第3話 閉ざされた扉と、すれ違う二人の本音
廊下の角をいくつも曲がり、上履きが脱げそうになるのも構わず階段を二段飛ばしで駆け上がり、放課後はほとんど人影のない三階の特別教室棟の女子トイレへと飛び込む。
一番奥の個室に転がり込み、重い扉を閉めて金属の鍵をガチャンとかけた瞬間、全身を張り詰めさせていた糸がぷつりと切れ、小春は冷たいタイル張りの床の上に崩れ落ちた。
「……っ、う……、ひっ……、うぅっ……」
自分の泣き声が外に漏れないように、片手で強く口元を押さえる。
けれど、一度堰を切った涙は次から次へと止めどなく溢れ出し、指の隙間を伝って、紺色のプリーツスカートにぽたぽたと黒い染みを作っていく。
どうして。
どうしてあんなに、平気な顔で笑っていられるの。
私にとっては、三日間も眠れずに、ペンを持つ手が震えるのを必死に抑えて書いた、十六年間の人生で一番勇気を振り絞った手紙だったのに。
鞄の中で、まだ渡せてすらいない桜色の封筒が、小春の腕の力でぎゅっと押し潰されそうになっている。
小春は通学鞄を胸に強く抱きしめ、立てた膝に顔を深く埋めて、夕闇が迫る狭くて暗い個室の中でただ一人、声を殺して子どものように震え続けた。
一方その頃。
三階の女子トイレの、固く閉ざされた入り口の扉の前に取り残された遥斗は、肩で荒い息を吐きながら、夕闇の落ち始めた廊下に呆然と立ち尽くしていた。
「……何だよ、あれ」
自分の掠れた声が、人気のない夕方の廊下に虚しく反響して消える。
ただの、ほんの軽い冗談のつもりだった。
昨日の放課後、部活のミーティングを終えて昇降口へ向かったとき、下駄箱の陰で小春が淡いピンク色の封筒を鞄に慌てて押し込んでいるのを、たまたま遠くから見かけたのだ。
その瞬間、遥斗の胸の奥が、自分でも驚くほど黒くざわついた。
『あれ、誰への手紙だ? もしかして、小春に好きな奴でもできたのか?』
いつも自分の隣にいて当然だと思っていた小春が、自分の知らないところで他の誰かに顔を赤くしてラブレターを書いているかもしれない。
そう考えただけで、胸の中が焼けるように焦り、いてもたってもいられなくなった。
今日の放課後、他のクラスの女子に呼び止められてどうでもいい世間話を振られたときも、視線の端で渡り廊下の柱の陰にいる小春を見つけた瞬間、遥斗は適当な理由をつけて話を切り上げ、小春の元へと急いだのだ。
そして、最近どこかよそよそしい小春と、昔みたいに何でも言い合える距離に戻りたくて、同時にあの手紙の宛先が気になって仕方なくて、「俺に渡そうとしてた手紙、見ちゃった」とカマをかけてからかってみただけだった。
いつもなら、「ばか! あんたなんかに書くわけないでしょ! 自意識過剰!」と顔を真っ赤にして怒り、ぽかぽかと自分の肩や腕を叩いてくる。
そうやって「じゃあ誰宛てだよ」「教えない!」と笑い合って、一緒に並んで帰るはずだったのに。
遥斗は、夕闇の中で自分の右手をゆっくりと見つめた。
走り去る直前、ほんの一瞬だけ見えた小春の顔が、網膜に焼き付いて離れない。
黒縁眼鏡の奥の大きな瞳が、今にも決壊しそうなほど真っ赤に潤み、まるで世界の終わりを見たような絶望の色で自分を見上げていた。
あれは、いつもの照れ隠しや、子供っぽい怒りなんかじゃなかった。
小春は、本気で傷つき、本気で自分を拒絶して逃げていった。
「……俺、何をやらかしたんだよ」
遥斗は無意識に自分のブレザーの胸元を強く掴んだ。
心臓のあたりが、ざわざわと嫌な音を立てて不穏に波打っている。
いつも通りの幼馴染の冗談のつもりだったのに、自分の軽率な一言で、何かが決定的に、二度と取り返しのつかない方向へと壊れてしまったような、底知れない焦燥感が足元からじわりと広がっていく。
「……小春? まだ中にいるのか? ごめんって、さっきのは嘘で、ただの冗談で……」
遠慮がちに扉の向こうへ声をかけてみるが、喉が張り付いたようにうまく声が出ない。
返ってくるのは、冷たく閉ざされた扉の向こうからの、耳が痛くなるほど重くて切ない静寂だけだった。




