第四話 挨拶の折に
「しばらく会えなかったが、二人とも元気そうで何よりだ」
「お義父様、お義母様、お久しぶりでございます」
アルーラがそう言ってカーテシーをしながら柔らかく微笑みかけた先にいたのは、フィデルの両親であり、ルース侯爵家の現当主ロキと、その妻イネスであった。
普段は領地経営のためルース領に留まることの多い当主夫妻も、ヴェルナディア祝祭に始まる社交シーズンには王都へと姿を見せる。
とはいっても、新婚であるフィデルたちに気を遣い、王都本邸ではなく少し離れた別邸に滞在している為、現当主夫妻とまともに顔を合わせるのは婚姻式以来のことであった。
その場で軽い挨拶を交わした後、少し会場の端へと移動してお互いの近況などを報告し合う。
フィデルとロキが話している間、イネスはアルーラの身に纏っている濃紺のドレスをまじまじと見つめ、すぐに何かに気づくと驚きを隠すように扇で口元を隠した。
「アルーラさんのそのドレス……ルース領のエラシルクを使っているのね? とても珍しい色味……深い濃紺にエラシルクの光沢が美しく映えて、とても素敵だわ。わたくしもその色で一着仕立ててみようかしら」
「さすがお義母様ですわ。エラシルクの染色をオルティス伯爵領の染色工に依頼してみたのですが、夜空のように深い濃紺を乗せるには、実に最適な生地でしたの。これまでは染料の扱いの難しさから、この色をムラなく染め上げるのは困難とされておりましたのよ。お義母様にも、後ほどこの色のほかにいくつか生地をお贈りいたしますから、ぜひお仕立てになってくださいませ」
ドレスを仕立てるにあたり、アルーラはルース領の特産であるエラシルクに目を付けた。
いつまでも家内の務めを任されないことに、どこか肩身の狭さを感じていた彼女は、この機会を活かすことにしたのだ。
ルース領のエラシルクをオルティス伯爵家の染料で染め上げる――それにより両家の結びつきをさりげなく示し、ひとつの懸け橋とする。
フィデル自身には思うところも多々あったが、ルース侯爵家の者たちには日頃からよくしてもらっている手前、何もしないという選択はなかった。
ゆえにアルーラは、ドレスを仕立てるという行為の中に、積み重ねてきた知識と教養を織り込むことにした。
そう、あくまでフィデルのためではなく、両家の安寧のために。
「まぁ、ありがとう。オルティス伯爵領は染色でも有名だもの、楽しみにしているわ。……それにしても、アルーラさん。あなたが自らドレスを注文したの? フィデルに贈られたのではなくて?」
勘の良いイネスは、アルーラの言葉の端を的確に捉え、ドレスについて問い返した。
アルーラはその訝しむような問いに、口元を扇で隠しながら、わずかに呆れを滲ませて小さく息をつく。
「どうやら、ドレスは着る者が選んだ方が良いと、親しくしていらっしゃるどなたかから助言を受けたようですわ。わたくしといたしましては、エラシルクの新たな可能性を見出すことができたのですから、構いませんけれど……世間一般では、そうもいきませんわよね」
アルーラのその言葉に、イネスはぱちりと音を立てて扇を閉じると、その先を口元に当てながらフィデルを鋭く睨んだ。
あまりの眼力に、よからぬ気配に敏感なフィデルはびくりと肩を揺らし、場には言いようのない緊張が漂う。
「――フィデル。あなたには、もう一度“貴族とは何たるか”を教え込む必要がありそうね」
「イネス。そんなに怒っては、君の輝くような美しさも陰ってしまうよ? ……しかし、さすがに妻に特別な日のドレスを贈らない夫というのはいかがなものかな、フィデル」
怒りを隠そうともしないイネスの傍らで、苦笑を浮かべつつ機嫌を取ろうとするロキにまでそう言われれば、さすがのフィデルも事態の重さを悟らざるを得ない。
貴族として身につけた教養は、騎士学校で男ばかりの生活に埋もれるうちに薄れ、近衛となってからは王族を中心とした礼節ばかりを学んできた。
そのため、しばらく結婚する気の無かったフィデルが、降って湧いたような政略結婚に柔軟な対応などできるはずもなく、婚姻相手への相応の振る舞いなど、すっかり抜け落ちてしまっていたのだ。
もっとも、それは言い訳にもならない。今さらそんなことを口にすれば、火に油を注ぐだけだと理解したフィデルは、困ったように眉を下げ、素直にアルーラへと謝罪した。
「ドレスのことは、すまなかった。次はきちんと……贈らせてくれないか」
「……今度は、誰かの助言に惑わされぬよう、ご自身でしっかりとお調べになることをおすすめいたしますわ」
「ああ、約束する。君に似合うドレスを、必ず贈ろう」
アルーラの態度がわずかに和らいだのを感じ取ったのか、フィデルは安堵の息を漏らし、口元を緩めた。
こうして向き合えば、穏やかで紳士的な一面を確かに感じる。それなのに、目を合わせないことや屋敷へ帰らないことといい、ミラとの噂といい、どうにも彼にはちぐはぐな印象が拭えない。
いったい、どれが彼の本当の姿なのだろう。
親しい間柄と呼べるほど傍にいるわけでもないアルーラには、フィデルという人物が未だ掴みきれずにいた。
「さあ、話もついたことだし、サイラス陛下にご挨拶へ向かおうか」
ロキに促されるようにして、ルース侯爵家の一行は王族の待つ一画へと足を運んだ。
飲み干して空になったグラスを使用人に預け、人波を避けながら目的の場所へと進む。そこには、王族が寛げるよう整えられた一画が設けられ、王であるサイラスと王妃、そして子らが軽食を取りながら、穏やかなひとときを過ごしていた。
アルーラたちが近づくと、彼らは静かに視線を向け、臣下の言葉を待つ。
「ルース侯爵家当主、ロキにございます。祝祭の折、陛下の御前にてご挨拶申し上げる機会を賜り、深く感謝申し上げます。この佳き日が、王国にさらなる実りをもたらしますように」
ロキの口上に合わせ、ルース侯爵家の一同は揃って深く一礼する。
サイラスは彼らに面を上げさせ、穏やかな笑みを湛えながら小さく頷いた。
「ロキ、そしてルース侯爵家の者たちよ。祝祭の折に顔を見せてくれたこと、国を治める者として嬉しく思う。今宵は肩の力を抜き、存分に楽しむがよい。……イネスも、久しいな」
「ふふ、サイラスお兄様も、ご壮健で何よりですわ」
名を呼ばれたイネスは、臣下としてではなく、かつて王族であった者として、そして兄を慕う妹の顔をのぞかせながら応じる。
二人は仲の良い兄妹として知られていた。イネスが大恋愛の末にルース侯爵家へと嫁ぐことになった際には、サイラスが大いに難色を示したという話が、今なお語り草になっているほどである。
もとよりロキは、幼い頃からサイラスの友人であり、互いに勉学に剣術にと切磋琢磨する良きライバルでもあった。
その友でありライバルが、最愛の妹をさらっていったのだから――当時のサイラスの胸中は、いかばかりか複雑なものであっただろう。
「フェリーチェお義姉様も、お変わりなく。お兄様の我儘に振り回されてはいない? 思い立ったらすぐに動きたがる性分ですもの、押し留めるのも大変でしょう」
イネスがそう言ってサイラスへと視線を向けると、彼は先ほどまでの威厳をどこへやら、居心地悪そうに目を逸らした。
夫であるサイラスの様子を側で見ていたフェリーチェが、二人のやりとりを微笑ましく見ながらも小さく頷く。
「ええ。最近はずいぶんと落ち着かれて、急に思い立ったように視察へ赴かれることもなく、きちんと執務室でお仕事に向き合っていらっしゃいますわ」
「それなら安心だわ。気分転換と称して仕事を放り出し、外へ飛び出すのは、もうおやめになったのね」
若かりし頃の悪癖を蒸し返され、サイラスは何とも言えない表情を浮かべると、小さく息をついた。
「いつの話をしているのだ、まったく……。それにしても、フィデルの婚姻式に顔を出せず、すまなかったな。何せ急な話で、予定が調整できなかったのだ」
これ以上話を蒸し返されたくないのか、サイラスはさりげなく話題を変え、先ほどから会話を聞いていたフィデルへと視線を向けた。
不意に話を振られたフィデルは、騎士の礼を取りながら、静かに首を横に振る。
「いいえ、身内だけのささやかなものでございましたから。お祝いの品々を、ありがとうございました」
「ああ、二人の新たな門出にふさわしいものをと思ってな」
婚姻式――初めてフィデルと顔を合わせたあの日、アルーラはただ、自身が婚姻するという実感もないまま誓いの場に立っていた。
今こうして思い返してみても、さしたる思い出もない式の記憶に、取り繕っていた表情が崩れそうになるのを、アルーラはかろうじて堪える。
ただひとつ、ウェディングベールを上げたときに見せた、フィデルの驚いた表情だけが、妙に印象に残っていた。
和やかな空気のまま会話が続く中、サイラスの傍らに静かに座していたミラが、ふと思い立ったように立ち上がる。
そして、そのままフィデルのもとへ歩み寄ると、ためらいもなく彼の腕に自らの腕を絡ませた。
彼女はアルーラへと向き直り、無邪気な――けれどどこか底の読めない笑みを向ける。
「わたくし、フィデルお兄様に一曲お相手願いたいのですけれど、よろしいかしら? 従兄妹ですもの、問題はありませんわよね?」
王族特有の、紅玉のように深い赤を湛えた瞳が、まっすぐにアルーラを捉える。
その輝きには、どこか挑むような意思が滲んでいた。




