第十三話 涙
祖父のいる病室にあるスライド式の大きなドア。その前には葵が立ち家族が到着するのを待っている。するとそこには家族が現れた。葵には両親と祖母がいる。父親は海外に仕事で行っているので今は帰ってくることは出来ない。だから今来ているのは葵の母親と祖父の妻である祖母だけである。
「葵、どうしたの? 急に呼び出したりして」
葵の母親は急に葵に病院に呼び出されたことでなにかあったのではないかと心配になっていた。そのため少し息が切れている。少し急いできたようだ。
「驚かないでね」
葵の母親と祖母は葵のその言葉に疑問を抱きながら葵の後に続いて病室へと入っていく。そこにはベッドで寝ている祖父とそしてその横には立ったまま祖父を見ているハンスの姿があった。
母親と祖母は驚き、思わず声を上げそうになる。
「叫ばないでっ!!」
しかし、葵の一声に驚き、声を上げることなく葵のほうを見る。ハンスも視線を葵のほうに向けた。相変わらず母親と祖母は驚きとハンスを目の前にして怯えているように見える。
「ど、どういうことなの葵? ハンスとは関わってないって」
「ごめんなさい。でも今は彼が必要なの。彼にしかできないことがここにあるから」
葵の言葉に母親と両親は疑問符を浮かべる。まだ状況がよく分かっていない。それもそのはずだ。今、目の前にいるのは世界的大犯罪者。殺人や強盗などの凶悪犯罪を犯している人間を目の前にして考えられる出来ることと言ったら殺すなどの行為しか思い浮かばないだろう。下手をすると自分も殺されるかもしれないという恐怖と共に。
しかし、葵の言葉に驚いているのはハンスも同じだった。いままで人から必要とされたことなんて一度もなかった。人から忌み嫌われ化け物扱いされ、ゴミを見るような眼で見られ、人の心の闇の部分だけを見てきたハンスは、今初めて自分しか出来ないこと、そして自分を本気で必要としてくれている人に出会えた。
「お母さん達も彼の能力は知っているでしょう? 人の心を垣間見る能力……」
「でも葵、あなたそんな能力は信じないって」
「最初は信じていなかった。でも、彼と何度か会ううちに彼の心を垣間見る能力も彼自身のことも信じることが出来るようになっていった。彼は確かに世界的大犯罪者だけど、彼も心を持った人間なの」
葵の言葉にハンスは相変わらずの無表情だったが、内心驚いていた。いままで人から信じてもらったことなんてなかった。それ以前に人から信じてもらおうともしなかった。幼い頃に友達に裏切られ、親に裏切られ信じるなんて言葉はハンスにとってただの戯言でしかなかった。でも今ここに本気で自分を信じて、必要としてくれる人がいる。そんな人を目の前にしてハンスにはいままでにない感覚が目覚めようとしていた。
また、葵の母親や祖母も驚いている。ハンスのことはテレビの中の自分達とは特別関わりのないことだと思っていた。それなのにいつのまにか自分の娘がハンスと何度も会い、そして世界的犯罪者であるハンスを信じることが出来るようになるほどの仲になっていたからだ。
葵の母親は思った。なんとしても世界的犯罪者から娘を守らなければと。危険で命すら亡くす可能性のある犯罪者ハンスから。
「今から、ハンスにおじいちゃんの心の代弁をしてもらうわ」
「代弁……?」
葵の言葉を聞いたハンスは祖父のほうを見る。祖父も目でハンスのほうを見る。
「さぁ、話せ。お前の心の代弁をしてやる」
『……洋子。疑う必要も、守る必要もない。彼は大丈夫だ』
葵の母親は驚いた。ハンスの口から自分の名前が出てきたからだ。ハンスには当然名乗った覚えはない葵の母親は驚きと不安を醸し出していた。
『覚えているか? 昔、まだお前が小学生の頃、いつもイジメられて泣いてばかりいた頃のことを。あの時言った言葉を。『洋子。どんなにイジメられても人を信じる心を忘れてはいけない』と言ったことを』
「……! どうして、そのことを?」
それは葵の母親の過去の出来事。当時葵の母親はクラスの人間からイジメを受けていた。学校にいけばイジメられるからと泣いてばかりいて、ついには学校にいくことさえなくなっていた。そんな時に葵の母親にとっての父親が言った言葉がそれだった。もちろんそのことは葵は知らない。葵の祖母も知らない。知っているのは祖父と母親の二人だけだった。ハンスがそのことを知っているはずがない。しかし、ハンスの口からその出来事のことが出てきて母親はただ、驚くしかなかった。
「お母さん、これはハンスの言葉じゃないの。全部おじいちゃんの言葉なんだよ」
「……信じることなんて出来るわけないじゃない」
とは言ったものの葵の母親は少しハンスの言葉を信じ始めていた。それは昔のことを言い当てられたからである。
「いえ、洋子。これは、あなたの父親のそして私の夫の言葉よ。この文脈は彼独特のもの。洋子、あなたも気がついているはず」
それを言ったのは、葵の祖母だった。
『おまえも来ているのか。身体のほうは大丈夫か?』
葵の祖母はゆっくりと歩いて、祖父のほうへと行く。そして祖父のベッドの横までたどり着くと祖父の手を両手で握り締めた。
「ええ、大丈夫ですよ。あなたともう一度話が出来るなんて夢のようです」
祖父は酸素マスクをつけているが、その口は笑っているようにみえた。もう一度話が出来るなんて夢のようだ。そう思っているのは祖母だけではない。葵もそして半信半疑の母親も、そして祖父自身もこんな日がこようとは予想してはいなかった。
その後、ハンスは祖父の心の代弁をし続けた。祖父が満足するまでたくさんの言葉を代弁し続けた。そうしているうちに葵の母親も信じるようになり、葵も含め四人はとても久しぶりに笑いあった。
『……、葵。お前は俺の気持ちが分かっているのだろう』
楽しい会話を続けていた後、しばらくの沈黙があり、その沈黙の後祖父が突然言い始めた。それは葵が最も気になっていたことである。それは祖父は死にたいと思っているかどうかと言うこと。
『今、ここではっきり言わせてもらう。俺は死にたい』
その言葉に葵も含めそこにいるハンス以外の人間は驚きの表情を浮かべた。
「どうしてそんなこと言うの?」
『もう、俺の身体は長くはない。こうしている今も激しい激痛が襲ってきている。気を抜けば気絶してしまうほどのな。最後にお前達と話が出来てもう満足したとは言わない。出来ることならばもっと生きていたい』
「だったらなんで!?」
葵は祖父の顔を見て自らの目から涙が溢れてきているのが分かった。祖父の顔が涙で遮られよく見えない。しかし葵はその涙を拭くことなく祖父の顔を見る。
『もう生きることは出来ないからだ。悲しいことだが、これが現実だ。俺の病は、もうどうしようもない。葵も理解しているだろう。もう助からないと。だから、俺が死ぬ前に話をしたいと思ったのだろう? 俺の病が治ってから話をしようとは思わなかったはずだ』
その言葉に葵は衝撃を受けた。認めたくなった。頭では理解しても心で理解できなかった。現実と自分の心。それを祖父に言い当てられた。祖父は決して心が読める能力があるわけではない。しかし、葵のことも、そして他の家族のことも全部分かっていた。そして自分自身のことも。
だからこそ、この結論に達したのだろう。自分の病のせいで病院に見舞いにきては看病疲れでやせ細っていく家族の姿を見るのがどれほど辛いことか。出来ることならば、叫びたいほどの苦しみ。この苦しみから逃れる方法はひとつしか選択肢がなかった。
葵は涙を拭う。
『涙を拭う必要はない。ただ強く生きろ。涙は強くなるための心の結晶なんだ』
その言葉に葵も葵の母親も祖母も全員が心に衝撃を受けた。
それは、祖母が辛いことがあった時、祖父がよく言ってた言葉。
それは、葵の母親がイジメられていた時、祖父が言った言葉。
そして、それは、葵が祖父から言われた言葉で最も印象に残っていた言葉。
みんな泣いた――。
涙を拭うことなくただひたすら泣いた。泣けどその涙は渇きを知らないとばかりに溢れ続けた。
ハンスはその光景を目に焼き付けると、一人静かに部屋から出て行った。今日のこの出来事はハンスにとっても葵にとっても大きく大きく心が成長したのだろう。人は弱い。たくさんの人と話、いろんな人の影響を受けて育つ。それはいくつになっても同じこと。子供は大人に学び。大人は子供に学ぶ。そうして、心の成長をはかるのだ。
人は誰もが強くありたいと願う。それは弱肉強食の自然の摂理がそうさせるのか。それとも大切な人を守るためなのか。それは分からない。ただ人は弱さを知ることで本当の強さを手に入れることが出来る。
涙は心から溢れ出た結晶なのだろう。時に悲しく溢れ、時に嬉しく溢れる。そうして人は涙の数だけ強くなっていく。ハンスにとってもまた、そんな人の心に初めて触れた初めての瞬間だった。
読んでいただきありがとうございます。次回で第二部も終了となります。よろしくお願いします。




