第十二話 決意
その部屋には様々な医療器具が置いてある。そして、命が消えようとしているのを察知するとすぐにそれを知らせ警報が鳴るようになっている。全ては一人の人間の命を延ばすため。夜になるとそこにはただ機械音だけが木霊している。
一人の老人がその機械に頼り生きている。その横に置いてある椅子には、一人の女性が座っている。それは葵だ。葵は、祖父のことを考えるといても立ってもいることが出来ず、思わず祖父の病室までやってきたのだ。そして、その部屋にある椅子に座り祖父の寝顔を見ている。葵の祖父はずっと寝たきりだ。朝も昼も夜もずっと眠っている。起きているのは一日でたった数十分程度。この間ハンスによって葵と会話したときはかなり長く起きていたため身体に負担がかかったのだろう。
「……おじいちゃん」
葵の声がポツリと木霊する。機械音に混ざってほとんどはかき消されたが、祖父の耳にはきちんと届いているのだろうか。葵はそっと祖父の手を握る。
「生きるってそんなに苦しいことなのかな」
葵の声は震えている。祖父の手を握っている葵の手に雫がポタリと落ちる。
「おじいちゃんは生きてるの? それとも生かされてるの?」
葵は祖父の手に頭をつけるようにうずくまった。
それは、泣いている自分を隠すためだろうか。祖父の気持ちを知っていてもそれを隠そうと必死に足掻いてきた。祖父が死ぬという現実を認めたくない、信じたくない自分の心の弱さを隠すためだろうか。葵の心は誰よりも強く奇跡が起きることを願っているだろう。
もし、祖父の病気が直ればどれだけうれしいだろう。一緒にどこかへいこうか。祖父も葵も動物が好きだ。だから葵がまだ幼かった時二人でよく動物園へと言った。そこにはたくさんの動物がいて、みんな活発に生きている。葵と一緒にいた祖父はそんな葵によく言っていた言葉がある。
『動物の寿命は人間よりもずっと短い。だから、みんな必死に今を生きようとしているんだ』
それは、葵に今を後悔することなく生きなさいという祖父の葵に対する言葉だったのだろう。葵は幼いながらも祖父のその言葉の意味を必死に理解しようとした。祖父のその言葉は、しっかり葵に届いているはずだ。だから、葵は命に対してすごく敏感だ。祖父がよく葵を動物園につれて来ていたのも動物達の生きる姿を葵の目に焼き付けたかったからではないだろうか。
いつも優しかった祖父が一度だけ葵に本気で怒ったことがあった。
あれはいつだったろうか。まだ葵が幼く、命に対して大した感情も抱いてはいなかった時。葵は、カエルを殺してしまったことがあった。それは不意に驚いたがための行動だったのだろう。突然飛びついてきたカエルを葵は思わず手で払いのけ、地面に叩きつけられたカエルが起き上がろうとしたその時、葵はその足でカエルを踏み潰したのだ。
それを知った祖父は葵に本気で怒った。
祖父に怒られ初めて葵は自分がやったことの大きさを知り、初めて後悔と悲しみに襲われた。失った命はもう二度と帰ってはこない。だから、今を必死に生きるんだ。生きることをあきらめてはいけない。あきらめるのは死ぬ時だ。祖父がよく言っていた言葉に葵は、心のより所を見出していた。そして、その言葉を信じて葵はずっと生きてきた。
だが、祖父は今『死』を望んでいる。生きることをあきらめ死に向かおうとしている。だからこそ、葵には理解できなかった。いままで信じてきた言葉がその本人によって覆されたことを。
気がつくと、いつのまにか朝になっていた。葵は祖父のいる病室で眠ってしまっていたようだ。祖父が生きていることを示す機械音は相変わらずまるでリズムでも刻んでいるかのように一定の速度で流れている。葵は顔を上げ、祖父の顔を見る。祖父は今は安らかに眠っている。しかし、近いうちに必ず祖父の顔は必ず苦痛に歪むことになる。
――今の状態が続く限り。
葵は立ち上がると、祖父のいる病室から出て行った。そして、一直線にあの場所へと向かった。ハンスと会えるあのベンチへと。
だが、葵がそこへたどり着く前に葵はハンスの姿を見つけた。ハンスは逃げも隠れもせず平然といつもの無表情の表情で葵の前に立っていた。葵はハンスの眼を見る。
「心は……決まったのか?」
「一つお願いがあるの」
「なんだ?」
「祖父の……おじいちゃんのほんとうの心が知りたい。お願い。もう一度、おじいちゃんと話をさせて。今度は私の家族も一緒に」
ハンスもまた、葵の眼を見ている。そして、心が読めないまでも葵の目からその決意の高さを感じ取っていた。ハンスは一度目をつむり、しばらく沈黙した。そして再び目を開けると葵に言った。
「分かった」
ハンスの目もまた真剣だった。
葵もハンスも分かっていた。大勢の人前にハンスが姿を現すということはどういうことなのかを。ハンスは世界的大犯罪者。世界中で大犯罪を犯し、指名手配されている。誰もがハンスに対して恐怖している世の中。そんな時代にハンスがなにも知らない一般人の前に現れればパニックになるのは必須。そして、また前のような事件へと発展する可能性も出てくる。
葵の母親はこうしてたびたびハンスと葵が会っているのは知らないし、ましてや一度偶然会ったいや、目撃したという状況からハンスとの関わりは一切ないと思っている。
葵の母親もまた一人娘を心配する親。葵とハンスが関わり合っていることを知ったら葵の母親はどう思うだろう。そういうさまざまな不安を胸に、葵は祖父の本当の気持ちを知るために家族に連絡した。
読んで頂きありがとうございます。
この作品をここまで読んでいただけるなんて、感動です。最後までお付き合いいただけると幸いです。




