19 逃亡兵
◇◇◇
「…………別に、貴方を騙そうだなんて、企んではいないんです」
そう言って、彼らしからぬ、弱々しい声で、深くて暗い溜息を吐くと、悄然と項垂れてしまった。
(どうしましょ?)
ヤブヘビだった。
少し気になったから、何となく尋ねてみただけで、彼が抱えている問題が、そんなになって葛藤するほど、重いものだなんて、思ってもいなかったのだ。
「サイリ君。いいのよ。気にしないで。今、言ったことは、後味悪いでしょうけど、忘れてちょうだい」
「……気にします」
わたしの気遣いは、一瞬で泡となった。
「えー……。いいのよ。本当、気にしないでいいから。頼むから。ね?」
「ミレーナさん。僕はここでの暮らしが気に入っているんです。だから、貴方さえ良ければ、どうか、僕のことは空気か何かと思って、このまま放っておいて欲しいんです」
「そんなこと、別に念を押されなくても、そうするつもりだけど?」
また改まって、怪しい。
わたしが小首を傾げる……と。
サイリ君は、更に深く下を向いてしまった。
膝と頭がくっつくんじゃないかって距離だ。
「…………実は、貴方に渡した経歴書。あえて、僕が書いていない部分があるんです」
「そう……なの」
正直、あの輝かしい経歴がすべて本当だと言う方がおかしいので、少し違う部分があるのなら、まったく問題ない。
むしろ、人間味があって宜しいと褒めたいくらいなのだが……。
「最後の経歴についてです。貴方も見たはずです。僕は一年前まで、魔法軍に在籍していました。辞めた……つもりでいました」
「つもり?」
「どうやら、僕はまだ除隊になってないみたいなんですよね。困ったことに」
「んーと? それは、つまり、君は、まだ軍に籍が置いてあるってことなのかしら?」
「ええ。はい。だから、今の僕は、魔法軍の「逃亡兵」扱いになっているのです」
「…………と・う・ぼ・う・へ・い。……逃亡兵? そうかあ……」
復唱してみて、わたしはようやく彼の危険性に気付いた。
「何? 逃亡なんて、おかしいじゃない? ちゃんと退職したいって言ったんでしょう」
「言いましたけどね。僕、機密性の高い、魔法軍の指揮系統にいましたからね。常識が通用しないんですよ。正攻法でいけば、辞めたいと申し出てから、軍法会議を経て、除隊が決定するんですけど、最初から、彼らは軍法会議なんて開くつもりもなかったようです」
「じゃあ、魔法軍のお偉いさんに直談判で、話をつけて来るしかないじゃない? 戦争だって終わっているし、話せば分かるんじゃない?」
「それはない……です。停戦には合意したけれど、戦争は完全に終結したわけではないんですよ。僕の話に耳を貸す理由なんて、彼らにはないでしょう」
ここにきて、サイリ君は、すっかり落ち着きを取り戻していた。
わたしのような素人が思いつくことなんて、彼が考えなかったはずがないのだ。
(……なるほど)
今まで、サイリ君が落ち込んで見えたのは、わたしに話すか否かの葛藤のためだったのだ。
(それって、まったく、逃げたことに対しては、反省も後悔もしてないということよねえ)
彼は、すべて承知の上で、我が家に転がり込んできたのだ。
――辺境の地の住み込み使用人。
――保護対象の幻獣を飼う女。
――互いに、軍には察知されたくない一蓮托生の仲。
(……どうりで、前髪も長めに美貌を隠して、街にだって出たくないはずよね)
派手に目立って、軍関係者に見つかりたくないのだろう。
大嘘つきなだけではなく、完全に問題の渦中に巻き込まれているのに、不思議と彼に対して、腹が立たないのは、まだ、わたしが上手く事情を飲み込めてないせいだ。
「そういうことなので、貴方は万が一の時は、何も知らなかった、騙されたの一点張りで通してください」
「…………あのねえ。そんな古典的手法が通用するとでも? そもそも、そんなことになったら、ネムちゃんだって、ただじゃ済まないのよ」
「それこそ、大切なネムちゃんのためですよ。あの子のためなら、ミレーナさんは、何でも出来るんじゃなかったんですか?」
「何よ。それ?」
…………脅しだ(×2)
またしても、ネムちゃんが人質に取られてしまった。
(ネムちゃんのこと、僕が軍に黙ってれば、大丈夫って言っていたじゃない? ……けど、実際、軍に黙っていて欲しいのは、君の方だったんじゃないの?)
ひどい話だ。
安堵したらしい彼は、わたしの気も知らないで、眼前で焼き芋を猛然と食べていた。
この勢いだと、わたしの分を差し出す事態になりそうだ。
(何の取り柄もない、わたしだけど、他人様に迷惑だけはかけないよう、それだけは律儀に守って、生きてきたつもりだったのに……。一体、いつ、横道に反れてしまったのかしら?)
ああ。頭が痛い。
(脱走兵の隠匿罪って、どのくらいの刑罰になるのかしら?)
怖すぎて、調べたくなかった。




