・あのね、エルセット。そういうことは、お父さんとお母さんにお願いしなくちゃ駄目なのよ?」

「さすがにタンポポの花をとってくるように、赤ちゃんはとってこれないからなあ」


 そうしてレジータとユールスに相談した結果、エルセットは母のルーナに言ってみることにしたのである。






  ルーナを探して一つ一つの部屋を見ていく。今日のルーナは、一階の一番奥の部屋にいたらしい。

 扉からそっと顔を覗かせたエルセットに気づいて、笑いかけてきた。


「あら、エルセット。ほら、見てちょうだい。可愛いでしょ? あなたの大好きなトンボ模様のお洋服を作るのよ」

「うわぁ、トンボッ!?」


 ルーナはエルセットの服を縫っていたらしい。手にしていた水色の布を見せてくる。

それにトンボの刺繍をしてくれていたのだ。その布の中では、既に赤や緑のトンボが飛んでいた。

 エルセットは大喜びで母の膝に飛びついた。


「僕ねっ、僕ねっ、青色のトンボがいいのっ」

「いいわ。じゃあ、一番大きいのは、青色のトンボにしましょうね」

「うんっ」


 ルーナの膝にもたれながら、エルセットは母が刺繍するのをじーっと見ていた。ルーナやロシータの手は魔法使いみたいだと思う。何もない場所に、糸を使って模様を作っていくのだから。


「ねえ、お母さん」

「なあに?」

「裏のお庭にね、キャベツ、植えてもいーい?」

「キャベツ? いいけど、・・・キャベツが食べたいなら買ってきてあげるわよ。そうしたらすぐに食べられるでしょ?」

「ホントッ!?」

「ええ、本当よ。・・・あ、危ないから布には触っちゃだめよ、エルセット。針がついてますからね」


 ルーナは立ち上がり、エルセットから少し離れた机の上に布を置くと、廊下まで顔を出して通いで来てくれている使用人の一人に声を掛ける。

現在、この屋敷には男三人、女二人ほどの使用人が通いでやってきている。そのうちの一人に、今日はキャベツを買ってきてほしいと言うと、その使用人はにっこりと笑って了解した。


「あのねっ、あのねっ、買ってきたら最初に僕に見せてくれるっ!?」

「ええ。いいですよ、エルセット坊ちゃま。では、買って参りますね。今晩はキャベツのお料理にいたしましょう」


 その時点では、そんなにエルセットはキャベツが食べたいのかと、ルーナも使用人も思った程度だった。少し早かったが、ついでに買い出しを全て済ませてこようと思ったのだろう。

「では、今日はキャベツとお肉を買ってきてスープにしましょうか、奥様?」

「そうね。エルセットはまだお肉を噛み切れないから、この子の分は小さく切ってあげてね」

「はい」

と、そんなやり取りをしてから、彼女が買い出しに出て行く。

 その後ろ姿を見送りながら、エルセットは玄関まで出て行った。


「何をしてるの、エルセット? そんな所に座って」

「キャベツが来るのを待ってるの。ねえ、お母さん。キャベツって凄いよね」

「・・・そーお?」


 子供はいつだって不思議の国の住人だ。

 大人には分からないものを、子供の瞳は常に見ている。

 キャベツの何が凄いのかは分からないが、エルセットはキャベツを玄関に座って待つ気らしいと悟り、ルーナは首を傾げた。


(まあ、いいわ。そのまま蟻の巣を見てるだけでしょうし)


 玄関を出た地面には蟻の巣穴があり、エルセットはそこにせっせと蟻が餌を運んでいるのを見るのも大好きなのだ。玄関で座っている分には問題なかろうと、ルーナは刺繍の仕事に戻った。

 やがてルーナが刺繍を終える頃には、買い出しに出た使用人も帰ってくる。


「お帰りなさい。ね。キャベツ、見せて」

「まあ、エルセット坊ちゃま。ずっとそこで待っていらしたんですの? なら、一緒にお買い物に行けば良かったですわね」


 そんなに楽しみにしていたなら連れていってあげればよかったかと、そんなことを思う彼女だったが、エルセットは「ね、早く早く」と、キャベツに手を伸ばす。


「ええ、どうぞ。坊ちゃま。だけどまだ食べちゃいけませんよ?」

「食べないもんっ」


そのキャベツを受け取ると、エルセットは上から下から、キャベツをじーっと眺める。そして葉と葉の間に手を突っ込んで探りながら、やがてキャベツの葉についた虫しかいないと知ると、涙目になった。


「ど、どうなさったんです、坊ちゃま?」

「・・・いないの」

「どうしたの、エルセット? キャベツでしょ、これ。あなたが食べたがった・・・」


 使用人だけでなく、窓からその様子を見て玄関に出てきたルーナも、驚いて尋ねる。


「違うもんっ。食べないもんっ」


 キャベツはそのまま台所に運んで夕食に使うようにと命じ、ルーナはえぐえぐと泣きだしたエルセットを抱き上げて部屋に戻ると、改めて尋ねた。


「キャベツと他のお野菜を間違えちゃったのね、エルセット。だけど買って来たんだから、今日はキャベツを食べるのよ? 好き嫌いはいけません」

「違うもん。赤ちゃん、探してただけだもん」

「・・・赤ちゃん?」


 ルーナは目を丸くした。・・・そう言えば、先日、エルセットに赤ちゃんはどうやって生まれてくるのかと訊かれて、「キャベツ畑に行ってお祈りしたら、赤ちゃんが生まれるのよ」と、答えた覚えがある。


(ま、まさか・・・)


 いつか、性教育をする日がくるだろうとは思っていた。が、しかし。こんな小さい時点で、こういう問題が起きようとは。

 ルーナはどうしたものかと、心の中で脂汗を流す。


「赤ちゃん・・・。他のキャベツならいるのかなあ。赤ちゃんの入ったキャベツを売ってくださいって言えば、売ってくれるのかなあ」

「・・・・・・」


 そんなキャベツが市場で売られる日は来ないだろう。大体、キャベツ畑で全てのキャベツを探しても、見つからないに違いない。・・・子供だましの話だから、当然だとはいえ。


「やっぱり、キャベツ畑を作らなきゃいけなかったのかなあ。お母さん、キャベツを育てたら、赤ちゃん、来るかなあ」

「・・・・・・お父さんに訊いてみなさいね」


 ルーナは、カロンにその問題を丸投げした。




 その日、数日ぶりに帰宅したカロンは、涙目になったエルセットから「キャベツ畑、作ってぇ」と、頼まれて、目を丸くした。


「そんなにキャベツが好きだったのか? だけど、今日のスープ、キャベツを一枚一枚眺めて、なかなか食べようとしなかっただろう、エルセット。キャベツが嫌いなのか?」

「違うの。キャベツ畑を作ったら、キャベツの中に赤ちゃんが出来るの」

「・・・何だ、それは」


 カロンは、親が子供に言い聞かせる、キャベツ畑に赤ちゃんがやってくるという話を知らなかった。


(キャベツ畑の中に捨て子がいたというのであれば、分かるが・・・)


 しかし、周囲の視線を感じて顔を上げると、ルーナの非難するような瞳と、困ったようなキルケイドとロシータの笑顔がそこにある。

 だが、自分はそんな表情だけで全てを察することなど出来はしないのだ。カロンはそう思い、事情説明を求めようとした。エルセットのことなら、いつも面倒をみてくれているレジータとユールスの方が詳しいかもしれない。

 そう思って、カロンは二人の姉弟へと視線を向けた。

 だが、レジータとユールスは、まるでカロンならこの問題をどうにかしてくれるに違いないとばかりに、何故か信頼感たっぷりの顔をしているのだから、一体、自分に何を求めているのやら、である。


「今日のキャベツに赤ちゃんはいなかったの。だからキャベツ畑、作ってぇ」


 思い出したら悲しくなったのか、エルセットがカロンに抱きついてくる。赤ちゃんキャベツ、つまり芽キャベツのことだろうかと、カロンは首をひねった。

そこで、見かねたロシータがカロンに簡単に説明する。エルセットが弟か妹を欲しがり、それをルーナに相談し、そしてルーナがキャベツ畑で夫婦がお祈りしたら子供が授かるという話をしたということを。


「なるほど・・・」


 カロンは納得した。全てはルーナの苦し紛れな話が悪いということだ。

 子供が授かったというのであれば、その夫婦がキャベツ畑でしていたのはお祈りなどではなかろうと思いつつ、カロンはさてと、考え込んだ。

 なかなか難しい問題である。

まずは時間稼ぎの為に、キャベツ畑を作ってみるにしても・・・。






 子供が寝ついたら、大人の時間だ。

 カロンとルーナは、エルセットが夢の国に旅立ったのを確認し、大人としての話し合いに臨んでいた。


「だから、お前が勝手に適当な男を見繕って妊娠すればいいだけだろう。別によその男の子でも構わん。ちゃんとうちの子供として育ててやる」

「ふざけんじゃないわよっ。どうして私が男漁りなんてしなきゃいけないのっ。それならあんたがどこかの女に産ませればいいだけでしょっ。大体、ちょくちょく娼館に行ってるの、私が知らないとでも思ってるのっ」

「それこそ、お断りだ。あんなの、その場限りで済ませてるだけだろう。自分の子供なんぞ産ませるつもりはない。毎回、相手だって違うっていうのに、何をどうしろと言うんだ。・・・その点、貴族なんざ、舞踏会の度に浮気しまくってるじゃないか。お前だって舞踏会にでも出掛けて、そのまま孕んでくればいいだけだろう」

「男なんて嫌いだって何度言わせるのっ」


 ばしっとルーナは机を叩いた。どうして嫌いな男に自分が身を任せなくてはならないのか。

 しかし、カロンとて譲れないものはある。


「無茶を言うな。百歩譲って、俺がよその女に産ませたとして、お前が妊娠していなきゃ意味がないだろう。お前の腹が膨れてもいない状態で、ある日、いきなり赤ん坊を連れて帰って、『ほーら。お前の弟だよ』と言って、誰が騙されるっていうんだ。エルセットが騙されてくれるのも、もって二年程度だろう。お前が妊娠するしかない、それは絶対だ」


 それを指摘されると、ルーナも反論できない。そう、赤ちゃんがキャベツから生まれてくるわけがないことに、エルセットだっていずれ気づくだろう。

 妊娠するとしたら、ルーナでなくてはならないのだ。

 問題は、その相手である。ルーナは黙り込んだ。

 そんなルーナに、カロンはさらさらと何かを書きあげると、渡してきた。


「何よ、これ」

「男娼を扱っている館だ。夫に相手にされない貴族夫人のお相手がメインで、顔もいいのが揃っているし、後腐れがない。色々とそういう場所はあるが、ここが一番いいだろう」


 街の見回りにも行っていたことがあるカロンだ。そういう店の場所にも詳しかったりするわけで、舞踏会のエスコートすら出来るぐらいに行き届いているといわれる高級男娼を揃えている店の地図を書いて渡したのである。

 だが、それはルーナの心を慰めたりはしなかった。一気にルーナの怒りが沸きあがる。


「あんたねえっ、エルセットのことでしょうっ!? 私にばっかり、嫌なことをさせんじゃないわよっ!」

「仕方ないだろう。男が妊娠なんぞ出来ないのは分かりきったことだ。なら、仕方あるまい。・・・まあ、彼女によく似た髪の色とか瞳の色とかを指定してみるんだな」

「・・・・・・・・・」


 ルーナにしてみれば、男というだけで、誰であってもお断りなのである。ルーナが望む人は一人だけだ。

それはこの男も同じことだろうが、しっかりこの男は、性欲発散は別だとばかりにやってきているのだ。

 ふざけろと言いたい。

 ルーナは、自爆覚悟でカロンに詰め寄った。その襟首をひっつかんで、顔を寄せて低くどすのきいた声で宣言する。


「一人だけ逃げんじゃないわよ。・・・勿論、あんたにも協力してもらいますからね。いーい? あんたは私との間に子供を作るのよ。エルセットの弟だか妹だかをね」

「・・・・・・正気か? いや、狂気か?」


 さすがのカロンも、ぽかんとなった。

ルーナに掴まれた襟が自分の首を絞めてくるが、そんなことよりも、今聞いた言葉の方が信じられない内容である。

いくら何でも、ルーナが自分との間に子供を作ろうとするとは、カロンにしてみれば「あり得ない」、それに尽きた。


「正気に決まってるでしょ。嫌なのはお互い様なの。なら、あんたもそれを半分受け持ってもらいますからね。大体、一人だけ逃げんじゃないわよ、このヘタレ男がっ」

「・・・って、だが、お前、俺だけは嫌だろうが」

「そうよ。あなたもね」


 その通りである。二人とも、お互いがお互い、絶対に嫌な相手ではあるのだ。

 だが、しかし。

 冷静になって考えてみれば、ルーナがよその男との間に子供を作っても、カロンがよその女に子供を産ませても、いずれエルセットが大きくなった時に、その事実がバレない筈がなかった。


「別に人間じゃなくても・・・。子犬じゃ駄目なのか?」

「そうエルセットに言いなさいよ」


 可愛がることが出来れば犬でも良かろうと、カロンが苦し紛れの提案をする。ルーナだって、出来ればそういうもので済ませてもらいたい。

 二人は相談し、次の日、早速仔犬をもらってきた。


「うわあ、仔犬だ。可愛い―」

「そうでしょ、エルセット。ね、この仔犬をあなたの弟だと思えばいいんじゃないかしら。可愛いわよねぇ。ほら、あなたにとっても懐いてるじゃない」

「えへっ」


 エルセットの手は、先程こっそりミルクを浸した布で拭いておいたのだから、仔犬が寄っていったのは当然である。仕込みは完璧だった。


「きっと赤ちゃんがきたら、この子も一緒に可愛がるだろうなぁ」

「・・・エルセット。仔犬はね、赤ちゃんが来たら、自分を愛してくれなくなるんじゃないかって悲しくなって嫉妬しちゃうの。だから、ね? この仔犬を飼うから、赤ちゃんは諦めましょ?」

「やだ。・・・なら、・・・なら、このコは諦める・・・」


 そうやって仔犬や仔猫といった動物でどうにかならぬものかと試したりもしたが、エルセットは頑なに弟か妹にこだわった。

 犬や猫は可愛いけれど、やはり自分をお兄ちゃんと呼んでくれるであろう弟や妹とは別だというのだ。

 よその家はどうしているのだろうと、カロンも友人に尋ねてみることにした。


「うちか? うちはユリーが『こういうことは神様が決めてくださることですもの』って言うし、特に何も考えなかったな。そもそも俺が結婚しただけで、うちの家族もそれでいいって感じだったし。うちの娘も、特に何も言わなかったぞ?」


 近衛騎士団のセイランドの意見は、あまり当てにならなかった。セイランドには娘しかいないが、彼は妻と娘のいる家は華やかでいいと、満足している。家のことは全て妻に任せているそうで、家族のことで煩わされることは何一つ無いのだとか。


「まあ、子供ってのはどこも数人作っておくな。何かあった時、一人だけってのは、かなり選択肢が限られる。うちのカレンの実家も、それで苦労したようなもんだ。だからうちは三人作ったぞ。それ以上は、今度は家督問題で揉めるだろうと思ったんだ。子供ってのは、少なくても多くても色々とある」


 そう、王都騎士団のロメスに言われ、覚悟を決めたカロンがルーナとの間に子供を作る決心をしたのは、それから数日後のことだった。

 ルーナに彼らの意見を話すと、ルーナもまた子供が一人という場合に起こり得るリスクを考える。

 

「そうよね。私達だってエルセットよりは先に亡くなるもの。実の弟か妹がいれば、支え合うことは出来るわよね」

「そうだな。その通りなんだが・・・」

「あんたと、ねえ・・・」

「それはこっちの台詞だ」


 様々なことを考えると、カロンとルーナの間に子を作るのが自然だ。それはその通りだ。

 とはいうものの、二人にもそれなりの葛藤はある。二人は揃って大きな大きな、そして深い溜め息をついた。






 家族計画とは、様々なことを考慮し、夫婦だからこそ言い合える相談を重ね、決めていくものだ。

 だが、カロンとルーナによる家族計画は、諦めと忍耐によって決定したと言ってもいい。

 かつて、妊娠する為に書かれた本をもらっていたことを思い出し、古い荷物の中からそれを探し出してきたルーナである。

 それを読んで、カロンもかなり目が泳ぐ。


「本当にこれで妊娠するものなのか? こんなことまでして、妊娠しなくちゃならんのか?」

「知らないわよ」

「この本の内容、本当に当てになるんだろうな?」

「知らないってば」


 ルーナだって、そんな内容を男に読まれるのは恥ずかしいだけなのだ。しかし、やるとなったら、なるべく最速で妊娠しないと、やっていられないではないか。


「というか、一発で出来る方法ってないもんなのっ!?」

「そんな方法が本当にあったら、どこの家でも家督問題は起きないだろうな」


 最初は、自分からカロンに協力しろと宣言したルーナだったが、土壇場になって往生際が悪いのはルーナの方だった。

さすがにカロンの方は、ルーナだと思わなければいいだけかと、娼館に行ったと思えば何ということはないと、割り切り始めていた。女と違って、男はそこまで相手にこだわらなくてもどうにかなる。


「お前から俺に協力しろと言い出したんだ。諦めろ。俺だって諦めてる」

「そりゃそうなんだけど・・・」


 ルーナに向かって、少しでも酔っていた方がいいだろうとワインの入ったカップを差し出しつつ、カロンは尋ねた。


「で、どっちがいいんだ? あの人が女を抱く時のようにしてもらいたいのか? それとも俺があの人を抱いていた時のようにしてもらいたいのか?」

「・・・何よ、それ?」


 ルーナは、カロンに尋ね返した。それがどういう意味なのか、すぐには分からなかったのだ。

 カロンだって鬼ではない。ルーナが今もサーライナを愛していることは知っている。ならば、せめてと思って提案しただけだ。


「あの人は女性を抱くこともあったからな。・・・体格が違い過ぎるし、性別も違うから、どうしても彼女と同じようにいかないことはあるが、やり方だけなら再現も出来る。それとも、彼女と同じように抱いてもらう方がいいのか? 相手が俺だと思わず、彼女の抱き方か、抱かれ方をなぞるのだと思えば、お前も少しは我慢できるだろう」

「・・・・・・ちょっと待って。・・・ねえ、あの人、女性も相手にできたの?」

「ああ。お前の道を踏み外させるわけにいかないからと黙っていたが、その通りだ」


 今となっては言ったところで問題ないと、カロンは頷いた。


「あんた・・・。私があの馬鹿と結婚する前、・・・ここに泊まりに来た日、あったわよね? あの時、あんた、全くそんなこと言わなかった、わよね? それどころか、まるであの人自身は女性に興味はないけど、それでも・・・みたいな口ぶりだったわよ、ね?」

「言っとくが、あの人は、浮気だけはしない。俺と結婚した時点で、全ては終わっていた。・・・あの人だって、どんなに迫られても、男爵令嬢であるお前の未来を閉ざす真似はしなかった筈だ」

「・・・・・・」


 ルーナは、サーライナのことを思い返した。知っている。そういう優しい人だった。

 だが、しかし。全て分かっていながら沈黙していたこの男だけは許せない。


「ふざけんじゃないわよっ。知ってて黙ってたなんてっ!」

「俺だって、知ったのはひょんなことからだ。大体、あの人がぺらぺらとそんなことを喋るか」


 そう言われてしまえば、その通りだ。それに、それを詰ろうにも、その相手は既に鬼籍に入った人だ。どれ程、「ひどい人」と、甘えて責めたくても、彼女はもういない。


「で、選べ。どっちがいいんだ?」


 ルーナはカロンを見た。たとえ、どれ程気に食わない男でも、それでも彼女の唯一の弟子とされた男である。誰よりも彼女の全てを知っている人間だ。


「あの人がしてたように、同じようにして」


 カロンは、灯りを吹き消した。それこそ月の光しか、部屋には届かない。


「分かった。体が違うのは許せ。だが、・・・やり方はなるべく似せてやる」


 たとえ、自分を差し招くその腕が彼女のものでなくても。

 その「怖がらないで。大丈夫」という言葉が、彼女のものじゃなくても。

 宝物のように自分の指に口づけるその優しい仕草すら、彼女の唇ではないのだとしても。


「ケリスエ様・・・」

「・・・姫。力を抜いて。何があろうと、あなたを傷つけたりしません」


 カロンなら決して呼ばない、ルーナへの呼び方。そう、彼女はいつもそうルーナを呼んでいた。違和感をなるべく感じさせない為だろう、カロンは吐息だけで語りかけてくる。

 最初からそのつもりだったのか、カロンは自分の手にも香油を薄く塗っていたらしい。普段はがさついた男の手なのに、滑らかに優しく、その指はルーナの肌を滑った。

 そしてその夜、直前に髭を剃っていたのだろう。その唇さえ、とても優しかった。

体重をルーナに乗せることもせず、本気でケリスエ将軍のやり方を、カロンはなぞってみせたのだ。


(・・・・・・ケリスエ様って、こういう抱き方をする人だったのね)


 目が覚めたら朝で、カロンはとっくにいなくなっていた。

 きちんと整えられた寝台で、ルーナは一人赤面した。普段のカロンではあり得ない、とても穏やかで、愛情と慈しみに溢れた時間だった。

 さすがは唯一の弟子であり、配偶者だった男だけはある。


(だけど・・・。どうしてあいつ、ケリスエ様の抱き方まで知ってたわけ?)


 それについては、訊かない方がいいのだろう。その理由を訊いたら、それこそ二度としてくれなくなるような気がする。

たとえ偽物でも、・・・いい。今となっては、それでもあの男程、彼女と同じことを出来る人間はいないのだから。

 少なくとも灯りを消せば、彼女に抱かれている夢を見られる・・・。


(あなたと過ごす夜を・・・。あなたとの間に子供を作るという夢を・・・)


 ルーナの頬を涙が伝って、シーツにぽたりと落ちた。

 あれから数年・・・。もう、彼女が亡くなった痛みも喪失感も、全ては薄れていっていたのに。それでも、思い知らされる。こんなにも、・・・今も、好きだということを。


(どうして、・・・忘れられないの)


 それでも二人は、次の日も同じ寝台に眠った。・・・もしかしたら、カロンは寝ていないのかもしれないと思ったのは、そんな形跡が全くなかったからだ。いつも、ルーナが目覚めたら綺麗に整えられた寝台に、自分だけが眠っていた。


「あんたは、それでいいわけ?」

「別に。・・・彼女を抱くように抱けと言われるよりマシだ。俺が愛したのはあの人だけだからな」

「あっそ」


 ルーナとしても、彼女のようにこの男に抱かれたいわけではない。きっとしつこそうだ。

 それぐらいなら、優しく愛情深かった彼女のやり方で抱かれる方がいい。


(そういう意味じゃ、こいつも凄いのよね。完璧主義っていうのか・・・。だけど、そこまでケリスエ様のやり方を知っているっていう意味を考えたら、ただの変態じゃないかしら)


 同じ寝台の中で、自分の妻の名を呼ぶルーナをどう思っているのか・・・。しかし、カロンはそういったことは何も口にしなかったし、そんな夜などなかったかのように振る舞っていた。

 そういう意味では、かなりスマートな男なのだろう。絶対、本人に言ってやる気はないが、ルーナもカロンがそういう意味では包容力のある男だと認めざるを得なかった。

 ルーナが妊娠したと分かるまで、お互いの体調やスケジュールといった都合がある日などは抜かしたが、それなりに二人は共に夜を重ねた。






 やがて、屋敷に産まれたばかりの赤ん坊の泣き声が響く。


「うわあ。赤ちゃん、男の子と女の子なのっ? すごーいっ。ねっ、ねっ、この子達が僕の弟と妹なんだねっ」

「ええ、エルセット様。あなたの弟と妹にあたる坊ちゃまとお嬢ちゃまですよ」


 産まれた双子を見て狂喜乱舞して喜んだのはエルセットだ。産婆も一仕事終えて、満足そうにエルセットへ赤ん坊を示した。


「良かったわね、エルセット。これであなたもお兄ちゃんじゃない」

「そうだね。良かったじゃないか。しかも弟と妹だなんて凄いよ」

「うんっ、一気に弟と妹なんだよ。びっくりしちゃった」


 レジータとユールスに肩を叩かれて、エルセットも照れくさそうな顔になる。

 ただ、そこで三人は変な顔になった。


「ただ、この赤ちゃん達って、・・・・・・変な顔してるんだ」

「言われてみれば、・・・さっきから気になってたんだけど、サルに見える、かも?」

「何てことを言うの、ユールス。・・・だけどちょっと、独特の顔、かしら?」


 どんなに贔屓目に見ても、産まれたばかりの赤ん坊達は、変な赤ら顔だったのだ。

 そこを産婆が、ほほほと笑って子供達の疑問に答える。


「産まれたばかりの赤ちゃんは、みんなこんな顔をしているものなのですよ。一日ごとに、可愛らしい白い肌になり、そして皺も伸びて綺麗なお顔になりますよ」

「そうなんだ、・・・良かったぁ」


 エルセットがほっとしたような声になる。さすがに、こんな顔のまま育ったら可哀想だとも思っていたのだ。しかし、心配はいらないらしい。


「お疲れ様。ありがとう、ルーナ」

「とっても痛かった。・・・も、二度と産まない」


労いの言葉をかけるカロンに、ルーナは断言した。


「まあ、これでエルセットも満足しただろう。もう、いいんじゃないか?」

「当たり前よ。・・・これ以上、必要だって言うなら、あんたが産めばいいのよ」


こんなにも出産が辛いものだとは知らなかったルーナである。恨みをこめてカロンを睨みつけた。


「ルーナ様。カロン様にまたそんなことを・・・。お産が痛いのは常識です」

「ロシータは黙ってて」

「大丈夫だ。気を遣わないでくれ、ロシータ殿。ルーナの我が儘は今に始まったことじゃない」


妊娠する為の夜以外、常に寝室は別という二人の実態を知っていたロシータは、複雑そうな、そして気の毒そうな瞳を、カロンとルーナに向ける。


(本当に、妊娠する為だけだったのね。このお二人・・・)


 ロシータにしてみれば、どうしてルーナがカロンに惚れないのかが、不思議でならない。カロンはかなり紳士的で落ち着いた、素晴らしい男性だというのに。

 今も尚、亡くなった妻のことを想い続けている、そんな愛情に溢れた優しい人だ。

 そんなロシータに気づいたか、カロンが微笑んだ。


「出産後、ひと月は体を休ませた方がいい。ロシータ殿には、ルーナの世話でかなりの面倒をかけることになるだろう。使用人の数を増やした方がいいと思って、明日から更に二名程、通いで来てもらうように手配しておいた。そちらは、お宅の家のことをさせるのに使ってくれ。レジータにしわ寄せがいくのは可哀想だ」

「ありがとうございます、カロン様」


 本来、そういうことは屋敷の女主人の管轄なのだが・・・。

 ロシータは、咎めるような視線をルーナに送る。ルーナは、黙ってふて寝することにした。まだ、体が動かないのだ。


(どうしてロシータってああも騙されやすいのかしら。大体、何が使用人を雇っておいた、よ。ケリスエ様と暮らしている時は、二人っきりで人目を気にせず暮らしたいからって使用人なんて一人も雇わなかったくせに、今となっては使用人が何人いようが気にしないってところに、この男の身勝手さが全開だって分からないわけっ? 冗談じゃないわよっ)


 そんなルーナの耳に、エルセットの声が響く。


「お父さん。・・・お母さん、寝ちゃったの?」


 まだ寝てはいないが、今のルーナは体を起こすのも辛い。せめて顔だけでもエルセットの方へ向けようと思ったが、カロンが動く方が早かった。

 カロンがエルセットを抱き上げたのが、目の端に映る。


「ああ。お母さんは、赤ちゃんを産むって大変なお仕事をして、今は疲れてしまったんだ。女の人が子供を産むのは命懸けで大変なことなんだよ。お母さんの目が覚めても、しばらくは寝台で眠り続けるしかないんだ。だから、今は騒がずに休ませてあげなさい」

「えっ、そうなのっ!? お母さん、大丈夫なのっ?」

「そうだな。・・・お母さんが元気になるまで、エルセットがお母さんを支えてあげるんだよ」

「うんっ」


 そう教え諭し、エルセットを連れてカロンが部屋を出て行く。

 ああ、エルセットはなんて可愛い子なんだろう。

 ルーナは壁の方を向いて、目を閉じた。


(全くもって、あの男の子供とはとても思えない。きっと、ケリスエ様はお一人であの子を作って産んだに違いないわ)


 そんなことを思っていると、寝台にそっと赤ん坊達が差し入れられたのが分かる。

 目を閉じたまま、ルーナはその赤ん坊達の側に体を反転させた。


(だけど疲れた。いいわ、今はこの子達と眠りましょう。・・・ケリスエ様、あなたにこの子達を見ていただきたかった)


 二人の赤ん坊に手を添えて、ルーナは彼女の姿を思い浮かべた。

 きっと彼女はいつものように笑って、「いい子達ですね。姫によく似て可愛らしい」と、抱き上げてくれただろう。そうして、誰よりも優しいあの笑顔で、祝福の言葉を掛けてくれたに違いない。


「ルーナ様? まあ、眠ってしまったのですね。では、お水は枕元に置いておきましょう」


 水を飲ませようと持ってきたロシータは、眠りについたルーナの額に浮かぶ汗を拭った。

 産後の紅潮した頬は、それでも母となった誇りに輝いている。


(それでも、良かった。ルーナ様もこれできっと・・・)


 ルーナの最初の結婚はあまりにも悲しいものだった。違う場所に暮らしていて妊娠できないのは当たり前だというのに、跡取りも産めない女だと、姑である子爵夫人に何度も罵られていた。

 しかし、こうやって今、二人の子供を産んだルーナだ。二度とそんな石女(うまずめ)などと言われることはないだろう。

大体、子供を孕むかどうかなど、女だけの問題ではない。男に問題がある場合だって多いことは、再婚した女が途端に妊娠することでも明らかではないか。

布に包まれた双子の赤ちゃんに、ロシータは微笑みかける。


―――ねえ、姫。きっとあなたのように、素直で健やかにこの子達も育っていくでしょう。太陽に愛されたあなたのように。


 ふわりと、風が窓から入り込み、ルーナ達の頬を優しく撫でていく。

 双子の一人が、包まれていた布から出していた手を少し震わせる。


「窓、閉めておこうかしら。冷えたら大変ね」


 ロシータは、上掛けを掛け直すと、そっと窓を閉める。


「おやすみなさいませ、ルーナ様」


 いつの間にか微笑を浮かべていたルーナを起こさぬよう、ロシータはそっと部屋を出て行った。

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