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今日も、貴方を飾る花になる  作者:


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3/10

第三話 ヴェルナディア祝祭の夜会にて

 それから王城までの道のりは、フィデルにとって地獄のような時間だったのだろうが、アルーラには関係のないことだ。


 無言のまま到着した王城の門前では、厳重な警備のもと、ずらりと並んだ馬車が一台ずつ検められ、順に通されていく。

 ヴェルナディア祝祭には他国の要人も数多く出席するため、兵士の数も通常より増やされている。

 城に常駐する騎士たちもまた、王城の至る所に配備され、特別な夜に水を差す不届き者を通すまいと、鋭く目を光らせていた。


 本来であれば、フィデルはそれらを指揮する立場にあるはずだが、今回は次期当主としての務めを優先させたらしい。


 現当主である彼の父も、この会場のどこかにいるはずだ。

 この夜会を通じてフィデルとアルーラの顔を広め、次代の当主夫妻として周囲に印象付けるつもりなのだろう。


 王城の門をくぐり、外郭から内郭へと進むと、美しく整えられた広大な庭園が広がる。

 その中を抜けた先に、会場である王城が姿を現した。


 王族の住まう白亜の城は、外観こそ滑らかで光沢のある特殊な結界石で作られた優美な造りだが、城内は柱や縁に金の縁取りや繊細な彫刻が施され、天井や壁には目を惹くような絵画が大胆に描かれており、荘厳でありながらも華美すぎない洗練された内装は、何度目にしても見飽きることなく美しい。


 アルーラは、馬車を降りた瞬間からルース侯爵家の若夫人として意識を切り替えた。

 飾りの妻を演じるための仮面を被るように、最も美しく見える自分を演出する。


 フィデルに手を引かれ、淑やかな微笑を浮かべながら、凛とした足取りで進む。

 そして大広間へと至り――静かに、その場へ足を踏み入れた。


 扉の向こうでは、すでに多くの貴人たちが思い思いに歓談し、緩やかな音楽とともに新しい季節の訪れを楽しんでいる。

 アルーラとフィデルが大広間に足を踏み入れた瞬間、周囲の視線は自然と麗しい二人へと集まった。


「ルース侯爵家の若夫人だわ。いつ見ても、“精霊華の君”の名に相応しい嫋やかな美しさをお持ちね」


「わたくし、あの型のドレスをあれほど品よく着こなす自信などありませんわ……」


「侯爵子息も、随分と振る舞いに重みが出てきたな。誰もが羨む“精霊華の君”を娶ったことで、次期当主としての自覚が芽生えたのか」


 アルーラたちが歩を進めるたび、あらゆる賛辞が耳に届く。


 どこまでも品よく洗練された所作で周囲を魅了し、最も美しく見える微笑を湛えながら、彼女はフィデルとともに、ためらいなく人の波へと踏み入っていった。


 するりと自然に人々の輪へ溶け込み、貴人たちと歓談するフィデルの傍らで、飾りの妻としての役割を滞りなく果たす。

 時折話を向けられては卒なく応じつつ、王族の訪れを静かに待った。


 婦人たちとドレスの話題に花を咲かせる中、ルース領のエラシルクについて説明していると――その傍らで、フィデルがほんの一瞬、驚いたような表情を見せた。


 まさか、このドレスにルース領の品が用いられているとは思っていなかったのだろう。


 婦人たちが夜会のたびにドレスを新調する理由、それが自領の特産品を示すためのものだということも、彼には理解できていないらしい。


 それは、決して個人の欲を満たす贅沢のためではない。

 アクセサリーやドレス一つを取っても、それは社交に必要な一片に過ぎないのである。


 そして、それを知っているからこそ、男性は女性にドレスを贈る。

 それは、嫁いできてくれたことへの感謝であり、自領をともに盛り立てようという、夫からの意思表示にほかならない。


 高位貴族でありながら、その伝統とも言える慣習をフィデルが知らないはずがないと思っていたが、この様子では本当に知らなかったのだろう。


 現侯爵夫妻はいったい彼にどのような教育を施したのか――アルーラは心の中で、ひっそりとため息をついた。


 しばらくすると、大広間に王族の訪れを告げる声が響き、会場のざわめきがゆるやかに静まっていく。

 吹き抜けの大広間、その二階から王族たちが姿を現すと、人々は一斉に拍手をもって迎えた。


 この国の王であるサイラス・オルエ・シルヴァーノ陛下が、貴族たちを見下ろしながら静かに手を上げる。

 拍手はすっと収まり、皆が深く礼をして、その言葉を待った。


「皆、顔を上げよ」


 サイラスはそう告げると、大広間をゆっくりと見渡した。

 新しい季節をともに祝う者たちの顔ぶれを確かめるように視線を巡らせ、小さく頷く。


「今年もまた、荒れ狂う豪雪を越え、このシルヴァーノ王国に新たな芽が芽吹き始めた」


 そう言いながら従者からグラスを受け取ると、会場の人々にもまた、春の訪れを思わせる薄桃色のワインが配られていく。


「長き歴史の中で、シルヴァーノの民が耐え忍んできた厳しい寒さは、神の試練とも呼ばれ、常に多くの犠牲と隣り合わせであった。だが時とともに国は発展し、寒さを越えるための様々な技術や道具が広まり、冷たい夜をただ冷たいままで終わらせるようなことはなくなった。それは、シルヴァーノの民が強く、賢く、そしてどの国よりも温かな心を持つ者たちであるからだと、私は信じている」


 サイラスはよく通る声でそう語りかけながら、ゆるやかにグラスを掲げた。


「さあ、神の試練を乗り越えた同志たちよ。春の女神ヴェルナディアに祈りを捧げ、ともに新たな季節を祝おうではないか!」


 サイラスがそう言い終えると、掲げたグラスを反対の指で軽く弾いた。

 澄みきった音色が静かに広がる。


 それに応じるように、居並ぶ貴族たちもまた一斉にグラスを掲げ、同じように指で弾いた。

 シルヴァーノ王国で作られた精緻な細工のグラスが、幾重にも重なり合うように音を響かせる。


 その清らかな調べは、春の女神ヴェルナディアに捧げられ――かくして、夜会は神への祈りとともに盛大に幕を開けた。


 やがて楽団の一人が弦をひと撫ですると、それを合図に滑らかなピアノの音色が重なり、華麗な旋律を奏で始めた。

 それに呼応するように、王族たちが大広間の一階へと降り、優雅なダンスを披露する。


 やがてそのダンスが終わると、今度は爵位の高い者から順に輪へと加わり、大広間は一気に煌びやかな舞踏の場へと変わっていった。


 広々としていた空間には、大輪のドレスという花々が咲き誇り、流麗な音楽に合わせてふわりと揺れるその光景は、まさに春の訪れを思わせる。


 アルーラたちもまた、軽やかな足取りでその中へと入り、まるで愛し合う夫婦のように寄り添いながら、身を音楽へと委ねた。


「旦那様、少々腰が引けておりましてよ」


「……すまない」


 アルーラの囁きに応じるように、フィデルは彼女の手を引き、そっと距離を詰める。

 その親しげな様子は周囲の視線を集め、舞踏の輪の中で仲睦まじい若夫婦を祝福する声がささやかに広がった。


 吐息が触れ合うほどの距離で、アルーラはフィデルの瞳を見つめる。

 まるで愛しい人を前に、最高の幸福に包まれているかのような微笑みを浮かべて。


 流れゆく音楽に身を預け、光水晶のシャンデリアの灯りに煌めいたアルーラの瞳が、金を宿したフィデルの瞳と交わった瞬間――彼はいつもとは違う、まるで灼けつくような熱さを宿す眼差しを向けた。

 それが何を意味するのかをアルーラが考える間もなく、フィデルはすぐに不自然にならぬ程度に視線を逸らし、アルーラの腰に添えていた腕に力を込めて、ぐっと彼女を引き寄せる。


 大きく体勢を崩すほどではないものの、足元がわずかに乱れ、ステップが狂いかける。

 アルーラはわずかに眉を寄せ、フィデルを睨んだ。

 すると彼は、ほんのわずかに口元を緩めながらアルーラを見下ろしていた。


 ――初めて見る、フィデルの笑顔。


 いつもの無表情でも、叱られたときに見せる気まずげな顔でもない。

 無邪気で、それでいてどこか穏やかなその笑みに虚を突かれ、アルーラは思わず息を飲んだ。

 そして、そのまま流れるようにターンを決め、場の中央で一礼し、曲の終わりを優美に飾る。


「やぁやぁ、素晴らしいダンスだったよ。さすが我がルース侯爵家自慢の若夫婦だ」


 舞踏の場を離れ、使用人からワイングラスを受け取ったところで、一組の夫婦が近づいてきた。

 拍手を送りながらやや大げさに称賛した男は、アルーラの手を取り、恭しく額を寄せる。フィデルとよく似た容貌に、晴れやかな笑みを浮かべていた。


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