第十七話 違和感と対峙
晩餐会は、思っていた以上に和やかな雰囲気のまま進み、来賓たちも振る舞われた料理にいたく感動している様子であった。
雑談を交えながらも、最大の課題であった各国との交易交渉も、滞りなくまとまったようである。
結局、王族席により近い席に座していた当主ロキに話が振られることはあっても、アルーラたち若夫婦に王族から直接声がかかることはなかった。
ミラからの強い視線を時折感じることはあったものの、それ以外はおおむね平穏な晩餐会であった。
その中でアルーラは、デザートを楽しみつつも、周囲から聞こえてくる談笑や、視界に入るさまざまな様子に意識を向け、静かに情報を拾い集めていく。
来賓の中には、アーネストの婚約者であるエルシア魔導公国の第二公女、ルーン・ティア・エルシア殿下の姿もあった。
彼女はアーネストの隣でデザートを楽しみながら、時折彼に話を振っては、愛らしく微笑みかけている。
精悍な顔立ちに、騎士と見まがうほどの大柄な体躯を持つアーネストと、リスのように小柄で愛らしいルーン。
互いに微笑み合うその姿は、傍から見ても実に仲睦まじく、見ているこちらが思わず照れてしまいそうなほどであった。
アーネストはすでに王太子としての公務を担い、婚約者であるルーンもまた、シルヴァーノ王国を訪れては王太子妃としての教育を受けている。
順調に輿入れの準備も進んでいるというから、いずれ王位を継ぐことになっても、大きな問題が生じることはないだろう。
一方で、第二王子のレイナードとその婚約者である、この国の伯爵令嬢ジュリア・ローゼンバウムは、対照的であった。
互いに視線を交わすこともなく、終始無言のまま食事を進め、来賓への対応こそ卒なくこなしているものの、二人の間には目に見えぬ壁のようなものが感じられる。
食事を終えた後も、レイナードは人好きのする笑みを浮かべて周囲と談笑しているが、ジュリアはやや俯きがちに、彼の隣で静かに耳を傾けるばかりであった。
いずれレイナードが王族の席を離れる際には、新たに公爵位が与えられ、ジュリアもまた妻として公爵家へと嫁ぐことになる予定である。
しかし、その様子を見る限り、アルーラたち以上に仮面夫婦となる可能性が高いように思われた。
第二王子に添う妻としては、伯爵令嬢という身分はやや低いようにも思えるが、ローゼンバウム伯爵家は名高い資産家でもある。
大河を有する領地を持ち、水運による交易が盛んなことから、伯爵家でありながらも強い影響力を持つ一族だ。
そのような名家の令嬢を妻とすることは、新たに興される公爵家にとっても、そして臣籍降下するレイナード自身にとっても、有力な後ろ盾となる申し分のない縁談だろう。
おそらくは、サイラスが王籍を離れるレイナードを案じて整えた縁談。
しかし、ジュリアのどこか浮かない様子は、少し離れた席にいるアルーラにも伝わるほどで、思わず気にかかってしまう。
先日、レイナードが口にしていた「寛容な婚約者」という物言いが、ふとアルーラの脳裏に浮かんだ。
しかし、彼女の俯いた姿は、彼が言う寛容な婚約者とは随分とかけ離れた印象だ。
もしかしたら、レイナードの奔放さに思うところがありながらも、それを口にできないだけなのではないか――そんな憶測が、アルーラの胸に静かに芽生えていた。
「何を見ているんだ?」
隣からフィデルに声をかけられ、アルーラははっとして彼の方へ目を向けた。
彼はあっという間にデザートを平らげ、今は食後のコッファを楽しんでいるようだ。
フィデルの問いに、アルーラはどう答えるべきか一瞬迷いながらも、再びレイナードたちの方へと視線を向け、口を開いた。
「ローゼンバウム嬢のご様子が、少し気になりまして。レイナード殿下がおっしゃっていた“寛容な婚約者”とは、どこか違うように感じられるのです」
気の弱そうなジュリアは、どう見ても奔放なレイナードを寛容に受け止められるような令嬢には見えない。
二人の間に漂う空気や、わずかに伏せられた瞼に宿る陰りを見る限り、彼女は彼に対して、どこか暗い感情を抱いているようにも思える。
とはいえ、さすがは資産家の伯爵令嬢というべきか、表情の繕い方は心得ているらしく、振られた話に対する受け答えそのものは、きちんとしたものであった。
今はレイナードのことを立て、あえて口を挟まず見守っているのかもしれないが、彼の奔放さは社交界でも広く知られている。
端麗で中性的な美貌を持つレイナードは、男女を問わず“美しいもの”に目がない。
側に置く者はすべて彼の審美眼にかなう容姿の者ばかりで、そうでない者には一切関心を示さないという徹底ぶりである。
その一方で、芸術家たちを支援し、自身もまた画家として数々の作品を手がけ、個展を開くほどの実力を持つ。
公務を疎かにすることもなく、芸術家としても支援者としても国に大きく貢献しているため、サイラスも彼の振る舞いに強く口出しできずにいるという。
一方で、ジュリアに関する噂は、この晩餐会の場でもあちらこちらで囁かれていた。
美しいレイナードに相応しくない婚約者、地味な容姿の伯爵令嬢――周囲は嘲笑を含んだ言葉を、遠慮なく紡いでいる。
それが彼女の耳に入っていないはずもない。
それでもなお、レイナードは自身の婚約者が嘲られていることに、何ら反応を示すことはなかった。
この光景は、つい先日までのアルーラ自身を思い起こさせた。
しかし、たとえ飾りの妻だと周囲に嘲笑されようとも、彼女は社交の場において常に微笑みを絶やさず、凛とあり続けることで自らの正当性を示し続けてきた。
容姿というものは、社交界において有利に働く武器のひとつである。
アルーラは人々を黙らせるほどの美貌を持ち、それに見合うだけの努力と実績を積み重ねることで、正面から噂を打ち払ってきたのだ。
だが、それはオルティス伯爵家特有の容姿を持ち、さらには高度な教育を受けてきたアルーラだからこそ成し得たことである。
有数の資産家とはいえ、あらゆる家門に嫁ぐことを前提とした教育を受けてきたわけではないであろうジュリアにとって、今の状況はあまりにも重いものだろう。
彼女の表情に時折浮かぶ仄暗さを、アルーラは歯がゆい思いで見つめていた。
そんな彼女に、フィデルは周囲に聞かれぬよう声を潜め、わずかに眉を下げながら静かに囁く。
「レイナード殿下は、君も知っている通り、随分と奔放に振る舞っていらっしゃる。だが、あの方は今のところ一線を越えるような行動には出ていない。だから陛下も、行いを嗜めることしかできないのだろう。不敬な言い方になるが……レイナード殿下が一線を越えるか、あるいは彼女自身が何かしら行動を起こさぬ限り、私たちが手を差し伸べることはできないだろうな」
「……そう、ですわね。とても歯がゆいですけれど、わたくしが手を差し伸べても、きっと彼女は逃げてしまうでしょう」
「君はとりわけ、レイナード殿下に目を付けられている。それが分かっていれば、なおさら君には近づきにくいはずだ」
フィデルの言い分はもっともだった。
彼女から受けた印象だけで軽々しく動くわけにもいかず、ジュリア自身が何らかの行動を起こさぬ限り、周囲もまた手を差し伸べることはできない。
ジュリアの家がどれほど国にとって重要な存在であるかを思えば、本来このように軽んじられてよいはずがない。
それにもかかわらず、レイナードは明確な意思をもって彼女を蔑ろにしているように見える。
それが、自らの意思とは無関係に定められた婚約に対する反発なのか、あるいは別の何かを抱えているのか――。
いずれにせよ、こうして眺めているだけでは、その真意を掴むことはできないだろう。
先日の夜会での様子を見る限り、レイナードはオルティス伯爵家の娘であるアルーラに、明確な興味を抱いている。
そしてこれまでの振る舞いからしても、フィデルという夫を脅威とは見なしていないようであった。
それは、フィデルがこれまでアルーラを妻として扱ってこなかったがゆえに、二人の間に隙があると踏んでいるからだろう。
アルーラは気持ちを落ち着けるように小さく息を吐くと、残っていたデザートを口に運び、最後に香り高い紅茶をゆっくりと味わった。
王城で振る舞われる紅茶は、国内で生産された中でも特に上質な茶葉を用いたものだ。
立ち上る湯気に乗って漂う芳醇な香りは、どこか果実を思わせる甘さを含んでおり、わずかにささくれ立った心を静かに解きほぐしていく。
「はぁ……わたくしになど、興味を失くしてくださるとよいのですけれど」
「あの方の気性を考えると、それは難しいだろうな。……まあ、この後の夜会は父上たちもいらっしゃる。私たちは顔つなぎ程度に挨拶を済ませたら、屋敷へ戻ろう」
「ええ。晩餐は素敵でしたけれど、さすがに少し気疲れしてしまいましたわ……」
***
静謐な晩餐会は終わりを迎え、場は別室で催される煌びやかな夜会へと移っていく。
アルーラたちは二人で挨拶回りをしていたが、途中でフィデルが、かつて所属していた第三騎士団の同僚たちに捕まり、しばらく別行動を取ることとなってしまった。
彼はアルーラの側にいると言ってくれたものの、かつて命を預け合った仲間との交流を、自分のために台無しにさせるわけにはいかない。
積もる話もあるだろうと、アルーラは快く彼を送り出したのだった。
普段であれば、こうしてフィデルが席を外した時点で、早々に屋敷へ戻っていたはずだ。
だが、今回ばかりは彼を置いて帰るわけにもいかない。
アルーラはなるべく人目のある場所を選び、シャンパンを片手に歓談する人々をぼんやりと眺めていた。
すると、不意に横から影が差す。
「ルース侯爵家の若夫人、ごきげんよう。今、少しよろしいかしら?」
「……ミラ殿下。お声をかけていただき光栄ですわ」
そこには、ミラと数人の貴族令嬢たちが、にこやかな微笑みを浮かべながら立っていた。




