第十一話 貴族街
元々、城下は人通りが多く賑やかな印象であるが、祝祭の最中とあって、その賑わいは一段と増している。
山脈と豊かな森林、そして大河を抱えたシルヴァーノ王国は、冬の積雪が非常に多いことから、雪が積もらないよう設計された急勾配の屋根が特徴である。長い歴史の中で少しずつ洗練されてきた街並みは、幻想的でありながらも、どこかぬくもりを感じさせる景観となっていた。
観光地としても名高く、場所によっては温泉を楽しむこともできるなど、実に豊かな資源を有した国である。
基本的に、貴族街は煉瓦や石造り、平民街は木造の建物が多く、両者の街並みには違いが見られるものの、特徴的な屋根の形は変わらない。
鮮やかな色合いの貴族街も、温かな印象を与える平民街も、今は祝祭一色に染められ、あちらこちらに春の訪れを思わせる花々が飾られている。さらに、多彩に織り込まれた美しい織物が窓辺や玄関に吊り下げられ、街全体を華やかに彩っていた。
アルーラとフィデルは、屋敷から馬車で移動し、貴族街付近で降りると、臨時の停留所で馬車を待機させ、そこからは煉瓦道に沿って歩くことにした。
後ろには護衛数人と若い侍女、そして執事を従え、綺麗に整えられた街並みを楽しみながら進んでいく。
昼前だというのにもかかわらず、貴族街のメイン通りにはすでに多くの人々が行き交い、華やかに着飾った貴婦人や紳士たち、賑やかに笑い合う子どもたちが、祭りの雰囲気を楽しむように明るい表情を浮かべていた。
露店というにはあまりにも洗練された店がひしめくように並び、そこには普段は見かけないような品々が美しく飾られている。平民街と違い、ここに並ぶのは基本的に、貴族街への出入りを許された商会の品ばかりである。雑貨や食品、装飾品、絵画や工芸品に至るまで、ありとあらゆるものが一堂に会し、実に目まぐるしい光景が眼前に広がっていた。
「今年も賑やかですわね」
日傘を傾けながら、明るい表情でアルーラがそう言うと、フィデルは隣で小さく頷く。
「ああ。今年は随分と人が多い気がするな。貴族街でこれなら、平民街はもっと凄いことになっているだろう。第四騎士団も、この一週間は相当忙しいだろうな……」
「なにせこの人混みですもの。良くない方たちも、きっと動きやすいでしょうね。でも、わたくしには旦那様が付いていますから、大丈夫でしょう? そうですわよね?」
アルーラがフィデルの腕にそっと手をかけ、視線を合わせると、ガチリと体を硬直させたフィデルは、動揺を隠すように何度も頷いた。
「あ、ああ。もちろん、任せてくれ」
その様子を後ろで見ていた護衛と従者たちは、主人のあまりに初心な反応に内心でため息を吐きながら、二人に聞こえないよう小声で言葉を交わす。
「……うちの若様は、本当に初心でいらっしゃるな。あれで今まで何もなかったのが奇跡のようだ」
「どうやら周囲の方々も、若様のあまりの高潔ぶりに、そのようなことをお話しすることさえ後ろめたく感じてしまったようで……今まで、とんとご縁がなかったと聞いたことがございます」
「それって、まさかあのご尊顔で……童て――」
「しっっ!」
背後でそのような会話が交わされているとは知らない二人は、早速露店を巡り、祝祭の雰囲気を存分に楽しみ始めた。
時折立ち止まっては品を手に取り、気に入ったものがあればその場で購入して従者に荷物を預ける。主に他国からもたらされた珍しいデザインのアクセサリーや反物、本などを買い求め、食器のセットといった重い品については店の者に依頼し、後ほど本邸へ届けさせるよう手配した。
さらに、見慣れない菓子を購入して従者や護衛たちにも分け与えながら味わったり、途中の広場で催されていた大道芸に拍手を送ったりと、久しぶりの開放的な時間を心ゆくまで堪能する。そうして過ごすうちに、二人の会話は自然と増え、フィデルの緊張や動揺も次第に和らいでいった。
これまでアルーラの美しさばかりに気を取られていたフィデルだったが、今日一日を通して、彼女がごく普通の女性であり、身構える必要もないほど気さくで話しやすい相手であることを知った。
そのような印象を抱いたのも、これまでフィデルが、公の場で凛として佇む彼女の姿しか目にしてこなかったからだと理解していた。誰よりも嫋やかで、どんな人々の視線をもさらってしまうほど麗しい彼女が、今はフィデルの傍らで屈託なく笑っている。
不思議な品を見て驚いたり、美しい物に感嘆の息を漏らしたり、新しい味覚に何とも言えない表情を浮かべたりと、その姿は実に年相応で表情豊かであった。
表情が乏しいと言われるフィデルでさえ、その微笑みに釣られて口角が上がってしまうほどだった。
しっかりとした意思を持ちながらも、少し毒舌で、ときに素直な――そんな不思議な魅力を放つ彼女から、フィデルは次第に目が離せなくなっていった。
それからも疲れない範囲で露店を見て回っていると、一軒の店が目に留まる。
異国のアクセサリーなのだろうか、先の尖った細い棒に美麗な装飾が施された品々が、ずらりと並べられていた。アルーラも気になったのか、その店の前で立ち止まり、ふくよかな体格の店主に声をかける。
「ごきげんよう。少しよろしいかしら?」
「は、はいっ! な、なんでございましょうかっ……ひっ!」
アルーラの美貌に顔を赤くしながらも、どうにかそう答えた店主は、隣で睨みを利かせているフィデルの恐ろしい表情を目にした途端、即座に顔色を変えた。
「これは、どのような品なのでしょう? 装飾品……ですわよね?」
アルーラの問いに、店主はすぐさま揉み手をし、へつらうように笑いながら大きく頷く。
「そうでございます! こちらは遥か東の煌月国から仕入れて参りました、カンザシというものでございます。主に髪をまとめるために使用する品でして……」
店主はそう言うと、どこからか木製の頭部に長いウィッグを被せたものを取り出し、カンザシを一本手に取った。すると、見た目にそぐわぬ器用さで流れるように手を動かし、髪をまとめて留めてみせる。
不思議なことに、たった一本の棒で美しく髪が整えられ、さらにカンザシの美麗な装飾がしゃらりと涼やかな音色を奏でた。
「まあ、素敵ね! ねえ、あなた。この髪のまとめ方は、他にもあるのかしら?」
「もちろんでございます。髪の結い方につきましては、商会専属の髪結い師がこちらの文化に合わせて考案し、絵師が結い方の挿絵を添えた特別な教本をご用意しております。こちらもご一緒にご購入いただければ、さらに美しく整えることができますよ」
店主はすぐさま店の裏から一冊の本を取り出し、ぱらぱらとページをめくってみせる。目の前で見たものよりも、さらに複雑で華やかな髪型が数多く掲載されていた。中には思わず首を傾げてしまいそうなものもあったが、ドレスに合うまとめ方も多い。
実際に手に取ってみると、材質は銀や金のほか、鮮やかな赤を施したものや艶のある黒、アンバーのような色合いを宿した不思議な質感のものまでさまざまだ。扇形に象られたものには透かし彫りや繊細な彫刻が施され、どのように作られたのか想像もつかないほど精巧な、大ぶりの花や鳥、植物をあしらった品まである。
「どれも不思議な色や形ね。この飴のような色は、あいにくわたくしの髪には溶け込んでしまいそうですけれど、装飾が実に見事だわ。そうね、色味の違うものをいくつか購入してもいいかしら」
「は、はい! ありがとうございます」
それぞれの金額はかなりのものであったが、アルーラは躊躇うことなく、装飾の美しいカンザシをいくつか選んでいく。
装飾品の良し悪しはフィデルにとって専門外であったが、アルーラは様々な高等教育を受けているオルティス伯爵家の娘である。その審美眼は相当なものだろうと、買い物に口を出すことなく静かに見守っていた。
その時、フィデルの側にいた執事がすっと彼に近寄り、アルーラに聞こえないような声量で話しかけてくる。
「若様、若奥様に何か贈り物を差し上げてはいかがでしょうか」
「贈り物か……」
アルーラ自身がこれだけ買っているのに、何が良いのかもわからないフィデルが選んだところで、果たして喜んでもらえるのだろうかと首を傾げていると、執事はじれったそうな眼差しを向けながら、さらに語りかけた。
「本来、夫というものは日頃の感謝を込めて妻に贈り物をするものです。何を贈ったかではなく、誰が贈ったのかが重要なのでございます」
「そういうものなのか。……分かった。少し見てみよう」
「若奥様が侍女と話しているうちに、お早く」
執事に目で合図された侍女が早速アルーラへと話しかけ、彼女の気が別のところへと逸れた時、フィデルはカンザシを丁寧に箱詰めしている店主へと声をかけた。
「店主、すまないが……妻に内緒で贈り物をしたい。何か良い物はあるだろうか」
フィデルがそう言うと、店主は箱詰めしていた手を止め、にやりと意味深な笑みを浮かべる。
「内緒で贈り物でございますか。……では、こちらはいかがでございましょう」
店主は店の裏から小さな箱を持ってくると、大きな体で隠すようにしながらそっと箱を開け、フィデルへ中を見せた。
箱の中には、女性の手にちょうど収まるほどの小さな品が収められていた。




