12 心の絆(弟子と師匠4)
○月×日
匿名X:俺は見てしまったんです。将軍と王宮の文官が親密そうにしているのを。一度どころか、もう何度も二人きりで同じ時間を・・・。浮気なんでしょうか。気になってたまりません。
匿名A:えーっと、単なる誤解じゃないのか、それ?
匿名B:用事で来てただけだろ、その文官。浮気って言うなら、どこぞの令嬢の方がよほど浮気だろうがよ。
匿名C:ああ、あの令嬢な。・・・たまに第六部隊長に同情するね、俺は。
匿名B:だよな、C。女って何かというと、か弱いアピールするけど、あれだけの面の厚さがあるなら無敵だろうがよ。大体、女ってのは、どうしていつもいつも、俺に何かを買わせてはバイバイなんだ?
匿名D:Xの悩みはさておき、Bは、まともな女性との付き合いについて考えるべきだと思う。
匿名C:Dに同感。女には貢がせろよ。
匿名E:どいつもこいつも、まともな恋愛観を育てろ。
ローム国騎士団の棟。その一室に、第一から第五部隊長と各副官、そしてサフィヨールの十一人が集まっていた。
本日、ケリスエ将軍とカロンは非番である。だから集まっているのだが、何とも言い難い空気がその部屋に立ち込めていた。
クネライ第一部隊長「序列ってのは大事だ。ましてや我々のような一瞬の判断が命を背負うものであれば尚のこと、疎かにはできん」
カリスフ第三部隊長「全くもってその通りです。しかし、本人がアレではどうしようもないかと思いますが。その点、サフィヨール殿はどうお考えでしょう?」
サフィヨール「俺の意見は最初から行動で示してる。俺はあいつを自分の上司に据えた。それが全てだ。俺はあいつの下で働くことに異存は無い」
ハイゲル第二部隊長「問題は、将軍のお考えと、肝心の第六部隊長の考えが異なっていることに尽きるかと思いますがね」
ソメノ第四部隊長「なかなかデリケートな問題になりそうですな。場合によっては我らが全てを失いかねない。強さが全て、強さなくして我らの存在価値はありません」
ソチエト第五部隊長「そこであの小僧のアンバランスさが問題になる。あの小僧が求めるのはただ一人だ。ではその一人をくれてやればいいかと言えばそうでもない。あの小僧はその一人を自分の支配下に置きたいわけじゃないのだからな」
六人はそこで溜め息をついて首を横に振る。同席している五人の副官達も複雑な表情だ。
第一部隊副官キヤン「ですがそこまで堅苦しく考えることはないのでは? それを言うならば王都騎士団など、エイド将軍はほとんど形ばかりで、実質はきょ、いえ、ロメス殿が全てを握っていらっしゃるではないですか。それが可能なんですから、うちもそこまで深刻になる必要はないかと思います。第六部隊長が序列的に第七位としても、ご本人はお気になさらない方ですし」
第三部隊副官ロン「私もそう思います。現時点で第六部隊長が実質の第二位というのは、うちが割れる原因になりかねませんが、そのお二人はご夫婦の上、更に第六部隊長は決して将軍を裏切りもしなければ疎かにもなさらない方です。第六部隊長の権限がどれ程大きくても全く割れる筈がありません。また、何か将軍にあったとしても、第六部隊長のご性格からして、第一部隊長に全て譲られる方です」
部隊長達は、それを聞いて首を横に振った。
クネライ第一部隊長「それじゃいかんから話し合いをしてるんだ。勿論、平常時ならばそれでいい。だが、何かあった時、俺達は一瞬の判断に全てを託さねばならん。順序というのは大事なんだ」
ソチエト第五部隊長「その通り。たとえば今、将軍に何かあった場合は第一部隊長に全ての権限が移り、その第一部隊長にも何かが起これば第二部隊長だ。そうやって我らに順序は発生する。将軍は全ての部隊を公平に扱っていらしたし、将軍ご自身が無敗であった為、第一から第六までの順序はあくまで非常時のこととして問題視されていなかった。だが、今後もそれが続くとも限るまい」
ハイゲル第二部隊長「その通り。しかも第六部隊長はあまりに成果を出し過ぎた。今までなら『第六はかなりやるな』、ま、無理はあったが、どうにかそういうことにしておけた。だが、あの男は将軍が見物にまわった戦いでも結果を出した。少なくとも、こうなっちゃ第一から第五の下に第六を置いておけねえ」
ソメノ第四部隊長「ケリスエ将軍がお考えの通りに、いずれ将軍位を第六部隊長に譲るべく、今は将軍に次ぐ位置に据えるかと言えば、それこそケリスエ将軍に何かあれば軍を辞めかねない男だ。将軍に何かあれば、そのナンバーツーが一緒に抜けるだなんて、それこそうちがガタガタになりかねん」
カリスフ第三部隊長「しかも将軍は何かと引退をお考えだが、あの方が引退される必要があるかといえば、それもまたない。高みの見物と言いながら、こっそり潜入して貴族共を始末してくる方だ。あの方は実力でもって我らの上に位置していらっしゃる。あの方としては第六部隊長に将軍位を譲りたいとお考えだが、その第六部隊長は将軍がいない限り、軍には残らん」
ローム国騎士団は、ケリスエ将軍が頂点に立つ。その下に第一から第六部隊長がいるのだが、それらは通常、同格とされていた。しかし、それはあくまで平常時のことである。有事の際、その数字に従って序列が発生するのだ。
だが、ここに来て、カロン・ケイスの問題が浮上してきていた。その立ち位置、である。
一番下に位置する第六部隊の部隊長が、将軍の副官としてローム国騎士団を率いて戦うことが重なりすぎたのだ。そこまではまだ目を瞑っても良かった。だが、止めが北の国との戦いである。他の騎士団にもカロン単独の武勇は明白な事実として知られてしまった。今までバレていなかったわけではないが、対外的にはまだケリスエ将軍の指揮下とはしておけたのだ。だが、これはもう、その序列そのものを見直さねばなるまい。
第二部隊副官シムル「将軍と第六部隊長のご関係はともかくとして、その第六部隊長は現在も副官でいらっしゃるサフィヨール様を立てていらっしゃいます。どんな立場になられてもそのまま第一から第五部隊長を立てるだけではないでしょうか」
全員の脳裏にそれがまざまざと想像できた。仮に全ての部隊長達の上司になっても腰も低く各部隊長に敬語を使い続けるカロンの姿が。
カリスフ第三部隊長「全くもってあり得ますな。無駄に実力があるから見過ごされがちだが、第六部隊長のしたいことなど将軍の世話と補助で、性格はといえば控えめで出世も望まぬ人間です。サフィヨール殿が見出さなければ、それこそ将軍の従者扱いでも喜んでやっていたのではないでしょうか」
誰もが納得する。それこそ部隊長をしているよりも従者の方がずっと傍にいられるというので、今からでも出来るとなれば喜んで転職しかねない。
結婚して手に入れたというのに、どこまであの将軍の傍にいたいのだろう、あの男は。
「なかなか面白そうなお話をなさっていらっしゃいますのね、皆様方」
そこへ、ノックもせずに扉が開けられ、その場にはあまりにそぐわない女性の声が掛けられた。
このローム国騎士団において女性はその将軍しか存在しない。ましてや男所帯の軍に、女性が訪ねてくることはまずない。時々、将軍目当ての女性はやって来るが。某男爵家令嬢とか、某騎士団筆頭隊長の奥方とか。
だが、その将軍が非番の日に、男爵家令嬢が来る筈もないのだ。
誰もがその入口へと振り向いた。
「何者だっ」
第四部隊副官のディルスが誰何する。
そこに立っていたのは、王宮女官のお仕着せを身に纏い、複数のカップを載せた盆を片手で持ち、ピッチャーをもう片方の手で持った女性だった。
(どうして女官がここに・・・?)
皆の疑問がその場に満ちる。不審者であれば叩き斬るところだが、王宮の女官となればそうもいくまい。だが、なぜ、こんな所にそんな女性が訪れるのか。
青を基調とした丈の長いドレスは、女官でも下働きではなく、王族や城に部屋を持つ上位貴族に直接仕えるクラスの女官であることを示している。ヘアピンで留められた水色のベールは頭頂部から肩甲骨のあたりまで流れていて、伏し目がちなその顔と揺れるベールも相まって、どこか敬虔な雰囲気があった。
「皆様がここにお集まりのようでしたから、お飲み物をお持ちしましたの。生姜入りのお茶ですから体が温まりましてよ」
扉を閉め、入口近くにある小卓に盆を置くと、女官はカップに手際よくピッチャーの中身を注いでいく。どう考えてもおかしいのだが、王宮の女官ともなると、変な真似はできない。
(誰ですか、この女官殿に手を出された方は?)
キヤンがこっそりと、皆に小さな声で尋ねる。
こんな所までやって来る女官だ。そうなるといずれかの部隊長が手を出したに違いない。
キヤンばかりでなく、どの部隊長も同じことを考えたのだろう。互いに目を見交わし、(いやいや、俺じゃない)と、首をプルプルと横に振った。誰しも痛い腹がないわけじゃないが、この女性に心当たりはない。
「はい、どうぞ。第一部隊長様」
「あ、ああ。かたじけない」
その女官はクネライ部隊長にまずカップを渡すと、次々に渡していった。誰もが何とも言えない表情でそれを受け取る。こうなると、この女官は、自分に手を出した男にその責任を取らせる為やってきたのではないかと、推察できたからだ。
男なら、公衆の面前で女に責任を追及される気まずさだけはどうしようもない。どうすればいいかと、微妙な問題だけに誰もが次の行動をとりかねていた。
全員にカップを配り終えた女官は、最後に自分の分を持つと、空いている席に勝手に座る。そうして真っ先に自分がそれを一口飲むと、首を傾げて口を開いた。が、その声は先程とは違う声音に変化していた。そう、聞き慣れた声に。
「だが、そういう話は、私を抜きですることでもなかろうに。私の力不足が原因だと言われれば返す言葉もないがな」
その場に沈黙が満ちた。
その女官を誰もがじーっと見つめる。
「って、何、女装してるんですかぁっ」
第三部隊副官ロンの絶叫が響いた。
その人と分かるまでは女官にしか見えなかったのに、その人と分かってしまえばその人としか思えないのだから不思議なものである。
よく見れば、別に化粧も何もしていないのだから、分からなかった方がおかしいのだが、あまりにあり得ない格好だったからかもしれない。先入観とは恐ろしいものだ。
「実はルーナ姫の侍女殿が、ある若者にベールを贈られたそうでな。それを知ったルーナ姫が、自分もベールを贈ってもらいたいと言いだしたんだ。で、それを買いに行こうと思ったんだが、普段の格好では店も庶民的な物を出してきそうだろう? で、このお仕着せを以前、大将軍にもらったことを思い出したんだ。王宮女官の格好なら店も貴族の姫に相応しい品物を出してくるだろうと」
どんな理由で女官服をもらったのかは知らないが、そんな理由での女装とは・・・。どこまであの男爵令嬢に甘い将軍なのか。
皆の間に、生温かくも呆れ返ったとしか言いようのない、(どうしようもないな、この人)という、共通の思いが広がった。
「買い物にはカロンもついてきていたんだが、あいつは友人と約束があると言って途中で別れたんだ。私は買ったベールを執務室に置いていこうと思って寄ったんだが、そうしたら楽しそうな会話をしているのが聞こえてきてな、それならまあ、飲み物ぐらいは持ってきてやろうと」
「よくその格好でここまで入れましたな。我らですらあなたとはすぐに気づかなかったというのに」
「女官の格好というのは便利だ。『部隊長様とお約束がありますの』と言えば、あっさり通してくれたぞ」
「・・・・・・」
やはり門番も、この格好では誰だか分からなかったのだろう。ひそかに安堵した一同だった。
これで、見抜けなかったのが自分達だけだったら泣くに泣けない。
「そう言えば、どの部隊長とは言わなかったんだが、誰だと思われたのかな。いざとなればカロンの名前を出せばいいかとも思ったんだが、訊かれなかったしな」
クネライ第一部隊長にそう答える将軍である。キヤンの責めるような瞳がクネライに向けられた。それは無言のままに(あなたがいつも連れ込んでるのが、ノーチェックの原因でしょうが)と、雄弁に語っていた。
「だが序列、ね。男ってのは面倒だな。そういう問題があったか」
親指と人差し指を顎に当てて、ケリスエ将軍は考え込む様子となった。しかしベールをかぶった女官服で、その言葉づかいは勘弁してもらいたい。
「ところで将軍。その格好でその口調はきついものがありますぞ。・・・せめて普段の格好にするか、できれば先程までの女性らしい口調に変えていただけませんかな」
「ソチエト殿の仰有る通り。なかなかに先程は可愛らしかった。いや、目の保養でございますな」
ソチエトとサフィヨールがそう希望する。
「それは構いませんけど、そういえば執務室に着替えを置いていましたわね。ちょっと着替えて参りますわ。皆様、お待ちになっていて」
そう言って立ち上がろうとしたケリスエ将軍だが、そこでばっとキヤンが制止する。
第一部隊副官キヤン「いえっ。お願いですっ。どうせならその服でっ。二度とないかもしれないんですよっ」
第五部隊副官ミゲル「そうですっ。第六部隊長しか、そんなお姿を知らないだなんてひどすぎますっ。俺達の方があなたに長く仕えてますのにっ」
第二部隊副官シムル「大体、潜入した時もヤンス小隊しかあなたの女装姿を見てないのです。そんなことと知っていたなら、私だってあなたの護衛につきたかったというのに」
ハイゲル第二部隊長「ちょっと待て、シムル。お前、俺の副官だろうが」
ソメノ第四部隊長「全くです。どうして第二部隊に話を持って行かれたのか。うちでも良かったでしょうに」
ケリスエ将軍「女装女装と言うが、私は男じゃないんだが・・・」
ケリスエ将軍は諦めて椅子に座り直した。
「どなたも女性には不自由していないのに、困ったものね。今日だけよ。ついでに他の人には内緒にしておいてね。私も面倒なことは嫌なの」
先程のような作り声はやめていても、女官服で女性の言葉づかいともなれば、まさに完璧な女性だ。誰もが感心していた。・・・なるほど、道理で北の国でも潜入できたわけだ、と。
そう言いながら、再びケリスエ将軍は考え込んだ。
「カロンのことは私の落ち度ね。私を殺せなかった時点で考えるべきだったわ」
「いや、将軍。あなたは極端すぎます。カロンはあなたを殺すぐらいなら自分が死ぬ方を選ぶでしょう」
「けれどサフィヨール殿、それだけならまだいいわ。けれどカロンは私をあまりにも・・・何と言うのかしら、ちょっと変というのか、物好きというのか、どうしようもないと思うのよ」
誰もが否定できなかった。
「カロンの実力がどうであれ、私に左右されるのでは意味がないの。何故なら私は男じゃないからこその不都合がある。結婚したとなれば尚のこと。それこそ代替わりは決めておかねばならなかったのよ」
その意味は誰もが分かった。女は子を産む性別である。男とは違うのだ。
「次の将軍には第一部隊長、あなたを。私が健在である限りはカロンを私の副官に据え置くわ。けれども私がいない場合、もしくは私が指揮を執れない事態が発生した場合は、速やかに第一部隊長に全指揮権を移行し、その際のカロンは第六のまま、第一から第五部隊長の下に位置するものとします。今まで通りに」
クネライ第一部隊長が、苦々しい顔で笑った。
「私より第六部隊長が適任と分かっていて、それでも私に将軍になれと仰有るか。いい面の皮ですな」
「大切なのは揺るがないことよ、第一部隊長。その肩に乗る重さを理解していても投げ出せる人間に、この騎士団を渡せないわ。そういう意味で将軍になれる資格があるのは第一から第五の部隊長だけ。そうでしょう?」
誰もがカロンを惜しまずにはいられなかった。だが、カロン自身がそれに価値を見出していないのも分かっていた。
「サフィヨール殿」
「何でございましょう、将軍?」
「許せ」
「・・・いえ。あいつは十分やってきました。ならば本当に欲しいものを手に入れてもいいでしょう。普通の男が目指すものを欲しがらなかったとしても、それはあいつの咎ではありません」
ケリスエ将軍はその睫毛を伏せた。
(カロン。どこまでもお前を高みへと羽ばたかせてやりたかった私こそが、今、お前の未来を閉ざす。けれどもお前が私だけを求めるのなら、・・・これしかお前の望みを叶える手段はない)
誰もがカロンの才を惜しむ中、ソチエトがぼそっと呟いた。
「ですがあの小僧は知ったら大喜びするだけでしょうな。これで身軽になれた、とか言って」
ケリスエ将軍が苦虫を噛み潰したような顔になる。まざまざとその姿が思い浮かんだからだ。ニコニコとして、「俺はあなたとだけいられたらいいんです」とか言いそうだ。・・・親の心子知らずとは、まさにこのことである。
その場にいた面々も、「え? いや、将軍位なんていりません。俺、あの人といられたらそれだけで幸せです」と、照れながら言う第六部隊長をありありと想像した。
軍にあって誰もが得たいと望む将軍位。それを望むどころかその手に掴める実力を持ちながら、「どうでもいい」と確実に思っているであろう、最年少の部隊長。
クネライ第一部隊長「・・・ちょっとふざけとりませんかな」
ハイゲル第二部隊長「人生をなめとりますな」
カリスフ第三部隊長「そういう二人の時間を大切にするのはもう少し後ですな、普通」
ソメノ第四部隊長「若い内は苦労させてもいいのではないかと」
ソチエト第五部隊長「左様。もう少しきゅっと絞り上げて働かせてからでも良くはありませんかな」
サフィヨール元第六部隊長「まあ、使い物にならなくなったらともかくとして、何も最初から引っ込めておくこともありますまい」
誰しもカロンを不憫に思って幸せになってもらいたいとは思っていたが、そういう幸せのなり方はなり方でムカつくのである。
「しばらくこのことは、第六部隊長に伏せておくように。というより、私が指揮を執れなくなった時点で、第一部隊長の指示の下、第六部隊長を遠慮なく働かせれば良い」
ケリスエ将軍も、そう言わずにはいられなかった。
冷たい風が枯れ葉を巻き上げては連れ去って行く。暗闇でも、その風と枯れ葉の立てる音でそれが分かる。上空を流れていく風は、泣いているかのような響きがあった。
「どうしたんです、こんな夜中に?」
「いや。星を見ようと思ってな」
「そうですか。ですがもう少し暖かい格好をしておいた方がいいです。風もこんなに冷たいんですから」
灯りも持たず裏庭にある岩に腰掛けて夜空を見ていたケリスエ将軍に、カロンが着ていた上着を脱いで羽織らせた。一人で寝ているのだろうと思いつつも、見たら部屋は空っぽだったので探しに来たのだ。
「お前が風邪をひく」
「この程度でひきません。それにあなたの方が冷え切っている」
ケリスエ将軍の頬に大きな手が添えられる。その温もりに長く外にいたことを実感させられた。
座っていた岩も冷たかったが、冬空に瞬く星すら冷気を降らしているかのような夜だ。
けれども泣いているかのような風の音に耳を澄ませていると、どこまでも己の罪を糾弾されているかのようにも感じられて、その冷たさすらも当然の報いだと思えた。
「って、鼻先も指先も冷えきってるじゃないですか。どれだけ長くいたんです。ほら、屋敷に入りましょう。暖炉に火も入れますから」
「別にいい。もう寝るだけだしな」
「せめて外に出る時は薄着で出ないで。ちゃんと重ね着してください」
「ああ」
何に気を取られているのか、珍しく焦点のぼやけた瞳になっていることに気づき、カロンは問答無用でその体を抱き上げた。脂肪ではなく筋肉のついた体は、やはり一般的な女性よりも重いのだが、カロンにとっては何ということもない。
「考え事なら屋敷の中でしてください。体を壊す気ですか」
「そういうわけじゃ・・・」
誰の目もないからだろう、抵抗せずにその身を預けてくる将軍を屋敷へと運びながら、カロンは(この人がこんなにもぼーっとしているのは珍しいな)と、どこか疑問も感じていた。
こんなにも体が冷えるまで何をしていたのか。
先程から、受け答えする言葉にも全く力がない。
とりあえず台所のベンチへと座らせ、カロンは湯を沸かした。
「そこまでしなくていい」
「いいから黙っていてください」
桶を持ってきてそれに体温より高めの湯を入れると、そこに将軍の足をつけさせる。そして温めた牛乳に少し酒を垂らしてから二つのカップに入れ、一つを差し出した。飲み始めるのを確認してから、立ったままでその頬に手をやると、指先に触れた耳もまだ冷たかった。
「お前の手は温かいな」
「あなたが冷えすぎてるんです」
足湯がゆっくりと体を温めてくるのを感じながら、ケリスエ将軍は泣きたい思いがこみあげてくるのを感じていた。
ああ、あの風は私の心そのものだ。為す術もなく運ばれていく枯れ葉のように、私は愚かにも・・・。
「ライナ?」
無表情とは違う、生気そのものをなくしているかのようなケリスエ将軍の顔に、カロンが気づいて問いかけてくる。
さっきから感じていたが、ケリスエ将軍の様子が変だ。
「お前を・・・軍に入れたのが失敗だったのか」
「は?」
あまりにも突飛すぎて何のことやら分からないカロンである。だが、今のケリスエ将軍は心ここにあらずといった風情で、その黒い瞳もカロンを見ているのに見ていなかった。
伏し目がちになりながら、自分の頬に当てられたカロンの手に自分の手を重ねてくる。
「お前を軍に入れるべきじゃなかったのか・・・? ただ、普通に住まわせて、そしてお前にはお前の好きな道を選ばせてやれば良かったのか・・・? それともさっさと手放しておけば良かったのか・・・?」
「は? えっと・・・、何をいきなり」
一体何を言い出したのやらである。
大体、カロンが入団したのなんていつの話だと思っているのか。自分で言うのも何だが、ローム国騎士団内でもナンバーセブンにあたる第六部隊長をつかまえて、今更「軍に入れるべきじゃなかったのか」はないだろう。
しかも言っている本人はその騎士団のナンバーワンだ。
「そうすればお前はお前なりに自分の人生を生きていけた筈だ。・・・私は、間違えたんだ」
つーっと、目頭から流れた涙がカロンの手をも伝っていく。
よく分からないまま、カロンは同じベンチに腰掛けた。
「俺はこの結果に満足してますけど? あなたが引き取ってくれたから俺は生き延びられた。あなたが鍛えてくれたから軍でも出世できた。軍で出世できたからあなたの傍にいられるようになった。・・・誰かに何かを言われましたか? ライナ、俺はあなたの傍にいられる人生以外、欲しくありません」
この人に、一体誰が何を吹き込んだのだろう。場合によってはきっちりと話をつけておく必要があると、カロンは考えた。
しかしカロンに関しては出身が出身だけに、こんなことをわざわざ将軍に言う人間がいるとも思えないのだ。その辺りがいささかおかしくもある。
「お前にはそれ以外の選択肢を与えることもできた筈だ。きっとその方が楽だった。そのまま適当な養育先を探し出して預け、そしてお前には私を親の仇だと憎ませておいた方がよほど幸せに生きられただろう。
お前なら商家でも農家でも領主軍でも役人でも、養子先さえきちんとしておけばどこでも勤まった筈だ。そうしてありふれた人生を送り、ありふれた恋をし、ありふれた結婚をして子供を儲け、日々の糧に満足しながら老いていく暮らしこそが、お前にとって幸せだった筈なんだ」
「ライナ・・・。一体どうしたんです?」
カロンにしてみれば、どうしたらいいものやら、である。
どうもケリスエ将軍の心が違う場所へと飛んでいるらしいのは分かるのだが、厄介なことに言っていることはおかしいものの、同時に支離滅裂でもなく、的を外してはいない。
確かに、仮にそういった身元もしっかりした家庭に養子に出され、そんな生活をしていたら、それはそれで幸せだと思って自分は生きていったことだろう。
さて、どうしたものか。
「それはないだなどと言うなよ。私には分かる。今だから・・・。お前の望む生き方など、出世も栄光もない、そういう平凡な暮らしなのだと」
「・・・俺のせいですね。あなたを苦しませてるのは」
カロンは苦笑した。
以前、少しばかり教えてもらったことがある。人の感情を読み取る術を。その呼吸の大きさや勢い、そして汗腺の気配、顔や体の緊張具合などを総合的に判断するのだと。ただ、教えてもらったが全く自分にはその才能がないことが分かっただけで、将軍もそれと察して諦めたようだった。
自分を無視していた時と違い、今のケリスエ将軍は何かとカロンを見ている。それこそカロン自身ですら気づいていないカロンの感情を読み取っていたとしてもおかしくない。
カロンがどういうことを大切にし、どういうことに喜びを感じるのか。そんなカロンの感情を読まれていたら、たしかにもっと平民らしい生活の方が向いていたのではないかと思われても仕方ないだろう。
(けれどもライナ。こんな声も立てないような寂しい泣き方を、あなたにだけはさせたくない)
カロンはその体を自分の方へと引き寄せた。自分の胸にその顔を埋めさせて、焦げ茶色の髪を撫でる。
「だけどおかしいですね。俺はそんなことを、今日考えていた筈はないんですけど」
それでも、わざわざ今日、落ち込んでいるのは何故なのか。今日の自分に、その引き金になりそうなものはなかった筈なのに。
今日、考えていたのは、この人の衣裳だ。
王から結婚祝いにと贈られた装身具は男女兼用のデザインで、きっとこの人の正装に似合うだろうと思った。だからそれと合わせて新年会で身につけさせようと思い、そうなると他の小物はどうするかと、あれこれ組み合わせを考えていたのだ。
そこへ悪魔の尻尾を隠した小娘とそれに付き従う純情娘が屋敷に押し掛けてきて、それと知るや否や、
「私が見立てるのよっ、センスのない男は引っ込んでなさい」
と、ぬかしてくれたのだ。
本当に小生意気で礼儀知らずな悪魔だが、そういう小物を選ぶのであれば適任でもある。
正装と装身具一式、そして予算のお金を渡して、それで組み合わせを考えて用意してもらうよう依頼した。ケリスエ将軍が不在なことにがっかりはしていたが、新年会の衣裳を自分がコーディネイトできるとなったらすかさずご機嫌になり、悪魔は天使と共に帰っていった。
男爵家なら、小物の格と品質も配慮できるだろう。問題が片付いた上に悪魔祓いもできて、まさに一仕事を終えた気になったものだ。
「俺が今日考えていたのは、あなたに似合う色だったんですけどね?」
「私は、・・・それこそ間違えたんだ」
うーむと、カロンは考え込む。かなり根深く気にしているようだ。一体どうしたのか。
たしかに自分は出世欲などない。それこそ、普通に樵でも農民でも奉公人でも、そういう人生ならそういう人生でと、受け入れて生きていっただろう。
しかし、今頃そんなことを言われてもどうしようもない。そして別に今からでもそれをしたいかと言われると別にそういうわけでもない。
「一体どうしてしまったんです、ライナ? 俺すら考えもしないことをどうしてあなたが考えるんです?」
けれどもこの人と違って他人の感情に鈍い自分でも、この人が辛い思いをしているのは分かる。
何が原因かは知らないが、かつてカロンを引き取った際について、それこそカロンに幸せな人生を送らせるならば、あの時、軍に入れない方が良かったと、後悔しているのだけは。
だが、口先だけで誤魔化せると思う方が間違いなのだろう、この人には。
今も静かに目を閉じて涙を流しているこの人に、その場限りの嘘が通じるとはとても思えない。
まっすぐに流れ落ちる焦げ茶色の髪を少し掬って、カロンは口づけた。
「ライナ、俺はあなたに嘘などつきたくない。だから正直に言いますけど、確かに俺はきっとどこに預けられてあなたと全く関係ない人生を歩んだとしても、それはそれで幸せに生きられたと思うんです。あなたの言う通り、普通に友人を作って、普通に恋をして、普通に結婚して、普通に子供を作り、養い親を看取り、年老いて死んでいく。・・・そんな平凡でありふれた、ささやかな人生をこの上ない幸せだと感じて生きて死んでいったと思います」
カロンはそこで頭のてっぺんに口づけた。顔を上げてくれればキスできるのだが、無理にそんなことはしたくない。この人に対して何の強要もしたくないのだ、自分は。
「騎士団に入って、辛くなかったとは言いません。苦しくなかったとも、嫌にならなかったとも。恨んだことも憎んだこともないとは言いません。けれど、ライナ・・・」
カロンは、その体を更に自分へと引き寄せた。鍛えられた体は柔らかくはないが、それでも綺麗なラインを描いており、こうして抱き締めればしなやかにうねる。
「どんな苦しみも痛みも、あなたを得られるのなら俺は喜んで支払うでしょう。平凡に満足して終わる幸せな人生より、俺はどんなに辛くても苦しくてもあなたを得られる幸せがそこにあればいい。もしもそんな平凡で幸せな人生と、今の人生と、二つの人生が示されて俺が好きな方を選べるとしたら、俺は間違いなく今の人生を選びます」
その頭から肩へと優しく撫でながら、どうか泣き止んでくれるようにと、カロンは祈った。
「ライナ。あなたなら分かる筈だ、俺のそんな気持ちに嘘はないと。あなたは俺を軍に入れたことを悔やんでいるのかもしれないけれど・・・」
それでもどうか悔やまないでほしい。なぜなら・・・。
「俺の望みはあなたを支える強さを得ることだけだったと、だから今の結果には満足しているのだと、他の誰が分からなくてもあなただけは分かる筈だ」
小さくケリスエ将軍の唇が動く。
「ライナ?」
「・・・馬鹿だ」
小さい声だったが、そう言われると返す言葉もない。
がくっとカロンは肩を落とした。
ここまで本気の告白みたいなことをさせておいて、馬鹿はないだろう、馬鹿は。
(この人、どうしてこう無神経なんだろう)
それでも好きだから仕方ないけど。
「まあ、俺は馬鹿かもしれませんが」
「お前は馬鹿だ」
諦めて譲った気配はバレバレだったらしい。今度ははっきりと言われてしまった。
いや、もう、馬鹿でいいです、好きに罵倒してください、である。
けれども今までのようなどこか力のない言葉ではなく、声に力が戻ってきていた。そのことにカロンは安心する。
空気だけでカロンがフッと笑ってしまった気配が伝わったのだろう、体は抱きしめられているから動かせないものの、自由だった頭が動いて、涙に濡れた黒い瞳がカロンの顔を映し出してきた。
先程までの意識を飛ばした顔ではなく、どこかムッとした感情すら浮かんでいる。
きっとカロンの、むずがって泣く子を宥めているかのような気配をも感じ取ってしまったのだろう。自分の方がカロンを庇護する立場だと思っているだけに、それは許せないとでも思ったに違いない。
それでも泣き続けていた後では、どうするかと迷っているらしく、頼りなげに眉根を寄せている。
余計に笑みが漏れてしまうカロンだった。ふとした時に出る、こういう所が可愛い。
「頼むから泣かないでください、ライナ。俺の幸せはあなたの幸せと共にある」
それでもこの人がこんなにも心を砕くのは自分のことだけだから。
それが何よりも嬉しいと思える。
腰に回していた両腕を引き上げて、その両頬を支える。カロンが本当に望む時には決して抵抗しない人だと、もう分かっていた。
「どんな人生よりも、どんな人よりも、ただあなただけがあればいい。それが俺の願いです」
重ねた唇からは涙の味がした。それはカロンの為だけに流されたものだった。
西南に位置するラファイ王国。
数代前の国王で直系王族は途絶え、その先代に遡っての傍系王族の流れを汲む貴族達が擁する国王候補で揉めている国である。
国王が戴冠したかと思えば数ヶ月で国王が入れ替わり、先代国王は処刑されたり、暗殺されたりといったことを繰り返している。時には内乱によって国王が入れ替わる有り様だ。
「だが、国王争いの戦で国は疲弊しきっている。そこに辺境の地イアプトで反乱を起こした領主がいた。そのイアプト領主はそういった王族の血を持たないが、瞬く間に近隣の領主を攻めて併呑し、一大勢力となっている。問題は、そのイアプト勢力が、我がローム王国内の領土も、自分達が飲み込もうとする視野に入れたことだろう」
ケリスエ将軍がそう説明をしていく。七人は静かに聞き入っていた。
「一大勢力ながら、それでも王族の血を持たないのは弱みだ。兵を率いて都に攻めのぼろうとしても、正統な血筋を持たぬわけだからな。都に行く途中にある全ての領主と戦っていたら、イアプト軍とて兵を失い、都についた時点で逆賊として捕らえられ処刑されるのがオチだ。では都に攻めのぼるイアプト軍を大人しく通過させてもらうように、つまりどの領主にも手を引いてもらうようにするにはどうするか。・・・そこで、我がローム王国の領土を得ておき、そちらの軍を組み込もうという腹だ。どの領主も自分達では負ける大軍勢であれば、大人しく通過させてくれるだろうからな」
そこでケリスエ将軍は全員を見渡した。
「言うまでもないが、これは早急に動く必要がある。現在、イアプト領と国境を隔てている我がローム王国の領主軍は既に何度か小競り合いを行っているからだ。あちらも全勢力で攻められないのは、背後から自国の他の領主に攻められる恐れがあるからだろう。だが、のんびりは出来ん。そして今回、これはローム国騎士団のみが請け負った」
そんなケリスエ将軍に、クネライ第一部隊長が質問する。
「では出発はいつになりますか?」
「明日だ」
簡潔に答えたケリスエ将軍である。
「前回、第六は第二、第四と共に出ているが・・・」
「行きます。行かせてください」
カロンの言葉に、そうかと、ケリスエ将軍は頷いた。
「ならばケイス第六部隊長、それからクネライ第一部隊長、ソチエト第五部隊長。急で悪いが、この三大隊を連れて行く。明日の早朝出発とする」
「お待ちください。我が第三部隊があまりにも忘れ去られているかと思うのですが」
「私もこれが明日出発でなければカリスフ第三部隊長を指名した。だが、明日早朝までに第三部隊が仕切っているローム王都の治安警備の引き継ぎは不可能だ。今回は諦めてくれ。その代わり、余裕のある次回にこそ、第三部隊を一番に指名しよう」
「はっ」
「他の二騎士団ではなく、うちにまわってきたのはその迅速さを見込まれたがゆえだ。第一、第五、第六は早急に出発の用意を。解散」
「はっ」「はっ」「はい」
今日聞いて明朝出発となると、用意は大変である。部下達にも通達せねばならないし、荷造りや、糧食の用意だけでもかなり慌ただしい。クネライ第一部隊長、ソチエト第五部隊長、ケイス第六部隊長とサフィヨールの四人はすぐに部屋を出て行った。
それを見送ってから、ケリスエ将軍はカリスフ第三部隊長に声を掛ける。
「今回は諦めろと言ったそばからで悪いんだが、私の直属兼護衛として一小隊貸してくれないか?」
「一小隊でよろしゅうございますか? 二小隊でも三小隊でも・・・」
カリスフが首を傾げながら訊き返す。常に直属の部隊を持たずにいた将軍が珍しいことである。残っていたハイゲル第二部隊長とソメノ第四部隊長も、成り行きを見ていた。
「今後は、その度に適当な小隊をどこかに貸してもらうことになるだろう。カロンが率いる第六部隊は常に私についてくるだろうし、その結果も出すだろう。だが、それではカロン率いる第六部隊が私の直属ともみなされかねない。そうなると、クネライ第一部隊長に引き継ぐ際、カロンを擁しようとして不満が出る筈だ。私の直属を常に様々な部隊から出してもらっていたなら、たとえ第一部隊長が将軍の座についても、肝心の第六部隊長がそれに従うのだから問題なく終わる」
「なるほど。では一小隊、明日、将軍におつけいたしましょう」
「頼む」
どんなにカロンを傍に置いていても、こうしてクネライ第一部隊長を後継と決めた以上は、それにあわせてカロンに権限が行かないようにと、ケリスエ将軍は考えたようだった。
それなら常に第一部隊から直属の小隊を出してもらえばいいのかもしれないが、各部隊に変な優劣意識を生ませないという意味もあるのだろう。おそらく、将軍は今後第六部隊からは直属の護衛を出させない筈だ。
(だから、この人が良かった。・・・そしてこの日々もこの人が将軍でいる間だけだ)
ハイゲル、カリスフ、ソメノは、そう思った。
常に第一部隊長イコール将軍だったローム国騎士団。どれ程の勇猛を誇ろうと、第一部隊に属していなければ将軍にはなれないとされていた。
それでもこの年若い将軍が、ローム国騎士団の実権を握った日から全ては変わった。
部隊が持つ数字に関係なく実力を評価される日々。
直属の部隊を持たないからこそ、この将軍が傍に置く部隊は戦いの度に異なっていた。第一部隊長にしてみれば思うものもあったかもしれないが、男の世界は強さが全てだ。
その分かりやすさが心地よかった。
「急すぎて人数が間に合わない時には、申し訳ないが第四部隊長にも分けてもらってくれ。よろしく頼む。では、私もまた大将軍の所に打ち合わせに行かねばならないのでな」
「分かりました」
明日出発といっても、次々に入ってくる情報をリガンテ大将軍と一緒に打ち合わせるのだろう。王宮へと出掛けていく将軍を見送った三人は、いずれ来るであろう代替わりの日を虚しい思いで考えずにはいられなかった。
間に合わなかった者や糧食は後から追ってくるものとし、早朝から三大隊は出発した。
「・・・一小隊を貸してくれとは確かに言った。だが、一小隊を部隊長が率いてくると誰が思うんだ」
「細かいことをお気になさいますな、将軍。ちょうど第三部隊で一番暇だったのが私だったのです」
出発の際には急いでいた為、揉めている暇もなかった。従って休憩地点に着いてから、ぼやいたケリスエ将軍だったのだが、カリスフ第三部隊長はぬけぬけと言ってみせる。
(どうせもう代替わりをお考えになっているというのだ。それならば残された日々、どうして遠慮する必要があるというのか。・・・あのカロンが従者をしていた頃、我々があまり彼に構わなかったのも理由がないわけじゃない)
カリスフ第三部隊長とて、カロンに対する他の従者達の行動にはかなり眉を顰めていた。他の部隊長も同様だろう。だが、それでも。
屋敷では一人で暮らし、従者も直属の部隊も置かず、そしてどの部隊長も公平に扱っていた孤高の将軍が、初めて身近に置いた存在だったのだ、カロンは。やっかまれて当然だろう。
自分はカロンのように女として将軍を見ようとは思わないが、こうなったらせめてちゃっかり特権は行使してもいいではないか。一小隊を貸してほしいと言われたが、その小隊を部隊長が率いてはならないという決まりはない。その部隊のことは、その部隊の人間が決めろというのが、将軍の方針なのだから。
「まあ、第三部隊がそれでいいならいいんだが。せっかくの部隊長をそんな使い方をするというのも・・・」
「全くもって問題ございません。ま、問題があるのは他の部隊長の心の中でしょう」
急ぎの道行きである。休憩にしても、将軍はカリスフと共にしているが、第一・第五・第六部隊はそれぞれでとっている。単独の将軍はいずれかの部隊と共に行動するだろうと思われていただろうが、よりによって一小隊を第三が出した為、その当ては外れた。
一小隊でも小隊長が率いていたならば、いずれかの部隊長に声を掛けられたらそこの部隊に組み込まれただろうが、同格の第三部隊長が率いているとなると、こちらから言わない限り、何を言えるものでもない。
「心の中の問題は、その本人でどうにか処理してもらうとして、だ。こちらの休憩が終わる頃に、後続も到着するだろうな」
「そうですね。小隊だけだから我らは身軽ですが」
「そうだな。恐らく我らが現地にも一番に到着するだろう。第三部隊長、まずは出立まで休め」
「はい」
将軍の直属で動くとあって、一小隊と言っても、第三部隊の中でも優秀なのを選んで小隊分の人数にしたものだ。彼らにしても強行軍とみて、食べたらさっさと休んでいる。
ケリスエ将軍もカリスフ第三部隊長も、そのままごろりと横になって休むことにした。
思ったよりも冷静なカロンに、サフィヨールはいたずらっ気のある表情になった。
「本当は悔しいんじゃないのか? 第三部隊長もやってくれたな」
「はあ。まあ、・・・羨ましくないと言えば嘘になりますけど」
それでも自分達はまずこの第六大隊を現地に連れて行かねばならないのだ。「自分は先に行くから、後は勝手についてこい」では済まない。
「第三部隊長がわざわざ率いている以上、信頼できますから・・・。だからいいかな、と」
「ふうん」
「・・・いや、本当ですって。それに、俺がこの第六部隊を投げ出そうものならそれこそとんでもないことじゃないですか。大事なのは勝つことなんですから。力を温存したまま現地に辿りつくことよりも大事なことなんてありません」
心のこもってない「ふうん」に焦ったか、カロンが少し早口になって言い募る。
サフィヨールはフッと笑った。
「どんだけ将軍に溺れても、やっぱりお前はうちの部隊長だな」
「名前だけですけどね」
「お前なあ・・・」
「俺にとっての第六部隊長はサフィヨール様しかいませんから」
カロンにしてみれば、サフィヨールは自分を育ててくれたもう一人の恩師だ。ケイス第六部隊長と呼ばれていても、本来の部隊長はサフィヨールだと思っている。
ケリスエ将軍を支えられる強さを欲したのも事実だが、サフィヨールをも支えたい気持ちにも嘘はないのだ。
「どうぞ。サフィヨール様。カロン様。沢山お肉を入れてくれましたよ」
「お、すまんな。ヨイネ」
「ありがとう、ヨイネ」
そこへ、椀に入った汁物を持って副官のリールスと従者のヨイネが戻ってくる。
サフィヨールとカロンに椀を渡すと、リールスとヨイネは少し離れた場所に座って、何やら話しながら食べる様子である。二人は仲が良く、何かというと一緒に行動していた。
きっとサフィヨールとカロンの会話の邪魔をすまいと思ったのだろう。
「あなたがいる第六部隊だから、・・・俺もここでいたいと思うんです。サフィヨール様がいなかったら、俺は何も持たないままの、あの人の従者で構わないんです、本当に」
カロンが小さく呟く。
その気持ちが伝わったのだろう、サフィヨールも黙って椀の中身を啜った。
ケリスエ将軍が辞めたら一緒に辞めてしまいかねないとされているカロンは、実際にいざとなったらそれを実行するだろう。だが、それほどの執着ではないにしても、サフィヨールがいるから第六部隊にいるのだと、こうして言い切るのだ、この男は。
「あんまり照れ臭くなるようなこと、言うなよ」
「なら、言わせないでくださいよ」
二人だけしか聞き取れないような小さな声だったが、それでも通じるものがある。
お互いに照れ照れしながら、第六部隊も休憩を終えていった。
【弟子と師匠4】
我らが神よ。どの地にあって、どの名を名乗り、どのものに帰属しようとも、我らは常にあなたと共にある・・・。
その日、リスエルードは真面目な顔で重々しく二人に伝えた。
「いーい、サーラ、ルース? あなた達、このままじゃダメ人間まっしぐらよ。今日からルースは、寝る時はちゃんと自分の家で寝なさい」
ルースレイルは大きな衝撃を受けた。
「そんなぁ。サーラがいないと怖くて寝られないの。やだぁ」
「甘えるんじゃありませんっ、ルース。大体、毎晩毎晩添い寝なんてしてもらってたら、サーラが伴侶を得ることもできないでしょうっ。二人の仲がいいのはいいけど、ちゃんと線引きはしなさい。今日からルースは隣の自分ちに行って寝る、・・・分かったわね?」
「やだっ」
「・・・ルース。聞き分けのないことを言うなら実力行使するわよ?」
「・・・・・・むぅっ。じゃあっ、寝る時はおうちに帰るけどっ、だけどご飯とかは一緒だからねっ」
「そこは許してあげるわ」
出来ないならばルースレイルをサーライナから引き離すと言わんばかりの熱意がそこにあった為、 諦めてルースレイルは、寝る時だけは自分の家に帰って一人で寝ることを受け入れた。
その間、サーライナは姉弟子であり師匠でもあるリスエルードに何を言える状態でもない。
「勿論、サーラも。ルースが寝つくまでルースの傍でいてあげるなんてのもしちゃ駄目よ」
「・・・分かったわ、リスエル」
先回りされてしまったルースレイルが、更にショックを受ける。なぜバレたのか。
(分からいでかって言うのよ、このお子ちゃまが。本当にどこまでお人好しなのかしら、サーラも)
この分ではなし崩しで、いずれサーライナはルースレイルという押し掛け伴侶に流されてしまうだけだろう。
今は子供の独占欲で済んでいるが、ルースレイルが大きくなるまで子供ならではの甘ったれでサーライナを束縛し、大きくなったら弟子ということで密着し、更にその後はサーライナと共にいる手段として伴侶になると、ルースレイルが決めたらどうするのか。
同じ母を持つ兄妹などは禁止されているが、同性ならば特に咎められることもない上、同じ父というのであれば他人とみなされるだけに、それが出来てしまう。
ルースレイルはそれでいいだろう。けれどもそれは、サーライナの恋ではない。
「だけどリスエル。私、まだ伴侶とかは・・・」
「駄目よ、サーラ。あなたは普通の人として自分の心を持って生きると決めたんでしょ? 自分の伴侶は自分で決めるものよ。ちゃんと出会いの機会も無駄にしないようにしなさい。手抜きは許さないわ。ルースの世話にかまけることで伴侶探しをしない理由を作るんじゃないの」
「・・・はい、リスエル」
リスエルードは、ルースレイルが睨んでこようが全く怖くも何ともない。歯牙にもかけてもらえないことが分かって不貞腐れるルースレイルの頭をサーライナがよしよしと撫でてやるのを見ながら、リスエルードはサーライナの伴侶選びをも考えていた。
サーライナも自分の家に住み、いつでも恋人を作っていい状態なのだ。
リスエルードにそれとなくサーライナのことを打診してくる男も存在している。本来の師匠であったケリスロードがいなくなった今、リスエルードがサーライナの師匠になるからだ。
問題は、サーライナ自身である。
リスエルードにはどういう生活だったのか、よく分からないが、神殿での集団生活も早々にサーライナはその集団生活から隔離されて神殿の奥で生活させられていたという。従って、普通の人よりもどこか考え方が幼いというか、人との交わりが苦手というか、人との関係がうまく築けないところがサーライナにはあった。
今では神殿が欲しがったその力も封印して普通の生活をしているが、これでは市井におりた禁欲神官でしかないではないか。
やはり恋人は作らせなくては。
(人の心が読めるだなんて才能が私にもあれば、かなり楽になるんだけど・・・。サーラのこれを見てたら、本当に宝の持ち腐れとしか言いようがないわね)
世界は広い。
このサーライナの閉じた心を壊して、相思相愛な生活になだれ込んでくれる男がいればいいのだが。
けれども伴侶と暮らし始めたら、リスエルードとの修業は終了する。誰かの伴侶をしながら師匠はできても、弟子はできないからだ。師弟関係は変わらないが、生活は変わってしまう。
だから真面目に考えている男達は、サーライナの状況をリスエルードに打診してきているのだ。
「ねえ、サーラ。あなた、剣の稽古はしていても、ちゃんと戦ったことはなかったわね。・・・次、私と一緒に行ってみる?」
「・・・・・・行くわ、リスエル」
「え? サーラ、戦に行っちゃうの?」
「留守番ぐらい出来るでしょ、ルース。数日で終わる筈だし、その間はちゃんとあなたのことはジーリエに頼んで行ってあげるわよ。サーラだって戦に出ないままで、いずれあなたの師匠になれるわけじゃないのよ? そこも聞き分けなさい」
「はぁい。・・・サーラ、早く帰ってきてね」
「ええ。これも経験だもの。頑張ってくるわね、ルース」
サーライナへ問いかける形をとっていても、リスエルードが言った時点でそれは命令だ。サーライナも覚悟を決めたようだった。実戦経験なしに、誰かの師にはなれない。
リスエルードも当然のように頷く。
動物が殺される時の断末魔の心さえ感じてしまっていたサーライナだ。自分で獣を狩って仕留める時も、最初は泣きながらだった。今では何も聞こえないらしいが、それでも狩りの時はそれを思い出しているらしかった。
それについては心の意識を切り替えて何も考えないようにすることと、なるべく苦しむ時間を短くすることとで、今となっては割り切っているらしい。
しかし、そろそろ人を相手にする実戦経験を積ませる段階にきているだろう。
(どんなに強くても、自分が生き残る為に人を殺せないのでは踏みにじられるだけよ。綺麗に飾られて神殿の奥で守られるのではなく、自分の力で生きていくと決めたからには自分で強くなりなさい)
それこそ狩りをしている最中など、見知らぬ男に襲われそうになったこともある。そういう時にはサーライナも相手を殺してきたが、あくまでそれは自分の身を守る為だった。戦という、ただ殺人だけを繰り返すそれをサーライナはまだ経験していない。
(サーラはあまりに強く望むものがない。それが成長を阻んでいるわ。強くなることも、伴侶を得ることも、自分から望む気持ちが大切なのに。・・・けれども戦ならば、嫌でも戦わなくてはならない)
それにそういう生きるか死ぬかの場所なら、この硬い殻に覆われた心の持ち主をも揺さぶる運命の恋があるかもしれない。別に敵であろうと味方であろうと、自分達は好きになったらそれでいいのだから。
そう思ってリスエルードは、次の戦にはサーライナと二人で出願したのだった。
戦場でも、将軍や部隊長、小隊長クラスならば天幕も用意されるが、見習い騎士などはそのまま地面の上に寝るだけだ。ましてや戦力的に大した働きにもなるまいと思われている初陣の者達であれば尚のこと。
火の番は交代の筈だが、疲れきって誰もが寝入っていた。
(せっかくだから枝を足しておいてやるか)
天幕を抜け出したケリスエ将軍は、消えかけていた焚き火に枝をくべてやる。だが、探し人は少し離れた場所にいるようだ。
自分の姿を見られるわけにはいかなかった。
かなり興奮しきった男達の感情はきついものがあったが、眠りから覚めそうな者がいないかどうかを確認しつつ、皆から距離を置いて一人で眠り込んでいる弟子の所へと移動する。
(ちゃんと自分で手当てもしたようだな。木の枝やマントを使って、体温を逃がさないように休むことも出来ている。・・・ちょっと虫よけが弱いか)
虫が嫌う清涼感のある塗り薬を取り出し、カロンの露出している肌に軽く擦り込んだ。
皆から孤立していることもあるのだろう、カロンが一人で離れた場所にいてくれて助かった。さすがにこんな所を誰かに見られたら、何を言われるやらである。
「将、・・・軍? いるわけ、ない、ですよね」
「そうだな」
首筋や手などに薬を擦り込まれたからだろう、その香りでカロンが目を覚ましたらしい。だが、そのまま目を閉じてしまう。
目を閉じたまま、話しかけてきた。
「人を殺す時って、・・・何も覚えてないんです。俺は、おかしいん、でしょうか」
「私も覚えていない。考えていたら気が狂うだけだ」
「そっか。・・・そう、ですよね」
カロンの体から力が抜けていくのが分かる。よく分からないが、何か安心したらしい。
「夜明けまで時間はある。眠れる内に寝ておけ」
「はい」
そのままカロンは深い眠りへと入っていった。寝ぼけてもいたのだろう。
そのまま伸ばしてきた手の指先だけを、ケリスエ将軍は握ってやった。
(リスエルと違い、私がお前の傍で戦ってやることは出来ん。だが・・・)
自分がカロンに教え始めてから、これがカロンにとって初めての戦いだ。出来れば傍で一緒に戦ってやりたかった。けれども自分の立場的にそれは不可能だ。
(何があってもお前だけは生き延びろ。お前の装備なら普通の矢は弾く上、剣での戦いならば簡単に負けることはない筈だ。相手の馬を奪って逃走しても構わん。・・・人間、死んだら終わりだ)
サフィヨールに任せてあった配置の内、あまり戦闘が激しくない場所にカロンをまわすつもりが本人の希望でこちらに連れてきたと、サフィヨールが世間話のついでのようにこっそり伝えてきた為、ケリスエ将軍は夜になって抜け出してきたのだ。
(第六部隊長ならお前に対して悪いようにはしないと分かっていたから預けたのに。どうしてこっちに来た・・・)
それでも弟子が少しでも楽になるよう、早めに戦いを終わらせてやることは出来るだろう。
カロンを死なせるわけにはいかない。部隊長達には悪いが、敵の大将は自分が討ち取ろう。その方が早い。
(お前さえこっちに来ていなければ、いずれかの部隊長に武功を立てさせてやるつもりだったのだがな。仕方あるまい)
自分もそろそろ天幕へ戻らなくては。明日の為に体調を万全にしておく必要がある。
困った弟子だと思いつつ、その手をマントの中に入れてやり、ケリスエ将軍は再び闇の中に消えて行った。
朝になって起きたカロンは、(将軍がいた夢を見ちゃったな。あの人が俺と同じなわけはないんだけど)と、大きく欠伸をした。けれども、あの強い将軍ももしかしたら自分と同じなのかもしれないと、そう思うだけで、少し心が凪いでいくような気がした。
本格的な夏が始まる前の数日間、まるで夏バテのようにケリスエ将軍はだらだらとした感じになる。
と言っても、別に仕事をさぼるわけでもないし、体調を崩すという程でもない。あくまで夏に備えて体を整え直すといった感じで数日間が消費されるだけのことだ。
ケリスエ将軍はきっちりした行動を己にも人にも求める人間だが、それは意識してそうふるまっているだけである。意識していない時は、かなり物事に無頓着な人間だった。
「将軍。はい、どうぞ」
「ああ」
第五部隊副官のミゲルが差し出してきた苺を食べながら、なぜこいつらは集まってくるのだろうと、ケリスエ将軍はそう思った。
如才なく、ミゲルは大皿に苺を盛って他の人にも勧めている。
カロンのおかげで、自分が数日間はバテバテになるのが部隊長達にバレてしまったのはしょうがないとしても、別に仕事上での支障はきたさない筈だし、心配されなくてはならない理由もない。大体、だれていても、別に部隊長達に剣で負けるような不具合を起こすわけでもない。
(用がなくても集まってくるから、てっきり将軍位を賭けての試合でも申し込まれるのかと思ったが、そうでもないらしい。・・・まあ、いいんだが)
特に害意は感じないから良しとしよう。ケリスエ将軍はそう思って、理由を考えないことにした。
(うーん。本当に素直ですねぇ。この数日間は)
自分が将軍に食べるかどうかも訊かずに出した苺をもぐもぐと食べている様子を横目で見ながら、ミゲルはちょっとした達成感を覚えていた。いつもならばそんなことは出来ないが、この数日間だけは、将軍のあの心の奥まで見据えてくるかのような眼光もなくなり、(まあ、どうでもいいか)で流されやすくなるのだ。
(おかげで目が離せないってのもあるんだけどな。この時期の将軍は一人で出歩かせられない)
カロンはそう思った。
本人は自覚していないようなのだが、この時期は穏やかな性格が顔を出すせいか、一人で王宮なりに顔を出そうものなら、困っている侍女の手伝いまでしてきてしまうお人好しっぷりになる。
以前は、大量の洗い物に困っていた洗濯女の手伝いをしてきたりもした。それ自体は、ケリスエ将軍が誰かも知らない洗濯女である。なんて優しいお方なんでしょうと感動されるだけで終わったからいいものの、あっちこっちで親切を振り撒かれては困るのだ。イメージが壊れるどころではない。
しかも屋敷に戻ればそのままずっと眠り続ける。本当にわけの分からない人だ。
(危険な猛獣を懐かせているかのような気持ちになれるんだよな、俺らにしても。年中こんなんでもいいんだが)
クネライ第一部隊長も、面白そうにその様子を見ている。普段なら訊いても端的すぎる返事で済ませてしまう将軍だが、この数日間はかなり付き合いが良くなるし、面倒見も良くなるのだ。
「将軍の剣を見ておりますと、死角がなさそうにも感じますな。私はどうしても油断が出ますが」
「ああ。第一部隊長は時々右腕を庇っているからだろう。無理して腕を壊すまいと思っているから無意識の内にそちらに気を取られているんだ」
クネライ第一部隊長が話しかけると、ケリスエ将軍はあっさりと問題点を指摘してきた。そうなるとソチエト第五部隊長も興味深そうな顔になる。
「ほお。それは気づきませんでしたな。第一部隊長に死角などありましたかな」
「そうですね、俺も気づきませんでした」
クネライの副官であるキヤンもソチエトに同意して、目を丸くした・
そこでケリスエ将軍が立ち上がり、クネライの傍までやってくると、勝手に服を脱がせ始める。おいおいと、クネライも皆も思いつつ、それでも将軍のやることなので黙って見ていた。
クネライのシャツを脱がすと、その右腕にケリスエ将軍が指を這わせてくる。
「ほら、ここだ。傷は治っていても、無理をしたら腕が駄目になりそうで、ついセーブしてしまうのだろう。そういう場合は他の筋を鍛えて支えてやるようにすればいい。そうすれば痛みも薄れ、無理がきくようになる」
そう言って、筋肉の盛り上がったクネライの腕や背中に、将軍の指が押し込まれる。
「痛っ、うわっ、かなり痛いですぞっ」
「我慢しろ、男だろう」
その様子をカロンは、やれやれと思って見ていた。将軍のそれは的確なのだが、全くもって情緒もへったくれもない。飲ます薬はまずいし、体の筋を整えてくれるそれは痛いし、全くもって女のやることじゃないと思わずにはいられなくなる。大体、女が男の服を脱がすとは何事か。
(ま。ざまあみろとは思うけど。俺だって服を脱がせてもらったことなんてないのに。・・・あの人のアレってかなり痛いんだよな)
唯一の弟子としては面白くないが、ちょっと気味が良かったりもするカロンだった。
単に指で触られて押されただけなのに悶絶しているクネライを立たせると、空いたスペースに連れて行き、将軍は剣を持たせた。
そしてクネライの腕の幾つかに指をまた押し込ませたままで、その腕を動かさせる。
「この状態で素振りをゆっくりしてみるぞ。時々、痛くなるだろうが我慢して私の動かす通りにそのまま腕を動かせ」
「は、はあ・・・。って、痛っ、いたたたたっ」
「うるさい」
「痛いですぞっ、将軍っ。私を殺す気ですかっ」
「これで死ぬ奴はいない」
あのクネライ第一部隊長が情けなくも痛がる様子に、副官のキヤンが腹を抱えて声を出さずに笑い転げている。やがて、何度も将軍が押さえる位置を変えたり、素振りの流れを変えている内に、クネライも痛がらなくなった。
「そうだ。ちょっと楽になったか?」
「そうですな」
やっている内に、そこはクネライも理解したらしい。
「じゃあ、次は座れ。私では目の高さが合わない」
いくら態度がでかくても、実際の背はクネライよりも低いケリスエ将軍だ。言われた通り、クネライは椅子に座り直した。
ケリスエ将軍がクネライの目の高さに自分の瞳を合わせてくる。
「あの、将軍・・・」
「何だ?」
「口づけでもされるのかとドキドキしてしまいますぞ。してもいいんですかな?」
「その途端、一つは踏み潰されることを覚悟しておけ」
「・・・・・・」
何を踏みつぶされるのか。それは、ナニだろう。
ハイゲル第二部隊長が、「そうなればキヤンの悩みの種も一つ減りますな」と、ゲラゲラ笑う。キヤンは「ええ、どうぞやってください」である。
大人しくクネライは黙り込んだ。
「私の指を目だけで追って来いよ? 顔は動かすな」
そう言いながら、ケリスエ将軍の両手の人差し指がそれぞれに動いていくのをクネライは目だけで追いかけていく。それをどれだけ繰り返しただろう。
「じゃあ、鍛錬場に行くか。第一部隊長の練習用の剣を取ってこい、キヤン」
「はい。将軍のもお持ちしましょうか」
「いや、私は第一部隊長の後ろにつくからな。相手を誰かに・・・」
「なら、相手役は俺がやりますよ」
「そうか。じゃあ、カロン。お前も自分の練習用の剣を持ってこい」
そうなると誰もが面白そうだと見物にぞろぞろついて行くわけである。
鍛錬場に着くと、カロンに、様々な角度からクネライに打ち込むようケリスエ将軍は指示した。
「重さは乗せろ。しかしゆっくりとだ。あくまで力の入れ方のクセをつけるだけだからな」
「分かりました。第一部隊長。じゃあ、受けとめるって感じでお願いします」
「分かった」
どうしても背の高さが合わないので、クネライの背後にいる将軍は踏み台を使っている。見ていると少し変なのだが、カロンが様々な角度から打ち込んでくるのを受け止める際に、将軍が指で押さえている二の腕の痛みが何度も走ったものの、何度もやっていると、段々慣れてきた。
「よし。じゃあ、あとは二人でもう一度繰り返してみろ」
踏み台から降りてケリスエ将軍が離れると、たしかに今まで庇っていた腕の痛みが全くなくなっていることにクネライは気づいた。
「どうします? 普通の打ち合いもやってみますか、第一部隊長?」
「そうだな。ちょっとやってみよう。同じように様々な角度からやってくれ」
「はい、分かりました」
そんな二人に、ケリスエ将軍も(さて、終わった)と、気が抜けたらしい。大きく伸びをして、では執務室に帰ろうかといった様子である。
「第一部隊長ばかりずるくありませんかな、将軍?」
「第二部隊長は特に死角で悩んでないだろう。・・・何なら、手合わせでもしてやろうか?」
「それは是非お願いしたいですな」
本来なら部下から将軍に手合わせなどお願いできない。それは下剋上ともみなされるからだ。けれどもこの数日間だけは、あの人の心に鈍すぎるケリスエ将軍とは思えないぐらいに、部下達の思いを察して快く付き合ってくれる。
「あ、それなら俺もお願いしたいでーすっ」
「あっ、それなら俺も是非っ」
第一部隊副官キヤンと、第二部隊副官シムルもそれに乗ってくる。
「別に構わん。じゃあ、練習用の剣を取って来い」
普段なら手合わせしてくれても叩き伏せられて終わってしまうだけだろう。しかし、この数日間だけは、一対一で手合わせる際、様々な角度から将軍は打ち込んでくる。そして本人の弱い場所を指導し、何度もそこを練習させてくるのだ。強い相手とやること、それが上達への近道だと実感させられる。
(ケイス第六部隊長が強いわけだぜ)
通り掛かってすぐに参加を決めた第四部隊副官ディルスも、稽古をつけてもらって、ばてて座り込んだ。
一通り、全員の相手をしてくれた将軍は、カロンと共に水を汲みに行っている。将軍に水を運ばせるのは問題なのだろう。しかし普段なら起き上がるまで放置する将軍が、この時期だけは面倒見が良い。だから世話を焼いてもらいたくて甘えてしまう。
やがて戻ってきた将軍はカロンと共に水を配ると、そのまま自分も座って水を飲み始めた。
吹いてくる風が心地よく、髪をなぶっていく。
パタパタと、首の後ろの髪を手で持ち上げて風を通しているケリスエ将軍に、サフィヨールが話しかけた。
「将軍もかなり髪が伸びましたな」
「そうだな。そろそろ切ろうかとは思うんだが」
「やめてください。別に何もあなたに手入れしろとは言ってないでしょうが」
カロンがそこで慌てて口を挟む。
やっぱりこの男が手入れしているのかと、周囲は呆れかえった。まあ、自分達のトップが身綺麗で困ることはないのだが。だが、しかし。・・・・・・よそには聞かせられない。
うん、聞かなかったことにしよう。そうそう、他に話題、話題は、と。
「そういえば今日、うちの新人に、人を殺す時のコツってあるのかって尋ねられたんですよ」
第二部隊長の副官シムルが、どうにかこうにか世間話を捻り出した。まあ、世間の女性のように如才なくとはいかず、内容が内容なのはご愛嬌だ。第一部隊長の副官キヤンが、首を傾げる。
「コツも何もなあ・・・。殺すコツって、そこに見出すもんか?」
キヤンにしてみれば、受けた傷が元で生きるか死ぬかなど、運でしかない。そんなことを尋ねられても、「何、それ?」である。
第五部隊長の副官ミゲルが、とりなすように苦笑しながら言った。
「新人のうちは頭でっかちに考えてしまうからな」
「そういえば将軍も最初の頃はどうでしたかな? やはりそういうことをお考えになりましたかな?」
そこでソチエト第五部隊長がケリスエ将軍に話を振る。
「私か? 人を殺すのは、・・・そうだな。鹿や雉を狩るようなものだと思っていた。人を殺すのも、兎や蛇を仕留めるのも似たようなものだしな」
「・・・・・・」「・・・・・・」「・・・・・・」「・・・・・・」「・・・・・・」
人間を鳥獣扱いかよと、誰もが黙り込む。将軍が人肉を食べる筈がないのは分かっているが、しかし生きる為に獣を殺すのと、人を殺すのとを一緒くたにするか、普通?
物言わぬ鳥や獣と違い、人間は人間だと思うのだが。
「まあ、個人差はありますので、誰にでもそれが適用されるものでもありますまいな」
コホンと、ハイゲル第二部隊長が咳払いをする。
(獣を狩る時の断末魔の声を考えぬよう、意識を切り離していたからな。人と殺し合う時も、意識は切り離していたし、・・・うん、同じことだ)
ケリスエ将軍はそう思った。
言葉を持たぬ鳥獣でも、命が失われる瞬間の叫び、痛みや恐怖は、人と変わらない。それをダイレクトに聞くだなんて耐えられない。何も感じずにいられるよう自分の心を切り離し、せめて相手が長く苦しまぬようにと急所を狙って始末してきた。
だが、そんなケリスエ将軍の心情など伝わる筈もない。
(もしかして、俺らの命ですら将軍にとっては山にいる兎レベル・・・)
(いやいや、そんな筈はない。だって俺らにはちゃんとお優しい方じゃないか)
(けど、この時期だけは素直な将軍がそう仰有ったってことは、実はそれが本音だったり・・・)
(いや、まさか)
(いやいや、まさか)
こそこそと小さな声で話し合う各部隊長の副官達の様子に気づくこともなく、ケリスエ将軍はかつて泣きながら兎を仕留めていた頃の自分をそっと思い返していた。思えば遠くへ来たものだ。少女だった頃の自分は、こんな未来など想像もしていなかった。
(なあ、リスエル。・・・会いたいよ)
リスエル、あなたに話したいことが沢山ある。
ちゃんと弟子も育てたんだ、ルースじゃなかったけど。
きちんと距離も置いて育てたし、だから私もあいつもダメ人間じゃないと思う。
・・・・・・ただ、どうしてなんだろう。
どこかで失敗したなと、それだけは思うんだ。
あなたなら、その原因が分かるだろうか。
風にいたずらされた髪を掻き上げたついでに、ケリスエ将軍は鮮やかな木々の葉に目をやった。リスエルードの瞳を思わせるその緑の葉を。




