8 空気のような人
◇◇◇
――眠い。
(朝は苦手……)
惰性が服を着て歩いているような、わたしだ。
父が存命中でネムちゃんの世話も交代制だった頃は、昼過ぎまで寝ていることもあった。
でも。
起きなければならない。
他でもない、愛するネムちゃんがお腹を空かしているかもしれないのだ。
(ああ、ちゃんと寝たのに、疲れているって、どういうことなのかしら?)
カーテンの隙間から、漏れる灼熱の陽射し。
東側の部屋のせいか、朝早くから、もうすでに暑くてたまらない。
汗ばんだ寝間着を脱ぎ捨てて、着やすさで選んだ、夏用のワンピースに袖を通す。
母のお古のドレッサーに座り、無精して、背中まで伸びてしまった油の抜けた亜麻色の髪を櫛で梳かした。
年季の入った鏡を覗きこめば……。
「あら、白髪……」
頭頂部に数本、目立つ白い毛。
わたしは慎重にそれらを掬い上げて、おもいっきり、引き抜いた。
痛い……が、おかげで目は覚めた。
(また見つけちゃったわよ)
抜くのは良くないと言うけれど、見つけてしまうと、つい抜きたくなってしまう。
いっそ、染めるという手もあるけれど、一度染めたら、永遠に染め続けなければならないような気がして、億劫だ。
(まったくね、年を重ねる方が、生きることに手間がかかるって、どういうことなのって話よね?)
今まで、自然の摂理に、ずっと見逃してもらっていた。
(誰もが通る道なのだから、仕方ないとは思っているけれど……)
ネムちゃんは、百歳以上の超高齢。
いつ何があってもおかしくない状態で、サイリ君に病気を見抜いてもらえたのは、幸運なことだった。
(あーあ……。ネムちゃんの能力も、日に日に衰えてしまっている。この生活も、そんなに長くはないのよね)
そういうこともあって、この家には若い人を置かないつもりだった。
年齢は五十歳以上の女性が望ましく、それ以下だと、給金を当てにされても、払えない日が来るかもしれないので、無理だな……と感じていた。
――でも。
もう、彼を採用することにしてしまったのだ。
(これで、良かったのかしら? 良かったと思うしかないわよね)
朝夕、一人で部屋にいると、必ず不安になる。
あんなに若くて優秀な子を、こんな自堕落な生活に引きずり込んでしまって……。
他人が自宅にいるだけでも、違和感なのに、異性だからって、緊張しながら、毎日を過ごすなんて、恐怖だ。
…………けど。
不思議なことに、サイリ君は空気のような人だった。
「……無人」
ゆっくりと階段を降りて、台所に面している一階の居間に行くと、誰もいなかった。
―――というか、ここにいた形跡がない。
(あの子、ちゃんと食べているのかしら?)
彼と生活するようになって、三日。
まるで、生活感のないサイリ君のことが心配になってしまった。
呼び出せば、家の何処にいても駆けつけて来るし、仕事を頼めば、わたしが瞬きをするうちに終わっている。
そして、終わったら「じゃあ、また何かあれば……」と言って、一瞬で消える。
しかも、一階のお手洗いも、お風呂も使用した形跡がないのだ。
……もしや、あの子は幽霊だった?
なんて。
(そんなはずないでしょうに……)
わたしが採用をごねたから、気を遣わせてしまっているのだ。
(ああ、何て言えばいいんだろう?)
我が家だと思って好きにしていいのよ……なんて。
家族でもないのに、好きにされるのも何か違う。
久々の人との共同生活は、疲れることが目白押しだった。




