25 家族を作れない理由
ヘイリーさんがわたしの腕に、優しく手を置いて、無言で慰めてくれている。
そりゃあ、追手さんだって必死になって、サイリ君を捜すでしょう。
(よりにもよって、王女さまよ)
この国で誰もが知っている有名人じゃないの。
それを袖にしたって言うのなら、どれだけお高く止まった男だろうって、わたしだって一目見てみたくなってしまうわよ。
「ともかく!」
わたしの冷眼を、ひしひしと背中で感じているのだろう。
彼は、声を上擦らせて宣言した。
「僕は婚約なんてしていませんよ。そうなる前に断っていますって」
「「ふーん」」
この辺りは、わたしもヘイリーさんも容赦ない。
断って、円満解決しているのに、王女が追手をかけるはずがないからだ。
「じゃあ、どうして、こんな辺境の寒い土地まで、追手の方が血眼になって君を探しに来るわけ?」
「だから、話したはずです。王女さまにも、きちんと会って無理だと伝えて、軍に辞表だって書いて出してきました。実家にも絶縁状を置いてきました。だから、大丈夫だって思ったんです。でも、僕がいなくなることを……王女さまは、良しとしていないのでしょうね」
「…………はあ…………。何の解決もしていないじゃないの。モテる男は、何たらってやつ?」
緊迫の場にそぐわない、笑いを含んだ声で、ヘイリーさんが言った。
わたしは、聞き分けのない子供を諭すように、お母さんの顔で一言。
「諦めなさい。相手は国家そのものなんだから」
ぴしゃりと告げた。
それに対する息子の答えは……。
バンッ!!
淹れたての香茶をばんと、音を立てて長机に置くことだった。
(反抗期のお坊ちゃまかしら? 荒っぽいわね)
……そういうところが、まだまだ歳の割に、子供なのよ。
「他人事だと思って……言いたい放題」
「だって、さっき、君が言ったのよ。「ミレーナさんと僕は親子じゃない」って」
「揚げ足、取らないでくれます?」
「まあまあ。サイリ君だっけ」
ヘイリーさんがお茶を飲んでから、気怠い口調で言った。
「ちょっとさあ、君、結婚してみたらいいんじゃない。ごめんなさいって謝ってね。惚れた弱みで、王女さまも許してくれるわよ。だって、この国で三番目に偉い人なんだから。しかも、美人だって話だしね。わたし時代の結婚なんて、相手の顔を知らずに嫁ぐなんて、当たり前だったんだから。ほら、わたしだって、旦那のことをよく知らずに嫁いで、今、このザマ……」
「やめてね。ヘイリーさん、それ逆効果だから」
わたしが咳払いすると、「ああ、そうだったわ」と肩をすくめて、ヘイリーさんは、へらっと笑った。
「……ま、ともかく、こんな好条件、他にないわよ」
それこそ、他人事の言い分だったが、結局、それが正しいのだ。
(確かに、庶民にとっては、羨ましい話だものねえ)
王女さまは、一人娘。
弟の王太子さまがいらっしゃるけど、まだ幼い。
今の時点で、王位継承権が二位なのだから、もしかしたら、女王として即位する可能性だってあるのだ。
(それこそ、ありえない大出世よね)
サイリ君の逃亡劇は、わがまま、自分勝手と非難されても仕方ない暴挙だろう。
(それに巻き込まれている、わたしが痛いわよ)
「ねえ、サイリ君。君だって二十六歳でしょ。結婚して子供がいてもおかしくない年齢じゃないの? 逃げていても、ロクなことはないわ」
「じゃあ、訊きますけど、ミレーナさん。貴方が僕の立場だったら、好きでもなんでもない相手と結婚できますか?」
「…………何で、わたし?」
「僕には出来ません。王女さまは、いい人です。だからこそ、僕には絶対に無理なんです」
「いい人なら、むしろ……」
ヘイリーさんは、すでにもうこの話に飽きたのか、お茶請けに出していたビスケットを齧っていた。
(これは、もう食べて眠くなって、受け答え不能になる感じね)
ヘイリーさんはもう駄目だ。
(わたしがしっかりしなければ……)
それなのに、サイリ君は苛立ちを隠すことなく、足を組んで、わたし達の前にどんと座ったのだった。
「落ち着こうか。息子よ」
「それ、もう笑えないんで」
「笑えないのは、わたしの方よ。追手はもう近くまで来ているのよ」
わたしは、温くなったお茶を一気飲みして、どんと音を立てて机の上に置いた。
「そうですね」
サイリ君は、涼しい顔で頷く。
当事者なのに、他人事のように冷めているのは、彼の方だ。
「あと小一時間もしたら、ここを突き止めるでしょうね」
「だったら!」
「ミレーナさんには、言ってなかったと思いますけどね。…………僕、養子なんですよ」
「はっ?」
「伯爵の実子ではないんです。このことは、王女との婚約を切望した伯爵……義父によって、極秘中の極秘扱いになってしまいましたが、僕の実の親は、小作人。農民です。当時、ルファス家の次男が流行り病で亡くなったので、その代わりにされたんです。農家の倅にしては、頭の出来が良かったんでね。僕も学ぶことが楽しくて、調子に乗って、飛び級なんてしてしまったものだから、周囲から天才と持て囃されて……」
「……はあ。もはや、壮大な自伝の域ね。書いてみたら、売れるかも?」
「貴方らしいというか、軽く言いますよね」
「だって……」
(君が農民出身だなんて、信じられないもの)
サイリ君の一つ一つの所作は優雅で、笑顔は柔らかく、気品に溢れている。
伯爵家の出身なら、当然だと思っていたのだが……。
(しかも、そこから王様の一人娘の婿にと請われているのだから、みんなが大好き、波乱万丈の逆転物語じゃないの?)
実に羨ましい 夢のある物語。
……けど。
サイリ君は、乾いた笑みを浮かべたままだった。
「軍の激戦地も、地獄絵図でしたが、あそこは、それより怨念の深い魔物の巣窟でしたよ」
「……そう」
今のサイリ君の告白で、わたしも確信した。
彼は自分の主観で、相手のことを虐げてしまう人間を激しく嫌悪していた。
恋愛のことは、興味がないとそっぽを向きながら、他人に価値観を洗脳されてしまう人に本気で同情していた。
彼が「誰かと家族になること」を、死ぬ気で拒むのは、そういう環境下で、彼自身が生きてきたということなのだ。




