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7 雇用関係の始まり

「駄目なのよ。わたし、虫全般……。こう、蠢いている姿とか、足が幾つもあったりとか。ぎゃーっ! 形容するだけでも、おぞましいわ」

「……そんなに、ですか?」

「お手伝いさんが辞めてから、例のゴがつく昆虫が発生してね。あれを駆除するのに、防御壁を作って、丸三日かかったわ。三日三晩、眠れず、食べれず……。近年稀にみる激戦だったわね」

「とんでもない、激戦ですね。ご苦労さまです」


 ……と、適当な相槌を打ちながら、彼は干し草の上を這っていた黒い小さな物体を拾い上げた。


 見間違えるはずがない。


 いっそ、見間違いであって欲しいけれど……。


「な、な、言っているそばから、サイリさまは、何をしているのかな?」 

「蟻も駄目なんですか? こんなに小さくて可愛いのに」

「可愛い? ちょっと、目がおかしいんじゃないかな? 小さくても、奴は虫なのよ。生きているの。そんなに小さいのに。しゃかしゃかと……。こわっ。何なのよ、その生態系? ……て、ああ、そんなこと、わざわざ試さないでいいから、とにかく、その得体の知れない生物を、どっかに放ってきて……。頼むから」 

「放るというより……。こんなのだったら、どうですか?」


 掌に乗ったままの蟻を、宙に掲げて、サイリさまが目をつむると……。

 またしても、黄金色の光が彼の掌全体を包み込み、ぱりんという音と共に、光が掻き消えた。


「あれ?」


 わずか数秒だった。

 彼の掌にいた蟻は、跡形もなく消失していた。


「どっかに逃げた?」

「いえ、山の中に転移させただけです。蟻には申し訳ないけど、貴方に騒がれたあげく、退治されてしまうなら、まだ山にいる方がいいでしょう。それに、貴方だって、こういう方がいいのでは? 殺すのを見るのも嫌でしょうから」

「…………あ、貴方様は」


 わたしが手を握ろうとしたら、彼はすかさず逃げた。

 やっぱり、軍人。

 鍛えあげた動体視力をしている。


「サイリさま。貴方さまは、地上に舞い降りた神様だったのね。祠を作って、崇め奉っていいかしら?」

「やめてください」


 控え目に言って、彼は「神」。

 天が、わたしに授けた最終兵器のようだ。


「転移魔法は人は難しいですけど、虫程度なら、簡単なんです。こういうの、お気に召したくれたなら、良かったですけど?」

「お気に召すとか、そんなもんじゃないわ。必ずお金は払うんで、今、目につくもの、すべて山に引っ越しさせてあげてください」


 わたしは瞳孔が開ききった目で切実さを主張してみた。

 けど、サイリさまは、嫌味なくらい淡々としている。


(ヤツ)を、可愛いと言うくらいだもの)


 わたしの気持ちが、分かるはずもないのだ。


「構いませんよ。僕は……。でも、貴方にも分かっているはずです。それは、一時凌ぎに過ぎない。これから、本格的な夏に向けて、彼らは活動を本格化させてくるでしょう。使用人不在なのは、困りそうですね? 貴方には死活問題だ」

「…………ぐうっ」


 ――ぐさっ……と。

 神の一言は、胸に刺さるらしい。


「僕がここに滞在していれば、毎日、こうして虫をせっせと、山の中に転移させることも可能なんですけどねえ」


 もったいぶった言い方。


(いやいやいや、駄目よ。こんな若くて美形の青年と一つ屋根の下なんて……。しっかりしなさい。ミレーナ)


「でもね、やっぱり……貴方のような、若くて、ぴちぴちの男の子と暮らすのは」

「男の子……って? まさか、二十五歳にもなって、子供扱いされるとは……」

「だ、だって、わたし、百歳だし……。もし、ネムちゃんに何かあったら、貴方に御給金だって払えないのよ」

「だから、年配の女性を探していたんですか? 虫を駆除できて、幻獣の相手もできて、建物の修繕まで出来てしまう女性がそう簡単に現れるはずないですよね。僕をここで返したら、貴方、大変ですよ?」

「だから、困っているのよ」

「とりあえず、僕で手を打っておいたらどうでしょう? 貴方との雇用関係は、ネムちゃんが生きている間ということで」

「それは…………」


 嗜虐趣味でもあるのだろうか?

 彼は、歪に口の端を上げていた。


「じゃあ、仕方ないな。これだけは言いたくなかったんですが……」


 言いたくないのなら、胸の内にしまっておいてくれたら、良いのに……。

 サイリさまは、追い打ちをかけるように、得意げに続けたのだ。


「貴方は知らないようだけど、十年前から、幻獣の管理は国が行うようになったんですよ。特に、ネムリアなどの珍種は、精神攻撃に秀でているということで、見つけ次第、国に通報するのが国民の義務となっているのです」

「義務……」

「ええ、義務を果たさなければ、幻獣隊の軍人に捕まりますね」

「戦争も終わったのに?」

「関係ありませんよ。終わったとはいえ、まだ、燻っていますしね。まあ……。ネムちゃんは高齢で、今更、躾けようとしたところで、無理でしょうけど……」

「だったら、別にこのままでいいんじゃないの?」

「僕が黙ってさえいれば……ね」

「………………あっ」


 瞬間、わたしは雷に打たれたように、彼の言わんとしていることに気づいだ。


 ――サイリさまは、元軍人。


 彼の胸三寸で、わたしとネムちゃんは、売られてしまうかもしれないのだ。

 つまり、これは……。


 ――脅し。


「わおーん」


 ネムちゃんがわたしを心配するように、か細い声で鳴いている。

 悩むのも、馬鹿らしくなってきた。


(……もう、いいかしら)


「き、今日から、よろしくお願いします。えー……サイリさ……ま」

「やめてください。恥ずかしい」

「えー……と、じゃあ、サイリちゃ……」

「却下で」


 彼の満面の笑みは、腹黒の証。

 おそるおそるサイリ君に手を差し出したら、今度は避けられなかった。


「宜しくお願いします。ミレーナさん」


 固いけど、繊細で温かい手と握手した。

 誰かに触れるのは、何十年ぶりだろう?

 

(いいじゃないの。たまには)


 わたしみたいな、おばあちゃんに何があるわけでもないのだから。


 


 ――そうして。

 その日から、年下魔法使いのサイリ君と、百歳越えのわたしの雇用関係が始まったのだった。

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