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24 孤独な玉座(嘘つきな子爵)

○月×日

匿名X:前将軍復帰、おめでとうございますっ! 女らしくなっててびっくりしました。皆、遠慮なく羨ましがってくれっ。俺、護衛隊に入れましたっ!


匿名A:てめえっ、俺は落ちたんだぞっ。

匿名X:かなり枠が小さかったからな。俺もダメ元志願。

匿名B:めっちゃくちゃ将軍と部隊長達が機嫌いいよな。今回は立場上、クネライ将軍と部隊長達が護衛隊長より上位じゃねえか。けど、しっくりまとまってんだよ。一人、女が混じるだけでこんなにも団結できるのかって思った。

匿名C:第六部隊長はかなり落ち込んでるけどな。だけど俺も久しぶりに会えて嬉しい。昔と違って、優しく笑ってくれるんだよな。

匿名D:第六部隊長はな、仕方ねえよ。うちの部隊長は機嫌いいし、俺はそれでいい。このまま復帰してくれりゃいいのに。

匿名A:同感。俺、部隊長の為なら死ねるけど、あの前将軍といれば決して死なねえし負けねえって思えんだよ。あれって不思議だよな。



 パストリア王国の、亡くなった正妃が産んだ王子ルーゼンメイル。彼は、白に近い金髪と緑の瞳の持ち主だった。

 だが、正妃が亡くなり、ルーゼンメイル王子のパストリアにおける先行きはかなり暗い。


(まだ、姉上がローム王妃であることが救いか。・・・お互いに人質にされずに済む。とはいえ、ロームが姉上を売ったら終わりだが)


 ルーゼンメイルとて、自分の置かれた立場は分かっていた。母であるパストリア正妃は、ラファイ王国出身だったからである。ラファイ王国がほとんどなし崩しに潰れた以上、正妃としての価値はもうないとみて暗殺されたのだろうと、母の死についてもルーゼンメイルは理解していた。


(そしてロームにとっても姉上の価値はなくなった筈。ましてや子供も産めぬ王妃では。・・・・・・こんなことなら、会える時にお会いしておけば良かったか)


 思い起こせば姉王女との思い出は・・・・・・、うん、ムカつくことばかりだったと、ルーゼンメイルの感傷は、瞬く間に美しい家族愛から、積もり積もった恨みへと変化する。

 姉であるレイリアーネ王女は、本当に考えなしな人だったからだ。悪気はないのだが、やらかすことが、後先を考えていない。ついでに、反省はしてもその場限りで後は忘れ去ってしまうという、真面目な人間にとっては存在を許せない思考パターンの持ち主だ。


(だけどそんな姉上が、・・・憎めなかった)


 感情を隠して生きる人ばかりの王宮で、その頭のわる・・・いや、感情を隠さずに生き生きとした笑顔を見せる王女の姿は、一服の清涼剤でもあっただろう。彼女が過ぎ去った後には、嫌でも笑ってしまうものがあったものだ。しかめっ面の重臣ですら、苦笑せずにはいられなかった。勿論、後でお説教もされていたが、反省はしない王女だった。・・・・・・それだけに、他の異母妹からは妬まれてもいたようだが。

 ローム国王が、そんなレイリアーネよりも十近く年上で、落ち着きのある男性で良かったと、それだけはルーゼンメイルも思ったものだ。あんなアホ・・・いや、天真爛漫なレイリアーネを、可愛いと思ってくれる時点で、かなりの包容力があるとしか言いようがない。

 政略結婚でしかなかったが、あのローム国王を義兄と出来る自分も嬉しかったものだ。・・・・・・その親しく言葉を交わした場所がローム王宮で、自分が女装させられていた為に名乗れなかったという、不愉快な事実を忘れ去ることができたら、本当にあれは良い思い出だった。


(最後に、お会いしておきたかった。一度でいい、義兄上(あにうえ)って呼んでみたかったな)


 けれども、それ以来ルーゼンメイルはローム王国を訪れてはいない。あまりの恥ずかしさに死ねるからだ。

本当の自分の異母兄弟達とはあまりに仲が悪く、兄弟だと思ったこともなかった。けれども姉よりも年上のローム国王は大人の男性で、少年だったルーゼンメイルにも頼もしく映ったものだ。


(全ての国が国として機能していたならば、・・・姉上の産む子は、様々な王室の流れを汲んだサラブレッドだっただろうに)


 ラファイ王国とパストリア王国、そしてローム王国といった三つの王室の血を引く、王族の中でも特に価値のある子だっただろう。けれども、レイリアーネは子を産めなかった。

 そんなことを考えていたルーゼンメイルだったが、閂を外から掛けられている扉がノックされる。

 しばらくして入ってきたのは、体格の良い騎士達だった。


「ルーゼンメイル様。ロームとの戦が始まります。姉君であるレイリアーネ様をお救いすべく、ルーゼンメイル様にも戦場へ、と」

「そうか」

「我々がお守りいたします。どうぞパストリアの王子として、先頭にて指揮していただきたいとのことでございました」

「分かった」


 どうせルーゼンメイルの意見など誰も求めてはいない。簡単に返事をすれば、騎士達もさっさと出て行く。


(この城での軟禁も終わり、か。次は戦場、ね。・・・どうせレイリアーネ姉上を云々(うんぬん)といった理由に私を使い、そして適当なところで殺すのだろう。あのバカ達を次の王にする為に)


 異母兄弟といえども、ルーゼンメイルはれっきとした正妃の産んだ王子だ。しかもその正妃はラファイ王国の王族である。今までは同じ王の子供であっても、自分達はランクが違い過ぎた。だが、ラファイ王国が混乱して崩壊し、正妃も亡くなったとあって、今になって愛妾達の産んだ王子達の王位争いが始まっている。


(まだ、苦しまずに死にたいものだ。もし姉上も価値がなくなったとロームから追い出されてしまうにしても、せめて王族の誇りだけは守られてほしいものだが・・・・・・)


 ルーゼンメイルは、自分と同じ白に近い金髪と緑の瞳をしたレイリアーネを思った。あれから久しく会っていないが、少しは大人の落ち着きを持てているのだろうか。

 ルーゼンメイルが軟禁されて不自由な生活におかれていても抵抗する様子を見せないのは、それによって自分の待遇を悪くしても仕方がないからだ。ルーゼンメイルは、もう覚悟を決めているからいい。けれどもレイリアーネは・・・・・・。


(姉上。考えなしのあなただけが不安です。・・・決してパストリアにだけはお戻りくださいますな。父王は病床にあり、パストリア王宮は佞臣(ねいしん)共が跋扈(ばっこ)し、愛妾を出した貴族共が権力闘争に明け暮れる場となり果てました。たとえ王子も王女も産めなかった王妃とて、まだロームにいれば命と誇りは守られましょう)


 ルーゼンメイルは、小さな窓の外に広がる空を見る。遠い空の下にいる、姉を思って・・・。






 戦場というのは、皆が荒々しい気分に染まり、どうでもいいことで争い、暴力が振るわれる。誰もが命の危険に怯え、その怯えを振り払う為に暴力へと没頭していくからだ。

そこに人間としての理性はない。生きる為にしか命を奪わない野生の獣に比べ、人間は必要もないというのに命を刈り取っていく生き物だからだ。


(だから、自国の民にでも略奪ができる。そして、弱き民は抗う術を持たない・・・)


 サーライナは、伝わってくる悲しみや怒り、そして絶望といった感情に頭を振った。久しぶりの戦場は、ローム国騎士団を離れていることもあり、かなりひどい感情で渦巻いている。


(ローム国騎士団も、離れている間にそういった状態に戻ってはいたが、・・・それでも私が顔を出している間に、かつて私がいた時のそれに近いところまで持っていけたしな)


 力は使っていない。そうカロンに言ったのは嘘ではない。

 だが、心が耐えきれない状態になる前に、無意識にそういった人の良心を呼び起こしてしまうようなものを自分が放っていたのは間違いないだろう。

 こうして、他の軍の感情に紛れていると、それがよく分かる。


(今の私は、制御する術がない。こうして僅かにでも力を使い続けている方が楽だ。・・・押し留めることも出来ないというのは、それだけ、私に気力が残っていないということなのだろう。けれどもカロン。お前の心に、せめて労わりだけでも届けよう)


 ここまで離れてしまうと、ローム国騎士団の中にいるカロンの気持ちなど分からない。

サーライナはカラスを集めて、空へ飛ばした。他の鳥だと、射抜かれて食料にされてしまうのだ。カラスはさすがに誰も食べない。




 よく晴れた空だった。


「うわ、すげえ」


 第六部隊の騎士、ジルードが驚きの声をあげる。つられてカロンの副官である騎士リールスも空を見上げた。ジルードもまたカロンの副官みたいなものだが、リールスの指導の下で動いているのだ。


「本当ですね。あんなカラスの大群、・・・凶兆でしょうか。ケイス部隊長、見てくださいよ、あれ」

「見てる。・・・凶兆じゃない、あれは」


 とっくにカロンは気づいていたらしい。

 眉を(ひそ)めるリールスに、カロンはそう言って否定した。


「じゃあ、吉兆ですか? けどカラスですよ?」


 ジルードが、空を見上げたまま、カロンに尋ねる。さすがに黒い鳥が群れになって飛んでくるのは、独特の雰囲気があった。


「別に吉兆でもない。・・・あれは、『頑張れ』ってことだ。ほら、パストリアの方向からやってきたカラスは俺達の上を二周して帰っていくだろう? ま、糞を落とされないよう、気をつけるんだな」

「カラスの激励、・・・ですか?」


 ジルードは胡散臭いと言わんばかりの顔になり、カロンの正気を疑ってその顔を見上げた。

 だが、そのカラスが帰っていく方向を、カロンはじっと眺めている。ジルードは、そんなカロンにそれ以上は話しかけられないものを感じ、同じようにカラスが飛び去った空を仰いだ。


(ライナ・・・。そりゃ嬉しいんですけど、嬉しいんですけどね。カラスはちょっと・・・)


 カロンは、周囲でカラスの大群に対して、「不吉だ」「呪われているのでは」「悪魔の使いか」といった声が交わされているのを聞きつつ、心の中で最愛の人にちょっと恨み言を言いたい気分になった。それでも知らず口角が上がってしまうのは、心に満ちる温かさのせいだろう。

 自分もついていくと言ったのに、潜入すると言い出した彼女はそれを却下した。

「お前が来たら、皆のレベルアップにはならんだろう。・・・おとなしくちゃんと仕事しとけ」

とか、言って。「けれども、カロン。お前の体は連れて行かないが、・・・お前の心だけは連れて行ってやるよ。それで我慢しろ」

と、彼女は続いて微笑んだ。その時は意味不明だったが、つまりはこういうことなのだろう。

 誰が分からなくても、自分には分かる。彼女が、あのカラス達の帰っていく方向にいるのだということが。

 離れていても、彼女がどこにいるのか、そして無事なのかがカロンにだけは分かるのだ。


(潜入してから四日・・・。元気なのだろう。ならばいい。ライナ、・・・何かあれば呼んでください。あなたが呼べば、俺はすぐに飛んでいく)


 そんなカロンに声が掛けられた。


「ケイス第六部隊長。ソチエト第五部隊長がいらしていただきたい、と」

「分かった。ソチエト部隊長に何かあったか? ソチエト殿は王妃様を守っていらした筈だが・・・」


 声を掛けてきたのは、ソチエトの部下だった。彼と共に歩き出しながら尋ねると、その男は苦笑を漏らした。


「いえ・・・。何もないのですが、何もないわけじゃなく・・・」


 困ったような男の様子から、特に問題が起きたわけではないと判断する。そしてカロンを迎えたのは、ソチエト第五部隊長もその場にはいたが、ローム国王その人だった。


「おお、来たか。ケイス第六部隊長。待っていたのだ」


 国王は、そう言ってカロンを迎える。用事があったのは、ソチエトではなく国王だったらしい。


「何か起きたのですね。それも、内密に動かねばならぬ何かが・・・」


 国王の名前ではなく、わざわざソチエトの名前を使って呼び出した以上、秘密裏に動かねばならぬ何かが起きたのだろう。ソチエトは王妃を守る任に着いている。となれば、事は王妃絡みか。

 カロンの体に緊張が走った。


「うむ。そなたでなくてはならん。頼りになるのはケイス第六部隊長、そなただけだ」


 見れば、国王の後ろで、ソチエト第五部隊長も目を伏せている。あの武勇の誉れ高きソチエトが己の無力さを嘆いているかの様子とは、余程のことが起きたのだろう。

 サーライナが不在にしているのは秘されている。だが、サーライナは護衛隊長として任命されているのだ。彼女の失点にならぬよう、カロンとてサフィヨールの親友だったソチエトを支えることに異存は無い。


「何なりと」


 カロンは力強く、国王に向かって頷いた。そう、離れていても彼女を支えられるのは自分だけだ。心は常に彼女と共にある。


「そう言ってくれれば何よりだ。・・・時に、ケイス第六部隊長。聞きたいのだが、妻への口説き言葉というのは、どれぐらいのことを言えば十分なのだろう?」

「・・・・・・・・・は?」


 カロンの頭は思考をストップした。何を言われたのか、分からなかったからだ。


「それこそ、ケリスエ前将軍を妻にしている君なら分かるだろう。是非、教えてもらいたい」

「・・・・・・」


 どうやら、自分の耳がおかしくなったわけではないようだ。国王は、王妃のことではなく、戦争のことでもなく、あくまで妻に対する口説き言葉をご所望である。

 カロンの心を、しらーっとした何かが通り抜けて行った。


「いや、ケイス第六部隊長。別にからかってるわけじゃなく、いや、それと言うのも、妃殿下とルーナ殿の会話を聞いてしまったことが原因でな・・・」


 ソチエト第五部隊長が、苦笑いしながらカロンに向かって補足してくる。よく分からないが、王妃とルーナとの会話により、国王がそんなことを思う何かが発生したのだろう。

 カロンは気を取り直したが、取り直せない何かがあることにも気づかざるを得ない。


(こんな王で、ローム国、大丈夫なんだろうか・・・・・・)


 カロンの脳裏を、ローム敗戦とか、ローム王家崩壊とか、ローム国の滅亡とか、そういったフレーズがよぎっていった。




 パストリアとロームの国境近くにあるシールルー平野。山に囲まれたそこは、のどかな草原が広がり、常であれば小鳥が歌い、兎が跳ね、山から下りてきた川には魚が泳ぎ、自然に生きる動物達が生を満喫しているものだ。

 けれども今、そこで睨み合う両軍のそれに、平常時の穏やかな風景は姿を消していた。


(ちょうどここは誰も来ないし、見物するにはいい場所なんだが、・・・パストリア寄りすぎて、気配が猛々しすぎる)


 サーライナは、ごつごつした岩山の陰から、のんびりとシールルー平野に陣を構えたパストリア軍を眺めていた。

 普通の山になら獣や枯れ木を調達しようと兵士達も入り込むが、岩山になっているこちらにはやってこない。しかも崖が急すぎて、この岩山からの襲撃もあり得ないと、ノーマークなのだ。

 おかげで、じっくりサーライナは見物することが出来ていた。


(あれが王妃の弟王子か。一応、武装はしてるようだが、・・・周囲にいる騎士も兵士も、どう見ても護衛ではなく見張りだな)


 さすがパストリアの王子だけあって、身につけているのは立派な鎧である。どこにいても目立つだろう。しかし、旗頭として先頭に立つ時以外は用無しとばかりに、天幕の中に押し込められているのだから、いくら豪華なものを纏っていようとも、まさに囚人でしかない。さすがに暇なのか、天幕の外には出てきているが、それでも周囲を布で覆われた場所からは出してもらえないようだ。

 サーライナは、寄ってきたカラスに干し肉を与えてやり、小さな花を刺繍した布を小袋に入れて、その足に引っ掛けた。


「さあ、お行き」


 カラスはルーゼンメイル王子の所まで飛んでいくと、少し離れた草地に降り立った。引っ掛けられている足が気持ち悪かったのか、その小袋をげしげしと乱暴に足踏みすることで外し、再び飛び立つ。

暇だったからだろう、そのカラスが落としていった小袋を王子が拾い上げる。サーライナはそれを確認して微笑んだ。


(ま、かなりぐしゃぐしゃになっただろうが、・・・それでも姉王妃の手による刺繍だ)


 少しはお守りになっているといいのだがと、目的を果たしたサーライナは大きな欠伸をした。

まだしばらくは暇だ。のんびりと休んでいよう。

肝心のルーゼンメイル王子は、いきなり自分の所にカラスが降り立ち、そして何かを置いていった為、(悪魔の使いかっ? これ以上、私にまだ何かあるのかっ?)と、お守りどころか、いささか不安にもなっていたのだが。

けれども小袋の中身を見れば、シルクの布に刺繍された花がそこにある。


(どこかでこの小袋に惹かれたカラスが、勝手に盗ってきてしまったのだろうか。だとしたら、本来の持ち主は探しているだろうに)


そんなことを思いながら、ルーゼンメイルは美しく刺繍された布をまじまじと眺めた。シルクの布は、滑らかな手触りだった。戦場に似つかわしくないそれは、恋人が戦いに赴く男に贈ったものなのか。いずれ持ち主が分かったら返してやろうと思い、彼はそっとそれを隠しに仕舞った。




 従順に軍の先頭に立ち、言われた通りに行動していたのが良かったのだろう。ルーゼンメイルは、護衛と言う名の監視こそ外せなかったものの、天幕の外へも出られるようになっていた。

 とはいえ、騎士や兵士達に話しかけることは許されていない。

 と言うのも、あくまでこの戦いはロームに王妃として嫁いだパストリア元王女を救い出す為のものだからだ。姉王妃を救い出そうとして義憤に駆られている筈の弟王子が、変なことを言い出すのは困る。

下位の騎士や兵士達には王族による王位争いのことなど知らされず、ルーゼンメイル王子は高潔な存在としてアピールされていた。

 どうせいずれは死んでもらうつもりなのだ。美談と共に亡くなってもらおうという腹である。


(負けるな、この戦・・・)


 戦争をよく知らぬルーゼンメイルですら、それには気づいていた。

 今の時点で何度も総当たり戦に近い戦いは繰り返されている。だが、それはローム軍による余裕が漂うものだった。パストリア軍が疲弊しきる夕方近くを見極めて、ローム軍は退いていく。それにあわせてパストリア軍も退くが、ローム軍のそれは大人が子供の遊びに付き合ってやっているというような余裕を感じさせていた。

 パストリア軍を率いる将軍達もそれに気づいているからだろう。

 ルーゼンメイルは戦いに出されなくなった。


(今も生かされているってことは、そういうことなのだろうな)


 恐らく、負けた時点でルーゼンメイルの首を、責任を取るという形でロームに差し出すつもりなのだろう。その為、早々とルーゼンメイルに死なれては困ると判断したのだ。

 

「おはようございます、王子様。騎士様方」


 小川の傍に行くと、傷病者の洗濯をしている兵士が挨拶してくる。ルーゼンメイルは鷹揚に頷き返した。親しく声を掛けると、かえってその者が外されていくからだ。

 だが、その男は兵士ながらも村で薬師の手伝いをしていたとかで、怪我人の世話にまわされていた。だからだろう、ルーゼンメイルを監視している騎士達も、その男に対しては神経をとがらせてはいない。

 その男は汚れた布を洗いながら、近くで火を焚いていた。その上に、鍋が掛けられている。


「何だ、これは。何を煮ている?」

「ああ、騎士様。それに近づかんといてください。ひっくり返されたら困りますんで。ちょっと山で獲ってきた獣と山菜とを鍋にしとるんですわ。怪我してる奴らはかなり体力が落ちてますからね。精をつけてもらわんと、治るもんも治りゃしません」


 配給の食事だけじゃ力も出ませんからなと、男は笑った。しかし、鍋からは美味そうな匂いが漂っている。それと見たからか、男は鍋の中身を少し掬って椀に入れて騎士に差し出した。


「味見程度ですが、良かったら」

「む。すまんな」


 やはり戦場では食べ物も限られる。騎士達は喜んでそれを受け取り、食べ始めた。あまりにも良い匂いだったのだ。それに、こんな場所ではさほど礼儀も重視されはしない。


「王子様には毒見無しではまずいでしょう。騎士様方が食べ終えてからどうぞ」


 やはり同じように椀を渡してくる。ルーゼンメイルも温かいそれを受け取った。

 食べ物の威力は大きかったと言うべきか。そして傷病者の治療に当たっているというのが大きかったせいなのか。戦場で常に腹を空かせている騎士達は、王子と共にその男に鍋物をふるまってもらうのを楽しみにするようになっていた。

 やがて、ある日のこと。

 同じように椀を渡してくる男だったが、騎士達の注意が離れている時に、王子へこっそりと話しかけた。


「俺は王妃様の手の者です。この小袋をお受け取りください。これを飲んだら、全身が痺れて動けなくなります。傷病者のテントに回されてくれれば、お逃がしできます」


 驚いてルーゼンメイルが男を見返そうとしたが、椀を渡した男はさっさと小川へと洗い物をしに去って行く。ルーゼンメイルの手の中には、赤い小袋だけが残された。


(王妃の手の者・・・。だが、姉上にそんな知恵があるとは思えん。これは罠か)


 けれども小袋の外には小さな花が刺繍されていて、それはかつてカラスが落としていった布に刺繍されていたものと同じ模様だった。


(敵か味方か、はたまた私を利用しようと考えた人間がいるのか。本当は誰の手の者だろう。・・・あのボケボケな姉上に、こんな小細工や根回しなど出来る筈もない)


 そう思い、ルーゼンメイルは頭を振った。

 けれどもルーゼンメイルの手の中には、かつて拾ったシルクの布と渡された小袋がある。

 その日も、同じように日中にだけ戦って夕方には終えるということが繰り返された。

 変わらない日々。しかし、誰もが全く傷つかないわけではない。そして糧食も減っていく。このまま首を斬られてロームに差し出されるのを待つよりは・・・。

 一晩考えこんだルーゼンメイルは、朝食が運ばれてくる前に、その小袋の中身を一気に飲んだ。


「おはようございます。ルーゼンメイル様。朝食をお持ちし・・・、王子っ、誰かっ、誰か来てくれっ。王子がっ、王子がっ!」


 集まってきた騎士達の声が響いても、体が痺れているルーゼンメイルは指一つ動かせない。


(ああ、先に(かわや)を済ませておいて良かった。・・・体が痺れると失禁すると言うしな。やっぱりお漏らし王子とは呼ばれたくない)


 人間、いざとなったら(きも)が据わるものなのか、そんなことを考えながらルーゼンメイルは意識を失った。




 パストリア軍に激震が走った。


「大変でございますっ。ルーゼンメイル様がお倒れになりましたっ」

「何だとっ!?」


 パストリア軍を率いていた将軍以下、貴族や大隊長は蒼白になる。必要とあれば、ルーゼンメイルの命を絶つようにと命じられていたものの、自分達に命令が下される前に亡くなられたのでは、今度は責任問題が発生するからだ。


「王子の具合にも気づかなかったのかっ!」

「何の為につけられた護衛だと思ってるっ」

「ええいっ、この無能共がっ!」


 すぐさま、王子の護衛に当たっていた騎士達が呼ばれ、強く叱責される。だが、昨日まで元気に過ごしていたルーゼンメイルが、どうして一晩の内に体調を崩すと思うだろう。騎士達とて、困惑するばかりで、その怒りを震えながら受け止めるしかなかった。

 そして王子は、今は意識もなく体が痙攣し続けているという。


「ここにいるのは従軍の医師だけです。近くの城にお運びし、きちんとした医師の手当てを受けていただくべきでは・・・」

「だが、移動する際に体力を消耗し、そこでお亡くなりになられてはどうなることか。それこそお体を動かした我らの責任を問われよう」

「早馬を出し、医師を呼び寄せるべきです」

「間に合うのか。・・・それこそ、ルーゼンメイル様にはお亡くなりになってもらう予定だったのだ。時期が早まっただけではないか」


 誰もが分かっていながら口にしなかった、ルーゼンメイルの殺害計画を一人が口にする。

 その場は、しんと静まった。その言葉に誘惑されたかのように、皆がお互いの顔を見回していく。


「それがパストリア貴族の仰有ることですかな、伯爵。・・・お忘れかもしれませんが、ルーゼンメイル様の同腹の姉君はローム国王妃。・・・もし、パストリアがロームに負けた日には、それこそルーゼンメイル様以外のパストリア王族とそれに与した貴族の方々はどうなるかもお考えになった方がよろしかろう。勿論、ルーゼンメイル様へ侮辱を働いた我らの命運も、です」


 重々しくルーゼンメイルの命こそが自分達の命綱だと一人の将軍が言い放ち、皆がそれに気圧されたように黙り込んだ。

 パストリア王宮からは、「まだ勝てんのか。毎日毎日引き分けとは何をやっている」と、矢のような勝利を促す催促ばかりが来ていたが、それはあくまで表面上の引き分けだ。戦場にいる彼らは、既にローム軍にとっては十分に余裕を残しているお遊びなのだと分かっていた。


「振動を伝えぬよう、沢山の布を敷き詰めた馬車を用意し、最寄りの城へとルーゼンメイル様をお運びしろ。早馬を出し、名医を集めるのだ。決してルーゼンメイル様が不快な思いをなさらぬように細心の注意をはらえと、城の領主にも徹底して伝えよ」


 やがて苦悩を孕んだ声が、騎士達に命じる。それに反対する声は、もう無かった。

 



 体は痺れて動かなかったが、自分の体が馬車に移されたのは分かる。

 ルーゼンメイルの耳は様々な声や音を(とら)えていた。ゆっくりと馬車が動き出す音も、周囲を武装した騎士や兵士がいることも、常よりも鋭敏になった耳が教えてくる。

そんなルーゼンメイルの顔や体をびしょびしょに濡れた布が這い回っていった。正直に言わせてもらえるなら、かなり不愉快だ。


「ルーゼンメイル様の様子は?」

「かなりお悪いようです。見てください、騎士様。ひどい汗です。髪もお召し物も、こんなにぐっしょりしておいでです。・・・これでは体の水分が全て抜けてしまいます。新鮮なお水を用意してください。それから、着替えの下着も」

「わ、分かった」


 どうやら、自分を濡らしたのは汗に見せかける為だったらしい。となると、看病に当たっているのも、あの男の仲間なのだろう。・・・パストリア王族としては、こんなにも内部に他の手の者が入り込めることを嘆くべきであろうか。

 馬車の窓から声を掛けてきた騎士が去ると、ルーゼンメイルの体を濡らした男が耳元で囁いてくる。


「この痺れはもうすぐ抜けます。ですが治らぬフリをなさっていてください。そして夜になりましたら、敷布の下に隠してある粗末な衣服にお着替えください。一緒にある(かつら)もかぶってください。あなた様の髪は夜でも目立ちすぎますから。夜陰に乗じ、あなた様を王妃様の元へお連れいたします。お分かりになりましたら、指を一回叩いてください」


 まだ体は動かなかったが、それでもどうにか指を小さく動かす。

 

(王妃様と言われても、・・・あの姉上のやることじゃないんだよな。だが、・・・ローム国王のすることだと言われるなら納得もできる)


 それともルーゼンメイルを擁しようとするパストリア貴族が黒幕だろうか。けれども、あのいけすかない異母兄弟達の好きにされるよりはと、ルーゼンメイルは思った。

 毒を喰らわば皿まで、である。

 やがて夕方には体の痺れも抜けた。目を開けると、そこには見知らぬ顔がある。

 ルーゼンメイルが目を開けられるようになったと知ると、男は黙って微笑んできた。指先を軽く唇に当て、黙っているようにと合図する。

 そして、敷布をそっと持ち上げて、ルーゼンメイルに服と鬘を見えるように示した。ルーゼンメイルも小さく頷く。


「誰の手の者だ・・・?」


 素直に答えるとは思わなかったが、小さな声でルーゼンメイルは尋ねた。男はほとんど空気を動かすだけの、馬車の周りにいる人間には決して聞き取れぬ声で、ルーゼンメイルの耳元で答える。


「ローム王妃の護衛隊長の指揮下、王子の救出に参りました。身元を証明するものは何もございませんが、護衛隊長からの伝言を、お伝え申し上げます」

「申せ」

「では・・・。『ローム国王は男性としての義弟との対面を望んでおられます。同じ花を刺繍した布を持っている者が味方の印でございます。どうぞお気をつけておいでくださいませ』とのことです」


 そこで「男性としての」を強調するのだから、念が入っている。


(・・・なるほど。たしかにロームの手の者だ)


 忘れてほしい黒い歴史を掘り起こされて、ルーゼンメイルは敷布に突っ伏した。助けてくれるのはありがたいが、痺れ薬は飲ませるし、忘れたいことは思い出させるし、その護衛隊長とやらは性格の悪い人物に違いない。

 横目で見れば、男も小袋と同じ刺繍がなされた手巾を腰につけている。


「夕方にはまた熱が上がったフリをさせていただきます。その為、夕食はあくまでスープ程度になるかと。夜には空腹になるかと思いますが、・・・安全な所に落ち延びましたら、何か用意いたします」

「よい。分かっている」


 ルーゼンメイルは目を閉じた。今は体力を温存しておくべきだ。

 やがて日も暮れる前に野営する地点に落ち着き、王子を護衛する一行は野営の天幕を張った。だが、王子は馬を外した馬車の中だ。その方が体に負担がかからないと思われたこともある。

 そして皆が寝静まった頃を見計らい、ルーゼンメイルはそっと手さぐりで敷布の下にある着替えを取り出し、それに着替えた。髪もまとめてから鬘をかぶる。

 そうして、何かが動き出すのをじっと待ち続けた。


「誰かぁーっ、野盗だっ、起きろぉっ」

「敵襲だっ、全員起床っ!」


 そんな慌てふためいた叫び声と共に、馬車の扉が小さく開かれる。


「どうぞこちらへ」


 全く聞き覚えのない声だったが、ルーゼンメイルはすぐに動いてその男に続く。

 男は馬車から少し離れた場所でルーゼンメイルに簡単な鎧を着せてくる。そして剣を持たせた。


「兵士を装ってください。さ、俺達と一緒に戦うフリを」

「分かった」


 ルーゼンメイルの傍に兵士が数名ついて、一人がルーゼンメイルの手を引いて誘導してくる。


「どこだーっ、野盗共っ。掛かってこいっ」

「どこにいるっ、臆したかっ」


 そんな怒声を彼らは発しながら、彼らは駆け出した。一緒に走りながら、その声の大きさにルーゼンメイルは耳を押さえたくなる。

 走っている男の一人が、ルーゼンメイルに忠告してきた。


「いいですか。誰かと斬り合う時は、『どこだっ』とか、『どこにいるっ』とか、そういう言葉をまず発してください。それが味方の合図です。離れている護衛騎士にその言葉が聞かれても、暗闇で良く見えてないながらも戦おうとしているようにしか思えない筈ですから」

「分かった」


 実際、「どこにいる」とか言いつつ、彼らは全く違う方向へと走って行っていた。革で作った鎧など着たことがなかったルーゼンメイルだが、音がしにくいので離脱しても分かりにくいことに気づく。

 ある程度離れた場所に来ると、男の一人がルーゼンメイルを抱え上げた。


「病み上がりですから、走るのもきついでしょう。夜の内に離れなくてはなりません。失礼を」

「すまん。私の体力がなさすぎるのだな」

「いえ。・・・気づかれたら追手がかかります。なるべく距離を稼いでおきたいのです。我々はパストリア軍へ志願する民兵を装い、これから元の場所へと戻ることになります。ご無礼の段は、無事にお届けした後で幾らでも謝罪を」

「よい。そこで謝罪を求める程、恥知らずではないつもりだ」


 星明りしかない中、彼らは馬もなく自分の足だけで移動していく。

恐らく襲われたことを報告する為なのだろう、夜にも(かかわ)らず、馬が戦場の方向へと駆けていったりもしたが、それこそ彼らは闇をいいことに姿を隠してやり過ごした。

 不謹慎かもしれなかったが、ルーゼンメイルは不思議な気持ちになった。こんな夜空の下、逃避行などとは。


「しかし、私を迎えに来て何の得があると? ロームにとって私など何の利用価値もあるまい」

「我々は護衛隊長の指示に従ったまでですので」


 話しかけてみると、パストリアの近衛騎士達と違い、フランクな様子で答えてくる。


「今まで私に接触してきた男達はどこに? 毎回、人が代わるのか?」

「王子と接触した人間は、周囲からも覚えられておりますから。自分の役割が済んだ時点でそれぞれにその場を離脱しました。一人であれば逃げ切れますので」

「・・・なるほど。最後まで私と共に、ではないのだな」


 やはり近衛騎士とは違うものだと、ルーゼンメイルは思った。鍋と痺れ薬を振る舞ってくれた男も、濡れた布で汗まみれを演出してくれた男も、とっくに一人で逃げ出したとは。

 だが、男は誇らしげに頷いた。


「はい。まずは生きて帰ること。それが最優先だと命令されております」

「誰に?」

「王妃様の護衛隊長です」


 この自分に痺れ薬を飲ませるよう指示した護衛隊長か。

ルーゼンメイルはげんなりとした。何だか、とっても会いたくない気分だ。

もし、現場の判断で痺れ薬を渡されただけで、本来はお腹をこわす薬という手段も用意されていたのだと知ったら、ルーゼンメイルは更に苦手な気持ちになったことだろう。

一晩かけて歩き続け、明け方になる頃には、それこそパストリア陣営のかなり近くにまで戻っていた。


「王子。こちらを肌に擦り込んでください。そして髪も汚させていただきます。万が一、鬘がずれて本来の色が見えては危険ですから」


 髪と肌を薄黒く汚すと、粗末な身なりのせいもあっただろう。王子とは到底思えない青年がそこにいた。


「シールルー平野の両陣営を迂回して参ります。王子、これからはあなた様にも歩いていただかねばなりません」

「ああ」

「では。これから我らは目立たぬよう、分散します。あなたは我々の一人と二人旅を装っていただきます。・・・もし、何かあってはぐれた時には、ローム国騎士団のソチエト第五部隊長、もしくはケイス第六部隊長をお呼び出しください。ですが、ローム国騎士団でしたら、どの部隊長でも問題ございません。・・・その刺繍のついた袋か布を見せればよろしゅうございます」

「ソチエト第五部隊長か、ケイス第六部隊長だな。分かった。だが、姉上の護衛隊長が今回の指揮を執っているのでは? 彼はどうした?」


 首を傾げるルーゼンメイルに、男は困ったように答えた。


「護衛隊長は、・・・・・・今回は高みの見物だそうです。恐らく今も我々を見守ってくださってはいるのでしょうが、そういうわけで、ローム軍の中にはおりません」

「・・・・・・」


 男は、困ったように頬を掻いた。


「何事も経験が人を育てるのだから、王子にも我々にも良い経験になるだろうと・・・。護衛隊長ご自身が出てきては、我々の成長にはならぬということでして。・・・ま、そういうわけですので、頑張って参りましょう、王子。大丈夫です、いよいよ危なくなりましたら、きっと護衛隊長が助けてくださいますから」

「・・・・・・・・・」


 つまり、何か? その護衛隊長とやらは、「助けに行くことは出来るんだけど、あえて放っておくね」というスタンスなのか?

 王子であるルーゼンメイルに痺れ薬を飲ませ、人の忘れたい記憶を(つつ)いて、顔も体も髪も真っ黒に汚して平民の格好をさせておいて、それでもって「経験が人を育てるよね」って言うのか?


(ふざっけんなあっ!)


 会ったら一発殴ってやる。

 ルーゼンメイルはひそかに拳を握りしめた。




 が、しかし。

 どんな意気込みも、肉体的な疲労の前には薄れていくものだ。


「なあ、シース。お前、よく元気に歩けるな」

「王子は足の裏も柔らかくておいででしたからね。仕方ありません。・・・ですが、辛かったら仰有ってくださいね? ちゃんと手当てしないと、ひどいことになってしまいます」


 ルーゼンメイルは、かなり疲労の色が濃い。シースと名乗った青年と二人で、頑張って歩けば一日で着きますよと、てくてく歩いているのだ。ローム軍の背後にまわって向かっているわけだが、それこそパストリアの追手もこんな方向へは来ないだろう。きっと今頃、ルーゼンメイルと親しかった貴族達の領地へと続く街道などを追跡しているに違いない。

シースは口調こそある程度フランクにしているが、その所作はそれなりにルーゼンメイルに対しての敬意を伝えてきていた。

 聞けば、以前はロームの近衛騎士団にもいたことがあるらしい。現在はローム国騎士団の騎士として所属しているのだそうだ。ルーゼンメイルの足取りがよたよたしていると気づいたら、すぐに足の裏に布を巻いて、少しでも足の負担が楽なようにとしてくれた。

今は歩きながら、枝を持ちやすく削ってくれている。なかなか気のつく若者である。


「え? 護衛隊長ですか? そうですね、何と申しますか、・・・強い人、でしょうか。今回、王妃様の為に護衛隊長といった肩書きが作られまして、私達もそれに配属されました。その肩書きはあくまで暫定的なものです。今までは普通の一般人としてお暮らしになっていらっしゃいました」

「一般人? そんな人間がいきなり姉上の護衛隊長になどなれるものなのか?」


 一体、どんな人事なのか。訳が分からない。


「一般人と言っても、かつては将軍として騎士団を率いていらした方ですので・・・。引退して屋敷におこもりになっていらっしゃいましたが、今回、王妃様の為に呼び戻されました。私は尊敬しております。こうして私が幸せに生きていられるのも、あの方のおかげですので。・・・だから今回、是非にと志願したのです」


 柔らかな笑顔で、シースはルーゼンメイルを見た。


「さあ、ここでちょっと休憩にいたしましょう。少し腹ごしらえしてから一眠りして、それからまた歩きましょうか」


 簡単に干し肉や固いパン、そして水で腹ごしらえすると、二人は木陰で横になる。

 疲れているせいで、深い眠りに入るのはすぐだ。そして目覚めると、見慣れた花の刺繍がされた小袋が二人の傍に落ちていた。


「いつの間に・・・。護衛隊長からの差し入れのようですよ、王子。袋の中に干した果物が入っています。あ、蜂蜜の飴も」

「・・・甘いな」


 二人で分け合いながら口に含むと、自然の甘みが広がっていく。

 普段はこんな物にそこまで感動しないのだが、疲れている体に、それはとても美味しく感じられた。

 だが、そんな物をくれるのなら、その前に馬に乗って迎えに来てくれてもいいのではないだろうか。

 その将軍だったことのある護衛隊長とやらは、かなり偏屈なジジイに違いない。

 ちゃんと見守っていると言わんばかりにこうして差し入れしてくれるのはありがたいが、ルーゼンメイルにしてみれば、何だか割り切れないものもあるのだ。


「なんだ、お前ら。どこのもんだ?」

「ああ。今、戦があるって言うだろ。だからそれに参加しようと思ってさ。うちの村もそこまで豊かなわけじゃないんでね」

「ああ、おっぱじまってんな。けど、もう遅いんじゃないのか? かなり日数がたってるぞ」

「しょうがないよ。馬なんて買える金ないし」


 たまに行き交う人に不審そうな目で問いかけられた時にはそう答え、二人はどうにかこうにか、夜になってから、ローム軍へと到着した。




 とは言うものの、ローム軍とて大所帯である。どうやら、辿り着いた場所は、そのローム国騎士団のエリアではなく、王都騎士団の野営地だったらしい。


「ローム国騎士団、第二部隊ヤンス小隊長配下の騎士シース・ロイエールです。ローム国騎士団へと戻りたいのですが、野営地はどちらでしょう?」

「ちょっと待て。そんな格好で騎士もクソもあるか。まずは問い合わせる」


 どう見ても兵士よりも粗末な格好の二人である。さすがに簡単には通してもらえなかった。


「いや。その二人の身元は確かだ。・・・私が案内する。問い合わせるには及ばない」


 そこへ、背後からそんな声が響く。驚いてシースとルーゼンメイルは振り返った。


「護衛隊長っ」

「よく頑張ったな、シース。惜しむらくは、まだ育ちの良さが抜けていなかったことか。だが、お前の丁寧な人への接し方は好感を呼ぶ。手当ての手際も、周囲への警戒も悪くなかった。木の枝を削って杖を作って差し上げたのも、良い判断だったな」


 途端に喜色満面になるシースだ。

 二人の背後に立ったサーライナに、深夜の見回りをしていた兵士も笑顔を見せる。騎士団の中にたった一人しかいないこの人を、知らぬ者はいないからだ。彼女の保証があるなら、問題はない。


「将軍・・・いえ、前将軍が保証されているのであれば問題ございません。どうぞお進みください。ローム国騎士団の野営地は右側奥になります」

「ありがとう。二人の格好を怪しまれるのは仕方ないが、特別任務でな。けれども、他騎士団の者であろうと、きちんと確認する手順をとっているあたり、王都騎士団の兵士はさすがだ。いや、頼もしいことだな」


 そう言われたら兵士も頬が赤くなる。

 シースと兵士を労ったサーライナは、ルーゼンメイルに小さく頷いて、「どうぞこちらへ」と、案内に立つ。こんな場所で、ルーゼンメイルの正体を明かす気はないということなのだろう。

 その後に続きながら、ルーゼンメイルは、何だかとても騙された気分になった。


(護衛隊長って、護衛隊長って・・・・・・、女だったのかっ)


 彼女は顔だけで全てを通過できるらしく、何も言われぬままに、どんどんと奥の方まで進んでいった。その姿を見るだけで、誰もが目礼してくる。何人かは、彼女の姿を見てから走り去ったので、誰かを呼びに行ったのだとも察せられた。

 そして、大柄な男が一人やってくる。


「ラ・・・ケリスエ護衛隊長。やっとお戻りになったんですね」

「ああ。カロン、悪いが湯を用意してくれないか? ・・・肌や髪の色を誤魔化す為にかなり汚していただいたからな。先に身なりを整えてからの方がいいだろう」

「分かりました。すぐに用意させます」

「ついでに身を隠せる布をロシータ殿の所に誰かもらいに行かせてくれ。今夜はまだその存在を知られたくない。知られたらゆっくりお休みにもなれんだろうからな」

「はい」


 別に(うやうや)しくしてもらいたいとまでは言わないが、何だかぞんざいに扱われているような気がしてならないルーゼンメイルである。

 やがて奥の天幕に湯を張った盥が運ばれ、ルーゼンメイルはそこで手早く体の汚れを落とした。シースがそれを手伝い、そこに出されていた簡単なシャツとズボンを身につける。

 さっぱりして出てきたルーゼンメイルを確認すると、護衛隊長はその前で膝をついた。


「この度はご不便な思いをおかけしました。まずはお詫び申し上げます。・・・私は、今回、ローム国王妃レイリアーネ様の護衛隊長に任命されました、ケリスエと申します。そしてルーゼンメイル王子におかれましては、我が部下を信じてついてきてくださいましたこと、心からお礼申し上げます」


 見上げてくる黒い瞳がルーゼンメイルを射抜く。


「今回のこれは、姉上の指図か? それともローム国王陛下の?」

「どちらでもございません。私の独断により、実行いたしました。陛下も妃殿下も、ルーゼンメイル王子がこちらにいらしていることは、まだご存じありません。王子が身なりを整えてから、お二方には連絡させていただくつもりでございます」


 ルーゼンメイルは目を大きく見開いた。

 何ということか。それでは・・・、自分はどういうことになるのか。

 敵として戦っていた軍の、形だけながらもそのトップが、勝手に敵軍へやってきてしまったことになる。まだ義理の兄弟としての救出劇だったならともかく、そうなっては人質にとられてしまっても仕方ないことになるだろう。・・・自分に人質としての価値はないが。


「ケリスエ護衛隊長とやら・・・。それは、・・・してはならぬことだ」


 ガンガンと目の奥で何かが響く。ルーゼンメイルは、どうするのが一番良いのかと、気が遠くなる思いで考えようとした。まさかローム国王が何も知らなかったとは。


「何故でしょう?」


 しかし、そこでサーライナは小さく首を傾げるのだから、話が全く通じない。


「一国の王子を連れてくるのに、自国の王と王妃とが知らなかったでは済まんだろうっ。何を考えているっ」


 そんなことも分からないのかと、ルーゼンメイルは怒鳴りつけた。


「私は、王妃の護衛隊長に任命されました。従って必要なことを成したにすぎません。王子がローム陣営にあれば、レイリアーネ様も何の憂いもなくローム国王妃として立てることでしょう。・・・王子、あなたがここに到着した時点で、馬鹿馬鹿しい引き分け遊びを続ける必要はなくなったのです」


 サーライナは立ち上がった。いつの間にか、周囲には何人もの男達が集まっていた。その存在感からして、騎士を束ねる実力者達であることが分かる。

 ルーゼンメイルは腹に力を入れる。自分はたった一人だ。・・・だからこそ、みっともない様は晒せなかった。


「王子、あなたがパストリア軍の中にいればこそ、あなたを見殺しにするしかなかったのです。けれどもあなたはここにいらした。・・・ですから明日、ロームの勝利が決定します。本気を出したローム国騎士団がいて、パストリアの勝利はあり得ません」

「・・・私を、パストリアの王子と知って、それを言うか」


 よくもぬけぬけと言ってくれたものだ。本当に王族に対しての敬意を知らぬ護衛隊長である。


「それが事実です。・・・パストリアはロームに戦争を仕掛けるべきではありませんでした。何の為に王妃がロームに嫁いできたのか、どうしてパストリアは戦う国ロームの庇護を受けていたのか、それを考えれば分かりきったことではありませんか。姉王女の婚姻はパストリアを守るものだったと、あなたも理解なさっていた筈です。そのパストリア元王女の献身を忘れ、驕ったパストリアは滅ぶべくして滅ぶのです」


 容赦のない言葉だが、その通りだった。


(パストリア王宮の人間よりもロームの人間の方が、姉上を評価してくれるのだなと思えば、複雑な気分になるものだが。・・・けれど、その通りだ。パストリアは姉上を差し出し、ロームの庇護を頼った)


 だから仕方ない。パストリアが滅ぶのは仕方がないことなのだ。

 自分をこちらへと助け出したのは、そのローム国王妃の弟をみすみす死なせるのも寝覚めが悪いといった理由にすぎなかったのだろうか。だが、ローム国王は何も知らなかった。そうなれば、自分はただの厄介者にすぎない。


「ケリスエ護衛隊長、そこまでにしてもらえませんかな。あなたは言葉がきつすぎます。・・・よくぞご無事でいらっしゃいました。ルーゼンメイル王子。私は、ローム国騎士団の将軍を任じられておりますクネライと申します。報告は聞かせていただきました。かなりお疲れのことでしょう。姉君の天幕に王子の天幕も用意しております。食事も運ばせますので、まずはお休みください」


 体格も良い、その割に人好きのする笑顔を浮かべた男が、ルーゼンメイルの前で膝をついて挨拶してくる。ケリスエ護衛隊長に対して苦笑している様子を見れば、彼女の言い方はいつものことなのかもしれない。


(王子と呼びながら、その国を負かすと言い切る人間を、・・・それでも今の私は、その人間の庇護下にあるというのか)


 ルーゼンメイルはその悔しさを、唇を噛むことで耐えた。パストリアの王族でありながら、しかも一時は次期国王とも看做(みな)されながら、そんな自分は一人でロームを頼るしかないのか。何と哀れなことだろう。

 そんな彼に、「失礼」と、背後から大きな布が頭からぱさりと掛けられる。それこそ、全身を覆うことも出来てしまう布だ。


「私はローム国騎士団の第五部隊長を務めておりますソチエトと申します。ようこそおいでくださいました、ルーゼンメイル王子。・・・これを羽織ってくだされば、男か女かすら分かりません。目立たず、移動もできましょう。・・・・・・全く、ケリスエ護衛隊長。お戻りになったのはよろしいのですが、あなたはどうも言い方がきつい。誰もがカロンのように打たれ強いわけじゃないのですぞ」

「私とて、ただのぼんくら王子ならこんなことは言わない。大人しく儚げな見かけだが、その王子は耳に心地よい甘言よりも、厳しくても真実の諫言こそを選ぶタイプだぞ?」


 心外だと言わんばかりのサーライナに、ルーゼンメイルは俯いていた目を大きく見開いた。淡い色彩と穏やかな風貌を持つ自分は、常に優しさと甘さしかないと思われることが多かったからだ。


「それはともかく・・・。さあ、王子。王妃様の所へ案内いたします。どうぞこちらへ」


 ソチエトは、年齢を重ねた渋みのある男だった。その男に促され、ルーゼンメイルは、姉の待つ天幕へと連れて行かれた。




 上には上がいるものだと、ルーゼンメイルは知った。


「まあっ、なんて可愛いんでしょうっ。ほら、王妃様。並んでくださいな。ルーゼ様は少しきつめで、王妃様は甘めで、それでいて色合いが同じだからタイプの違う姉妹みたいですわ。自信を持ってくださいねっ、ルーゼ様。大丈夫っ、今のあなたなら、そこらの男共を全て悩殺できましてよっ」

「せんわっ」


 ロームにあるフィツエリとやらの民族衣装らしい、体を覆う美しい布をかぶせられて連れてこられたルーゼンメイルは、休める筈が全く休めていなかった。

 というのも、二度と会えないと覚悟していたレイリアーネ王妃は、ルーゼンメイルを見るや否や、大泣きして抱きついてきたからだ。わんわんと泣き続ける姉を抱きしめれば、ルーゼンメイルも、世界にはもう自分達だけしかいないのだと実感する。少なくとも姉弟としての心の繋がりがあるのは自分達だけだ。

 そんな王妃にソチエトは苦笑して、運ばせた食事を指し示した。


「王妃様。王子はお疲れになっておいでです。まずは食事を召し上がっていただかなくては・・・」

「まあ、そうなの? いいわ、ルーゼ。私と一緒に食べましょうっ。大丈夫、姉様が食べさせてあげてよっ。・・・ほら、口をあーんして?」

「遠慮します。私は子供じゃありません」

「まあっ。しばらく見ない間に反抗的になっちゃって。・・・あんなに可愛がって育ててあげたのにっ」

「あなたに育てられた覚えはありませんっ」


 再会の感激も落ち着けば、そういえばこういう性格の人だったと、ルーゼンメイルも思い至らずにはいられない。レイリアーネは、ルーゼンメイルが食べている時も、嬉しそうにべたべたしてくる。正直、鬱陶しい。

 が、しかし。レイリアーネに関しては、自分の姉なのだから諦めがある。


「王妃様はどちらかというと単じゅ・・・いえ、素直でいらっしゃいますのに、弟君はひねた感じの性格でいらっしゃいますのね。姉と弟というよりも、兄と妹のようですわ」


 そんなことを言ってくるルーナという侍女は何なのだろう。王妃付き侍女といえば、まず言いたいことを言うような性格の人間ではなれないものなのだが。

 今までレイリアーネの思考と言葉ほど迷惑なものを撒き散らす女性はいないと思っていたが、それを上回る侍女がいるのだと、ルーゼンメイルは知った。

 こうなると、ローム王国の人事については、かなりその基準を疑わずにはいられない。


「ルーナ様っ。なんて失礼なことを。こちらの方はパストリアの王子様、高貴なお方でいらっしゃいます。王妃様はあなたの失礼な言動を許してくださいますが、他国の王子様にはきちんと礼をとってくださいませっ」


 うん、三人の内、まともなのはロシータという侍女だけだ。何となくではあるが、真面目な性格の人間同士、相通じるものを感じるルーゼンメイルだった。

そんなロシータは、ルーゼンメイルに、

「王子様。ようこそおいでくださいました。戦場とあって行き届かぬこともございましょうが、なるべくご不自由のないように、私共がお仕えさせていただきます」

と、顔を赤くして頭を下げてくる。

「女物の衣装というのはアレだが、たしかにベールが大きいせいで、中にどんな格好をしていても分からないというのはありがたいものだな。・・・顔も分からんが」

「そうでございますね。王妃様も、私共を装って、かなり出歩いていらっしゃいますが、かえってそれが気晴らしになっていらっしゃるようで良うございました。王子様も、もしも御身分を明らかにせずに出歩きたい時には、そうなさってくださいませ」

「なるほど」


 特に行動を制限する気はないということか。かえってパストリアよりも自由がきくのかもしれない。

 実際、ルーゼンメイルには剣も渡されていた。パストリアでは鞘と柄だけで、肝心の剣は付いていないものだったのだが、それを考えればロームの方がルーゼンメイルに対して配慮されていると言えるだろう。

 そんなルーゼンメイルは、王妃の天幕を提供されている。肝心の王妃は侍女の天幕にいるそうだが。


「つまり、王子様は王妃様の影武者ということですわ。もしも王妃様に無礼を働く人間がいましたら、遠慮なくその剣で返り討ちにしてくださって構いませんのよ?」

「ちょっと待て。ルーナとやら。そうなると、姉上は誰かに暗殺される危険性があるということか」

「ございませんわ。軟弱な近衛騎士団じゃなく、ここはローム国騎士団が守ってくださってますのよ。ましてやケリスエ様がお戻りになった今、世界一安全な場所ですわ。・・・きゃっ、ケリスエ様が戻られただなんて、私、こっそり『来てしまいましたわ』って押しかけようかしら、ふふっ」

「・・・・・・」


 ローム国の人間だけは、悲壮感とか、真剣さというものがないのかもしれない。自国の近衛騎士団を軟弱と呼ぶとは何たることか。

 ルーゼンメイルは、堅苦しいパストリアがちょっと恋しくなったような、そんな緩いロームが羨ましいような、そんな気分になった。


「ちょっと待ちなさいよ、ルーナッ。あなたは、私のっ、侍女っ、なのよっ。何をサボってどこかに行こうとしているのよっ」

「まあ、王妃様。私は、弟王子様と水入らずで話したいこともあるかと思って気を遣っているのでございますわ。ほら、ご覧なさいませ。王子様だって心細い顔をなさっていらっしゃるじゃありませんの。ここで王子様が頼れるのは王妃様しかいらっしゃいませんわ」

「え・・・? そう、かしら・・・? 大丈夫よ、ルーゼッ。姉様があなたを守ってあげますからねっ」


 尚、ルーゼンメイルは心細い顔どころか、さっきから無表情で食事に専念している。そもそも姉のレイリアーネほど頼りにならない人間はいない。


「いらぬ世話です、姉上。あなたがすべきは、自分の足元をよく見ることだけです」


 食事を終えたルーゼンメイルは、ロシータに頼んで王妃を連れていってもらうことにした。これでは全くもって休めない。夜明けまで長々とどうでもいい話を聞かされてしまうのがオチだ。

 だが、むぅっとふくれっ面で王妃が出て行ったかと思うと、天幕の外から、慌てたように人がやってくる音が響いた。


「王子が到着したと聞いたっ。(まこと)か、王妃っ」

「まあ、陛下。ええっ、ええ、本当ですわっ。サボリだと思ってたケリスエ護衛隊長は何て素晴らしい人なんでしょうっ。さすが陛下ですわ。私の為に、あんな有能な方をつけてくださるなんて」

「そうか。・・・良かったな、王妃。これでお前も泣かずに済む。お前がこっそりと泣いているのは、とても辛いものだった」

「陛下・・・。気づいておいででしたの?」

「勿論だ。それでもロームの王妃として誇り高く顔を上げているそなたは、とても立派だった。・・・よく、頑張ったな」

「・・・本当に、そう、思って、くださいます?」

「勿論だとも。やはりそなたは素晴らしい王妃だ。こんなにも美しく、可愛らしく、それでいて人の上に立つ資質を持った王妃などどこにもいない」


 労わる国王だったが、どう聞いても褒め過ぎである。だからあのバ・・・いや、姉上が調子に乗るのだと、ルーゼンメイルは脱力した。きっと、あの姉のことだ。今の気分は、天まで舞い上がっているに違いない。


「さ、夜も遅い。今夜はもう休みなさい。明日も弟君は、そなたと一緒にいられるのだから。寝不足な顔を見せられては、弟君も心配してしまうだろう」

「はい、陛下。おやすみなさいませ」

「ああ、おやすみ。明日には誰よりも美しい王妃の姿を見せておくれ」


 姉である王妃が去った気配を感じ、ルーゼンメイルも慌てて外に出ようとしたが、そこでひょいっと顔を出したのは他ならぬローム国王だった。

 ルーゼンメイルを確認し、「よくぞご無事で。お怪我はないか?」と、訊いてくるその姿には義弟を案じるものしかなく、「怪我など、全く・・・」と、答えた途端、天幕に入ってきたローム国王はルーゼンメイルを、「良かった」と、強く抱きしめた。






 正直、ルーゼンメイルはここまでローム国王が歓迎してくるとは思っていなかった。


「ルーゼンメイル王子。なかなか大変な思いをさせてしまったと聞く。お許し願いたい」

「いえ、そんな・・・。どうぞ、お顔をお上げください。ローム国王陛下」

「何と水臭いことを。あなたは我が王妃の弟、・・・出来れば、兄と呼んでもらいたいのだが」


 そう言いながら、少し赤くなっているローム国王である。弟のいない国王にしてみれば、王妃の弟であるルーゼンメイルはそれこそ子供のようなものだ。義理の仲ながら、弟というだけで可愛いと感じている。それは、ルーゼンメイルの容姿が、自分と違って儚げなこともあっただろう。


義兄(あに)(うえ)。・・・改めてご挨拶申し上げます。ルーゼンメイルでございます。婚儀の折はロームで行われたこともありまして、・・・また、その次は、・・・・・・いえ、きちんとご挨拶申し上げたいものだとは思いながらも、全くそれが叶いませず、こんな形ではございますが、お会いできて嬉しゅうございます。どうぞ私のことは、ルーゼとお呼びください」


 ルーゼンメイルも少し赤くなっている。

 以前会った折に、義兄に対して大人の男といった好意を抱いていたルーゼンメイルも、憧れる気持ちがあったからだ。自分がどちらかというと女顔に見られるせいか、まさに存在感のあるローム国王は、自分がなりたいと思っていた男の姿だった。

 そんな義理の兄弟の好意は、言わずとも伝わるようだった。


「うむ。では、・・・早速なのだが、明日は我が軍と共に参加してくれるだろうか、ルーゼ王子。幽閉されていると聞いていたあなたが戦陣に立たされるのは、ある程度の予測もしていたが、まさか攫ってくることが出来るとは思わなくてな。・・・そうなれば、ルーゼ王子。頼みがある」

「何でしょう、義兄上」

「パストリアの国王になってもらいたい」


 ルーゼンメイルの緑の瞳が大きく開かれた。このまま王妃の弟として、ロームで飼い殺しにされることを覚悟していたからだ。それでもパストリアの幽閉よりはマシだろうと思っていた。

 そんなルーゼンメイルに、ローム国王は、言葉を選ぶように説明してくる。


「レイリアーネには子がいない。側室を迎えはしたが、私に何かあれば、王妃の肩身はかなり狭くなるだろう。だが、その弟がパストリアの国王ならば、話は別だ。たとえ子がおらずとも、王妃の尊厳は保たれる。・・・ルーゼ王子。レイリアーネの為に、私と共に、他の兄弟王子を討ってもらえないだろうか」


 それは、質問ではなかった。ルーゼンメイルは静かに深呼吸をした。


「その為に、私を連れ出してくださったのですか?」


 問い掛けながらも、やはりこの義兄は信頼に足る人だと、ルーゼンメイルは泣きそうになった。子も産めぬレイリアーネの為に、そこまで考えてくれているのだ。政略結婚でも、こんな幸せな婚姻を結べたのは姉ぐらいのものだろう。

 本来は、パストリアを打ち破り、そのままローム国に組み込んでしまえば早いものを。


「いや。・・・王妃の護衛隊長を任せていた者がどこかに行ってしまい、しかもその護衛隊長と繋がりのある騎士団がのらりくらりと適当にしか働かんと思ってたら、今夜になって王子を誘拐してきたと言われてしまってな。・・・・・・だが、そうなれば、パストリアを属国にするまでもない」


 国王は、ルーゼンメイルを底光りのする瞳で見つめた。


「血に塗れていない玉座などない。そして力なくして守れるものはないのだ。・・・違うか?」


 その瞳は、ルーゼンメイルの覚悟の有無を問うものだった。玉座という輝かしくも呪われた、様々な人に取り囲まれながら、誰よりも孤独なその場所に、座る勇気があるかどうかを。

 可愛い義弟に対してではなく、一人の国王として、一人の男に国王になる勇気の有無を尋ねるその瞳に、自分は何を返せるだろう。


「いいえ。その通りです、義兄上」


 ルーゼンメイルは目を閉じて思い起こした。

ラファイ王国が壊滅した途端、正妃である母を殺し、王位を継ぐべき自分を幽閉したパストリア王宮。病床の身にある父王に、自分達を守る力はない。

 王位争いから失脚した途端、離れていった者達。それでも自分につこうとしてくれた者達。自分が無力なあまりに、最後まで自分と共にいようとしてくれた彼らは、どうなってしまったか。

 自分が守りたいものは何だっただろう。我が身一つか、それとも・・・。

 ルーゼンメイルは瞼を開いて、その緑の瞳を義兄に向けた。それは姉であるレイリアーネではあり得ない、様々な死を見てきた者の瞳だった。白に近い金髪が、灯りを反射して煌めく。


「どうぞ力をお貸しくださいませ、義兄上。パストリアを私の手に。・・・その代わり、パストリアの忠誠を義兄上に」

「良かろう。我がロームの力をルーゼ殿に。その代わり、パストリア王宮を共に血で染めてくれ」






 正統なる正妃の産んだ王子ルーゼンメイルは、義兄であるローム国王と共に、パストリア軍に対して宣戦布告をすることになる。


「たかが愛妾の産んだ王子を王位に就けるべく、我が母である正妃を暗殺した貴族共に正義はない。現在の国王は病床にあり、愛妾の親族共が勝手に王宮を私物化しているのみ。それはパストリア王宮の簒奪である。私は正統なる国王の後継者として、王宮に戻り、王宮を私物化していた簒奪者共を討ち取ろう。私を王と認める者は直ちに我が下へと集まるが良い」


 病死とされていた正妃は、暗殺だった。

 そして次期国王とも看做されていたこともあるルーゼンメイルは、ローム国の後ろ盾を持ってパストリアに立ちはだかったのだ。

 何も知らなかった人々は、驚愕に慌てふためいた。


「・・・だがよ、ルーゼンメイル王子様は、正妃様のお産みになった王子様じゃないか。しかも、その姉君はローム国の王妃にもなってらっしゃる」

「大体、庶民ですら、正妻の産んだ子供と愛人の子供とは区別されるもんだ。何で正妃様の産んだルーゼンメイル王子様がいるのに、愛人の産んだ王子様が国王にならにゃならんのよ」


 いち早く反応したのは、平民の方だった。

 正妃はラファイ王国出身の為、パストリア貴族に係累がいない。その為、貴族のほとんどは躊躇ったようだった。

 しかし、ルーゼンメイルが幼い時から仕えていた貴族達は、喜び勇んで駆けつける。

 軍部はかなり混乱し、王宮にいるそれぞれの王子につく者、ルーゼンメイルにつく者とに、分かれた。

 そうして。


「私はっ、パストリア王族なのだぞっ。ルーゼンメイルッ、お前はこの兄をっ、そして弟達をっ、処刑しようというのかっ」

「おかしなことを仰有います。それこそパストリアの正統なる王子である私を、あなた達は殺そうとしていたくせに。ましてや、あなた方が殺した我が母は、それこそこの国の、この王族の頂点に立つ第一女性だったのですよ?」


 ローム国軍を率いたルーゼンメイルは瞬く間に王宮を制圧し、王宮にいた父王の愛妾達と、自分の兄弟にあたる王子達を全員処刑した。

 そうして愛妾達の産んだ王子を擁していた貴族も次々に殺していった。


「さて、父上。どうなさいます? 残ったのはあなたと、そして王女だけです」

「ルーゼ・・・。権限を委譲しよう。お前が国王となればよい。私は離宮に行く。残った王女達も、その母も祖父母も処刑された今、何も出来んだろう。このまま私が連れていく。後はお前が良い嫁ぎ先を考えてやればよい」

「分かりました」

「・・・力なき父を許せ、ルーゼ」


 父王に、ルーゼンメイルは返す言葉を持たなかった。せめて父の力があれば、母もまだ生きていられただろう。

 そうして自分も、異母兄弟を殺さねばならぬことはなかった筈だ。


(けれど・・・、誰が悪いわけじゃない)


 父王は父王なりに苦心していた。ルーゼンメイルは知っている。

 正妃をラファイ王国から嫁がせ、そして愛妾を自国の貴族達から選ぶことでバランスを保っていた父のやり方は、決して間違ってはいなかった。

 ただ、病に倒れ、そのバランスをとる力を失ってしまったこと。それこそが悪かっただけだ。


―――血に塗れていない玉座などない。そして力なくして守れるものはないのだ。


 義兄の言葉が、ルーゼンメイルの耳に甦る。


(私は、一人だ・・・)


 もう、自分には誰もいない。賢く全てのバランスをとっていた父も病を得たまま離宮へと去り、愛情を注いでくれた母も他界した。姉は遠いローム王宮にいて、仲の悪かった異母兄弟は自分が殺した。

 そうして手に入れたのは、死が訪れるまで終わらない重責。

 どんな小さな領地であっても、そしてどんな大きな国であっても、その頂点に立つ者は常に孤独でしかいられない。それが頂点に立つということだ。

 だから義兄は姉を愛したのだろう。裏表のない、それこそ感情がそのままに出る彼女なら、疑う必要もなく、隠し事も出来ないからだ。彼女だから、王の孤独を癒してくれる・・・。


(もっと早く成し遂げられていたなら、あなたは生きていてくださったのでしょうか。母上・・・)


 自分の乳兄弟だった、そして殺されたであろう青年の顔が脳裏によぎる。


(お前には、ずっと傍にいてもらいたかった)


 誰もいない部屋の玉座に体を預け、・・・ルーゼンメイルは一筋の涙を流した。


【嘘つきな子爵】



 パストリア王宮に屈託のない笑い声が響いていた。


「素敵でしょっ。ほら、頑張って朝から積んだ花だったのよっ。ねっ、ねっ、ほら、素敵でしょうっ!? 今日、一番に来た人にプレゼントしようと思ったのっ」


 得意そうな顔で、大きな口を開けて笑う王女に、扉を開けた途端、上から降ってきた様々な花まみれにされた重臣は、黙って手に持っていた書類から花を払い落とした。そして、こほんと咳払いをする。

 その禿げ頭の上に乗っているピンクの薔薇が、可愛らしくもミスマッチだ。


「レイリアーネ様。・・・ここは会議室、なのですがね」

「ええ、そうよ? だから、毎日こーんなに目を吊り上げてる皆に、心が洗われる美しいひとときをあげようと思って。でねっ、一番にやってきたのがあなただったのっ。頑張って早起きした甲斐があったわ」


 レイリアーネは「こーんなに」のところで、自分の(まなじり)に指を置いて目を吊り上げてみせた。可愛い顔が、そこで目も細くなるのだが、そんな仕草も可愛らしい。


「私ね、ずーっと待ってたのよ? なのに誰も来ないし・・・。良かったわ、あなたが来てくれて」


 にこにことしてそう言う顔は、怒られることなど全く考えもしていないのだろう。

 どうやら、その為だけに、会議室の中で誰かがやってくるのを待っていたらしい。ご丁寧に自分が摘んだ大量の花びらを用意して。

 だが、子供の頃ならいざ知らず、この年になってすることではない。


「大丈夫。安心して? あとでまた、この花は拾っておくから。そして今日は鉢に水を張ってこの花を浮かべるといいわ。花びらの溢れる鉢って、見てても綺麗だし、手でかき混ぜると花も動くのよ。ねっ、素敵よねっ」

「・・・・・・王女様。儂は男ですのでな、そんな女子供のように花を喜びはせんのですよ」


 これが侍女や自分の身内がしたことであれば遠慮なく叱りつけるところだが、本気で良かれと思ってやったことと分かるだけに叱れない。この緑の瞳に浮かぶ涙を見たくないからだ。

 その為、彼は控えめな言い方で(たしな)めてみせた。


「え・・・? 嬉しく、・・・なかった?」


 だが、みるみるうちに、レイリアーネの顔が曇る。男は慌てて前言を翻した。


「いやっ、そんなことはありませんぞっ。そう、最近は花を見ることもありませんでしたなっ。いや、どれも可愛らしい花だ。心が洗われますともっ」

「ほんとっ? 良かったぁ」


 途端に笑顔になる王女の、その白に近い金髪の頭を男はつい撫でてしまった。嬉しそうに、うふふと緑の瞳を細めて笑いながら、レイリアーネは持っていた鉢に花を拾い直していく。ちゃんと自分でお片付けをするところは、かなり律儀だ。他の王女ならば侍女達にさせることだろう。


「ですが、レイリアーネ様。あなたももう嫁いでもおかしくないお年頃です。あまり子供っぽいことをなさるものではありませんぞ? 大人の女性としての落ち着きをもってですな・・・」

「はぁーい。もう、みんなして口うるさいんだから。ルーゼなんて、私をバカとかアホとか言うのよっ。まだ私より小さいくせにっ」


 頬を膨らませる様子は、憤懣やるかたないといった様子だ。

 そこへ、国王がやってくる。


「お? 何だ、大臣。もう来てたのか。・・・肩にも頭にも花をのっけて、なかなか華やかだな。そこのレイリアーネが犯人だろうが」

「ご明察です、王」

「ねっ、お父様。素敵でしょ? 今日の一番のお花のプレゼントだったのよ」


 胸を張るレイリアーネは、全く怒られることを考えていない。国王もそれと察して溜め息をついた。


「アーネ。他の皆が来る前にその花を回収して立ち去りなさい。そうでないと、フォルカンリースに言いつけるぞ」

「えっ!? なんてひどいことをっ。お父様の意地悪っ、冷血漢っ、人でなしっ」


 フォルカンリースとは、正妃の侍女の息子で、レイリアーネにとっての乳兄弟の一人である。真面目な性格で、怒るとなったら遠慮なく叱りつけることから、レイリアーネもあまり彼には悪戯できない。

 父王を(なじ)りながらも、慌ててレイリアーネは花をハイスピードで片付け始めた。せっせと散らばっている花を拾う王女に、それをぶっかけられた大臣が手伝ってやると、えへへと笑いかけてくる。ほとんどを拾い終えると、レイリアーネはその肩と頭からも花を回収し、そしてその一つの薔薇を大臣の胸に挿した。


「はい。ここに飾ってたら一日で萎れちゃうけど、・・・だけど今日一日が良い香りでいられるでしょ? あ、お父様にもね」


 二人の胸に薔薇を挿したレイリアーネは、それが一番香りの良い薔薇なのだと誇らしげである。


「じゃあね。この集めたお花は、執務室にいる人達に預けておくわね」


 そう言って立ち去るレイリアーネに、残された国王と大臣は目を見交わしてやれやれと苦笑しあった。大の男がどうして薔薇を恥ずかしげもなく胸に挿したいと思うのか。

だが、あの王女にだけは、なかなか強くも叱れない。




 その日、パストリア正妃の産んだルーゼンメイルは、足をぶらぶらさせながら、乳兄弟であるフォルカンリースに言いつけた。


「聞いた、リース? 姉上ったら、またやらかしたらしいんだぜ。今度は石像にドレスを着せて、花冠を載せたんだってさ」


 教師が教えてくれた歴史の授業を、フォルカンリースと共に復習していたのだが、ルーゼンメイルにしてみれば、自分がこうやって勉強ばかりなのに、あの姉は遊びまくっているのだから不満たっぷりだ。

 そんなルーゼンメイルにフォルカンリースは、困ったような笑いを浮かべた。


「聞きましたけど・・・。だけど、やってしまったものは仕方ありませんからね。罰として、花のシーズンが終わるまで、責任をもってちゃんとみすぼらしくならないよう着替えも花飾りもご自分でずっとするようにと、指導させていただきましたよ」

「それ、全然、罰じゃないじゃないか」


 ルーゼンメイルは、唇を尖らせて文句を言う。そんな悪戯をやらかしたというのに、それを続けさせるとはどういうことか。だが、フォルカンリースは笑って答えた。


「悪戯なんてのは、一度きりだから楽しいものですよ。これが毎日の仕事になったら疲れるだけです。ま、二度と次のシーズンからアーネ様も同じ悪戯はしなくなるでしょう」

「ふーん・・・?」


 単に、そんなことを言ってフォルカンリースも姉に甘いだけじゃないのかと思ったルーゼンメイルだったが、その言葉通り、レイリアーネは二度と石像にドレスを着せようとはしなかった。

 母についてラファイ王国からパストリア王国へやってきた侍女が産んだ、自分達の乳兄弟の一人であるフォルカンリース・ファンレイド。

 ファンレイド子爵には他にも子供はいるが、こうしてレイリアーネやルーゼンメイルの側近くで仕えているのは、フォルカンリースだけである。


「うちの父は爵位も低いですからね。アーネ様やルーゼ様には、もっと高位貴族の子弟が仕える方が良いのです。・・・ですが、私一人だけであれば、乳兄弟ということもあり、あまりそこまで目くじらも立てられないでしょう」


 そう言って微笑むフォルカンリースは、様々な事情を考えた上で、母である自分達の乳母と共に配慮してくれる存在だ。他の弟妹を宮廷に出仕させないのは、高位貴族を刺激しない為らしい。

そんなフォルカンリースは、あくまで使える主人と従者といった枠組みから外れてはくれないが、誰よりも信頼できる存在だと、ルーゼンメイルは思っていた。


「人前では、私を信頼しているなどと言ってはなりません。ルーゼ様。あくまで低位貴族の息子のくせに、自分に纏わりついてくる存在なのだと言わんばかりにしておくのです。・・・いいですか、王という存在は権力を生み出す最高位。それに群がる人々は、他の人間を蹴落とすことで利を取ろうとします。その為に、人を殺すことも脅すことも、その為に卑怯なことをすることも厭うものではありません」


 フォルカンリースは、二人きりになると、ルーゼンメイルに様々なことを教え込んだ。母であるパストリア正妃や、フォルカンリースの母であるルーゼンメイルの乳母もそうと知っているが、何も言わない。


「全てから学び、誰よりも賢くおなりなさい、ルーゼ様。その見かけすら、あなたの財産です。まずは何があろうと一秒でも長く生き延びることを優先させるのです。生きてさえいれば、後はどうにでもなります」


 ルーゼンメイルには遊び相手という名目で、様々な高位貴族の取り巻きがつくようになった。そんな中では、フォルカンリースは少し離れた所で、ルーゼンメイルと親しい様子は全く見せない。ルーゼンメイルも、わざとフォルカンリースには言葉を掛けなかった。

 乳兄弟ということで警戒していた高位貴族の子弟達も、フォルカンリースはあくまで控える立場に徹し、それこそ貴族の子弟とは思えぬ雑用までこなすものだから、自分達にとっても居心地の良い存在となり、やがて信頼していくようになる。


「うちだって兄弟は多いからな。俺はルーゼンメイル様につけられたが、兄や弟は他の王子のところにつけられている。こうなるとルーゼンメイル様に王になってもらわなきゃ、俺だって浮かばれん。王子には王位争いがあるだろうが、うちにだってついた王子による家督争いはあるんだ。・・・お前は違うのか、フォルカンリース?」

「うちの場合は、あくまで母がルーゼンメイル様の乳母をしていただけですから。王様や王子様の取り巻きといった畏れ多い立場など、とてもとても・・・。私は母の手伝いとして宮廷に上がっているだけですので、ルーゼンメイル様のご学友である皆様とは立場が違います」

「ふーん? ラファイ王国ってのは、変な国なんだな。パストリアで乳母といえば、公爵や侯爵夫人がなることもざらだぞ。それこそ、自分達の息子を王子に一番近く侍らせることが出来るのだからな」

「生憎、ラファイの場合、乳母というのはあくまで使用人の立場でございまして」


 そう言って、フォルカンリースは控えめに笑うばかりだった。おかげで、どこの高位貴族もフォルカンリースに対しては、対抗馬とは看做さない。

 姉であるレイリアーネに対しては汚いことなど何も教えないくせに、弟であるルーゼンメイルに対しては、フォルカンリースはそういった事情もきちんと教えていった。

 やがて、レイリアーネがパストリア王女として、ローム国王に嫁ぐことが決定する。


「姉上が、ローム国王妃・・・」

「ローム王国。近年、様々な国と戦をしている隣国ですね。・・・パストリアはレイリアーネ様を嫁がせることで、ロームと手を組むのでしょう。大丈夫です、ルーゼ様。ロームはパストリア程、愛妾を推奨はしておりません。それにローム国王はアーネ様よりも十近く年上なだけで、まだお若い。きっと、アーネ様を可愛がってくださることでしょう」

「だが、・・・あの姉上、だぞ? リース、・・・あんなのを出して、それこそよくも不良品を押しつけたなと、戦になったらどうするんだ」

「こらこら、ルーゼ様。・・・あれでアーネ様は可愛らしくも美しいパストリアの薔薇。きっとローム国王にもご満足いただけることでしょう」


 ルーゼンメイルの脳裏に、ローム王国で花をばらまいたり、石像によじ登ったりするレイリアーネの姿が浮かんだ。だが、フォルカンリースは笑って取り合わない。

 婚儀はローム王国で行われる。それに出席できるのは、パストリアから向かう重臣だけだ。

 かなり不安になりながらも、ルーゼンメイルは父王や母妃と共に、パストリアを背負って嫁いでいくレイリアーネを見送った。・・・二度と会うこともないのだろうと、寂しさをこらえて。






 パストリアよりもロームはのんびりというか、自由気ままな気風らしく、ロームに嫁いだレイリアーネは楽しく過ごしているようだった。

 やがてレイリアーネから、ルーゼンメイルに遊びに来ないかという手紙が届く。


「どうしましょうか、父上」

「ま、特に戦の問題もなく、今の状況的に、罠や人質にされるといったこともあるまい。これもいい機会だ。行ってきなさい、ルーゼ。見聞を広めておくのは悪いことではない」

「そうね、ルーゼ。アーネには沢山のドレスを持っていってちょうだい。パストリアの王女なんですもの。ロームでもドレスは仕立ててくれているでしょうけど、やはり誰よりも綺麗でいてほしいわ」

「分かりました、母上」


 他の異母兄弟である王子達に知られたら鬱陶しいだけなので、こっそりとルーゼンメイルは乳母が嫁いだファンレイド子爵の領地に気晴らしに行くといった理由をつけて、王宮を出てロームに向かった。

 フォルカンリースと、信頼できる騎士や兵士の護衛を伴って。


「って、何考えてんですかーっ、このバカアホ姉上っ」

「だってだって、しょうがないじゃないっ。もう言っちゃったんだもんっ。陛下には、遠縁の姫を呼んだって言っちゃったんだもんっ。しょうがないでしょっ、ルーゼの馬鹿っ」

「馬鹿なのはあなたですっ!」


 ぜいぜいハアハアと、息を切らしながらレイリアーネを罵倒したルーゼンメイルだったが、事はロームに対するパストリアの問題を孕むということである。

 よりによって、考えなしのレイリアーネは、弟王子ではなく遠縁の姫を呼んだと、ローム国王に報告していたのだ。

 しかも、その理由が。


「だって、女性と踊ると具合が悪くなるっていう人がいるのよ。嘘に決まってるじゃない。・・・大丈夫よ、ルーゼ。あなたと踊ってその人が気持ち悪くなっても、あなたは男の子なんだもの。それって嘘だって分かるでしょ? ね、ナイスなアイディアでしょっ。ねっ、ねっ?」


 この馬鹿につける薬はないと、ルーゼンメイルは信頼できるフォルカンリースを振り返った。あまりのことに、フォルカンリースも口元に手をやって考え込んでいる。


「そんなアホなことをアーネ様が考えていると分かっていたなら侍女の一人も連れてきたのですが・・・。ルーゼ様を途中の街や村で人々と触れ合わせたいと思い、男だけの一行にしてしまいましたからね。これでは、身代わりの女性も何も調達できません。ましてや、ロームの人間は使えません。ことは外交問題になります」


 フォルカンリースはレイリアーネを叱りつけるよりも、事態の切り抜け方を考えているようだった。レイリアーネの侍女にも、顔を知られていない少女の心当たりはないかと、尋ねている。だが、良い候補はいないようだった。

そうなると、いい知恵などあるわけもない。既にルーゼンメイル一行がローム王宮に到着したのは国王にも報告されている。


「・・・仕方ありません。ルーゼ様。言葉少なであれば、あなたなら姫君も演じられましょう。幸い、正妃様が持たせてくださったドレスもあります。少し手を入れれば、ルーゼ様でもお召しになれるでしょう」

「覚えてろよ、リース・・・」


 だが、ルーゼンメイルにしても、それしか手が無いことは分かっていた。事はレイリアーネの悪戯だけではすまない。パストリア本国がローム王国をおちょくったのだと思われてはたまらないことになる。

 かなり不機嫌になりながら、ルーゼンメイルは女装して舞踏会にも出た。だが、笑顔になどなれなかったのは仕方ないだろう。いつ、「男がドレスを着て・・・」と、糾弾されるか、かなりハラハラしていたのだ。

 ・・・誰も男とは思わなかったどころか、様々な所で口説かれたことに閉口しただけだったが。


「この私のどこが姫君だと? ロームの男は馬鹿かボケか、それとも頭にオガクズしか入ってない驢馬(ろば)なのか? 誰が姫だぁっ」


 脱ぎ捨てたドレスをげしげしと踏みつけていたルーゼンメイルだったが、それこそドレスを脱がなければ美少女でしかないと、さすがのフォルカンリースも口には出来なかった。

 まだ男としての体が出来上がっていないルーゼンメイルは、儚げな美しい姫君と思われたようだった。

 そんな中、ローム国王とも親しく話をする機会がやってくる。

 ちょうどレイリアーネの部屋にいたところを、国王がやってきたからだ。


「おお。そうしていると、まさに王妃とは姉妹のようだな。よく似ている。・・・王妃もパストリアを離れ、寂しい思いをしているだろう。これが普通の貴族であれば、たまには里帰りも許してやれるのだが、・・・王妃というのはそうもいかん。せめて、王妃にパストリアの話をしてやってくれまいか」

「・・・はい、陛下」

「うむ。まあ、王妃の遠縁の姫だ。滅多なことをする者はおらぬと思うが、何かあったらすぐに伝えてもらいたい。ここがロームだからといって遠慮するな。・・・そうだ、姫。ロームには美しい景色もある。折角なのだから馬車も出そう。湖や森、そして街も楽しんで行かれると良い。何なら王妃も連れ出しても構わん。・・・きちんと護衛もつけよう。ここをパストリアと思い、好きにしてくれていいのだ」


 ローム国王は、レイリアーネをかなり可愛がっているようで、そう言いつつ、王妃の頭を撫でている。レイリアーネもべたべたと懐いて嬉しそうだ。・・・どうも、父に可愛がられているのと同じような気配は否めなかったが、それでも姉は大事にされているのだと、ルーゼンメイルは小さく微笑んだ。


「ありがとうございます、陛下。あね・・・レイリアーネ様がお幸せに暮らしていらっしゃいましたこと、帰国後にはパストリア国王にも伝えさせていただきます。きっと、大変お喜びになることでしょう。私にとっても、レイリアーネ様がこうして遇されていらっしゃいますことは、望外の喜びでございました」


 嫁いでも、名前だけの妃におかれることはある。時に、政略結婚で妃を迎えておいても、愛人の方を正妻扱いする男はいるのだ。

 深く頭を下げて感謝の気持ちを述べるルーゼンメイルに、ぽんぽんとローム国王はその頭を叩いて、顔を覗き込んできた。


「小さいのに、姫は立派だな。だが、そんな大人の挨拶はもう少し育ってからでいいのだ。姫、あなたはあくまで遊びに来ただけで、パストリアの正使ではないのだよ? 伸び伸びと、ローム王宮を楽しんでいっておくれ」

「はい、陛下」

「うむ。・・・王妃はダンスが好きだが、姫は書物を読むのが好きだそうだな。書物部屋にも出入りして構わんからな。ちゃんと伝えさせておいた」

「ありがとうございます、陛下」


 最近は軍に任せているそうだが、元よりローム国王は戦う武闘派な国王として知られている。実際、その体はかなり大きく、ルーゼンメイルでは太刀打ちできないたくましい肉体だった。だが、その頼もしさに似合わぬ優しさがそこにはあって・・・。


(ああっ、姉上がアホなことをしなければ・・・。義兄上(あにうえ)って呼べたのにっ。ついでに義弟としてちゃんとご挨拶も出来たのにっ。姉上の考えなしっ! すかぽんたんっ!!)


 ルーゼンメイルはローム国王に向かって微笑みながら、その後ろで能天気にニコニコしている姉を心の中で罵った。

 そんな日々も終わり、やっとパストリアへの帰国へとなる。


「てか、何なんだ。男ってのは。女なら誰でもいいのかっ、てか、男と女の見分けもつかんのかっ。あれ程イヤだって言ってるのに、毎日毎日口説いてきやがってっ。クソがっ」


 帰りの馬車で、ルーゼンメイルはフォルカンリースにブツブツと文句を垂れ流していた。フォルカンリースも、ハハハと乾いた笑いしか出ない。


「ま、ある意味、貴重な体験でございましたね、ルーゼ様。これであなたも、ドレスを着ている姫君が、大人しく微笑んでいるからといって、決して好きでもない男に口説かれるのを喜んでいるわけではないのだと、身をもって学習したことになります」

「なら、リースも同じ目に遭ってみろっ」

「生憎、私では女装しても誰も喜びません」


 基本的にフォルカンリースはルーゼンメイルの役に立つなら、どんな経験もさせるタイプの人間だ。この旅でも、様々な場所で宮廷では出来ない体験をさせてくる。あの女装すら、ルーゼンメイルにとっての学びになると判断したらしく、侍女達に教わって完璧な化粧までマスターさせてきた。

 だが、ルーゼンメイルにしてみれば、「いい経験だったね」などとは言えない。

 その後、レイリアーネからきた手紙は全て破り捨てることにしたルーゼンメイルだった。






 時が流れ、ラファイ王国がほとんど瓦解し、パストリア正妃が体調を崩して寝ついた。


「ルーゼ様。・・・正妃様には毒を盛られた可能性があります」

「分かってる、リース。・・・解毒出来ないのか、宮廷医師は・・・」

「誰にどの息がかかっているかも・・・。ましてや国王陛下まで病の床に就かれておいでです。ルーゼ様、覚悟をお決めください」


 苦しそうに、フォルカンリースは頭を振った。医師とは別に、フォルカンリースも解毒出来そうな薬草を煎じてこっそりと飲ませていたからだ。だが、何が原因なのか、正妃の体調は悪化していくばかりだった。そうなると、正妃の身近な侍女すら信用できない。


「ルーゼ様。どんな屈辱を受けられても、何があってもまずは生き延びてくださいませ。対抗馬にもならぬと思われたなら、生かしてもらえることもございましょう。・・・そして、誰も信用してはなりませぬ。いざとなれば、私のことも、ただの乳母の息子にすぎぬと、切り捨ててくださいませ」

「・・・それはお前もだ。リース、何があろうと、たとえ私と離されようとも、お前は生きろ」

「はい、ルーゼ様」


 そう言ったフォルカンリースだったのに、母である正妃が亡くなり、やがてルーゼンメイルが異母兄である王子の指示により幽閉されることが決まった時、ルーゼンメイルに対して乱暴に対応しようとした騎士に対して、

「それがパストリア王子に対する騎士の振る舞いかっ、恥を知れっ」

と、剣を抜いたとのことだった。

 ルーゼンメイルの知らぬところで・・・・・・。結果として、騎士の行動について、そして王族への扱いについて、対応が検討され、少なくともルーゼンメイルに無礼を働く騎士は出なくなった。

 騎士達のヒソヒソ話を盗み聞きして、フォルカンリースの行動を知ったルーゼンメイルだったが、その後、フォルカンリースがどうなったのか、それは分からなかった。ルーゼンメイルが訊かなかったこともある。


(お前が言ったんだ・・・。お互いが弱みだと知られたら利用されるだけだからと・・・。だから、リース・・・)


 騎士に向かって剣を抜いた以上、きっとフォルカンリースは生きてはいないだろう。けれども、フォルカンリースには弟妹がいる。ファンレイド子爵は領地に引っ込んでいて、まず宮廷の勢力争いには関与しないが、亡くなったフォルカンリースの忠誠に応える為にも、彼の名前は出せなかった。

 そうして、ロームとの戦いに引っぱり出され、そして攫われるようにしてローム軍へと向かい、ローム国王と対面し、ローム軍を貸し出されてパストリア王宮へと、ルーゼンメイルは攻め込んだ。

 かつて己が生まれ育った王宮を、こんなことで攻めることになるとは思わなかったが、それも運命だったのだろう。


「ルーゼンメイル様っ。私達は信じておりましたっ、信じておりましたともっ」

「公爵か。そなたの息子は最後まで私と共にあろうとした。彼は無事か?」

「・・・はい。何とか。息子の身代金はかなりとられてしまいましたが、命は助かっております。今までは王子様方の不興をかった人間として幽閉することでお怒りを宥めておりましたが、・・・早速出仕させましょう。息子は、あなた以外に仕える気はないと申し、幽閉をも自ら進んで受け入れております」

「そうか。・・・私も早く会いたい。早急に王宮へ出仕させよ」


 かつての学友だった高位貴族の子弟は、いち早くルーゼンメイルを見限った者、最後までルーゼンメイルを庇おうとした者、それは様々だったが、その時のことを思い出し、ルーゼンメイルは王宮の人事を刷新していった。


(これが、権力争いということか。リース・・・。お前に、会いたいよ)


 その名は呼べない。もういないことを思い知らされたくないから。

 いつだって近くにいた。たとえ他の人の目にはそう見えなくても、誰よりも信頼できる乳兄弟だった。

 何度も、フォルカンリースがどうやって殺されたのか、調べようとはした。けれども、命じようとする度に、声がのどから出なくなった。


(知りたく、ないんだ・・・。お前がもう、この世にいないことなど)


 あんなにも自分に人を信じるなと言っておいて。いざとなれば、お互いをも裏切るフリをしましょうと言っておいて。

 なのに、どうしてルーゼンメイルに無礼な対応をした程度で騎士に斬りかかったのか。


(嘘つき、嘘つき、嘘つき・・・。全然、約束なんて守ってないじゃないか。お前が教えたくせにっ)


 母であるパストリア正妃とて、ルーゼンメイルを守る為には切り捨てるべきだと言いながら、それでもフォルカンリースは様々な薬師に尋ね、母である乳母と一緒にその命を救おうと最後まで努力していた。

 彼の優しさは、いつだって自分を包んでくれていたのだ・・・。

 女性とも見紛うような容姿でありながら、全てを血で洗い流す国王としてパストリアを掌握したルーゼンメイル。だが、誰に囲まれていても孤独な思いは消えない。


(こうして、今も私は振り返る。振り返った背後に、お前がいないことを忘れて・・・・・・)


 部屋の隅から見守ってくれていた、手を差し出せばいつだってその手を握ってくれていた、その優しい存在がもういないことを忘れて・・・・・・。




 夜明け近くまで、人事に目を通していたルーゼンメイルは、窓から抜け出して朝の光を受けた庭を歩いていた。

 朝早くから、花の手入れをしている庭師がそこにいるのを確認し、熱心なことだなと思いつつ、そこを通り過ぎた。


「供も連れず、散歩などなさるものではありませんよ、国王陛下。どんな時にでも生き延びる努力をすることが、あなたの義務だと教えたでしょう」


 朝の挨拶もせず、その庭師が立ち上がって声を掛けてくる。

 ルーゼンメイルは驚いて振り返った。


「・・・リース」

「ルーゼ様。よくぞご無事でお戻りになられました」


 髭も生やし、まさに庭師といった格好だが、その程度でルーゼンメイルが彼を見分けられない筈が無かった。以前よりも、フォルカンリースはがっしりとした体つきになっている。


「ど、どうして・・・」

「決まってるじゃないですか。あなたがもしも王宮で首を斬られるようなことになったら助け出す為ですよ。さすがに兵士で潜り込むより、庭師の方がノーマークですからね」


 それに、こんな国王の入れ替わりなんて不安定な時期、いつ暗殺されるかも分からないじゃないですかと、平然として言うフォルカンリースだが、見れば、様々な所に傷痕が残っている。


「お前・・・お前なあっ、生きてたんなら、生きてたんなら・・・っ」

「生きてなけりゃあなたも守れないでしょう。一晩中、あなたのおかげで私も庭で見張り続ける羽目になりましたよ。勤勉は結構ですが、無茶はするもんじゃありません」


 ぱんぱんと、服の埃をはらうフォルカンリースだが、その顔には変わらぬ笑顔があった。

 泣き笑いといった表情になったルーゼンメイルは、フォルカンリースに抱きついた。


「リース、リース、リース・・・」

「よく頑張ってくださいましたね、ルーゼ様。お辛かったことでしょう」


 レイリアーネやルーゼンメイルを教え導いてくれた乳兄弟は、そう言って、子供の時以来はしていなかった強さでルーゼンメイルを抱きしめた。


「あなたが戦に出されたと知った時、・・・兵士に紛れ込むのだったと、どれ程に後悔したことか。慌てて弟を紛れ込ませたものの、あなたが原因不明の毒に倒れ、そして行方知れずになったと知った時、・・・気が狂うかと思いました」

「姉上の・・・」

「ええ。ローム軍と一緒に攻めてくると知り、ここにいればあなたに会えると、それだけを信じてお待ちしておりました、ルーゼ様」


 ルーゼンメイルの肩に、何かが零れ落ちる。自分の前では見せたことのない、フォルカンリースの涙だと、ルーゼンメイルにもそれが分かった。

 いつだって泣きじゃくるルーゼンメイルを抱きしめてくれたのはフォルカンリースだったのに。


「二度と、離れるなよ、リース。本当に信頼できるのは、・・・私にはお前だけでいい」

「言ったでしょう、ルーゼ様。そんなことを言ってはいけないのだと。私はいつだって保身の為にあなたを裏切るのだから、あなたも私を信じていないフリをしなさいと」


 だが、フォルカンリースの腕がルーゼンメイルから(ほど)かれることはなかった。その腕の震えが、どれ程に自分を案じていたのか、それを伝えてくる。

服から覗いている傷は、きっとルーゼンメイルを庇って受けたものなのだろう。


(嘘つき・・・。お前なんて、いつだって私のことしか考えてないくせに)


 早朝すぎて誰もいない庭園で、生き別れだった主従は、互いの体温を感じながら、いつまでも抱きしめあっていた。




 パストリア国王ルーゼンメイル。

 様々な事情に通じ、儚げな容姿でありながら苛烈なことで知られる国王は、王子だった時の王位争いが原因で、貴族に対しても甘い顔はしない人間だった。

国王に逆らう貴族は遠慮なく断頭台に送ったが、それは母である正妃が暗殺されたこともあり、舐められたら王妃にも同じことが起こり得ると割り切っていたからだとも囁かれている。

 けれども人物への評価能力は優れており、国王自身も権力に驕ることはなかった。国王なのに、女性に対してはかなり紳士的だったとも言われている。

 その王の近くで、目立たず出世もしないままだったが、最後までファンレイド子爵フォルカンリースが仕えていたことは、あまり知られていない。

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