13 キニーツのカロリーナ(ロイスナーの小さな客人)
○月×日
匿名X:今日、酒場で羽振りのいい男がいました。どうも近衛の奴っぽいんですよね。ただ、・・・うまく言えないんですが、その豪遊、使い込みしてるんじゃないかって思いました。いえ、俺の気のせいだと思うんですけど。
匿名A:だから近衛って嫌いなんだよ。こっちなんて羽振りがいいどころか、生活するので精いっぱいだってのに。
匿名B:近衛なら貴族も多いだろ。金持ってるだけじゃないのか?
匿名C:どうだろな、B。貴族なら酒場じゃなくても邸でいい酒が飲めるだろ。貴族御用達の店ならツケもきくが、酒場なんて現金払いだ。・・・お貴族様だからこそ、そう金を持ち出して豪遊するって遊び方はしないんじゃないか?
匿名D:X、更に情報希望する。できれば名前や特徴など。
匿名E:そういう勘と裏付けをとる姿勢は大事だ、X、D。他人事だと思わず、きちんと観察し、考える君達のそれは、取り締まりの立場に立つ騎士団としての誇りを持てばこそだ。上司もそんな部下を持って鼻が高いことだろう。
カリスフ第三部隊長は久々に解き放たれた思いを味わっていた。
(久しく忘れていた、この思いを)
第三大隊を率いるようになって長い。こうやってまさに先兵の如く走り抜けていくのはどれ程ぶりか。
「フッ。部隊長殿には、こういう名もなき兵士のような荒っぽい扱いをされては、ついてこれないのではないか?」
わざと挑発するかのように、横を走りながらケリスエ将軍が皮肉な笑いを見せてくる。第三部隊長も、ニヤリと笑ってみせた。
「それこそ、笑止千万。我らは力でもってその地位を拝命するのでございますぞ。これしき、なんのことがありましょうや」
「頼もしいことだ。それに誰一人遅れている者がいない。昨日の今日で掻き集めさせてしまったので実は期待していなかったのだが、かなり厳選されたのではないか? 半分以上、置いていくことになろうと思っていたのだがな。こうなると部隊長だけでなく、第三の精鋭をも私は引き抜いてきてしまったことになる」
二人の後に続く小隊の面々も同じように駆け抜けていく。脱落者はいなかった。
その将軍の言葉が聞こえたのだろう、すぐ後ろにいた騎士達も面映ゆそうな顔になった。それこそ将軍直属の護衛を任されておきながら脱落などしてたまるかという思いもあったが、やはり自分達の力を評価されるのは嬉しいものだ。
「さて、どうでしょう。何か問題でも?」
昂揚感のままに、普段ならば言わない軽妙なテンポの言葉も出てくる。第三部隊長のからかうようなセリフに、ケリスエ将軍も真面目そうに言ってみせた。
「問題なら大アリだ。のんびりと三大隊の戦いを見ているつもりだったのに、こうなると一働きしたくなるじゃないか」
「おや、それは困りましたね」
「ああ、困ったものだ。人畜無害に見せかけておきながら、最初からそうさせるつもりだった策士な部隊長のおかげでな」
「おやおや。そんな部隊長が存在したとは知りませんでした。今度、紹介してください」
「紹介ならいつでも。静かな水面に姿を映せば一発だ」
馬を走らせているだけに、会話というよりも怒鳴り合いに近い。そうでないと声が掻き消されてしまうからだ。
普段ならばケリスエ将軍もカリスフ第三部隊長も、こういったふざけた会話をするタイプではない。だが、少人数で戦いに行く時に士気を高めておくことがいかに大切かは知悉していた。
ついていく配下がこの人ならば勝てると思える力、負け戦すら勝ちに転じさせると思わせる余裕、この人に評価されたいと思わずにはいられない統率力。・・・本来、神輿に担がれているであろう将軍自らが馬を駆り、こうやって部隊長を挑発してくるのだ。それに従う騎士や兵士達も、どうしてそれに負けていられるだろう。
分かっているから乗るカリスフ第三部隊長だ。小隊長だった頃のことを思い出さずにはいられない。部下達との距離が小さかった、己の剣一つで切り拓いた昔のことを。
早い者勝ちと言わんばかりに替え馬も提供してもらい、一行は一目散に現地へと向かっていた。
(はてさて、こうなるとどう出るかな。あの部隊長達は)
今後、どの戦いにもケイス第六部隊長を連れて行くと明言したケリスエ将軍だが、その第六部隊長は戦いにこそついていけても、こうして直属の護衛はできないのだ。そう考えると、やっかみたくもあり、やっかむ必要もなし、だろうか。
この将軍にとって第六部隊長がどんなに特別でも、だから自分達は疑わずにいられるのかもしれない。公私共に特別な存在を持っても、それでも、と。
体こそ疲れきってはいたが、かなり短い日数で、ケリスエ将軍一行は、領主の城へと到着した。
隣国イアプト領と国境を接するキニーツ領。
七十代、老齢と言っていいキニーツ伯爵は、濃緑色の眼光も鋭い大柄な男だった。その長男もまた父によく似た大柄な初老の男である。キニーツ伯爵はほとんど白髪となっていたが、長男は赤茶けた髪の色をしている。どちらも武装しており、城内は物々しい雰囲気に包まれていた。
「ようこそおいでくださった。こんなにも早い到着をいただけるとは思ってもおりませんでした」
「この度はよくぞ持ちこたえてくださいました、キニーツ伯爵。追って、三大隊が到着する予定ではございますが、先行して参りました。ご子息殿にはお初にお目にかかります、ローム国騎士団のケリスエでございます。どうぞお見知りおきください。同行しておりますのは、ファイロ・カリスフ第三部隊長にございます」
三大隊とはありがたいことだが、何よりも真っ先に駆けつけてくれたのが、それを率いる将軍自身である。キニーツ伯爵親子も感動せずにはいられなかった。王都との距離を考えれば、それこそ早馬レベルの強行軍だったと察せられるからだ。
そこへ、ずかずかと慌てた様子で入り込んできた青年がいた。伯爵親子によく似た青年である。
「ただ今戻りました。そこで聞いたのですが、王都から既に駆けつけてくださったと・・・」
「おお。無事に戻ったか、ジルファス。・・・ご紹介いたしましょう、ケリスエ将軍。孫息子にあたります、ジルファスです」
「お初にお目にかかります、ジルファス殿。ローム国騎士団のケリスエでございます」
「あなたが、あの・・・。お目に掛かれて光栄です。ジルファス・キニーツと申します」
伯爵の孫息子だからだろう、たしかに甲冑は立派な物を身につけていた。しかし、それもまた土埃で汚れている。
「外から戻ったばかりで汚れているのはご容赦願えますでしょうか。こんな時でもなければ、きちんと身なりも整えてからご挨拶申し上げるのですが・・・」
「こちらも汚れているのは同様です。汚れることを厭う人間に、何が守れましょう」
そう切り返したケリスエ将軍に、ジルファスは面白そうな顔になって、「違いありません」と、大口を開けて笑った。相手がローム国騎士団の将軍だというので、礼儀正しく振る舞っているようだが、どうも本来は気っ風のいい男のようだ。屈託なく笑うそれは、見ていて気持ちがいい。
(第一部隊長と気が合いそうなタイプだな。戦士という感じではないが、体格はいい。それは三代揃って同じようだが)
カリスフ第三部隊長は、そう評価した。様々な駆け引きを駆使する貴族というよりも、自分達に近いタイプだ。伯爵一家は、領主だからと家来に守られるのではなく、自分達が率先して守ろうという気概を持っているようだった。
説明をと思ったか、キニーツ伯爵がケリスエ将軍に穏やかになった視線を向けた。
「我らが真っ先に逃げ出すのではないかと、民に疑われてはたまりませんからな。その為、ジルファスはなるべく外をまわっておるのです。まさか将軍が先んじて駆けつけてくださるとは思いもしなかったが、この噂が広まれば、皆も落ち着きましょう」
「ご安心ください、キニーツ伯爵。三大隊が到着するまで、我らも一緒に戦い、持ちこたえてみせましょう」
自信に溢れた微笑を浮かべるケリスエ将軍は、今までキニーツ伯爵が王都ロームで見かけていたような華やかな正装でも何でもなく、まさに武装した騎士でしかない。土埃にまみれた地味な格好は、言われなければ一騎士としか誰もが思わないだろう。
それでも。
華やかな宮廷で見かける立派な格好よりも、この武骨な広間で注目を集める薄汚れた格好の方が、どれ程価値があることか。
「キニーツ領軍の方々とお話をさせていただけますでしょうか。三大隊が到着するまでの間、我々もどう戦うか、打ち合わせておきたく存じます」
「いや、それこそお疲れでありましょう。まずはお休みいただかねば。客室は用意させていただいております。宴などの用意はできませぬが、どうぞ本日はごゆるりとお休みになっていただきたい」
「ありがとうございます。ですがリガンテ公爵も、キニーツ領がいかに切実な状況で踏ん張っていることかと案じておられました。我らはローム王国の剣でございます。どうして貴領が災難に遭われている時におめおめとくつろげましょう。後程、お言葉に甘えて休ませてはいただきますが、まずは状況を教えていただきたくお願い申し上げます」
状況が状況である。キニーツ伯爵邸のその広間には、キニーツ領軍の責任者も集っていた。せめて王都からの援軍が到着するまではと、その思いだけで彼らも戦っており、今やキニーツ伯爵邸は武装した人間で溢れかえっている。
国境付近には、近隣の領主から借り受けた他領の兵士達と共にほとんどの兵を待機させてあると、伯爵が説明する。
(王都なんてしちめんどくさい貴族ばかりだと思っていたから、父上も俺も近づかなかったんだが・・・。こんな将軍がいたとは。いや、噂は聞いていたが、・・・噂など当てにならんな)
ジルファスは初めて見るケリスエ将軍の存在感に圧倒されていた。隣にいる第三部隊長も、一大隊を率いる身である。本来のその役職を考えたら、こんな薄汚れた格好になってまで馬を飛ばしてくる立場ではない。
だが。
それだからこそ自分達の琴線に触れるものがある。それはきっと誰もの心を揺さぶっていくだろう。
(三大隊か・・・。到着まであと何日かかるか。それでも確実に来るとなれば、かなり士気は上がる。皆の目に生気が戻っている。父上と俺が見回ることで皆を落ち着かせていたが、・・・正直、助かった)
今の所どうにかなってはいたが、イアプト軍はまだ温存してある兵があるのだ。このまま敗れるのではないかという不安を、誰もが抱えていた。
王都へ助けを求めた早馬とて到着まで数日はかかる。それから援軍を出してくれたとしても、到着はいつになるのだろう。間に合うのだろうか。その時には、キニーツ伯爵も討ち取られているのではないか。誰もが口にしないものの、そういった怖れを抱いていた。
だが、まさか援軍よりも先に、騎士団を率いる将軍が一小隊を連れただけで乗り込んでくるなどと、誰が予想できただろう。
自分達の為に、ローム国騎士団がそこまで動いたのだ。
大丈夫だ、決して王都はキニーツ領を見捨てない。きっと勝てる。
そう、誰もが実感せずにはいられなかった。
「地図を持て。将軍殿へのご説明を」
キニーツ伯爵の声は、涙をこらえたのだろう、少し震えていた。
カリスフ率いる一小隊の面々も、かなり疲れきってはいたが、この場に立てばどんなに追い詰められた思いでキニーツ領がイアプトの侵攻を食い止めていたのかなど、分からぬ筈がない。
ならばどうしてここで疲れてへばるような情けない姿をさらせようか。三大隊に先んじて到着した一行に相応しく、彼らもまた背筋を伸ばした。この広間に集まった人々の期待を集めるに相応しい戦士であるように、と。
ロームの西南に位置するラファイ王国。
その辺境の地、イアプト領主であるリンデライ・イアプト子爵は、不機嫌そうな顔で酒を呷っていた。
「まだキニーツは落ちんのか」
「きゃっ」
簡単に落城させられると思っていたのに、かなり長引いている。今までこんなことはなかったというのに。
苛々とした様子で、リンデライは近くで酒を注いでいた侍女の腕を強く握って引き寄せた。
怯える侍女は、隣のハインツ領主を攻めた時に城から連れてきた女の一人だ。
速やかにその領の財産と兵力をイアプトに組み込まねばならなかった為、略奪は許さなかった。領主とその家族は殺したものの、それ以外の者達については、個人の生命と財産を許してやれば大人しく新しい主人に従うものだ。
それでもリンデライとその側近が気に入った女達ぐらいは連れ帰ってもいいだろう。彼女はハインツ男爵夫人の侍女だったらしい。名を、エルザと言った。
「あ、あの、旦那様。お手をどうぞ、・・・お離しくださいませ」
エルザはリンデライの怒りが恐ろしかったのだろう、怯えていた。
自分の一挙手一投足にびくびくとする女の反応は、まさにそれだけ自分が人に恐れられる大きな存在になったかのようで気分がいい。リンデライはその恐怖を更に煽ってやろうと言わんばかりに、楽しげに侍女へとゆっくり話しかけた。
「なあ、エルザ。お前もそう思うだろう? ハインツ男爵夫人の娘はキニーツに嫁いでいるのだからな」
「お、お許しください。旦那様」
自分への答えなど期待されていないのは分かっている。エルザは、ただ、慈悲を願った。
「キニーツに嫁いだ令嬢は美人か? お前は顔を知っているのだろう? 言え。どんな女だ? 美しいのであれば、殺さずに連れ帰ってもいいな。お前もその方が嬉しいだろう?」
「お、お嬢様は・・・、恐れ多いことではございますが、あまり、その・・・・・・」
「何だ、そうか。つまらん」
そんなリンデライを宥めるように、側近のロバルトが口を開く。
「リンデライ様。そうお焦りになることもありますまい。キニーツも、後は時間の問題でしょう」
「お前は暢気すぎるんだ。こんなことならキニーツではなく、攻めるのはフィルドにしておくんだった。大体、いずれはハインツ領も俺の物にするつもりで、ハインツ男爵令嬢に求婚したというのに、キニーツとの婚約があるとか言って断られたんだぞ? だからキニーツにしたのに、・・・不細工な女だと分かっていたら攻める価値などなかったではないか」
「また、そういうご冗談を」
リンデライはエルザの腰を抱いたまま、酒を更に注がせた。
ラファイ王国のイアプト領は、ローム王国のキニーツ領及びフィルド領とも国境を隔てて隣接している。同時にラファイ王国に属するハインツ領も、キニーツ領と隣接していた。
属している国は違っても領地が接している為、行き来があったのだろう。ハインツ男爵はキニーツ伯爵の孫息子に、自分の娘を嫁がせていた。リンデライが求婚したというのに、それを断って。
「ですが、娶らずに済んで何よりと言えるでもありませんか。いずれ王都に攻め上った暁には、どんな姫君でも選び放題です」
「それもそうだ。ロバルト、お前にも貴族令嬢をくれてやろう」
楽しそうに笑う男達の声を聞きながら、エルザはそっと唇を噛み締めた。
(今はか弱く震えるばかりの侍女を演じよう。・・・少なくともこの男の近くにいれば、何かあれば動くことも出来るのだから。カロリーナ様、どうかご無事で)
キニーツに嫁いだハインツ男爵令嬢カロリーナは、本来エルザが仕えていた主人でもあった。カロリーナの輿入れの際、家の事情でキニーツ領についていけなかったエルザは、カロリーナの母である男爵夫人の侍女となったのである。
(仮にキニーツが敗れても、お綺麗ではないと言っておけば、この男は興味を持たないとは思うのだけど。旦那様と奥様を殺した男の毒牙にかけられるぐらいならば、そんな辱めを受けることなく一思いに・・・)
そう思いながらも、万が一の時には体を張ってでもエルザはカロリーナを助けるつもりだった。
カロリーナは儚げなタイプの姫だ。人見知りで引っ込み思案な性格も影響していただろう。銀に近い金髪は柔らかく波打ち、薄い水色の瞳は何かあればすぐに涙に濡れる。見た人全てが消え入りそうな印象を持たずにはいられない。
(ジルファス様とお幸せに暮らしていらっしゃる筈だったのに。この男のせいで全てが・・・!)
隣国のキニーツ伯爵の代わりにその孫息子ジルファスがハインツ男爵を訪ねてきた際、ジルファスは子犬を追いかけて庭に出てきたカロリーナを見初め、即座に求婚したのだ。
ハインツ男爵の一人娘であるカロリーナは、滅多に部屋から出ることもなく、ハインツ城の人間でもなかなか姿を見ることのない姫だった。
怖がりなカロリーナは、いきなり自分の手を握って求婚してきた見知らぬ大柄な男に驚き、気を失ってしまったのだが・・・。そんなカロリーナに、余計に庇護欲をそそられたのか、ジルファスは次の日から謝罪と称して何かとカロリーナに小さな贈り物をするようになり、そしてカロリーナもいつしか絆され、恋仲になったのである。
ハインツ男爵にとっても、城から全く出ようともせず、男とは口もろくにきけなかったカロリーナである。一生、侍女の後ろに隠れて生きていくのではないかと諦めていた為、そんな人見知りなところも受け入れて求婚してくれるジルファスは救いの神でもあった。
両家共に全く問題のない縁組だったのである。リンデライなど、最初からお呼びではない。
(この身に代えましても、あなた様だけは・・・。どうぞご無事で、カロリーナ様)
エルザは全ての恨みを飲み込み、再び酒を注ぐ。できれば自害したかった。けれどもキニーツを攻めると聞き、死ねないと思った。
雷が鳴れば怖いと言って泣き、可愛がっていた猫が死んでも何日も泣き続けていたカロリーナ。嫁いでいく日も、自分達とお別れだというので、かなり泣き腫らした瞳をしていた。
それでも、一生男性と口をきけないまま終わるのではないかと思われていたカロリーナが、ゆっくりとジルファスとの恋を育んでいく様子は、侍女である自分達にとってどれ程に嬉しかったことか。
(殺してやりたい、こんな男)
そんなエルザの気持ちなど知る由もないリンデライである。自分を恐れて機嫌を窺ってくるエルザの様子も嗜虐心を満たしてくれる。
この侍女はなかなか良い掘り出し物だった。自分の人を見る目に満足する。
そうしてリンデライは、何度となく繰り返した言葉を口にした。
「王家の血など何程のことがあろうか。血筋や家格もうんざりだ。ラファイ王家の血など、今や何の価値もない。それを俺が示してやろう。・・・どんな国も、血の入れ替えはあった。今度はこのイアプトの血を王家の血としてやる」
「そうでございますとも、リンデライ様。この国はあまりにも疲れきっている。国を荒らすだけの王位争いなど、心ある民にとってはうんざりとした迷惑なものでしかありません。あなたこそが、この国を救うのです」
人は力を手に入れるとそれに溺れるものだ。
最初は民を救う為に立ち上がったリンデライ・イアプトだったが、近隣の領地を攻めて手に入れ、人々に称賛される内、次の王への野心が生まれずにはいられなかった。勿論それは、今の王位争いを止めようと思うのであれば避けては通れない道だったが。
それでもロバルトの目に映るリンデライは、かつて自分にこの国の行く末を憂い嘆いてみせたあの頃のままだ。
(どこまでもお供します、リンデライ様。あなたの頭上に王冠が輝くその日まで)
今のリンデライが思い描くのは、己が国王として人々に傅かれるそれであった。
ロバルトが思い描くのは、民衆の笑顔を取り戻して国王となるリンデライである。
そんな主従の未来予想図は、似ていて非なるものだったが、二人はそれに気づいていなかった。
(あのカロリーナ様を一目見てしまったなら、この男とて手に入れずにはいられないわ。ならば牢ではなく、門番や見張りの手薄な場所を調べておかねば。・・・カロリーナ様、けれどもどうぞ無事に逃げ延びておいでになってくださいまし)
そんな男達の野望など、今のエルザにはどうでもいい。
出来る事ならばキニーツ伯爵がカロリーナをどこか安全な所に逃がしてくれていればいいのだが。
それでもエルザは、カロリーナが捕らわれた時にはどんな脱出経路があるかと、そちらを考え始めていた。
国境を接していても、先代イアプト領主は穏やかな男だった。また、キニーツ伯爵とハインツ男爵も互いの城を訪ねていくような付き合いがあり、戦う必要が長く存在していなかった。
遠い自国の王都より、近くの他国の領主と親しくしているのは不思議でもなんでもない。従って、国境を巡っての戦いなどもなかったのだ、今まで。
「お恥ずかしいことながら、我らは経験が足りませぬ。もしもよろしければ、将軍に指揮を執っていただければと」
キニーツ領軍の将達にそう言われ、なるほどと納得したケリスエ将軍は、暫定的にカリスフ第三部隊長をキニーツ領軍の指揮官に据えさせた。
「あの、将軍。私はあなたの護衛でやってきたんですが・・・」
「そうだな、第三部隊長が一緒に来てくれて助かった。小隊長ではさすがに荷が重かっただろうからな。私は簡単に周囲を見てくる。第三部隊長は明日からの手筈を打ち合わせておいてくれ。奴らの鼻っ柱を叩き折ってやれよ」
ケリスエ将軍が指揮を執るのでは、この場に将軍と第三部隊長の二人が同席することになる。だがカリスフが指揮を執るのであれば、将軍は他の情報も集めてくることが出来る。後で互いの情報を交換すればいい。
なるほどと納得しつつも、護衛でついてきた意味がないような気がするカリスフだった。
そんなカリスフ第三部隊長の心情を無視し、城外の様子を見に行こうとしたケリスエ将軍はジルファスに呼び止められた。
「ケリスエ将軍? どこかにおいでになるのですか? 打ち合わせ終了後はお休みになるのかと思っておりましたが」
「ジルファス殿。折角ですから、日が暮れぬ内に周囲を見てこようと思っておりました」
「そうでしたか。よろしければ私がご案内させていただきますが?」
「ご迷惑でなければ是非」
そこへ、小さな声が掛けられる。
「ジルファス様・・・」
「カロリーナ」
そこには、泣き腫らした顔の女性が立っていた。波打つ薄い金の髪を一つに緩くまとめて垂らしている。
「起き上がって大丈夫なのか? こんな騒がしい状態ではお前も恐ろしいだけだろう。部屋で休んでいなさい」
「ジルファス様が、お戻りになったって聞いて・・・。あの、こちら、は?」
ジルファスの妻らしいと判断し、ケリスエ将軍は微笑んだ。
美女と野獣とまでは言わないが、風にも折れそうな儚げな女性と、がっしりしたジルファスとでは、全くもって正反対の夫婦だ。小鳥と熊、そんな感じである。
「ローム国騎士団の将軍位を拝命しておりますケリスエでございます。・・・これから更に騒がしくなりましょう。戦いはどうぞ我らにお任せください、姫君。ジルファス殿が仰有る通り、お部屋にいらした方がよろしゅうございます」
「カロリーナと申します。わ、私、・・・ただ、ジルファス様のご無事を・・・・・・」
「いや、あの、別に叱ったわけでは・・・」
ほろほろと涙を零し始めるカロリーナに、ケリスエ将軍もさすがに驚いた。何故、泣くのか。
(もしかして、私が泣かしたことになるのか・・・?)
ジルファスがそんなカロリーナを抱き寄せると、その胸に取り縋って更にカロリーナが、ひっくひっくと泣き始める。
「カロリーナ、泣かないでくれ」
「だって、だって、ジルファス様も、ジルファス様にも、何かあったらって・・・」
「大丈夫、大丈夫だ、カロリーナ」
それよりも俺のせいでお前も汚れてしまったな、だから部屋できちんと拭いておきなさいと、優しい声でジルファスが言う。
「俺は死なない。大丈夫だ、カロリーナ。何があろうと、お前を守るよ」
「ジルファス様・・・。けど、また・・・行っておしまいになるんでしょう? 私を置いて・・・」
「今は将軍にこの辺りを案内させていただくだけだ。戦うわけじゃない」
「・・・ジルファス様」
どこもジルファスは怪我していない上、ただの見回りなのに、どうしてこんな愁嘆場がここで繰り広げられているのだろうと、ケリスエ将軍は遠い目になった。
世間の夫婦とはこういうものなのだろうか。自分には無理だ、出来ない。
私を置いていくんでしょう、どころか、夫であるカロンを置いてきてしまったケリスエ将軍である。
(この姫君もなあ・・・。よくあることなんだが、しかしまあ、どうしたもんかな)
本来ならそんな二人など、「勝手にやってろ」で放置して行くが、兵力が限られる以上、なるべく様々なことを頭に入れておきたい。ジルファスの申し出は、ケリスエ将軍にとって渡りに船だった。
通りがかった侍女に、カロリーナを部屋に連れて行ってくれないかと、ジルファスが頼むと、侍女も心得たように頷いて、
「さあ、カロリーナ様。大丈夫ですよ。こちらの将軍様はお強い方なんですから。きっとイアプト軍を蹴散らしてくださいますとも」
と、ケリスエ将軍に何の了承もとらず、勝手に約束してしまった。
どうもカロリーナを泣き止ませる為なら、誰もが空手形を乱発しているのではないかと思われる。
(いや。勝負は時の運でもあるんだが・・・)
ケリスエ将軍としては、無敗を誇っていても自分を過信するつもりはない。部下達の前では決して負けぬといった様子を見せていようとも、いずれ自分も戦場で斃れる日が来ると分かっている。
戦いで勝ち続ける人間とて、いずれは負ける日が来るのだ。殺す人間がいつか殺されるように。
けれども、ケリスエ将軍がとても偉くて強い将軍なのだと聞かされたカロリーナが、
「まあ。そんな方がいらしてくださっただなんて・・・」
と、尊敬する瞳で見上げてくると、なかなか厳しい状況ですと、言える筈もない。
「すぐに援軍も到着いたします。どうぞご安心ください。さあ、もうお泣きにならないで。笑ってください、カロリーナ殿。その涙よりも笑顔にこそ、騎士や兵士は奮い立つものです」
と、言うしかなかった。
それで泣き止んでくれるなら、もういいという奴である。
侍女に連れられて去って行くカロリーナを見送り、王都のどんな貴族令嬢よりも深窓の姫君ではないのかと、そう思わずにはいられないケリスエ将軍だった。・・・本当に人妻なのだろうか。奥方というよりは姫君にしか見えない。
「・・・お可愛らしい奥方でいらっしゃる」
「はあ。泣き虫な所は嫁いできてからも変わらず・・・、誰よりも大切な妻です」
照れたように笑うジルファスは、それでもどこか浮かない顔をしていた。
「カロリーナはイアプトに攻められたハインツ領の姫で、両親である男爵夫妻、そして兄君が殺されてしまったことを聞いてしまって以来、臥せってしまいまして・・・。祖母と母、そして弟妹達は王都に向かわせましたが、カロリーナは絶対に嫌だと泣いて言い張り、・・・それでも怖がりで、少しでも私が離れると不安がるのです」
「無理矢理、王都への馬車へ乗せれば良かったのでは?」
「その時は自害すると・・・。私が同行するのならば王都へも向かうと言うのですが、それこそ私が逃げ出すわけにはまいりません」
「・・・・・・愛されておいでですね、ジルファス殿」
次は夫を殺されるのではないかと怯えているのだろう。怖くてもジルファスの近くにいたいのだ、カロリーナは。泣き腫らしていた目も、納得できるというものである。
ジルファスは、自嘲するかのように笑った。
「・・・一目惚れ、だったんです。私の方が」
イアプト軍が、攻めた領主の家族を皆殺しにしているのはジルファスも聞いていた。だから何があってもカロリーナだけは逃がしてやりたかった。
それでも。
カロリーナが震える手で短剣を握りながら、一人生き残るぐらいなら一緒に死なせてくれと泣き叫んだ時、嬉しかったのだ。自分の愛に流されるまま受け入れてくれたのではないかと、彼女の愛はそういうものではないかと思っていたから。
本来はその短剣を叩き落として、彼女を気絶させてでも馬車に乗せるべきだと分かっていたのに。
それが出来なかった自分は、・・・弱い男だ。
「ならば是非とも勝たねばなりませんね、ジルファス殿」
「ええ」
カロリーナにとっては愛する夫が傍にいてくれるのが一番安心できることなのだろう。だが、勝つ為には様々な情報が必要だ。王都でリガンテ大将軍から聞いていたことだけでは足りない。
遠慮なくケリスエ将軍は案内してもらいがてら、ジルファスから様々なことを聞き出すつもりでいた。
カリスフ第三部隊長とは、早朝に打ち合わせることにして今日はまず休めと伝えた。それまでに色々と考えておきたかったからだ。
打ち合わせを終えたカリスフ第三部隊長にしても、使える兵士達は平和に慣れた烏合の衆である。地の利を活かして、なるべく挟み撃ちといった状態に持って行こうとしているようだった。明日、早朝には国境付近へ向かうつもりだと言う。
ケリスエ将軍にしても、現地にまずは行きたかった。
リガンテ大将軍から聞いていた話や、ジルファスから聞いた話、他領から貸し出されたという兵達の責任者などから聞いた話などを思い返しつつ、地図と実際の地形を考えながら、ケリスエ将軍は寝台で横になって考え続けていた。
体は休ませていても頭は動き続けている。
そこへ、小さくノックの音がした。
(用事があるならばもう少し大きくノックをするだろう。起きているかどうかを確かめる為か? それとも・・・)
閂を掛けてはいなかった。もしかしたらという思いがあったからだ。返事を期待していなかったのか、静かに扉が開いた。相手に投げつけるばかりになっていた小剣を、ケリスエ将軍は下ろした。
相手が持っていた灯りで顔を確認する必要はなかった。
「起こすつもりはなかったのですが・・・」
「構わん。寝てなかった。体を休めていただけだ」
「三隊を組み直し、あなたの後を追って早めにやってきた隊と、通常通りの強行軍でこちらに向かっている隊に分けました。後続は、ソチエト第五部隊長が率いていらっしゃいます。到着したのは、クネライ第一部隊長率いる、三隊から選ばれた強者ばかりです。全員、こちらで食事を済ませ、軽く水浴びもさせていただき、部隊長と副官には部屋を、その他には広間と近くの草原を手配していただきました。あなたが眠っているようならば明日にとのことですが・・・」
「いや、ならば主な者達をここへ。隣室にカリスフ第三部隊長もいる。第三部隊長には明日の早朝と伝えてあったのだが、こうなると呼んできた方がいいだろう」
「分かりました。呼んできますので、それまでにきちんと服を着ていてください」
「服なら着ているが?」
「・・・普通の服を身につけておいてください」
言い直すと、カロンは疲れた様子で出て行った。かえって普通の服よりも夜着の方が体の線を隠しているようにも思うのだが、カロンはそうは思わないらしい。
ふむと、ケリスエ将軍は夜着を脱いで普通の服を身につけた。夜着は借り物である。
(どうしてあいつって神経質なんだろうな)
角部屋で、広めの部屋をケリスエ将軍は提供されていた。クネライ達がどの部屋を割り当てられたかは知らないが、きっとこの部屋の方が広いだろう。
しばらくすると、クネライ第一部隊長、カリスフ第三部隊長、各副官と、幾人かの男達がカロンと共にやってきた。
さすがに椅子が足りず、皆で車座になって床に座る。
「結果として、今、どれくらいの人数が来ている?」
「一大隊弱という所ですな。単なる先行かと思いきや、将軍があまりの速さで行かれている為、慌てて馬を駆ることのできる人数をそれだけ編成させました。後続で約一大隊、そして追って一大隊というところでしょう」
クネライ第一部隊長が苦笑しながら答える。
「一大隊弱、か。が、キニーツ伯爵も安堵なされただろう」
「ええ。夜の到着はご迷惑かと思いましたが、挨拶はさせていただきました。我らは幾つかの部屋と大広間、そして近くにある場所を提供していただき、そちらは野営しております」
「そうか、無理をさせたな。しかし、明日の時点で一小隊のみと一大隊というのとでは、雲泥の差だ。・・・カリスフ第三部隊長」
「はい」
「このままキニーツ軍は第三部隊長が指揮しろ。そして第一部隊長、第六部隊長と協力し、部隊長が三人も揃えばどれ程の用兵が出来るものか、イアプトの奴らに目にものを見せてやれ」
「はっ」
「クネライ第一部隊長」
「はい」
「リンデライ・イアプトだが、可能なら生け捕りにしろ。なるべく有効に使いたい」
「努力しましょう」
「カロン」
「はい」
「負けることは許さん」
「分かりました」
かなりざっくりとした指示だったが、そこでケリスエ将軍は皆への説明を始めた。
「さて、王都で聞いていた話も間違ってはいなかったが、こちらで聞いた話によると、イアプトの攻め方はいささか通常と異なるものだったことが分かった」
そうして、ジルファス達から聞いた話を繰り返す。
「リンデライ・イアプトは領主の息子だった時から、ラファイ王都ジレームで暮らす日々が長かったらしい。こちらの領主達とはあまり交流がなかったようだ。普通にこの辺りの領主とも付き合いがあったらしい先代イアプト領主が病気で亡くなった際、戻ってきたリンデライが跡を継いだのだという。リンデライはどうもジレームで庶民の酒場に出入りし、新しい考え方に染まっていたらしい。慣習や旧来の考え方を否定し、それに賛同した者達がイアプトにも付いてきたようだ」
「新しい考え方、ですか」
クネライ第一部隊長が、少し考え込む顔になる。いささか漠然とした表現だったからだ。
「その通り。ラファイ王国の周辺領主を攻めたと聞いていたが、・・・どうも開戦の名乗りも何もなく、黙って奇襲したそうだ。略奪は許さなかったものの、最初に領主の城を兵で攻め込み、為す術もなかった領主の家族を殺し、その上で丸ごとその財産も兵も乗っ取るやり方をしていたらしい。攻め込まれた方も、領主一家が殺されたとあっては他領に注意を促す連絡を出すことも出来ず、混乱するばかりだ。同じやり方を繰り返したらしいが、道理で簡単に辺境の地一帯を掌握できた筈だったな」
誰もが非難するような目つきになった。それは許されるやり方ではない。野盗ではないのだ。そんな不義な方法では、誰もがその勝利すら認めまい。
「このキニーツ領の孫息子ジルファス殿は、その攻め込まれたハインツ領の姫と結婚しており、その為、ハインツ城の家人がキニーツまで助けを求めてやってきたらしい。だからキニーツはそのやり方を先んじて知ることが出来たそうだ。すぐさま街道を封鎖し、そちらに兵を向かわせた。ゆえに小競り合いでどうにか時間稼ぎが出来ていたことになる。イアプト軍は、今までと同じやり方で攻めようにも、このキニーツ城を包囲する所までいかなかったということだ」
「戦い方が外道なのは分かりましたが、そうなりますと実力はいかほどでしょうか。キニーツ領軍はかなり死傷者も出ているようでしたが」
「いい視点だ、第三部隊長。・・・頭でっかちの学生思想と思っていい。キニーツの被害が大きかったのは、数による敗北にすぎん。どちらも兵としては近隣の村人達を集めたものとなる」
そこで誰もがなるほどと考え込み始める。
訓練された職業兵士からなる軍と、農民を集めた雑兵からなる軍とは、戦い方が違うからだ。そして自分達が到着した以上、・・・かなり状況は変わるだろう。
「この辺りはどちらの王都からも離れており、辺境としか言いようがない。ゆえに長閑な日々を誰もが享受していた。兵の数は揃えただろうが、戦いに慣れているわけではない。だがキニーツに梃子摺っていることに焦れたのだろう、温存してあった筈の兵をどんどん投入してきており、キニーツの敗北は時間の問題だ」
小さな灯りが、ケリスエ将軍の顔に影を落としている。それでもケリスエ将軍の表情が分からぬ人間はそこにいなかった。
自分達だからこそ分かる将軍の冷笑がそこにある筈だ。
「だが、それは我らが到着していなければの話、だがな」
「その期待、きっと応えてみせましょう」
フッとクネライ第一部隊長も笑う。ここで負けては勇猛さをウリにする自分達の名が廃るというものである。ましてや、そんな恥知らずな人間にどうして敗北できようか。
その笑みはその場にいた全ての人間に伝染していった。
「イアプトを含めた辺境の地は、ラファイ王国の中にあるが、ローム寄りでもある。リンデライ・イアプトが先に攻め込んだ責任をラファイ王国に求めて賠償金を取ろうにも、今はあちらの国もガタガタだ。このままイアプトを含めた一帯をロームの領土とする方がいいだろう。穀物の実りは豊かな筈だ。リンデライ・イアプトは生死を問わず捕らえろ。なるべく生きている方が望ましい。王都へ持ち帰り、交渉の材料とする」
全員、「はっ」と、応える。
「以上だ。今日はもう休め。明日の早朝出発とする。解散」
きちんと休息をとる大切さは誰もが分かっている。カロンを残して全員が「それでは失礼いたします」「おやすみなさいませ」と、去って行った。
残された二人だったが、「はい、じゃあ着替えてさっさと休んでください」と、カロンが畳まれていた夜着を渡してくる。
そんなカロンに、ふとケリスエ将軍はジルファスとカロリーナを思い出した。
「なあ、カロン」
「何ですか?」
「キニーツ伯爵の孫息子ジルファス殿は、ハインツ領のカロリーナ姫と結婚したと言っただろう?」
「ああ、そんな話でしたね」
それがどうかしたのかと、カロンが怪訝そうな顔になる。正直、どうでもいい。完全に他人事だ。
「そのカロリーナ殿なんだが、何かとジルファス殿に泣いて縋る儚げな姫君でな、今日は私の目の前で、ジルファス殿が案内がてら見回りに行くだけでも、『行っておしまいになるんでしょう、私を置いて・・・』と、涙を流して別れを惜しんでいたんだ」
「はあ」
見回りのどこに別れを惜しむ要素があるのか、そこが分からない。それでも相槌を打つカロンだった。
「・・・お前もああいうのっていいのか?」
「は?」
「私に、そう言って泣きながら縋ってもらいたいか?」
「いえ、全然」
その時点で、それはケリスエ将軍じゃないだろう。それをされても、・・・どんな罠だと思ってしまうのがオチだ。
「そりゃ良かった。あれはやれと言われても出来んなぁと思って見ていたんだ」
「大体、行っておしまいになるも何も、あなたがいつも俺を置いていくんじゃないですか。どっちかって言うと、俺の方が言いたいですね」
「それでもついてくるじゃないか」
「そりゃそうですけど・・・」
「じゃあ、お前が妻の方だな」
「違います」
「なら姫か」
「もっと違います」
どうしてそうなるのかと、カロンがぼやく。
どこに行っても、将軍が女性ばかり見ているのは何故なのか。そりゃ男性に目移りされるよりはマシだが。
「お前も部屋はもらえたのか?」
「ああ、はい」
ふーんと、ケリスエ将軍はカロンの腕を掴んで自分の方へと引き寄せた。
「どうせこの寝台も広いしな。朝、起こしてもらう手間が省ける」
カロンも心得たように笑って言った。
「ちゃんと起こしますよ。荷物を取ってきます。奥に詰めておいてください」
「ん」
寝台に潜り込んだケリスエ将軍の髪や上掛けを整えてやりながら、その額にカロンは小さく唇を落とした。
「先におやすみなさい、ライナ。良い夢を」
「ああ。おやすみ」
すぐに寝てしまった妻だったが、その寝顔を見ながら、(うーむ。もしかしてバレていたかな?)と、カロンは思った。
ケリスエ将軍が休んでいる部屋の扉前で警護がてら休むつもりだったのだ。寝てしまえば、部屋も廊下も同じことだ。
カロンが与えられた部屋はその分を譲った。少しでも多く屋根の下で休ませてやりたかったからだ。
(そりゃ廊下よりも、同じ寝台の方が俺も嬉しいですけどね)
どんなに自分を置いて行こうとも、それでも追いかければいいだけのことだ。そうすればこの人はこうやってカロンだけは受け入れるのだから。
その唇に触れるだけのキスをすると、なるべく音を立てないようにしてカロンは扉を出て行った。
時間を少し巻き戻せば・・・。
昨日では考えられなかった、期待に満ちた興奮がそこにあった。
もう少し遅れるだろうと思っていたのに、ローム国騎士団のクネライ第一部隊長とケイス第六部隊長が共に一大隊程度の兵を連れて到着したのだ。
ただでさえケリスエ将軍とカリスフ第三部隊長が、考えられない程の速さで到着したことに城内は勇気づけられている。その上、更に強行軍どころではないスピードで一大隊が到着したのだ。沸き立つばかりの歓声があがったのは当然だっただろう。
女性ながらローム国騎士団を率いるケリスエ将軍も、目が引きつけられる覇気を発している人物だった上、傍に居るカリスフ第三部隊長もまさに威圧感溢れる人物だった。
「ローム国騎士団第一部隊長クネライと申します」
「第六部隊長ケイスでございます」
だが、遅れて到着したその二人もまた、先に着いた二人を知らねば将軍と言われても信じられる威圧感を放っていた。これが戦いにのみ生きる騎士団というものかと、キニーツ城にいた全ての人間が息を呑んだ程である。
「ようこそおいでくだされた。将軍には部屋にてお休みいただいているが、早速・・・」
「いえ、キニーツ伯爵。それには及びません。・・・将軍はかなりの強行軍だった筈。明日の朝にでも挨拶はいたしますが、将軍の指示がなくては動けない木偶の坊では、我が騎士団の部隊長は務まりませぬ。どうか休ませて差し上げていただきたい」
年下の上司を呼んでくるには及ばないとクネライ第一部隊長はそれを制し、キニーツ伯爵とその息子、そして孫息子のジルファスに人好きのする笑顔を見せた。
迫力のある大男だったが、そうして笑いかけてくると気持ちの良い大らかさがある。
「我ら、この度は迅速をもって選ばれたと自負しております。明日の夜明けと共に出発することになりましょう。礼儀は守らせるつもりではございますが、どこか野営できる場所を提供願えませんでしょうか」
「でしたら私が案内いたしましょう。・・・野営地ならば、城の近くに川と柔らかな草が生えている場所があります。父上は城の客室を案内して差し上げてください」
ジルファスがそこで名乗り出ると、それに対して祖父のキニーツ伯爵、父のケイファスも頷く。
「そうだな。まずは休んでいただかなくては。だが、城前の庭と草原にも、炊き出しを用意させよう」
そう言って、キニーツ伯爵は使用人に城中の大鍋を持ち出せと、必要とあれば借り受けてでも騎士団に腹いっぱいの食事を提供するようにと命じる。
また、今すぐに用意できる客室の数を尋ね、侍女長がそれらを答えながら、炊き出しの配給に参加するようにと控えていた侍女達にも命じていく。
そこには、これでもう大丈夫だという、これで救われるのだという、そんな純粋な喜びがあった。
「おい、第六部隊長。俺は外の方に行ってくる。後はうまくやっといてくれ」
「分かりました。・・・キヤン、お前はこちらに。第一部隊の部屋割りだが、俺では第一の構成が分からん。そしてリールス、お前は第一部隊長と共に」
使える城の部屋数にしても、カロンではやはり第一部隊の誰を優先するのか把握しきれない。その為に第一部隊の副官であるキヤンを残らせる。その代わり、リールスをクネライ第一部隊長につけた。
後続を率いてくるソチエト第五部隊長だが、勿論、この先行した部隊にも第五部隊の人間は入っている。
第五部隊で小隊長を務めている男達をも連れ、カロンは打ち合わせに入る。
「サフィヨール様。そこで外に行こうとしないでください」
「いや、どうせなら見回りもしてこようと思ってな・・・」
「やめてください。まずは食事を終えたらお休みいただきます」
「・・・・・・カロン、お前な。俺はそこまでよぼよぼの年寄りじゃねえぞ」
「外の様子なら後程リールスから聞けばいいでしょう。同じ部屋を用意させていただきますから」
部隊長の筈なのに、何故か部下に対して様付けで呼ぶばかりか敬語を使っているカロンを見て、キニーツ伯爵達は首を傾げたが、恐らく部隊長とは違う偉い人間なのだろうと、サフィヨールについては思うことにした。
「クネライ第一部隊長殿のお名前だけは存じ上げておりました。お会いできて光栄です。・・・まさかこうしてキニーツに駆けてきてくださるとは」
「なんと。嬉しがらせを仰有ってくださる。ジルファス殿もお疲れであろうに」
そうして外へとクネライ第一部隊長を案内に立ったジルファスだ。貴族の跡取りでなければ、実は自分も騎士団に入りたかったジルファスである。その場合は、近衛騎士団に入ったことだろうが、やはり腕一本で部隊長になったローム国騎士団の部隊長に、憧れる気持ちもないわけではない。
「ジルファス様」
だが、そこで、ジルファスを案じてやってきていたカロリーナに声を掛けられたのである。カロリーナは、いきなり騒がしくなった城内の様子に不安を覚え、しかし広間に行く勇気はなく、その辺りをうろうろとしていた。
「どうした、カロリーナ。先に休んでいろと言っただろう。・・・もう、遅い。俺のことを案じてくれるのは嬉しいが、お前こそ自分を大事にしてくれ」
そう言いながら、ジルファスはクネライ第一部隊長に妻を引き合わせる。
「妻のカロリーナです。カロリーナ、こちらはローム国騎士団のクネライ第一部隊長殿だ。お前も聞いたことがあるだろう、かつてジルロードの戦いにおいて敗北していた近衛騎士団を救いに行き、そして勝利してみせた方のことを」
「・・・いや、そんな昔のことを。それにあれは私が率いていたわけではありませんぞ。あの時は、ローム国騎士団でも様々な部隊混合で出ましたからな。責任者が私だっただけのことで」
ガハハと大きく口を開けて笑うクネライ第一部隊長だが、きっとそれはジルファスと共にいるからなのだろう。キニーツ伯爵の前ではそれなりに礼儀正しくしていたものだが、本当はそういうタイプのようだった。
そう思うと、ジルファスもクネライに対して好感を余計に強く抱く。
「ま、あ・・・。あんな凄い方が、本当に実在していたなんて・・・」
そう言って、カロリーナは眩しいものを見るかのようにクネライを見上げるのだが、ジルファスの服を握っているその体がプルプルと震えている。さすがにそれに気づかぬクネライではなかった。
(俺、そんなに怖かったか・・・?)
いつもなら美女と見ればすかさず手にキスする程度は手慣れたもののクネライ第一部隊長だ。だが、・・・どう見ても、この奥方はガタガタと震えている。
さすがのジルファスもそれに気づいたらしい。
「申し訳ありません。実は妻は、嫁ぐまではほとんど男の前に出たこともなく・・・。そして城でも慣れた侍女としか話せない引っ込み思案な性格でして・・・・・・」
「はあ」
そこで年老いた侍女が通りがかり、カロリーナに気づく。
「あらまあ、カロリーナ様。・・・お部屋から出ていらしただなんて。今はローム国騎士団の方々が到着なさってらっしゃいます。もう、ジルファス様は心配いりませんよ。ケイファス様も安堵なさっておいでで・・・」
ジルファスも、自分が産まれた時からいてくれる侍女だ。そちらに微笑みかける。
「カロリーナを部屋に連れて行ってくれないか。・・・俺はこちらのクネライ第一部隊長殿を案内してくる」
「まあ。・・・こちらがあの有名な?」
ローム国騎士団の女将軍は有名だが、それはイロモノ的な噂も付き纏っている。単純な武勇というのであれば、着実に長年に渡って積み上げてきた実績のあるクネライ第一部隊長の方が、通りが良いことがあった。年配の人間ならば特に、である。
あくまでケリスエ将軍、そして近衛騎士団のセイランド、王都騎士団のロメス、ローム国騎士団のカロンは近年の出世株である。だからこの侍女にしても、クネライ第一部隊長の名前の方が、強い部隊長として、噂に聞いたこともあったのだ。
自分よりも年かさとはいえ、やはり尊敬の瞳で女性に見られるのは悪くない。
クネライはその侍女の手をとって口づけてみせた。
「ご安心くだされ。・・・我らローム国騎士団が到着した今、負けはありませんよ、心優しき侍女殿」
一気にその老いた侍女の頬が赤く染まる。甲冑に身を包み、立派な体躯のクネライ第一部隊長だが、恐ろしさよりも人懐っこさと大らかさがそこにあった。
その様子を見ながら、リールスは思った。
(なるほど、このいつでも誰でもまめまめしさを失わない姿勢が、第一部隊長が女を絶やさずにいられる秘訣なんだな。対象内だろうが対象外だろうが、お構いなしか。・・・うちのケイス部隊長なんて、まめまめしいのは一人に対してだけだもんな。やはり、その点、第一部隊長は凄いな)
いつも連れている副官のキヤンならば、クネライが女性に挨拶しただけで、またかと冷たい視線になるのだが、リールスは違う視点に立つせいか、感心した瞳で見ずにはいられない。
それに気づいてクネライ第一部隊長は更に機嫌を良くした。
夜明け前に、キニーツ城をローム国騎士団は出発した。
先頭を行くのはクネライ第一部隊長、カリスフ第三部隊長、ケイス第六部隊長、そしてキニーツ伯爵の孫息子であるジルファスである。
キニーツ伯爵とその長男は、城に残ってもらった。指揮系統が混乱するからである。キニーツ領軍をカリスフが指揮する以上、領主に出てこられては兵も誰の言うことを聞くべきか、混乱しかねない。
そういう意味ではジルファスの同行も不要だったのだが、部隊長達の話し合いにより、連れて行くべきだと結論した。
すると、その話を聞いていたケリスエ将軍は、
「ちょっと眠り足りない。私はのんびりと遅れて行こう。私がいようがいまいが、諸君らの出す結果は変わらないだろう?」
と、どこかへ行ってしまったのである。
仕方なく、カリスフは自分が連れてきた一小隊分の内、十名程を将軍の護衛に残して出発した。キニーツ領軍のレベルを考えると、優秀な人間をそれ以上割けなかった。
(護衛でついてきたのに、どうしてこうなっているのか)
そんなカリスフの内心は、クネライやカロンにもバレバレだったらしい。目が合うと、カロンがすまなそうな顔になる。
「すみません、第三部隊長。あの人、使えるものは使うというか、・・・護衛しか出来ない人間なら護衛で置いておいたんだろうと思うんですが、部隊長だったので遠慮しなかったんだと思います」
「第六部隊長が謝る筋じゃないだろうが。まあ、来た以上は働けってこった」
ゲラゲラとクネライ第一部隊長が笑う。そして、そのままジルファスに話しかけた。
「ジルファス殿もなかなかお綺麗な奥方でしたな。いや、目の保養でしたぞ。あんなたおやかな女性をどこでお見つけになったのか、いやはや羨ましい限りだ」
昨夜の時点でも会ってはいたが、あの時は夜で薄暗い廊下だった。しかもカロリーナは髪をおろし、ジルファスの後ろに隠れて震えている状態だったものだから、あまりじろじろ見ることも出来なかったのだ。だが、見送りの為に、見送りに立つカロリーナの姿は、髪を結い上げ、きちんとドレスを纏い、篝火に全身が照らされていた。
「いえ、恐縮です。普段なら見知らぬ人の前など出てこないのですが、私が前線に行くと知ってしまいまして・・・。お恥ずかしいところを」
「いやいや。男ならば誰もが守りたくなる花のような奥方ではありませんか。皆、羨望の眼差しで見ておりましたぞ」
クネライの言葉に嘘は無かった。女性は弱いものだが、それでも強いものである。
だが、ジルファスの妻、カロリーナは見た目からしても男が守ってやりたいと思わずにはいられない、淡雪のような儚さがあった。その声すら小さく消え入りそうなものだっただけに、男であれ女であれ、自分が守ってやらねばそのまま息絶えてしまいそうだと感じてしまうのだ。
近くでカロリーナを見た騎士達と兵士達は、そのまま駆け寄って慰めてやりたい思いに射抜かれてしまったぐらいである。ざわざわと、小さな声ながらも感嘆の声がそこかしこで交わされた。
「カロリーナ様だ。ジルファス様のお見送りに出ていらしたのか」
「こんなに近くで見たの、俺、初めて・・・」
「噂にたがわず、何て可憐なんだ」
それこそキニーツ城でも、食事をとる時以外は部屋から出てこないカロリーナだ。あまりの弱々しさに、いずれ城の奥を統べる女主人というよりも、城の奥全てが守る深窓の奥方になってしまっている。
そんなカロリーナだったが、ジルファスが戦に出向くと知り、その出立を城の門まで出てきて見送ったのである。ただし、ずっとさめざめと泣いていたが。
「ジルファスでなく、私が前線に行こう。ジルファスはカロリーナ殿と城にいてやりなさい」
「いいえ。父上が行かれては、キニーツの指揮を執らないわけにはいかなくなります。私ならば若輩ということで許されても」
ジルファスの父であり、キニーツ伯爵の長男であるケイファスが、そう言い出すぐらいに、それは悲痛さが漂うものでもあった。
肝心のジルファスが父の申し出を断るまでもなく、カロリーナとてジルファスが行くことは覚悟していたのだろう。泣いてはいても、「行かないで」とは言わなかった。最後まで涙を流しながら見送っていた。
「カロリーナ様、城の中からお見送りなさいませ。どうぞ城の中に・・・」
侍女がそう促してもカロリーナは城の中へと入りはしなかった。ただ、ずっと夫の姿を見ていた。
誰もが同じように家族を置いていくのだ。抱きしめて慰めてやりたくても、兵達の前でそれは叶わない。ジルファスも、せめてもの思いで妻に優しく微笑むしかできなかった。
「奥方様、ジルファス様は我らがお守りいたします」
「ローム国騎士団の方々がいらしたのです。きっと勝利いたしましょう」
「キニーツが敗れることはございません」
ジルファスに続いて出立する騎士達や兵士達にしても、泣きながら立ち尽くすカロリーナの姿に、自分の家族を重ねたのだろう。普段なら自分達が声を掛けるような立場の方ではない。そう分かっていても、慰めの言葉をそっと掛けていく。
「あ・・・。皆、様も、・・・どうぞ、ご無事で」
「はっ。必ずジルファス様はお守り申し上げます」
「我らが勝利を奥方様に」
人見知りで知られるカロリーナだ。そんな言葉すら勇気を振り絞ったものだっただろう。間近で聞いた、銀の鈴をふるかのようなかそけき声。彼らは何があってもこのキニーツを守らねばという思いを強くし、出陣したのだった。
【ロイスナーの小さな客人】
カンロ領内にあるロイスナー城。
それはあまりにも高い城壁に囲まれた、難攻不落の城である。
ロイスナーに属する者以外、全てを拒絶する孤高の城だったのだが、城主代行をしているリルドレッド・ロイスナーの一存により、二人の部外者が暮らすことになった。
一人はルイーザ・カンロ。金髪に水色の瞳を持つ、カンロ伯爵の長女エイリの娘である。
もう一人はイレニア・ファレン。銀髪に緑色の瞳を持つ、カンロ伯爵の次女ロレアの娘である。
「いいですか、ルイーザ姫、イレニア姫。どの工房にも出入りは禁止です。なぜならここはロイスナーの本拠地だからです。いいですね?」
「はーい」「はーい」
リルドレッドの注意にも、二人は明るく良いお返事である。
「兄上は真面目すぎんだよ。別にルイーザもイレニアも工房に興味なんてないだろうが。・・・あんまり堅苦しいこと言うなよ。二人ともここなら思いっきり遊べるぞ。なー?」
「ねー。トレスト兄様はやっぱり分かってるー」と、ルイーザ。
「ねー。だってここならトレスト兄様もレイル兄様もいるしねー」と、イレニア。
「トレスト。どこかへお忍びで出かける時ならともかく、あくまで二人はカンロ領の姫君達だ。呼び捨てになどするな」
「そりゃ分かってるけどさぁ。兄上もそんなにきっちりしなくてもいいだろ? ちゃんとよそでなら姫って呼ぶよ。ロイスナーにいる時は、もっと砕けてたっていいじゃないか」
「そうそう、リル兄様は頭が固いのよ」と、ルイーザ。
「ねー。私、姫よりニーアって呼んでもらう方が好きだわ」と、イレニア。
そこへ、レイルが口を挟んだ。
「僕もルーとニーアが一緒に暮らすのは楽しくて嬉しいけど、それを言うなら、領主の姫君達をロイスナーで預かるのってまずいんじゃないの? 大丈夫なの?」
「あら、大丈夫なのよ、レイル。だって私、リル兄様と結婚するんだもの」
ルイーザがそこで爆弾を落とす。トレストとレイルが驚いて長兄を見た。
「ルイーザ姫の話は無視していい。・・・姫達を誘拐してカンロ領を手に入れようとする奴らから守る為、ロイスナーで預かるだけだ。ついでに淑女教育も行う。トレスト、レイル。いい機会だ。お前達も紳士教育を一緒に受けろ。ダンスも出来ないと困るしな」
四人が、かなり嫌そうな顔になる。
トレストは、「いや、俺、そういう華やかな人生じゃなくて、剣に生きる男だから」と、逃げようとした。
「トレスト。あれでも父上と母上はその点はかなり上級者だ。ここで大人しく受けないのなら、ロームに放り込むぞ」
「やります。勿論、させていただきます。はい、喜んで」
リルドレッドの言葉に、さっとトレストは阿った。冗談ではない。二度と王都へは行かないと決めたのだ。
だが、レイルは違う意見だったらしい。
「えー。それなら俺は父上と母上に教えてもらう方がいいなぁ」
「何を馬鹿言ってるんだ、この馬鹿レイル」
「何だよ、馬鹿馬鹿って。トレスト兄上のバーカ」
「俺はお前の為に言ってやってんだ、この恩知らず」
「何だよ、それ。嘘ばっか」
そんな弟達の口喧嘩も、止める気にはならない。男兄弟というのは、すぐ喧嘩するものだからだ。ついでにすぐ仲直りもする。
リルドレッドは二人の姫君に向かい合った。
「ダンスの練習は、トレストとルイーザ姫、レイルとイレニア姫なら背の高さ的にもぴったりだろう。四人ともこれからは注目されるし、上手に踊れないと恥をかく。ちゃんと練習するんだぞ? あの馬鹿二人は、姫達がちゃんと監督してくれるかい?」
「分かったわ、リル兄様。だけどきちんと踊れるようになったら、リル兄様も私と踊ってくれる?」と、ルイーザ。
「トレスト兄様もレイル兄様もお子ちゃまなんだから困ったものよね。いいわ、ちゃんと監督してあげる。その代わり、今度どこかに連れてって?」と、イレニア。
そんな二人に、リルドレッドは微笑んだ。
「ああ。二人がきちんと踊れるようになったら、この城で小さな舞踏会を開いてもいいな。城にいる子供達も喜ぶだろう。その時は二人とも俺と踊ってくれるかい? そして、・・・そうだな、二人が喜びそうな場所を考えておこう。だから馬に乗る練習もしておくんだぞ? 馬車を使うつもりだが、やはり馬にも乗れた方がいいからな。だけど馬に乗る時は決して大人の付き添いなしには近寄らないこと」
「わーい、楽しみー」と、ルイーザ。
「馬っ? わーい、やったー」と、イレニア。
二人の少女は喜んでリルドレッドに抱きついた。
「いや、俺達を監督って・・・、あの二人を俺達が監督の間違いだろ?」と、トレスト。
「しかも馬の練習って・・・、馬車に乗っていて襲われた時に逃げる時の為だよね、それ。て、兄上ってどこまで俺達に要求する気なのさ」と、レイル。
たとえ凡庸だと世間から言われている兄でも、ロイスナーを守る為に何かと動き回っていることを弟達は知っている。
様々なことに目を通し、考え、そして自分でも出掛けては実際に確かめてくるリルドレッドは、ロイスナーでも一番の働き者だ。穏やかで優しく、真面目だからこそ苦労ばかり背負い込む兄を、二人は尊敬していた。
だが、しかし。
それでも兄が、頼まれたら嫌と言えない性格が理由で引き取ってきた二人の姫君達。
その監督を兄が行う余裕はない。そうなると誰がそれをひっかぶるのか。
(しょうがない、か。兄上だもんな)
(そうだよね。兄上だから仕方ないよ。諦めよう、トレスト兄上)
(だな。それに、・・・ここなら安全だ、ルーもニーアも)
(だね。領主のお姫様も大変だ)
二人はこそこそと話しながら、ルイーザとイレニアを抱き上げている長兄を見遣った。
自分達も小さい時には、ああやって抱き上げてもらったなと思い返す。さすがに最近ではそういうこともないが。
ルイーザは先程ちょっとおかしなことを言っていたが、こうして二人が観察する限り、それは恋人同士でも何でもなく、単なる面倒見の良い兄とそれに懐いている妹達といった関係にしか見えなかった。
今までも知っているつもりだったが、本当に長兄は働き者だったのだなと、レイルは改めて思った。
最初の十日間は、ロイスナー城に慣れるようにと、好きにルイーザとイレニアを遊ばせていたリルドレッドだが、それが過ぎると、四人にしっかり教育スケジュールを組み立ててきたのだ。いや、その十日の間に、教育する側の人選を行っていたのだろう。
朝食を、リルドレッドを含めた五人で取ると、リルドレッドの執務室で四人はしばらく過ごす。その際、リルドレッドが普段している、たとえば何かが贈られてきたらその礼状をどう書くのか、そういう付き合いにはどういったことが影響するのか、様々な角度から教えられて、自分達も真似してその礼状をお手本に書かされる。また、ロイスナーの出納こそ見せてはもらえないが、様々な物価や流通についても、ロイスナーが扱っている物を例にして教えられた。
頭を使ったら、次には馬に乗る練習である。これは、リルドレッドではなく、違う人間が日替わりで教えてくれる。ルイーザとイレニアは、男の子のような格好をして教わるのだ。トレストとレイルは全く問題ない為、馬に乗って戦う練習をしたり、剣の練習をしたりする。
軽く水浴びをしたら、四人で昼食をとる。その後、お昼寝もする。
昼寝が済んだら、次は縫い物だ。ルイーザとイレニアは刺繍を教わる。トレストとレイルは、服の繕い方や、革で出来た鎧の修繕方法、剣の手入れ方法などだ。同じ部屋で行うせいか、お互いに興味津々となり、たまには交代してやってみたりもする。
その後はダンスの練習と、お茶会の作法だ。紳士や淑女の会話はどういったものが望ましいのか、そういったことも教わりつつ、お茶菓子も出るので、なかなか楽しい。ダンスもかなり体力勝負だ。
夕食はリルドレッドを含めた五人で取るが、その後は自由時間だ。
体を動かし足りないトレストは誰かにつきあってもらって剣の練習をしたり、レイルも体を動かしたりする。ルイーザとイレニアは、髪や肌の手入れをしたり、お喋りしたりだ。それでも時々、レイルはリルドレッドに呼ばれて、色々なことを教わったりもする。特に経営方法や、カンロ領を取り巻く様々な事情など。
「兄上。どうして俺だけがこういったことを教わるの?」
「いずれ必要になるからだ。レイル、お前がどんな人生を選ぼうと、なるべくなら応援してやりたい。だが、どんな人生も、それが出来ない人間では、歩みたくても歩めないことはあるんだ。だから人は学び、努力する。トレストは剣の道に生きると決めた。だからその道に進むべく努力している。・・・レイル、お前もいつか進みたい道を決めるだろう。その時の為に、今は爪を砥いでおけ」
「はい、兄上」
そう言いながらも、あまり厳しくしすぎる気もなかったのだろう。
リルドレッドは、三日に一日は「朝から夜まで好きなことをする日」を作り、その日は自分が学びたいことを選んでいい日にした。水泳を教わっても良し、料理を教わっても良し、畑仕事や木登りをしても良し、家畜の世話をしても良し、城にいる子供達と遊んでも良し、絵画や木彫りを教わっても良しなのである。
「ルー姫様、怖がらないで。大丈夫だよ」
「いったーい。角が当たったぁ」
「ルーったら駄目ねぇ。牛の瞳って大きくて綺麗だわ。・・・って、いやーん、舐めたぁ」
「そりゃ牛だって舐めるよ。この牛も、ニーア姫様、好きだってさ」
子供達に教わりながら、ルイーザ達は牛の乳搾りを体験したりもしていた。すっかり皆の間では「ルー姫様」「ニーア姫様」である。
あまりにも綺麗な姫達を見て、おどおどしていた子供達も、すっかり慣れたものだ。
「兄上」
「何だい、レイル」
「様々なことを学ぶといえば聞こえはいいけど、・・・どう見ても、ルー達をあいつらに押しつけただけだよね」
「気のせいだよ。さ、今度は人件費とそれに伴う維持費の勉強だ」
好きなことをしていい日なのに、なぜかレイルはリルドレッドと一緒にお勉強である。その合間にも、リルドレッドは仕事をしている。
最初は
「なら、ニーアと一緒にリル兄様のお手伝いを学ぶのー」
「リル兄様が疲れたらお茶淹れてあげるー」
などと言って執務室に飛び込んできた二人だったが、城にいる子供達をどう言いくるめたのか、リルドレッドはルイーザとイレニアの興味を他へ向けることに成功していた。
「ああ、そうだ。あいつらがいない内に、と。レイル、ちょっと靴を脱いで俺の肩に上がってくれるかい?」
「いいけど?」
壁際に寄ってレイルを肩車すると、更に両肩の上で立ち上がるようにと、リルドレッドは指示してきた。壁に手をついてバランスを取りつつ立ち上がったレイルに、リルドレッドの手が伸ばされる。レイルも少し屈んでそれを受け取った。
「この包みを、その天井近くにある出っ張った部分に載せて隠しておいてくれ」
「うん、いいけど。・・・これ、何?」
その包みを隠し終えると、レイルの体に腕を絡めるようにして、リルドレッドは肩から弟の足を外して、自分の体の前で抱き上げた状態にした。いつもは見上げている兄を、自分が見下ろしていることに少し赤くなるレイルだ。小さな時を思い出す。この兄は、運動しない割に背が高いのだ。ルイーザ達が抱き上げてもらおうとする気持ちがよく分かる。
レイルを見上げてくる長兄の、自分と同じ色の瞳はいつも優しい。
「内緒に出来るか、レイル?」
「うん」
「他の所だと、あの姫達がすぐに見つけだしてしまうからな。・・・もうすぐ収穫祭があるだろう? お前達四人にあげる贈り物だよ」
「えっ、今年は何?」
「さあね。その日になったらのお楽しみだ」
収穫祭の贈り物といっても、ちょっとしたものだ。綺麗な小鳥だったり、珍しいお菓子だったり、遠い海で採れるという貝殻だったり。収穫祭の夜、兄はそっと机の上に置いておいてくれる。
今年は、生き物ではなさそうだ。四人分でこの大きさなら、嵩張らない物だけど。
レイルは、持った重さからして何だろうと、首をひねった。
だけど、こうやって皆の目から隠すのにも、自分と一緒というのが兄の信頼を伝えてきているようで嬉しくなる。えへへと、レイルは兄の頭に抱きついた。
「ねえ、兄上」
「何だい?」
「兄上は俺達四人で誰が一番好き?」
「難しい質問だな。赤ん坊の時から見てきたお前達に順番をつけろと言われても・・・」
「やっぱり強いトレスト兄上? それともカンロ領を継ぐルー? 一番小さいニーア?」
「こらこら。どうして条件で決めようとするんだ」
「だって・・・」
レイルは押し黙った。だって自分は何も持ってない。末っ子というので皆に可愛がられてはいるけれど。
「自信を持て、レイル。ロイスナーの次男は人懐こい上に武に秀で、三男は賢い上に誰もが愛さずにはいられないと、評判なんだぞ? お前は母上に似た顔立ちだから人目を引くしな」
「それ、全然嬉しくない」
男が、母親に似た女顔を褒められても全く嬉しくない。それを言うなら、次兄のように父に似たかった。そう思うレイルである。何度、女装させられそうになって逃げだしたと思っているのか。
レイルがそう唇を突き出して不満をアピールしても、リルドレッドは笑って取り合わない。
だけどレイルは知っている。両親や自分達を知る人からすれば、リルドレッドは目立つ容姿ではないのだろうが、それはこのカンロにいてこそだと。
何事も経験だからと、リルドレッドはトレストやレイルを時々よその土地へと連れて行く。そんな時、両親を知らない人達は、トレストやレイルの顔をも褒めてくれるが、やはりリルドレッドの顔も褒めるのだ。地味な印象があるから騙されがちだが、リルドレッドの顔もかなり整っている。
そんなリルドレッドの真価を見抜きもせず、長兄に対するロイスナー外からの低い評価には不満を覚えるレイルだった。子供だから何も分からないとでも思っているのだろうか。
「レイル」
「なあに?」
「順番はつけられないが、・・・俺を兄と呼ぶお前達を守る為なら、俺はどんな努力でもすると思うよ。それにな・・・」
「うん」
「俺がこうしてロイスナーの全てを教え込むのはお前だけだ」
あまりにも不意打ちだったので、レイルは泣きそうになった。
そんな顔を見られないよう、レイルは兄の頭に顔を伏せた。
ぽんぽんと背中を叩いてくるリルドレッドの腕はいつだって穏やかで優しい。
最近、ルイーザ達ばかりが兄の手を引っ張っていたけれど。
王都で暮らしていた時は父が、そしてロイスナーで暮らす時はこの腕が、いつも自分を抱き上げてくれていた。
「・・・ねえ、兄上。昔、よく高い高いしてくれた時みたいだね」
「そうだな。もう、お前も大きくなったから、・・・どうかな、出来るかな?」
そう言ってリルドレッドがレイルの両脇に手を入れて、高く持ち上げる。
「ああ、やっぱり重くなったな、レイル」
「兄上。凄い力持ち」
「そうか? ちょうどいい。そのまま足を持ち上げて体を床と平行にしてみろ。お腹に力を入れるんだ。手もまっすぐに伸ばす。ああ、上手いな。その感じだ」
次兄であるトレストはそういったことも得意なのだが、レイルはまだまだだ。それでもリルドレッドが手伝ってくれると、トレストのように身軽に動けてしまう。
「そう、その瞬間に力を入れるんだ。ほら、よく跳べるだろう?」
「・・・出来たっ」
リルドレッドの腕に支えられて、その体を飛び越したり、くるりと空中で回転したり・・・。
そうやって体を動かし始めてしまえば、そちらに集中してしまうものである。
やがて扉の外を通りがかった人達が、おやおやと見物を始めていく。軽業師の練習みたいだと、そんな感想も聞こえてきた。
「なーにやってんすか、坊ちゃん達は」
それは、リルドレッドを探しに来たイールスが、呆れた声を掛けるまで続けられた。
秋の恵みも全て終わりを告げ、冬になってから、ロイスナーでは収穫祭を行う。朝から夜遅くまで賑やかに行う以上、その方がゆっくりと用意も出来るからだ。ロイスナー城でも、様々なご馳走が振る舞われる。
ロイスナー城の周辺に広がる村々でも、明るく楽しい音楽が、そこかしこで奏でられ、誰もが思い思いに踊り明かす。牛や羊も何頭か潰されて、昼間から酒も飲み放題だ。そんなロイスナーの息がかかった周辺の村にも、よそ者が入り込むのは難しい。
従って、ルイーザとイレニアも護衛付きながら、村のお祭りを楽しんでいた。
「トレスト兄様、踊って踊って」
「ルーってば、ちょっと待ちなよ。ニーアが遅れてるじゃないか」
こういった村人が踊る素朴なダンスに決まりなどない。村娘のような格好をしたルイーザとイレニアは、それだけでも大はしゃぎだ。
「レイル兄様。あれ食べたい」
「分かった。・・・トレスト兄上、ニーアがあっちのパイも食べたいって。先に踊りに行っててよ。後から行くからさ」
「分かった」
そんな四人を見守る護衛にしても、のんびりとしたものだった。
何故なら四人は大切な姫君と若君である。村人全てが護衛だと言ってもいいのだ。気兼ねなく祭りを楽しめるよう、特別恭しくはしていないものの、それでも何かあればすぐに手助けする気は満々だ。
「やれやれ。本当に良いのかねえ、こんな村人っぽい格好させた姿でも」
「リル坊ちゃんが良いって言うなら良いんだと思いますがね。へえ、可愛いな。ドーンさん、見てくださいよ、無茶苦茶可愛いですよ、四人とも」
サリトが素描で描く四人の姿を覗き込みながら、イールスが感心してドーンを呼ぶ。
「どれどれ。ああ、本当に。良いじゃないか。ずっと見ていたくなる絵だ」
ドーンも目を細めた。
村人に混じって踊ろうとトレストを引っ張っていくルイーザ、肉の串焼きを噛み切ろうとして噛み切れずに頬張っているイレニアにおろおろとするレイル、そういった情景がそこに描かれていた。他にも、村人達に花冠を載せてもらっているルイーザや、はしゃぎすぎて転びそうになっているイレニアといった絵もある。牛の背に乗ろうとしているトレストや、馬に乗って樹上の果物に手を伸ばしているレイルの姿もそこにはあった。
「色を付けたらずっと保存しかねないから、あくまでスケッチ程度で良いとは言われてますけどね。しかし、後で同じ物を二枚ずつ描くかと思うと・・・」
ぼやきながらも、それでもサリトは手を動かす。きっと綺麗に作った笑顔よりも、こういうものの方が喜ぶであろうことは、サリトにも分かるからだ。
キイロがサリトに一口大に切ってから焼いてもらった串焼き肉を差し出した。
「ほら、差し入れ。けど、リル坊ちゃんがいないんじゃあな。本当は五人のお姿が一番喜ばれるだろうに」
「しょうがないだろ。肝心のリル坊ちゃんが、自分は描かなくていいって言うんだから」
離れて暮らす親達にしても、こんな楽しそうな絵が届いたら感動するだろう。こうやってルイーザ達が素朴なスカートを翻して踊ることなんて、城で領主の姫君をしていては見られない姿だ。カレンにしても、エイリやロレアの娘達がロイスナーで自分の息子達と仲良く遊んでいる絵を見れば、きっと喜ぶに違いない。
「けどなあ、だから余計にリル坊ちゃんに全て任されるんだって、分かってんのかねえ」と、イールス。
「ああ。だから誰もが信頼して預けちゃうんだよな」と、キイロ。
「その坊ちゃんは、今頃、子供達がいない隙にって仕事に励んでるんでしょうけどね」と、手は休めずにサリトも言う。
ドーンも分かっているだけに何も言えない。本当に苦労だけを背負い込むリルドレッドだ。
四人の教育に自分の時間を割いている今、こういう邪魔が入らない日にこそと、せっせと働いているだろう。さほど年上というわけではないのだが、環境がリルドレッドを大人にさせているとしか言いようがない。親の因果が子に報い、である。
「せめて夕食はリル坊ちゃんの好物を出すように頼んではあるが・・・」
そんなドーンの呟きが、風に乗って消えていった。
ロイスナー城でも、広間に皆が集まり、宴会騒ぎとなる。
村でのお祭りがどんなに楽しかったかを喋り続けるルイーザとイレニアに相槌を打ちながら、リルドレッドは、出された食事を平らげていた。間食をしまくった四人はさほど空腹でもないらしく、軽食とデザートだけで十分らしいが、リルドレッドは昼もそこそこに働いていたのだ。
「はい、リル兄様。お酒注いであげる」と、ルイーザ。
「やめなさい、ルイーザ姫。姫君がそんなことをしちゃいけません」と、リルドレッド。
「はいはーい。じゃあ、私がお茶をカップに注いであげる」と、イレニア。
「まあ、お茶ぐらいなら・・・」と、リルドレッド。
「えー。ずるい。じゃあ、私が淹れるの」と、ルイーザ。
「駄目よ、ルー。こういうのは早い者勝ちなのー」と、イレニア。
「分かった。二杯飲むから、二人とも一杯ずつ淹れてくれ」と、リルドレッド。
どこまでも苦労性な男である。
「二人とも楽しめたなら良かった。・・・だけど、こういう村のお祭りに行ったなんて、よそでは内緒だぞ? 普通の姫君は行かないものだからな」
「はーい」「はーい」
元気な姫達と違い、トレストとレイルは口をきく根性もなく疲労困憊していた。
のどが渇いたから飲み物を持ってきてほしいというワガママを聞いてやったり、走ろうとしてはこけそうになるのを支えてやったりしていたところまではいい。だがそればかりではなく、疲れたと言ってはおんぶさせ、しかも人の背中で熟睡してくれる姫君達だったのだ。
護衛してくれた男達も、「いやいや、我々が姫君に触れるわけにはまいりませんからな」とか、「よっ、男だな、坊ちゃん」とか、そんな適当なことを言って、手伝ってもくれなかった。あれはどう考えても、ただの手抜きだ。
文句を言おうにも、ルイーザとイレニアなど、
「えー。リル兄様なら私達を抱えて歩けるのにー。二人ともちょっと修業が足りないんじゃない? ねー、ニーア?」
「ねー。ルーと私を抱えて歩いてくれたのにねー。兄様達って、やっぱりリル兄様より駄目な男ねー」
と、可愛くないことを言ってくれたのだ。そう言われたら頑張るしかないではないか。
「それより、二人ともまだ少し踊る元気はあるか?」
「はーい」「はーい」
人の背中で熟睡していただけあって、リルドレッドの問いにも明るく素直なお返事だ。
すると、リルドレッドはやはりご馳走を楽しんでいた男達の所へ行き、何やら耳打ちした。彼らが楽器を手に持つと、やがてワルツの曲が流れ始める。
「どうか一曲お相手願えませんか、私の小さな金の姫?」
「ええ、喜んで」
差し出された手を取り、ルイーザがリルドレッドと共に踊り出す。身長差がある為、かなりリルドレッドが配慮していたものの、それは微笑ましいカップルだった。
ルイーザも練習の成果を披露しようと、楽しそうな笑顔になる。
「ねえ、リル兄様?」
「何かな、ルイーザ姫」
「私がもっと大きくなったら、今度はちゃんとしたドレスを着るわ。そうしたらまた踊ってくれる?」
「君が望む限り、何度でも」
「その時は、私にドレスに合わせた装身具を贈ってくれる?」
「おやおや。・・・そうだな、君がもっと大きくなって素敵なレイディになっても、まだ俺に贈ってほしいと思ってくれていたらね」
踊りながら、ちゃっかりおねだりするルイーザである。しかし異性が装身具を贈るとなると、かなりの意味合いを持つ。さすがに逃げを打つリルドレッドだった。
やがて一曲踊り終えると、リルドレッドはルイーザを席に座らせる。果汁の入ったカップを渡すと、今度はイレニアに手を差し出した。
「私の小さな銀の姫、どうか一曲私と踊っていただけませんか?」
「ええ、リル兄様。喜んで」
イレニアの時は、ルイーザの時よりもゆっくりとしたテンポにするよう頼んであった。その為、ルイーザよりもワルツが得意じゃないイレニアも、上手に踊れてご機嫌になる。
「ねえ、リル兄様?」
「何かな、イレニア姫」
「ルーに装身具を贈るなら、私にはドレスを贈ってくれる?」
「おやおや。本当に協力体制の出来上がった姫達だな。・・・いいよ、君達がもっと大きくなって素敵なレイディになったら、二人にお揃いのドレスと装身具を贈ってあげる」
「約束よ、リル兄様」
二人同時に贈るのであれば、特に問題にはならないだろう。しかし、何とちゃっかりした従妹達なのか。二人に対してリルドレッドが公平に対応することを見越して約束させてくるのだから。
リルドレッドは天を仰いだ。
そして一曲踊り終えると、ルイーザとイレニアが上手くいったと言わんばかりに、きゃいきゃいと笑いながら抱き合うのを、諦めの境地で見守ったのである。リルドレッドに我が儘を言うことで、両親と離れている寂しさが紛れているのならばそれでいいではないか。
が、諦めの境地とは正反対の境地にいる人間もいるわけで。
「兄上ってばさ、ルーとニーアに甘くない? 俺達にはそこまでじゃなかったよな」と、トレスト。
「そうだよ。トレスト兄上も俺も、そんなにおねだりなんてさせてもらってない」と、レイル。
「お前達の正装と剣なんて、言われるまでもなく俺が用意するに決まってるだろうが。このロイスナーがお前達に変な物を用意する筈もないだろう」と、リルドレッド。
「そりゃそうだけどさあ、そういうのと違うって言うかぁ」と、トレスト。
「ねー。うん、兄上は俺達への愛が足りないって思う」と、レイル。
平等というのは難しいと、リルドレッドは思った。今までそんな不満は全く出てこなかったのだが、どうもルイーザとイレニアという比較対象が出来たことで、何やら思うものが出てきているようだ。
「あら、それは仕方ないわよ。私達の方が可愛いもの」と、ルイーザ。
「しょうがないわよ。だって私達、女の子だもの」と、イレニア。
どうして女性というのは年齢問わず弁が立つのだろう。
リルドレッドは再び天を仰いだ。
男の子に対してはあまり甘やかしすぎると打たれ弱くなるだろうと思い、女の子に対してはあまり厳しすぎると心が折れやすくなるだろうと思った。だから性別を考えて対応していただけだったのだが。
しかし、それが兄の愛情を疑う事態に発展するのでは意味がない。
リルドレッドは、それぞれの弟達の頭に手を置いて、その顔をゆっくりと覗き込んだ。
「しょうがないな。じゃあ、お前達には専用の馬を贈ってやる。どうだ?」
「えっ、本当っ!? 兄上、マジで?」と、トレスト。
「馬って自分用のっ?」と、レイル。
「ああ。一緒に買いつけに行こう。好きな馬を選ばせてやる。二人とも、だからそれまでに馬の世話も出来るようになっておけよ」
リルドレッド自身は、馬にさほどのこだわりはない。どんな馬も乗りこなせるように心がけてきたからだ。勿論、良い馬にこしたことはないのだが。
「俺、馬の世話なら得意だぜ? ちゃんと手伝いしてたしな。レイルもしてたよな」と、トレスト。
「うん。けど、まだ俺、背が届かない・・・」と、レイル。
「別にそこまで厳密な意味じゃないだろ。レイルもすぐ背が伸びるさ」と、トレスト。
それでも馬を買ってもらえるというのではしゃぐ弟達を見ていれば、リルドレッドも、まあいいかと、そう思えた。
自分で選んだ馬なら世話もきちんとするだろう。
「ねえねえ、兄上。どんな馬がいいかなぁ」と、レイル。
「元気な馬だよな。俺、馬の上で宙返りとかしてみたい」と、トレスト。
「最初は自分が気に入った馬でいいだろう。この馬とならやっていけそうだなって思えるのを選べばいいさ」と、リルドレッド。
そんなテーブルを、離れた所からイールスは同情しつつ眺めていた。
「ドーンさん。今度は馬の買いつけにいくらしいですぜ」
「リル坊ちゃんは、下の坊ちゃん達と姫君達には甘いからな」
ドーンも苦笑するしかない。トレストとレイルにしても、本当にルイーザ達に妬いていたわけではないだろう。少し構ってほしくて拗ねてみせただけだ。
しかし、そうなると良い馬の牧場を探しておかねば。普段なら良い馬を見つけた時に買うのだが、トレストとレイルには馬を選ばせるという。ならばそれもまた、二人に対する教育の一環なのだろう。
「馬の目利きが出来る奴を一緒に行かさないとまずいか。しかしロイスナーの三兄弟が留守にするなんざ、そこを襲われたらたまりませんな」と、イールス。
「そうだな。だが、それこそトレスト坊ちゃんもかなりの使い手だし、レイル坊ちゃんもトレスト坊ちゃん程ではないが、筋はいい。・・・ま、少々のことじゃ問題ないさ」と、ドーン。
そんなドーン達の視線を集めるテーブルは、
「えー。私は別に馬は欲しくないわぁ」と、ルイーザ。
「私もー。時々乗るだけで十分。それよりもリル兄様の馬に一緒に乗りたーい」と、イレニア。
「私も私も。トレスト兄様とレイルは自分の馬に乗ればいいのよ」と、ルイーザ。
「何だよ、それ。ずるいぞ、ルー、ニーア」と、レイル。
「いいじゃない。レイルは馬を買ってもらうんでしょ」と、ルイーザ。
「そうそう。私達は買ってもらえないからぁ、リル兄様と一緒に乗るのー」と、イレニア。
リルドレッドを巡って、不毛なじゃれ合いが続いていた。
(パパが一人に子供が四人で取り合いか・・・。俺なら耐えられねえ)
イールスは、ぷぷっと噴き出しつつ、浮かべてもいない心の涙を拭った。
収穫祭の夜、こっそりとレイルの長兄は、机の上に贈り物を置いておいてくれる。
それを聞いたルイーザとイレニアもわくわくして、リルドレッドがやって来るまで寝たふりをするのだと宣言していた。
(まあ、起きているのは無理だろうけど)
レイルだって今まで頑張って起きていようとしたけれど、どうしても寝てしまうのだ。ましてや、あんなにはしゃいで過ごしていたルイーザ達が、眠らずにいられるわけもない。
そんなレイルは、朝の光と共に目覚めてから机へと駆け寄った。
「父上、母上と、・・・俺?」
それはレイルを真ん中にして、ロメスとカレンが優しく自分を見つめている小さな絵を、板に貼りつけたものだった。嬉しそうに自分も両親を見上げている。
掌に簡単に乗る大きさの絵は、持ち運びもしやすそうだ。
朝食に行こうとすると、ちょうど出てきたトレストと会った。するとトレストも
「俺を真ん中にして、父上と母上が描かれた絵だった」
という。
そうなると、きっとルイーザとイレニアも、それぞれ自分達が両親に優しく見つめられている絵なのだろう。
離れていても、その絵を見ればすぐに思い出せるように・・・。
「えへっ、父上と母上、元気かな」
「レイルは幸せでいいな」
トレストはあんな絵をもらって幸せにならないのだろうか。変わった兄だ。
次兄だって両親は好きな筈なのに。
そんなレイルの疑問を湛えた瞳が自分を見上げてくることに忸怩たるものがあったのか、トレストが慌てたように話題を変えた。
「さっ、腹も減ったよな。ご飯ご飯、なっ、レイル」
「うん?」
次兄が何を誤魔化したくて話題を変えたのか分からず、レイルは首を傾げた。
「あっ、そうだ。レイル、お前、絵の裏を見たか?」
「裏? ・・・多分、見てない」
「裏側に、父上と母上からのメッセージがついてたぞ。読んでないのか?」
「えっ、読んでない」
ががーんとレイルはショックを受けた。この兄が気づいたことに自分が気づかなかっただなんて。
「いいじゃないか。別に後でゆっくり読めば」
「そうだけど・・・」
仕方がない。あとで部屋に戻ったら真っ先に読むことにしよう。
まずは長兄にお礼を言わなくては。
(だけど本当は、俺だけじゃなくて兄上とトレスト兄上も一緒に描いておいてほしかったな)
それは今度おねだりをしてみよう。
ルイーザとイレニアを見るまで思いつかなかったが、どうも弟妹というのは、自分からおねだりというのをしてもいい存在らしい。
そんなことを考えながら、レイルは大好きなリルドレッドがいるであろう食堂に飛び込んでいく。
「おはようございます、兄上」
「おはよう、レイル。・・・こらこら、髪が跳ねてるぞ。ちゃんと梳かなかったのか?」
そう言って、レイルの頭を手櫛で撫でつけてくる長兄の手は温かくて大きい。くすぐったそうな顔でレイルは目を閉じてその大きな手に自分の手を絡ませた。
「おはようございます、兄上」
「おはよう、トレスト。・・・どうした、朝から疲れた顔だな」
「はは・・・。てか、兄上、知ってるくせに。あのメッセージ・・・」
「あ、ああ・・・。ま、気にするな。愛情の裏返しなんだよ、あの人なりの」
よく分からない二人の兄達の会話はさておき、レイルはリルドレッドに絵の礼を言うと、そのままおねだりをしてみる。
「ねえ、兄上。今度は俺、兄上も一緒の絵が欲しいなぁ」
「・・・俺は、ああいうのはあまり好きじゃないんだが」
しかし、断られたぐらいで挫けては何も得られないのだ。ルイーザとイレニアの図々しさに、レイルはそれを学んだ。
「俺、兄上と一緒の絵があったら、きっと毎日頑張れると思う」
トレストが、ひゅーと口笛を吹く。
困ったような顔になるリルドレッドだったが、仕方ないと思ってくれたらしく、レイルを抱きあげると、お互いの額をコツンと当てて視線を合わせた。
「しょうのない甘えん坊さんだな。・・・なら、サリトに頼んでおけばいい。俺からも伝えておこう」
「やったっ!」
「えー。ちょっと兄上、レイルだけ? 俺には?」
「・・・トレストも一緒に行けばいい。ただし、姫達には言うなよ。面倒になるからな」
レイルがリルドレッドに抱きつくと、まだ食堂に来ていなかったルイーザとイレニアには内緒だと念を押される。その意味を理解する弟達も、そこは神妙に頷いた。あの二人なら、何枚でも描かせかねない。
そうして朝食が終わると、トレストとレイルは、早速サリトを探し出してそのことを話した。
「あの絵モデル嫌いのリル坊ちゃんに譲らせるたあ、お見事。さすがのリル坊ちゃんも、最愛の弟には形無しってか」
サリトは面白そうな顔で話を聞くと、目を細めて笑う。自分のことに頓着しないリルドレッドは、描く程の顔じゃないと言ってなかなか絵を描かせてくれないのだと、ぼやいてみせた。
笑うと目尻に出来る皺が、サリトの人懐っこさをよく表している。
「そんなことないよ。兄上が一番譲ってるのってルーとニーアじゃないか」
と、トレストが唇を突き出して言えば、
「そうだよ。あの二人のおねだりだったら、何でも聞いてやるんだぜ、兄上ってば」
と、レイルも同調する。
「そりゃあ姫君達も特別だろうが、リル坊ちゃんがこのロイスナーを背負って立ってんのは、トレスト坊ちゃんとレイル坊ちゃんを守る為でしょうがよ。ま、坊ちゃん達もリル坊ちゃんがご自分達を愛してるってぇ自覚ぐらいあるくせに、そう拗ねるもんじゃありませんぜ」
そう言って、サリトは二人に一枚の絵を出してきた。どうやら、頼まなくても最初から良い絵が手元にあったらしい。
「あれ? これってカンロ城?」と、トレストが不思議そうな顔になる。
「俺が小さい時?」と、レイルも覗き込んで首を傾げた。
楽しそうに大きく口を開けて笑う小さなレイルを両手で高く持ち上げ、少年のリルドレッドが優しい笑みを浮かべている。幼いトレストを肩車しているロメスは、二人で何かを指さして話をしているらしい。そしてカレンは、ルイーザとイレニアの二人に花冠をかぶせて、更に花飾りを編んでいる。その背景にある建物はカンロ城だった。よくよく見れば、カンロ伯爵家の面々も小さく後ろに描かれている。
「昔、あまりに可愛らしくて描いてしまったんだが、特に頼まれたわけじゃなしと、そのまま仕舞ってあった力作。・・・これでどうだっ!?」
「おおぅっ! いよっ、巨匠っ」と、ノリよくトレストがのけぞる。
レイルは何も言わず、食い入るように見つめている。それこそが気に入った証拠で、サリトはそのことに満足した。
だが、それでは一人分しかない。すると、サリトはもう一枚、出してくる。
「これ、・・・レイルが産まれた時?」
と、トレストが呟く。
幼いトレストを片腕に抱っこした少年のリルドレッド。そんな二人の兄弟が嬉しそうに見ているのは、カレンに抱かれた赤ん坊だ。そのカレンはロメスを見上げて微笑んでいる。中央にいるロメスの腕は、カレンとリルドレッドにまわされていた。その背景から、王都の屋敷の一室だと分かる。
「ふっふっふ。あのロメスの旦那が、甘ったるくも本気で嬉しそうな顔になってるワンシーン。あの旦那のこった、自分の息子といえども男相手にこんな顔をしているのを描かれたと知ったら破くのがオチだと、今まで隠し持ってた渾身の一作っ。・・・さあ、どうだっ!?」
「買ったぁっ!」と、トレスト。
レイルは、感動しすぎて何も言えなかった。うっすらと涙が滲む。
「うわっ。何だよ、レイル。・・・そんなに感動したのかぁ? 大体、可愛い末っ子が産まれて、喜ばない家族がいるわけないだろーが」
「その通りっ。トレスト坊ちゃんが産まれた時も、カレン嬢ちゃんの横で、リル坊ちゃんがせっせと坊ちゃんの世話をしてましたがね」
「え、マジ?」
「嘘は言いませんぜ。実の両親よりもはるかに甲斐甲斐しかった」
そうしてトレストとレイルは、後でサリトに美味しいお菓子を貢ぐと約束して、その二枚の絵を譲ってもらったのだった。
後刻。
「あれ? そういえば・・・」
「どうした、リル坊ちゃん?」
と、ドーンが尋ねる。
「いや。あいつらが俺の入った絵を欲しがるから、サリトに頼めと言ってあったんだが、・・・サリトが俺に本当に了承したのかと確認に来ないな、と」
「・・・そんなつまらない嘘をあの坊ちゃん達が言う筈もなし、サリトもとっくに取り掛かってるだけだと思うんですがね」
「ま、それもそうか」
まさか、サリトが過去の絵を渡すことでとっくに終わらせていたとは、思いもしないリルドレッドである。
「それより、坊ちゃん。ロイスナー傘下の砦に入り込もうとしている奴らがいるんですがね。行き倒れを演じて、その助けてもらった礼に雇ってもらおうとか、もしくは砦の人間と知り合って恋仲になり、下働きでいいから一緒に・・・とか」
「ロイスナーの砦に、よそ者を採用することはないんだがな」
「それを知らず、入り込む気満々だそうで」
「目的はルイーザ姫か」
「おそらく。まずは姫君達の情報を得る為、このロイスナー城は難しいと見て、小さな砦から入り込もうと考えたんでしょうな」
「やれやれ。招かれざる客人というのは困ったもんだ」
「どうします?」
「門前払いだ、例外はない。もし忍び込まれたら、・・・始末しろ」
「分かりました。ですが、さすがカンロ領がかかっているとなると、なりふり構わんもんですな。ご本人方は無邪気なもんだが」
そこでげんなりとしたリルドレッドは、額に手をやって首を振る。考えると頭が痛い。だが、これはまだ前哨戦なのだ。本番はこれからだろう。
二人の脳裏に、二人の少女が浮かぶ。
見た目は、春風の妖精のように可愛らしい姫君達。
だが、その存在はといえば、様々な物を巻き込んでいく竜巻のようなものだ。・・・後に残るは打ち捨てられた屍ばかり。さて、これからどれ程の間諜を送り込まれ、そして処理していくことになるのだろう。
「どうして俺の血族って、こう無駄に目立つ奴ばかりなんだろう」
「容姿もさることながら、背景が背景ですからな」
「せめて俺だけは地味に、普通に生きて普通に死んでいきたい」
「・・・・・・ま、頑張ってくだされや」
ドーンは心のこもっていない激励をかける。このロイスナーの主にそれはあり得ない上、あの四人を守る為ならば、リルドレッドは自分自身を囮にもするし、盾にもなるだろう。
ましてや、カンロ領主のたった二人の孫姫達を預かる身である。姫君達に手を出されない為にもと、まずは自分を狙えとばかりに、リルドレッドはその存在感を出していくことを選ぶに違いない。
ずっとリルドレッドを見てきたドーンである。簡単にその辺りは想像がつく。
「何で俺がこんな目に・・・・・・」
リルドレッドは、大きな大きな、そして深い溜め息をついた。




