16. 記憶
チリチリと肌が焼けるような感覚とともに、途切れ途切れの記憶が脳裏に蘇ってくる。
聖霊樹のように太い厄災の首をキース様が一刀両断した。地響きを伴ってその巨大な首と巨体が地面に落ちる。ナターシャ様の泣き顔が私の目の前にいっぱいに広がり、そのことに胸が引き裂かれるような気持ちになる。その後ろからレイが駆け寄ってきた。
レイの名誉のために、この後の言葉を人に聞かせるわけにはいかない。
「ホムラ……っ!もういいだろう。自分の死に目はあまり思い出したくない」
「ああ、悪かった。……ふぅん、本当に一回死んでるんだな。最後の白っぽい光、いつものナターシャの治癒術とちょっと違う感じだ……」
ホムラは私の記憶についてぶつぶつと呟いている。グラニエル領にホムラがやってきて10日ほど経過した。まずは記憶を読み取る魔法を完成させなければならないということで私が実験台になっている。
読み取られて恥ずかしい記憶はないが、どこを読み取るかは細かくコントロールできないらしい。その上、近くにいる人間にまで記憶の風景が共有されてしまう。
一度目の人生のかなり初期からホムラとキース様に断片的に人生を知られることとなり、人並みに恥ずかしくはなった。
「あんた最初から最後までナターシャのことばっかりだな」
「それは否定できない」
一度目を振り返ると、盲目的と言えるほどの信仰具合だった。ナターシャ様に出会うまで目的もなくなんとなく生きていた私に取って、彼女の存在は紛れもなく天からの啓示に思えて、はじめてやりたいことが出来たのだ。そのまま崇拝してしまったのだと思う。
今は一人の人間として彼女の人となりを知ったし、一度死んで冷静になったのか、ナターシャ様を愛しているが盲信しているという状態ではない。過去について話していると、キース様が部屋に入ってきて、グラニエル領にいる魔獣についての資料をデスクに追加した。
「随分鮮明に記憶を読めるようになったんだな」
「ああ。そろそろあんたの兄様の頭の中も見せてもらうか」
「分かった」
開発したてのころは、砂嵐の中で微かな光が見えるばかりで、風景とは言い難いものだった。それが今では色や音も含めて感じることが出来、においさえ感じられるような気がしてくる。
いよいよ、毒蛇の情報を集めるために記憶を探ることになった。
ハンス様は以前と変わらず、寝台の上で穏やかに眠っていた。身体は寝具の中にあり見えない。ホムラが遠慮もなく足のところを晒すと、紫色と緑色に変色し、途中で途切れている足が見えた。ホムラは冷静に観察している。
「骨が溶けてる。毒に酸が混ざっているんだな」
ホムラはいくつかの色のついた瓶を並べた。
「さてと、あんたらも牙の形と胴体の模様をよく見ててくれ。ハンスは魔力が乱れてる。何度も覗くと頭がいかれるかもしれん。チャンスは一回だ」
ホムラが詠唱を始めた。ここ数日何度も聞いたが全く覚えられない言葉の羅列だ。どこか遠くの国の言葉であるらしく、この国とは魔法の発動原理が違うという。
チリチリと肌が焼けるような感覚と、軽い頭痛がして、目の前にぼんやりと森が広がっていく。自分の記憶を読まれているときよりも、身体が抵抗しているようで、軽く吐き気がする。他人の記憶とはこんなふうに共有されるものなのか。
*
「うーん、今日もだめだな。雨が降ったばかりで地面がひどい状態だ。薄暗いと影も出づらいし罠にかからないよ。やめておこう」
幼い黒髪の少年がこちらを見上げている。多分これはキース様だ。ハンス様の視点で、過去の記憶を見ているのだ。
「……また?兄様、次はいつ戻ってくるの。その頃にはもうペリュトンがいなくなってるかもしれない」
「そうかもなぁ。キースなら一人で狩れるよ。どうせ本番は一人でやらなきゃいけないんだから、兄様なしで頑張ってみろ」
「無理だ!俺は兄様みたいにできない」
「できるよ。この前も背苔イノシシを一人で仕留めたのに。もっと自信を持っていいんだぞ」
「……できない」
幼いキース様は不安げな顔で首を横に振った。ハンス様の服の裾を手で掴み、下を向く。確か10歳にも満たない頃だ。歳のわりに身長は高いのに、不安げに瞳を揺らす様子はもっと幼く見えた。
「しょうがないな。じゃあ母上と父上に話してくる。俺は軽い装備しか準備しないから、キースが自分で仕留めるんだぞ。約束な」
ハンス様が根負けして笑うと、キース様はぱっと顔を上げた。そして勢いよく頷き、そのままハンス様に抱きついた。
幼い弟の体温とともに、ハンス様が幸せを感じている感情さえも伝わってくる。この後のことを見たくないと思うほどに、二人は楽しそうだった。
次の場面は深い森の中だ。実際にはにおいは感じないのだが、雨が降った後の土の湿ったにおいが立ち込めているような気がする。
「おかしいな。生き物の気配がなさすぎる」
「雨だから?」
「いや……キース、この霧じゃ痕跡も見つけられないから、今日はペリュトンを狩るのは無理だ。引き返すから、俺から離れるなよ」
キース様は小さく頷いた。
「こっちだ」
ハンス様は時々後ろを振り返り、キース様の姿と周囲の安全を確認しながら進んでいく。次の瞬間、横の藪から大量の黒い影が飛び出してきた。
「うわあっ!」
キース様が頭をかかえてしゃがみ、ハンス様はそれを庇うように鞘から剣を抜いた。
「なんだ?!カマアナグマ?!」
黒い影が二人を無視して森の奥へ消えていく。ハンス様が視線を送った先で、カマアナグマの数匹が突然消えた。ぼたぼたと上から血が垂れてくる。
二人の頭上には、黒い頭に黄色い目をした大蛇の頭があり、丸呑みしきれなかったカマアナグマの下半身が毒で腐って地面に落ちた。
「ひっ……」
ハンス様は、上に向かって緊急用の閃光をあげた。ハンス様とキース様を、黒い頭の多頭蛇が囲んでいた。毒を含んだ唾液が垂れると、シュウと音を立てて草が枯れていく。あたりには紫色の瘴気がモヤのように立ち込めていた。
ハンス様は呼吸を守るための加護の呪文を呟き、キース様を持ち上げると、加速魔法を使ってその包囲から逃げ出した。蛇の頭が追ってくる。避けきれなくなったところでキース様を遠くに放り投げ、炎を纏わせた剣で首を一刀両断した。炎は有効で、首が再生することはなかった。そしてまたキース様を抱え、しばらく逃げてキース様を大木の陰におろした。
「膝を折り込んで頭は下に」
ハンス様は、下を向くのを拒否して涙目で見上げ続ける弟の頭をくしゃりと撫でた。そしてぐいと下を向かせた。
「父上が必ず来てくれる。それまで下を向いていれば怖くない。大丈夫だ」
「いやだっ!」
顔を上げようとするキース様の頭を押さえ、上を向けないように身体が入るギリギリの大きさの防御壁で取り囲んだ。キース様は防御壁を叩き破ろうとしていたが、防音効果も付与してあるのか、ハンス様に音は聞こえていない。
「ふぅ……参ったな」
静かな森に、ミシミシと木が倒れる音と、ハンス様の深い呼吸の音だけが響く。ハンス様はキース様から離れるように移動していき、蛇の頭を一匹ずつ対応できるよううまく立ち回っていた。
全ての首を焼き切り、辺りはシンと静まり返った。
巨大な蛇の本体の向こうに、白っぽい球体がいくつか見えている。あれは卵だろうか。
「……はあっ…は…キース……」
ハンス様は剣を柄に納めた。振り向いてキース様のいる方向を確認する。
「……っぐ!」
その瞬間、視界が横に揺れた。焼き切ったはずの蛇の頭が、首だけになって足に噛み付いていた。見る間に足が変色する。どろりと皮膚が溶けると、視界が真っ白になった。
*
「っは……はぁ…うえ……っ」
心臓がどくんと鼓動した。吐き気がして思わずしゃがみ込む。長い間記憶を共有したため、最後には自分の足が噛みちぎられたような感覚に襲われた。自分の足を確認すると、問題なくそこにある。
ホムラもどさりと床に座り込んだ。キース様が立ち寄り背中を支える。
「大丈夫か」
「ああ……はぁ、状態硬化の妨害のせいで疲れた」
ホムラは床にあぐらをかいたまま、近くにあるポーションと思われる瓶をつかんで一気飲みした。そして別の2本の瓶をそれぞれ私とキース様に投げた。
「欲しい情報は取れた。縦長の瞳孔で艶のある黒い鱗に、マダラ模様の白い卵だ。ガジサスの森にいたやつに似てる。状態硬化を解く瞬間に腐ったところを切り落として、身体に残ってるやつは依代に移せば大丈夫だと思う」
「本当か?!」
ホムラによると解毒できない毒を処理するにはいくつか種類があるらしいが、そのうち毒を分解も中和もせずそのまま依代に移す方法は、時間がかかるが一番正確に全ての毒を取り除くことができる。ただし通常は、毒をのんびり取り出している間に死ぬから、生き物には使わない。これも仮死状態にしているからこそ使えるのだろう。
依代を作るためにキース様と共に魔獣を狩って魔石を集め、ホムラに手渡すと、ホムラはハンス様と同じ質量と魔力量の人形を作った。いよいよハンス様の古代魔法を解く準備ができたのだ。
実行の日、公爵様と公爵夫人を部屋に呼び、私たちはホムラが古代魔法を解く様子を見守った。解除とともに毒で犯された足を切り落とすため、キース様は剣を持って控える。
床に魔法陣を描き、眠っているハンス様と依代を並べる。魔導書を開き、精霊に呼びかける古代魔法の詠唱が始まった。
「エデナの園にまします精霊の父よ。我に汝が御子の名を呼ぶことを許し給え。その名に宿る力と栄光のエデナの園に広ごる如く地にも広ごらんことを。彼が名をヘシェナザルトと云い……」
青白い光があたりを包み込み、ハンス様と依代がふわりと宙に浮いた。その周りを風が舞い、目も開けていられぬほどの突風が吹く。風が止んだ頃に、じゅわりと腐敗臭が鼻腔をついた。
「キース」
ホムラの呼びかけで、キース様は手にした剣でハンス様の腐った足を切り落とした。足は紫色の泡を発生させながら骨の一部を残して溶けた。切り口は即座にホムラの魔法で止血されたように見えたが、みずみずしい赤い肉が見えていた部分から木の枝が生き物のように伸びて足を形作った。
「……?!」
光が消えると、ハンス様の身体と依代は床に落ちる。ハンス様のことはキース様が受け止め、醜いマダラ模様の依代はそのまま床に落ちて砕けた。
「それに触るなよ」
光も音も消え、静かな部屋に呼吸の音だけが響く。
これまで状態硬化で呼吸をしていなかったハンス様の胸も、小さく上下していた。




