第二十三話 それは意外と強力で美しい
アルーラは今、鍛錬場の荒れた土を華奢なヒールで踏みしめていた。
およそ場にそぐわないデイドレスを身に纏い、淑女たる美しい装いのまま見据える先は、鍛錬場に設置されていた設備だ。
アルーラが居る場所よりも少し離れた先には丸太が並べられ、その上には空のガラス瓶がいくつも置かれている。
ほかにも、当たればくるくると回転する的が設置されており、アルーラが武器を披露するための準備は万端だった。
ヒュンッ――パァンッ!
鍛錬場に、空気を切り裂く鋭い音とともに、立て続けに激しい破裂音が響き渡る。
一瞬にして丸太の上のガラス瓶が次々と粉々にはじけ飛び、砕け散った破片は風に舞いながら陽光を浴びてきらきらと輝き、地面へと降り注いでいった。
「……すごい威力だな。弱い魔物程度なら軽く頭が飛ぶぞ? フィデル、下手に彼女を怒らせない方がいい。ああなりたくなければね」
「そ、そうですね……」
「やだぁ、アルーラさんったら、なんて格好いいのっ!」
今、アルーラが手にしているのは――上質な革で編み上げられた、攻撃に特化した一本鞭だった。
普通であれば、鞭が当たった程度でガラス瓶が粉々にはじけ飛ぶことなどない。せいぜい弾き飛ばされて倒れる程度だろう。
しかしアルーラは、自らの豊富な魔力で鞭全体を巧みに覆い、そのしなやかさを損なうことなく強度だけを飛躍的に高めていた。
その結果、鞭はまるで硬質な金属を叩きつけられたかのような衝撃を生み出す、恐るべき凶器へと変貌していた。
腕全体の柔軟な動きを活かし、鞭先を波打たせるように振るえば、風を切る鋭い音とともに、大地を打ったわけでもないのに破裂音が辺りへ轟く。
アルーラの手によって縦横無尽に舞う鞭先は、まるでリボンのように軽やかでありながら、獲物の急所を寸分違わず射抜く鋭さを秘めていた。
アルーラがくんと手元を引けば、従順に戻ってきた鞭先は先ほどまでの凶暴さを嘘のように失い、なだらかな弧を描きながらふわりと彼女の身体へ絡みつく。
そしてそのままするすると地面へ滑り落ち、鞭は足元で緩やかにとぐろを巻いた。
一通り鞭さばきを披露し終えると、アルーラはゆっくりとロキたちへ向き直り、優雅にカーテシーを披露する。
するとロキたちはもちろん、その場で見守っていた使用人たちからも、感嘆の入り混じった拍手が沸き起こった。
「いやいや、素晴らしいね! 鞭を扱う者は大抵、捕縛を主とするものだが、これほどまで攻撃に特化した鞭使いを見るのは初めてだよ」
ロキが上機嫌にそう言いながら歩み寄ると、アルーラは少し照れたように口元を緩め、はにかむように視線を伏せた。
家内の務めこそが女性の責務と言い、戦うことを是としないことが多い貴族社会に、彼のような大らかな考え方を持つ者は稀だ。
そしてフィデルもまた、驚いたようにアルーラを見つめていたが、その瞳には不快感などは見えず、むしろ純粋な敬意が見て取れた。
「精霊の森は、我らオルティス伯爵家の者か、一族が許可した者しか立ち入ることのできない魔境ですから、皆それぞれ得意な武器を極め、魔獣への対処に当たっておりました。幸い、鞭はわたくしの性に合っていたようで、幼い頃から鍛錬を積んでまいりました。名高いルース侯爵家のご当主様にそのようなお言葉をいただけるなんて、光栄ですわ」
姉妹の中でも、アルーラは特別戦闘に秀でていたわけではない。
どちらかと言えば、妹たちの方がよほど戦いに長けている。
アルーラが誰より秀でていたのは、初代当主を思わせる比類なき美貌と、何事も卒なくこなす器用さだった。
もっとも、それは裏を返せば器用貧乏とも言える。
ゆえに、あのオルティス伯爵家の中では、美しい容姿を除けば、それほど突出した存在ではなかったのである。
それも家を出される要因の一つであったのだが、そのことについてはアルーラ自身も今では納得していた。
精霊に愛された一族と称されるオルティス伯爵家――しかし、その内実は驚くほど血生臭く、ルース侯爵家にも劣らぬほど戦闘に特化した一族である。
そんな一族を束ねるだけの器は、自分にはなかった。
普段から母の姿を見ていれば、自身に何が足りないのかなど嫌というほど理解できる。
圧倒的な戦闘力に加え、領地を治めるための知略、いざという時に迷いなく決断を下す胆力、そして必要とあれば人を切り捨てることすら厭わぬ冷徹さ。
それらを兼ね備えたうえで、自らの伴侶を見極める眼を養い、その血と責務を次代へ繋いでいかなければならない。
オルティス伯爵家の当主に求められる器は、あまりにも高い水準にあった。
「精霊の森か……一度は行ってみたいものだよ。あそこの魔獣素材は随分と質が高い。森そのものに満ちる魔素がよほど濃いのだろうね。その分、魔獣も手ごわいのだろう? 戦い甲斐がありそうだ」
「あそこはかなり特殊な森でございますから、当主の許可と一族の同行がなければ、足を踏み入れた途端に方向感覚を失ってしまいますの。あまりおすすめはいたしませんが……機会がございましたら」
精霊の森を想像して目を輝かせながらそう語るロキの姿に、アルーラは曖昧な微笑みを返した。
アルーラ自身、すでにオルティス伯爵家を離れ、ルース侯爵家へ嫁いだ身である。実家にいた頃とは違い、精霊の森へ入るにも、今は母の許可を得なければならない。
それに、あのしたたかな母が何の見返りもなしにいち侯爵家の当主を精霊の森へ招き入れるとは思えないこともあり、アルーラとしては諦めて欲しい気持ちで言葉を濁すしかなかった。
「もう、旦那様。アルーラさんを困らせないでちょうだい! ごめんなさいね。この人、戦うことが趣味みたいなところがあるから……」
「いえ、そんな……」
「それにしても、とても素晴らしいものを見せていただいたわ。女性であっても、あれほどの威力を出せるのなら、わたくしもあなたに習ってみようかしら?」
「ええっ!? だ、駄目だよ、イネス! 彼女が軽々と扱えるのは身体強化をしているからだし、何より鞭は意外と体全体を使うんだ。君は体が弱いのだから鞭に振り回されてしまうよっ」
「そうなの? 残念だわ……」
おどけたように微笑むイネスの言葉に、ロキは慌てた様子で声を上げ、そのまま彼女を抱き寄せる。
すぐさま「汗臭いわ」と言いながら彼を押しのけようとするイネスの姿がどこか微笑ましく、アルーラが思わず小さく笑みを零して眺めていると、いつの間にか隣へやって来ていたフィデルが、そっと彼女の手を取った。
そして、しげしげとその手のひらを見つめると、不思議そうな面持ちで、その柔らかな感触を確かめるように指先でそっとなぞる。
あまりにも自然な彼の触れ合いに慣れていなかったアルーラは、手のひらをくすぐるような感触と突然の接触に胸を大きく跳ねさせる。
間近から壊れ物を扱うような優しい手つきで触れられるほど、彼の存在を強く意識してしまい、顔が触れ合いそうなほど近い距離に、頬がじわりと熱を帯びていくのを感じた。
「あ、あの……フィデル様?」
「こんなに綺麗な手なのに、あの威力か……凄いな」
どうやら彼は、先ほどの鞭さばきにいたく感銘を受けたようだ。
アルーラの戦闘能力の方に意識が向いてしまい、普段であれば手を取ることさえ躊躇うはずなのに、今のフィデルには、アルーラの手のひらを取っていることへのおどおどとした様子はまるで見られない。
「なるほど。手に豆や傷がないのは、鞭の流れに振り回されないように身体強化を施しているからか。その強化の威力も鞭先に乗って、あのすさまじい威力が出るんだな――……っ!」
そう呟くように考察しながら顔を上げたフィデルは、ようやっと自身の置かれている状況に気づいたのか、アルーラの唇に触れそうなほどの至近距離にいるのだと理解し、不自然に言葉を切ったまま動かなくなる。
そして、次第に頭が追いついてきたのか、端麗な顔がみるみる驚愕に揺れ、頬が花咲くように赤らんでいく。
アルーラもまた、彼につられるように頬が熱くなるのを感じて、思わず顔を背け、彼から視線を逸らした。
「あらあら、なんだか空気が甘酸っぱいわ」
「いや、もう結婚しているのに、まるで付き合いたてみたいな空気を感じるのだけど……これはもう一押し必要かなあ」
「旦那様、それはいけないわ。だって、ようやく互いに意識し始めたのだもの。私たちはこれからも、口を出さずに見守っていましょうよ」
「なんとも歯痒いなぁ……」
二人の初心な様子にすっかり呆れた様子のロキと、それを楽しそうに見守るイネス。
ようやく動き出した二人の関係に嬉しさを感じつつも、彼らの行く末に口を出すことはしないと決め、その様子を静かに見つめていた。




