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23 パストリアと様々な思惑(緑の瞳のファム・ファタール)

○月×日

匿名X:結婚が決まりました。だけど、うちより良い家の娘さんが相手で、立場的にも相手が上なんです。色々と不安です。だから第六部隊長に相談してみました。あの人、上司と結婚したわけですから。

(1)女が上の立場での結婚時、家庭を維持する為に自分が必要とするものは何かと訊いたら、「反論せずにスルーする能力」と言われました。

(2)相手からの愛を維持するのに必要なものは何かと訊いたら、「頼りないから私がずっと一緒にいてあげなくてはと思わせる情けなさ」と言われました。

(3)自分が相手に愛情を抱き続けるコツは何かと訊いたら、「自分がいなくちゃこの人は駄目なんだなと思える可愛らしさを見つけること」と言われました。

 ・・・・・・。

(1)スルーどころか前将軍の全てにしつこく関与して、(2)何かとこき使われる程に信頼されてて、(3)誰がいようがいまいが関係なくマイペースな前将軍。との話なんですよね? 俺は、からかわれたんでしょうか。


匿名A:いや、本気で言ってると思うぞ。まあ、あの将軍相手じゃなければ間違ってないんじゃないか?

匿名B:改めて、第六部隊長の目はおかしいんだなと実感した。

匿名C:おかしいのは第六部隊長の感性だろ。

匿名D:あんな幽霊屋敷に一人暮らししてた前将軍のどこに、誰を必要とする可愛らしさがあるんだ?

匿名E:え? 可愛いだろ? 放っておいたら悪い男に引っかかってボロボロに騙されてしまってたんじゃないかって心配になるぐらい、純粋で素直だし。あんなにも傷つきやすく、それでいて人に優しく思いやりのある人はいないよな。

匿名A:ええ、匿名・無礼講バージョンだから書いちゃいますけど。・・・あの人を騙せた人って存在しましたっけ? ボロボロにされたり、死体になったりした男はいても、反対はありませんでしたよね? そりゃ、悪い令嬢にひっかかって貢がされてはいましたけど。

匿名B:今度、良い眼医者を探しときます。

匿名C:・・・心のお医者さんも探しときます。

匿名D:寝ぼけて盗賊を二階から叩きつけても爆睡、相手の裏をかいておちょくっては良い所取り、全ての部隊長に常勝を要求しては結果を出させていたあの前将軍を見てて、それをぬけぬけと言える時点で確実にお前はおかしい、E。


 あれからずっと、自分は神を讃えるあの歌を歌えない・・・。




「ライナ。では行ってきます」

「ああ。・・・今日はちょっと布地を見に行くつもりなんだ。何かついでに買っておく物はあるか?」

「そうですね。じゃあ、俺も革袋を作っておきたいので、いいのがあれば」

「分かった」


 カロンはサーライナの額に口づけると、馬に乗って出勤していった。

 それを見送り、サーライナは晴れ渡った空を見上げる。まだ、出掛けるには早い。店も開いていないからだ。

自室に戻り、寝台の上に寝転んだ。


(やはり、カロンは気づいていたか。・・・戦うタイプの人間は鈍いというが、そうと限ったものでもないんだな。まあ、別に隠さなくてはならない理由があるわけじゃないんだが、・・・しかし、あいつにはあまり言いたくない)


 やはり師匠として、また養い親として沽券に係わるというのか、サーライナとて面子というものがあるのだ、それなりに。

どうせ屋敷内では二人きり。しかも仕事をしているわけではない分、サーライナもカロンに対して神経をとがらせなくなっていたのは否めない。以前なら職場内結婚というのもあって、周囲やカロンの様子にも気を配っていたが、必要が無いと思うと、カロンについてあまり探ろうとはしていなかったのも事実だ。

だから油断していた間に、カロンはカロンなりにサーライナを観察し、色々と考えてもいたのだろう。それはそれで、何の不思議もない。ただ、サーライナとしては、思うこともあるのだ。


(どうもあいつは私を大雑把だと思ってるところがあるし、そんなあいつに神殿での話などしたくない。何だか、「え? あなたが・・・?」とか言われそうでムカつく。大体、あいつが男のくせに細かすぎるんだ。そもそも、いつから気づいてたのか・・・。私もずっと、自分のことだけで手一杯だったしな)


体調を崩して寝込んでいた日々に、サーライナは思いを馳せる。

 あの時、王宮から来ていた女官や下働きの人間にも、なるべく部屋には近づかないようにと頼んでいたのは理由がある。・・・彼女達がいる間、サーライナは深く眠れなかったからだ。


「うっ、・・・はっ」


 彼女達が夕方になっていなくなり、カロンが戻ってくる間の僅かな時間。それがサーライナにとって熟睡できるひとときだった。そしてその時間は、時に激痛が体を襲っていた。


(この痛みは何故なのか・・・。腹部以外にもどうしてこんな痛みが・・・)


 そのことを気づかれたくなくて、夜もカロンを遠ざけて眠っていた。自分を心配してくるカロンには知られたくなかった。なるべく気配を探り、カロンが眠ったと分かってからサーライナも眠るようにしていた。寝ていると、どうしても声が漏れることがある。


(痛みとは体の悲鳴だ。・・・これは、私が耐えるべきものなのだろう)


 やがて王宮から差し向けられていた女官達がいなくなり、ゆっくりと休めるようになる頃には、ただの緩慢な痛みとなっていて、普通に眠れるようになっていた。

 自分の体からかなりの筋肉が落ちていることには気づいていたが、それは寝ついていた以上、当たり前のことだ。

 無理しない程度に、寝台の上で動ける時には体を動かしたりもしていた。

 

「ライナ・・・。かなり肉が落ちましたね。日にも当たらなかったせいで、肌も白くなってます。少しずつ、体の調子を整えていきましょう」

「そうだな」


 カロンが気遣うような笑みを向けてくる。けれども、体調が回復していったサーライナにとって、自分の体は特に問題のないものだった。


(懐かしいな。・・・昔の体形に戻っている)


 寝台の上で柔軟をしてみれば、それがよく分かる。カロンはローム国騎士団の将軍として作り上げた体しか知らないからそう思えるのだろうが、この肉のつき方は、まさにかつての自分が維持していた体だ。


(有名になろうと、かなり鍛錬したからな。おかげで筋肉はつきまくってしまったが、・・・元々、私の体はこれぐらいがちょうどいい。・・・・・・しかし、病弱で寝込んでいる人間には、基本的に幼い感じの雰囲気があるものだが、私の場合も寝込んだことでそうなるものだったのか? 何人かに指摘されたが、そんなにも若く見えるようになるものか? そう言えば、年老いて寝台から離れられなくなった人間も、今度はあどけない顔へと変わるものだが。そう考えると、得したような、損したような、わけ分からんもんだな)


 勿論、その分、体力は今までより劣る。だが、もう前線に立って戦うのではないなら十分だ。それに戦える力が失われたわけではない。

 サーライナは、訓練の内容を体の維持程度に留めるようになった。それはもう、将軍として戻る気がなかったことが大きく影響していた。


(今日はとても綺麗で大きな月だ。こんな夜は声もよく響く)


 ちょうどカロンが留守にした晩、サーライナはそのまま裏庭に出て、久しく歌っていなかった神を寿ぐ歌を歌い、舞おうとした。

 美しい月から地上に降る淡い光は、神の吐息のようだ。こんな夜こそ、一人で心ゆくまで神を讃えたい、それにふさわしい見事な夜空ではないか。

 きちんと筋肉を動かしておきたかったこともある。懐かしい気持ちが彼女を呼んでいた。


『我らが、求めるは、神の・・・』


 カロンに教えた二人で舞うものではなく、一人で舞うそれを思い出しながら舞い始める。

だが、歌いながら天に手を伸ばした途端、「あっ」と、サーライナの全身はビクッとけいれんを起こし、彼女の体は仰向けになって、どさっと地面に倒れ込んだ。柔らかな草に受けとめられ、サーライナは月を見上げる。


―――ああ、神が降りてくる・・・。


 夜空に瞬く星に見下ろされながら、サーライナはそれを感じた。

 自分の体の隅々にまで、神の息吹が満ちてくる。体を巡るのは血液ではなく神の吐息だと、まさに全てを作り変えていく活力が隅々まで溢れていくのを、サーライナは感じた。

それは歓喜でもあり、畏敬でもあった。


(私は・・・、なぜ私に・・・・・・)


 子供を望んだのが罪だったのか。それとも今も尚、自分は神の恩寵と共にあるのか。


(どうして、今の私に神が降りてこられるのだろう・・・・・・)


それはもう、ある筈がないこと。自分はただ、神に祈りを捧げ続けるだけで良かったのに。

この身は野にあろうとも、・・・それでも自分はただ祈りを捧げ、そして普通の人として生きて死んでいきたかった。


(どうして何もお伝えくださらないのです、神よ・・・)


 けれどもサーライナの問いに神は(こた)えず、ただ、光の奔流が彼女の意識を押し流していく。そのたとえようもない幸福感は、神殿で舞っていた頃を思い出させる。


(そんな筈、ないのに・・・)


 既にカロンと結婚した自分にそんな資格はない。これはあり得ないことだ。

 そんなサーライナの疑問は、光に包まれた意識と共に消失していく。心を保てなくなり、サーライナは気を失った。

 そしてかなりの時間がたって・・・。

 サーライナが気づいた時には、明け方も近い時刻となっていた。


「こんな無防備な寝方をしていたのに、・・・体が冷えてない」


 それどころか、体には温もりが満ちていた。神の愛が自分と共にあることを感じ、サーライナの瞳から一筋の涙が零れる。

 神は自分を望んでいるのだろうか。それとも、今の自分の姿こそが神の思惑に沿うものなのか。心と体を満たす、この温もりは神の自分に下された思いに違いないのに・・・。


(分からない。どうして神は何も・・・・・・)


 けれども。

 サーライナにとって、神は特別な存在だった。幼い時から、その存在感が隅々まで行きわたる神殿に暮らしていたのだ。神は遥かに遠く、そして身近な存在だった。

 だからこそ、神の恩恵を利用することなど出来る筈もない。


(今、私が神に願えば、・・・叶えられてしまうような気がしてならない。だが、人とは神に祈りはしても、それは感謝を捧げる為だけであるべきだ。人の欲で、神を汚すことなどあってはならない)


 だから。

神を敬い、祈りを捧げても、・・・その日から神に届く歌をサーライナは歌えない。神へと繋がる舞も舞えない。


(神の恩恵は神のご意思のままにあるべきだ。人が利する為にあるものではない)


 せめて代わりにと、天へ羽ばたく小鳥に思いをのせて普通の歌を歌いはするけれど。

どれ程に心が望んでも、だからサーライナは、神に捧げる歌を歌わないのだ。




 結局、何年たっても子供が出来るわけではない二人に対し、周囲はかなり残念がっていたようだが、穏やかな日々をサーライナとカロンは送っていた。


「カロン。ほら、凄いだろ? 日中、干して乾かしてたんだ」

「どこから持ってきたんですか。羽毛ばかり、こんなに沢山・・・」

「そこはだな、まずは鳥達を集めて、手でブラッシングして抜けた羽を集めてみたわけだ。で、それを一度綺麗に洗って、乾かしてみたら、こんなにモコモコと。手を突っ込むと暖かいんだぞ、かなり」


 大きな布を広げた上に様々な羽を盛り上げ、楽しそうに見せてくるサーライナに、カロンは脱力した。しかし、そう言われてみると、自分も手を突っ込んでみたりするわけで、なるほどと納得もする。


「本当に暖かいですね」

「そうだろ? ふわふわしてて楽しいよな。どこか一部屋に、こういう羽を敷き詰めて遊べるようにしてみようか」

「やめてください。鼻の穴に羽が入ってくしゃみし続けるだけになりますよ」

「む。・・・それもそうか。じゃあ、誰かの部屋にこれらを放り込んでみたら面白そうだよな。扉を開けたら、羽がどばっと出てくるんだ。な、楽しそうだろ?」


 どうやらサーライナはふわふわの羽毛に埋もれてみたら楽しいだろうと考えているらしい。しかし、そこで理性的にカロンは制止した。今、この人を止められるのは自分の良識だけである。


「・・・二人暮らしであなたが仕掛けるとなったら俺の部屋しかないじゃないですか。そういう変な悪戯(いたずら)を考えないでください」

「お前なぁ、・・・もう少し、遊び心を持てよ。人生がつまらなくなるぞ?」

「被害者が俺じゃなければ楽しめたかもしれませんね」


 苦笑するカロンの眉間を、背伸びしてくりくりと人差し指で伸ばしてくるサーライナの瞳を覗き込み、その頬にカロンはキスした。


「明日は羽を詰められそうな布を縫いましょうか。羽毛の中に埋もれたらくしゃみしか出来ませんが、それなら柔らかなクッションに埋もれて楽しめるでしょう」

「それなら大きいのがいい。小さいのが幾つもあるより、ででーんと大きいのがいいよな、やっぱり」


 これぐらいと手を広げて示すサーライナは、かなり大きいクッションをご希望である。


「さすがにこの量では、そこまで大きいのは無理でしょう」

「大丈夫。明日からもっと集めればいいんだ」

「・・・仕方ないですね。じゃあ、まずは少しずつ集めていきましょうか」

 

 屈託のない笑顔を見せるようになったサーライナに、カロンは微笑んだ。彼女の我が儘は可愛らしいレベルで、決して無茶は言い出さない。カロンがあまり物欲を持たないからだろう、サーライナは自分からアレコレと様々なことを言い出しては、カロンを巻き込んでいく。


(わざと子供っぽく振る舞っているのか、それとも元々がそういう性格だったのか、・・・そこらへんが今一つ分からないんだよな、この人。俺の為にわざと演技してるのかと思ったら、何か本気でやってるらしいし。・・・まあ、この人が楽しいんならそれでいいけど)


 カロンが好きになったのは、それこそ感情をほとんど見せない孤高の将軍だったが、今の女性らしいサーライナも悪くなかった。とはいえ、あの無表情で冷淡だった中身の本性はコレかと思うと、力が抜けるのも事実である。


(何だか、詐欺にあった気分だ。あの苦悩し続けた日々は一体何だったんだろう・・・)


 けれども、そんなカロンの思いも、楽しそうな彼女の前ではどうでもいいことだった。

 そして二人は四角い布を縫い、毎日少しずつ増えていく羽毛を入れていった。どこまで羽を集めに行っていたのかは分からないが、その間、白鳥などが夕食には出なかったので、羽毛を集めても鳥の本体は捕獲していなかったらしい。

 やがて、十日近くたって、クッションが完成する。


「かなり大きな物ができましたね」

「そうだろ? ・・・ほら、これならお前でもその上で寝転がれる」


 ご機嫌そうに寝台の半分をも占領するクッションに座るサーライナが、カロンの腕を引っ張ってくる。少し力を抜いたカロンがぽすんとクッションの上に倒れ込むと、気持ちの良い柔らかな感触がそこにあった。


「本当に大きいですね。このままその上で眠れそうだ」

「お前でもゆったりと休めるクッションになってるだろ? 集めた甲斐があった」


 もしかして大きさにこだわったのは自分の為だったのだろうか。

カロンは目を細め、同じクッションに寝転がるサーライナに手を伸ばして、その頭を自分の胸の中に抱え込んだ。


「あなたは俺に優しくしすぎですよ、ライナ」

「それを言うなら、お前はちょっと物わかりが良すぎだぞ、カロン」


 もそもそとカロンの腹部に跨るように体勢を変えて、サーライナがカロンを見下ろしてくる。


「何を私がしても、『しょうがないな』で全て受け入れているだろう。・・・お前は私の父親じゃない。というか、お前の方が私の息子なのに、どうして私がお前にそんな扱いをされてるんだ」

「え。・・・そりゃ、あなたが子供っぽいことをしてるからでしょう」


 そこを責められても、カロンにしてみれば不本意というか、サーライナの責任転嫁にしか思えない。

しかもサーライナは、若い内は大人びて見えるのに一定の年からは老けないというタイプだったのか、今のサーライナはカロンよりも年下にしか見えない有り様だ。これで義理とはいえ、母だと主張されても、誰もが鼻で笑ってしまうことだろう。姉にすら見えないというのに。


「・・・どうして私がお前に子供っぽいとか思われなきゃいけないんだ?」

「いやいや、自覚ぐらいしましょうよ。大体、あなた、・・・基本的にあまり遊びや悪戯なんてしない人だったでしょうが。なのに、小さな穴を沢山開けた筒を作って虹を作るし、人の馬にリボンは結ぶし、勝手に人の部屋を花模様にしてくれるし、ホント、俺にしてみれば今のあなたは、次は何をしてくれるやらの、びっくり箱ですよ」

「・・・そうだったか?」


 サーライナはそこで考え込む。どうやら自覚はなかったらしい。

カロンは、自分に乗っているサーライナを腹から下ろして、抱え込んだ。思えば、本当に全身を鍛え上げていた時とは違い、柔らかな体になったものである。


「そうですよ。俺を引き取った時のことを思い出してください。毎日が鍛錬と、遊びのような時ですらそれなりに意味のある訓練だったじゃないですか。それに、・・・俺が部隊長になってからはともかく、それまでのあなたって、冗談も何も通じない人でしたよね?」

「・・・・・・そう、だったっけ?」

「そうですよ。こうやって笑ってくれることすら滅多になかったでしょう?」


 まるで虚をつかれた様子でサーライナが黙り込む。


「ライナ?」

「・・・あ、ああ、そうだな。そう、だったかも・・・しれない」

「何だ、自覚は無かったんですか? いいですけどね、別に。・・・それに、俺と結婚してからのあなたはどんどん感情的になってきてくれて、・・・・・・見てるだけで、俺は楽しいです」


 その焦げ茶色の髪を掻き上げて、その額にキスをすると、サーライナは少し考え込んだようだった。


「なあ、カロン」

「はい?」

「・・・お前は、・・・・・・いや、お前が好きになったのは、そういう私の方だった、んだよな?」

「え? いや、別にどっちでも・・・」


 別にどちらもサーライナ自身である。カロンにしてみれば、どうでもいい話だった。


「あなたの本質は変わりませんよ。たとえ無表情でも、その行動の裏にはいつも優しさがありましたし。・・・ええ、無神経なところもありましたけど」

「根に持ってるな、お前・・・」

「まあ、それなりに。・・・だけど、あの頃のあなたも、今のあなたも、どちらであっても俺にとってはあなたであることに変わりありません。あなたの瞳が俺だけを見てくれるのであればそれでいい。・・・ライナ。それとも俺の為に、過去の自分に妬いてくれるんですか?」


 からかうようなカロンの台詞に、サーライナはムッとしたようだった。


「お前、生意気になったな」

「・・・師匠の影響かもしれませんね」


 そう言って、カロンは唇を尖らせる妻のそれに、自分の唇を軽く触れ合わせた。






 猛々しい風が吹きつける。それは王都ロームの王宮をも揺るがしていた。


「まさか、妃殿下の母国と開戦とは・・・」

「言うな。・・・かなり微妙な問題だ」


 ローム国王に嫁いできた隣国パストリアの王女は、ローム国王よりも十歳近く年下の若い王妃だった。王と王妃は仲が良かったものの、誰もが口にせずにはいられない問題が、やがて浮上した。

 そう、王妃が懐妊しないことである。

 王統を途絶えさせるわけにはいかない。側室を迎えねばならないその状況に、せめてもと国王は、隣国パストリアから側室を迎えようとした。あくまで隣国をないがしろにするつもりはないことを示そうとしたのである。

 だが、よりによってそれに反対したのが、肝心の王妃だった。


「お願いですっ。せめて側室を迎えるなら国内からにしてくださいましっ。パストリアだけは嫌っ」


 涙ながらに国王へ頼み込む王妃に、国王が折れた形になった。というのも、パストリアにいる未婚の王女は、パストリア正妃から産まれた王妃とは違い、全て愛妾から産まれた王女だったからである。そしてその愛妾達は、王妃の母であるパストリア正妃と仲が悪く、姉妹である王女達の仲もかなり悪かったのだ。


「だが、それでは子が出来なかった王妃として、お前の立場がなくなってしまうだろう。同じパストリアからであれば、正妃の王女、そして正統なる王妃として肩身も狭くないだろうと思ったのだが・・・」

「いいえ、いいえ。あの妹王女達が私にそんな遠慮などするものですか。お願いですっ、どうぞ・・・」


 たとえ子供がいなかろうと、王にとって王妃はそれでも可愛い妻だった。嫁いできた時には可愛らしく活発な少女で、その無邪気さに心が慰められたものだ。

 国王としてではなく夫として、ローム国王は王妃の願いを叶えた。


「分かった。ではせめて、お前が側室を選んでくれ。お前に選ばれたとなれば、その側室もお前をないがしろにはすまい。・・・お前より美しくなく、控えめで、出しゃばりじゃない令嬢が良い」

「・・・ええ、ええ、陛下。きっとあなたが喜んでくださるような令嬢を選んでみせますわ」


 涙を浮かべながら、それでも王妃は笑って言った。

そして国王は、ローム国内でも控え目なことで知られる侯爵の娘を側室に迎えたのである。その侯爵と令嬢については、国王自身もその人となりを調べ上げ、決して王妃をないがしろにしないようにと念押ししていたのは、せめてもの国王の王妃に対する愛だった。

だが、そこでいきり立ったのはパストリアである。

パストリアの王女を嫁がせたのに、それでは結局ローム国王妃とは名ばかりで、ローム国の次の王になるのはパストリアの血を一滴も持たない王子になるではないか。側室を迎えるならば、せめてパストリアから迎えるべきだと主張したのである。


「もしくは、レイリアーネ様にお子が出来ないというのであれば、こちらにお戻しくださいませ。改めて、パストリアの違う王女をこちらの王妃としてお迎えくだされば異論はございません」

「言葉を控えよ。レイリアーネこそ我が王妃である。取り換えなどするつもりはない」


いくら政略結婚でも、ローム国王にしてみれば、年若い少女の頃から自分を頼りに嫁いできた王妃である。子供が出来ないからといって、他のパストリア王女にチェンジしたいわけではない。

元はといえば自国の王女だろうに、何という言い草かと、腹を立てずにはいられなかった。

だが、恥知らずな言い草をしてくるだけあって、パストリアも次のローム国王にパストリアの血が入っていないことは許せないと、主張し続けた。

そして折角パストリアの王女を嫁がせたのに、こんな侮辱は許せないと、ローム国に喧嘩を売ったのである。


「レイリアーネ様をお返し願いたい。そしてパストリアへの侮辱に対し、我らはローム国へ戦争を申し入れるものである」

「断る。我が王妃は、既にパストリアの王女ではなく、ロームの王妃である。王妃自身もロームで暮らし続けることを望んでいる」


 既にローム王妃レイリアーネの母親だったパストリア正妃は亡くなっており、パストリアの宮廷で権力を持っているのは、愛妾の産んだ王子を擁する貴族達だ。パストリア正妃の産んだ、レイリアーネの弟にあたる王子もいるが、正妃が亡くなった時点で王位争いから失脚したという。

そんな所に王妃を返したら、その愛妾の親族である貴族達に、どんな使われ方をするやら分かったものではない。

 ローム国の王妃に対する侮辱がどうこうといったことで開かれた戦端だったが、それは肝心のローム国が王妃を大事にしていて、攻めてくるパストリアこそが全く王妃に敬意をはらっていないという不可思議なものだった。

 兎にも角にも、ローム国とパストリア国の戦争は起こされたのである。




「リガンテ大将軍。・・・ところで、どうして私が王宮に呼び出されているのでしょう? しかも、このメンバーは一体どういうことなのか、正直、私としては今すぐ屋敷に帰りたいのですが・・・」

「いやいや。ケリスエ前将軍は綺麗になったね。そうしていると、普通の若妻にしか見えないよ」


 にこにこと、リガンテ大将軍はそう言った。王宮に呼び出されたサーライナは、それなりに落ち着いた濃緑色のドレスを纏っていた。しかし、その場にはかなりそぐわない。

 その場には、リガンテ大将軍とサーライナの他、近衛騎士団のセイランド・リストリ将軍、王都騎士団の将軍代行ロメス・フォンゲルド、そしてローム国騎士団のタロイス・クネライ将軍がいた。

 物々しい騎士団のトップ達を前に、まるで若奥様といった風情のサーライナがいるのは、たしかに不自然でしかない。けれども、リガンテ大将軍の瞳には、サーライナを逃がさないという強い気迫が漲っていた。

 三人の将軍及び将軍代行は、仕方あるまいといった風情である。

 

「実は、・・・妃殿下の母国であるパストリアと戦争になりそうだっていうのは聞いていると思うんだけどね」

「それなりには聞いております。・・・ですが、パストリアの勇み足にすぎぬでしょう。パストリアは妃殿下を娶ったロームの影響下、他国からの侵略を逃れてきた為に、増長しただけのこと。無傷とは言えないにしても、いずれロームの勝利は見えております」

「うんうん、やはりケリスエ前将軍はさすがだね。よく分かってる。・・・だが、ここで問題なのはうちの国王なんだ」


 そのローム国王の従兄にあたるリガンテ大将軍は苦笑してみせた。


「あいつもねえ、・・・かなり妃殿下を可愛がっていただろう。なのに側室を持たされたのがムカついていたのか、自分も出陣するって言い出して、人の制止を聞かないんだ。ところが、今回の戦争の発端が発端だろう。・・・王妃まで『なら私も戦争に参加する』と言い出した」

「どちらも縛って部屋に閉じ込めておいてはいかがでしょう」


 サーライナはあっさりと片付けた。

王女として育ち、王妃として何不自由なく暮らしている王妃が戦地に出向こうものなら、邪魔以外の何物でもない。国王はそれなりに先頭に立って戦った経験はあるものの、それでもやはり後継者がいない状況を考えると、大人しく王宮の玉座に座らせておくべきだろう。

 王と王妃など、黙って勝利の報告を待っていればいいのだ。


「まあ、そうなんだけどね・・・。三騎士団からもそうは言われたんだ。ただ、宮廷の文官達が揃ってだね、・・・パストリアに対し、ローム国が王妃をないがしろにしていないこと、そして国王と共にパストリアとの戦いにその身をもって臨むのは、パストリアの言い分と士気を挫く為にも良いと言い出して・・・」


 サーライナはどうして自分が呼び出されたのか、この部屋に来た時から分かってはいたが、天井を見上げて溜め息をついた。


「引退したのは分かってる。分かってるんだがっ、・・・妃殿下の周囲にはそれこそ育ちの良い侍女しかいないんだっ。頼むっ、ケリスエ前将軍には、妃殿下の護衛兵を指揮してもらいたいっ」


 サーライナはセイランド・リストリ将軍を見た。王妃の護衛といえば近衛騎士団だからだ。

「すみません。妃殿下の護衛となれば誰もがこぞってやりがたるお役目ではあるのですが、・・・正直、妃殿下のような方を戦地にお迎えするとなると、お恥ずかしいことながら、かえって貴族の子弟が多いからこそ、行き届かぬことも多いかと・・・。いえ、宮廷や通常の護衛やお供であれば問題ないのです。侍女達が妃殿下のお世話をしてくれますし。ですが戦場となると・・・」

と、セイランドはすまなさそうな顔になった。


 サーライナはロメス・フォンゲルド将軍代行を見た。現在、エイド将軍は体調を崩しがちで、ほとんどロメスが王都騎士団を指揮している。

「王都騎士団としては、陛下にも妃殿下にも戦場に出てほしくないとしか言えず・・・。それに、妃殿下の護衛となれば、ケリスエ前将軍に白羽の矢を当てた大将軍の人選は間違っていないと愚考する次第です。いえ、そりゃ前将軍が引退なさって久しいのは存じておりますが・・・」

と、ロメスは視線を逸らせた。


 サーライナはロイス・クネライ将軍を見た。この中では一番信頼できる、かつての部下だ。

「私は反対しましたぞ? あなたなら妃殿下の護衛などではなく、ローム国騎士団に戻ってきていただきたいものですからな。・・・良い機会です。どうぞその話はお断りになり、お戻りになってはいかがですかな。将軍という職業に嫌気がさしているなら、部隊長の席でも用意しましょう。肩書きの全てが嫌だというのであれば、相談役としてでも構いませんぞ」

と、クネライ将軍は笑って言った。


 サーライナの視線は、リガンテ大将軍に戻った。

「それでだね、・・・王としては、君なら信頼できる、と。というよりも、国王のご指名だったんだ、これは」

と、リガンテ大将軍は頬を掻きながら、困った顔で言った。


「断ることはできない話、なのですね」

「うん、まあ・・・そうなるね」


 サーライナはリガンテ大将軍に視線を合わせて言った。えへっと笑う大将軍に威厳はない。それでも、いつでもサーライナを信頼してくれる上司だった。


「ならばせめて、その護衛兵は近衛騎士団ではなくローム国騎士団から見繕わせていただきとうございます。近衛騎士団では貴族の思惑が入り込みやすく、私のような平民の指示には従えない貴族出身者も多いことでしょう。・・・クネライ将軍、お願いできましょうか?」

「勿論、喜んで用意させていただきましょう。あなたが指揮する騎士や兵士を、よそに出させるつもりはありませんぞ」


 クネライ将軍は、自分よりも若いかつての上司に力強く頷いた。たとえ今は一般人となったサーライナであろうと、この自分があなたにはついているのだと、雄弁にその表情が語っていた。

 その男気で知られるクネライ将軍は、ここでは何があろうとサーライナを守る立場を自認していた。


「皆様方にもご了承願いましょう。何と言っても我らが前将軍のケリスエ殿です。ローム国騎士団の一兵卒に至るまで、その指揮を嫌がる者はおりません。ケリスエ殿の所属は、我らにお任せ願いたい」


 クネライ将軍は立ち上がり、そう言ってサーライナの背後にまわった。それはサーライナのバックアップは自分が行うという意思表示に他ならない。

 さすがに近衛騎士団としては、王妃につける護衛騎士達を自分達から外されるのには不服な気持ちもあっただろう。しかし、近衛騎士団のプライドを考えれば、いくらサーライナがローム国騎士団前将軍といえども、従順に従うとは思えないことも、セイランドには分かっていた。


「妃殿下の護衛とあれば、近衛騎士団ではありますが・・・。今回は女性ということで、ケリスエ前将軍を国王陛下がわざわざ引っ張り出したのです。ここはケリスエ前将軍に馴染みのあるローム国騎士団に、全てお任せすべきでしょうね」


 セイランドはそう言って、気にしないでほしいと、サーライナに微笑んだ。

 何より大事なのは王妃に傷一つ負わせてはならぬということである。セイランドは、近衛騎士団の無駄な誇りよりも、ケリスエ前将軍の判断を優先した。

 そうして暫定的なものではあったが、サーライナは再び武装する日々に戻った。




 かつてのパストリア王女、そして現在のローム国王妃レイリアーネ。

 嫁いできた当初は、気も強く、軽快に踊るのが大好きな明るい少女だった彼女も、今では女盛りといった雰囲気を持つ王妃である。


「フィツエリ男爵家のルーナ様、ですか」

「はい。妃殿下の侍女は、全て野宿などしたこともない貴族令嬢。ですが、フィツエリ男爵家の令嬢であれば、まだ野宿の経験もあるということで、戦地における妃殿下の侍女にと、ケリスエ前将軍から推薦をいただいたのです。・・・ですが、レイリアーネ王妃。戦場へ行くと言い切るのはいいですが、あなたの侍女ですらこなせないそれに行くのはどうかと思いますよ? あなたは侍女よりも高位の王族です」


 リガンテ公爵はにこにこと笑いながら、王妃にそう言った。王妃と並んで座っている国王も、従兄の言い分に頷く。


「そうだな。王妃よ、わざわざ不便な戦場へ行く必要もあるまい。お前はローム国の王妃。この城の女主人として、私の帰りを待っているがよい」


 けれども王妃はかぶりを振った。


「いいえ。私が行くことに意義があるのです。少なくとも私が王と共にあることで、パストリアの言い分は通らなくなるでしょう。・・・弟王子も幽閉されたと聞いております。あの国に未練はありません」


 既に王妃は母国に見切りをつけていた。自分の母親であるパストリア正妃の逝去も、王妃は謀殺を疑っていたからだ。

 そして、ロームがパストリアの無茶苦茶な言い分を適当に受けて、戦争回避に動かなかったのにも理由はある。パストリア出身の王妃がロームにいる以上、併呑しても国民の反発は少ないと判断したのだ。


「・・・その時はローム・パストリア両国の王妃としてそなたが立つのだ。王妃よ、顔を上げておけ。誰が何と言おうと、私の王妃はお前一人だ」

「陛下・・・」


 自分が生まれた国か、自分が嫁いだ国か。人とは、時に二つの国のどちらかを選ばされる岐路に立つことがある。

 少なくとも、ローム国のレイリアーネ王妃は嫁いだ国を選んだ。


「私は一緒に参ります。きちんと自分でも一人で着替えることが出来るように練習しますわ。だから、どうぞお連れくださいませ、陛下。私はどこまでもあなたと共に参りたいのです」


 そんな王妃の戦地における侍女として付き従うべく、フィツエリ男爵家令嬢のルーナが宮廷にあがったのは、すぐのことである。そしてそんなルーナにロシータという侍女が同行したのも。

 その人選は、少なくともある程度の剣が扱えるという条件を二人が備えていたことが、多分に影響していた。




 サーライナの肩書きは、戦地における王妃付きの護衛隊長ということになった。

 サーライナは前将軍とはいえ、現在のローム国騎士団のトップであるクネライ将軍より出る気はなかったからだろう。分かりやすく、あくまで王妃の護衛隊長という肩書きを作ることで、それを示したのである。

 久しぶりにローム国騎士団に顔を出したケリスエ前将軍である。一番広い部屋に、主だった者達が集まり、将軍や部隊長達は円卓に着き、それ以外の者は室内の適当なところでたむろしながら話し合いを行っていた。


「ま、何と言っても前将軍の指揮する騎士と兵士だ。第一部隊から精鋭を出そう」

と、クネライ将軍が言ってのける。

「ちょっと待ってください。ケリスエ護衛隊長の使う騎士と兵士ならば、うちの第六部隊から出します。自分の妻が使う騎士なのですから、俺の所から出すのが当然でしょう」

と、カロンはすぐに反論に出た。

「いやいや、それなら第二から出そう。大体、第六に出させようものなら、ケイス部隊長まで一緒に入り込むのがオチだ」

と、ハイゲル第二部隊長も負けてはいない。

「それこそ第四にお任せ願いたいものですな。他の部隊は、前将軍が現役の際、十分に同行して楽しまれただろう」

と、ソメノ第四部隊長が顎を撫でながら、のんびりと言う。

「どなたも大人げないことですな。まあ、間をとって、我が第三部隊ということでいかがですかな。ケリスエ護衛隊長にもご満足いただけると自負しておりますぞ」

と、カリスフ第三部隊長が、サーライナに片目を瞑ってみせる。

「はっはっは。そう言いながら、どなたもカロンと同じことをしそうですな。だが、ここは前将軍に選んでいただくのが一番よろしかろう」

と、最年長のソチエト第五部隊長が最後にまとめると、全ての視線がサーライナに集まった。


「どの部隊からであっても、ローム国騎士団であれば全く問題はない。大きな声では言えんが、少なくとも近衛騎士団の百名よりも、ローム国騎士団の十名の方が、よほど王妃を守り抜くことだろう。あそこでクネライ将軍とリストリ将軍が調子を合わせてくれて助かった。近衛騎士団の騎士を護衛にと言われたら、まだ護衛騎士がいない方がマシと言ってしまうところだった」


 そんなことを堂々と言い放つサーライナに、そこにいた全員が同意の笑みを漏らす。近衛騎士団にも一般出身者はいるが、王妃の近くで護衛するとなると貴族出身者が固める筈だ。しかし、貴族の子弟として甘やかされて育ってきた彼らは、いざという時の踏ん張りがきかない。


「どうせ妃殿下は士気高揚の為に最初だけ顔を出してもらい、後は引っ込んでおいてもらうだけの存在だ。・・・第一から第六まで、各十名ずつ出してもらえないだろうか。いざとなれば、王妃は王の護衛に当たっている近衛騎士団に任せて、こちらはこちらで殴り込めばいい」


 そこで、クッと全員が苦笑する。どうやらサーライナは、大人しく王妃の護衛だけで済ませる気はないらしい。クネライ将軍がおいおいと、口を開く。


「近衛騎士団が役立たずと言いながら、そちらに王妃を押しつけると?」

「勿論だ。大体、王と王妃にそれぞれの護衛兵を分けようとするのが間違いだ。近衛騎士団の日和見主義な坊ちゃん達だ。他国出身の王妃をどう扱うかなど分かったもんじゃない。だが、王妃をローム国騎士団が守っていたら? それこそ、今度は自分達をないがしろにされたと不満もたっぷりだろう。我らが『我らは出撃するが、王妃の護衛を任せられるか?』と言い出した途端、騎士道精神とやらを発揮して頑張ってくれるだろうよ。王に良い所を見せようとしてな。・・・甘ったれたお坊ちゃん達など、その程度のお留守番にしか役に立たんものさ」


 かつてと同じように男装しながら、それでも髪は結い上げているおかげで、人妻としての色気が出てきているサーライナである。だが、言っていることはかなりえげつない。


「なるほど。王妃を囮にするわけですな」

と、ソメノ第四部隊長がニヤリと笑う。

「となると、どういった騎士と兵士をご要望ですかな。力のある者か、機敏性に優れた者か、それとも・・・」

と、ハイゲル第二部隊長もサーライナの瞳を覗き込んでくる。


「そうだな。私がいなくても王妃の世話をするのに支障がないような、女性の必要なものを分かっている騎士と兵士を身近な護衛用として、十二名いれば交代要員としてもどうにかなるだろう。出来れば、近衛騎士団の立つ瀬がなくなる程度に、やることも洗練されていてくれると尚良い。それ以外の四十八名は、・・・私と共に動ける者を。なるべく機敏性に優れ、その土地に馴染める人間がいい」


 そう言って、サーライナは全員を見渡した。


「大切なことは、この勝利をロームにもたらすこと。そして、・・・きっちり特別手当はローム国騎士団がせしめることさ。違うか?」


 プッと誰かが噴き出した。王妃の護衛隊長と言いながら、護衛など最初からする気が無いのだ。どうやらこの人に掛かると、戦争ですら金稼ぎの手段でしかないようである。だが、分かりやすい。

会話そのものは自分達の上司に任せていた副官やその他の小隊長達も、やれやれといった面持ちになった。

 サーライナは蠱惑的な微笑を浮かべ、皆の視線を自分に集めた。一時的な復帰だからと、将軍と部隊長達に上席を譲ってはいるが、存在感がかすむことはない。


「リガンテ大将軍からは、好きなようにしていいと言われている。王の内諾も得た。お飾りはお飾りに任せておいて、我らは我らのすべきことをするだけのこと。・・・たとえ、三騎士団で一番格が低いとされていても、ロームの名を持つローム国騎士団こそが、真実のロームの盾と剣。ゆえに全ての部隊長が将軍の実力を持ち、一番大きな騎士団たりえるのだ。・・・パストリアの鼻っ柱を折り、ロームの全てを踊らせてやろう。ローム国騎士団ある限り、ロームに敗北はない!」


 おおっという歓声が室内を揺るがす。


「近衛騎士団や王都騎士団なぞ目じゃないってことを教えてやれっ」

「パストリア出身の王妃に、ロームの真価を見せつけてやろう」

「我らが騎士団ある限り、ロームは不敗だっ」


 男ばかりの騎士団で、たった一人の女。しかし、その黒い瞳が力強く開かれている限り、敗北はないとも謳われた前将軍である。体調を崩して引退したものの、こうして目にする姿は、以前よりも女性らしさが増しこそすれ、決して衰えた様子はなかった。

 しかも、現将軍のクネライとて武勇を誇る偉丈夫である。そもそもローム国騎士団の全ての部隊長は、誰であっても将軍として名乗ってもおかしくない実力の持ち主だった。サーライナの言葉は、決して誇張でも何でもない。

 室内だけではなく、その外にいた男達にも、自尊心の高揚と歓声が広がっていく。


「どうした、カロン。・・・しけたツラをしやがって」

「分かってるくせに訊かないでくださいよ、ソチエト部隊長。・・・やっと屋敷で俺の帰りを待ってくれるようになってたんですよ。可愛く笑ってくれたりもしてたんですよ。・・・それをよりによって、何で男共に囲まれてるんですか、あの人」


 かなり嫌そうな顔になっているカロンにソチエトが話しかけると、カロンは泣き言を漏らす。

 歓声を抑えようと立ち上がったサーライナは、それこそ部隊長達に気兼ねしていた他の人間に囲まれて、様々な声を掛けられていた。


「ま、引退式すら行わずに去っていかれた方だったからな。これは仕方あるまい。諦めろ、カロン」


 サフィヨールが引退して以降、ソチエト第五部隊長は、小僧ではなく、カロンと呼ぶようになっていた。それはサーライナにだけ執着をみせるカロンに、それでもちゃんと個人としてのカロン自身を見ている人がいるのだと、知らしめる意味もあっただろう。

 同格の部隊長同士だが、カロンにもソチエトの気持ちは通じていた。だから、その呼ばれ方をカロンが嫌がることはない。

 

「おいおい。元々、うちの将軍だったあの人が、男に囲まれてなかった時こそないだろう。それをお前が屋敷で囲い込んだことが間違いだっただけさ。ま、いい夢を見たと思って、俺達に返せや」

と、ハイゲル第二部隊長が、カロンに軽口を叩く。

「それは言えますな。しっかり全ての教えを受けて、ちゃっかり結婚まで持ち込んだ上、ここ数年は二人きり。・・・そろそろ返してもらってもいい頃だ」

と、ソメノ第四部隊長も頷く。

「は? いや、返すも何も、最初からあの人は俺のですからっ。勝手に自分達のだったとか、言わないでくださいよっ。言っときますが、俺のっ、妻っ、なんですからっ」

「何を言ってやがる。忘れてるかもしれんが、この中でお前が一番の新入りなんだぞ。まあ、新人というには(とう)が立ちすぎちゃいるがな」

と、カロンの必死の訴えを、クネライ将軍が頬杖をつきながら却下する。視線はやはり、皆に囲まれているサーライナに向けられていた。


「以前は人を寄せつけない空気があったもんだが、・・・今はまるで全てを惹きつけるかのようだな。本当に退屈させん。入団した時から、彼女は特別だった。ローム国騎士団がどれ程に強い将軍を輩出しようが、・・・彼女のような将軍を出すことは、二度とねえだろうよ」


 そんなクネライの言葉に、誰もがサーライナを見る。

 会わなかった数年間の間に増えた傷を指摘されている騎士はくすぐったそうな顔をしていた。背が伸びたなと、言われている青年も面映ゆそうである。


「第六部隊長も、ここは引いておけ。屋敷にいる時はともかく、・・・戦場にいる時のあの人は、我らが騎士団のものだ。その肩書きが何であろうともな」


 カリスフ第三部隊長が、カロンに宥めるような視線を向けてくる。その言葉を裏づけるかのように、サーライナがいなくなってからの日々を彼女に語る騎士達は、上司である部隊長達すら目に入っていない様子だった。

 そしてサーライナも、静かに頷きながら話を聞いている。

 これからもサーライナと身近に話せる機会の多い部隊長クラスは、諦めの境地で待つことにした。今しばらく、サーライナを取り巻く熱狂は収まりそうになかった。






 王妃の侍女にルーナを推薦したのは、理由がないわけではなかった。


「王妃様。どうぞ天幕へお入りくださいませ」

「分かったわ。・・・ごめんなさいね、ルーナ。ちょっと外の風に当たりたかったの」


 フィツエリの衣装に身を包んだレイリアーネ王妃は、そう微笑んで天幕へ入った。

今回、王妃の身の回りの世話をする侍女としてフィツエリ男爵家令嬢ルーナが、ロシータを伴って同行している。フィツエリは独特の文化を持ち、頭からかぶったベールでほとんどの全身を覆い、衣装もまた体の線を隠すものだ。

 戦場とあって、血に逸った男共を刺激しない意味合いもあったのだろう。髪の色すら分からぬベールをかぶった彼女達の素顔は、身近に接する騎士達ですら見たことが無い。

 

「ふふっ。こうしてベールをかぶってしまうと、本当に分からないものなのね。私、今日もルーナと間違えられちゃったのよ。クセになりそう」

「まあっ。それはいいですけど、バレないようになさってくださいませね、王妃様? ローム国騎士団の方は大丈夫ですけど、近衛騎士団なんて誰の息がかかってるか分かりませんもの」


 天幕の中に入ってしまえば、こんな非日常の空間だけに砕けた会話になる。フィツエリという変わった衣装文化を前面に押し出して、彼女達はいざとなったら王妃が王妃とは分からぬようにもしているのだ。


「大丈夫よ。今日も、ソチエト部隊長が水汲みについてきてくれたんだけど、ちゃんと周囲が聞き耳を立てているのを考えて、私のことを『ルーナ殿』って呼んでくるのよ、私って知ってるくせにね。それに、いざとなったらどういう所に逃げるのかも、全部教えてくれるの。本当にわくわくしちゃう、こんな時なのに。私ったら不謹慎ね」


 そんな王妃に、ロシータは微笑んだ。


「ソチエト様でしたら信頼できる方ですわ。お年を召していらしても、強くて頼りになりますの。ルーナ様と私も、ソチエト様が指揮する軍と共に旅したことがございますが、部下の方々も紳士的でした。今回、王妃様の護衛をソチエト様が仕切ってくださってるだなんて、本当にケリスエ様は王妃様に対して万全の備えをなさってくださいましたのね」

「それなんだけどっ。そのケリスエ前将軍が私の護衛隊長だった筈なのよね。同じ女性だからって。・・・なのにケリスエ護衛隊長どころか、そのソチエト部隊長が護衛隊長になってるような気がするんだけど、・・・これ、全くもって気のせいじゃないわよね?」


 王妃としては、騙された気分だ。憤慨しているとばかりに言い募った。別にソチエト第五部隊長に不満があるわけじゃないが、わざわざ抜擢されたケリスエ護衛隊長は何をしているやら。

まさかのサボリ? サボリなの? と、それこそ、馬鹿にされた気分でもある。


「あら、言われてみれば・・・。ケリスエ様ったら、最初に顔を見せてくださったきりですわね。うふふっ、やっぱり男装なさってる方が素敵でしたわ。・・・ねっ、王妃様。ケリスエ様のあの青紫色の髪紐、ご覧になりました? 私とお揃いなんですの。ふふっ、お似合いでしたでしょう?」

「ルーナ様。恥ずかしいので、王妃様にそんなことを仰有らないでくださいまし。フィツエリにいらっしゃる旦那様がお知りになったら、怒られるどころではすみませんよ」


 だが、ルーナは全く違うことが気になるらしく、王妃の質問をスルーした。それどころか、ベールの下にある自分の髪紐を見せてくるときたものだ。王妃がその髪紐を見ると、青紫の細いリボンを複数編むような感じにして作ったものだと分かる。


「その髪紐は気づかなかったけど、可愛いわね。・・・だけど、こんなベールをかぶった姿で生活するようにとか言うし、しかも私用の天幕は広いのに使わせてくれないし、それでいて私達が三人揃って侍女の天幕ってどういうことなのよ」

「念の為だそうですよ、王妃様。ちなみにルーナ様は、ケリスエ様のファンなので、いささか話が狂うかもしれませんがお気になさらないでくださいませ。・・・もしも、王妃様を狙う人間がいたとしても、王妃様は侍女を装って逃がすようにと、私達も言い聞かせられております。王宮にはどんな目と耳が入り込んでいるかも分からない為、私共が王妃様に付けられたのだと。王妃様用の天幕にはお近づきにならぬように。常に私が、王妃様が生活しているかのように、適当に工作させていただいておりますから」


 ロシータは王妃に向かって微笑んだ。三人はあくまで侍女を装って、王妃の天幕の傍にある小さな天幕で一緒にいるのだ。


「・・・それはいいんだけど、ルーナったらケリスエ前将軍のファンって、どこがいいのよ? あなた、そのケリスエ前将軍の推薦って話だったけど、どこで知り合ったの? 大体、ケリスエ前将軍なんて、いつも何も話さずに、その場からいなくなってる人だったじゃない」


 かつてケリスエ前将軍は宴の時でも控え目にしており、用事が終わればさっさといなくなることで有名だった。だから王妃にしてみれば、そんな人のどこがいいのか、全く分からない。

 が、その意見は、ルーナとしては聞き逃せないものだった。


「ま。王妃様ったら見る目がありませんのね。・・・けど、いいですわ。ライバルは少ないに越したことはありませんもの。大体、あんなにも存在感があって、唇から出る言葉は人を酔わせて、それに誰よりも強いくせに、とろけるように甘い方なんて、他にはいませんわ。・・・あの方に比べたら、そこらの男なんてカスですわ、カス」


 うっとりと話すルーナに、王妃はそこで眉根を寄せてしまった。


「存在感って、・・・いつだって、いつの間にか消えている人だったわよ? 人を酔わせる言葉どころか、寡黙で知られる将軍だったじゃないの。そりゃ強いとは聞いたけれど・・・。甘い人どころか、ここまで人を放置してくる人じゃない。ルーナ、あなた、ちょっとおかしいんじゃないっ」


 ロシータは、ちょいちょいとルーナの袖を引いた。


「ルーナ様。そこまでになさいませ。ケリスエ様があなたを特別扱いしていたのは、それはあなたがしつこすぎたからです。ケリスエ様は、常に孤高の将軍でいらっしゃいました。寡黙で控え目な方という認識が一般的でございます。誰にでも甘い言葉を囁いていたわけではありません」


 ぽっとルーナが赤くなる。そんな頬を押さえる様子は、まさに恋する乙女だ。


「え? やっぱり私ってば特別? 特別だったのかしら。そうよね、そうだったわ。ふふふふふ」


 駄目だこりゃと、ロシータは救いを求めて天幕の隅を見た。・・・どんな助けも存在しなかったが。


「何よ、それ。それこそ聞き捨てならないわ。いいわ、ルーナ。どうせ夜は退屈なんだもの。聞かせなさいよ、そのケリスエ前将軍の甘い言葉とやらを」

「よろしゅうございましてよ、王妃様。教えて差し上げましょう。いかに男というものが自堕落で情けなく生きる価値のない動物なのか、そしてケリスエ様がどんなに素晴らしい方でいらっしゃるかを。・・・あ、ですけど、ケリスエ様は私のですから。手を出さないでくださいましね」


 いくら素敵でも駄目ですからねと、ルーナはチッチと指を振る。


「どうして私が女性に手を出すのよっ。言っとくけど、私の旦那様はここの国王なのよっ、国王っ」

「えー。まあ、それはそうなんですけど・・・。ま、やはり魅力的な存在といえば、ケリスエ様ですわ。王妃様はそこが分からないだなんて、お気の毒ですこと」

「失礼なっ。なら私は陛下の素晴らしさを語ってあげてよ。あなたはケリスエ前将軍の素晴らしさを語りなさいな。そして勝負しましょうっ」

「よろしゅうございます。受けて立ちましょう」


 この人選は、全てにおいて間違いだったと、ロシータは虚ろな瞳になった。ルーナのそれは、既に王妃に仕える侍女のものではない。そう、ルーナが王妃付きの侍女ということに間違いがあったのだ。


(そりゃ王妃様も楽しそうですけど・・・。ですけど、何かが違うような気がします。少なくとも、これが王妃様と、王妃様付きの侍女との会話だなんて、あり得ません。ケリスエ様・・・。どうしてあなた様はルーナ様を推薦なんてなさってしまったのでしょう・・・)


 ちなみに王妃が言った通り、夜は長い。ちょうどその時、やることもなかった国王は王妃の機嫌伺いにと天幕へやってきていた。何重にも張られた天幕は、外周からはどこの位置に王妃がいるのか分かりにくくなっている。

 従って、一番外側に居た兵士に声を掛けると、兵士は慌ててソチエト第五部隊長を呼びに行く。


「陛下。・・・妃殿下にご用でしょうか。では、先触れを」

「良い。ここは宮廷ではないのだ。そのまま案内してくれ。休んでいるようなら起こしたくはない」

「では」


 国王が不要という以上、それが全てだ。ソチエト第五部隊長は、国王を内側にある王妃のいる天幕へと案内する。

 まだ三人は眠っていないようだった。近づくと、女性の声が聞こえてくる。


「・・・えーっと、陛下。どういたしましょう。先に声をお掛けしてきた方がよろしゅうございますか?」

「・・・・・・いや」


 困ったような顔をしつつ、小さな声で尋ねてくるソチエト第五部隊長に、国王は短く答えた。

 革と布で作られている天幕は、人の声をかなり通すのだ。


「あら、王妃様。国王様は、『好きだ』としか仰有ってくださいませんの? 駄目ですわ、それ。ケリスエ様なんて、

『あなたの笑顔は、暖かさを人に与える太陽のようですね。その証拠に、あなたの髪をこんなにも太陽が輝かせているではありませんか。きっと太陽が生み出す妖精がいたら、あなたこそがその太陽の乙女でしょうね』

ぐらい、言ってくださいましてよ。王妃様だって、素敵な髪をなさっているんですから、それぐらい言わせなくちゃいけませんわ。ほら、蝋燭の炎に揺らされて、とても綺麗な色をなさっているじゃありませんの」

「そっ、そんなことっ、陛下が言ってくれるわけないじゃないっ。男の方は、そんな恥ずかしいこと、言わないものなのよっ」

「それは単なる手抜きですわ」


 国王は無言になった。

 ソチエト第五部隊長についてきた騎士達も、すかさず腹に力を入れて笑いをこらえた。ルーナをケリスエ前将軍が可愛がっていたことは、その時代を知るローム国騎士団の面々なら知っていることだからである。


「だけどっ、だけど陛下は私とダンスを踊ってくださるのよっ。とってもうまいんだからっ」

「そうですわね。陛下と妃殿下はとてもお上手で、私も何て素敵なんだろうと、初めて舞踏会で拝見した時には感動したものですわ。軽快に踊る妃殿下は春風のようでしたし、それを支える陛下とも息がぴったりで、本当に見惚れてしまいましたもの」


 そこはルーナも素直に認める。外で聞いていた国王も、うんうんと胸を撫で下ろした。

 やはり、先程の言葉はぐさっとくるものがあったのだ。何にしても、ダンスが得意な王妃の為に、自分も頑張った甲斐があったと思う。世辞でなく、こうして感動したと言われるのは悪くない気分だ。


「私はその点、ダンスはヘタクソで駄目なんですの。ですからケリスエ様は、

『誰も見ていないテラスに行きましょうか。それなら上手も下手もないでしょう? ほら、月しかあなたを見ていません。さあ、この手を取って踊ってくださいませんか? 大丈夫、たどたどしいステップですら、あなたの魅力を増すだけですよ。何て可愛らしいのでしょう』

と、誰もいないテラスへと(いざな)ってくださったものですわ。そして舞踏会の音楽を夜空の下で聞きながら、二人だけで踊ったのです」


 当時を思い出して語るルーナは、夢見るかのような声音だった。

 国王はちょっと頬をぴくぴくさせてしまった。たしかにルーナは自分をヘタクソと認めている。しかし自分達夫妻はとても上手だ。だから、別に問題はない。問題はない筈なのだが・・・。

 何故なのだろう。この試合には勝ったけれども勝負には負けたというような、・・・この敗北感は。


「・・・ま、負けたわ。それなら私も陛下と夜空の下で踊りたかったわよ。・・・それに、それに、陛下、・・・私にはそんな誘うような台詞だなんて、褒めてくれたことだって、・・・ない。私、頑張って練習したのに」


 どうやら王妃は少し涙ぐんでいるようだった。

 だが、国王としては声を大にして言いたい。「そんなこっぱずかしい台詞を、大の男が言えるか」と。


「まあ、ひどい。王妃様はあんなにお上手ですのに。私もあれだけ踊れたら、もっとケリスエ様とべったり踊れるのにって、羨ましく思ったものですわ。ですけどね、王妃様。三番目のテラスは、曲の響き具合がなかなか良い上、時刻的にも月が綺麗に見える場所ですの。しかも灯りの置かれている位置が絶妙なのですわ。お互いの顔しか瞳に映らない上、他の人間の存在を忘れ去ることができるスポットでしてよ」


 尚、ルーナの頭の中では、その時には近くで待機していたカロンの存在はないことになっている。

 だが、聞いていた国王の頬は大きく引き攣った。

何がひどいと言うのか。それに思い返せばちゃんと、「王妃はダンスが上手いな」と、褒めたことはある筈だ。それで十分だろう。

それにどうして舞踏会で、王と王妃がこっそりテラスで隠れて踊らなくてはならないのか。・・・だが、ロマンチックな何かを求めて、王妃がそれに影響されてしまったのは分かる。


「けどっ、思うんだけどっ、それはケリスエ前将軍が女性だからよっ。男の方はそんな褒め言葉、そうそう出ないものなんだからっ。そりゃ、・・・そりゃ、私だって、たまには陛下にそんなこと言ってもらいたいけど・・・・・・」


 最後は言葉に威力がなくなっている。どうやら自分も甘い言葉を掛けてもらいたいらしい。

そんないじらしい王妃の言葉に、国王の胸はドキュンと射抜かれた。


「あら。そうでもないそうですわよ、王妃様。男の方でも言葉を惜しまない方はいらっしゃいますわ。何でも王都騎士団のフォンゲルド様、でしたか? あの方の奥様、黒い巻き毛の綺麗な方なんですけど、フォンゲルド様ったら、常に甘い言葉ばかり奥様にかけていらっしゃるそうですの」


 容赦ないルーナの指摘に、国王は違う意味で胸をグサリと突き刺された。・・・よりによって、あの狂犬を引き合いに出されるとは。


「フォンゲルド様はですね、奥様に『君の笑顔が何よりものお守りだ。だから笑ってくれないか?』とか、『誰よりも君を愛してる。だから、君の愛以外に欲しいものはない』とか、『君の優しい腕に触れているだけで幸せになる。このまま、君の指を俺の指に絡めさせてくれ。君が他の誰にも瞳を向けないように。可愛い息子にすら嫉妬してしまうんだ』とか、毎日のように仰有るそうですのよ。かなり色気のある方らしいですわね」

「フォンゲルド殿なら知ってるけど、・・・確かに色気のある方よ」


 ロメス・フォンゲルドを見知っている王妃は、ルーナに頷いて同意する。勿論、王妃に、ロメスの異名やぶっ飛んだ行動っぷりを教える人間はいなかった。

 国王は、ちょっと待てと、本気で思った。あんな女たらしのどこに褒める要素があるのか。


「しかも、王妃様。そのフォンゲルド様、奥様一筋らしく、浮気の一つもされないそうですのよ」

「まあ。・・・あんなにも格好いい方なのに、何て立派なんでしょう」


 天幕の外で聞いていた男達は、全員、即座に(それは嘘だ。あり得ない)と思った。けれどもロメスのカレンに対する溺愛は有名だ。そりゃ、カレンに浮気がバレるような間抜けなど、ロメスはやらかさないだろう。


「けれど、・・・フォンゲルド殿が、子供もいるのに今もずっと奥方に褒め言葉、いえ、口説き言葉を欠かさないだなんて知らなかったわ。・・・陛下、私には、もう飽きてしまったのかしら」


 比較して悲しくなったのか、王妃の声が沈み始める。

国王は、かなり慌てた。別に王妃に飽きてなどいない。それは誤解だ。


「そこですわ、王妃様。そこで引いてはなりませんのっ」


 ルーナはそこでぴしりと言い放つ。


「王妃様。恋愛とは戦いです。結婚していようがいまいが、勝ち続けなくてはなりませんのよっ。陛下が愛に対して手抜きなのか、王妃様に対する愛が無いのか、単に可愛らしい王妃様よりも男が本命なのかは知りませんが、あなたはこの王国の王妃なのです。この国全ての女性の模範として、常にあなたは愛に勝利せねばなりませんっ」


 国王は、がくっと脱力した。

 王妃への愛を疑われるのも心外だが、どうしてそこで、三番目に自分の本命が男だなんて例が示されるのか。


「いいですか、王妃様。陛下の愛が無ければ奪えばいいのです。あなた様以上にその権利を持つ方は存在しませんのよ。あなたは愛の狩人、陛下の愛はあなたの獲物なのです。それでこそ、我が国の頂点に立つ女性でしてよっ」


 国王はそこで思った。いらんことを言わんでくれ、と。愛が無いも何も、自分と王妃は相思相愛だ。そこに存在する愛を、わざわざ無かったことにしないでもらいたい。

フィツエリ男爵家令嬢のルーナ姫。・・・・・・ケリスエ前将軍は、何を考えて彼女を王妃の侍女に推薦したのだろう。


「陛下の愛って・・・。どうやって?」


 おずおずと、王妃が尋ねている。頼むから、彼女にだけは指南を頼まないでくれと、国王は切実に願った。

 何より自分は王妃に愛を捧げているつもりだ。この戦争だって、王妃への愛があるからではないか。


「いい心掛けですわ、王妃様。ええ、愛は待ってるだけじゃ駄目なのです。人は押されると弱い生き物ですわ。何故なら誰だって愛される快感に酔いたいからです。甘い言葉が効くのは女性だけではありません。男の人が弱い言葉は、いい気にさせてもらえる言葉ですの。たとえばですね・・・」


 そこで、国王の腕をトントンと叩く指があった。

 振り向くと、重々しい顔でソチエトが視線だけで出口を指し示す。

 王妃にご機嫌伺いをする前に、愛どころか全ての精神力を奪い取られてしまったような気のする国王は、黙って出口へと足を運ぶことにした。

 やがて最奥の天幕から離れると、誰もが深く息を吐く。

 先程の会話は、国王じゃなくても、男にとってそれなりのダメージがあった。


「あ、まあ・・・。陛下。ルーナ姫は、本来、宮廷に上がる侍女教育も受けていらっしゃいませんし、今回はあくまで妃殿下の身を守ることを考えて、ですな・・・」


 コホンと咳払いをしながらソチエト第五部隊長が、そんなことを言う。だが、国王はそんな言葉など聞いてはいなかった。


「なあ。私は世間から見れば手抜きになるのか・・・?」

「・・・・・・・・・」


 そんな物悲しい国王の問いに、答えられる男は存在しなかった。

 そもそもルーナの基準に照らし合わせるならば、そこにいる男でクリアできる人間は存在しなかっただろう。

 国王の心を、物悲しい風がひゅるりーと吹き抜けていった。




 さて。

 パストリアの攻撃よりもルーナの舌こそが国王の心をずたぼろにするとは知らず、サーライナは戦いの場の下見へと来ていた。

 まだ戦が始まってもいないその場所は、ただ静かな平野である。


「幽閉されている筈の、王妃の弟王子は牢を移されたらしい。・・・恐らく、これに出陣させられるだろう。周囲を見張りに囲まれた上でな」


 サーライナの声を、騎士と兵士達が静かに聞いている。


「戦とは、こじつけであっても自分が正義であるという建前が必要になる。ロームに嫁いだ元パストリア王女への侮辱だの何だのと言ったところで、その元王女は大事に王妃として遇されている。・・・ここは同腹の弟王子を戦場に持ってくることで、パストリアはその言い分を貫こうとするだろう」


 サーライナは広々としたその地帯を示した。


「同時に、適当なところで、その弟王子は暗殺される筈だ。ロームに嫁いだ姉王女を救おうとして命を落としたのであれば、パストリアの面目も立つ。弟王子を守る騎士は、その辺りを言い含められているだろう。・・・さて、そうなると、弟王子が位置される場所はどこか、だ。皆の勇気を鼓舞する為に使われ、適当なところで始末される王子の位置は」


 どの騎士も兵士もそれなりの経験を積んできている。自分だったらどういった場所にそういった王子を配置するかを考えれば、幾つかの候補は誰もが思いついた。

 サーライナの指も幾つかの場所を指し示していく。


「さて。パストリアは付近の村人を兵士として取り立て、更に幾つかの領内からも戦える人間を出させた。それがこのリストだ。全員、これを頭に入れておけ。そして、色違いの布袋に入れてある丸薬は、機会があれば王子に飲ませる毒薬だ」


 そう言って、全員にサーライナはリストと布袋を配った。


「殺すつもりの弟王子につけられている騎士や兵士は、逃げ出さないようにと見張っているだけだ。守る気などありはしない。この戦で急に集められたとなれば、全てが混乱している。そこに各自入り込み、・・・首尾よく王子に接触できた者は、まず青い袋の丸薬を水に溶かしてでも飲ませろ。すぐに腹痛を起こす筈だ。そして、そんな余裕がないと判断した場合は、赤い袋の丸薬を飲ませろ。すぐに体が痺れて動けなくなる筈だ。・・・・・・尚、成功した者がローム陣営に帰り次第、ローム国騎士団の旗の上に赤い布を垂らす。赤い布がローム陣営に垂れているのを見たら、そのまま適当に夜陰に紛れて抜け出せ。決して犬死にはするな」


 力強い瞳が全てサーライナに集まる。


「いいか。・・・何があっても生還することを優先しろ。弟王子のそれは、あくまでオマケにすぎないのだからな。各自、個別であろうと、チームを組もうと構わない。解散っ」


 その言葉に、全員「はっ」と、一斉に応える。

 ある者は、戦に加わるべく遅れて駆けつけたのだと言わんばかりの設定で。

 ある者は、一旗揚げる為に仲間達と共に参加しにきたと言って。

 ある者は、無理矢理に組み込まれたと言わんばかりに。

 ある者は、そのまま村人達に紛れて。


 固まっていれば目立っただろうが、一人や二人程度の人間が増えようが減ろうが、大所帯の軍では全く分からないものだ。

 彼らは自分の見た目や印象を考えた上で、一番良いと思われる身の上を考え、そうしてパストリアの中へと潜り込んでいった。


【緑の瞳のファム・ファタール】



 ローム王国にあるフィツエリ領。そこは温泉の豊富な、温暖な気候の地域である。そして独特の文化を持つ。

 フィツエリ地方の女性は、基本的に男性と結婚するまであまり交流しない。平民であれば普通程度の会話はするが、裕福な家の女性になれば、結婚するまで家族以外の男とは口もきかないものだ。

 そして、フィツエリの女性は、頭から大きな布をかぶって全身に纏い、体の線も着ている服も分からぬようにしたり、大きなベールをかぶることで体の線を隠したりと、それこそ自分の顔を男性にさらすこともせず、あくまで慎み深く生活していることでも知られている。

 結婚するまでベールに隠された髪の色すら分からない、そんなミステリアスな女性を生み出す地方。それがフィツエリなのである。


「あ。おい、来たぞ。フィツエリの君だ。昨日と同じ人なのかな」

「なんか違うような気がする。だけど、・・・いいよなぁ」

「王妃様の侍女ってフィツエリ男爵家のルーナ姫だろ? それとも他の侍女殿かな」

「誰でもいいさ。あの真っ赤になって恥じらって、小さな声で答えるところがいいんだよな。くぅっ、嫁さんに欲しいっ」

「無理無理、高嶺の花さ」


 そこはシールルー平野に展開されたローム軍の野営地である。現在、彼らはパストリアとの戦で、そこに展開していた。

 その中に同行してきた王妃とそれに付き従う侍女達にはローム国騎士団が護衛にあたっているのだが、水汲みや食事運びといった仕事で、侍女達は天幕外へと出てくるのだ。

 戦場といえば男ばかりだ。そんな中、全身を布で隠しているとはいえ、女性の姿は心が慰められる。

ましてや、ちょっと水汲みを手伝ったりするだけで、

「ありがとうございます、騎士様。・・・たのもしいんですのね」

と、微笑まれるのだから尚更だ。目元しか見えないので微笑んだかどうかを本当に確認できるわけではないが、そこは想像で補うものだ。そう、男は想像で全てを超越することが出来る。

勿論、侍女には護衛の騎士か兵士も同行しているのだが、男同士、その辺りは分かるからだろう。ちょうど行き当たった騎士や兵士が、そんな彼女のお礼の言葉欲しさに手伝ったりしても、目くじらを立てはしない。少し離れた所で見守る程度だ。


「しっかしよぉ、ローム国騎士団の奴らも分からんもんだよな。あんな清楚な侍女達がいて、口説きもしねえのかよ。男じゃないんじゃないか」

「それは言える。俺なら護衛しがてら、絶対に口説くね。何の為に護衛についてんだよ」

「おかげで、俺達が手伝えるからいいけどな。この間なんて、食事を取りに来た際に、果物をおまけにつけたら、『いいんですの? だって、皆様方こそ頑張ってロームの為に戦ってくださってますのに』なんて言われちまったんだぜ。なんって優しいんだろうな。ホント、王都のプライド高い女達とは大違いっ」

「言える言える。フィツエリの君って、手が触れただけでも真っ赤になるんだよな。あの黒い瞳が揺れたベールの中から見えた時にはドキッとしちまったね」

「そうか? 俺は緑の瞳をしたフィツエリの君狙いだね。なんつっても、少し話しただけで楽しそうにコロコロと笑う所がいいんだ。可愛いよなあ」


フィツエリ出身の侍女が何人付き従ってきているのかは不明だが、せいぜい三人かそこらだろう。しかし、名前も顔も分からないのだからと、今、近衛騎士団では、侍女達は全員まとめて、フィツエリの君と呼ばれてしまっていた。

 とはいえ、ここは戦場で、彼女達は王妃付きの侍女である。手を出すことなど許されない。

 従ってあくまでこっそりと、「フィツエリの君、心の中だけ親衛隊」がメンバー増殖中なのだ。




 さて、そんな清楚とは裏腹なフィツエリ男爵家令嬢ルーナは、王妃を前に、愛の狩人作戦を指導中だ。言うまでもないが、兵士達の言うところの「フィツエリの君」のイメージは、ロシータの努力によるところがかなり大きい。

 肝心のルーナは、真剣な面持ちで王妃に向かい合っていた。


「いいですか、王妃様。男なんて、自分は男なんだからとおだててもらわないと嫌なくせに、それでいて土壇場では役に立たないメンタル惰弱な生き物です。従って、そういうものをいいようにあしらおうと思ったら、演技力は欠かせません」

「そ、・・・そう、なの? うちの陛下は頼もしい、・・・わよ?」

「フッ、甘いですわ。・・・大甘ですわよ、王妃様」


 ルーナは、酸いも甘いも噛み分けた、様々な生活と男と女を見てきたかのような(かげ)りのある笑みを浮かべた。彼女を覆う悲しみの表情は、まさに苦悩の日々を送ったことのある、年を重ねた女ならではのものだ。


「私も、・・・そんなことを思った日がありましたわ。そう、あの時の私は若く、世界は輝き、願い努力すればいつかは全てが叶うのだと、愚かにも信じておりました。ええ、私は何も見えていなかったのです。ですから、信じてしまいましたの。・・・女性よりも力強い体を持つ殿方は、自分よりもはるかに優れ、物事を成し遂げる力があるのだと」


 少し離れた所から見ていた騎士達は、「・・・いや、まだ若いよな」「てか、この中で一番年下だろうが、おい」「そもそも、うちの息子よりも若いのだが」と、こそこそと囁き合う。少なくとも、そんな台詞を言うには、二、三十年早いだろう。

だが、それをルーナに指摘する勇者はいなかった。


「けれども、夢はいつか覚めるものですわ、王妃様。・・・私にもそんな幻想から覚め、現実に向かい合う日が訪れてしまいましたの。そう、若かった私は全てを失いました。穏やかな家族に囲まれて暮らす日々も、一生に一度の恋も、・・・そして、結婚生活も」

「え、・・・えーっと」


 王妃も、そう言われてしまうと何も言えない。


「私とて政略結婚に夢など見てはおりませんでした。貴族の妻としての責務を果たすことだけが私に残された生きる目的、・・・そう、破れた恋の思い出だけを心に抱いて、そうして一生を終えていくのだと、信じておりましたわ。お相手にも私への愛など求めておりませんでした。互いに愛する人がいても、それでも貴族の結婚とは互いの家と領民を背負ってなされるもの。王妃様、あなたがパストリアを背負ってロームに嫁がれたように、私もフィツエリを背負って嫁ぐのだと信じていたのです」

「そ、それは当然よっ。だって、結婚ってそういうものじゃないの」


 王妃はそこで前のめりになって同意する。愛や恋を語れるのは物語の中だけだ。高貴なる者の婚姻は、全てにおいて財産や権力無しには語れない。

 そこは王妃も直系王族である。政略結婚の重さは、誰よりもよく知っている。やっと自分でも参加できるテリトリーに入ってくれたと思い、拳を握って力説した。

 遠くで聞いていた騎士達は小さな声で、「いや、未だにべったりだろ? あれを、恋に破れたって言うのか?」「穏やかな夫婦の生活を壊されてるのはケイス部隊長の方だよな」「フィツエリの領地から出てくる羽目になったのは自業自得だと思うんだが・・・」と、言わずにはいられなかった。

 だが、そんな大声で言う勇気もない男共など、ルーナにとってはアリ程の存在感もない。


「その通りですわ。女は覚悟を決めて嫁ぐもの。王妃様、あなたが陛下だけを心の支えにして嫁いでいらしたように、私もお相手の誠意だけを信じて嫁いだのです。ですが、そんな私を待っていたものは・・・・・・」

「な、何なの?」


 王妃はごくりと唾を飲んだ。


「旦那様には心の正妻がいて、その正妻は男だったのです。そしてその正妻の男は・・・」

「お、男は・・・?」


 王妃はルーナにぐいっと顔を近づけ、次の言葉を聞き逃すまいとした。男の正妻が男だなんて、初めて聞いたからだ。世界には自分の知らないことがまだまだあるのだと、王妃は知った。


「旦那様の邸にいた若く見目の良い使用人、それも男女どちらにも手を出して、ハーレムを築いておりました」

「な、なんてこと・・・っ!」


 驚きの余り、王妃は手を口に当ててのけぞった。邸の主が使用人に手を出してハーレムを築くのであればありうる話かもしれないが、その邸の主の本妻(ただし、男)が、主の使用人(しかも男女混合)でハーレムを作るとは。何という(ただ)れた男と男のカップルがいたのか。

 そんな王妃に、ルーナは流し目をくれた。


「ねえ、王妃様。近衛騎士団の騎士の方々についてどう思っておいでです?」

「え? 近衛騎士団の方? ・・・そうね、親切で穏やかで頼りになるわよ。私が何かしようとしたら、いつだって助けてくれるもの」


 少し考えて、王妃は答えた。国王が忙しくても近衛騎士団の騎士達はダンスの練習相手になってくれるし、夜も寝ずの番をしていてくれる。今回はローム国騎士団が周囲を守ってくれているが、普段の護衛をしてくれる近衛騎士団は、王妃にとっても馴染み深い存在だった。


「その私の旦那様と、正妻だった男の方、二人とも近衛騎士団の騎士でしてよ」

「えええっ・・・!?」

「しかも、正妻だった男の方は、一時期は王妃様の身近で護衛の任についていたこともある筈ですわ。伯爵家の方ですから」

「・・・いやぁーっ!」


 ぶるぶるぶるっと、王妃は腕を体にまわして身をよじった。

 今まで誠実そうな顔をして常に身の回りにいた、身元も確かな護衛の騎士達。しかし、その裏ではそんな乱れた生活をしていただなんて・・・。


「ふっ、王妃様の人を見る目もその程度だということですわ。・・・その男、更に近衛騎士団にいた従者の少年や、何も分からぬ少女にも手を出していたそうですの。相手が泣き寝入りすると思ったら、どこまでもクズになれる男だったのでしょうね」

「そ、そんな・・・!」


 どうしようと、王妃は思った。まさか、あんなにも頼もしい騎士達に、そんな裏の顔があったとは。

 ルーナは、まるで愚かな子供を教え諭すかのような、慈愛溢れる表情を浮かべて、王妃の手を取った。


「王妃様。・・・そんな男に騙されない為にも、女は賢くならねばならないのです。男の裏をかき、男共の屍を踏み越えて高笑いしてこそ、賢い女と言えるのですわ。腕力で劣るなら知恵を使い、演技力を駆使し、・・・そして全ての頂点に立つのですっ」

「・・・そんな。私に、そんなことなど・・・、それに、それに陛下はそんなことはなさらないわっ。陛下は誠実な方だものっ」


 怯える王妃に、ルーナは畳みかけた。


「では、陛下が男に目をつけられたらどうなさるのです?」

「・・・え?」

「いいですか、王妃様。その本妻だった男は、何も知らぬ従者の少年や少女も毒牙にかけたのですわ。いくら陛下とて、油断している時に襲われては何も抵抗できますまい。ましてや、彼らは無駄に脳みそまで筋肉な騎士達」

「そ、そんな・・・! 私の陛下が・・・っ」


 蒼白になって身悶える王妃である。そんな不敬などまず起こらないだろうという一般常識は、既にルーナの気迫に飲まれた彼女に残っていない。

 そんな二人を諦めの境地で見守っているロシータと護衛の騎士達は、かなり疲れた顔になっていた。ここまでくると、もう何も言えないというものだ。


「申し訳ございません。ソチエト様。私のルーナ様に対するしつけ方がなってなかったばかりに・・・」

「いやいや。ロシータ殿はいつでも頑張っておいでですとも。・・・まあ、王妃様も、・・・ルーナ殿みたいなタイプは今までいなかったでしょうからな」


 ソチエト第五部隊長は苦笑しながら、ロシータを慰めた。

その後ろで、「あんなことを王妃様に吹きこんで大丈夫なのか?」「てか、誰があんな国王を襲うんだよ。美女ばかりの王宮で」「誰か止めろよ」「やだよ、お前が行けよ」「やだよ、怖いじゃねえか」「言える。あの言葉の槍が俺に向かってきたら、立ち直れねえ」と、騎士達がお互いにルーナの制止役を押し付け合う。

 

「お分かりいただけましたわね、王妃様。男なんて、所詮、プライドが高くて筋肉を振りまわすしか能のないサルですの。あなたはそのサル達の飼育係。いいように料理して、そして国王をお守りして差し上げねばなりませんのよ」

「私が・・・、陛下を?」


 国王を守るのだと言われ、王妃がぱっと顔を上げる。ルーナは微笑んだ。


「ええ、そうですわ。国王陛下を騎士団の毒牙から守って差し上げられるのは、王妃様、あなたしかいらっしゃいません」

「・・・やるわ。やってみせる、私」

「その意気です、王妃様。あなたなら、いえ、あなたこそが出来るのです。その庇護欲をそそる容姿、誰もが目を奪われるあどけない笑顔。それがあれば、ほとんどの男はあなたの奴隷ですわっ」


 どうしてそうなるのだろうと、ロシータを含めたソチエト以下、(早く、ケリスエ護衛隊長には戻ってきてもらわねば)と、心の底から思わずにはいられなかった。こうなったルーナを止められるのは一人しかいない。

ルーナにしてもあの失敗した結婚生活は大きな傷になっているのだろう。そう思うと、生半可な覚悟で声などかけられなかったのだ。

 が、しかし。


「ソチエト部隊長・・・。いいんでしょうか、あれ」

「・・・言うな。いざとなったらカロンに押し付けるしかあるまい」


 何の解決にもなっていないが、ソチエトは重々しく答えた。まだルーナとやり合えるのはカロンだけだ。

 けれども、その場に居る男の全てが案じずにはいられなかった。

 パストリアとの戦争が終わる前に、ローム軍を率いるローム国王の心が焼け野原になるのではないか、と。

 ルーナに影響された王妃の突進具合によっては、国王夫妻の仲が迷走することも大いに考えられる。騎士達は目を泳がせて、どうしたものかと溜め息をつく。

 それでもルーナの前に出て、その口による攻撃を引き受けようという剛の者は存在しなかったのである。




 ある日のこと。

 頭から美しい布をかぶった侍女が、水汲みがてら、花を摘んでいた。


(あ。フィツエリの君だ・・・)


 王都騎士団の騎士達は、それと見て、近寄っていった。


「侍女殿。水を汲みにいらしたのですか? よろしければお持ちしましょう。あなたの手に、それは重すぎます」


 掛けられた声に、はっと驚いたように侍女が身じろぐ。

 それは、まさに女性しかいないと言われるユニコーンの園から出てきた乙女のように、男に慣れぬものを感じさせる初々しい反応だった。


「ま、あ・・・。騎士様・・・。そんな、・・・ご立派な騎士様に、水汲みなど」


 鍛えられた自分達の半分もない、細く小さな体だった。なのに、かそけき声ながらも、そんなことはさせられないと可愛らしいことを言う姿に、騎士達の心臓に恋の矢が刺さる。


「そんなことっ。それこそ、こんな小さな手に重い水などどうして持たせられましょうっ」

「そうですっ。侍女殿っ、是非我らにお任せをっ」


 我先にと、水の入った壺を受け取ろうとする騎士達に、おずおずとその侍女はその緑色の瞳を向けて微笑んだようだった。


「ありがとうございます、騎士様方。なんて、たのもしいんでしょう」


 ゆっくりと、それでいて鈴を振るかのような声である。


「ささっ。侍女殿。転んで怪我をしては大変です。お手をどうぞ」

「侍女殿。お花を摘んでいらしたのですね。よろしければ後程、お届けしましょう」


 彼らはそれぞれに良い所を見せようとして侍女を取り囲み、天幕へ送って行こうとした。

 それを疲れたような表情で見ている、本来の護衛である騎士達の表情には気づかずに。


「まあ。さすが騎士様方。紳士の中の紳士でいらっしゃいますのね」


 そうして、手ぶらな状態で緑の瞳をした侍女は、男達を引き連れて天幕へと戻っていった。

 天幕の入り口で水の入った壺を返してもらい、彼女が感謝の言葉を口にしながら見上げると、男達は真っ赤になって言葉もしどろもどろになり、天幕の奥に彼女が消えるまで立ち尽くして見送る。

 そんな男達を、天幕を守る騎士と兵士達が、気の毒そうな目で見ていることにも気づかなかった。


「お帰りなさいませ。・・・素晴らしい成果ですわ。流し目と声と仕草だけでこれとは、さすが王妃様」

「すっごーい。ロシータの真似だけで、今日もわさわさ釣れてしまったのよっ。これで告白されたの二十人目っ。私が普段、本来の姿で出歩く時なんて、せいぜい護衛の一人か二人しか手伝ってくれないのにっ。告白なんて誰もしてくれなかったのにっ」


 先程まで深くかぶっていたベールを取り去ると、感動しているのか、怒っているのか、まさに自分でもわけがわかっていない王妃だ。尚、本来の姿というが、自国の王妃に向かって告白するような馬鹿が宮廷にいる筈もない。その途端、打ち首だろう。

 だが、ルーナは勝ち誇ったように言ってみせた。


「ですから言いましたでしょう、王妃様。ありのままの自分で愛されるだなんて、非効率的ですの。相手の心を射抜く姿を演じ、そして相手の心を奪い取る。愛とは、すべからく盗み、盗まれるものなのです。ありのままの自分を愛してほしいというのは、摘んだ花を花瓶にも活けず、ただ地面に放り出しておいて、それの美しさに感動しろと要求するようなものですわ。ゼロではないにしても、確率的に分が悪うございます」

「な、なるほど・・・。さすがね、ルーナ」


 王妃も身をもって体験した今、ルーナの言葉に頷かずにはいられなかった。

 そんな二人を、護衛している騎士達は胃を押さえながら見守っている。よりによって王妃が男をひっかける練習をしているのだ。それも、国王を誘惑するレッスンとして。


(早く護衛隊長には帰ってきてもらいたい。切実に帰ってきてもらいたい。王にこんなことがバレたらどうなることか・・・)


 だが、王妃の護衛隊の気持ちも知らず、現在、「フィツエリの君、心の中だけ親衛隊」は、特に「緑の瞳の君」を中心に勢力拡大していた。




 そういうわけで。

 ローム軍に戻ったサーライナは、ロシータとソチエト第五部隊長以下に、思いっきり苦情を入れられたのである。


「一時的なものにしても、王妃付きの侍女となれば、ルーナ姫にとっても良い箔がつくかと思ったのだが・・・」


 デクシム子爵家との婚姻により傷ついてしまったルーナの評判を少しでも上げておこうと思ったサーライナだったが、どうやらルーナは自分の評判アップなど考えもせず、その本領発揮と言わんばかりにマイペースにやっていたらしい。

 サーライナとしても、頬を掻きながら苦笑いせざるを得なかった。


「本当に困った姫だな。・・・ま、結果として祖国と戦うことになった妃殿下も気が紛れていたなら何よりだ」


 そう言って、サーライナはロームに戻ったら、(ねぎら)いとして、今回の護衛隊に配属された騎士と兵士達に、酒場で(おご)ることを約束した。

サーライナが戻ってきた時点で、ルーナが王妃よりもサーライナにかかりっきりになることは分かっている。これ以上の問題は起こらない。それに、そういうことであれば、御の字である。

 途端に、彼らは機嫌が良くなった。




 そんなサーライナが戻った翌日のこと。

 朝から、頭からベールをかぶった侍女が散策しているのを、近衛騎士団の騎士が見かけた。珍しく、護衛の騎士がついていない。


(フィツエリの君だ。どの瞳の君だろう・・・。こんな朝早くから歩いているだなんて、まるで朝もやの中に立つ妖精のようだ)


 そんなことを思いながら、騎士は侍女に近づいていった。


「侍女殿。散策でしょうか。何でしたら私めが護衛つかまつりましょう」


 静かに振り返ったその瞳は、緑色をしていた。緑の瞳の君といえば、男を誘う色気のある、それでいて小さく可愛らしいことから人気急上昇している侍女だ。


「いらぬ。お役目ご苦労。・・・持ち場へ戻るがよい」


 静かに小さく、それでいて落ち着いたその声が耳に届く。噂では、緑の瞳の君は、その頼りなさが守ってあげたい気持ちになると言われる女性の筈なのだが。

 驚いて見下ろした騎士を、緑の瞳がまっすぐ見つめてきた。こうして見ると、意外に背も高い。

 フッと、侍女は小さく笑った様子だった。


「しばし朝の空気を楽しんでいただけだ。特に何をするわけではない。・・・だが、そうだな。そなたの気が済むなら、天幕までの供をせよ」

「・・・はっ」


 少なくとも男爵令嬢もしくはそれについてきた使用人の侍女の筈だった。にもかかわらず、貴族出身の自分がつい頭を垂れてしまう何かがそこにある。


(男爵家の令嬢、の筈、なのに・・・。何故だろう、頭を下げずにはいられない。何だ、この胸の高鳴りは・・・)


 それは単に王族ならではの威厳に打たれただけだったのだが、騎士はそうと気づかず、その傲慢な態度すら魅力な侍女なのだと判じた。

今までにも王宮で侍女達と挨拶どころか会話することはあった。だが、こんな思いにさせられた侍女など、一人もいない。

 やがて、天幕へと到着する。


「ご苦労。持ち場へ戻るがよい、堅実な騎士よ」


 侍女が振り返って(ねぎら)った際に、近衛騎士団の騎士はその手を取って(ひざまず)いた。


「惚れましたっ。我が愛を捧げる主になっていただきたいっ」

「・・・・・・・・・」


 その場に沈黙が満ちた。

 騎士が顔を上げると、緑の瞳が軽蔑も露わに見下ろしてきている。それは、逆らえない何かを内包していた。


「・・・だからロームの男は嫌いなんだよっ、どいつもこいつもっ!!」

「げふぉっ!」


 見事な蹴りが、その侍女によって騎士の頬にもたらされた。油断していたこともあり、もんどりうって転がった騎士をそのままに、その侍女は天幕の奥へと足早に去って行く。

 彼が起き上がった時には、もう、その侍女はいなかった。

 天幕を守る兵士達が、気の毒そうな目を向けてくる。


「あの、ですね。・・・余計なお世話だろうとは思いますが、あの・・・侍女殿は無理ですから、お諦めになった方が・・・」

「そうです。あの・・・侍女殿は、どなたであろうと無理ですから」


 そんな慰めの言葉が口々に掛けられるのだから、きっと彼女は結婚しているか、恋人がいるのだろう。

 騎士は唇から流れた血を拭い、立ち上がった。


(フッ、いい蹴り、だったな。緑の瞳の君よ・・・)


 仕方がない。女性の数だけ恋の数はあるのだ。自分はこの、彼女の白い足の痛みをもって恋の形見としよう。

 騎士はニヒルに笑うと、その場を大人しく立ち去ったのだった・・・。




「ど、どうしたの? 何、怒ってるの?」

「放っておいてください、姉上っ。もう嫌ですっ、だからロームなんて嫌だったんですっ。ええ、ロームなんて、義兄上以外にまともな男はいないんですよっ!」


 やがて天幕の奥で、そんな小さな嵐が起こるのだが、それもまた小さなエピソードである。

 



 フィツエリの君・・・。その正体を知る者は誰もが沈黙する、魔性な女性(ファム・ファタール)。証言する人間によって様々な印象が伝えられる彼女を、口説き落とせた男は存在しなかった・・・。

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