23 婚約破棄
◇◇◇
ヘイリーさんは、わたしの本当の年齢を知っている貴重な人だ。
何もかも分かった上で、困ったことがある時だけ協力してくれる。
つかず離れず、会わない時は、三カ月以上、間が空くことがあるけれど、顔を合わせれば、いつも通り、普通に会話してくれる人だ。
わたしにとっての「聖人」とも言える。
サイリ君と引き合わせてくれたのも、彼女だ。
正確には、彼女の仕事の後を継いだ、お孫さんだけど……。
(まっ、わたしを好いてくれているというよりも、生前の父と彼女の亡き両親が仲良しだったという縁なんだけどね)
御年七十歳。
最近、物忘れがひどくなり、同じことを何度も聞いたり、同じ話を何度も繰り返したり、杖を使わないと歩けないと、ぼやくようになったけれど、基本的には、穏やかで物静かな女性であることは変わらない…………はずだった。
――走っている。
「走っているわね……」
息も絶え絶えになりながら、杖を振り回し、顔を真っ赤にして、ぜいぜいと肩で息をしながら……。
怖ろしいものを、真昼間から見てしまった。
(……一体、何事?)
わたしは慌てて、ネムちゃんのもとを離れて、今にも転びかねない彼女を支えるべく、なだらかな丘を下りて行った。
「どうしたのよ。ヘイリーさん?」
「ああ、今日は貴方だけ? だったら、話しやすいんだけど……」
「え、いや、あの……」
すぐ後ろに、サイリ君がいるんだけど……。
ネムちゃんを小屋に戻しに行っているのかもしれないが、少し遅れて、ここまでやって来るはずだ。
……けど。
わたしが、それを話す前に、せっかちなヘイリーさんが白い息を吐きながら、捲し立てたのだった。
「ちよっと、貴方のところに紹介したあの子……。大変な子みたいなのよ! さっきね、二人組の軍人さんが来て、人を探しているって! それで、その人の特徴を聞いたら、びっくり。どう考えても、貴方のところにいる、あの子なんだから!!」
それは、間違いなく「お」のつくヤツよね。
「…………あー……。とうとうこの日が」
来てしまったのだ。
わたしが想定していたより、遥かに早かった。
(追手の執念……だわ)
よほどの義務感でもない限り、こんな寒い地域に足を踏み入れるはずかない。
(やっぱり、軍は、サイリ君を重要人物だと認識しているのね)
いいんだか、悪いんだか……。
覚悟は決まらなくても、待ったなしではないか。
「何よ、ミレーナさん。知っていたの? あの子の事情」
「まあ……。つい最近、済し崩し的にと言うか……ね」
はははっと、冷や汗と空笑いしか出て来ない。
……だが。
次の一言で、わたしは更に衝撃を受けるのだった。
「ほら、あの子、前髪だらんって長いけど、よく見ると、びっくりするくらい美形じゃない? 王女さまも、そりゃあ、放したくはないわよねえ」
「………………へ?」
今、ヘイリーさん、とんでもないことを、言わなかっただろうか?
「あれ、聞いてないの? ああ、さすがに皆、聞いていたら、ここには置いておかないものねえ」
「どういう意味?」
どうして、一緒に住んでいる、わたしより、ヘイリーさんの方が多くの情報を持っているのかしら?
「ねえ、サイリ君は、脱走兵じゃないの?」
「脱走? 軍人さんたちは、そんなことは言ってなかったわよ。「婚約破棄」だって」
「………………は?」
…………オワッタ。
逃亡兵どころじゃない。
ヤツは、もっと、とんでもないことをしでかしていたのだ。




