第1章閑話②「健矢も結愛も......?」
関西人の持つ特徴的な文化的価値観。その最たるものといえば、いつの時代も「いかに安く、いい買い物をしたか」を競い合う、俗に言う「安く買った奴がエラい説」も、その代表選手である。
その血筋は、AIによる完全管理とドーム都市化が進んだ現代の西陣においても、人々の骨の髄までしっかりと染み付いていた。
健矢が一人で東洞院六角の『GIRO中嶋』へ赴き、生き生きとした表情で仕入れてきた「アールコルセ」のホイール。その実物を確認してみると、決して最新の超高級品や贅沢を極めたハイエンドモデルというわけではなかった。
結愛が朝の回復走から元気に帰還し、相も変わらず開店休業状態で静まり返ったピットの中で昼のまかないを平らげた後の、のんびりとしたひと時のことだった。
「マスター、今のあなたなら、それこそクレジットの枠内で百万円以上の高級パーツをポンと全額一括で投入しても、何ら懐事情に響かないはずですが……。なぜわざわざ、こういった新古の割引品や型落ち品を選ばれたのですか?」
物理端末を稼働させながら店内に配置された小物に付着した埃をウェスで拭っている管理AIシオンが呆れるかのようなトーンで、ピタリと言い当てて問い詰めた。
「しかも、購入データを詳細に参照したところ、ご執心だったはずのこの『Vinsere』のレース・プロに至っても、しっかりと在庫処分品の特価シールが貼られていた価格ですね……」
シオンの鋭い指摘を横から受けて、カフェのカウンターでドリッパーを拭いていたイズミも、呆れたような、しかしどこか納得したような表情でフォローを入れる。
さらに、店内の特等席で丸くなっていた看板猫のクロまでもが、心なししか呆れ顔気味に健矢の方をチラリと一瞥し、やれやれとばかりに大きな欠伸を一つかました。
「ほ、ほら……! その、使われないまま倉庫の片隅で誰にも顧みられずに処分されていくパーツたちの気持ちを考えてみろ。あれだ.....せ、切ないと思わないか……? それに、ビアンコと言えば足元はやっぱり同じイタリアンブランドのアールコルセで固めるのが至高のロマンだろ?」
火を見るより明らかに
しどろもどろになりながら
健矢は額の汗を拭い去りつつ
必死になって苦しい言い訳を並べ立てた。
「やはり、私も一緒についていくべきでしたか……。ちょっと目を離した隙にマスターのこういう病的な悪癖が発動するから、毎回こうなるのです。月末になる度に『もっと使えばよかった~』って言いながら悶えるマスターを何度見てきたことか......」
シオンが「まったく……」とでも言いたげに、怪訝な表情を浮かべながらジト目を向ける。
「ハハッ、悪癖だって? いったい何の話だか......」
「悪癖ですよ、マスター」
シオンは淡々と、しかし容赦なく主人の急所を突いていく。白々しい態度をとる健矢の苦し紛れそのものと言えるメッキは塗布した瞬間に剥がされている。
「マスターは現在、潤沢な余剰クレジットを大量に抱えていらっしゃる。にもかかわらず、その『金が無限に湧き出す』という、かつての貧乏時代からはあまりにもかけ離れ過ぎた現実の重みから目を背け、無意識に逃れようとしているのです。
だからこそ、『使用目標金額100万円越えの可視化』などの施策を実行していながら、日々の生活やパーツ調達において、ありとあらゆる付け焼刃じみた『安物買いの工夫』や『セールの美学』という名の悲しい努力を無意識に積み上げてしまう……」
「やかましいわッ! 悲しいだの付け焼刃だの、勝手なプロファイリングを........ペラペラ喋るのいい加減にしろや!」
図星を突かれたのか、健矢はガチャンと作業用のレンチを床に置き、声を荒らげて反論した。
「それに……あのOL RACEに組み合わされているホイールとタイヤのように、せっかくの掘り出し物を『お得に手に入れた』という快感だけで、本来の機材選定における大局的な合理性を自分で無にしてしまうようなお買い物の仕方が、見事すぎるくらいに証明していますが......」
「ぐっ……!」
言葉を失い、顔を真っ赤にして絶句する健矢。その様子を見て、シオンの論理的かつ容赦ない追撃に店内の空気がピリリと引き締まった。
だが、その冷ややかな空気の中、それまで傍観者としてお茶を啜っていた結愛が、突然、コクコクと激しく何度も首を縦に振り始めたのである。
「お、おい……お前ら.......さっきから好き放題に俺のことを欠陥人間みたいに馬鹿にしやがって……! こちとら、人生の半分以上の三十年以上も過酷な貧乏暮らしの底を這いずり回ってきた人間だぞ!?
しかも、人間がそのへんを当たり前に歩き回っていたつい数年前までの世の中じゃ、『定価で物を買う奴は情弱、安く賢く買った奴こそが真のエライ奴』っていう鉄の常識の中で生きてきたんだ!
長い年月をかけて培われた染み付いた感覚が、1年いくか怪しい......いきなり到来してきた富豪生活ごときでそう簡単に抜け落ちるかよ――っ!」
健矢が半ば逆ギレ気味にまくし立てたその瞬間、先ほどまでシオンの鋭いツッコミに「さすが師匠……いや、やっぱり変だな」という目で見ていたはずの結愛が、なぜか急に真剣な眼差しになり、力強く言葉を継いだのだった。
「――それ……めちゃくちゃわかります、健矢さん」
「な、何ッ……!? お前もか、結愛……?」
予想外すぎる弟子の同意に、健矢は思わず目を丸くして固まった。
「はいっ! 私も学生時代や会社員時代、ネットのフリマアプリとか街のディスカウント店なんかで......
一見すると地味だけど、よく探せば機能的で使い勝手も良くて......しかも発色や肌の保護性能がバツグンに高いコスメやスキンケア用の化粧水なんかを見つけて安く買い叩くことに成功したりすると、もう嬉しくなって........
つい職場の同僚や仲のいいクラスメート相手に『これ、めっちゃ安かったのにクオリティやばくない!?』って自慢しちゃってましたもん!」
「だよなァ――っ!! わ.....分かってるじゃねぇか結愛! そういや昔、年度末セール品コーナーで偶然見つけて35%OFFで買ったあのイタリアンデニムだって、履くたびにお値段以上の満足感が心の底から湧き出してきて、履くたびに最高の気分が味わえたもんだぞ!」
お互いにビビッと電撃が走ったかのように、世代を超えた「関西のお得ハンター」としての魂の共鳴が、ピットの真ん中でガッチリと手を取り合ってしまった。
安く、賢く。
納得のいく逸品を掘り当てた時のあの得も言われぬドヤ顔と幸福感。その素晴らしさを熱っぽく語り合う師弟の姿を、店の端っこからクロと一緒に眺めながら、シオンは慇懃無礼さを隠さない呆れ顔を表出させる。
「……マスター。念のため現在のシステムログおよび信用情報を参照してみますと、そのコレクションルームから移設したOL RACEにしても、型落ちのフレームである上に、当時の中古セール価格からさらに二重割引きが適用された極めて曰く付きの叩き売り品ですが……」
シオンが冷ややかなデータと皮肉を混ぜ込んで指摘を飛ばすものの、いまや「同じ境遇の理解者(同士)」という強力な絆で結ばれてしまった健矢と結愛の耳には、そんな客観的な警告や正論など一切届いていないらしい。
「そうなんだよシオン! お前は分かってない! 馬鹿正直に定価や正規の高級価格で高級品を購入するなんてのは、どこか頭の悪い人間がやる無駄遣いみたいに思えてきて、どうにも背中がムズムズするんだよな!」
「そうそう! 友人や同僚たちから『えっ、それどこで買ったの!? そんなに安いのにおしゃれで凄いじゃん!』って驚かれて、ちょっと一目置かれるあの謎の全能感と快感は、一度味わうとマジで癖になりますよね!」
AIによる全自動管理社会が到来し、物質的な困窮など本来はとうの昔に過去の遺物となったはずの西陣の片隅で、関西人の血に深く刻み込まれた「買い物術における徹底を極めたコスパ追求という正義や美学」を熱弁し合う師弟。
この二人が、その根深い「お買い得ハンター気質」を完全に卒業し、リッチな富豪らしい優雅な定価買いの境地にたどり着く日は――どうやら、まだまだ遥か遠い未来の話になりそうであった。




