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19 失ったもの、言えない言葉(ジルードの異動願い)

○月×日

匿名X:俺、第三ですが、幽霊なんて信じていませんでした。だけど・・・。その屋敷は無人な筈なんです、夜は。なのに、夜に忍び込んだであろう盗賊達が朝には死体になって屋敷の前に並べられているんです。・・・怖いです。死体を見つける度に片づけていますが、既に噂になっています。幽霊兵士が守る屋敷だと。


匿名A:人は知らなくていいことがある。X、・・・何も考えるな。

匿名B:その通り。そして口を噤むんだ。・・・何も言うな、それだけでいい。

匿名C:って、あれやったの、第三じゃなかったのかっ!? 俺、そう信じてたぜ。

匿名X:違います、C。第三は全員関与していないことを確認済みです。

匿名B:X、C、そこまでだ。・・・その幽霊兵士の逆鱗に触れるな。俺とて命が惜しい。言ってやれるのは、それだけだ。


  カーンと名乗っているカロンは、その夜、最後の客も帰って静かになった居酒屋で、世話になった夫婦に挨拶をして、ここを発つことになったと伝えた。


「実は、旦那はどうやら誰かに襲われていたらしいんだ。それでジレームに来られなかったらしい。旦那と知り合いの取引先が、その噂を昨日聞いたと、今日それを教えてくれたんだ。俺と同じように軍隊にやられたのか、盗賊に襲われたのか、その辺りは分からないんだが」


 まずは心配で一刻も早く駆けつけたいのだと言われたら、さすがに酒場の主人も受け入れるしかない。かなり役立ってくれていただけに惜しいが、本来、カーンはその商人の見習いなのだ。


「それでさ、・・・俺としては、シーラも連れて行きたいと思ってる。両親にも紹介したい。俺の故郷はかなりの田舎だが、その分、人情はある。きっとシーラを知れば、両親も喜ぶと思うんだ」


 カーンは照れ臭そうに、ラファイ王国でもかなり遠い田舎の地名をあげた。ジレームから出たことのない夫婦では、名前しか聞いたことのない土地だ。

だが、そんな田舎では、異国の人間を見ることもあるまい。どう見ても他民族のシーラでは受け入れてもらえないのではないかと、夫婦は心配そうな顔になった。けれども男と女のことだ。きっとカーンがシーラを守ってやるだろうと、そう思うしかない。


「シーラがいなくなるのは痛いな。だが、・・・そういうことなら仕方ない」

「何言ってんのよ、あんた。おめでたいことじゃないの。・・・良かったわね、シーラ。カーンさんと幸せになるのよ」

「はい。ありがとうございます、女将さん。私も、女将さんみたいな奥さんになりたいんですけど・・・」


 胸によぎった心配を押し隠し、女将はシーラを祝福した。

 歌い手や踊り子など一夜の恋人としか見なさない人間の方が多い中、真面目に愛を育むカーンの姿勢は、女将にとっても誇らしいものだった。

 はにかむように、そっと頬を赤く染めるシーラを見れば、余計に甘酸っぱい娘時代を思い出す。


「やだね、何言ってんの。あんたみたいな綺麗な娘さんが、あたしみたいになってどうするのさ」


 照れ隠しか、大きくカラカラと笑って女将はシーラの背中を軽く叩く。

尚、そこでケリスエ将軍は、そこは息を吐き出してからしばらく息を止めて苦しい思いをし、そうして顔を赤くするというテクニックを駆使していた。そうして目を潤ませて、女将を見る。


「私、・・・女将さんが、まるでお母さんみたいだなって、そう思ってたんです。もう、亡くなってますけど、生きてたらきっと女将さんみたいだったんじゃないかなって・・・」

「・・・やだよ、ほんとに、この子は。そういうセリフはね、カーンさんのお母さんに言ってあげなさいよ。あんたはね、これからカーンさんと幸せにならなきゃいけないんだからねっ。大丈夫よ、あんたみたいないい子を嫌う人はいないからさ、・・・心配、いらないよ」


 そう言いながらも、女将の瞳にも涙が浮かび、声は震えていた。ぎゅっとシーラを抱きしめる。

 それを見ながら、カロンは遠い目になった。


(なんでこの人、どこに行っても女を口説くんだろう。やっぱり胸があるからか? 柔らかいからか? 若かろうが年老いてようが胸さえあればいいのか? ・・・どうせ、俺にはねえよ)


 見れば、居酒屋の主人もうんうんと頷いてもらい泣きしている。

 他の選抜メンバーが、ジレームで親しくなった誰に対しても何も言わずに行方をくらませたのに比べ、しっかりと別れの挨拶までしているケリスエ将軍とカロンだったが、それだけに最後の最後で自分への愛を疑ってしまうカロンだった。






 ジレーム外にある隠れ家に行くと、待機していた騎士達五名が、ケリスエ将軍とカロンをほっとした表情で迎え入れた。目立たぬように農夫のような格好をしていても、彼らは第六部隊の精鋭だ。

 金髪に青い目をした、まだソバカスが顔に残っている若い男が、ツンとした表情ながらも進み出てカロンが担いでいた荷物を自分の手に移した。名をジルードと言い、騎士見習いなのだが、かなり筋は良い。

 カロンにしてみれば荷物ぐらい自分で下ろすのだが、・・・最近はもう、させたいようにしようと思っているところである。

というのも、「自分でやるから、しなくていい」と言ったら、「なんか俺にさせたくない理由でもあるんですか」と、噛みつかれたからだ。・・・・・・反抗期だろうか。

ただちょっと、そう、ほんのちょっぴりだけ、かつてのケリスエ将軍に対する自分の行動を想起させてしまうから何も言えなかった・・・・・・わけではないと信じたいカロンだ。尚、それについて、カロンは思考を停止させている。

今は落ち着いた振る舞いが堂にいっているカロンだが、色々と思い出したくない若い日々というのはあるのだ。まだ、その時からあまり年数はたっていないけれども。


「昨日、セイランド様ご一行もお立ち寄りになりまして、励ましのお言葉を頂戴しました。・・・どうやら監視らしき者がいたそうで、荷物も持ち出せなかったとのこと。お預かりしておりました糧食や金子(きんす)を渡しております」

「そうか、ありがとう。・・・ロメス殿は寄らなかったか、ジルード?」

「いいえ。お寄りにはなってません」


 カロンの問いに、ジルードと呼ばれた金髪の男は首を横に振る。やることは甲斐甲斐しいし、言葉づかいも丁寧なのだが、表情は常につまらなそうだし、口調も喧嘩腰のことが多い。だが、いつでもカロンにまとわりついてくる。今回も積極的に参加したいと主張したので連れてきたカロンだ。

 別に、かつての自分を思い出して不憫になってしまったわけではないと思う。・・・もしかして、あの人も今の自分のような気分だったのだろうかと思うと、夜、眠る時にもぐるぐるのた打ち回って赤くなってしまいそうな恥ずかしさすら覚えてはいるけれども。

 それに、自分のとは違い、ジルードのそれは、あくまで強い男に対する思慕でしかない・・・筈だ。それ以上のことは考えたくなくて、思考を停止しているカロンだった。


「セイランド殿が荷物を持ち出せなかったとなると、ロメス殿も同様だと思うのだが・・・」


 だが、あのちゃっかりとしたロメスのことだ。うまく脱出して、特に問題なくロームに向かっているのかもしれない。しかし、もしもロメスが捕らえられたりしていたら・・・。

カロンは考え込んだ。しかし、ロメスはともかくとして、こちらも引き払わねばならないのだ。


「まあ、いい。ここを完全に引き払う用意を」

「はい。もうほとんど出来ております。後は、着替えと最後の片付け程度です」

「そうか。では、お前達も旅装束に着替えろ。用意が出来次第、出発する」

「はっ」


 待機組といえども、それだけに信頼できる騎士達だ。指示がなくても状況を察しており、いざとなれば今すぐにでも出られそうな状態だった。普段からカロンに対して突っかかるような言動の多いジルードですら、基本的には何でもがむしゃらに努力する男である。

 ジルードは五人の中で一番若いが、どうもその一生懸命さが微笑をそそられるものらしく、他の四人は、(ま、させておいてやろう)といった感じで、その若さならではの突っ張りを生温かい目で見守っていた。


「本当にジルードは部隊長が好きだよな」

「何言ってんだ、そんなことねえよ。気色(きしょく)(わり)いな」

「照れんな、照れんな。お前も素直じゃねえからな」


 一番近くにいた騎士が、そう言ってジルードをからかう。


「悪いが、桶にぬるま湯を入れて持ってきてくれないか? それから不要な布も欲しいんだが。染めた色を落としたい」

「分かりました。では二階のお部屋でお待ちください」


 彼らがそういったやり取りをしている間に、ケリスエ将軍は他の騎士に耳打ちし、湯を沸かしてから部屋に持ってくるように頼んでいた。黒髪はともかく、褐色の肌は目立つからだ。

 やがて、持ってきてもらった湯を使って肌の色だけ落とすと、髪をわざと荒く結んで顔を隠すようにし、旅人らしい衣服に着替える。顔に埃よけの布を巻き、腰に剣も差してマントを羽織れば、異国情緒漂う歌い手は姿を消し、それこそ荒っぽい稼業の男にしか見えなくなった。


(・・・なんだろうな、今日は気持ちが悪い)


 朝からそんな不具合も自覚していたが、それこそ多少のことならば我慢もできるし、乗り越えてきたケリスエ将軍である。

これは虫の知らせという悪い予感なのか。それとも何か伝染病でももらったのか。

 不安な気持ちがないわけではなかったが、あえてケリスエ将軍は、それを振り払った。

 ここで出発を遅らせて、メンバーを危険にさらすべきではない。いくら機能していないジレームとて、愚か者の集団というわけでもないだろう。中には目端(めはし)()く人間もいる筈だ。

 ジレームを讃えるシーラの行動は問題視などされていなかったが、賢い人間ならば、あれもまた、愛国という名の元に王や貴族への反感を育てさせる手段の一つとも気づくだろう。

 後は迅速なる撤退あるのみ。

 腹部を庇うように手を当てながら、ケリスエ将軍はそれでも自分の体調を客観的に眺め、今晩の宿なり野宿なりでは早めに休めばいいかと、その程度でどうにかなるだろうと考えていた。




「そろそろ出発しますよ」

「ああ、そうか。なら降りていく」


 カロンが呼びに来た為。ケリスエ将軍は横たえていた体を起こした。階段を上がってきているのは気づいていたが、カロンであることも分かっていた為、そのまま寝ていたのだ。

 出発の用意は出来ていると言っていた騎士達だが、きっちり片付けもしていけるならばそれがベストだ。だが、彼らはケリスエ将軍が降りていった時点で、すぐに馬に乗る態勢をとるだろうと分かっていた為、わざと彼女はのんびりしていた。

 カロンが迎えに来たということは、彼らが生活していた痕跡も綺麗に消し去り終わったのだろう。

 髪はまだ黒く染めたままだが、肌は元の色に戻ったケリスエ将軍を見て、カロンは微笑んだ。


「あなたと二人きりの生活もまたしばらくお預けですね」

「・・・何を言ってるんだ、お前は」

「ちょっと安心していたんです。ほら、ロームにいる時、あなた、俺に触られるのを嫌がっていたでしょう」


 それについては、

「別に確たる理由があったわけじゃない。何となく嫌だったんだ」

と、既にそんな説明を受けて、(女って分からない。いや、この人だけは誰も分からないだろうが)と、落ち込んだカロンだった。

だが、ジレームにやってくるのと前後して、

「ん? ああ。あの時は触られるのは嫌だったんだが、今はそうでもない」

と、今度は一転して、どちらかというとカロンと仲良く一緒にいてくれたケリスエ将軍に、カロンは理解というものを投げ出してもいた。

そういう人だ。・・・そう思えば全てに諦めがつく。そう悟ったのだ。


「男なら過ぎたことをぐちぐち言うな」

「・・・女なら、もっとぐちぐち言うもんなんですけどね。ロームに戻ったら、もしかしてまたアレなのかと思ったら、俺だって落ち込むじゃないですか」

「気にしなければいいだろう」

「ええ。あなたはもう少し、様々なことを気にする必要があると思います」


 仮眠していたからだろう、なんだかまだ寝ぼけていそうな妻の顔を可愛いとも思いつつ、カロンはその(おとがい)に手を掛けると、触れるだけのキスをした。


「・・・・・・カロン。それよりも馬が駆けてきている。全力疾走だ」


 大人しくされるがままのケリスエ将軍だったが、不意に鋭い目つきになった。

 二人はバッと瞳を見交わすと、階段ではなく、二階の窓から木の枝へと移り、飛び降りた。

 

「馬に乗ったまま、家の後ろに隠れろ。・・・馬がやってきてる」


 鋭く掛けられたカロンの言葉に、家の前に馬を出していた騎士達は、すぐさま家の後ろへと移動する。やがて、息を殺して様子を窺う彼らの前を人の乗った馬が二頭、・・・そしてしばらくたってから鎧をつけた、まさに戦装束の男達を乗せた馬が二十頭近く、疾走していった。

 カロンが息を呑む。知らず、腰の剣に手を当てた。


「お前らは将軍を守って、けもの道から進んでいけ。俺は後から合流する」

「待て、カロン。私も行く。・・・お前達は先にけもの道へ入れ。あの二十騎の後から、更に兵士達が追いかけてくるのかもしれん。こちらの人数が多ければ多い程、発見されやすい。けもの道を抜けた所で待て。早く行けっ。絶対に見つかるなっ」


 そう言うと、カロンよりもケリスエ将軍が先に馬を駆けさせて行ってしまう。そのまま続きたかったカロンだが、五人を振り返った。


「将軍はああ仰有(おっしゃ)ったが、・・・ついて来い。何があろうと、あの人を守れ」

「はっ」


 本来、第六部隊長であるカロンよりもケリスエ将軍の方が上位である。だが、彼らはカロンの指示に従い、すぐにカロンの後に続いた。






 まだ距離はあるものの、いずれは背後から追ってくる軍馬に追いつかれるのも分かっていた。なぜなら目立たぬように、年老いた安い馬を使っていたからだ。


「安心しろよっ。狼が良い場所を教えてくれた。けもの道があるような森の中なら、あいつらなど次々に殺してやるさっ。お前は足手まといだから、さっさと離れろよ。それに男が傍にいるのは鬱陶しいっ」


 馬駆ける音に消されぬよう、声を張り上げるロメスの口調は明るく、どこまでも好戦的だ。必死で馬を走らせながらも、カイエスは、(ああ、だからこの人って・・・やっぱりついていきたいんだよなぁ)と、己の趣味の悪さに自己嫌悪してしまっていた。

性格は破綻してるし、女癖は悪いし、尊敬できる所は何一つない男なのに、どうして自分達はこの男を選ばずにはいられないのか。

 

「何言ってんですか、当たり前でしょうっ。こんな危ないことに巻き込んだんですから、責任とって俺を守る為にせいぜい殿(しんがり)を務めてくださいよっ」

「てめえっ。この俺様を使い捨ての兵士扱いかよっ」

「適材適所ですっ」


 そう言いながらも、カイエスとて本当にロメスを一人で立ち向かわせる気はなかった。何といっても多勢に無勢、しかも自分達は庶民が護身用に使う程度のなまくら剣しか持っていない。いくらロメスでも、完全武装した上に馬のレベルも段違いのそれを相手にするのは厳しすぎる。


(くそっ。本来のこの人ならば・・・、あんな雑魚共に苦戦などする筈もない剣豪であるものを!)


 あんな有象無象の兵士レベルではなく、名のある将軍クラスこそロメスに相応しい相手だというのに、どうしてこんな場所で、あいつらなんぞの相手をさせねばならないのか。

普段は、その有象無象未満の犯罪者相手に嬉々として剣を振るっていることは、都合よく忘れるカイエスだった。要は、こうしてロメスが雑魚共に追われるなど、プライド的にカイエスは許せなかったのである。いつでも先頭に立って駆けていく、その背中こそが王都騎士団を率いるものではないか。

 せめてロメスの助けになるような武器さえあればと、カイエスは唇を噛む。最初の何人かだけでも自前の武器で斃せさえすれば、あとは相手からロメスは武器を調達する。何としてでもロメスだけはロームに帰らせねばと、命を投げ出す覚悟で、カイエスはその手段を考え続けていた。


「もうすぐ隠れ家とやらを通る筈ですがっ」

「止まるなっ。これは俺の失態だっ、あいつらを巻き込むことは許さんっ」


 カロンから教えられたという隠れ家が近くなった時、問うたカイエスにロメスは吐き捨てるように言った。

 予想できていた答えに、カイエスも微笑を浮かべる。

 常に人をいいように使い、サボリばかりしている上司だが、本当に何かが起きた時には全てを一人で背負う男だ。

 だから、この男の為なら死ねる。そう、誰もが喜んで剣を持ち、死神を笑顔で挑発できるのはこの男がいればこそだ。


「何だぁっ、笑ってんのかぁ? 余裕じゃねえかっ」

「上司運の無さを悔やんでたところですよっ。・・・全く、碌でもない上司だけは持つもんじゃありませんねっ」

「言ってろっ」


 だが、無駄に同じ時間を過ごしてきたわけではない。カイエスがロメスと共に戦う覚悟を決めていることぐらい、ロメスにも伝わってるだろう。そして、誰よりも近くにいる副官だからこそ、最後まで供を許される。


「あそこだ、カイエス。右に入れっ」

「はっ」


 二人は、既に泡を吹くばかりになっている馬を、目印の所で右に広がる草原へと滑り込ませた。

 いくらある程度の距離があったと言っても、追いかけてくる兵士達がそれを見逃すわけもない。次々と、その奥には森が広がる草原へ、馬が入り込んでいった。

 そして、森の手前で馬を止め、振り返った男達二人を確認し、兵士達はニヤリと笑った。


「面倒な鬼ごっこをさせてくれたもんだな。だが、もう諦めろ。そして大人しくついて来い」


 兵士達を率いている男が、少し離れた位置からそう大きな声で呼びかけた。どうやら騎士らしい。他の男達よりも良いものを着ている。

その男は、勝利の笑みを浮かべていた。ここまで来ると、もう捕らえたも同然である。自分達は剣ばかりではなく弓矢も持っている。逃げようとしても、矢が馬を射ることだろう。


「はっ。ふざけんじゃねえよ。いきなり善良な市民を追いかけやがって。俺が何をしたってんだ。まずはそれを説明しやがれっ」


 ロメスがそう言うと、呼びかけた騎士はつまらなそうに答えた。


「お前のような男娼のことなぞ知らんわっ。お前は黙って大人しくついてくればいいんだっ」

「・・・・・・」

「・・・・・・」


 そこでロメスとカイエスは変な表情になって黙り込んだ。カイエスが相手には聞こえないような小さな声でロメスに質問する。


「まさか・・・。あなた、この鬼ごっこの理由って、・・・どんなヤバイ女性に手を出したんです?」

「記憶にない」


 ロメスはきっぱりと答えた。ロメスにしてみれば、カレンならばともかく、それ以外の相手など、まさに転寝(うたたね)の時に見る夢のようなものだ。覚えておく価値などないと思っている。訊かれても分かる筈がなかった。

 カイエスは、くらりと眩暈がした。


(そうだった。この人の場合、こっちも考えておかなきゃならなかったんだ・・・)


 だが、まさかジレームを混乱に陥れた扇動者ではなく、色恋沙汰による追跡劇と誰が思うだろう。

 先程までの、ロメスと一緒ならば最後まで供をするといったカイエスの覚悟は、今となっては太陽の光を浴びた淡雪のようなものに変わっていた。そのまま先程の覚悟など、蒸発させて完全に自分の歴史から消し去っておきたい。


「あー・・・。ここまで望まれてるんならいいんじゃないですか? 俺は帰りますから、あなたはどうぞジレームで愛欲の日々に溺れててください。もう戻ってこなくて結構です。てか、やってられませんよ、ホント」

「あっ、てめえっ。俺のこと、かなり馬鹿にしただろっ」

「馬鹿以外の何だと言うんです」


 小さくやりとりしていても、その緊迫感の無さは伝わるものである。また、追いかけてきた人間も、その情けない理由に思うものはあったらしい。こんなぼさぼさの男のどこが良かったのか知らないが、せいぜい「暴れたから」とでも理由をつけてボコボコに可愛がってやらねば、完全武装してきた自分達もやってられないではないか。

 上司の上司の、更にその上の存在から命令されたなら、馬鹿らしくても全力で命令を遂行せねばならぬのが、宮仕えなのだ。


「あー・・・。悪いがよぉ、男と女のことなんて、当事者だけで終わらせるもんだろうが。こんな兵士さん達なんて出されちゃあ、俺だって怖くてちびっちまうってもんだぜ。そんなわけでな、悪いが同行はしてやれん。許せや」

「そんな言い分など知らんな。せいぜい、ワイネーゼ伯爵を怒らせた己を恨んでおけ」


 ふざけた返事を投げかけたロメスに、騎士がせせら笑った。


「はあっ!? 俺は女に手を出すことはあっても、男に手を出したことぁ、一度だってねえよっ。お前ら、どこのお稚児さんと俺とを間違えてやがんだ?」


 伯爵夫人というのであればともかく、まさかの男の名前にロメスは目を剥いた。・・・更に人違いとなったら目も当てられない。カイエスにどこまで馬鹿にされることやら。・・・いや、もう馬鹿にはされているが。


「いいや、お前であってるさ。娼婦に飼われるジゴロのロースだろ? ・・・お前が口説いた女は、伯爵のお気に入りだったってことさ。まあ、手を出すべきじゃない女に手を出した自分を恨め」


 なるほどと、そこでロメスとカイエスも納得する。それならば分かる。うん、これで疑問は全て解けた。・・・そんな感じだった。

 だが、ロメスに対峙している兵士達の背後で、それを聞いている人達もいるわけである。

 兵士達は自分達の背後に人がいるのには気づいていたが、ただの野次馬だろうと思って気にしていなかった。完全に武装した兵士達がいたら、誰だって遠巻きに見るものだからだ。

 この場合は、単なる野次馬ではなかったのだが。

 特に、その先頭にいる人間の瞳はかなり冷たいものになっていた。何も言っていないのに、後から来た騎士達が、何となく弁護をしてしまうぐらいに。


「いえ、あの・・・。あんな、男の敵のような男が、そう巷にゴロゴロと存在してるわけじゃないですから」

「そうです。そんな男ばかりじゃありません」

「あれはごく例外ですから」

「それにやむを得ずだったのだと思いますよ。・・・・・・多分、ですけど。いえ、だったらいいなあ、ですけど」


 いくら男のような格好をしていようとも、ケリスエ将軍は女である。何を思っているかなど、想像に難くない。ましてやロメスの妻は、ケリスエ将軍が髪飾りや腕輪を贈る程に可愛がっていた娘だ。


(妹のように可愛がっていた女性の夫が、貴族の愛人にジゴロやヒモみたいに愛玩される生活をしていた場合、女性はどう思うのか・・・・・・なんて、俺らに分かるかぁっ)


 誰もが気まずい。

 そして、ケリスエ将軍の配偶者はここにいるが、自分の妻と、自分の親友と、どちらの味方に立てるものでもないのは、彼らにも想像が出来た。・・・現にカロンは額を抱えて小さく呻いている。

 ならば部下である自分達がフォローに入るしかないではないか。

 ケリスエ将軍も、小さな溜め息をついた。

 

(そりゃ、色仕掛けをしていたのは分かってはいたが・・・。やはりこうして聞かされると不愉快になるものだな)


 分かってはいても決定的な言葉を聞かなければまだ気にしないでいられるが、聞いてしまうと駄目なことはあるのだと、ケリスエ将軍は実感した。

 それでもロメスがカレンを愛していることは分かっている。ロメスは割り切っているだけだ。おそらく彼の中で特別な女性はカレンだけで、それ以外の女性は同じカテゴリーにも入っていないのだろう。

 とはいうものの。

 浮気はあり得ないというケリスエ将軍のポリシー的に、分かってはいても、カロンの親友のそれをこうも突きつけられるのは、かなりげんなりするものだった。

ましてやこの仕事にロメスを推薦したのは、他ならぬケリスエ将軍だ。


(ま、仕方ないか。私が彼の名を挙げたのだから。・・・・・・色仕掛けしろ、などとは言ってないがな)


 ケリスエ将軍は小さく首を振り、自分の中にある不快な気持ちを振り払った。

 そこで、どうやら後ろで立ち去る気もないらしい一行に、兵士達が不愉快そうな顔で振り向いて注意する。


「何をじろじろ見てんだ。さっさと散れっ」


 高圧的な命令だったが、ケリスエ将軍はゆっくりと、よく響く声で応えた。それは口元に巻いた布でくぐもっていた。見た目の印象もあり、男にしては少し高い感じの声だったが、若い男だからだろうと、それはそう受け止められた。


「悪いが、その女を食い物にする男はこちらが先約なんだ。渡してもらおうか。私の妹にも手をつけてくれた為、捜してたんだ」


 悠々と馬を操り、兵士達とロメス達との間にケリスエ将軍は位置した。続いてカロンや騎士達も、ケリスエ将軍の背後へと進む。


「伯爵の愛人の飼ってる鼠など、そちらも見逃してやってもよかろう。所詮、金で買われる女が、捨てられたことを許せず、愛人の貴族に泣きついただけじゃないか。だけどな、こいつは私の妹に手を出した上、更に他の女達にも色目を使って寝取りやがったとんでもない奴なんだ。こうなっては村に連れ帰り、皆で血祭りにあげねば、妹の恥は(すす)がれん」

「なら、その後ろにいる男共は何なんだ」

「こいつらも、自分の女や身内を食い物にされたのさ。だから衆人環視の上で、血祭りにあげることに決まったんだ」


 誰もがロメスに軽蔑する視線を投げた。

つい、カイエスもそれに参加したぐらいだ。「あなた、何て最低なことを・・・」と、部下に吐き捨てられたロメスは、「ちょ、ちょっと待てっ。分かってるよなっ、あれが嘘だって、お前、分かってるよな」と、あたふたとしたぐらいに、それはあまりに信憑性がありすぎた。


「玄人ばかりか、素人の娘さんにも手を出してたのか・・・」

「最低な野郎だな」


かなりのやっかみを含んだ、そんな兵士達のセリフも聞こえてくる。

 ロメスがジレームで流した浮名は、そんなケリスエ将軍の話を誰もが信じざるを得ないぐらいに華々しいものだった。


「ま、そういうわけで、だ。この男はこちらの獲物なんだ。悪いが手を引いてもらおう。引かぬとあれば、まずそちらから片付けることになる」


 すらりと剣を抜いたケリスエ将軍である。その構えに、兵士達を率いていた騎士も、目を細めた。


「ほお。腕に覚えはありそうだな。だが、所詮は農民の集まりだ。本職には勝てん」

「やってみなければ分かるまい」


 そう言いながら、ケリスエ将軍はカロンに小さな声で鋭く指示する。


「短時間で片付ける。間違っても後続に打ち合う音が響かぬよう、手を出させるな」

「はっ」


 カロンは、自分の部下達に手を出さぬよう視線で命じる。ロメスにも仕草でそれを伝えた。


(そういうことなら、確かにこの人のそれに勝るものはない)


 あくまで静かに、そして素早く片付けていくとなれば、ケリスエ将軍のそれは、まさに他者の追随を許さぬものだった。カロンはなるほどと思う。そうなると自分は足手まといだ。単に相手を斃すだけならば役立てる自信はあるが・・・。

 本気でやり合う気だと思ったのだろう、兵士達を率いていた騎士も剣を抜く。そして兵士達も。


「・・・哀れな男だ。俺達にたてついたばかりにな」


 騎士のせせら笑う言葉と共に、ケリスエ将軍の方から斬り込んでいった。




「・・・あれは、何者だ?」

「何者も何も、あの人を間違えるような人がいたのか? ・・・あの人は、あの人でしかない」


 ぶるりと身を震わせて尋ねるロメスに、カロンはそう答えた。だが、異様な興奮を覚えているのはロメスだけではなかった。カイエスもまた鳥肌を立てている。

 平然としているのはカロンだけだ。

第六部隊の五名の騎士達も、カロンを意識して飛び出さないように自分を抑えるのが精一杯で、同じように鳥肌を立てていた。ロメスやカロンのように言葉を交わす余裕などない。


「分かってるだろ。あれは・・・何なんだ」

「ジルード。馬をお二人に。それから剣も」

「・・・はっ」 


 ジルードもカロンに命じられ、必死で目を逸らすと、連れてきていた馬をロメスとカイエスに渡す。二人が乗っていた馬は駄馬すぎて、足手まといにしかならないからだ。予備で連れてきていたその馬には、食料や武器も括りつけられていた。

 すかさず与えられた馬に乗り直したロメスとカイエスは、改めてケリスエ将軍の動きに見入る。

 そんな動作で、ロメスは自分を取り戻していた。先程よりも落ち着いた声でカロンに話しかける。


「スピードや力だけなら、カロン殿や俺には劣るだろう。・・・それは確かだ。だが、・・・あれは異常だ。きっと、それでも俺は勝てると思えん」

「・・・そうだな」


 いささか切ない気持ちになりながら、カロンは同意した。同じ動きだけならば自分とて出来ないわけではない。それどころか、もっと速く動けもするだろう。けれども、相手に対して同じような動きをとらせることはできないのだ、自分では。


「いみじくもロメス殿の方が、あれを見ずとも、その本質を言い当ててたな。・・・その通りだ。俺がいくら体を鍛えても、・・・どれ程に体だけなら上回っても、あれは出来んのだろう」


 彼女は馬から馬へと飛び移り、男達を斬り捨てていた。ケリスエ将軍が一人を殺す度に、次の男達が掛かっていくのだが、まるで男達の全てが、ケリスエ将軍が急所に剣を刺しやすいようにと、ゆっくり動いているようにしか見えないのだ。それとも男達の動きを読んで、斬ったり突き刺したりしやすい場所に彼女が体勢を整えた上で待っているだけなのか。

 かと言って、本当に彼らの動きが遅いわけではない。単にケリスエ将軍から目を離せない為、彼女のスピードのイメージが残り、他の動きが遅く感じてしまうだけだとも、ロメスは分かってもいた。

 しかし、問題はそこではない。まるで魅入られたかのように、兵士達は順番に斬られるが為に向かって行くのだ。剣を振り上げながら、それでいて自分の急所を(さら)け出していく。しかも、誰かが斬られている間は、決してケリスエ将軍に向かって行こうとはしない。まるで大人しく配給の列に並ぶが如く、彼らはその斬られる瞬間を待ち望んでいるかのようだった。

 今だって、見ている自分達が鳥肌を押さえているのは、自分達ですらあの剣に突き刺されたい、斬られたいと思う気持ちが湧いてきて、ケリスエ将軍に向かって行きたくなるからなのだ。


「最近は全く見なくなってたから、・・・本当に久しぶりに見た」


 カロンの言葉に、周囲は息を呑んだ。多数対一でケリスエ将軍が戦う姿を、この場にいる中でカロンしか知らないことに気づいたからだ。カイエスがコホンと咳払いをする。ロメスが意識を強く持っていられたのは強いからだが、この中で一番弱いカイエスだからこそ、第六部隊の騎士達よりも早く気を取り直せたのかもしれない。


「そりゃ、そこらの騎士よりはお速いものの、同時にロメス様よりスピードは劣るように私には見受けられます。それとも無駄に動かないようになさっているのでしょうか。・・・けれど、何かが違う。私ですら、先程から将軍に近づきたくて仕方ない。斬られると分かっていても」

「カイエス、お前もか」


 ロメスが苦笑する。喧嘩っ早い自分だけじゃなく、このカイエスまでがそうとなれば、間違いない。あれは、・・・そう、異質の存在だ。

 自分達の味方の筈なのに、先程から将軍に斬りかかって行きたくてたまらない。


「部隊長、俺もです。さっきから怖くて、なのに近寄って行きたくてたまらないんです。斬られたいとまで思ってしまう。・・・あの方は、一体なんなんですか」

「己をしっかりと持て、ジルード。あの人が今、一人で戦っているのは、後続でやってくるであろう兵士達に戦いの気配を気取らせぬ為だ。あの人が守ろうとしているお前達が、そのお気持ちに胡坐(あぐら)をかいてどうする」


 小さい声だったが、ジルードを叱責するかのような言葉はその場にいた者の耳に鋭く響いた。

 その要求された内容を噛み砕き、第六部隊の騎士達は己を取り戻す。そう、今は自分達のトップの異常さに怯えている場合ではなかった。何より、先程から時間はほとんどたっていない。あれ程の人数を相手にしているのに、静かな戦いでもあった。


「私としたことが・・・。考えてみれば、あの方がお強いのは当たり前。・・・指揮をなさるお姿ばかりを拝見し続け、その本質を見失っておりました」

「そうですね。何といっても、部隊長を見出された方。弱い筈もない」

「しかし、これが性別の違いというものですか。今まで強い男に武者震いを覚えたことはあります。ですが、・・・あの方には自分を殺してほしいと思うぐらいに恐ろしく惹きつけられる」

「私も・・・先程から鳥肌が止まりません」


 一番ケリスエ将軍に近いカロンが平然としているのに、直属の部下である自分達が動揺してどうするのか。彼らは、その異常さについては考えないことで、気を取り直した。

 そんな部下達に、カロンは困ったように頬をポリポリと掻く。自分はおかしいのだろうか。あの人が振りあげた剣が自分の頭上で輝いた日から、あの人しか見えず、あの剣すら鳥肌どころか魅力的だと感じてしまう自分は。今だって見惚れずにはいられない。

それとも、そんな思いを抱くのは自分だけなのか・・・。


「大体、異常だの何だのと言われてもな。あの戦い方こそ、あの人だ。初めて出会った時から、あの人よりも美しい剣など俺は見たことがない。あの剣もそうだが、他の剣も美しい。・・・綺麗だと、思わないか?」


ケリスエ将軍に拾われ、忠誠を誓い、ついには将軍の婿にまでなりおおせた部隊長。いくら恩があろうとも、彼は誇りと気概を失った犬のような男だと、そうも評されていることが常だった。

 勿論、この場にいる男達はそうは思ってなどいなかったが、そういう考え方が多数を占めていることぐらいは知っている。

 けれどもカロンの今の言葉は、拾われたから犬のように忠実に仕えているというよりも、カロンが彼女に惚れこんで手に入れたのだという気持ちを改めて窺わせるものだった。

 カロンの言う通り、あの美しい動作は、人殺しすら芸術のようでもある。


「俺は常に言っている。あの人よりも優しくて、そして綺麗な人など知らない、と」


 それは思いっきり惚気ていただけだったが、カロンにしてみれば、目の前の動きは、久々に見た剣技でもあった。あの戦い方は、カロンとの手合わせではしてくれないからだ。

 以前、どうしてあんなにもまるで順番待ちすらさせているかのように向かって来させることが出来るのかと尋ねたら、

「ああ、そういう気配を出せばいい。怒りの気配を出したら人が怯えるように、あんな感じの気配を出したら、次々と順序良く自衛も無しにかかってきてくれる。メリットは、お行儀良く終わらせることができること。デメリットは、・・・場合によっては同士討ちにもなること、か」

と、答えられた。・・・全くもって意味が分からない。ある程度は頑張ってみたものの、全く成果の上がらなかったそれに、カロンはマスターすることを諦めざるを得なかった。なぜか、ケリスエ将軍もそれはカロンに教え込むつもりはなかったらしい。カロンでは出来ないと、分かっていたかのように。

 やがて、ケリスエ将軍の動きが止まる。彼女の周囲に、生きた人間はもういなくなっていた。


「マントを羽織った方がいい。拭いている時間はありません」

「ああ」


そんな切り結ぶこともなく、怒号すらなく、全てのジレーム兵達を静かに殺し尽くしたケリスエ将軍に、カロンがマントを差し出す。ケリスエ将軍は今まで着ていたマントを脱ぎ、それを羽織った。


「使える馬を回収しておけ」

「はっ」


カロンの命令に、第六部隊のメンバーがさっと動き、自分の馬に繋ぐ。

 

「すぐにけもの道に入れ。少しでも姿を見られたら厄介だ」


 ケリスエ将軍の言葉に、第六部隊の騎士三人が先導し、ロメスとカイエス、そしてケリスエ将軍とカロン、第六部隊の騎士二人が続いて駆けだした。

 誰もが無言で馬を走らせていく。

 途中で休憩がてら簡単な食事をしたものの、それが終わると再び夕方まで馬を走らせた。

 やがて、本来のジレームから各地に伸びていた大きな街道ではなく、全く違う街と街を結ぶ小さな街道に出る。

 カロンが皆を見渡して言った。


「ここまで来たら安心だな。小さい街道筋の村だ。泊まる時は目立たぬように分かれよう。ロース殿はカイ殿と一緒で」

「・・・こいつ、かなり口うるさいんだが」

「ありがたい部下じゃないか」


 カロンがそう言うと、ロメスは不満そうにブツブツ言っていたが、ある程度言ったら気も済んだのだろう、「ま、こんな小さな村では遊ぶお姉ちゃんもいなさそうだしな」と、うそぶいて大人しくカイエスと一緒に宿を物色しに行った。

カロンもケリスエ将軍と一緒に、馬小屋のある宿屋をとる。


「シーラ。どうしました? 顔色が悪い」


 部屋を案内された後、周囲の様子をチェックして、いざとなったらどこが逃走に使えるかを見てきたカロンは、部屋に戻って、留守番をしていたケリスエ将軍の顔が真っ青になっていることに気づいた。

 無言で腹部を押さえているケリスエ将軍は、言葉を出せる状態ではないらしい。

 カロンは慌てて駆け寄った。


「血がっ。・・・怪我してたんですかっ、まさか」


 その太腿が血に濡れていることに気づき、カロンが蒼白になる。戦っていた時、怪我した様子など全くないと思っていたのに、まさか自分の見落としがあったということなのか。


「ち、が・・・」


 ケリスエ将軍はカロンに倒れ掛かりながら、声も出せないままに、空気を吐き出す音だけで彼に伝えた。


―――流産、だ。


「・・・・・・! 誰かっ、・・・亭主っ! 医者をっ、医者を呼んでくれっ!」


 その血で赤く染まったカロンの腕の中で、ケリスエ将軍は意識を失った。






 一つずつ、手の中から(こぼ)れていくものがある。それが何かも分からぬまま、自分は失い続け、そして何も残らない・・・。

 そんなことを考える彼女の前で、カロンは心配そうに顔を覗き込んできた。


「ライナ。行ってきますが、・・・本当に一人で大丈夫ですか?」

「何が大丈夫じゃないと言うんだ。私は子供か?」

「・・・行ってきます。それこそ、鍵のかかった頑丈な建物の中にあなたを閉じ込めておきたいぐらいですが」

「それですることもないからと日中は寝ていて、お前が夕方に戻ってきたら起きるんだな。・・・まあ、野盗に転職するなら戦利品の管理もできていいだろうが、さすがにロームで荒稼ぎはまずくないか?」

「ええ、全く俺の意図は伝わっていませんね」


 どうしてそういう思考になるのか。だけど、この人はこういう人だ。

諦めの溜め息をついて、カロンはそれでも最愛の妻に軽いキスをしてから出て行く。

 今日はよく晴れそうだと、カロンの背中を見送りながら彼女は窓の外に広がる空に思った。

 こうしてカロンを送り出す日々へと変化したのも、あのことが原因だったと思い返しながら。




 ロメスを追跡していた二十騎程を片付け、逃走した一行が名もない小さな村に到着したあの時。

 ラファイ王国の外れにある小さな宿屋で、一気に血が失われる感覚と目の前が暗くなる事態、そして今まで経験したことのない腹部の痛みに、ケリスエ将軍は自分の中から失われていく存在を知った。


(・・・まさか。そんな筈がない・・・!)


 自分に妊娠など出来るとは思っていなかった。だから、考えもしなかった。それでも慌てて腹部に力を入れて、流れていきそうになるそれを押し留めようとする。だが、勢いのついたそれに、抵抗は叶わなかった。

 為す術もなく、体の中から流れ出て行くもの。その痛みと恐怖。

 駆け寄ってきたカロンに、自分が流産していることを伝え、・・・そして目が覚めて、それまでその存在にすら気づいていなかったものを、自分が永遠に失ったことを知った。何も言われなくても、本能で分かることはある。宿っていたことに気づかずとも、失われたことは分かるのだ。


「少し飲んでください。のどが渇いたでしょう」


 枕元でずっと付き添っていたらしいカロンが、ケリスエ将軍に水を飲ませてくる。渇いていたのどに、それはすぐさま吸収されていった。

互いの気持ちなど、何も語る必要はなかった。互いに対する謝罪の言葉も、慰め合う言葉も、自分達なら言う必要などない。・・・言わなくても通じ合う日々を重ねて、今に至っているのだから。

 カロンが優しくその髪を撫でながら、何でもないことのように話す。


「ロメス殿達と、うちの三人は朝になったら出発してもらうことにしました。二人が残ります。・・・しばらくここに滞在し、それからゆっくりロームに帰りましょう」

「・・・屋敷に帰りたい」


 駄々をこねるかのように、ケリスエ将軍がそう呟くと、カロンは穏やかに頷いた。


「ええ。ですがせめて数日はここにいてください。後は、抱きかかえてでも俺があなたを連れて帰ります」

「そうだな。・・・・・・眠い」


 一度は目が覚めたものの、ケリスエ将軍の瞼が落ちていく。意識を維持するのが難しかった。だが、カロンがいるならば、深い眠りについても大丈夫だ。


「寝てください。俺が傍にいます」

「ああ。・・・少し寒いな」

「血を失い過ぎたからです。・・・もう少し薪を増やしておきます。さ、横になって」

「ん」


 暖炉に薪を放り込むと、カロンは毛布を更に一枚増やして掛けた。目覚めたのに顔色の悪さは変わらない。カロンが触ってみたら、ケリスエ将軍の腕はやはりいつもよりも冷えていた。

まずいと思い、カロンは服を脱ぐと同じ寝台に潜り込み、体温を分け与えながら、その体を(こす)る。本当は湯の中に入れて温めた方が早かったのだが、それは止められていた。

 起きたら飲ませようと思い、宿屋の女将に作ってもらっていた具のないスープは、部屋に用意してある。


「ライナ。起きなくていいです。口を開けて」

「ん」


 目を開けるのも億劫なのだろう。瞳を隠したまま、彼女は小さく口を開けた。

温め直したスープを、スプーンで少しずつ飲ませていくと、やがてケリスエ将軍の顔にも赤みが差してくるのが分かった。

 カロンに体を預けていても、その体にはいつもの存在感がなかった。指先にも力が入らぬ様子だ。そんな彼女の頭を、カロンはそっと自分の胸に抱え込んだ。染めたままの黒髪を優しく撫でながら、カロンは差し出された指を握った。一人ではないのだと、そう伝える為に。


(この人もまだ気づいてなかったのだろう。気づいていたら、何よりも自分の体を優先していた筈だ。まだ性別も分からぬ、形も出来ていない状態だったと、産婆は言っていた)


 この村には医者などおらず、産婆が連れてこられた。この辺りでも、畑仕事で無理をして流してしまう女は多いのだと、産婆は語った。・・・恐らく、この冬に孕んだばかりの子ではなかったのか、とも。

 逝ってしまった、産まれてもいなかった命。男の自分では、流産というものがどれ程の悲しみを女にもたらすものなのか、本質的には理解できていないだろう。

 けれども。

 知っていたなら、自分とて彼女をロームの屋敷に縛りつけてでも無理などさせなかった。

 真綿にくるむようにして、彼女とその育まれていく命が産まれてくる瞬間を待っただろう。

 彼女とその時を楽しみに待ちながら、男か女かと話し合う日々すら喜びに満ちたものだった筈だ。


(この人が変に情緒不安だったその意味を、俺が見過ごしさえしなければ・・・・・・)


 顔を見ないことで、互いの涙に気づかぬふりをしながら。瞳を閉じて、二人は互いの温もりと、そして悲しみを分かち合っていた。

その頬に流れるものを、今は誰にも見られたくなかった。




 その村でケリスエ将軍の体がある程度回復するまで滞在し、一人で馬に乗ろうとするケリスエ将軍を強引に毛布でくるんで抱きかかえた上で、カロン達はロームへと戻った。

 しかし屋敷に戻ったことで気が緩んだのだろう。

 ケリスエ将軍は微熱が止まらず、寝台で一日を過ごすようになった。


「カロン。将軍位を返上したい。リガンテ大将軍にそのことを伝えておいてくれないか」

「・・・はい」


 先にロームへと戻ったロメスから、ある程度の事情が報告されていたこともあっただろう。王や大将軍からは特別に王宮の医師が差し向けられ、見舞いの品々も届いていた。

ついでに下働きの人間や女官までもが将軍の世話をする為に王宮から送り込まれていたが、それはケリスエ将軍の世話をするという理由で、カロンが軍を辞めようとしたことが大きく影響していた。

 要は、世話をする人間なら出すから、カロンだけでも軍に出勤させろという意味である。

 そんな中、リガンテ大将軍は、カロンの伝言を聞いて、

「体が回復するまで休職といった扱いでもいい。君に辞められるのは困る。王とて、そのお気持ちだ」

と、慌てて屋敷にやってきていた。それに対するケリスエ将軍は、

「ありがたいことでございます」

と、感謝の意を示しはしたものの、

「ですが、私は強さでもって将軍へと引き立てられた身でございます。その前提なくして将軍とは名乗れません。・・・特例として将軍にしていただきました身なればこそ、そのけじめをつけておかねば、悪しき前例が残ることになりましょう」

と、あくまで返上する気持ちを翻さなかった。

「待ってくれ。かと言って、ケリスエ将軍とケイス第六部隊長に抜けられるのは困る」

だが、そこで身を乗り出すリガンテ大将軍の言葉は、かなり説得力がある。

「・・・・・・・・・。でしたら、カロンだけは残しますから」

ケリスエ将軍も、そう言えばそうだったと、自分の配偶者兼愛弟子の自分に対する執着を思い出し、そこで互いに妥協したのである。

が、帰宅してそれを聞いたカロンは唇をへの形にして不満を示した。


「え? 冗談はそこまでにしてください。俺はあなたと一緒にいます。大体、今はあなたの引継ぎでてんやわんやしているから行ってるだけなんですし」

「・・・お前なぁ。別に今はまだ体調が狂ってるだけで、いずれ私も回復していくんだ。何も元気な二人が揃って無職で暮らすこともあるまい。それに私が仕事を辞めた以上、お前が働かないと食っていけないだろ? そりゃもっと小さな家に移ればどうにか暮らしていけないこともなかろうが」

「・・・・・・この屋敷の維持と生活費ぐらいなら大丈夫でしょうが、それもそうですね」


 別に十分な蓄えはあったが、そう言ってみると、カロンも考え直したようだった。


「なら、その代わり、この屋敷でずっと居てくれますか? あなたが旅に出たりするようなら俺は即座に辞めます」

「分かった分かった」


 さすがに自分がいきなり抜けたことでローム国騎士団が混乱しているのは察していたケリスエ将軍である。部隊長達とて、時間を見つけては何か手助けできることはないかと尋ねに来てくれていたし、王宮の下働きの女性では出来ぬこともあろうと、庭の手入れや納屋の修理などが得意な兵士を寄越してくれたりもしていた。

 おかげで屋敷の内外、かなり手が入れられている。

 正直な感想を言わせてもらえば、彼らが帰った夜こそが一番落ち着くケリスエ将軍だったが、見違える程に屋敷を手入れしてくれるものだから、ありがたく感謝の言葉を伝えるようにもしていた。

 そんな中、ロメスもまた見舞いの品を持って訪れていた。


「あの時、俺が全てを片付けていたら・・・。本当に申し訳ございません」

「頼むから顔を上げてくれ、ロメス殿。それに、あのことは関係ない。大体、昼の休憩の時だって、何もなかっただろう?」

「・・・しかし。朝、あなたお一人に任せることなく動いていれば、そうならなかったかもしれません」

「過去のことを、『もしも』とか、『何々だったなら』とか、『何々であれば』などと言っても無意味だ。それに、・・・今回のことはロメス殿には全くの無関係だ」

「将軍がそう仰有ってくださる方なのは承知しております。ですが、おめおめとそれに甘える無様(ぶざま)な自分など許せません」


 己の美学の為にも責任を取らせろというロメスに、ケリスエ将軍も苦笑せずにはいられなかった。

今も、屋敷内には王宮から差し向けられている女官や下働きの人間がいる。それでもケリスエ将軍と一対一で会うのは、ロメスにとってかなり顔が強張るものだと知っていれば尚更のことである。

 

「本当にロメス殿の責任ではない。・・・カロンにもいずれ伝えるつもりだったのだが、私は子供を望めない人間だ。・・・元々、私の家系は、子供をつくれないか、つくれても短命で終わる人間が多い。だが、それを伝えてしまうとカロンのことだ。余計に私に執着するだろう。今回のことで言っておくべきかとも思ったのだが、・・・今言うと、本当に軍を辞めて私に付きっきりになりかねないからな、あいつは」


 神官の事情など言えず、家系の問題として、ケリスエ将軍はそう話した。ロメスが僅かに目を瞠る。


「だが、・・・責任といった問題は置いておいて、ロメス殿にお願いしたいことがあるのだが、いいだろうか?」

「勿論でございます。何なりと」


 ロメスは力強く頷いた。そんな事情をカロンよりも先に自分が聞いていいものではないが、同時にケリスエ将軍の気持ちもまた分かる。カロンが知ったら、それこそ即座に退職するに違いない。


「これからも、カロンの友でいてやってくれ。・・・ローム国騎士団では、私の存在があるからだろう、カロンに心を許せる友は存在しなかった。だが、ロメス殿とセイランド殿は違う。私がいようがいまいが、関係ないからな」


 ロメスは僅かに瞼を閉じて、その紺色の瞳を隠した。


「カロン殿はいい奴です。セイランド殿もそう言うでしょう。俺達の関係は、今後もきっと変わりません。ですが、・・・ですがそれは、あなたに頼まれたからではありません」

「・・・ああ、知ってる」

「俺は、俺の意思であの男を友としたいと思ったのです。だから近づいたし、あいつがそれに応えてくれたからこそ、今の関係があるのだと思ってます。いつか俺はあいつの為に命をかけるだろうし、あいつも俺の為に命をかけるでしょう」

「ああ、そうだろうな」


 小さく、ケリスエ将軍は口角を上げた。


「そればかりは私ではカロンに与えられないものだった。・・・お二人には感謝している」

「あの男が拒まぬ限り、俺はあいつの友でいるつもりです。ですから、その願いとやらは無効ですが、一つだけお約束します。俺の心が俺のままである限り、あいつを一人にはしません」

「十分だ」


 そう言ったケリスエ将軍はそれこそ優しい微笑を浮かべていて、ケリスエ将軍を女と思ったことのないロメスですら、その時だけは目を奪われた。

 体に障らぬようにと、そこで辞去したロメスだったが、屋敷の外に出てから先程の会話を振り返る。


(たった一つの願いが、あいつの友で在り続けて欲しい、か。・・・あの二人の関係だけは本当に理解できん)


 大人しく振る舞ってはいるが、ケリスエ将軍の本質は野生の肉食動物のようだと思っていた。音もなく忍び寄り、当然のように生き物の命を屠っていく。心の高揚と生きている実感を追い求める自分と違い、そこには何の感情もないかのように思えて仕方がなかった。

だが、先程の彼女は、まるで砕けた鉱石のようだった。痛々しさに手を触れようとすれば、触れた人間の手を鋭く切り裂くような・・・。


(いいや、・・・理解したくないだけかもしれんな)


 カロン程の男を小間使いのように扱う存在。それでいて、自分ですら怯むものを内包している彼女には、いつだって得体の知れない気味悪さがあった。ムカつくことに、しかも強い。

だからこそ、そんな存在に囚われ続けるカロンを、愚かだとも思わずにはいられなかった。

けれどもカロンと親しく交流するようになり、自分の中で少しずつ印象が変化していったのも事実だ。


(あの男にあんな不遇な時代を送らせておいて、それでいていい人だったなんて、許せないからか)


カロンと親しくなればなる程、兵士見習いから始まった友の苦労に思いを馳せずにはいられなかった。そして、その騎士団のトップでありながら、カロンにそんな屈辱の日々を送らせた彼女に不信と不満を抱かずにはいられなかったのは当然のことだっただろう。

同時に、二人の間には誰も入り込めないような絆があることを、知れば知る程に感じずにはいられなかったのも事実だ。


(やめてくれよ、今更。・・・そんな愛があるなんて、誰が思うんだ)


まるで自分が愚かな少年のようではないか。その深い思いに気づくこともなく、独善に生きる愚かで世間知らずな少年だと見せつけられたかのようで、胸が痛い。


(いや。ちょっと待て・・・)


だが、よくよく考えたら、全てはあの忌々しい将軍の思う壺のような気もする。不妊だけならともかく、場合によっては短命。カロンは知らない。・・・しかし言えない。言おうものなら、ロメスにとって面白くない結果になるからだ。あの男を、殺しても死なないような将軍とのいちゃいちゃライフに送り込む為だけに、話せるものだろうか。・・・自分だってカレンと離れて暮らしているのに。

何より、ああは言われたが、ロメスを助ける為にケリスエ将軍が剣を振るってくれたのも事実だ。そしてその後に掛け替えのないものを失わせてしまったことも。そんな相手が自分を見込んで話してくれた内容を、どうして他言できるだろう。

しかし、そんな大事なことをカロンに言わないことで、ロメスは一生カロンに引け目を感じて傍にいるような気がする。「友でいてくれ」ではなく、「一生の友でいてくれ」を、半強制的に実行したのではないか、あの将軍は?


(・・・何が、あれが誰よりも優しい、だ。あの色ボケ野郎が)


よくよく考えたらムカつく。意趣返しでカロンにバラしたくもなるぐらいだ。が、男としてそんな大事なことを話してもらっておいて、いくら相手が親友といえども、ペラペラ喋ることなどできようか。

いや、だが、カロンとて当事者だ。しかし、何よりもの当事者であるケリスエ将軍が言わないことを、どうして他人が言っていいだろう。


(・・・・・・・・・。うん、あれは愛じゃねえ。ただのきたねえやり口だ。大体、惚れた女の体を男が守り、男の心を女が癒す。・・・愛とはそういうものだろう。そうだ、あれは愛じゃない。あんな愛があってたまるか。あいつも、あんなど(ぐさ)れた奴のどこが良かったんだ)


自分を無理矢理に納得させると、ロメスは口直しとばかりに、遠い北の地にいるカレンの顔を脳裏に描いた。最後に別れた時の笑顔と、彼女の泣き顔と。誰よりも愛しい女なのに、今は遠い。

こちらでは春だが、あちらはまだ雪がちらついていることだろう。

 ロメスは女好きだが、その顔と将来性だけを見て近づいてくる女が嫌いだった。

 誰もが好青年だと思う自分ではなく、ガラの悪い自分に対して面白そうに、そして臆することなく軽蔑の視線を向けてきたカレン。この自分に情けをかけ、それでいて鮮やかに放り出してくれた彼女を、いつか屈服させたいと思った。

 再会した時、誰もが高く評価するロメスの格好を見てすら、その容姿よりも「使えるかどうか」を見定めていた彼女。そこが更に気に入った。だからその場で手に入れた。

このまま一生、カレンは、あの素直な感情を、自分にだけ向け続けていればいいとも思っている。

 その為ならば、どこまでもカレンを騙すし、守り通してもみせよう。その覚悟はとっくに決めている。


(カレン。お前は今、何をしてる・・・?)


 ロメスは一度立ち止まって空を見上げ、やがて足早にそこを立ち去った。今は無性にカレンに会いたくてたまらなかった。


―――これからも、カロンの友でいてやってくれ。


 こういう時に、人は愛する人を欲するのかもしれないと、痛い程に感じずにはいられなかった切ない思いに目を背けながら。




 そうして、客人がひと段落し、やがてローム国騎士団を率いる人間もケリスエ将軍からクネライ将軍へと、変更がなされた。

 かなり日数がかかったのは、ケリスエ将軍とカロン以外が、それに対して不満バリバリで妨害しまくっていたことがある。一番嫌がっていたのはクネライだったというのもあるだろう。

クネライ第一部隊長は、

「将軍が復帰するまでの代行ならしますが、今少し休養が必要というだけでしょう。何も慌てて変更することもありますまい」

と、手続きを放置したり、書類をわざとなくしたりと、かなり邪魔していた。

 それでもケリスエ将軍の意志が固いこと、そして流産後に体調を崩して寝ついたという事実に、やがてクネライも折れずにはいられなかっただけである。

 その手続きが終わった時点で、ケリスエ将軍は王宮から差し向けられていた女官達を全て城に戻らせた。また、将軍の屋敷だからと毎日警備をしに来ていた門番も、軍へと返した。

 昼は一人で過ごし、夜は戻ってきたカロンと共に過ごす。


(これで人の気配がなくなった・・・)


 そんな誰もいない生活になって、やっとケリスエ将軍は落ち着いて眠ることができていた。




 将軍ではなく、ただのサーライナになって、今まで自分がどれだけ気を張って生きてきたのかに気づく。

 カロンが出勤していなくなると、サーライナはのんびりと昼まで寝て過ごす。洗濯ぐらいはしておきたいのだが、カロンは出勤前に全て終わらせてから出て行くのだ。彼女がすることなど、昼に自分の食事を作って片付けること、そして夕食の準備をすることぐらいだった。


(妊娠していた・・・。流れた理由はともかく、そうなるとどういうことなのか・・・)


 もうローム王国で部族の生き残りを見つけることは諦めていた。だから、ラファイ王国での扇動を持ち出し、そこを訪れる理由を作った。一人でもいい、できれば神官を見つけたかった。


(ロメス殿には納得できるようにああ言ったが、・・・どうなのだろう。私は再び妊娠できるのか。神官は受胎そのものが出来ない筈だ。流産などあり得ない。・・・分からない。どうすればいいのかすら)


 サーライナは自分の体を抱きしめ、不安と戦っていた。

 自分だけのことならば構わない。けれども自分がいなくなったら、カロンはどうなるのか。


(あの時、何が何でもカロンに私を殺させておけば・・・・・・。そう、あいつの私に対する気持ちが芽生える前に)


 そうすれば、きっと自分はこんなことを思い悩まずにも済んだのだろう。

 そんなことを考えながら、サーライナは寝台に身を投げ出した。眠りを今も体が欲している。


(本来、こういった流産であれば、ここまで体調が狂う程ではないという話だったが・・・)


 しかも通常の女性よりも鍛えられている自分である。あまりにもおかしいことが多すぎる。

 あの時も、出血量が多すぎたらしい。自分の体こそが分からない。

 サーライナは目を閉じた。


(カロン・・・。お前のことだけが心配でならない)


既にケリスエ将軍という存在がなくても、様々な人がカロンを必要としている。それは彼自身が築き上げた信頼と実績があればこそだ。

彼はもう一人で泣く無力な少年ではない。彼を導く師がいなくても、きちんと歩いていける。それだけのものは、とっくに身につけさせた。


(私はずっとお前を愛しているけれども・・・)


 けれども、そんな師の思いに、弟子が応える必要はないのだ。

拾ってもらった恩など忘れていい。何も語れないような自分ではなく、他のことにこそ目を向けてほしい。世界はきっと、彼に優しく美しいものを見せるだろう。

この世には辛いことも多いが、楽しいことだってあるのだ。

二人で見上げた夜空に輝く星のように、たなびく雲に光差す朝焼けと夕焼けのように、曇り空を切り裂く雷鳴すら、世界はいつだってお前の為に輝いているのだと伝えたい。

 今になって、姉弟子であるリスエルードがサーライナの世界を広げようとしていた気持ちが分かる。

 

(とは言え、・・・今は何も出来んな。あいつ、何をやらかすか分からん)


 リスエルードに「弟子の育て方」をもっと学んでおくのだったと反省しつつ、サーライナの意識は闇に沈んでいった。






 そんな静かな生活をサーライナが送っている一方、ローム国騎士団には嵐が到来していた。


「いつになったら会いに行っていいのよっ! このヘタレが、まさかケリスエ様が身動きとれないのをいいことに、監禁してんじゃないのっ!?」

「ルーナ様、何てことを・・・! 申し訳ございません、カロン様。ルーナ様は言っていいことと悪いこともお分かりではないのです」


 ローム国騎士団の第六部隊長をつかまえて堂々とヘタレ呼ばわりするのだから、声の届く範囲にいた誰もが、何事かと足を止める。

 そんなルーナを諌めるロシータだったが、焦れに焦れまくったルーナは聞く耳を持たなかった。

 そして声の主がルーナだと知るや否や、周囲の誰もが事情を察し、カロンに同情の視線を向ける。


「だから言ってるだろう、この考えなしの小娘がっ。あの人はどうしてもあんたが来たら、無理してでも平然と振る舞うし、起き上がって相手をする。だが、それこそ昼食もとる気力も無しに、朝から夕方まで眠り続ける日々が続いてるんだ。今、更に無理をされたら、治るものも治らないだろうっ。そんなことも説明されないと分からない頭なのかっ、この能無しっ!」


 カロンは、最愛の妻にバレないとなれば、遠慮せずルーナを罵倒できる男だった。


「そんな状況なら、尚更、看病する人が必要じゃないのっ」

「だから言ってるだろうっ。あの人は、人の気配があると熟睡できないっ。今だって屋敷から人を追い出して、やっと休めてるぐらいだっ。だから屋敷から離れた所に、警備の人間を配置しているんだろうがっ。好きで誰もつけてないわけじゃないっ。そんなことも理解せず、相手を苦しめることしか出来んのかっ」

「だから私が看病してあげるって言ってるじゃないのっ」

「何度も言わせるんじゃねえっ。お前の存在そのものが看病の邪魔だっつってんだよっ!」


 実の所、何度も訪ねて行こうとしたものの、その手前で兵士達に邪魔されて辿りつけなかったルーナである。

屋敷から出ないサーライナは気づきようがなかったが、屋敷の前を通っている道は、ある区間からある区間まで封鎖されており、その封鎖を行っている騎士と兵士達の了解がなければ辿りつけないようになっている。第三部隊長に話を通し、更に第六部隊の騎士と兵士達を出しているカロンの守りは、鉄壁だった。


「ルーナ様。カロン様の仰有る通りです。自分の気持ちを押しつけるのは、あちらがお元気な時だけになさいませ。ケリスエ様は、ルーナ様のおねだりをいつでも叶えてくださるお方。それが分かっていて、あちらに無理をさせてでも自分の欲求を通そうというのは、確かに恥知らずな行いです」


 ロシータは、ルーナを窘めると、カロンに一礼する。


「ですがカロン様。男手だけではどうしてもお困りになることもおありでしょう。その際は、ルーナ様は置いて参りますので、どうぞ私にお声をお掛けくださいませ。人の気配が邪魔だということであれば、手早く出来るよう、万全の用意をしてから参ります」

「ありがとう、ロシータ殿。・・・そういうことであれば、できれば体に負担の少ない夜着を見繕ってもらえないだろうか。発熱が続いている。何枚あっても困らない」

「かしこまりました。大体の寸法は存じ上げておりますので、用意が出来次第、こちらにお持ちいたします。ですが、発熱が続いているということは、日中もお休みになっていらっしゃるのでしょう。シーツなども日中に干しておいた方がよろしゅうございますし、そちらの手配もいたしましょうか」

「・・・・・・そうだな。夕方には熱も上がるが、朝ならばまだ起き上がることもできる。良ければその時にでもお願いできるだろうか」

「はい」


 カロンがロシータに金貨と銀貨の入った袋を渡すと、ロシータはその中身を見て、この程度のお金でこのクラスの布がどれくらい買えるとか、屋敷にある手持ちの布はどれ程あるのかとか、そういった話を煮詰めていく。

 王宮の女官達は、サーライナという素材に喜んで、てきぱきと様々な衣装を仕立てていったのだが、さすがにここまで寝つくようになるとは思わず、ほとんどが日常に使える衣類ばかりで、夜着はあまり数多くなかったのだ。


「ちょっと、ロシータ!」

「ルーナ様は黙っていてください。あなたがケリスエ様の為に出来ることは、黙って私を差し出すことだけです」


 さすがルーナの乳姉妹である。大人しいのに、いざとなったら手厳しくもある。ぐうの音も出なくなったルーナを尻目に、ロシータはてきぱきと打ち合わせていった。


「わっ、私もついていくからねっ」

「駄目です。看病されたり、人の世話を受けたりすることならあっても、ルーナ様は人の世話などしたことないではありませんか。役立たずどころか、それよりも悪い足手まといです。口惜しかったら、まずはそこらの病人を相手に、看病のいろはを学んでからにしてください」


 ロシータはかなり優秀で、午前中から昼過ぎにかけて屋敷を訪れるものの、基本的には空いている片翼を使い、寝具を干したり、洗濯物を畳むようにしていた。カロンが帰宅したら、使用済みのそれを交換してもらうようにし、使用済みの物は、その片翼に置いておいてくれれば次の日に干したり洗ったりするのである。

 また、昼食の時間になったらサーライナの部屋にそれを運ぶが、長居せず、食べ終わったらその食器を下げるといった程度に留めていた。

そして買い出しに行き、夕食も温めるだけにしたものを作っていく。

 サーライナも、夕食の用意も出来ぬ程ではなかったが、ロシータが来ることでルーナが来ないでいてくれるならと、それを受け入れていた。さすがにルーナの前で元気そうに振る舞うのは、自分の体力をかなり消耗すると分かっていたからである。ロシータが毎日来ることで、その話を聞いてルーナが大人しくしていてくれるならそれでいいかと、そこは割り切ったのだ。


「だが、ロシータ殿をこんなにもお借りしているのでは・・・。ロカーン殿にもお礼に伺わねばなるまい」

「お気遣いなさいませぬよう、ケリスエ様。現在、ロカーン様はフィツエリにお戻りです。ロームにあるフィツエリ邸のことに関しては、ルーナ様が全ての権限を握っておいでです」


 現在、ロームにあるフィツエリ邸にフィツエリ男爵家の人間で滞在しているのは、ルーナ一人だと、ロシータは説明した。だから自分がどれ程こちらに来ていても問題ないのだと。


「なるほど。では、何かお礼をせねばな。・・・何を報いたら喜んでもらえるだろう?」

「私がここに来ることで、ルーナ様の暴走も止まりました。それこそ、こちらの事情でお願いしたようなものです。どうぞお気遣いなさいませんように。それに、・・・私はルーナ様の乳姉妹ですから、あまりフィツエリ邸でもこういった作業はできなくて、・・・実は楽しいのです」


 それにカロン様からは十分なお金を頂戴しておりますと、そう言ってロシータは微笑んだ。


「さあ、もう私は食器を片づけますから、またお休みくださいませ」

「ありがとう。ロシータ殿もあまり遅くならないよう、程々にな」

「大丈夫ですわ。カロン様が護衛の方をつけてくださっていますから」


 かなりサーライナの体はおかしくなっていたのだろう。結局、寝台の住人でなくなった時には、季節は秋になっていた。

だが、その後はどんどんと元気になり、普通の生活だけでなく、カロンと打ち合える程に回復した。

それでも軍に復帰することなく、サーライナはカロンが出勤するとのんびりと家事をしては体を鍛える、そんな他愛無い日々を送るようになっていた。



 自分の残り時間はどうなっているのか、そして妊娠は出来るのかという疑問を抱えたままで・・・。


【ジルードの異動願い】


 息が止まる程の感動を何と呼ぶのか、・・・その言葉を知らない。




 ファレ男爵の後妻が産んだ四番目の息子。さすがにそうなると爵位は回ってこないだろう。それは分かっていた。だから騎士団に入ることにした。

 金髪に青い瞳なのはいいけれど、ソバカスが散らばっているのが子供っぽく見えて困る。そんな擦っても消えないソバカスが小さな悩みの種であるジルード・ファレが王都騎士団に入団したのは、爵位は回ってこないから、その程度の理由だった。


「ジルード。お前、近衛騎士団じゃなく、王都騎士団に入ったんだって? 何考えてんだ、あそこは農民上がりが多いんだぜ。どうせなら近衛騎士団に入り直せ。異動願いを出せばいいだけだ。男爵家の息子なんだから、すぐに審査は通る」

「うるさいなあ。放っておいてくれよ、兄さん。俺は俺なりに王都騎士団に入りたくて入ったんだ」


 すぐ上の兄、つまりファレ男爵家の三男がそう言うのを振り切って、ジルードは足早に邸を出た。


(兄さんには分からないんだ。近衛騎士団なんて貴族が多すぎて、かえって貧乏男爵家の四男坊なんて馬鹿にされるだけだってこと。・・・どうせなら、人に馬鹿にされないで生きていきたいじゃないか。どうして比べられて惨めになる日々を送らなきゃいけないんだ)


 エリート街道を目指すなら近衛騎士団。そんなことは分かってる。しかし、それだからこそ、直系から末端まで、貴族もしくはその縁戚と名乗れる者が近衛騎士団には溢れているのだ。

 同僚と思ったら実は高位貴族の家族で、などとなったら、毎日の生活でも序列を考えて生きていかねばならないではないか。冗談ではない。

 ジルードは、そんな思いから王都騎士団を選んだ。


(さて、今日も素振りと打ち合いか。・・・最近は、筋肉痛もなくなってきたけど)


 王都騎士団に入っても、最初は騎士見習いからだ。剣の素養はあったが、やはり騎士団の練習は厳しい。毎日へとへとになるまで体を動かす。

別に没落した貧乏な男爵家の四男だなんて何の自慢にもならないと、ジルードは周囲に問われた時だけ、ただの平民出身だと言っていた。勿論、隊長クラスになったらそんな嘘はバレバレだが、騎士団は力こそが全てだ。隊長クラスが、たかが騎士見習いの実家など気にする筈もない。

 そんな日々が続いていた。






「馬の練習、か。やっぱり人のいない所じゃないとな」


 ある日、ジルードは休日ながら馬に乗ってローム郊外に出ていた。王都を守る門の外に出ると、街道とその脇に草原や山、そして森が広がっている。

 別に馬に乗る程度であれば何ということはないが、馬に乗り続けながら武器を持って戦うのはかなり難しく、そこをかなり駄目出しされたのだ。

 だから自分で練習しようと思い、人のいない郊外へと出てきたのである。

 同じようなことを考える人間はいるもので、そこかしこの野原では、剣を持って練習する人がちらほらいた。


(俺は剣じゃなく馬の練習だからな・・・)


 なるべくそういった人達よりも遠く、森に近い場所へと移動し、その木々の並ぶ場所で馬を走らせながら、剣を振る練習をジルードはすることにした。


「やぁっ」「とぉっ」「えいっ」


 敵に見立てた枝に剣を向け、馬をなるべく早く走らせる。だが、それはやはり上達しないままで、時にバランスを崩しては落馬した。

 それでも、何度も何度も練習を繰り返す。

 誰にも馬鹿にされない、そんな強い自分になる為に。


「もうやめておけ。お前のそんなやり方じゃ、上達はあり得んぞ?」


 やがて疲れ切って体を投げ出したジルードに、そんな声が掛けられた。

 ムッとして起き上がると、黄土色の髪に焦げ茶色の瞳をした男が、呆れたような顔でジルードを見下ろしていた。大柄だが、格好からしてそこらの農民だろう。余計なお世話である。


「何だよ、おっさん。俺はなあ、強くならなきゃいけねえんだよっ。ほっといてくれ」

「そりゃ大変だな。・・・強くなりたいなら、お前はまず足腰をもっと鍛えた方がいい。だからバランスを崩すんだ。小手先の剣技だけで乗り越えようとしても、意味はないぞ」

「・・・・・・言ってくれるじゃねえか、おっさん。じゃあ、教えてみろよ。言うだけなら誰だって出来るさ。問題は結果を出せるかどうかだろ」


 偉そうに言われてむっとしたジルードがそう言うと、男は面白そうに笑った。


「そりゃそうだ。結果を出せなきゃ意味がないよな、どんな男を育てても」


 何がその男のツボにはまったのか、くっくと笑う。


「俺は誰の邪魔もない場所でちょっと体を動かすつもりだったんだが、・・・まあいい。なら、お前の訓練に付き合ってやるよ。ほら、お前が苛めてた馬はそっちの川沿いに繋いで水を飲めるようにしといてやれ。可哀想だろ」

「・・・誰も苛めてねえよっ」

「そうか? お前のワケ分からん命令に混乱してたじゃないか。お前が強くならなきゃ馬の良さも実力も引き出せねえぞ、坊主」


 さすがにジルードも、そこで、(ちょっとヤバイかも? ・・・この男、ただの農民じゃなかったり?)と、何となく自分が実はもしかしたら、騎士なり兵士なりに偉そうに言っていたのではないかと気づく。

 しかも、この口ぶりだと、恐らく自分より強い。

 冷や汗がたらりーっとジルードの背中を流れた。


「その程度のこと、すぐにしてみせろ。まさか馬を木に繋ぐのすら、出来んのか?」

(ちげ)えよっ」


 反射的に言い返すと、ジルードは馬を曳いて川岸へと寄り、いい位置にある木に馬を繋いだ。


「いずれ馬に乗る兵士なり騎士なりを目指すなら、結ぶのにかかる時間をあと半分ぐらいに縮めた方がいい。普通程度ならそれぐらい、精鋭についていける程度を目指すなら三分の一だな」

「・・・分かった」


 すぐ近くにいた馬が、この男のものなのだろう。かなりいい馬だと分かる。

もしかしたら、自分は騎士に喧嘩腰に話していたのかと、ジルードは少し前の自分を呪った。けれども今になって丁寧な言葉づかいにするには遅すぎた。


(ああ。せめて王都騎士団の上司じゃありませんように)


 そんなジルードの願いはともかく、男はジルードを手招いた。


「基礎作りにまず費やした方がいいんだが、ま、これも縁だな。ちょっと打ち合いの練習を見てやるよ。その前に、・・・坊主、お前、腰に力が入っていなさすぎだ。ちょっとこの木を相手に蹴りを入れてみろ」


 見本にと、男がそこにある木の幹に踵を打ちつける。その振動に、ばらばらと、様々なものが落ちてきた。


「お。何とびっくり。空から果物が落ちてきたってね。ほら、坊主の分も拾っておいてやるから、お前は隣の木でやってみろ」

「あ、うん」


 あまりにも力強かったそれに気圧されていたジルードだったが、そんなことなど気にも留めず、男はほくほくと落ちてきた果物を拾い集めた。やがて一ケ所に集めると馬の所に行き、袋を二つ持ってきて、それを分けて入れていく。

 その間も、太い木の幹を何度も蹴っているジルードである。だが、男のように大きく揺らすことはできなかった。


「ああ。段々腰も据わってきたな。うん、じゃあ、今度はこっちに来てみろ」

「うん」


 男は、そこで素振りをさせようとしてくる。


「基本は大事だ。一通り、まずはさらってみようか」


 男は素手だったが、ジルードは剣を持って、素振りの型を次々に促されるまましていく。そのジルードの動きを見ていたのだろう。男はやがて言った。


「お前、利き手側からやるのはヘタだが、反対側のはかなり習得してるな。つまり、得意じゃないのを中心に練習してたのか」

「どうしてそれを・・・」

「見りゃ分かる。・・・努力家だな、坊主。そういう奴はちゃんと伸びる。だが、それで得意だった方をないがしろにして、結果そっちがヘタになってるんじゃどうしようもないぞ。まあ、一通り全部出来上がってるのは悪くない。兵士見習いかと思いきや、騎士見習いか」


 言い当てられたことに、ジルードの頬がぴくっと動いた。


「そうなると、・・・じゃあ、その型の組み合わせを教えてやるよ。何度も繰り返して練習すりゃ、やがて実践の時には役立つだろう」


 そう言って、男はその素振りでやる型を組み合わせた形を教えてきた。何度も何度もそれを繰り返させる。


「そう。敵はこうやって斬りかかってくるから、これを組み合わせた形がこうなるんだ」


 丸腰かと思いきや、男は小さな剣を腰に差していた。だが、本当に小さな剣だ。それを持って敵兵に見立てた動きを表現しながら、ジルードにその型を体で覚えるまで練習させてくる。


「そんな小さな剣で、・・・いざとなったら役立たないじゃないか」

「そうでもないぞ。実際、この小さな剣を受け止めるのすら、坊主の足が揺れてるじゃないか」

「それはあんたが馬鹿力だからだよっ」


 へろへろになるまで練習させられ、既に言葉づかいを考える余裕はない。男についていくのだけで精一杯だからだ。だが、それでも止めたいとは思わなかった。


「まあ、今、教えたのだけでも毎日やるだけで、かなり上達するぞ。坊主はかなり筋がいい」

「ありがとう、ござい、ます」


さすがにそうなると、最後にはきちんと礼を言おうと思うジルードだった。


「だけど、その前に毎日、走るなり何なりをして、足腰を鍛えた方がいいな。そうでなくては意味がない。死にたくなきゃ、まずはもっと腰に力をつけろ」

「・・・はい」


 男は、川から革袋に水を汲んで、ジルードに渡す。飲めということなのだろう。疲れて動けなかったジルードはありがたくそれをもらって飲んだ。


「ま、坊主だけに体を動かさせておくのもアレか。・・・良かったら見とけ。本来は二人でするものなんだが」


 男はそう言って、その小さな剣を持ち、素振りではなく、・・・そう、それは剣舞と呼ぶものなのだろう、そんな剣を使った舞をジルードの前で披露してくれた。






・・・・・・その時の息が止まる程の感動を何と呼ぶのか。相応しい言葉を、自分は知らない。


 それはとても静かなものだった。

剣を持った大柄な体が、まるで水面を静かに滑っていく木の葉のように、美しく流れる所作で弧を描く。タンと、地面を蹴った足と剣が打ち合わされ、それでいて、そのまま振りかざした剣も、それが下りてくる時の動きですら、その体にブレが全くない。


(こんな、・・・こんな綺麗な動きがあるなんて)


 剣の動きとは別にもう一つの手も違う型をとり、時に足もまた様々な方向へと伸ばされる。更には足の指だけでバランスをとりながら、それでも不安定な姿勢なのに、男は全くバランスを崩さなかった。


(俺には出来ない・・・。きっと、どれだけ努力しても)


 それは、自分の力任せに振っていた剣が恥ずかしくなるものだった。それでも絶対に目を地面には向けたくない。最後までそれを見ていたい。

 魅了されるとは、こういうことなのか。

 いつしか、ジルードの瞳から涙が零れていた。


「・・・おい。おい、坊主?」


 気づくと、男が心配そうに覗き込んでいた。男の剣舞が終わってからも余韻に浸っていたジルードを、心配してくれたらしい。

 ジルードはごしごしと腕で目を拭うと、男に向かって素直な笑顔を見せた。


「・・・すっげえ感動した」


 それしか言えなかったが、男は笑って、「そりゃ良かった」と、微笑んだ。


「ま、これは俺の師匠に教わったもんなんだがな。あの人の動きは、俺よりもっと綺麗だぞ」

「そんなの関係ねえよ。俺はあんたのそれに感動したんだ」


 自分が感動したのは、そんな見たこともない師匠とやらのものではない。あくまでこの男のそれに感動したのだ、・・・息が止まる程に。

 だが、男は笑っていなした。


「もうそろそろ俺も帰らなきゃならん。坊主も早く帰れよ」

「・・・あと少しして動けるようになったらな」


 まだ疲れてて動ける状態じゃないのだ。これで馬に乗るのはきつい。あと少し休憩させてもらわねばと、ジルードは男を見送ることにした。

 だが、馬に跨るその背中に向かって、ジルードはさっき気になったことを尋ねた。


「なあっ。何であんた、俺が兵士見習いじゃなく、騎士見習いだって分かったんだ?」


 男は顔だけジルードに向けて答えた。


「ああ。俺はどっちもやったことがあるからな。素振りを見れば、どっちに所属してるかぐらい分かるさ」


 ジルードは目が点になった。どっちもやったことがあるとはどういうことか。

 男はひらひらと手を振ってそのまま去って行く。


「ちょっ、ちょっと待てよっ。名前っ、名前ぐらい教えてけっ」


 大声で叫んだジルードに、男は振り向いて答えた。


「俺を知らん時点でうちの騎士団じゃないって分かってたからな。だから稽古をつけてやったんだ。俺を知ってる奴ならしなかったさ。俺のことは知らん方がいい。俺と知り合いだなんて、マイナスにしかならんぞ」

「・・・え?」

「頑張れよ、坊主。ちゃんと足腰は鍛えろ」


 そう言うと、男はさっさと馬を走らせて去って行ってしまった。

 

「・・・って、そうなると近衛騎士団か、ローム国騎士団かよ」


 それだけで、あの男が誰かなんて分かりようがない。もっと早く男から名前を訊き出しておくのだったと思いつつ、ジルードは貰った果物の袋を馬に結びつけて、家路についた。

 だが、ちょうど門を守る兵士達の所で、その馬小屋にさっき男が乗っていた馬が繋がれているのを見て、ジルードは門番達に勢い込んで尋ねた。


「あのっ、あの馬の持ち主っ、あれ、誰か教えてくれませんかっ」

「ああっ? 何言ってんだ、小僧」


 だが、門を守る兵士達はつれなかった。


「俺っ、さっきあの馬の持ち主にこの果物分けてもらったんだけど、お礼っ、お礼を言いそびれてしまったんですっ。黄土色の髪の毛で、茶色い目をしてたんですけどっ」


 そう言って、布袋に入った果物を見せる。ちょうどその馬にも布袋が括りつけられており、それを見て兵士達も納得したらしい。打って変わった笑顔を見せてきた。


「何だ、先にそう言えよ。それならカロン・ケイス第六部隊長だ。・・・とはいえ、今、その果物のお礼に行くのはやめとけ、坊主。今、あっちでちょっと変な奴らがやらかしててな、ちょうど通りがかったケイス第六部隊長が行ってくださったんだ」

「・・・そうですか。なら、また次の機会にしておきます。・・・ローム国騎士団のケイス第六部隊長、ですね」

「ああ」


 お礼にと、その果物を分けると、兵士達も喜んで受け取った。

 ジルードは邸に帰り、カロン・ケイスという男の噂話を思い出す。・・・確かに、何というべきか、知り合いだと言おうものならばマイナスにしかならないというのも納得な男である。

 ローム国騎士団における異例の女将軍の養い子。暴れ狼の異名をとる、その女将軍の腰巾着。

 兵士見習いから始まり、部隊長にまで瞬く間に出世を果たした敵国出身の剣豪。


(だけど、俺は・・・・・・)


 どんな噂があろうと、あの美しい動きに心が揺さぶられた。知らず涙が溢れる感動を、この身に起こしたのはあの男一人だ。

 たかが貧乏男爵家の人間だからと卑屈になって近衛騎士団を避けた自分に対し、あの男はもっと嘲られ、馬鹿にされて生きてきたではないか。

 なのに、今日の門を守る兵士が誇らしそうに語っていた彼の名前はどうだっただろう。周囲にどんな評価を下されても腐らず、努力してあの男はあんなにも・・・・・・。


(あれこそが、強さじゃないか・・・)


 自分が恥ずかしかった。そして、もう一度あの男に会いたいと思った。

 次の日、ジルード・ファレは、異動願いを出した。それは普通に受理され、ローム国騎士団へと異動となった。




「単なる入団希望ならば、そのまま受け付けるのだが、異動となると、問題児が多くてな。だが、まさかの騎士見習いで異動願いとは・・・」


 そう言って、ローム国騎士団のクネライ第一部隊長と副官のキヤンが、ジルードに対して首を傾げた。そこへケリスエ将軍も姿を見せる。


「第一部隊長。騎士見習いで異動願いという書類が来ていたのだが、騎士の間違いじゃないのか?」

「いえ。騎士見習いで合ってるようですぞ」


 三人の、(何を考えてるんだ、お前?)と、言わんばかりの視線がジルードに向けられた。時期外れの異動願いだけに、その部屋にいる入団者はジルード一人だ。


「何か、問題でも起こしたのか? 大体、王都騎士団での訓練が厳しくてうちにって言うなら、やめておいた方がいいと忠告する。うちは決して優しくはない。・・・ジルード・ファレ、ね。ファレ男爵家の人間、か」


 キヤンがそう呆れた声で呟く。まさか騎士見習いの時点で異動願いを出す人間がいるとは思わなかったのだろう。

 どんなこらえ性のない人間なのかと思われているのをひしひしと感じとり、ジルードは、顔を赤くしながら言った。


「訓練が厳しくて嫌になったからじゃありませんっ。私はっ、ケイス第六部隊長の剣を見てっ、剣を見て・・・・・・っ」


 その後にどんな言葉を続ければ良かったのだろう。もう一度見たくて、か。それともそうなりたくて、か。

けれども、まさかよりによってケイス第六部隊長の師匠であるケリスエ将軍が出てくるとは思わず、ジルードは頭が真っ白になって、わけの分からないことを言ってしまっていた。


「惚れたんですっ」

「・・・・・・」「・・・・・・」「・・・・・・」


 誰もがしーんとなった。

 あまりの沈黙に、ジルードは自分が何を言ってしまったのか、改めて考え直す。そして、蒼白になった。


「ちっ、違いますっ。俺はっ、俺は単にあの剣が凄いって思って、それでっ、それで・・・っ、ただもう一度あの人にっ、あの人に教わりたかったんですっ」


 だが、一度出た言葉というのは取り返しがつかないものである。

 ケリスエ将軍は何を考えているのか、無表情のままだった。

クネライ第一部隊長は複雑そうな、奇妙そうな表情でケリスエ将軍を見ている。

 そしてその副官のキヤン・ハイリは、顔を赤くして片手で口元を覆い、下を向いていた。


「なるほど。第二弾、か」


 ケリスエ将軍がそう呟いた。すると、キヤンは耳まで赤くなる。


「まあ、いい。クネライ第一部隊長。その少年は第六に入れてやってくれないか?」

「はあ、あなたが良いと仰有るのでしたら。・・・ですが、叶わぬ恋ならここで諦めさせておいた方がいいかと思いますがね」

「ちっ、違いますっ。俺はそんな感情で見てるわけじゃっ、・・・さっきのは、さっきのは間違えただけなんですっ!」


 そんなジルードの絶叫が部屋に響いたが、()にも(かく)にもジルードは第六部隊へ配属された。

 



「これからよろしくお願い申し上げます。ジルード・ファレと申します」

「おお。話は聞いてるぜ。俺はサフィヨール、第六部隊長の副官をしてる。ま、お前は、そうさな、俺の騎士見習いにしといてやるよ」


 にやにやと笑いながら、ジルードをサフィヨールが迎える。だが、第六部隊長の執務室で部隊長の椅子に座っているその姿は、副官ではなく第六部隊長と言った方が良い感じである。


「まあ、うちの部隊長は第六部隊のことよりも違うことで忙しい男なんでな。カロンに近づきたきゃ、実力で這い上がれ。・・・あの男だってそうやって這い上がったんだ」

「はい」


 違うことで忙しいとはどういう意味なのか。それはすぐに分かった。

 ・・・ケリスエ将軍の所に入り浸っているだけである。


(どこまであの女将軍に執着してんだよっ)


 そんな男に憧れて異動願いを出した自分は馬鹿のようだ。・・・・・・馬鹿だけど。

 あの日、一対一でカロンに教えてもらった自分だからこそ、そんなのはただの噂だと思っていた。だが、事実はもっと厳しかった。カロンのケリスエ将軍に対する執着は、腰巾着どころか、ケリスエ将軍に殴り倒されても付いていくといった、噂よりも激しいものだったのだ。


(俺は・・・、俺は何に憧れて異動したんだろう)


 そんな思いを抱きながら、それでもジルードは努力し続けた。カロンにアドバイスされた通り、毎日足腰を鍛え、得意不得意にかかわらず素振りの練習もし、カロンに教わった組み合わせの素振りをもし続けた。


「今日はケイス部隊長の訓練だってさ」

「ああ。戦から戻られたのか」


 ちょうどジルードの異動のすぐ後、戦に出向いていたカロンが戻ってきたのだ。どうやらケリスエ将軍についていく為、第六部隊を放り出して出て行っていたらしい。どこまで一緒にいたいのか。

それでも、あの日以来、二度目の訓練だと思えば、ジルードは顔が赤くなった。

 ケイス第六部隊長を追いかけて異動してきただなんて、呆れられるだろうか。もしかしたら、そんなにもと喜んでもらえるだろうか。せめて伝えたい、あなたのおかげで少しずつ上達した、今の自分を。

 そんなジルードの思いをよそに、カロンの容赦ない訓練は始まった。

 次々と、体術でも剣技でも、叩き伏せられていく。


「よしっ、次っ」「お前、膝を庇ってるな。怪我したなら布を巻いて補っておけっ。無理させると弱くなるぞっ」「さっさと動けっ、次っ」「もう一度列に並べっ、次っ」


 あの日の訓練は、まさに見知らぬよその見習いだから優しかったのだと、それをジルードは実感した。けれどもこの容赦ない訓練の方が、カロンに近づけた気になる。


(いつか、追いつきたい・・・。今はまだまだでも)


 やがて訓練生の全員が地面に横たわって動けない状態になると、カロンはそこで今日の訓練を終わりにした。


「で、どうだ、カロン?」

「どうって? サフィヨール様もちゃんと最後まで言ってくださいよ。意味が分かりません」

「ほら、異動してきた奴もいただろ?」

「ああ、悪くない動きでしたね。あと少し、基礎を鍛えた方がいいですけど」

「お前、会うのは二回目だろ?」

「は? いや、俺、あの人について出てましたから・・・。その異動とやらがあってから初めての訓練ですし、今日、初めて見た顔ですよ」

「・・・・・・」


 そう片付けると、カロンはサフィヨールに一礼する。


「じゃあ、俺、将軍の所に行ってきます。多分、次はうちが出ることになるかと思います」

「ああ、分かった」


 そうして皆を沈めたカロンが平然とした様子で立ち去ると、サフィヨールはジルードの近くに寄ってきて、気の毒そうな感じで言った。


「あいつもなあ・・・。基本的にあの男の目に映ってんのは一人だけだからな。ま、覚えられてなくても気にすんな。悪気があるわけじゃねえ。単に将軍以外はどうでもいいだけなんだ、あいつは」


 サフィヨールの甥で、いつも傍にいるリールスもまた、哀れみの表情を浮かべている。


「ケイス部隊長は、何かというと、ケリスエ将軍が無神経って仰有るんですけど、結構そういう点は似てるんですよね、あのお二人」


 師弟ってそういうのも似るんでしょうかと、リールスは呟いた。


「・・・・・・・・・」


 その日、ジールスは切ないという気持ちを知った。その青い瞳に虚ろな輝きが浮かぶ。

 たとえ貧乏貴族でも、男爵家の人間として周囲に貴族として扱ってもらっていた自分にしてみれば、あまりにも薄情なカロンの記憶認識だった。

 

「ふ、ふふふふふ、・・・いいんです、俺は俺で這い上がってみせますから」


 自分は何を期待していたのだろう。自分にとっては人生で初めて抱く、今までにない感動だったとしても、あの男にとってはどうでもいいことだった、それだけだ。自分のことを覚えていてほしいだなんて、二度とそんな甘酸っぱい夢は見ない。

 将軍しか目に入っていないなら、それはそれでいい。あの男の目がどこを向いていようが、自分が捕まえればいいだけではないか。


「・・・うーん。どいつもこいつも、真面目な男がキレるとどうして変な方向に行くんだろうな」


 そんなサフィヨールの言葉すら、今のジルードには聞こえていなかった。


(絶対、自分を覚えさせてみせるっ。そうっ、何があろうともっ!)


 ジルードの願いは、あの素晴らしい剣舞をもう一度見たい。あの感動を忘れたくない。そんなものだった。

けれども今、まさかの自分をカロンがこれっぽっちも、それこそカケラも覚えていなかったという事実に、彼のプライドは粉々に砕け散り、違う野心が芽生えていた。


(そうっ、何としてでもあの男の側に辿りついてみせるっ。そして俺を覚えさせるんだっ!)




 既に物事の根本を見失っている彼の行く先がどこなのか、・・・それは誰も知らない。


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