第十四話 空
葵は、今日病院から退院する。事故での怪我もほとんど治り、祖父のこともありいろいろしなくてはならないことがあるからだ。葵は自分がいた大人数の病室の人達に挨拶をすると、部屋を出て、エレベーターに乗り、病院の外、つまり中庭へと出た。そこには、葵の母親が待っていた。
「ちゃんと、あいさつしてきた?」
「うん」
葵は笑顔で頷く。母親の問いに答えると葵はいつもハンスと会っていたベンチへと目をやった。今日もあのベンチには誰も座っていない。あそこはあまり人が近寄らないのだろうか。だからこそハンスと会うには丁度良い場所だったのかも知れない。
「お母さん、ちょっと先に行ってて」
葵は、母親にそう言うとベンチのほうに歩いていった。そしてベンチにたどり着くとベンチに腰を降ろし、目を瞑る。さわやかな風が髪を靡かせる。日当たりの良い木陰が心地よい。気を抜くと眠ってしまいそうな陽気。無心になって自然に身を任せる。
「なにやってんだ?」
その声に葵は目を開ける。その瞳には、木の葉の間で見え隠れするハンスの姿を捕らえていた。
「やっと、会えた」
あの日、祖父のことがあった二日後、祖父は死んだ。安楽死ではないが、痛みを少なくするための注射を打っていたため祖父の顔はとても幸せそうに安らかだった。そしてそれから数日。葵の退院の今日までハンスとは会ってはいなかった。
「ずっと聞きたかったんだけど、なんでおじいちゃんと話をさせてくれたの?」
「……同じだったから」
「同じ?」
「お前の祖父も俺と同じように死にたいと願っていたから。理由は違えど同じ気持ちを抱いている人間に共感を得た」
葵は、ハンスの言葉に前にハンスが言っていたことを思い出した。ハンスの目的は死ぬこと。この世界の全てを破壊する。そんなことをハンスは本気でやろうとしている。そのために世界中を犯罪の渦で巻き込んで恐怖の耐えない世界を創り上げている。
――でもハンスのやろうとしている目的は一般にいう狂気ではない。
葵は感じていた。ハンスは確かに凶悪犯罪を犯し、世界的大犯罪者だ。だが、ハンスは異常殺人鬼でもなければ狂気に身を纏っているわけでもない。ハンスそのものに噂ほどの脅威は感じないし、それどころかハンスを包む空間は穏やかそのもの。今こうしているこの時間、この空間はなんて平和なんだろうか。本気でそう思ってしまうほどにハンスの目的と雰囲気は一致していない。
だが、葵はほんの少しだけ気がついていた。
なぜハンスに脅威を感じないのか。それはハンスの心があまりにも――。
葵がハンスの心を本当に理解するためにはどうしてもハンスに聞きたいことがあった。ハンスが葵に興味を持ち知りたいと思ったように、葵もハンスを知りたいと願っている。そして、その心を理解しようと葵はハンスに問う。
「ハンス、いえ翔。あたしにはいまだにあなたの目的の真相が理解できない。あなたの過去には一体なにがあったの? なにがあなたをそこまで駆り立てるの?」
葵の言葉を聞いたハンスは一瞬悲しそうな目をした。
「……お前が知る必要はない」
「あなただったらそう言うと思った」
葵はベンチから立ち上がるとゆっくり歩き出しベンチから離れていく。
「また会えるよね?」
ハンスは葵の問いになにも答えない。葵はハンスのほうを向く。
「あなたの過去、気が向いたらその時は教えてね」
葵は笑顔でそう言うと、母親の待つ病院の入り口へと急いで向かった。ハンスは葵の姿が見えなくなるまでその後姿を目で追っていた。
ここ最近は、とても陽気がいい。今日もまた、青く澄み切った空が晴天をかざしている。
こんな日は、木陰で休むのも、またいい――。
読んでいただきありがとうございます。これにて第二部は終了です。次回より最終の第三部を掲載していきます。最後までぜひよろしくお願いします。




