第十六話 晩餐会
煌びやかな琥珀に彩られた大広間――通称「琥珀の間」には、室内の色彩に調和したクロスが敷かれた長卓が並び、華やかな燭台と装花、そして銀のカトラリーが美しく整えられていた。
天井を飾る魔石灯のシャンデリアが、艶やかな煌めきを放ちながら陰影を生み出すその光景は、華麗でありながらも品格を損なわない、優雅な場を形作っている。
祝祭行事への参加は基本的に自由であるが、この晩餐会に限っては招待状が必須とされている。
立食形式ではない以上、出席者の人数に応じて料理を用意しなければならないためだ。
さらに来賓を迎えるにあたり、いかなる失礼も許されない。
そのため、必然的に階級を絞って人数を抑え、交渉相手に不都合が生じぬよう、細心の配慮をもって手配されている。
ゆえにこの晩餐会には、高位貴族を中心とした、緊張感に満ちた空気が漂っていた。
伯爵家出身のアルーラにとっては、あまり好んで長居したい空間ではない。
しかし今回は、侯爵家の身内としての参列である。格式高い晩餐会を前に内心では緊張しながらも、開いた扇と得意の微笑みで周囲を牽制しつつ、余裕を装って指定の席へと着いた。
次第に席が埋まっていく中、アルーラは慎ましく、しかしさりげなく周囲へと視線を巡らせる。
すると晩餐会の一角に、ひときわ麗しい人物たちの姿が目に入った。
アルーラの家族――オルティス伯爵家の当主カリスタと、その夫たちである。
非常に珍しいことに、父であるアルフハードも同席していた。冒険者として鍛え上げられた体躯を洗練された燕尾服に包み、普段は無造作にまとめられている髪も後ろへ撫でつけている。貴族にはあまり見られない、野性的で人目を惹く魅力を周囲に漂わせていた。
そして、カリスタを挟むようにして、もう一人の夫であるガレンが着席していた。
怜悧な美貌を際立たせる、華やかな意匠の燕尾服に身を包んだその姿は、やはり人目を引かずにはいられない。
相変わらず目立つ家族だと内心で苦笑しながら視線を向けていると、その気配にいち早く気付いたアルフハードが、ぱっと表情を明るくした。
そして隣に座るカリスタへと何やら耳打ちする。
アルーラとはまた異なる、まるで大輪の花を思わせる美貌を持つカリスタは、ぱさりと扇を広げ、口元を隠しながらアルーラを見た。
視線が絡み合う。言葉を交わせる距離ではないというのに、その瞳はあまりにも雄弁だった。
細められた瞳の奥に宿る親愛と、久方ぶりに見る母の姿に、アルーラの胸にふと望郷の念が湧き上がる。
オルティス伯爵家の当主として、カリスタは常に厳しく娘たちを育ててきた。
だが、母としての愛情を欠いたことは一度もない。
深い愛情をもって、嫁いでいく娘たちのために婚家の精査を怠らず、社交界でオルティス伯爵家を悪し様に語る者のもとへは、たとえどれほどの財を積まれようとも嫁がせることはなかった。
ルース侯爵家への縁談についても、かつてはその判断に疑問を抱いたことがあったが、今ではあの家が抱える事情もすべて見越したうえで、アルーラに相応しい相手だと見定めていたのだと理解できる。
おそらく扇の向こうでは口元に笑みを浮かべているのだろう。
カリスタは、フィデルと寄り添うように座るアルーラへ向けて、軽くウインクを寄越した。
「まぁ、お母様ったら」
その仕草がおかしくて、アルーラは思わず声に出してしまう。
つり上がった目元の印象から冷たい人物と思われがちなカリスタだが、実際にはかなり気さくで、アルーラと似たさっぱりとした気質の持ち主だ。
場に慣れていることもあるのだろうが、こうした公式の場でも軽やかに振る舞えるその胆力には、思わず感嘆を覚える。
「なんというか、君のお母上は随分と君に似ているな」
アルーラに近づき、耳元でそう囁くフィデルは、わずかに口元を緩めながら、煌めくような彼女の家族へと視線を向ける。
その言葉に、アルーラは小さく首を傾げ、彼と同じように声を潜めて囁き返した。
「そうでしょうか? お顔はそれほど似ていないと言われますけれど」
「容姿ではなく、こうした場でも普段と変わらず振る舞える胆力が、かな」
彼の言葉に、アルーラは納得したように頷く。
家族の間でもよく言われていたことではあったが、フィデルにも同じように指摘されるとは思わず、小さく笑みがこぼれた。
「ああ、そこは確かに母譲りでしょうね。よく父たちからも中身が似ていると言われていましたもの。それにしても、それは誉め言葉なのですか?」
「もちろん誉めているさ。こうした場では、誰もが緊張して思うように振る舞えないことも多いというのに、君はそうは見えないからね。さすがオルティス伯爵家のご令嬢だと感心している」
「そうですか。では、誉め言葉として、素直に受け取っておきましょう」
ふわりと花が綻ぶように微笑むアルーラの姿に、目を奪われた周囲からは密やかな感嘆の声が上がる。
いつもとはどこか雰囲気の異なる次期侯爵夫妻に、いつの間にか人々の視線が集まっていたようだ。
これまで社交の場において、ここまで親密そうに顔を寄せ合うことなど、ダンスの最中を除けばあまりなかった二人である。
それが今では自然に寄り添い、まるでそれが当たり前であるかのように言葉を交わしている。
これまで噂に踊らされ仮面夫婦や飾りの妻だと陰で囁いていた者たちも、この仲睦まじい様子を目の当たりにすれば、それ以上言葉を続けることはできないだろう。
正当な手段で周囲を牽制する――それは、二人がより親密になったことを知らしめればいい。
こうして少しずつ、二人の間に誰も入り込む余地などないのだと浸透させていくことで、悪意を含んだ噂の効力を弱めていく計画である。
もっとも、実際にはそのような計画がなくとも、二人の距離はここ数日で着実に縮まっていた。
この寄り添うような距離感も、作為によるものではなく、ごく自然に生まれたものに過ぎない。
互いの弱さを知り、言葉を交わし、その為人を理解していくことで、二人の間には確かな絆が芽生え始めていた。
そんな会話を続けていると、流れていた音楽が変わり、絢爛に着飾った王族たちが姿を現す。
その場にいた者たちは一様に立ち上がり、深く礼を捧げた。
やがて王族に続いて来賓たちも入場し、それぞれが席に着くと、晩餐会はしめやかに幕を開ける。
晩餐会のメニューは、可愛らしい装飾のスプーンに盛られた、川魚と香草のコンフィのアミューズから始まった。
続いて、冷製野菜のテリーヌ、緑水亀のコンソメスープと、趣向を凝らした料理が供されていく。
いずれも女性でも食べきれるよう配慮された量であり、見た目にも味わいにも、十分な幸福をもたらしてくれる逸品ばかりであった。
王家に仕える料理人たちが腕を振るい、各地から選りすぐられた最高の食材で仕立てられた料理は、ここでしか味わえないという希少性も相まって、多くの者の感嘆を誘っていた。
やがて供された水晶貝のポワレは、淡泊な身の表面を強火で炙ることで香ばしさを引き出し、トマトベースのソースがその甘みをほどよい酸味で際立たせている。
さらに贅沢に用いられた胡椒が辛みのアクセントを添え、口に含めば、ほろりとほどける身の旨味と重なり合い、絶妙な味わいへと昇華されていた。
魚料理の一品は、大河で獲れる卵を抱えた幻水魚のマトロットで、赤ワインと香草、ブイヤベースでじっくりと煮込み、付け合わせに数種のきのこのソテーと温野菜を添えたものだ。
赤ワインの強みのある風味が、香草と交じり合い魚の臭みを消し、濃厚でありながらも芳醇な香りを漂わせ、脂ののった魚のしつこさを感じさせることなく最後まで楽しめる一品だった。
ここでオランジュのソルベを挟み、メインである肉料理に移っていく。
王家所有の森でのみ狩猟が許された王森鹿を用いたロティは、野菜とともにオーブンでじっくりと焼き上げられ、旨味と肉汁を余すことなく閉じ込めている。そこに甘酸っぱいベリーのソースが添えられていた。
厚めに切り分けられた鹿肉には特有の獣臭さはなく、ソースを絡めて口へ運べば、歯を立てる間もなくほどけるほどに柔らかい。
あふれる肉汁をまといながらも、ベリーソースの酸味と甘みがその風味をやさしく包み込み、鹿肉特有の癖をまろやかに整えていた。
そして最後のデザートとして、特産の玻璃林檎を使ったコンポートがテーブルを彩った。
結露が浮かぶほど冷やされた器に、数種のスパイスとワイン、柑橘、砂糖で、果肉が透けるほど丁寧に煮込まれた玻璃林檎が盛り付けられている。そこに、香り高いバニラを用いたミルクアイスが添えられていた。
ワインの色をまとった果実は、煮込まれているにもかかわらず、意外なほどしっかりとした歯ごたえを残している。
そこにミルクアイスを絡めて口へ運べば、ひやりとした冷たさの中に、ワインとスパイスの複雑な香り、玻璃林檎の瑞々しい食感、そして濃厚なミルクアイスのコクが幾重にも重なり、やがて舌の上で甘くとろけるような風味へと移り変わっていく。
一品一品が丹精込めて作られ、見た目にも美しい料理の数々は、王家主催の晩餐会にふさわしいものばかりであった。
アルーラは時折そっと目を閉じ、口の中に広がる夢のようなひとときを、静かに味わう。
ルース侯爵家で供される食事もまた、料理人たちがアルーラの好みを把握したうえで見事な品々を振る舞ってくれる。
だが、王家に仕える料理人たちは、他国からの来賓をもてなす機会も多く、食材や調味料、調理法に至るまで、幅広く精通しているのだろう。
これほどまでに見事な料理を供する彼らへ、アルーラは心の中で静かに賛辞を贈る。
食を愛する一面を持つ彼女にとって、この晩餐会は実に有意義なひとときであった。
思わず、ほぅ、と夢心地の吐息を零すアルーラの姿を目にしてしまった男性たちは、まるで見てはならないものを見てしまったかのように視線を逸らし、わずかに身じろいだ。
普段は凛と澄ました表情を崩さない彼女の顔に、まるで恋に溺れたかのような、とろけるような表情が浮かべば、異性の心を掴んでしまうのも無理はない。
そして、その表情を引き出したのが、隣で黙々と食事を取るフィデルではなく、料理人たちが作り上げた一皿である以上――当然ながら、夫であるフィデルはどこか複雑そうな表情を浮かべていた。




