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ヴェルナディア祝祭 五日目 別邸

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第二十四話 弱い私、守りたいと願う貴方

 穏やかな日差しがゆっくりと傾き、空が美しい橙色に染まり始めた頃、フィデルとアルーラは別邸の正面玄関前で、ロキたちに見送られながら馬車の前に立っていた。

 晩餐に誘われたものの、明日の狩猟会に向けた準備があるため、二人の厚意を丁重に辞退し、本邸へと戻ることにしたのだ。


「じゃあ、また明日、狩猟会の会場でね」


 イネスが淡く微笑みながらそう言うと、アルーラを軽く抱きしめる。

 元王族らしからぬ気さくな振る舞いに、家族の一員として認められているのだと改めて感じ、アルーラは言葉にできないようなくすぐったさを覚えた。


「明日の狩猟会は、久々の行事ともあって展開に予想がつかない。私とフィデルが狩りに出ている間は、アルーラとイネスの傍に護衛をつけるが、万が一ということもある。当日は十分に気をつけるように。それに、少し……気にかかることもある」


 ロキが神妙な面持ちのまま、アルーラを見てそう言った。

 その真剣な表情から、気にかかることがアルーラに関係しているのだと察し、横からフィデルが一体どういうことかと問いかける。


「気にかかること、とは?」


「レイナード殿下のことだよ。彼は狩猟会へは参加しないらしい。アーネスト殿下とは違って、体を使うのが得意な方ではないからね。狩猟会では婦人たちをもてなす側へと回るそうだ」


 レイナードと言えば、祝祭初日にアルーラへ向けられた、熱を帯びた視線を思い出す。

 アルーラを女神ヴェルナディアに例えながら、執着の滲んだ瞳を隠そうともしなかった彼が、明日はアルーラの近くにいることになる。

 今まで、ほとんど公式の催し以外では面識のなかった人物ではあるが、夫であるフィデルを前にしても引かなかったことからすれば、フィデルが傍にいない明日など、アルーラに近づく絶好の機会だろう。

 周囲には見物に回った多くの貴族たちがいるはずだからこそ、滅多なことにはならないだろうが、ロキには何か思うところがあるのか、決して気を抜かないようアルーラへ忠告した。


「祝祭の初日に見たやりとりで、アルーラに対して並々ならぬ感情を抱いている様子があったからね。……彼が芸術に傾倒していることは知っていると思うが、彼は特に大教会に描かれている女神ヴェルナディアの天井画にご執心なのだよ。それこそ、時間があれば教会へと通うほどにね。時間が許す限り、教会の長椅子に座って天井画を観覧しているそうだよ」


「それは……」


 春の女神ヴェルナディアは、春を呼び、豊穣を齎す神として教会で祀られている。

 波打つ金髪に美しいラヴァンダの瞳を持つ女神としても広く知られており、その容貌は王都の大教会の天井画を飾るに相応しい美麗さで描かれていた。

 レイナードは、その女神と同じ色を持つアルーラに、女神自身を重ねて見ているような節があるという。

 ロキからその話を聞いたアルーラは、遠くへ視線を彷徨わせながらも、小さく息を吐いた。


 昔から、女神の色を纏う者として、教会関係者から何度も声をかけられていたことを思い出した。

 女神を思わせる端麗さを持ち合わせていたこともあり、教会としては良い御輿になるかもしれないという思惑があったのだろうが、そんなことを母が許すはずもない。

 彼らをどう説得したのかはわからないが、ある時からぱったりと勧誘がなくなったことで、そのような出来事はすっかり忘れてしまっていた。


 アルーラの持つ薄紫の瞳は、不思議なことにオルティス伯爵家にしか現れない特徴であり、他の者にはない特徴の一つだ。

 精霊に愛された一族として名高い美しさを持つオルティス伯爵家の中でも、この色を持つ者は稀有であり、現在はアルーラだけである。

 かつて初代当主も同じ色を宿していたとされており、先祖返りのようなものであることは母からも説明を受けているが、この瞳は昔から厄介な者を引き寄せる性質があった。

 まさに、熱心な教会関係者や、珍しさからアルーラの身を欲する者、レイナードのような粘ついた妄執に溢れた者まで、厄介事に関してはよりどりみどりである。


「レイナード殿下は少々危うさが目立つ。自身も芸術家として身を立て、その経験を活かして芸術に励む者たちを支援していることは評価されるべきことだが、王族として律するべき時にでも、己の欲に忠実な面が見えていただろう? 彼は王族としての立場よりも、芸術家としての己の意思を優先させる傾向があるように見受けられる」


「そうね……あの子は一応王族としての教育を受けてはいるはずだけれど、いずれ王家を離れる身だということを免罪符に、少しばかり自由に振舞いすぎているわ。今しか使うことのできない王族という立場を利用して、アルーラさんに何か仕掛ける可能性はあるわね。フィデルがいない間はわたくしがなるべく側に居るから、当日は離れないようにしましょう」


「わかりました。お義母様、明日はどうぞよろしくお願いいたします」


 そうして、ロキたちからの忠告を心に留めつつ、二人と別れて馬車へと乗り込み、本邸へと向かう。

 馬車が土の道をゆっくりと進む中、窓から入る橙の日差しと木々の影がカーテン越しに明滅し、言葉少ない二人を染める。

 車輪が地面を転がる音を聞きながら、カーテンの隙間から夕陽に染まった雲の行く先を眺め、フィデルはどう言葉を切り出していいのかと悩みつつも、静かにアルーラへと話しかけた。


「……今までに何度も、こういったことがあったのか?」


「ああ、容姿に関する問題でしたら、そうですわね。これに関しては、オルティス伯爵家の背負う業のようなものでしょうか」


 フィデルが窓から目を離して彼女へと視線を向けると、アルーラは軽く俯いたまま苦笑していた。

 伏せた瞼から伸びる長く繊細な睫毛が、彼女の特徴である薄紫の瞳を隠すように覆い、彼女の抱える憂いを表すように僅かに震える。

 仕草ひとつ、表情ひとつとっても儚く消えてしまいそうな切なさを感じ、フィデルは思わず手を伸ばしそうになったが、咄嗟に手を止め、ゆっくりと膝の上に戻した。

 彼女は自身の指を手持ち無沙汰に弄びつつも、ぽつりぽつりと過去の出来事を語りだす。


「オルティス伯爵家は、精霊に愛された一族と言われるほどに、代々容姿に優れた者が生まれやすいことは知っておりますでしょう? そのせいか、オルティス伯爵家の者を迎え入れた家は、美麗な者が生まれやすくなると言われております。貴族にとって、容姿というものは大切なものの一つですからね。それに、迎え入れれば幸福が訪れるのだとも言われておりますから、その手の話に釣られて攫おうと考える者も多いのですよ」


 オルティス伯爵家の娘を迎え入れる為には、相応の対価を支払わなければならないだけでなく、オルティス伯爵家から厳しい精査を受けなければならない。

 嫁いだ者がその家で不自由なく幸福に暮らせるかというだけでなく、その者自身をけして無碍に扱わず、家族として受け入れられるかどうかが重要視されるのだ。

 オルティス伯爵家に利を示せない者は交渉さえできず、見た目を取り繕っていても裏で悪事を働く者など以ての外であるし、容姿を利用し私腹を肥やそうとする者は論外である。


 そこまでする理由は、オルティス伯爵家の悲惨な過去が関係している。

 まだ貴族として名を連ねたばかりの頃は、精霊のように美しい娘たちを手に入れるためにこぞって高位貴族が圧をかけ、娘たちを奪うように嫁がせ、その末に不幸になった娘が多く居た。

 オルティス伯爵家の書庫にある歴代当主たちの記録が、当時の凄惨さを詳細に書き記している。

 しかし、娘たちを不幸にした者たちの末路はどれも悲惨なもので、当時繁栄を極めていた家でさえ、今は古い資料の中でしかその名を見かけない。

 逆に、娘を大切に扱った家は少しずつではあるが領地が豊かになり、幸福に恵まれたという記録が残っているのだ。


 アルーラは自身の髪に何気なく触れながら顔を上げると、沈んでいく陽の光をその瞳に映した。

 薄紫の瞳の中で、夕焼けの光景が煌めき、泳ぐ。少しだけ開いた窓から入る風に金糸のような髪が靡くと、それだけで彼女の持つ楚々とした美しさが際立つようだ。

 普段、王族に侍る立場として、美しい容姿を持つ高位貴族たちと関わることが多いフィデルだが、そんな彼でもアルーラの純美な容姿には目を惹かれてしまう。


「確かに、容姿というものは第一印象を決めるものですから、より華やかであればあるほど良いのでしょう。まず外見でその者の形を覚え、そして言葉を交わすことでその者の内を覚える。それは人としての本能に刻まれたものと言えましょう。しかし、本能のままに見目だけを追い求め、こちらのことを知ろうともせずに理想を押し付けて無理強いを働く者は数え切れないほど居るのです。わたくしも、何度襲われ、攫われそうになったことか」


「……それは、怖かっただろう」


 なんと返してよいかもわからず、フィデルはアルーラを見つめたまま、言葉少なにそう返した。

 不器用な彼なりにアルーラを慰めようとしたのだろう。当時のアルーラに向けられたような言葉は、下手に飾られたものよりも、よほど心に染みた。


 ――そう、怖かったのだ。


 この見た目だけに群がる者たちの、妄執に塗れた眼が。

 ただ美しいものを穢して自分だけの物にしようとする強欲さを隠そうともせずに、平気で強引な手段を用いてアルーラたちオルティス伯爵家の娘を危険にさらす、その思考が。

 勝手に想像を働かせて人物像を作り上げては、周囲に撒き散らして貶め、手に入れるために相手が同じ場所へ堕ちてくるよう誘導していく浅ましさ、それらを幾度経験したことだろう。


「そう、ですわね。わたくしも、皮の一枚向こうは皆と変わらない、只人であるというのに。はぁ……わたくし、公式の場以外ではまともにレイナード殿下とお話したこともありませんのよ? それなのに見目だけで神聖さを求められ、女神と混同されて盲信の餌食になるなど、流石に御免被りますわ」


 少し重くなった空気感を和らげるように、アルーラは軽く微笑みを浮かべつつも、おどけたようにそう言った。

 実際、レイナードがアルーラに対して抱いている感情など、言葉にされてもいないのだから理解できるはずもない。

 今は起きてもいないことを警戒して怯えて過ごすよりも、気持ちを切り替えて明日に向けた準備を進めた方が良いだろう。


 そう強がっていても、アルーラの手に現れる微かな震えは消えてはくれなかった。


「――私が、君を守ろう」


「……えっ」


 そっと、フィデルがアルーラの手に自身の手を重ねた。

 アルーラよりも大きな手から伝わる彼の体温は、心の奥からせり上がるような恐怖を拭い去るように優しく、温かい。


 いつもとは違い、真っすぐにアルーラを見つめる金色の瞳。

 精悍な容貌を彩るその瞳の奥には、アルーラへと向けられた確かな想いが宿り、思わず目が逸らせなくなる。

 さらりと流れる濃紺の髪が、アルーラに触れそうなほど近くにある。僅かに入ったそよ風に髪が遊ばれ揺れると、爽やかな柑橘の香りが仄かに香った。


 アルーラの口から、浅い呼吸音が漏れる。

 馬車という狭い密室で見つめ合うことで、その香りが自分が纏うものと同じだと気づいてしまい、フィデルという存在をより近く感じてしまったのだ。


 彼はそんな彼女の変化に気づかぬまま、優しく手を握りしめて己の決意を言葉にする。


「婚姻してから情けない所ばかり見せてしまっているが、これからは変な意地を張らずに、君が一番喜ぶことをして、同じ景色を見て、君と同じ目線で隣に居続けたいと思っている。……だから、少しずつでも良い。君の抱える重荷を、背負わせてほしい」


「フィデル様……」


「私に、君を守らせてくれ。今度こそ、君に誠実であるために」


 フィデルはアルーラの根底にある潜在的な恐怖を見逃さなかった。

 彼はたどたどしくも、アルーラを落ち着かせるようにゆっくりとした口調で語る。

 不器用な自分が言える最大限の言葉を重ねて、怯えてしまっているアルーラが少しでも安らげるように。


 フィデルは真摯な面持ちのまま、アルーラの手を壊れ物を扱うようにそっと持ち上げると、騎士の誓いを結ぶようにゆっくりと手の甲へ唇を落とした。




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イラストを担当してくださったのは甘塩コメコ様(@amazio_k)です。


コミックシーモア作品情報

https://www.cmoa.jp/title/1101480733/


挿絵(By みてみん)

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