20 中毒性のある薬
◇◇◇
それから、また静かな日常が流れていった。
――そうだった。
いつも決まった、のほほんとした生活をしているから、世俗を忘れていってしまうのかもしれない。
当然、わたしだって悩んで、考えた。
(要するに、サイリ君は今、我が家に潜伏しているっていうことなのでしょう?)
――つまり、いつ彼に追手が来てもおかしくないということだ。
そんな危険な人、平和が一番、事なかれ主義の権化のようなわたしが、そのまま放置なんて出来るはずがない。
けど……。
そういう、わたしの性格を、利口なサイリ君は、とっくに見抜いているのだ。
――広々としたお風呂と、洗面台付きのお手洗いを、七日間で作り上げてしまう手腕。
――寒くなってきた季節に、指一本で火を熾すことができてしまう魔法。
サイリ君を雇うまでは、虫除けしてくれる人がいたら、それだけで良いと思っていたのに、今はとんでもない。
彼一人で、三十人くらいの労力を擁している。
(ある意味、我が家の最終兵器みたいなものだわ)
快適な生活を、怠惰なわたしだからこそ、安易に手放せるはずがない。
いや、必ず手放さいなといけない日が来るはずなんだけど……ね。
ずるずるずるずる……と。
(何か、負けた気分だわ)
そもそも、軍だってサイリ君が優秀だから、辞めさせたくないのであって、そこまで見込まれている彼が、無策でわたしの家に滞在し続けているはずがないのだ。
(まるで、中毒性のある薬を毎日、飲まされているような……)
そんなサイリ君は、今日も今日とて、忘れ薬の製作現場に、当たり前のように居座っていた。
そして、仕事のできる男は、私に対するお世辞も忘れてはいなかった。
「やっぱり、僕、天才だと思うんですよ。ミレーナさんは」
今まで、わたしの背後に控えていた彼が、おもむろに口を開いた。
――ここは、一階の応接間。
二人の共同空間だ。
いつも、二階の調合室で「忘れ薬」を製作するのだけど、暖炉が壊れてしまったので、急遽、下の階で作ることにしたのだ。
場所が変わると、勝手が違って疲れる。
サイリ君は、すぐに暖炉を直すと申し出てくれたけど……。
二階は、まずい。
彼に、見られたくないものが多数あるのだ。
(あれは…………百年分の闇ね)
ある程度、片づけないと、禁断の領地に彼を招くことは出来ない。
そういうことがあって、道具だけ持って来て、母の形見の前掛けをして、てきぱきと調合していたら、ひょっこりサイリ君が現れた。
ネムちゃんは昼寝しているというし、休憩時間でもあるので、彼がそこにいるのは、別に不審ではない。
……しかし。
いつもやっていることを、物珍しそうに凝視されて、凄いと褒めちぎられるのは、慣れない。かえって緊張してしまう。
「またまた、君は、調子の良いことを言うんだから……。おばあさん、困ってしまうわよ」
「僕は本当に、感動しているんですよ。どうして、こんなに高度な薬が作れるのに、虫ごときを、どうにかできる薬は作れないんですか?」
(………ん?)
「何だ、嫌味か」
「違いますよ。純粋に気になったんです」
やっぱり、馬鹿にされているんじゃないか。
「簡単よ。そんな薬を、そもそも薬師は作らないから。だって、薬を作る上で、虫って立派な材料なのに、それを嫌がる薬師なんて、普通はいないでしょ?」
「……確かに」
「だから、わたしは薬師にはなれなかったのよ。生活全般、ネムちゃん頼みで、怖がりで、意気地もないし……。いつか、君のもとに追手が来ても、わたしには何にもできないわよ?」
「別に、僕はミレーナさんに応戦して欲しいなんて、微塵も思っていませんよ。それに、さっきも言いましたが、嫌味のつもりはありません。純粋に尊敬はしています」
「へえ……」
「だから、もうちょっと、作り方を見せてもらってもいいですか?」
「どうぞ。別に隠すもんでもないし」
「では」
サイリ君は、乳鉢の中で念入りに混じり合わせた薬の原型が、煮沸後、濾過されて、琥珀色の液体になるまで、瞬きをほとんどせずに見入っていた。
ついでに、臭いも嗅ごうとしているので、わたしはすぐに止めた。
本格的な効能が出てくるのは、瓶に詰めてから、数日間後だけど、今の時点でも、吸い込んだだけで、軽く記憶が飛ぶことがあるのだ。
危険極まりない。
「怖い薬ですね。さすが、黒の薬師の直伝。やっぱり、親子ですね。僕だったら、この殴り書きの手順表から、薬を生み出すなんて、不可能ですよ」
「……………」
やっぱり、誉められている感じはしない。
(……純粋に、尊敬しているですって?)
単純に、母の字が汚いことを、指摘してきただけじゃないの?
「それは、まあ……小さい頃、母の背中を見ていたから。何となく……ね」
「改良はしないんですか? 忘れる時間を伸ばしたり、短くしたり……とか?」
「母から言われたことがあるのよ。副作用がない薬はないって……。特に、精神系に作用するものは、下手したら、心を壊してしまうかもしれないから」
「なるほど。素晴らしい考えを持った、お母さまだ」
「普通の人だったけどね。豪快で酒豪で……。全然、薬師っぽくはなかったわ。昔すぎて、あまり覚えてはないけど」
「百年……ですものね。僕は到底、貴方には敵いそうもないな」
「何でまた、わたしと張り合うのよ?」
「……ですよね。何でなんだろう?」
なぜか、サイリ君が寂しそうに呟いた。
彼の方が、よほど恵まれた境遇だと思うのだけど……。
(老けない体に、興味があるとか?)
わたしには、いつも不遜な彼が、時折見せる、自虐的な顔が信じられないのだ。
ネムちゃんのおかげで、長く人の話を聞いてきたからこそ分かる、サイリ君には、彼らと同様、それより深い、心の闇があるのだろう。
――久方ぶりのヘイリーさんが、血相を変えて、我が家に飛び込んできたのは、それから間もなくのことだった。




